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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-09-15 あなたは試す 読み手を 『長い道』 こうの史代 / 双葉社(ACTION COMICS)
2005-09-11 グッジョブ!! なのだが…… 『恋するA・I探偵』 ドナ・アンドリューズ,島村浩子 訳 / ハヤカワ文庫
2005-09-05 〔雑談〕 ネットの音楽配信
2005-08-26 〔雑談〕 危うし!? 将門の首塚
2005-08-17 仕事モードオン!! 『働きマン』(現在2巻まで) 安野モヨコ / 講談社モーニングKC
2005-08-08 『スパイシー・カフェガール』 深谷 陽 / 宙出版
2005-08-04 ブックオフに出回るまで待ってもよいかもね 『陰陽師 12 天空』 原作 夢枕獏,作画 岡野玲子 / 白泉社(Jets comics)
2005-07-31 最近の新刊から 『頭文字D(31)』 しげの秀一 / 講談社(ヤングマガジンKC)
2005-07-25 最近の新刊から 『大阪100円生活 バイトくん通信』『百鬼夜行抄(13)』
2005-07-18 『史上最強の弟子 ケンイチ』(現在16巻まで) 松江名 俊 / 小学館少年サンデーコミックス


2005-09-15 あなたは試す 読み手を 『長い道』 こうの史代 / 双葉社(ACTION COMICS)


【荘介どの それを見てごらん】 ← 「早春の怪談」の一場面。そこらのホラー小説よりこわやこわや……

 ある種のことに妙に勘のよい家人が,こうの史代の作品を一切受け付けない。面白いから,といつものオススメ棚に置いておいても,なんだか,とすぐに返してくる。
 その心持ちや,わからないでもない。被爆の悲哀を棍棒で殴るように描いた前作『夕凪の街 桜の国』はおろか,「のほほん」をうたいにお気楽な夫婦を描いた(ように見える)本作『長い道』にさえ,なにやら,よほど怖いものがある。

 「家族」ではなく「夫婦」を描いたコミック作品はそう多くはない。
 とくに4コマからせいぜい数ページのギャグで展開するものとして,著名なものなると
   坂田靖子『チューくんとハイちゃん』
   秋月りす『奥さま進化論』『ミドリさん−あねさんBEAT!!』
   森下裕美『ここだけのふたり!!』
   みつはしちかこ『ハーイあっこです』(初期)
   業田良家『自虐の詩』
   安野モヨコ『監督不行届』
くらいしか思い浮かばない。

 『長い道』は,ギャグマンガでありながら,これらとはどこか違う。表層的なところでなく,根っこから違う。
 『チューくんとハイちゃん』や『ここだけのふたり!!』では──あるいは『自虐の詩』においてさえ──夫婦は(どのように出会い,どうして結婚にいたったかを問わず)今日も明日も夫婦であることが約束されている。それがゲームの基本ルールなのである。
 『長い道』の荘介と道には,そんなルールへのキマジメさがぽっかり欠落している。
 なにしろ一人暮らしの荘介の前に突然現れた道は,酒の場で,父親によって,荘介の父親に嫁としてタダで受け渡されてしまったというのである。貰い子でなくて貰い嫁。人身売買より軽い。

 荘介は,「派手で金持ちでいつもつんけん怒っている女」好きでギャンブル好きで失業好き(?)のゴクツブシである。心の底では道を愛しながら……などというおためごかしでは説明つかないことも二度三度しでかしてしまう。荘介は一個の成人である。高校生の諸星あたるがラム以外の宇宙人や女医を追いかけるのとはわけが違う。
 かたや道のほうも,ノー天気な風情の下に一筋縄でいかないものを抱く。彼女が荘介のところにきた理由は,その町に彼女の思い人がいたからである。もし,荘介に本当に思い合う相手がいたら,彼女の登場はいかなる意味をもっただろう。もし物語の途中でほかの誰かが道を求めたら,それでも彼女は荘介を選んだのだろうか。

 夫婦マンガの大半は,登場人物が夫婦であることを前提としながら,決して夫婦間のセックスを話題としない。『長い道』が,二人のセックスレスを語り,酒の勢いでのセックスを描き,キスシーンで終わるのはゆえなきことではない。キスはセックスより難度が高い。荘介と道は,連載が終わった時点にいたってすら,まだ十分に約束された夫婦とはいえないのだ。書類上は夫婦であっても2人の間は恋愛関係というも危うく,同棲という言葉さえ似合わない。
 本作は,その2人が,夫婦マンガの登場人物として描かれてよいか否か,それを試すような不安定かつアンバランスな時期を描いて描いて描いて唐突に終わってしまう。逆説的にいえば,夫婦と言いづらい2人を描いたこの作品のみが,正しく夫婦を描いたマンガなのかもしれない。

 『長い道』のもう一つの特徴として,各話,各コマが,さながらギャグマンガの一大実験場と化していることがある。全盛期の赤塚不二夫や『カスミ伝』等における唐沢なをきに匹敵する(一度や二度読んだ程度では気がつかないほどの)大小の挑戦が,むしろクラシカルな,60年代を想起させる絵柄でなされているのだ。
 この作者は,アマチュアなのだな,という気がする。悪い意味でのことではない。また,原稿による収入の多寡,テクニックの巧劣についてでもない(テクニックについては,こうの史代はそこらのベテランプロより格段に巧い)。プロというものが生活の糧として職業を選び,そこに安住できることをひとつの指標とするのに比べ,この作者は決してひとつの作品,ひとつのコマに安住しようとしない。
 前衛的というのともまた違う。当人の衝動が,新しい工夫や実験を勝手に誘発するのである。世界に名だたる登山家たちが本質的にアマチュアだった,そんなあり方に近いかもしれない。

 いかにも私小説ふうなさまざまなシチュエーションと,凝りに凝ったアクロバティックなギャグ技法が,自分のしっぽを食うヤマタノオロチのように複雑な入れ子になって区別がつかない。『夕凪の街 桜の国』は単に登場人物の悲惨ゆえに読み手を引き込む作品ではなかったが,本作においても,おそらく作品を見せる以外に説明のしようのない効果が読み手の「時間」の色合いを変える。

 それがこの作者の(深い淵の前でつい本気のケンカをしてしまうような)底知れぬ怖さである。
 その力は読み手に「参加」を求める。読み流すことができない。流すくらいなら読み飛ばすほうがまし。ギャグマンガにそのような読み方が妥当とは思えないし,もっと「のほほん」,「ほのぼの」とすましてしまえばよいのかもしれない。しかし,そのようにすますことができない。すませられないのが魅力でもある。
 「のほほん」をキャッチフレーズとするギャグマンガと,あれほどツラい思いに沈む『夕凪の街 桜の国』が,ほとんど同じタッチ,同じ読み応えであるというのはいかなることか。
 ……考えてもおよそ答えに近づきそうにないので,同じ作者のもう少しは気楽に読める『ぴっぴら帳』に手を伸ばし,ソファの上でまた「く」の字になる。

先頭 表紙

2005-09-11 グッジョブ!! なのだが…… 『恋するA・I探偵』 ドナ・アンドリューズ,島村浩子 訳 / ハヤカワ文庫


【申し分ない? 何もかもがきわめて違法だし,この情報操作を行うには何人かのいささかいかがわしい人物にいくつもの頼みごとをきくと約束しなければならなかった。】

 鳥シリーズのドナ・アンドリューズの新シリーズ,第1作。
 今朝,私鉄駅の書店で発見,先ほど読了。文庫400ページのボリューム以上に読み応えあり。

 従来の鳥シリーズは,アメリカ南部の田舎町に住む鍛冶職人メグ・ラングスローが,家族,親族,友人,はては近所の人々の身勝手な依頼に翻弄,忙殺され,あげくに殺人事件に巻き込まれるラブストーリー(なのか?)だった。
 その作者の新シリーズとなれば,舞台は違えど似たようなユーモア路線を想像するが……あにはからんや,今回の主人公チューリング・ホッパーは人口知能パーソナリティ(AIP),つまりコンピュータのプログラムなのだ。チューリングはユニヴァーサル・ライブラリー(UL)社のシニア・プログラマー,ザック・マローンの開発した会話型リサーチャー(顧客の検索を手助けするツール)であり,その開発工程でさまざまな名作ミステリをスキャンしてデータとして読み込んだ変わり種なのだが,あるときから人間のような感情を持つにいたる。そして彼女は,ある日,自分を開発したザックが失踪したことを知り,彼の行方を追い始める。

 鳥シリーズに比べ,本作では,手放しで笑える場面はほとんどない。本文の約半分が,AIPの独白によるという面もあるが,そもそもプログラマの失踪を追ううちにIT企業内の陰謀に触れてしまうという設定そのものがシリアスなのである。

  科学の時代は終わった。今は企業の時代にはいっているんだ。

 これは重要な登場人物の一人が後半の一場面で述懐する言葉だが,実のところこの言葉の示すものは重い。

 本作は現在のIT産業の構造や今後の展開についての(風刺をやや越えた)苦い批評にもなっているのだが,正直なところ,このチューリング・ホッパーのようなプログラムの存在を許容してよいのかどうか,難しい問題かと思う。ヒトのクローンの命題に近いかもしれない。
 たとえば,アメリカの企業が容認するAIPと,イスラム国家が容認するAIPは異なるだろう。中国が容認するAIPの権限と,イギリスが認める権限は異なるだろう。あるいは子供の教育にAIPをかかわらせてよいのか。そもそも人間の生活に感情をもったAIPをどの程度加担させてよいものか。本作のエンディングは,いかにもハッピーエンドを装ってはいるが,けっこうとんでもない処理である。個人的にはこんな反オープンソースなエンディングにかかわるのは真っ平御免だ。

 作者は,AIPが存在することやその倫理的な権限については十分注意を払っているように見える。そのうえでミステリ,少なくともエンターテインメントとして本作を提供していることは明らかである。
 ただ,ミステリとしてみると,少なくとも本作においてはまだ,主人公のAIPが古今のミステリに長じていることはとくにストーリーに大きな魅力を呈していない。主人公やその友人たち(人間,AIP含む)は開発者の失踪から派生する謎とそれに続く事件の解決をはかるが,どちらかといえばそれは直接自分たちに降りかかってくる災難との戦いであり,多くのいわゆる「本格ミステリ」における探偵たちのように事件に対して第三者的に推理を働かせるわけではない。
 もちろん,ストーリー的にはそれが独特のサスペンスを呼び,作品としては成功しているといってよいと思うのだが,少なくともこのシリーズ第一作については,鳥シリーズほどあらゆる設定が成功しているようには見えない。

 次作品以降に期待,と書きたいところだが,さて果たして次作も読むだろうか? 現時点では留保。肉体派の探偵が主人公のミステリは苦手なのだが,本作はプログラムが主人公でありながら,意外なことにストーリー展開ははっきり肉体派の側に属すのだ。


 以下,雑感。
 
 ソフトウェア業界,あるいはプログラマを登場させるミステリ作品は最近少なくない。本作はその中ではかなりリアリティがあると評してよいように思う。もちろん,(現在のハードウェア環境で)感情を持つAIPというのはSFどころかファンタジーの領域かと思うが,それでも本作においてコンピュータやネットワークシステムが,ハードウェアとソフトウェア,そしてプログラムとデータにきちんと区別して描かれているのは(当たり前のことなのに)けっこう衝撃だ。逆にいえば,その程度の区別もなしにソフトウェア開発者を描いてしまうミステリ作家が少なくないのである。メールそのものと,メールシステムにアクセスしたログとを区別するなど,言ってみれば,この作者はUserではなくAdministratorなのだ。

 ストーリー中で,ことデータ処理とプログラム開発に関しては万能に近いAIPのチューリングが,英語を発声する訓練についてはなかなかうまくいかないシーンがある。しかし,人口知能とは別に,通常の文章をそれなりに発声するツールはすでに何年も前から存在しており(8ビットパソコン時代のBASICにTALKコマンドとして提供されていたものでさえ,文章を聞き取ることはそれなりに可能だった),チューリングほどの,つまり感情を持って自立的に自己プログラムを書き換えてグレードアップできるほどのAIPがうまく会話できないというのは,妙にアンバランスな気がしないでもない。

 技術的にもう一点,いくらなんでもと思うのは,データ転送速度の問題である。専用線を張り巡らした中ならともかく,通常の電話回線を通したダイヤルアップ接続でこれだけの処理は無理。あと,物理的なファイアーウォールはもう少しマシな機能を持つと思うが,これはファンタジーの領域ということでしょうがないか。

 さて,そういった現状の技術的な限界はさておいて,国税庁や電話局をはじめ,あらゆるデータベースに侵入できてデータを取り込める主人公を探偵とするのは,はたしてミステリとしてフェアかどうか? かつてアイザック・アシモフが,未来世界のロボットを刑事としながら,作品内で用意したルールに極めて厳密なミステリを書いたことで知られるが,本作にはそこまで厳格な印象はない。ミステリ40%,ファンタジー45%,SF15%,といったところか。

 今気がついたが,チューリングに一番近いのは,ブリジット・オベール『森の死神』などに登場する車椅子探偵なのかもしれない。「できる」ことより「できない」ことのほうにサスペンスの重きが置かれるという点で,本作とそれらはまさしく同じ星のもとにある。

 などなど,書きたいことは尽きない。
 読み応えはあったし,面白かったとも思うが,少々疲れたというのも実感だ。ネットワーク上にこんな自己改変,増殖機能をもった巨大なワームがいるかと思うと……。

 できれば次は鳥シリーズがいいな。

先頭 表紙

2005-09-05 〔雑談〕 ネットの音楽配信

 
 ネットビジネスの嚆矢として再三話題にのぼりながらなかなかブレークしきれなかった音楽配信ですが,ここにきて携帯の着ウタに引っ張られ,あっという間に身近になった感がありますね。

 Yahoo!ミュージックをそれなりに便利に使っていたのですが,アップルコンピュータのiTunesの圧倒的な使い勝手のよさには驚きました。ミュージシャン名なり曲名なり,思いつく言葉をちょいと入れて,あとはリンクをクリック,クリック。しばらく時間を忘れて検索&試聴ザルになってしまいます。
 日本のiTunes Music Storeサイトには登録されていない曲でも,ほかの国で検索してみましょう。イギリスのミュージシャンなのになぜかイタリアやフランスのサイトのほうが登録アルバム数が多い,なんてこともあるようです。

 長年心の片隅に引っかかっていて,でもわざわざCDを注文するほどでもない……そんな曲(たとえばLoboの"Me and You and a Dog Named Boo"を試聴できただけでもかなり得した気分。そのうちベストアルバムをまるごとダウンロードしようと思っていますが,今後いつでも手に入るということがこれほど豊かな気分につながるとは。

 想像するに,しばらくは新譜を宣伝をかねて公開,というのが中心になっていくのでしょうが,ネット配信には在庫管理のりスクがないから,古い,ニッチな曲でも,いったんコーディングしてアップロードしておけばそのうちにペイする可能性があります。たとえば,長谷川きよしや石川セリといったかつての実力派のアルバムは,全国のCDショップ店頭に常置するほどの売り上げは見込めないでしょうが(全アルバムを店頭や倉庫に置いておくとなると,在庫管理だけで大赤字必至),オンラインなら昔からのファンがダウンしたり,あるいはCMソングかTV番組の主題歌への採用をきっかけに新しいファンが古いアルバムにさかのぼることも期待できます。カラオケがレーザーディスクから通信カラオケになって飛躍的に曲が増え,マイナーなミュージシャンやキワモノ(お経など)をそろえられたのと同じことが起こってくるのではないでしょうか。

 逆に,曲順,ジャケットなどを含む,一ミュージシャンのトータル作品としての「アルバム」を考えるとき,少なくとも過去の名作について,ネット配信は限界を抱えざるを得ません。
 たとえば,Led Zeppelinのセカンドアルバムにおいて,"Heartbreaker"と続く"Livin' lovin' maid (she's just a woman)"の文字通り「間髪入れない」つなぎは,スピード感,リズム,艶やかさといった彼らの魅力をきぱっと示してくれるものでした。その手応え抜きに"Heartbreaker"や"Livin' lovin' maid (she's just a woman)"をいわばシングル曲としてダウンロードしても,セカンドアルバムの魅力は伝わらないでしょう。

 1曲100〜200円。アルバム1枚分ダウンしたら,輸入CDを購入したほうが安い場合もあります。今後,どのプレイヤーが生活の中心となるかで曲の入手方法も変わっていくのでしょうね。

先頭 表紙

日本はともかく,よその国のサイトで,「karaoke」で検索するとものすごい量の楽曲がヒットするのがまた楽しい。世界共通語なんだなぁ。 / 烏丸 ( 2005-09-05 01:53 )

2005-08-26 〔雑談〕 危うし!? 将門の首塚

 
 新聞報道によると,東京都は,現在「旧跡」に指定されている歴史文化財約230件のうち約9割について,「伝承や物語に過ぎない」「史実の根拠があいまい」として指定廃止を視野に総点検を進めているそうです。

 見直しの対象として挙げられている旧跡には,「四谷怪談」のお岩さんが信仰したという田宮稲荷神社跡,京都で斬首された平将門の首が宙を飛んできて落ちたとされる将門の首塚,そして赤穂浪士の一部が切腹したという熊本藩江戸屋敷跡なども含まれているとか。

 そりゃ、京都でさらし首にされた首が関東まで自力でぴゅーんと飛んできて落ちたのが「史実」かと言われればそれまでですが,長年恐れられてきた,あるいは長年演劇人が「四谷怪談」を舞台にかける前に必ず参詣したといった事実は,それはそれとして1つの史実といえなくもないような気がするんですが,どうなんでしょう。

 ちなみに,もし今後──あくまで「もしも」ですが──都の検討委員会関係者の何人かが続けて原因不明の熱病死,自殺,発狂,動悸,いきぎれ,めまい,肩こり,だるさ,手足の冷え,風邪などの諸症状が出るようなら……できれば「どの旧跡の呪い」でそうなったのかはっきりわかるよう,点検・廃止の担当者を「旧跡」ごとに明確にしておいてほしいですよね。

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2005-08-17 仕事モードオン!! 『働きマン』(現在2巻まで) 安野モヨコ / 講談社モーニングKC


【伝えたいのは何だ?】

 吾妻ひでお『失踪日記』を紹介した折に「このところ,新聞の書評欄をにぎわすような,いわば文化人ウケするマンガの単行本が続いて……」と書いたのは,続いて安野モヨコ『監督不行届』,そしてこうの史代『夕凪の街桜の国』を取り上げようと思ったからだった。

 ところがこの2冊,とくに『夕凪の街』は,なんというか,自分の中のある部分と正面から向き合わないと書いてはいけないような気がして,結局形にならないままだらだらと今日に至っている。
 多分,書かないでいたほうがよい。そういう作品なのだ。

 さて,そこで『働きマン』である。

 『働きマン』は自分と対峙せずに読めるの,と聞かれると,あれっそういえばと思い当たるフシがないわけではないのだが,こちらはなんだか平気で楽しく読めるのであった。

 主人公・松方弘子(28)は週刊『JIDAI』(発行部数60万部,月曜日発売)のライター編集者。
 『働きマン』は彼女を中心に,編集の現場で働く人々の「働く」ことの意味をさまざまな角度から描き出す短編集。校了後は人と喋りながら寝てしまうほどのハードワーク,思うように動かない同僚たち,思うように企画をまとめられない自分,屈辱,疲弊,迷い,その中で跳躍的に何かが得られる瞬間,何かを失う瞬間。

 安野モヨコの絵柄はどちらかといえばかなり苦手なほうに属する。目が大きすぎる。フリーハンドでぐじゃぐじゃした印象。……
 だが,『働きマン』で,その印象がずいぶん変わった。

 アバウトな絵柄に見えて,コマ割り,人物のアップの配置が素晴らしくテクニカルなのに驚く。正面のアップには正面でなければならない理由が,右45度の苦笑いには同じく右45度の理由がある。勘によるものかもしれないが,さまざまな描写がリーズナブルに,最大効果を求めた結果となっているのだ。また,第2巻の「昔も今も働きマン」,最後の1ページが唐突に登場人物の独白で終わるなども非常に技巧的で,その技巧の的確な効果が心地よい。

 松方弘子という働きマン,その弘子の目に映るさまざまな働きマン,そしてそれをマンガに描き上げる安野モヨコという働きマン。1作め,2作め……という作品の横軸とは別の垂直な糸がおりて,『働きマン』は「働く」ことを強く,柔軟に編み上げてみせている。

 ただ,いかんせん「不覚にも涙が」というほどの心持ちになれないのは,この作品の舞台が週刊誌編集部という,ハードではあるがある意味呑気で保障された「働き場」であるせいかもしれない。いくら当人が優秀でも,本作のように周囲をどなり散らしたり,上司に反論したりできる「働き場」はそう多くはないだろう。というよりほとんどないだろう。
 早い話,思いっきり「働く」ことを許される職場というのは,案外と少ないのだ。
 その意味で,『働きマン』は,働きマンたちにとっての,ささやかなファンタジーなのかもしれない。

 ……それにしても,確かにいるよなあ,プレゼントページで何度もリテイクくらう使えない編集者。あれはいったいなぜ(なに)なんだろう?

先頭 表紙

2005-08-08 『スパイシー・カフェガール』 深谷 陽 / 宙出版


【カラッ…ウマイ ツーン じ…ん この辛さとキャベツの甘みがなんとも】

 こってり匂いたつような東南アジアンテイストを描かせれば天下一品……というかその方面ではそもそも比較対象の思い浮かばない深谷陽の新作単行本。コミックバンチに掲載されたものに書き下ろしを加えた208ページ。

 ふと立ち寄ったタイ料理店「ドゥアン」の味が気に入り,思いがけず翌日からそこで働くことになった料理人志望のテツヤ。
 いかにも「ワケあり」ふうなごっついマスター,謎の美人ウェイトレス……と身構えるヒマもあらばこそ,あっという間に事件に巻き起まれてさあたいへん。国際陰謀に巨大ルビーに3億円の現ナマ。『運び屋ケン』に通じるノンストップジェットコースターハードボイルドハートウォームサスペンス(ながっ),でもあくまで味付けは東南アジア。
 食べる,驚く,逃げる,料理を作る,また逃げる,また食べる。重い話もあきれた話もテツヤといっしょにわあわあと一気呵成。

 ただ……主人公とヒロイン,あるいは悲運のアフガン少女との交流など,深谷陽特有の「言葉は通じなくとも」タッチは快いが,この作者の作品を読み込んだ者からすると充足感は想像を超えるほどではない。無国籍な話に見えて,実のところこの国で,この国の者によって描かれた,というエリア内での面白さに思われなくもない。

 やっぱり深谷陽は初期の『アキオ紀行 バリ』『アキオ無宿 ベトナム(1)(2)』の3冊が一番「くる」。
 その後の作品も面白いことは面白いのだが,なにしろ『アキオ〜』ではすべてのページ,すべてのコマを流れる時間の色が違う。空気が違う。密度が違う。この国から見た異国なのではなく,バリやベトナムの,がたついた午後のテーブルで食べ物をちょっと寄せて描かれた異国,そんな感じ。それが読み手をねぶる。

 本作のような波乱万丈なストーリーも悪くはないのだが,ただアジアの片隅で食べて寝そべって子供と遊ぶ,そんな深谷陽も久しぶりに読んでみたい。切に願う。

先頭 表紙

『踊る島の昼と夜』は最近の発行なのに,105円とはよい買い物でしたね。あれは,深谷陽の最近の作品の中ではコテコテすぎず,好きな1冊です。 / 烏丸 ( 2005-08-30 11:42 )
昨夜ブックオフで『踊る島の昼と夜』を購入しました(105円でした……安い)。嬉しかったので、ご報告させてください。 / みなみ ( 2005-08-27 13:54 )

2005-08-04 ブックオフに出回るまで待ってもよいかもね 『陰陽師 12 天空』 原作 夢枕獏,作画 岡野玲子 / 白泉社(Jets comics)


【もし私が… 重大なことを間違えてしまったら… 何としよう…】

 ある作品が万人向けであるかどうかは,その作品の評価とは別の話。
 一部であれ,読み手の心を深くとらえるなら,それだけでも十分価値のあることであり,その作品を評価しない者たちがいかに否定しても,その作品の評価が減ずるわけではない。

 ……と弁明しといた上で断言してしまうが,12巻は,11巻にも増して最低。

 「深い」といった評価もなくはないようだが,深いとか深くないとか,そんなこと以前にそもそも論外。この書き手は読み手に何かを正確に伝えようとする努力を放棄しているようにしか見えない。そのため,この12巻にいたっては,読み通すのが面倒を通り越して苦痛。
 それを,たまたま波長の合う読み手が評価したとしても,知ったことではない。

 美しいことと美しいものを描くことは別だ。正しいことと正しさを訴えることも,また別。
 作品が作品であるためには,作者の中にア・プリオリに存在するテーマをなんらかの手段で読み手に伝える作業,ないし工程が必要である。その工程と効果抜きにシンパシィだけが成立するなら,それは独りよがりと独りよがりがたまたまシンクロする,悪い意味でのローカル宗教に過ぎない。
 たとえば,同じ少女マンガ系列でいえば,佐藤史生の一部の作品も相当に難解な作風ではある。だが,佐藤史生の場合は,そのテーマを伝えるにはその展開をもってそのように描くしかないという懸命さがある。誠意がある。岡野玲子の『陰陽師』のここ数冊については,その切実さ,誠実さがぽっかり欠落しているように思われてならない。

 少なくとも,ことここに至るまでに,「原作・夢枕獏」の肩書きははずすべきだったろう。
 夢枕獏の作品をすべて高く評価するわけではないが,それでも彼は作家であることを踏み外してはいない。理屈と情をこね回す岡野晴明に比べ,調子がよいばかりの夢枕晴明は浅薄に思われるかもしれない。が,こと「呪」に関して夢枕晴明は深い浅いを論ずる必要のないほど明晰だ。だいいち,夢枕晴明は,情けなくうざうざうろたえたりしない。

 結局のところ,深いわけではない。晴明を維持するに弱いだけなのだ。岡野玲子が。

先頭 表紙

このところ,コミック新刊の酷評が続いて心苦しい。いずれも,一時期本当に面白く読んだものだけに,残念。 / 烏丸@未ログイン ( 2005-08-04 12:26 )

2005-07-31 最近の新刊から 『頭文字D(31)』 しげの秀一 / 講談社(ヤングマガジンKC)


【敵ながらあっぱれと言うしかない・・】

 購入するまでもなく,この巻はもう必要ないとわかっていたのだが,カバンに持ち歩いている活字本を読むのが少しつらい日があって,うっかり買ってしまった。
 結果は予想どおり,いや予想を格段に下回っていたわけだが,ここまできたら逆にある種の作品の陥る傾向の典型的な資料として貴重かもしれない。

 帯に書かれた「高橋啓介(FD)VS.星野好造(R34)」において,この最新巻は200ページを費やして1アイデアを除きほとんど何一つ展開がない。ゴワアアアとかギャアアッとかいったおなじみの効果音の手描き文字が目につくばかりで,ストーリーは何も進まないのだ。対決モノのマンガでは連載開始当初に比べてだんだん1バトルの展開が遅くなり,ページを費やすようになる傾向があるが,あの『アストロ球団』ですら,1試合は長引いてもイニングごとのイベントはたっぷり用意されていたものだ。

 今回描かれる車は,1冊を通してバトルしている当人たちの操る2台のみ。ほかの登場人物によるセリフもたまに出てくる程度。主人公拓海は2コマに顔を出すだけでセリフなし。
 あとはただ,暗い峠の公道を2台の車がドギャア,ドン,ギャアアと走るばかり。同じコマをコピーで三度ずつ使っていると指摘されてもわからないほどだ。

 目次を見ると,ヤングマガジンの連載も,1号につき10ページ程度しか掲載できていないことがうかがえる。毎週,8ページとか10ページ,ゴワアア,ドギャギャだけしか載っていないわけだ。

 辞めたいのに辞めさせてもらえないのか,辞め方がわからないのか。
 辞め方がわからないなら,作者急病のため,でペンを置いてしまえばよいのだ。このまま作品の価値を落としていくよりはよほどマシに違いない。

先頭 表紙

拓海の親友の樹とかガールフレンドのなつき,父親の文太,池谷先輩とかシルエイティの真子ちゃんとかは……みんなどうしちゃったのかなぁ。夜中に峠でギャワワばかりが人生でもあるまいに。 / 烏丸 ( 2005-07-31 02:16 )

2005-07-25 最近の新刊から 『大阪100円生活 バイトくん通信』『百鬼夜行抄(13)』


 マンガの紹介が続いている。マンガばかり読んでいるわけではないのだけれど,最近読んだ本,たとえば小沼丹『椋鳥日記』,幸田露伴『幻談・観画談』,中野孝次『ブリューゲルへの旅』,はては『トーベ・ヤンソン短編集』,マンディアルグ『大理石』と,もうどう取り上げてよいのかまるでわからない。
 いずれも,それなりに動機や知りたいことがあって手にしたものなのだが,正面から語るには荷が重く,隅つつきして済ますのは畏れ多い。ゴメンナサイゴメンナサイと十回拝んで本棚に戻っていただく。
 コミックにしても,あの清原なつの久々の新刊をはじめ,取り上げていない作品が……。

 言い訳はほどほどにして,本題に入りましょう。

『大阪100円生活 バイトくん通信』 いしいひさいち / 講談社

 いしいひさいちの新刊は無条件に購入する。ハズレなど考えられないからだ。

 それでも,比較すれば「なんじゃこりゃ」という単行本もないわけではない。
 本書『大阪100円生活』は,百数十冊にわたるいしい作品の中でも,ワースト5,それも上位を争うのではないか。黙って4コマを並べておけばそれで十分なのに,以前の『となりのののちゃん』といい,朝日新聞社刊行の一部の経済ネタ本といい,編集者が張り切って企画を策すとロクなことがない(『不肖・宮嶋の一見必撮!』を思い出す)。

 本書では,4コママンガ数ページあたり1ページ,「バイトくん通信」と称するいしいひさいち本人の学生時代の思い出や,冨岡雄一による時代考証テキストがそえられている。
 大きなお世話だ。そんな説明などなくとも,仲野荘は,バイトくんたちの生活は,十分に騒々しく,情けなく,物悲しい。それ以上に何が必要だろう。

 今回収録された130編(いしいひさいちの単行本としては破格の少なさである)の4コマ作品が,そういった編集企画を知った上で描かれたものかどうかはわからない。
 だが,その多くがどことなく説明的で,いしい作品ならではの吹っ切れたところがないように思われるのは,余計な枠組みのせいだけだろうか。

『百鬼夜行抄(13)』 今 市子 / 朝日ソノラマ 眠れぬ夜の奇妙な話コミックス

 前作以来,10ヶ月ぶりの新作である。

 このシリーズ,購入して一読した時点では,たいてい「今回はあまりよくなかったかな」と思う。
 ところが,「この作者の絵は人物の区別がつきにくいからな」「相変わらずコマ運びがぐにゃぐにゃで,現在と回想のシーンがまぎらわしいな」と読み返し読み返ししているうちに,「今回はなかなかよかったな」と転ずることがまた少なくない。だから新刊が発売されると必ず買ってしまう。

 さて,新しい13巻はどうだろうか。

 実は,今のところまだ「今回はあまりよくなかったな」が続いている。
 なんというか,話がばたばた落ち着かない感じで,怖いとか,哀しいとか,そういう話だということを頭では理解できても,体の細胞がそのようには反応しない感じなのだ。

 しばらく前から,主人公・飯嶋律の叔父,開という人物が登場しているのだが,この人物が余計に思われてならない。彼は,飯嶋家の血筋だけあって,主な登場人物のさまざまな要素を持ち合わせている(たとえば妖魔が見える,それをある程度コントロールできる,無愛想,顔が律に似ている,など)。その結果,主人公の律を含め,ほかの登場人物との役割分担があいまいになり,話が収束しないのだ。

 そのせいだろうか,開が頻出する今回,いつも活躍する司や尾黒,尾白がほとんど登場しない。それは,寂しい。

先頭 表紙

杉浦さんの急逝にはびっくり。最近30〜40代で逝かれる作家さんが本当に多いですね。清原さんの連載>ええっ、さっきコンビニでイブニングをぺらぺらめくったのに気付きませんでした! / けろりん ( 2005-07-26 17:35 )
今日発売の講談社「イブニング」にて,清原なつのが新連載(不定期か?)。たまたま手にして,ちょっとびっくりしました。不動産業のサラリーマン青年を主人公にした,いかにも清原まことになつの,な作品です。 / 烏丸@未ログイン ( 2005-07-26 15:15 )
……この「くるくる回転図書館」のつっこみで同世代の作家,漫画家の逝去を扱うたびに(また,最近,やたらと多いのだ)自分たちの世代が徐々に晩年に近づいていることを感じたりもする。 / 烏丸 ( 2005-07-26 00:49 )
杉浦日向子,下咽頭ガンで死去。漫画家を「隠居」できたということ,また隠居後の仕事についてはどうかと思わないでもないが,それにしても46歳は早すぎる。今夜は『百日紅』を読もう。 / 烏丸 ( 2005-07-26 00:46 )

2005-07-18 『史上最強の弟子 ケンイチ』(現在16巻まで) 松江名 俊 / 小学館少年サンデーコミックス


【ボク,兼一です ……… 白浜兼一です!!】 ← 2巻のこのページ,大好き

 ここしばらく,少年マガジンより少年サンデーのほうが格段に面白い。その理由の1つが,この『史上最強の弟子 ケンイチ』だ(以後『ケンイチ』と略すことにする)。
 ストーリーは『はじめの一歩』や『ホーリーランド』と大同小異の,「いじめられっ子だった主人公が格闘技と出会って強くなっていくと同時に新しいライバルが次々と…」というものだが,笑えて力が入って,ともかく問答無用に楽しめる。

 読書(マニュアル本!)と花を育てるのが好きな,心優しい少年白浜兼一は,進学した高校でいじめ対策に空手部に入るが,そこでも理不尽ないじめが待っていて,部をやめさせられそうになる。そんなとき,彼のクラスに転校してきたちょっと(かなり,かな)奇妙な女の子,風林寺美羽(ふうりんじみう)が,彼に武術の手ほどきをしてくれる。
 実は美羽の家は

   ここは梁山泊!!
   スポーツ化した現代武術に溶け込めない豪傑や武術を極めてしまった者の集う場所!

なるとんでもない道場であり,そこを訪ねた兼一には

   哲学する柔術家 岬越寺秋雨(こうえつじあきさめ)
   ケンカ100段 逆鬼至緒(さかきしお)
   裏ムエタイ界の死神 アパチャイ・ホパチャイ
   あらゆる中国拳法の達人 馬剣星(ばけんせい)
   あらゆる武器の申し子 香坂しぐれ

たちとの生命が縮まるような恐ろしい出会いが待っていた。……

 実は,この作品には,習作とも言うべき前作がある。「週刊少年サンデー超増刊」に発表された『戦え!梁山泊 史上最強の弟子』である(こちらは以後『弟子』としようか)。
 『弟子』も単行本5巻分が発刊されているが,登場人物,設定など『ケンイチ』とほとんど同じで,これはこれで読み応えのある独立した作品となっている。しかし,『弟子』と『ケンイチ』を比較すると,作者が『ケンイチ』を週刊で連載する際にキャラクターや事件をさっくり料理し直し,より美味しくする工夫を重ねていることがよくわかって実に好感が持てる。またその改善の多くが的確な効果をあげており,ストーリーテラーとしての作者のテクニックをうかがうこともできる。

 『ケンイチ』の作品としての魅力……それは,一見臆病にみえて,その実まっすぐな心を持つ主人公兼一が,人間離れした師匠たちとの出会いと修行によって,知らないうちに力と自信を身につけ,望まずして戦うこととなったライバルたちの心をつかみ,肉体のみならず心をも成長させていくことにある。
 ……と,言葉にしてしまうと,なーんだ少年マンガ毎度のパターンか,と思われそうだが(実際そうなのだが),本作は全編格闘マンガ,ヒーローマンガのパロディに満ち溢れており,ちまちましたギャグと迫力あふれる格闘シーンの合間に,ときに素っ頓狂なばかりの兼一のまっすぐな目が描かれると,読み手の心までざばざばっと洗われる──そんな感じなのだ。

 また,今どきのマンガ家には珍しい,作者の徹底したサービス精神も特筆モノだ。さまざまなイベントは読み手がどきどきわくわくするよう細部にわたって工夫されており,話好きの作者と,それを受け取る読み手との幸福な出会いが味わえる。ヒロイン美羽が必要以上にグラマラスに描かれていることなど,正直いってやり過ぎな面も多々あるが,それもギャグの種にしてしまうことでお色気過剰感が薄められている。単行本の巻末にはおまけの4コマが挿入されているわ,カバーの裏にバラエティあふれるイラストが描かれているわ,ともかく冊子として楽しいのも『ケンイチ』の特徴だ。

 また,格闘技マンガではよくあることだが,本作も心にぐっとくる名言の嵐である。
 ぱらぱらめくって目についたものを抜粋してみよう。

   いいか兼一!
   人生にゃ出来るも出来ねーもねえ!!
   あるのは…
   やるかやらないか≠セ!!   by 逆鬼至緒

      頭の中で思い浮かぶかぎりの、
      つらい特訓を考えてみたまえ。
      考えたね?
      そんな物は天国だ!!   by 岬越寺秋雨

   ほのかだけが知っていると思ってた…
   お兄ちゃんの中にある強さ!
   この道場の人達にも
   見つかっちゃったんだね!!   by 白浜ほのか

      たしかに
      百の努力は一つの才に劣るかもしれん…
      だが!!
      千の努力ならどうだ!!
      万の努力なら!!   by ハーミット

 ほめてばかりでキリがないが,5人の師匠をはじめ,敵味方のキャラクターがバラエティに富み,マンガ的にとことん誇張された中にもツジツマが合っているところがまた楽しい。
 たとえば先週発売の号では,秋雨の「岬越寺無限轟車輪!!」なる大技が登場した。これは,十数人の敵をばったばったとねじ伏せて輪っかにつなぎ,「たがいの体重を使って関節をきめてある… 外から他人に外してもらわぬかぎりけっして外れん!」という豪快なワザだ。
 このワザが楽しいのは,単に登場人物の超人的な強さを描くだけでなく,梁山泊のツワモノたちの「不殺」,そしてなかでもこの「哲学する柔術家 岬越寺秋雨」のキャラクターに見事フィットして隙がないからである。

 絵柄,コマ運びには稚拙な面もあり,決してプロとしての洗練度が高いとは言いがたいが,少年マンガらしい楽しさという点で,現在連載中のあらゆる作品の中でもオススメするにやぶさかでない。肩肘張らず,笑って楽しみたい。
 ブックオフなどの大型古本屋で探してもなかなか見当たらず,1巻から16巻までもっぱら新刊で購入しているが,古本屋に出回らないのはいったん読み始めると再読して止まらない人が多いのではないか。なにしろ今夜も1巻から読み返し始めてまた止まらない止まらない。誰か助けてくれ〜。

先頭 表紙

少年マガジンの『チェンジング・ナウ』は今週号で最終回。ちょっと最後は話を閉じるのに精一杯で,作品の持つナナメな魅力が損なわれていて残念。渡辺俊介がストレートで押して打ち込まれてダメダメ,みたいな。 / 烏丸 ( 2005-07-19 01:22 )

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