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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2005-05-20 コミック誌における「戦い」の諸相について
2005-05-19 〔短評〕ドーナツブックスいしいひさいち選集 38『ドクトル自爆』 いしいひさいち / 双葉社
2005-05-14 『失踪日記』 吾妻ひでお / イースト・プレス
2005-05-02 触手系の本家本元 『うろつき童子(全6巻)』 前田俊夫 / ワニマガジン・コミックス 他
2005-04-18 十五年の歳月の向こうから 『ラヴクラフト全集(7)』 H・P・ラヴクラフト,大瀧啓裕 訳 / 創元推理文庫
2005-04-13 にぎやかな夕ぐれやおへんか 『東亰異聞』 小野不由美 / 新潮文庫
2005-04-08 だって,「オーブル街」を聞いてしまったのだから
2005-04-04 四角い「結界」で解くあやかしパズル 『結界師』 田辺イエロウ / 小学館 少年サンデーコミックス
2005-03-28 エロイカ劇場 『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』 岡田温司 / 中公新書
2005-03-21 愛以外もいろいろこもっていて嬉しい 『『エロイカより愛をこめて』の創りかた』 青池保子 / マガジンハウス


2005-05-20 コミック誌における「戦い」の諸相について

 
 先週,2005年24号の少年マガジンの巻末目次の欄外に,以下のような告知があった。

    「トッキュー!!」,「トト!」,「伝説の頭 翔」は作者取材のため,
    「あひるの空」は事情のため,休載させていただきます。ご了承ください。
    なお、「あひるの空」は次号より再開いたします。

 よくある連載マンガの休載のお知らせに見えて,どこかおかしい。
 「事情のため」?

 この手のお知らせが本当のことを言っているわけではなさそうということなら素人にもすぐわかる。「取材」「急病」と言いつつ,結局は「落ちた」「落とした」ということだろう。
 なかには本当の「急病」もあるだろうが(そのまま亡くなった漫画家もいるとは聞いている),取材旅行が前もってわかっているなら前号に「次号は取材のため休載,続きは○号から!」等と掲載するのが普通である。

 いずれにせよ「事情のため」という表記は珍しい。ましてわざわざ「取材のため」と「事情のため」とを分ける理由が想像できない。

 今週,25号の少年マガジンを開いてみると、再開された「あひるの空」の扉ページに、

    編集に事情説明をきちんと記載して下さいとお願いしたのですが,
    休載理由は「事情により〜」の一言が載っているだけでした。
    ・・・うん,まぁ仕方ない。
    そーゆうところだからこそ俺は戦っているのだ。(以下略)

となにやら意味深なコメントが手書き文字で書かれている。
 「詳細は単行本に書こうと思いますが」ともある。何だろう。

 なお,「あひるの空」は若手の日向武史によるバスケット漫画。熱心に読んでいる作品ではないため確証はないが,とくに際立って特殊な……「戦い」に立脚しているようには,思えない。

 同じ少年マガジンに「魔法先生ネギま!」を掲載している赤松健は,堀田純司『萌え萌えジャパン』という書籍に掲載されたインタビューで

    この世界は,固定ファンは存在せず,いわゆる作家性などが必要ないという。
    自分の好きなものより,読者のすきなものを探すのが勝負。

といったことを答えているらしい(週刊現代5月28日号,青山栄評より)。
 マンガを,拡大再生産の可能な工業製品ととらえるようなこの姿勢は好みではないが,だからいいとかいけないとか,即断することは避けたい。赤松健の姿勢を否定することは,ハリウッド映画を映像作家のリビドーの発露と結びついてないからよろしくないと断ずるに等しい。

 詳細は不明だがなにやら怒りのこもった個人的な戦いであれ,シェアとマスをコントロールしようとする戦いであれ,あるいは書けなくなってビニール袋にくるまって眠るにいたる戦いであれ,そこには余人にはうかがい知れぬ作品,描くこととの戦いがある。

 日向武史,赤松健,二人の立つところはおよそ違う次元にあるかもしれないが,その作家たちが同じ時代の同じ人気コミック誌に連載をかまえているところが面白い。だから雑誌はいい,と,ここではそれだけを記しておきたい。

先頭 表紙

2005-05-19 〔短評〕ドーナツブックスいしいひさいち選集 38『ドクトル自爆』 いしいひさいち / 双葉社


【プルートを散歩させるグーフィーってどうよ,と。】

 おなじみのいしいひさいちアンソロジー,38冊め。通巻の4コマ作品数は4835にいたる。

 単行本が別に用意される「ののちゃん」シリーズを別にすれば,「忍者無芸帖」,「B型平次」,「わたしはネコである(広岡センセ)」,「ノンキャリウーマン」,「バイトくん」,「PNN」,「鏡の国の戦争」シリーズと,今回は特定のキャラクター(たとえば「ワンマンマン」)に偏ることなく,いしいキャラクターたちが少しずつ総出演といった趣だ。
(ゴジラ映画でいえば「怪獣総進撃」あたりか。)

 逆にいえば,その小出しのオンパレードにすら「タブチくん」が入らなくなったことに,プロ野球の凋落をみることもできる。
 プロ野球はいまや地底人並みということだ。

 それにしても,バイトくんが終電に乗り遅れたシーン(4786)に,Andrew WyethのChristina's Worldをもってくるなど,無造作に見えてこの作者の手並みは本当に底が知れない。
 その次のコマ,バイトくんが牛丼屋で夜を明かすシーンの寂寥感。あるいはヒバチにしゃがみこむハチ(4760)や「PNN」における金正男(4816〜)など。もはやアヤカシの領域である。

先頭 表紙

2005-05-14 『失踪日記』 吾妻ひでお / イースト・プレス


【ダイコンの皮を厚くむくと甘口,薄くむくと辛口の食事になる】

 このところ,新聞の書評欄をにぎわすような,いわば文化人ウケするマンガの単行本が続いて上梓されている。

 その1冊『失踪日記』は,あの“ビッグ・マイナー”吾妻ひでおが,漫画家生活から突然逃亡,自殺をくわだて,そのまま文字どおりの浮浪者生活にうずくまるように滑り落ち,いったんは復帰したものの,配管工の肉体労働からアルコール中毒,強制入院にいたる経緯を淡々と綴った(しいて分類すれば)ギャグマンガである。
 巻末のとり・みきとの対談によれば「全部実話」とのことだが,確かにしのつく雨の中,むしろと穴だらけのシートで眠ってみないとわからないような生活観が全ページに満ち溢れている。
 ただし,当人の弁を鵜呑みにするのは剣呑だ。彼はSFやシュルレアリスム的な手法をもって,ありとあらゆるあり得ない状況をリアルに描いてみせた,現象写生のスペシャリストなのだ。

 『失踪日記』のタッチは従来の作品と同等かそれ以上に淡白で,1巻30篇にわたり,均等な距離から透徹して己を見る目はいってみれば冷静な観察眼のようだ。
 同じ逃避でありながら,親の庇護のもとにひきこもる若者たちとのなんという違いだろう。彼は雨に打たれ,ゴミをあさり,他のホームレスの住まいから酒粕を盗む誘惑に葛藤する。かつて連載作品がヒットし,テレビアニメの原作となった等,マンガ家として脚光を浴びた時代があったということなど抜きに,ここには流水に洗われた木片のように生活の確かな手ごたえがある。

 メジャー誌で活躍当時の吾妻ひでおについて語るのは難しい。
 吾妻ひでおの作品をギャグと思えたことは一度もない。少なくとも笑った記憶がない。
 好きな作家かと言われれば,どうか。家のあちらこちらに,片付けるのを忘れたかのように彼の単行本が落ちており,ときどき手にとるのだが,1冊を通して読むのはとてもつらい。
 吾妻ひでおの描く美少女はちょっと比較するものが思い浮かばないほど魅力的である。魅力的ではあるのだが,作中に登場する美少女はすべて彼のものなのでちっとも楽しくない。
 吾妻ひでおに一見似たギャグマンガ家にとり・みきがいるが,吾妻ひでおに比べれば格段にペンを持つ手が長い印象がある。胸から原稿までに距離があるのだ。吾妻ひでおはそのぶん読むのがつらい。とり・みきは楽に読めるが読まないでも平気だ。

 『失踪日記』が外から己を観ているなら,内側,内臓の陰に身をひそめて己を見つめ,培養された粘液で1日を記録した作品が「夜の魚」で,これは太田出版の芸術漫画叢書(!)の『夜の魚』で読むことができる。
 この「夜の魚」は,つげ義春の「ねじ式」,岡田史子「墓地へゆく道」と並ぶ短編コミックの最高峰(もしくは最深溝)の1つではないかと思う。吾妻ひでおをもってしてもこの水準を維持するのは難しかったらしく,続編と思われる「笑わない魚」では格段に緊張感が喪われている。それどころか,コマのコマを結びつけるツジツマが──このような不条理な幻想譚にツジツマもないものだが──あちらこちらほころびてしまっている。

 1992年9月発行の『夜の魚』には「書き下ろし新作」として「夜を歩く」が掲載されている。これが『失踪日記』の第1話にあたることから,この時期が最初のホームレスからの復帰時期かと思われる。

 『失踪日記』には警察に保護された際,たまたまファンの警察官がおり,「先生ほどの人がなぜこんな……」と色紙にサインをねだるシーンがあるが,実のところ,「なぜこんな……」という感慨はおかしい。
 ある種の表現者がこのような状況に陥るのはごく自然なことで,異とするにはあたらない。
 継続できてしまうことのほうがよほど問題なのだ。

先頭 表紙

秋さま,装丁のしっかりしたコミック単行本ではお約束のお作法ですね。ハイケン! その中で声を?聞いて?仲間たちとのつながりを? / 烏丸 ( 2005-05-19 01:56 )
YINさま,そうですね,コミックを再生産可能な産業化する作家が増える一方で,このように伝統的な火宅の人する漫画家がいるというのは(妙な言い方ですが)心強く思います。 / 烏丸 ( 2005-05-19 01:56 )
カバーの裏を忘れずに読んでね〜。 / 秋 ( 2005-05-18 11:31 )
私も読みました。読んで、この人は芸術家なんだと思いました。現代はこういう人が生きにくい社会なのかもしれませんが。 / YIN ( 2005-05-14 08:28 )

2005-05-02 触手系の本家本元 『うろつき童子(全6巻)』 前田俊夫 / ワニマガジン・コミックス 他


【我 三千年の 眠りより 今 甦り!!】

 ラヴクラフト紹介の際に触れた「アニメビデオ(OAV)やアダルトゲームによく出現する,闇から伸びてきて美少女を蹂躙する巨大ミミズのような,あのグロい触手」だが,アニオタ,アダルトゲームマニアの間では,これをして「触手系」と称するらしい。
(「触手系」は「陵辱系」に含まれるが,「陵辱系」がすべて「触手系」というわけではない……わかるかな?)

 かつて,その「触手系」の元祖と呼ばれるオリジナルアニメビデオがあった。
 『超神伝説うろつき童子』の「超神誕生篇」「超神呪殺篇」「完結地獄篇」全3部作である。
 『超神伝説うろつき童子』は,アダルトビデオとして対象を限定してしまうのが惜しいくらい実によく出来た作品なのだが,今回取り上げるのは,その原作コミックのほうだ。

 三千年の眠りより目覚めて甦るという伝説の「超神」を捜し求めて人間界に現れた獣人「天邪鬼」。超神であるかに見えて今ひとつ正体のはっきりしない高校生・南雲辰夫。超神の正体をめぐって獣人と対立し,南雲を襲う魔界の妖鬼たち。そして妖鬼・獣人・人間たちの欲望のままに蹂躙される女たち。……

 『うろつき童子』は昭和元禄バブル繚乱の直前,音楽CDやコンビニエンスストアが若者の生活に定着しつつあった1980年代半ば,当時元気だった官能劇画誌(早い話がエロマンガ)の東の正大関,「漫画エロトピア」(ワニマガジン社刊)に掲載された作品である。
 ワニマガジン社から発行された単行本は全6巻。発行日が6冊とも「昭和61年12月1日」となっているあたり,マイナーコミックならではという気がしないでもない。

 作者の前田俊夫は,アクの強い作家の多かった当時の官能劇画誌でも異彩を放った作家の一人で,ともかくその執拗なまでのペン入れの濃密さに特徴がある。巨根の無頼漢や淫蕩な美女をたてて,濃厚かつアブノーマルなセックスシーンを連発するのだが,写実とはまた違う意味でリアルに──つまり,妖魔,淫獣といった非現実的な存在も含め,あらゆる事象をとことんソリッドに描こうとする彼の意識は,明らかにほかの作家とは異なるものだったように思う。
 もっとも,あらゆる作家がボーダーレスにペンタッチやキャラクター,ストーリーの独自性を競ったのが当時の官能劇画誌の特徴であり,その坩堝の中からその場限りの大傑作,あるいはのちの大作家が生まれたのだが……。

 定期購読率が高かったとは思えない「漫画エロトピア」で,単行本6冊分にわたる破綻のない連載を維持するには,単に読み手に面白いマンガを提供する,あるいはエロマンガを描いて糊口をしのぐ,といった程度の動機付けでは足りなかったはずだ。
 たとえば,同時期,それなりに高い目的意識(美学)をもって描かれたと思われる村祖俊一『娼婦マリー』シリーズ(「漫画エロジェニカ」掲載)にしても,常に読み切り短編といった形しかとりえず,その結果単行本にまとめられた同作品は物語の順序もクオリティもおよそばらついたものになり果てている。

 では前田を動かしていたのは何だったのか。
 三千年の眠りから甦る「超神」が人間界を破壊しつくすというストーリーに,当時の官能劇画誌を支えていた全共闘世代の反体制意識を読み取ることはたやすい。だが,この作品が表向き示している劇画,SF,エロス,バイオレンスといった枠組みとは別の何か,作者自身の事情としか評しようのないカタマリのような目的意識は容易に説明のつくものではなく,それが『うろつき童子』を,現在でも再読に足る作品としているように思う。

 そのモチベーションが結果的に,いわゆる「触手系」という,アンダーグラウンドな嗜好の開祖となってしまったという経緯は,作者にとって望ましいものだったのか,どうか。
 前田俊夫は『うろつき童子』をもってアニメファン,ゲームファンには名をはせたが,彼の情熱はこの作品を形に仕上げたところで昇華(射精?)してしまったかのように,その後は集中を欠いた,いわゆるヌルい作品が続いている。
 ビデオ作品を含めた『うろつき童子』だけが,抜群の高みを示してくれているのだ。

 ……とまぁ,エロマンガを素面でマジメに論ずるのは難しいが,論より証拠は小泉今日子,18歳以上の方は原作,ビデオともどもご覧いただければますますもって帆立貝。

先頭 表紙

2005-04-18 十五年の歳月の向こうから 『ラヴクラフト全集(7)』 H・P・ラヴクラフト,大瀧啓裕 訳 / 創元推理文庫


【この群衆はことごとくその顔に,堪えがたい恐怖から生まれた狂気をまざまざとあらわし】

 まいりました。

 北千住駅構内,スタバ横の書店店頭で『ラヴクラフト全集』の最新巻が平積みになっているのを発見したときの当方の反応は,嬉しい,というより,なんとも困ったな,そういうものだった。

 なにしろ,ひとつ前の6巻が発行されたのが1989年の暮れ。ざっと15年前である。
 当時なら新巻の発売に手を打って喜んだかもしれないが──いや,記憶は曖昧ながら,第6巻ですら,ラヴクラフトらしさという点において少し物足りない気がして,だからこそ創元のこの全集は6冊でお仕舞いなのだなあという気分が当時の愛読者に共有されていたのではないか……。

 このあたり,訳者(編者)による「作品解題」が胸を打つ。頭が下がる。

 「傑作集」が出版社からの連絡でいきなり「全集」に化けてしまったこと。個人で「全集」を編纂するのは,一翻訳者にとって資料蒐集をはじめとして時間的,経済的に極めて厳しい作業であったこと。
 資料として掲載する当時の雑誌の表紙や挿絵も,かつては「一五〇ミリのマクロを装着したカメラで,ミニ・コピイと呼ばれるフィルムを使って撮影した」ものが,今では「デジ・カメとスキャナーを使って取りこみ,八ビットのグレー・スケール変換と補正をおこなっている」とのこと,同じ創元推理文庫の黒い表紙の上に流れる歳月を思えば感慨深い。
 そうだ,1980年代の当時は,「H・P」といえばラヴクラフトであって,ホームページでもヒット・ポイントでもヒューレット・パッカードでもなかったのだ。

 H・P,ハワード・フィリップス・ラヴクラフトは,20世紀初頭のアメリカのホラー・幻想作家。
 夢,狂気,古代をキーワードとするその濃い闇のうねるような作風はのちに追随する多数のホラー作家からいわば「トリビュート」を受け,その一連の作品は《クトゥルー神話》と呼ばれ,神話としての体系,年代記,厚いファン層をもつにいたる。
 直裁にいえば,アニメビデオ(OAV)やアダルトゲームによく出現する,闇から伸びてきて美少女を蹂躙する巨大ミミズのような,あのグロい触手の元祖がこの人である。ジョン・カーペンター監督の映画や菊池秀行の伝奇バイオレンスによく登場するネバネバピュッピュッのアレ,と言ったほうがわかりやすいかもしれない。

 とはいえ,ラヴクラフト当人はデロデロヌタヌタのモンスターをそのまま描いたわけではない。
 彼の作品の多くでは,何かを見てしまった狂人の表情が人智を超えた恐怖を物語り,その恐れの真相は決して直接描かれることがない。なにやら巨大なものが地下室をはいずっていく音が聞こえたり,闇の向こうに大きな黒い影がうごめくのが見えたりするだけである。そして,だからこそ,ラヴクラフトの作品は,のちの《クトゥルー神話》のまま直接的なホラー作品群よりよほど怖いのである。

 ただ,初期作品を中心とした今回の最新巻は,グネグネ触手系の元祖というよりは,ダンセイニ風ファンタジーというか,若書きの思いつめた幻想小説家の印象が強く,訳者の大変な苦労に対しては申し訳ないが……実はまだ読み通せていない。どうしても短編の途中途中で眠ってしまうのだ。

 ……まいりました。ごめんなさい。

先頭 表紙

2005-04-13 にぎやかな夕ぐれやおへんか 『東亰異聞』 小野不由美 / 新潮文庫


【自分でもよく分からない。ただ,夜に惹かれるのだよ。それも人の心の夜にねえ。】

 力のある「小説」である。
 主題はずばり「夜の闇をなめてはいけない」,だ。

 御一新後二十九年を経て瓦斯灯のともる帝都「東亰(とうけい)」に,「人を突き落とし全身火だるまで姿を消す火炎魔人。夜道で辻斬りの所業をはたらく闇御前。さらには人魂売りやら首遣いだの魑魅魍魎が跋扈する」(カバーの惹句より)。
 狂言回しに黒衣(くろご)とその操る娘文楽人形,さらに旧会津藩の下級藩士を父にもつ新聞記者・平河新太郎,浅草界隈に根城を置く大道芸師の顔役・万造の二人をホームズ,ワトソン役に配し,物語はゆうるり静かに,だが漸次深まっていく。

 伝奇と見るに本格推理,本格推理と見るに……という凝った造りで,平河,万造が事件を追ううちに公爵家のお家騒動が明らかになり。

 「ファンタジー」と称される小説が概して苦手で,本作も敬して遠ざけるの類だったが,不覚だった。
 このような「小説」もあり得るのか。受け手によっては最後の数十頁を是とするかどうか賛否は分かれるかもしれない。ここは,ただ過剰な幻想に流さず淡々と語り通した文体はこの終末をねじ伏せるための力業であったと読む。この同じ「東亰」の闇を,あの槐多もまた見たのではないか,などとも思う。

 桜の舞い散る中,クライマックスを迎える物語。
 夜桜見物の喧騒に背いて,妖しくも苦い異形譚に耽るもまた一興。

先頭 表紙

2005-04-08 だって,「オーブル街」を聞いてしまったのだから

 
 「オーブル街」は「帰って来たヨッパライ」「悲しくてやりきれない」のザ・フォーク・クルセダーズの作品。

 松山猛作詞,加藤和彦作曲,青木望編曲。
 発表はおそらく1968年。2分13秒,歌詞も6行しかない,短い曲だ。

 僕が「オーブル街」と初めて出会ったのは,いつのことだったろう。

 1970年か,1971年。
 多分,7月の,深夜というよりは早朝に近い時間のエアチェック。
 確か,僕はそれから音を立てないように家を抜け出して,郊外にある緑の湿った公園のある丘をめざしたのだ。

 馬車の蹄の音を背景に,静かにストリングスが奏でられる。テープの逆回転を利用したリズム音。

    オーブルの街は 僕の涙いっぱい
    灰色の街は 風がいっぱい

 歌詞はややセンチメンタルだが,加藤和彦はのちの「不思議な日」にも近い感情を抑えた歌い方で,オーブル街とはどこなのか,なぜその灰色の街は風がいっぱいなのか,答えは得られない。

    銀色の森に 愛は落ちていく 
    枯れた花が 空をうずめ

 自分の苛烈さをもてあましていたその当時の僕は,よくわからないままにも底知れない喪失を予感したものだ。
 控えめなフルートによる間奏。

    小さな鳥さえ 言葉を忘れる
    僕の心は 帰って来ない

 鳥の声とともにこの短い曲は去っていく。

 僕は──もしくは僕たちは──それ以来ずっと喪い続けている。何を喪い続けているのかはよくわからない。

 多分,「オーブル街」,このほんの短い曲に出会っていなければ,僕の中の何かはこのようにならず,それからの出来事のいくつかはあのようにはならなかったかもしれない。

 喪ってばかりいる,といえばもちろん嘘になる。
 だけれども,手のひらからこぼれ落ち続けるもの,馬車の背後に残したり,忘れたり,戻れなかったりするものは確かにある。

 誰か,覚えておいていてくれると嬉しい。
 僕が死んだら,大げさな式も,祈りもいらない。
 「オーブル街」を一度流して,それからささやかな花をそっと投げてくれればいい。できれば,黄色い花を。

先頭 表紙

おお,清原なつの,新作ですか! 雑誌では,いったい何年ぶりでしょう。作風はどんなでしょうね。身辺エッセイふうでなく,ちゃんとしたストーリーものを久々に読んでみたいものです。くくく。 / 烏丸 ( 2005-04-10 16:31 )
「COM」から数年後の「マンガ少年」のころは,比較すればかなり大人しい作風になっていました。となると,そう巧い画風ではなかったんですけどね。「柳の木の下で」は,アート・ガーファンクルの曲から想を得たものだったと思います。 / 烏丸 ( 2005-04-10 16:31 )
岡田史子は「火の鳥」が連載されていた虫プロ商事の「COM」で投稿デビュー,活躍した作家です。当時の映画やロックで多様されていたアバンギャルド,サイケデリックをマンガのコマで実践したこと,また仏文の素養を感じさせる言語感覚で,影響を受けた作家も多かったようです。 / 烏丸 ( 2005-04-10 16:30 )
来月発売のヤングユーに清原なつのさんの新作が載りますよ!何年ぶりでしょうか。 / けろりん ( 2005-04-10 00:10 )
岡田史子という名前に聞き覚えがあるなと調べてみたら... 多分マンガ少年で読んでます。けど詳細か思い出せない。残念です。柳の木の下で、黒の多い絵柄が印象に残っています... / Hikaru ( 2005-04-09 23:01 )
『ガラス玉』の岡田史子が3日に心不全で亡くなったそうだ。55歳。 / 烏丸 ( 2005-04-09 13:45 )

2005-04-04 四角い「結界」で解くあやかしパズル 『結界師』 田辺イエロウ / 小学館 少年サンデーコミックス


【あたしは力を使いすぎた。 もう十分には戦えない。】

 同じ少年サンデー連載でも,『犬夜叉』は読み逃して平気だが,『結界師』は読み逃すとひどく気になる。『犬夜叉』は自分が取り上げなくとも日本中で読みつがれるだろうが,『結界師』はこの手できちんと評価しておきたい。……

 天下の少年サンデー,それも人気連載をマイナー扱いとは失礼な話だが,『結界師』にはいまだインディーの風味が強い。

 作者,田辺イエロウはこれがデビュー連載。
 単行本400冊余の高橋留美子と比較するのも無茶な話かもしれないが,同じ少年誌に連載,戦国〜安土桃山時代と現代を結ぶ謎,和服姿の主人公が妖怪と戦う,「犬」が薬味,などなど,この2作には似た要素が少なくない。だからこそ『結界師』の特異性がものを言う。

 クリアな線を求める少年サンデーだけにさすがに一定の水準は保っているが(高橋留美子と比べるまでもなく)絵柄は決して美麗とは言い難い。
 お姉さん色で統一されたヒロイン・時音(ときね)はともかく,茄子紺の着物にデイパック,スニーカー姿の主人公・良守のキャラはいかにも未整理で,底が知れない凄みを垣間見せつつ,結局は表情といい能力といい雑然として片付かない。
 主人公たち「結界師」が対決する妖(あやかし)は,現在の烏森学園(中等部・高等部)の地下にあるという烏森家の祠から得られる力を求めて現れる。つまり,『結界師』は,主人公の自宅と学校のたった2箇所という極めて限られた地域における専守防衛の攻防を描く物語なのである。
 妖の正体は,単なる亡者(幽霊)から,知性の感じられない小ぶりな浮遊妖怪,果てはなにやら組織化された巨大化け物集団まで,枠が明確でないことはなはだしい。

 かくの如き散らかった子供部屋のような設定の中,ひるがえって主人公たちが武器とする「結界」は極めて幾何学的かつ明晰である。
 直方体のガラス函のようなその「結界」の張り方は以下のとおり。

  「方位!」 人差し指と中指を立てて結界の方向を指定。
  「定礎!」 指差して結界の位置を指定。ちなみに建築用語と違って「じょうそ」と読む。
  「結!」 平面の正方形をにょきっと持ち上げて立体にするイメージで,直方体の結界を成形,発動する。敵を囲むだけでなく,味方を敵の攻撃から守ることもある。
  「滅!」 結界に囲んだ敵を,結界ごと消滅させる。それより早く結界が破られると敵に逃げられる。
  「解」 結界を解く。

 作法はほとんどこれですべてだが,組み合わせ次第でさまざまな攻撃,守備が可能になる。
 たとえば適当な空間に結界をいくつか成形することで空中を飛び歩くことができる。結界を幾重にも重ねることでより強力な敵をも攻略することができる。ねそべって本を読むときの書見台に使える。
 もちろん,これらのワザを実現するためには,「結界」そのものについて一種の体力や正確さを得るための日夜の訓練が必要である(このあたり,カンフー映画的だ)。

 『結界師』は,各話ごとにごみごみした設定が未整理に提示されるが,それぞれの事件,さまざまな特性を持つ敵に対して,上記の「結界」という手段のみを用いて事件を解決する一種の知的パズルとなっている。これが面白い。

 単行本は現在6巻。最近は烏森の謎そのものに加え,妖に対抗するはずの「裏会」自身が化け物集団化し,そこに良守の兄・正守が入り込んでいく過程と,妖側の組織の暗躍が複雑にからんで,はたして無事に収拾がつくのか心配な間口の広げ方である。

 少年誌,それも週刊誌の連載はどこまで長期化するか知れず,連載が一段落するまで単行本はなるべく買わないことにしているのだが,本作はついつい発刊のたびに購入してしまう。そして展開や作画の荒っぽさにはらはらしつつ,結局は楽しんでいるのである。
 ……良守と時音は明日も頑張るのでした,で終わらせたら「滅!」だからな。 > 作者

先頭 表紙

画像は1,2巻の表紙を並べてみた。様式美を意識しつつ,結果としてごちゃごちゃな本作の色合いがよくわかる。 / 烏丸 ( 2005-04-04 02:26 )

2005-03-28 エロイカ劇場 『マグダラのマリア エロスとアガペーの聖女』 岡田温司 / 中公新書


伯爵:少佐,君とこうして1冊の美術書をともに語れるなんて夢のようだよ。
少佐:おれは忙しいんだ。用があるなら早くすませろ(タバコに火をつける)。
伯爵:あいかわらず無粋だね。ご覧,この本を。意外なことに日本ではこれまで美術史の視点からマグダラのマリアについてまとめられた本は1冊もなかったらしい。
少佐:マリアというとあれか,キリストの母親の。
伯爵:いや,聖書に登場する人物だけど,聖母マリアとは別人だよ。
少佐:(タバコの煙で輪を作りながら)教会はいいぞ。心が落ち着く。それとも刑務所のほうがいいか。
伯爵:マグダラのマリアは,聖母マリアやイヴと並んでキリスト教美術によく描かれる女性だ。ほら,数年前にモニカ・ベルッチ主演で話題になったイタリア映画『マレーナ』も,実は「マグダラのマリア」を下敷きにしたストーリーだったんだね(モニカ・ベルッチは,その後,映画『パッション』ではまさにマグダラのマリアを演じている)。
少佐:ふん。
伯爵:それから,Web Gallery of Art, image collection, virtual museum, searchable database of European fine arts (1100-1850),ここは,1100年〜1850年にかけてのヨーロッパの芸術作品を検索できるWeb美術館なんだが……あれっ(マウスのコードをからませる)。
少佐:──きさま。おれのコンピュータで何をしとる。メカオンチのきさまがお気に入りを登録できるわけがないから,ボーナムの野郎だな。
ボーナム君:(どきどき)
伯爵:このサイトで,「Magdalene」をキーワードに作品を検索すると,中世からルネサンス期にかけての,50数点の作品が抽出される。ほら,インターネット上の画像にすぎないが,なんという美しさだ……。
少佐:色気おばさんが並んどるだけじゃないのか。
伯爵:いやいや,マグダラのマリアといえば,聖書の解釈でもちょっとした謎なんだね。これらの作品も,食事をするキリストの足を自分の髪の毛で拭いているもの,十字架にかけられたキリストを見守るもの,キリストの埋葬,復活に立ち会うもの,マタイやペテロなどよりよほどキリストを理解した先鋭な使途として説教する姿,さらには砂漠で瞑想にふけっているもの……。
少佐:ほー。けなげなおばさんじゃないか。
伯爵:ところが,これらは,決して一人の人物を示すものではなく,聖書に登場する何人かの人物がのちに一人,「マグダラのマリア」という女性として語られるようになったんだね。娼婦としてのみだらな過去と,「使途のなかの使途」と呼ばれる聖性……その2面性が美術品の中で複雑にからまって,至高の美を奏でているんだ。
少佐:ふん。娼婦は気にくわんが,男の尻を追いかけるよりは健全だ。
伯爵:聖書を通して読んでみると,マグダラのマリアが娼婦であったことなんかどこにも書かれていないのだけどね。この帯に使われているティツィアーノのマリアはベタベタとしつこそうでちょっと耐えられそうもないが,「このミス」でNo.1を獲得したサラ・ウォーターズの『半身』の表紙でも使われたカルロ・クリヴェッリの「マグダラのマリア」ともなると正直ときめかないでもないね。この精緻なタッチ,クールな中にもほとばしるような欲望……。
ジェイムズ君:いやいや伯爵う〜。女なんかにうっとりしないで〜。
伯爵:美には男女の区別はないさ。少佐も最近の事件(No.18「パリスの審判」)で僕がクラナッハの裸婦を求めて苦労したのは知っているだろう。
少佐:あの発育不全の3人娘か。
伯爵:君にはレオパルトのほうが美しく見えるのかもしれないが……。ともかく,この本は,「美と敬虔,官能性と宗教性のあいだで揺れ」る「マグダラのマリア」という存在を,西洋美術史の視点から語ってくれる,素晴らしい本であることはいうまでもない。
少佐:ほー,そーかね。
伯爵:残念なのは,最初の数ページを除いて,図版がいずれもモノクロだってことだけど……それでも,この美的興奮は,君がチロルダンスを踊る姿と甲乙つけがたいよ。
少佐:──やかましい! 突き落とされんだけでもありがたいと思え!!

先頭 表紙

2005-03-21 愛以外もいろいろこもっていて嬉しい 『『エロイカより愛をこめて』の創りかた』 青池保子 / マガジンハウス


【ほー,そーかね】

 当節まれな,嬉しくなる本である。

 ドリアン・レッド・グローリア伯爵のモデルが明らかにされて嬉しい(ジェイムズ君やボーナム君をお供に引き連れていることから自明だったど)。
 見開きカラーグラビアや書き下ろしイラストがたくさん載っていて嬉しい。
 あまつさえ,エーベルバッハ少佐の五分刈り姿が見られて嬉しい。
 「仔熊のミーシャ」,「白クマ」,「ミスターL」さらには「部長」の若いころの姿が見られて嬉しい(そうか?)。
 その他さまざまなシーンの裏話があれこれ読めて嬉しい。
 ドイツの古都エーベルバッハ市から作者に名誉賞が授与されたと聞いて嬉しい。
 『エロイカ』がドイツ連邦軍の広報誌『Y.(イプシロン)』で好評を博していると知って嬉しい。
 なんだか釈然としない番外編「ケルンの水 ラインの誘惑」が,作者にとっても釈然としない作品であったことがわかって嬉しい。
 大島弓子(!),おおやちき(!),樹村みのり(!)とのかなりキレた合作が掲載されていて嬉しい。


 だが,それら以上に,舞台となる国や都市の景観,建造物,美術品,歴史などの下調べに時間と手間をかける作者の生真面目さが嬉しい。
 何よりも何よりも,作者の作品にかける誠意がストレートに伝わってきて嬉しい。


「だが,いかに体制が変わろうと,人の心は容易に変わるものではない。彼らは,長い間敵として闘った大嫌いな男と協力せざるを得ない葛藤を抱えて,これからも任務に励むのだ。」
「大切なのは題材に対する敬意だ。漫画だからといって,いい加減な扱いは失礼だし自分の仕事を貶めることにもなる。題材に関連する資料をできるだけ多く集めて,間違いのない知識を得たい。そこから新たなアイデアも湧く。想像力を駆使して自分流の漫画を創作するのはそれからだ。手抜きのない基礎工事の上にこそ,堅牢な創作世界が構築できるのだ。」
「やはり小説家が加工した歴史より,歯を食いしばっても学者が調べた事実を読むほうが有益でアイデアも湧きやすい。」
「恐らく,結婚するまで私と同居していた姉も,妹が編集部との打ち合わせの帰り道に,江戸川橋の上で悔し涙にくれていたのを知らなかったはずだ。」


 『エロイカ』は,そのように描かれてきた。だから僕たちは心まかせて時間をゆだねることができるのかと思う。
 永遠なれ,と思う。

先頭 表紙

ふとamazon.co.jpで『エロイカ』を検索してみると,マーケットプレイスつまり古本が……10円,9円,7円,2円……い,1円。本業の古本屋さんの出品のようですが,1円でも販売したほうが儲かるのでしょうか。 / 烏丸 ( 2005-03-24 01:34 )
相前後して発売された『エロイカ』の31巻は,おおなんと素晴らしい,シリーズ初の番外編短編集です。冷戦後のストーリーの展開についていきかねた読者には一服の清涼剤となりそうな1冊です。このスキに,20巻あたりから読み直すもよいでしょう。 / 烏丸 ( 2005-03-24 01:30 )

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