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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-09-25 砂漠に咲く花一輪,また一輪 『スマッシュをきめろ!』 志賀公江 / 双葉文庫
2004-09-24 いずれがペットか飼い主か 『しゃばけ』 畠中 恵 / 新潮文庫
2004-09-20 最近読んだ本 『フン!』『短篇ベストコレクション 現代の小説2004』
2004-09-15 最近読んだ本 『薬師寺涼子の怪奇事件簿〈1〉魔天楼』『まんがサイエンスIX からだ再発見』『そーなんだ!』
2004-09-06 がんばれと言うは誰,がんばるは誰 『がんばれ元気』 小山ゆう / 小学館文庫
2004-08-23 130→77 『OL進化論(21)』 秋月りす / 講談社ワイドKCモーニング
2004-08-17 功夫(クンフー)の正しいあり方描き方 『セイバーキャッツ』(全5巻) 山本貴嗣 / 角川書店 ニュータイプ100%コミックス
2004-08-10 「我が娘」への私的オマージュ 『スカイハイ』(現在6巻まで) 高橋ツトム / 集英社ヤングジャンプ・コミックス
2004-08-07 怖ければよい,わけではないのがつらい 『新耳袋 現代百物語 第九夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー
2004-08-03 斜めにかしぐフォルムの躍動感 『リモート』(全10巻) 原作 天樹征丸,漫画 こしばてつや / 講談社ヤンマガKC


2004-09-25 砂漠に咲く花一輪,また一輪 『スマッシュをきめろ!』 志賀公江 / 双葉文庫


【わたしはあの人を ゆるすつもりはないわ いま失格されてはこまるのよ……】

 テニスマンガは数あれど,読み手として一番「動揺」した作品はこれだったかもしれない。はらはらして,目の前が赤く揺れるような読み応えだった。
 同じ週刊マーガレット掲載だが,かの『エースをねらえ!』(1973〜)よりさらに昔(1969〜)の作品である。
 最近,ブックオフで双葉文庫版をみかけて購入。通しで読むのは何十年ぶりか。

 感動的だが抹香臭い『エース』に比べ,『スマッシュ』は荒々しいまでにむき出しの憎悪,敵意が魅力だ。

 本作は,天才テニスプレイヤー東城博之の2人の娘,槙さおりと東城真琴が,戦いつつ互いを高めあっていく物語なのだが,とくに連載開始当初の真琴の苛烈さは素晴らしい。木立を相手の訓練,Vカット,ローリングスマッシュといったエキセントリックな魔球も冴え,テニスマンガの歴史で,これほど攻撃的な作品はちょっと記憶にない。
 亡くなった父親をめぐる確執からバリバリとんがるボーイッシュな真琴はともかく,お嬢さん然とした姉のさおりがときおりみせる攻撃性がまた美しい。真琴が正面から点で刺すなら,さおりは面で覆うように攻める。当時の作者の内面にあふれていた何かが折りにふれ登場人物を通してほとばしる,そんな感じだ。

 絵柄やストーリー面で『エース』に比べて評価が低いのはしかたないとは思うが,一点,『エース』には欠落した大切なことを『スマッシュ』は教えてくれる。

 『エース』は得がたい師,先輩,恋人,さらにはライバルのプレイヤーたちとの出会いや別れの中で主人公の岡ひろみが成長していくという物語だった。それはよくも悪しくも誰かに「依存」することであり,岡ひろみの物語は「依存」のバランスのダイヤグラムだったといえる。
 一方,『スマッシュ』は,人間関係に起因する情念を次々に否定していく。恨み,欺き,嫉妬,罠……本作にはさまざまな憎悪や策謀がうずまくのだが,それらにこだわっている間は誰も勝つことができない。テニスプレイヤーとして輝くためには,それらすべての連鎖を超えなければならないのだ(それが難しいからこそ,さおりも真琴も意外と試合では勝っていない)。

 さまざまな諍いの果て,連載当初には呪縛のように姉妹を縛りつけていた父の存在も遺書にも等しい手紙を破り捨てるという明確な行為で振り捨てられてしまう。いつしかただ対戦する相手と互いをみなし,距離を保ちつつ信頼し合う。連載終わりごろのさおりと真琴の関係は驚くほどに澄んで美しい。連載当時はこの美しさにまるで気がつかなかった。『エース』の登場人物たちが脇役含めて総体で花盛りの森をなすなら,『スマッシュ』の姉妹は一人一人で咲く砂漠の花を選んだのだ。

 『スマッシュをきめろ!』の双葉文庫版はすでに品切れだが,実は100円ショップダイソーで手に入る(全5巻)。発表された時代が時代だけに,絵は荒削り,テニスのフォームは笑っちゃうほどとんでもない。それでも,スポーツマンガ黎明期の鮮やかな挑戦として,本作は忘れがたい。

 ……それにしても。思えば,『スマッシュ』も『エース』も,ウィンブルドンのセンターコートはおろか,ジュニアの部に「参戦」するのがせいいっぱいだった。マンガの世界での日本人によるウィンブルドン優勝は,塀内真人(夏子)の『フィフティーン・ラブ』が最初だと思うが(それ以前にいたらごめん),さて,現実のプレイヤーがセンターコートでガッツポーズを決めるのはいつのことだろう。……どうでもいいですね。

先頭 表紙

新撰組については……山並って,にこやかな顔してとんでもないと思う。ああいう奴がああいう切腹しちゃうと,組織は遊びのないハンドルになってしまうのでは。 / 烏丸 ( 2004-10-14 02:16 )
銀英伝ってメジャーなのですねφ(.. )。ああいう文章って実は烏様の好みとみましたがどうでしょう? (「てきのこうはい」ってアニメで見たとき、どんな字面か思い浮かびませんでしたわん)(‥ ) / Hikaru ( 2004-10-11 23:31 )
おお。新撰組とは渋い。 私は最近になってようやく登場人物を覚えましたが、近藤勇がどうしても忍者ハットリ君に見えて困ります。(‥;) / Hikaru ( 2004-10-11 23:28 )
うちの子カラスたちも,ホグワースの魔法とか,新撰組の役者名とその命運とか,ドカベンの登場人物の所属チームとか,そういったことには異常なばかりの集中力を示します。最近は,こちらが質問に答えられないと,「なあんだ」という顔をされてしまう……。 / 烏丸 ( 2004-10-06 14:22 )
いやー,手の内を明かすと,コアなファンがたくさんいるメジャーものって扱いにくいです。マイナーなもの(無名なもの,忘れられたもの)をピックアップして持ち上げる,もしくはメジャーなものをなんらかの視点から批判する,この2つはわりと想定できます。でも,銀英伝は,ひねれるほど読み込めてないし,ありきたりにほめてもしょうがないし。 / 烏丸 ( 2004-10-05 20:33 )
プラネテスばようやく4巻まで揃えました。アニメの方は一応終わってる見たいですが、こっちはまだ続くんですよね?レティクル座人、よいですね〜。あれ、日本からは見えませんけど。にしても、1巻と4巻でサイボーグ009の初期と後期に負けないほどの絵柄の変化があって、なんともたまりまへん。 / Hikaru ( 2004-10-05 13:35 )
おおっ?! 烏様の手におえない領域とは、なんだか意外なお言葉でする。銀英伝はうちの中学生(そう、あの顔でもう中学生...)がハマりこんでて、登場人物とか会戦の時期とかよく知ってます。その記憶力をほかに生かして欲しひ... / Hikaru ( 2004-10-05 13:31 )
『プラネテス』は考えないでもないですが……。『銀英伝』はちょっと手におえない領域……。 / 烏丸 ( 2004-10-04 03:12 )
全然関係ないけど、今ハマっているのが、「プラネテス」と「銀河英雄伝説」なのですが、どちらかレビューしてみたりなんぞする気はありませんでしょうか?(‥)/ / Hikaru ( 2004-09-30 12:01 )
サガンに続いて森村桂が死去。今年は中堅の作家がよく亡くなるような気がするが,気のせいかしらん。 / 烏丸 ( 2004-09-27 20:16 )
『スマッシュをきめろ!』の連載時期をWebで調べていたら,その第1回の掲載された週刊マーガレット1969年33号には鈴原研一郎「ああ 広島に花さけど」(前編)が掲載とありました。原爆二世の少女を描いたこの作品には泣いた記憶があります。35年前の夏の日,僕は間違いなくこの号を読んでいたのでした。 / 烏丸 ( 2004-09-25 03:26 )

2004-09-24 いずれがペットか飼い主か 『しゃばけ』 畠中 恵 / 新潮文庫


【仁吉も佐助も一見,屏風のぞきを怒っているようで,実は一太郎のことを器用に責めている】

 日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作,また江戸人情&妖怪推理譚の人気シリーズの第1作とのことで,楽しみにしていたのだが……残念ながらなんとなく釈然としない読後感だった。

 主人公の「若だんな」一太郎は,江戸有数の廻船問屋,長崎屋の一粒種。彼の周辺は,手代の佐助,仁吉(実は犬神,白沢という妖怪)をはじめ,屏風のぞき,鳴家,鈴彦姫など,なぜか妖怪だらけ。そんなある夜,こっそり家を抜け出した一太郎は人殺しを目撃してしまう……。
 というお話はそれなりに面白いが,どうも上滑りして今ひとつ浸りきることができない。展開の詰めが随所に甘いのである。

 たとえば。
 病弱な一太郎のお目付け役たる犬神,白沢は,「そこいらへんの妖怪なぞ相手にならないほどの大物」として描かれて……いるようで,いくたびかの実戦にはなんの役にも立たない。揃いも揃って駆け出しの妖怪にたあいなくひねられてしまう。

 あるいは。
 一太郎は再三再四,「妖(あやかし)と人とは五感がずれているのか,どうもときどき会話が噛み合わない」といった独白をもらすが,妖怪が身近にいればそれと見破り,「妖の言葉は今日は効き目が薄いが,普段なら子守唄代わり」な一太郎の感性観念は妖怪の側にあるはずである。ならば,人間側の会話にだって同様にずれを感じるべきではないか。だいたい彼が「相変わらず妖との話は,どうにもずれる」と強調するほどには,会話はずれていない。むしろ妖怪たちの言動のいちいちは,どうにも人間ふうなのである(上の【 】の引用部など,およそ「ずれ」た妖怪のなすこととは思えない)。

 もしくは。
 最初の事件は,被害者の大工の首が切り落とされるという猟奇的なものであり,なぜ下手人はわざわざ戻ってきて首を切り落とさねばならなかったかが事件の大きな謎の一つとされ,一太郎は何度も首をかしげてみせる。ところが,詳細は書けないが,その謎解きたるやおやおやと首をかしげたくなるようなアバウトなものにすぎない。

 そもそも。
 題名の「しゃばけ」とは「娑婆気」と書き,「俗世間の名誉や俗念を離れない心。しゃばっけ」(広辞苑)のことなのだが……。本作はとくにそういうアングルの話ではない。そういう人物や妖怪を描いたものでもない。妖怪譚だけに「おばけ」に掛けているのかと考えてもみるが,それでつじつまが合うわけでもなさそうだ。

 とどのつまり,要は,どうも全体にヌルいのである。

 作者にはすでにこのシリーズに続編が2作ある。設定や口あたりは悪くないだけに,読むべきか読まざるべきか,うーん迷う。

先頭 表紙

2004-09-20 最近読んだ本 『フン!』『短篇ベストコレクション 現代の小説2004』


『フン!』 いしいひさいち / 徳間書店

 いしいひさいち描くところの山田家のポチ。彼は徹底的に乾いている。

 ハードボイルドと称されるミステリの探偵たちは,なぜか大概とんでもなくウェットだ。ヘンなたとえで申し訳ないが,湿気た岩オコシみたいな感じだ。彼らは過去にこだわり,小銭にこだわり,去った女の尻にこだわってめそめそじくじくと酒をなめてばかりいる。

 一方,ポチこそはハードボイルドである。ドライとかクールとかいう言葉では表しきれないほど,岩のように乾いている。

 かつて,このように乾いた人物が町中にもう少しはいた。
 周囲との人間関係や,金銭,男女関係など気にかけず,ただ砂を磨くように働いて日々をこなす。そのくせ,単に寡黙なのではなく,人のなすべきことについては一貫していて淀みがない。
 現在では「頑固親父」そのものが希少価値だし,たまの自称他称「頑固親父」はそうみなされることを目の隅で確認しては汲々としている……それは媚びへつらいの一様式に過ぎない。

 一億人がポチを見習うことはない。だが,一千万人くらいは,ポチのことを考えてもよいかもしれない。

『短篇ベストコレクション 現代の小説2004』 日本文藝家協会 編集 / 徳間文庫

 たまに,こういうアンソロジーを読む。
 たいていは,ヒマつぶし。

 収録作は,出版社の思惑はあるにしても,あまたの作品から選ばれるほどだからそう悪いものではない(はずである。実際,たまにはアタリがある)。好みの作家と出会う可能性だってある(かもしれない。実際にはなかなかそういうことはない)。

 本書は,浅田次郎や石田衣良,伊集院静,江国香織,岩井志麻子,川上弘美ら当節の売れっ子に野坂昭如,筒井康隆,泡坂妻夫を加えて,一作一作はなかなか面白く読めた。

 ……が,どうも違和感というか,読後感に乖離がある。

 あとになって,ふと思いあたった。
 それぞれの作品の文体が,どうもあまり短編らしくなく,短編集を読んだ気分になれなかったのだ。

 長編と短編の文体の違いというのは,それなりにあるに違いない。トルストイとポーの違い,などと括ってしまうとまじめに文体を研究している方に失礼千万だが,たとえばそういうことである。
 もちろん簡単な定義づけはできない。ポーの「アッシャー家の崩壊」のように,短編ゆえに比喩をこらして象徴主義的な文体となることもあるだろう。逆に,ヘミングウェイの「老人と海」のように,短編ゆえに表記を切り詰めてとことんクールな文体とする場合もあるだろう。
 思うに,結果としてデコラティブだろうがその逆だろうが,文体にこだわることそのものが短編の特質といえるのではないか。

 そう思って振り返ると,本書に取り上げられた作品の大半は,どうも長編向きの文体で書かれているように思われてならない。短編20作,600ページ近くが,すらりと読めてしまう。単に読みやすいということではなく,流れてしまった,(野坂を除いて)「文体」そのものにこだわりが感じられないのである。

 スムーズに読めることをよろしくないというつもりはもちろんない。しかし,長編と短編の楽しみは別だ。短編は,単に短い長編ではないはずなのだが……。

先頭 表紙

2004-09-15 最近読んだ本 『薬師寺涼子の怪奇事件簿〈1〉魔天楼』『まんがサイエンスIX からだ再発見』『そーなんだ!』


 久しぶりに読むより購入に走ってしまい,ここ二週間ばかりの間だけでも厚さにして五十センチメートル以上の本を買ってしまった(コミック除く)。それもやや重の長編が中心で,いったいいつになったら書棚が片付くのか途方に暮れている。
 そんなこんなで取り上げることの遅れた(さりとて素通りするのも惜しい)本や作品がたまってしまった。
 とりあえずざっとご紹介させていただこう。

『薬師寺涼子の怪奇事件簿〈1〉魔天楼』 原作 田中芳樹,漫画 垣野内成美 / 講談社マガジンZコミックス

 ドラキュラもよけて通る「ドラよけお涼」こと薬師寺涼子の事件簿がついにコミック化されたことは慧眼の皆様ならすでにご存知に違いない。しかも作画はノベルス版でイラストを担当したあの垣野内成美なのだからもはや何も言うことなし……と言いたいところだがやはりイラストと漫画は別モノであった。
 お涼さまがほぼ全見開きにわたって蜂起,もとい芳紀御二十七歳のオミアシをさらしてご活躍される展開に文句はないのだが,どうも動き過ぎるのである。
 思うにコビコビと表情を変えたり動き回ったりするのは小人のなすことである。女王様はもう少し傍若無人に道の真ん中を歩み,ただ取り巻きたちがその周りをおろおろという作画でもよかったのではないか。

 ちなみに,やや旧聞に属するが,作者インタビューや書き下ろし短編,描き下ろしコミックを収録した『女王陛下のえんま帳 薬師寺涼子の怪奇事件簿ハンドブック』(光文社)も発売中。『巴里・妖都変』や『東京ナイトメア』でお涼さま抜きの人生を想定できなくなったジャンキーにはコミックよりむしろお奨めだ。添付画像は迷った末に,こちら。

『まんがサイエンスIX からだ再発見』 あさりよしとお / 学習研究社(NORAコミックス)

 本「くるくる回転図書館」でも再三取り上げてきた『まんがサイエンス』もすでに9巻め。
 今回は長編仕立てではなく,
   寝る子は育つ?
   傷は体の工事現場
   暑い時には汗をかこう
   毒はどうして毒なのか
などなど,体がテーマのオーソドックスなサイエンスコミック短編集となっている。あやめちゃんがいぢられ役として活躍しているのもお約束どおり。
 最後の1編は
   終わる命 つながる命
とちょっとドキッとするタイトルだが,いくらでも重く扱えるテーマをさらりと流した印象。少し物足りない気もするが,前巻『ロボットの来た道』のときのように埋めようのない寂しさを感じさせられるよりはよい。

 ところで,小学生向けのサイエンスコミックといえば,毎週火曜日発売の『そーなんだ!』(デアゴスティーニ発行,現在130号まで)が楽しいが,その123〜124号に掲載された「生き物の楽園ビオトープって何?」(マンガ/高樹はいど)に登場した火星人御一行様が最高だった。ちょっとキショイ系のタコ足火星人が各コマに何人(?)も登場して,地球案内のお姉さんの解説に
   「エ?」「エ?」「火星ダメ?」「火星ダメ?」「火星ダメ?」
   「空ダ」「地上ダ」「地下ダ」「川ダ」
   「ナル」「ナルナル」「ナル?」
などなどと口走る,そのバラけたリズムと得体の知れなさがたまらない。
 『そーなんだ!』は中堅の書店なら雑誌売り場にしばらくのバックナンバーが置いてあることも少なくないのでぜひご覧いただきたい。
   見ル? 見ル。 見ル見ル。

先頭 表紙

2004-09-06 がんばれと言うは誰,がんばるは誰 『がんばれ元気』 小山ゆう / 小学館文庫


【ぼくは自分に不似合いな道を…… むりしてつっ走ってきたのかなあ…………】

 『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』を取り上げた際の繰り返しになるが,ここしばらく,日本ではボクシング人気がぱっとしない。
 ショウアップされたK1やプライドほど話題にのらないし,プロレスのように細分化してニッチを担うわけでもない。

 最近の10年間に日本から出た世界チャンピオンは,かつての,ファイティング原田,藤猛,輪島功一,ガッツ石松らのような国民的英雄扱いを受けているだろうか。誰もがその名を知っている世界チャンピオンのあり方は,具志堅用高あたりが最後だったのではないか。
 たとえば辰吉丈一郎。彼はあれほどドラマを作ってみせながら,それでもマイナースポーツの扱いしか受けなかったような気がしてならない。
 はたしてどのくらいの人が,この10年の世界チャンピオンの名前を言えるだろう……。

 にもかかわらず,ボクシングマンガの人気は高い。

 競技そのものの人気がかげっても,マンガとしての描きやすさ,ドラマの盛り込みやすさにおいて,野球とボクシングは『巨人の星』『あしたのジョー』以来,現在にいたるまで変わらないらしい。
 実際,ボクシングマンガの名作,話題作は『あしたのジョー』から現在の『はじめの一歩』にいたるまで数知れず……といったところでようやく今回のテーマである。

 『がんばれ元気』は,なぜ,これほどまでに忘れられてしまったのだろう?

 『がんばれ元気』が掲載されたのは少年サンデー,昭和51年19号から昭和56年14号までの約5年間。とくに最後の関拳児との統一戦は「どちらが勝つか」と大学生,社会人までビールの泡を飛ばして議論にくれたものだ(それは本作が「主人公が勝ってハッピーエンド」で終わりそうにない,なにやら不穏な気配をかもし出していたからにほかならないのだが)。

 もちろん,この作品のことを当時の読者が覚えていないわけではない。
 だが,さまざまなメディアで正面から,あるいはパロディとして繰り返し取り上げられる『あしたのジョー』などに比べると,再販が話題になるでなし,追従する作品が現れるでなし,連載時の盛り上がりに比べると信じがたいほどその存在が「忘れられている」印象なのだ。

 今回読み返してみて,古びているか,つまらないか,といえば,決してそんなことはない。

 もちろん,格闘技の描き方は,最近のリアルな格闘マンガに比べると難がある。
 堀口元気や関拳児のパンチは一見かっこいいが,防御をまるで考えてない「いってこい」パンチでしかない。ゴングが鳴るや2人ともおよそフットワークを使わず,足を止めての正面からの殴り合い(なにしろ足元の擬音は「ズズ」なのである)。その後,「巨大熊を一撃のもとに葬った」(本当)関のパンチを顔面に何度も受け,何度もダウンしながら元気は立ち上がり,12ラウンドをフルに戦い抜く。……などなど,地味ではあるが破天荒さにおいてはギャラクティカマグナーム!の『リングにかけろ』とそう変わらない。

 その分,マンガとしては面白い。ボコボコに殴り,殴られ,最後に逆転で勝つという展開がつまらないわけがない(このあたり,WBAフライ級チャンピオンだった大場政夫の闘いぶりを思い出させなくもない)。
 関拳児との決戦など,読み終わってすぐ最初のページに戻り,読み返すだけの魅力にあふれてはいるのだ。

 それだけの魅力にあふれながら……つらい。『がんばれ元気』を読み返すのは,なぜか,とてもつらい。
 元気の母,元気の父であるシャーク堀口,元気にボクシングを教えた三島など,本作には身近な人物の死や別れがあふれている。だが,それがつらいのとは少し違うようだ。

 マンガをほめるとき,よく使われる常套句が「人間が描けている」だが(ちなみにミステリをけなすときによく使われるのが「人間が描けていない」),『がんばれ元気』がほかのボクシングマンガに比べ,より「人間が描けている」ようには思えない。それどころか本作に登場する人物はいずれも視野狭窄,感情は痙攣的で,どこか壊れたような,実生活にいたら「マンガ的」とレッテルを貼るしかなさそうな人物ばかりだ。

 うまくいえないが,問題はそのあたりにあるような気がする。
 単に一枚板的に,「マンガの登場人物がマンガの中で活躍する」という構図ならいいのだ。しかるにここでは,「マンガ的な人間が,マンガの中に登場する」という妙な二重構造が起こっているのだ。

 『がんばれ元気』を読み返すとき,ともかくつらいのは,随所に表れる登場人物たちの泣き笑い顔だ。彼らは泣くような顔で笑い,笑うような顔で泣く。それも静かにじわじわ泣くことは決してなく,ベショベショに泣き笑う。

 関との決戦前夜,元気は愛する芦川先生とドライブし,ホテルに入ろうかとゆき惑う(1970年代後半の,それもお行儀のよい少年サンデーの誌面としてはラディカル極まりない展開である)。だが,ホテルに入らず車を飛ばす元気に,「男はボクサーは結局女に逃げることはできない」と述懐する芦川先生の泣きながらの最初のセリフは「えへっ……」なのだ。

 この場面で,元気は芦川先生と心中を再三試み,キスを交わす。延々と繰り出される元気の愚痴っぽい統一戦への宣言は,結局のところ本作がボクシングマンガではなかったこと,堀口元気がボクサーではなかったことを示しているように思えてならない。

 関との統一戦後,元気は世界チャンピオンを引退して祖父母のもとに戻り,堀口元気の名を捨てて田沼元気になることを宣言する。

 つまり,『がんばれ元気』は,死者や敗者のことを気に病んだ少年が,「堀口元気」というボクサーとしてがんばってがんばって,最後にやっとそのしがらみからただ解放される物語なのである。年齢差などを考えれば少年誌向けとはいいがたい芦川先生との恋愛も,彼に課せられた「がんばり」と考えれば理解できなくもない。
 不向きな職業,不似合いな恋愛。およそボクサーの似合わない丸顔の少年が死を覚悟するまで「がんばれ」と追い詰め続けたのはいったい誰(何)なのか(それは読者です,となるとなかなかメタで興味深い構造なのだが,それはまた別の機会に)。

 いずれにしても結局のところ,これほど面白いにもかかわらず,これほどにつらい,これほどに目をそむけたいマンガもそうはない。
 小山ゆうはこの後も『愛がゆく』など,あまりのつらさに読んだことを忘れる以外ないような傑作を発表し続ける。彼が何をしたいのか,本当のところはよくわからない。途方に暮れるばかりだ。

先頭 表紙

絵が変わらないということは,(好みや方向性の是非はおいといて)それはそれで「完成している」ということかもしれません。何十年も絵柄の変わらない,さいとう・たかをなんかそうですね。そういえば,小山ゆうはそのさいとう・プロの出身なのでした。 / 烏丸 ( 2004-09-13 19:24 )
小山ゆうって表情が画一的…というか乏しいんですよね。観客の表情なんかも見ていて苦しくて、それがとても印象にのこっています。ずっと絵が変わらないのも不思議です。 / YIN ( 2004-09-06 18:28 )
ちなみに,連載当時はそれなりに人気があった(らしい。少なくとも連載が長期にわたった)にもかかわらず,現在マンガファンの意識にあまり残ってないと思われるボクシングマンガには『のぞみウィッチィズ』『神様はサウスポー』『あいしてる』『太郎』などがあります。個人的には『タフネス大地』がばかばかしくて好きでした。 / 烏丸 ( 2004-09-06 15:08 )
ボクシングマンガを通して思い返すと,「(少年マンガとして)魅力的な主人公」と「その主人公が殴り合いに没頭すること」のツジツマ合わせにすごく苦労していることがわかります。そのへんが野球マンガ,サッカーマンガとの違いかな。自分より強い相手に挑戦する間はいいのですけどね……。 / 烏丸 ( 2004-09-06 14:55 )

2004-08-23 130→77 『OL進化論(21)』 秋月りす / 講談社ワイドKCモーニング


【35歳でやたら前向きな人って つらいわー】

 本日はお忙しいところ,お集まりいただきましてありがとうございます。
 えー本日のアジェンダですが,先日,弊部より発表いたしました秋月りす『どーでもいいけど』の営業速報内にて

> 秋月りすはこの連載を経て否が応でも1990年代の「不景気」の構造を
> 学習し,正面から見据え,それはひるがえって代表作『OL進化論』の
> 足枷ともなった。
> 『OL進化論』の好々爺たる社長,スーパーキャリアウーマンたる
> 社長秘書らが登場の場を失い,ジュンちゃんのダメダメぶりがOLとして
> ではなくプライベートライフにおいてばかり強調されるようになったのは
> 偶然ではないような気がする。
> 「人員整理」はもはや「まさか」と笑って過ごせるジョークの素材では
> なく,会社は,1980年代までのように呑気で楽しい永遠の楽園ではない
> のである。

といったことを発表いたしましたところ,先週の営業戦略会議において,営業統括部長より「それは雰囲気で言っているだけではないか。お客様を納得させるのはあくまで数字の根拠がないとだめ」とのご指摘をいただきました。
 そこで,本来でしたらきちんとしたパワポの資料を用意のうえ発表させていただくのがスジということは重々承知しておるのですが,なにぶんお盆もあって現場のスタッフが足りず,分析に足る数字を集めるのが精一杯で……は? 言い訳はいい,早く先に進め。し,失礼いたしました。

 それでは,え,プロジェクタの映像で次のページをご覧ください,非常に簡単な表ではございますが,つまり,

  233分の130 56%
  235分の 77 33%


この上の数字が,1990年10月発行の第1巻,下の数字が2004年5月発行の第21巻となっております。は? あ,もちろん秋月りす『OL進化論』の第1巻と第21巻です。
 あ,この数字の意味ですね。はい,これからご説明申し上げるところで,申し訳ございません,段取りが悪くて。

 この数字はつまり,『OL進化論』の第1巻で,主人公の美奈子やジュンちゃんら,OLの登場人物がオフィスにいる,あるいは昼食を食べに外に出ていても制服を着ている,つまりとにもかくにも勤務時間内であることが明確なコマが1コマでもあった場合を1とカウントいたしまして,それが233作中の130作,つまり約56%あったと。
 それが,第21巻では,全体は235作でほぼ変わらないにもかかわらず,勤務時間を描いたものは77作,およそ33%。しかもその約半分は美奈子たちとは制服の色が違う,ほかの会社のOLを描いたものになっております。

 つまりこのように,タイトルこそ『OL進化論』ではありますが,本作におきましてOLは進化するどころかますますプライベートな,買い物であるとか,友達とのおしゃべりであるとか,そういった時間の比率が,これはタイトルを考えますともはや異常値と言ってよろしいかと。

 え,さらに,『OL進化論』の連載第1回めでは,ジュンちゃんがタバコのライターでロングヘヤーをこがしてしまって髪を短くし,タバコもやめたこと,また,連載第2回めでは美奈子もタバコを吸っているところをボーイフレンドに注意されるなど,のちには見られない設定がございます。
 また連載初期には,英語がペラペラだがそれがブロークンというかベランメエな英語であるというバイリンギャル絵美のなかなか購買層にアピールするエピソードもございまして,これらのちに見られなくなる設定や登場人物につきましてはさらに別ファイルにて,あーっ,あっ,申し訳ありません,これは単なる私の趣味の画像と申しますか,いえ決して職務時間中にこのような画像を集めたりながめたりしていたわけでは,決して,いえ,あの,あっ,ああああっ。

先頭 表紙

2004-08-17 功夫(クンフー)の正しいあり方描き方 『セイバーキャッツ』(全5巻) 山本貴嗣 / 角川書店 ニュータイプ100%コミックス


【あの娘には指一本…… ぐらいは触れたが まだ何もしちゃいない!!】

 「イブニング」の『俊平1/50』があっさり終わってしまった。

 『俊平1/50』は『空想科学読本』の柳田理科雄監修による近未来SFで,そう知るとタイトルからして懐かしの「ウルトラQ」の「1/8計画」へのオマージュとなっていることのツジツマが合う。
 「1/8計画」とは人口増加に伴う土地不足解消のために人間を8分の1に縮小する計画であり,うっかりその建物に足を踏み入れたカメラマンの由利子(桜井浩子)が……。

 もとい,今回は『俊平1/50』の作画を担当した山本貴嗣(やまもと あつじ)についてである。

 『俊平1/50』の連載開始時,「この見慣れたようで個性的な,シンプルなようで妙にコクのある絵柄,女キャラのアヒルを思わせる口もと……誰だったっけ」と首を傾げたが,どうしても具体的な作品が思い出せない。
 Webで検索して,ようやく記憶と結びついた。
 たとえば,数年前にヤングアニマル誌に連載された『夢の掟』。これは,超絶的な拳法使いを要人のボディガードに配し,この国の政治の将来と一対一の格闘シーンが交互に展開するという,はなはだバランスの悪い,だが妙に後をひく作品だった。おおかたの予想通り『ベルセルク』や『ふたりエッチ』のようには評判を呼ばず,単行本2冊であっさり打ち切りとなったようだ。最終回も読んでいるはずだが,思い出せないくらいだから相当中途半端な終わり方をしたのだろう。

 『夢の掟』以外にもいくつか,雑誌(主に「ジェッツ」だ……)連載時に目を通した作品を思い出し,そうこうするうちにピピっとスイッチが入り,やむを得ず(?)山本貴嗣の単行本を集めることとなった。

 はっきり言って,キャリアが長いわりに山本貴嗣がメジャーにならないのも,それなりに理由はある。

 テクニックを見れば下手ではない。否,むしろ巧いほうかと思われるし,随所に心憎いセリフも配す。しかし,読み手に楽しみを提供するより,自分の描きたいものへのこだわりのほうが常に上回ってしまう。それがあるときは食い足りなさ,あるときは悪趣味な印象さえ招いてしまう。要するに自分の中のオタク要素を消化する気のないタイプの作家なのだ。
 初期のある作品など,『コブラ』に登場するようなお尻むき出しの見目麗しい妖精同士が剣で争って,あろうことか互いの内臓を引きずり出し合う。そのくせ,全体の展開は妙にヒューマンだったりするのである。

 逆に,ある程度マンガに目が肥えた,あるいはマンガを読み飽きた読み手の目には,ひかれるところの少なくない作家といえるかもしれない。癖の強い地ウヰスキーのような印象なのである。

 今回古本屋をたずねて探し集めた中で,珍しく広くお奨めしたいのが,『セイバーキャッツ』全5巻。残念ながらいずれも絶版である。

 テンポの速い展開がよい。恒星間飛行が実現した21世紀後半,荒廃した地球を舞台に「武術界 幻の秘法」を巡って登場人物たちの思惑と能力が交錯する。
 いじられキャラのヒロイン「山猫のチカ」こと当麻智華(とうま ちか)がいい。ワイルドでプライドが高く,健気でかわいい。
 脇役の雷鳳岩(レイ フォンイェン)の男気が切ない。無骨で不器用な友情をぎりぎり照れずに済む枠内に描いて好感がもてる。

 だが,それら以上に,中国武術をベースにした主人公・宿弥光(すくね ひかる)の武術(ウーシュー)の描写が素晴らしい。
 格闘シーンがスピーディでかっこいい,とかいった次元ではない。単なる立ち居振る舞いにも目を見張らせられるものがあるのだ。黙々と功夫の鍛錬に励むシーンですら,読み手の背骨に「氣」の柱がスパンと立つ,そんな爽快な手ごたえがある。
 格闘時には静かな無表情になるのもよい。熟練した技師が機械の整備にあたる際の,淡々としつつも鋭い目である。なんというか,そうあるべき,そうでなくてはならないリアリティが感じられる。

 本作は掲載誌の「コミックGENKi」が休刊にいたったため,かなり無理やり終わらせられている。

 しかし,どうだろう。作者山本貴嗣はどちらかというと作品の締めをきっちりするほうではない。だらだら長引かせたり,作者が飽きて半端に終わらせられるより,外的要因で5冊というほどほどの長さで終わったことは,本作にとってかえって幸せではなかったか。
 ともかく,とくに第1巻。ブックオフをはしごしてでも手に取る価値ありかと思う。ただし,間違えて作者言うところの「内臓趣味」作品を入手しても当局は責任はとれないのであしからず……。

先頭 表紙

今度は野球で負けて「まさか」の「惜敗」ですか。オーストラリアを「格下」扱いして2連敗,それは普通「弱い」というのです。 / 烏丸 ( 2004-08-24 23:47 )
ぜんぜん関係ないけど,オリンピックの柔道選手の敗退に,Web報道こぞって「まさかの敗退」。スポーツと博打に「まさか」はない。教育上悪いから,その言葉遣いいい加減やめれ。 > 新聞各社 / 烏丸 ( 2004-08-19 19:19 )
けろりんさま,一時期,同じ作家の紹介が続いたので,最近,多少意図的に引き出しを広めにしています。ちなみに,雑誌でかかさず読んでいるのは「少年サンデー」「少年マガジン」「ヤングサンデー」「モーニング」「イブニング」「ヤングアニマル」「コミックバンチ」。「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」は気が向いたら。 / 烏丸 ( 2004-08-19 14:04 )
YINさま,『エルフ・17』の絵柄を見ると,山本貴嗣が小池一夫の劇画村塾出身で,高橋留美子と同期(らしい)というのもうなずけますね。最近の絵柄はどちらかというとゆうきまさみに近い感じですが。 / 烏丸 ( 2004-08-19 14:02 )
ここのところ烏丸さんの守備範囲の広さに驚愕してます。作者名は知っていてもこのあたりは全然読んでません・・。 / けろりん ( 2004-08-18 20:54 )
山本貴嗣、ぢつは結構すきです「エルフ17」とか。山田章博は初期の作品が好きでした。 / YIN ( 2004-08-18 14:45 )
山本貴嗣をはじめ,「山」で始まる名前の漫画家には癖の強い作家が少なくありません。次の作家の絵柄と代表作,わかりますか? 山本英夫 山本直樹 山口貴由 山口かつみ 山田芳裕 山田玲司 山田章博 山下和美(なんだかヤンサン系が多いなぁ?) / 烏丸 ( 2004-08-17 18:34 )

2004-08-10 「我が娘」への私的オマージュ 『スカイハイ』(現在6巻まで) 高橋ツトム / 集英社ヤングジャンプ・コミックス


【お逝きなさい】

 覆面レスラー,ミル・マスカラスの入場テーマ曲ではない。高橋ツトムのコミック作品である。

  ここは 不慮の事故や 殺された人達が来る 怨みの門
  あなたは3つの行き先を選べるわ
  死を受け入れ天国に旅立つ
  受け入れず霊となって現世をさまよう
  そしてもう一つ… 現世の人間を呪い殺す

 なんというか,実にもう古めかしい設定で,これは要するに今はすたれてしまった「バチが当たる」次元の話である。新しいショッピングモールに駄菓子屋さんのコーナーが鎮座ましましたような印象。作者はお婆ちゃん子か? と想像したりもする。

 『スカイハイ』はテレビドラマ,劇場公開ムービー,はてはテーマパークのアトラクションにまでなっているそうで,そう聞くとヘソマガリを起こして敬遠し,原作も未読だった。
 機会を得てまとめて読むことができたが,現在までに発刊されているのは計6冊。8編の短・中編からなる正編2巻,短編8編からなる「新章」2巻,そして外伝的な長編「カルマ」2巻である。

 先の設定に謎の美少女(?)門番イズコを配して,一種のシミュレーションストーリーが展開する。
 高橋ツトムの描く登場人物は以前より裏表がなく,悪人はとことん悪人,善人はどこまでも善人で屈折がない。本シリーズを面白いと思うためにはそのあたりを容認できるかどうかが境界線となるだろう。

 一点,この作者について以前から気になっていたことがある。
 ヒロインのモデルの問題だ。

 ある程度リアルな美女,美少女を描く作家なら,そこにはなんらかの願望が込められているはずである。理想の恋人であるか,初恋の少女であるか,母であるか,妻であるか。信仰の対象だったり,セックスのはけ口だったりするかもしれない。
 実在するかどうかはともかく,作者のなんらかの思い入れがヒロインの風貌を決定しているに違いない。
 しかし,高橋ツトムの描くヒロインは,そのあたりがどうもよくわからない。少なくとも通常の意味でセクシャルではないし,さりとて聖性を求められている気配でもない。
 彼の作品の読者で,彼の描くヒロインに恋心を抱くのはかなり特殊な部類ではないだろうか。

 高橋ツトムの作画に特徴的な,主人公がちょっと口をとんがらせて黙り込む,「プンとおすまし」あるいは「おぼこい」とでもいうか,たとえば添付の表紙のような表情をみて,ふと,これは「娘」ではないかと思う。
 作者に子供がいるかどうかは知らない。だが,この作者が理想として描こうとしている像は「我が娘」のあってほしい姿なのではないだろうか。

 そう思って『スカイハイ』を振り返ると,予定調和な展開の並ぶ正編8編の中で俄然ストーリーが動き出すのは,最後に収録された,作家と彼のまだ見ぬ「娘」の物語だ。また,「カルマ」はそもそも母と「娘」の物語であり,「新章」の短編の中でも(浪花節ながら)涙を誘うのは不慮の事故で死んでしまう「娘」達の物語である(逆に「息子」がテーマとなる物語では,たいていろくでもないドラ息子が描かれている)。

 何の根拠があるわけでもないが,お婆ちゃん子で,自分の娘の理想像ばかり描く作家。その作品が勧善懲悪に彩られ,ストレートで善意の人々にあふれるのは当然といえば当然なのかもしれない。

 それにしても,コロコロやコミックボンボンならいざ知らず,天下の青年誌の人気連載,最終回の最後の見開きが

  人間なんて地球の塵
  一生なんて儚い…
  だけどみんな必死に生きてる

というのは……大丈夫か若者達。

先頭 表紙

巨人の渡辺オーナーが,スカウト活動に違反行為で退任ですって。ふん。 / 烏丸 ( 2004-08-13 17:02 )
不慮の事故といえば,美浜原発の蒸気漏れ事故で4人が死亡,2人が重体,5人が重軽傷。10気圧,142℃の高圧水蒸気を全身に浴びるなんて,およそ考えられる死に方の中でも避けられるものなら避けたいものだ。亡くなられた方の冥福を祈ります,などという言葉さえヌルい。 / 烏丸 ( 2004-08-10 02:51 )

2004-08-07 怖ければよい,わけではないのがつらい 『新耳袋 現代百物語 第九夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー


【課長さんは営業だからいいですよ。泊まりがないんでしょ!】

 ごくまれに,本当に怖い本というのがある。
 そういう本は,読み始めるとすぐわかる。
 ページを開く指の一本一本からヒイヤリした禍々しさが伝わり,何かを呼んでしまいそうで一人の家では読めず,読んだそばから「しまったしまったしまった」と後悔が背中を這い登り,もう読まないとかたした棚からは小さな耳を刺す声が聞こえたりするのだ。

 本書は残念ながら,そういった一冊ではない。

 また,『新耳袋』シリーズ独特の,とくに幽霊が出るとかいうわけでもないのによこしまな気配に満ち,どうにも説明のつかない奇態な空間についての話もない。

 ここにいたって,「このようなものが求められているらしい」と取材対象者にもシリーズの類型が見えてしまい,無意識にそのようなものが語られている……そのような感じだ。

 また,比較的ありきたりな怪談もいくつか掲載されているのだが,本シリーズの著者は稲川淳二や平山夢明らに比べると,オーソドックスな怪談を怪談として「怖く」語ることにおいては決してテクニシャンではない。

 結果,結局はたいして怖くない一冊となった。

 あとがきによれば「怪談はコミュニケーションツールである」が著者の持論なのだそうだ。それは,ある意味タチが悪い。つまり怪談というものがはてしない伝言ゲームとなりかねないことを示すからだ。
 その結果,一つひとつの怪談は「どこか」の「友達の友達」を主人公とする曖昧模糊とした物語と化してしまう。

 どこかで聞いたか読んだかしたような話でありながら稲川淳二の語りが怖いのは,彼の語りは出来事をすべて「自分が働いていたビルで」「友達と泊まった旅館で」「ゲストで出た番組で」と多少強引に己のすぐそばまで引き寄せるからではないか。
 『新耳袋』については,淡々と距離をおいた記述がここ二冊ばかりは裏目に出ているような気がする。

 本シリーズを未読の方には,ぜひとも第一夜から第四夜あたりをお奨めしたい。
 奇妙にゆがんだ,もしくはうつろな,あるいはヒリヒリした,一日で百篇読んでしまうと本当に何かを招いてしまいそうな,いや途中ですでに背後に立たれているような,編纂中に著者が奇妙なめにあったというのが納得できる,初期はそのような本当に怖い話がたくさんあったのだ。

先頭 表紙

家に帰れば,捨て置いたはずの本がテーブルの上に。猫の目があたしの少しうしろのほうを見るのはなぜかしら。 / 烏丸 ( 2004-08-08 03:03 )
手に取っては置き・・・やはし、ここは捨て置こう。 / ねんねこ先生 ( 2004-08-07 07:57 )

2004-08-03 斜めにかしぐフォルムの躍動感 『リモート』(全10巻) 原作 天樹征丸,漫画 こしばてつや / 講談社ヤンマガKC


【素人が爆弾を作るのに参考にする文献は数がしれてる‥‥ パターンはせいぜい100かそこら‥‥ すべて頭に入っている!】

 ヤングマガジンという雑誌は,どうも粗雑なタッチ,手を抜いた背景をむしろ推奨するようなところがあって,最近の若手の作品は総じて苦手だ。
(『AKIRA』がこの雑誌に連載されていたことなど,今となってはどれほどの人が覚えているだろう。)

 『リモート』も,単行本発売時やテレビドラマが始まった折に一二度手に取ったが,ヘタなのか粗暴なのかよくわからない絵柄,パンチラを連発するセンスに購入する気になれずにいた。最近10巻をもってストーリーが完結したことを知り,決着が明らかならと数冊無造作に買い求め,その結果多少見解を変えるにいたった。

 ストーリーはシンプルで,婚約者のいる若い婦人警官が,洋館の地下に引きこもる異能警視の指示を受けて猟奇的な難事件の解決に奔走する,というもの。
 基調はヒロインが絶叫してばかりのB級サスペンスなのだが,ミステリとしてそれなりに趣向をこらしているので,暇つぶしにはなる。ただ,絵柄は荒い。事件がシリアスであるにもかかわらず登場人物の大半が(サザエさんの登場人物がそうであるのと同等の意味で)いわゆるマンガ顔。ギャグも笑えない。

 ……などと思いつつ読み進むうちに,だんだんヒロインの絵柄が気になってきた。

 本作のヒロイン彩木くるみは,素直で前向き,けなげでエロティック……とかいうキャラクター設定の問題,ではない。
 数ページに一度登場する彼女の全身像が,たいがい重心を崩して,つまりアンバランスに描かれていて,それが妙に心にひっかかる。悪くいえばやたらと身もだえしているわけだが,その不安定な構図が不思議に魅力的なのだ。

 たとえば添付は第3巻の表紙で,高校生に扮したくるみと制服のくるみを重ねて描いたものだ。この絵そのものは(とくに右手の扱いなど)決して巧みとはいい難いが,この表紙を開いたところの口絵は,この警官姿と高校生姿を前後入れ替えたものになっており,それを知るとなぜかぐらっときてしまう。

 そうした視点から作品を読み返すと,へたり込んで悲鳴を上げるくるみ,氷室警視に敬礼するくるみ,こわごわ銃を構えるくるみ,事件が解決して胸を張るくるみ……それらの奇妙にゆがんだフォルムがいちいち計算ずくのように思えてくるから不思議だ。
 バランスが崩れているということは,その状態では静止できないということだ。当たり前のことだが,本作ではそれが思い切りダイナミックにヒロインの描写に利用され,それが独特なゆっくりとした躍動感を生んでいる。

 ヒロインが独特な躍動感を感じさせる……これはコミック作品としては十分読むに足るということではある。
 とはいえ,好みが分かれそうな作品でもあり,お奨めしてよいものかどうかは少々迷う。などと紹介者に言われても困るだろうが,困ったときはとりあえず読んでみることをお奨めしたい(なんだそりゃ)。

先頭 表紙


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