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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-08-23 130→77 『OL進化論(21)』 秋月りす / 講談社ワイドKCモーニング
2004-08-17 功夫(クンフー)の正しいあり方描き方 『セイバーキャッツ』(全5巻) 山本貴嗣 / 角川書店 ニュータイプ100%コミックス
2004-08-10 「我が娘」への私的オマージュ 『スカイハイ』(現在6巻まで) 高橋ツトム / 集英社ヤングジャンプ・コミックス
2004-08-07 怖ければよい,わけではないのがつらい 『新耳袋 現代百物語 第九夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー
2004-08-03 斜めにかしぐフォルムの躍動感 『リモート』(全10巻) 原作 天樹征丸,漫画 こしばてつや / 講談社ヤンマガKC
2004-07-26 『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』 エドワード・D・ホック,木村二郎 訳 / ハヤカワ文庫
2004-07-18 UFJと東京三菱が統合?
2004-07-13 (大袈裟だけど)我が人生の一冊 『イシミツ』 白土三平 / 小学館文庫
2004-07-06 どこに向かう技量 『退屈姫君伝』 米村圭伍 / 新潮文庫
2004-06-30 のびやかに吹くべしホラを 『後宮小説』 酒見賢一 / 新潮文庫


2004-08-23 130→77 『OL進化論(21)』 秋月りす / 講談社ワイドKCモーニング


【35歳でやたら前向きな人って つらいわー】

 本日はお忙しいところ,お集まりいただきましてありがとうございます。
 えー本日のアジェンダですが,先日,弊部より発表いたしました秋月りす『どーでもいいけど』の営業速報内にて

> 秋月りすはこの連載を経て否が応でも1990年代の「不景気」の構造を
> 学習し,正面から見据え,それはひるがえって代表作『OL進化論』の
> 足枷ともなった。
> 『OL進化論』の好々爺たる社長,スーパーキャリアウーマンたる
> 社長秘書らが登場の場を失い,ジュンちゃんのダメダメぶりがOLとして
> ではなくプライベートライフにおいてばかり強調されるようになったのは
> 偶然ではないような気がする。
> 「人員整理」はもはや「まさか」と笑って過ごせるジョークの素材では
> なく,会社は,1980年代までのように呑気で楽しい永遠の楽園ではない
> のである。

といったことを発表いたしましたところ,先週の営業戦略会議において,営業統括部長より「それは雰囲気で言っているだけではないか。お客様を納得させるのはあくまで数字の根拠がないとだめ」とのご指摘をいただきました。
 そこで,本来でしたらきちんとしたパワポの資料を用意のうえ発表させていただくのがスジということは重々承知しておるのですが,なにぶんお盆もあって現場のスタッフが足りず,分析に足る数字を集めるのが精一杯で……は? 言い訳はいい,早く先に進め。し,失礼いたしました。

 それでは,え,プロジェクタの映像で次のページをご覧ください,非常に簡単な表ではございますが,つまり,

  233分の130 56%
  235分の 77 33%


この上の数字が,1990年10月発行の第1巻,下の数字が2004年5月発行の第21巻となっております。は? あ,もちろん秋月りす『OL進化論』の第1巻と第21巻です。
 あ,この数字の意味ですね。はい,これからご説明申し上げるところで,申し訳ございません,段取りが悪くて。

 この数字はつまり,『OL進化論』の第1巻で,主人公の美奈子やジュンちゃんら,OLの登場人物がオフィスにいる,あるいは昼食を食べに外に出ていても制服を着ている,つまりとにもかくにも勤務時間内であることが明確なコマが1コマでもあった場合を1とカウントいたしまして,それが233作中の130作,つまり約56%あったと。
 それが,第21巻では,全体は235作でほぼ変わらないにもかかわらず,勤務時間を描いたものは77作,およそ33%。しかもその約半分は美奈子たちとは制服の色が違う,ほかの会社のOLを描いたものになっております。

 つまりこのように,タイトルこそ『OL進化論』ではありますが,本作におきましてOLは進化するどころかますますプライベートな,買い物であるとか,友達とのおしゃべりであるとか,そういった時間の比率が,これはタイトルを考えますともはや異常値と言ってよろしいかと。

 え,さらに,『OL進化論』の連載第1回めでは,ジュンちゃんがタバコのライターでロングヘヤーをこがしてしまって髪を短くし,タバコもやめたこと,また,連載第2回めでは美奈子もタバコを吸っているところをボーイフレンドに注意されるなど,のちには見られない設定がございます。
 また連載初期には,英語がペラペラだがそれがブロークンというかベランメエな英語であるというバイリンギャル絵美のなかなか購買層にアピールするエピソードもございまして,これらのちに見られなくなる設定や登場人物につきましてはさらに別ファイルにて,あーっ,あっ,申し訳ありません,これは単なる私の趣味の画像と申しますか,いえ決して職務時間中にこのような画像を集めたりながめたりしていたわけでは,決して,いえ,あの,あっ,ああああっ。

先頭 表紙

2004-08-17 功夫(クンフー)の正しいあり方描き方 『セイバーキャッツ』(全5巻) 山本貴嗣 / 角川書店 ニュータイプ100%コミックス


【あの娘には指一本…… ぐらいは触れたが まだ何もしちゃいない!!】

 「イブニング」の『俊平1/50』があっさり終わってしまった。

 『俊平1/50』は『空想科学読本』の柳田理科雄監修による近未来SFで,そう知るとタイトルからして懐かしの「ウルトラQ」の「1/8計画」へのオマージュとなっていることのツジツマが合う。
 「1/8計画」とは人口増加に伴う土地不足解消のために人間を8分の1に縮小する計画であり,うっかりその建物に足を踏み入れたカメラマンの由利子(桜井浩子)が……。

 もとい,今回は『俊平1/50』の作画を担当した山本貴嗣(やまもと あつじ)についてである。

 『俊平1/50』の連載開始時,「この見慣れたようで個性的な,シンプルなようで妙にコクのある絵柄,女キャラのアヒルを思わせる口もと……誰だったっけ」と首を傾げたが,どうしても具体的な作品が思い出せない。
 Webで検索して,ようやく記憶と結びついた。
 たとえば,数年前にヤングアニマル誌に連載された『夢の掟』。これは,超絶的な拳法使いを要人のボディガードに配し,この国の政治の将来と一対一の格闘シーンが交互に展開するという,はなはだバランスの悪い,だが妙に後をひく作品だった。おおかたの予想通り『ベルセルク』や『ふたりエッチ』のようには評判を呼ばず,単行本2冊であっさり打ち切りとなったようだ。最終回も読んでいるはずだが,思い出せないくらいだから相当中途半端な終わり方をしたのだろう。

 『夢の掟』以外にもいくつか,雑誌(主に「ジェッツ」だ……)連載時に目を通した作品を思い出し,そうこうするうちにピピっとスイッチが入り,やむを得ず(?)山本貴嗣の単行本を集めることとなった。

 はっきり言って,キャリアが長いわりに山本貴嗣がメジャーにならないのも,それなりに理由はある。

 テクニックを見れば下手ではない。否,むしろ巧いほうかと思われるし,随所に心憎いセリフも配す。しかし,読み手に楽しみを提供するより,自分の描きたいものへのこだわりのほうが常に上回ってしまう。それがあるときは食い足りなさ,あるときは悪趣味な印象さえ招いてしまう。要するに自分の中のオタク要素を消化する気のないタイプの作家なのだ。
 初期のある作品など,『コブラ』に登場するようなお尻むき出しの見目麗しい妖精同士が剣で争って,あろうことか互いの内臓を引きずり出し合う。そのくせ,全体の展開は妙にヒューマンだったりするのである。

 逆に,ある程度マンガに目が肥えた,あるいはマンガを読み飽きた読み手の目には,ひかれるところの少なくない作家といえるかもしれない。癖の強い地ウヰスキーのような印象なのである。

 今回古本屋をたずねて探し集めた中で,珍しく広くお奨めしたいのが,『セイバーキャッツ』全5巻。残念ながらいずれも絶版である。

 テンポの速い展開がよい。恒星間飛行が実現した21世紀後半,荒廃した地球を舞台に「武術界 幻の秘法」を巡って登場人物たちの思惑と能力が交錯する。
 いじられキャラのヒロイン「山猫のチカ」こと当麻智華(とうま ちか)がいい。ワイルドでプライドが高く,健気でかわいい。
 脇役の雷鳳岩(レイ フォンイェン)の男気が切ない。無骨で不器用な友情をぎりぎり照れずに済む枠内に描いて好感がもてる。

 だが,それら以上に,中国武術をベースにした主人公・宿弥光(すくね ひかる)の武術(ウーシュー)の描写が素晴らしい。
 格闘シーンがスピーディでかっこいい,とかいった次元ではない。単なる立ち居振る舞いにも目を見張らせられるものがあるのだ。黙々と功夫の鍛錬に励むシーンですら,読み手の背骨に「氣」の柱がスパンと立つ,そんな爽快な手ごたえがある。
 格闘時には静かな無表情になるのもよい。熟練した技師が機械の整備にあたる際の,淡々としつつも鋭い目である。なんというか,そうあるべき,そうでなくてはならないリアリティが感じられる。

 本作は掲載誌の「コミックGENKi」が休刊にいたったため,かなり無理やり終わらせられている。

 しかし,どうだろう。作者山本貴嗣はどちらかというと作品の締めをきっちりするほうではない。だらだら長引かせたり,作者が飽きて半端に終わらせられるより,外的要因で5冊というほどほどの長さで終わったことは,本作にとってかえって幸せではなかったか。
 ともかく,とくに第1巻。ブックオフをはしごしてでも手に取る価値ありかと思う。ただし,間違えて作者言うところの「内臓趣味」作品を入手しても当局は責任はとれないのであしからず……。

先頭 表紙

今度は野球で負けて「まさか」の「惜敗」ですか。オーストラリアを「格下」扱いして2連敗,それは普通「弱い」というのです。 / 烏丸 ( 2004-08-24 23:47 )
ぜんぜん関係ないけど,オリンピックの柔道選手の敗退に,Web報道こぞって「まさかの敗退」。スポーツと博打に「まさか」はない。教育上悪いから,その言葉遣いいい加減やめれ。 > 新聞各社 / 烏丸 ( 2004-08-19 19:19 )
けろりんさま,一時期,同じ作家の紹介が続いたので,最近,多少意図的に引き出しを広めにしています。ちなみに,雑誌でかかさず読んでいるのは「少年サンデー」「少年マガジン」「ヤングサンデー」「モーニング」「イブニング」「ヤングアニマル」「コミックバンチ」。「ヤングマガジン」や「ヤングジャンプ」は気が向いたら。 / 烏丸 ( 2004-08-19 14:04 )
YINさま,『エルフ・17』の絵柄を見ると,山本貴嗣が小池一夫の劇画村塾出身で,高橋留美子と同期(らしい)というのもうなずけますね。最近の絵柄はどちらかというとゆうきまさみに近い感じですが。 / 烏丸 ( 2004-08-19 14:02 )
ここのところ烏丸さんの守備範囲の広さに驚愕してます。作者名は知っていてもこのあたりは全然読んでません・・。 / けろりん ( 2004-08-18 20:54 )
山本貴嗣、ぢつは結構すきです「エルフ17」とか。山田章博は初期の作品が好きでした。 / YIN ( 2004-08-18 14:45 )
山本貴嗣をはじめ,「山」で始まる名前の漫画家には癖の強い作家が少なくありません。次の作家の絵柄と代表作,わかりますか? 山本英夫 山本直樹 山口貴由 山口かつみ 山田芳裕 山田玲司 山田章博 山下和美(なんだかヤンサン系が多いなぁ?) / 烏丸 ( 2004-08-17 18:34 )

2004-08-10 「我が娘」への私的オマージュ 『スカイハイ』(現在6巻まで) 高橋ツトム / 集英社ヤングジャンプ・コミックス


【お逝きなさい】

 覆面レスラー,ミル・マスカラスの入場テーマ曲ではない。高橋ツトムのコミック作品である。

  ここは 不慮の事故や 殺された人達が来る 怨みの門
  あなたは3つの行き先を選べるわ
  死を受け入れ天国に旅立つ
  受け入れず霊となって現世をさまよう
  そしてもう一つ… 現世の人間を呪い殺す

 なんというか,実にもう古めかしい設定で,これは要するに今はすたれてしまった「バチが当たる」次元の話である。新しいショッピングモールに駄菓子屋さんのコーナーが鎮座ましましたような印象。作者はお婆ちゃん子か? と想像したりもする。

 『スカイハイ』はテレビドラマ,劇場公開ムービー,はてはテーマパークのアトラクションにまでなっているそうで,そう聞くとヘソマガリを起こして敬遠し,原作も未読だった。
 機会を得てまとめて読むことができたが,現在までに発刊されているのは計6冊。8編の短・中編からなる正編2巻,短編8編からなる「新章」2巻,そして外伝的な長編「カルマ」2巻である。

 先の設定に謎の美少女(?)門番イズコを配して,一種のシミュレーションストーリーが展開する。
 高橋ツトムの描く登場人物は以前より裏表がなく,悪人はとことん悪人,善人はどこまでも善人で屈折がない。本シリーズを面白いと思うためにはそのあたりを容認できるかどうかが境界線となるだろう。

 一点,この作者について以前から気になっていたことがある。
 ヒロインのモデルの問題だ。

 ある程度リアルな美女,美少女を描く作家なら,そこにはなんらかの願望が込められているはずである。理想の恋人であるか,初恋の少女であるか,母であるか,妻であるか。信仰の対象だったり,セックスのはけ口だったりするかもしれない。
 実在するかどうかはともかく,作者のなんらかの思い入れがヒロインの風貌を決定しているに違いない。
 しかし,高橋ツトムの描くヒロインは,そのあたりがどうもよくわからない。少なくとも通常の意味でセクシャルではないし,さりとて聖性を求められている気配でもない。
 彼の作品の読者で,彼の描くヒロインに恋心を抱くのはかなり特殊な部類ではないだろうか。

 高橋ツトムの作画に特徴的な,主人公がちょっと口をとんがらせて黙り込む,「プンとおすまし」あるいは「おぼこい」とでもいうか,たとえば添付の表紙のような表情をみて,ふと,これは「娘」ではないかと思う。
 作者に子供がいるかどうかは知らない。だが,この作者が理想として描こうとしている像は「我が娘」のあってほしい姿なのではないだろうか。

 そう思って『スカイハイ』を振り返ると,予定調和な展開の並ぶ正編8編の中で俄然ストーリーが動き出すのは,最後に収録された,作家と彼のまだ見ぬ「娘」の物語だ。また,「カルマ」はそもそも母と「娘」の物語であり,「新章」の短編の中でも(浪花節ながら)涙を誘うのは不慮の事故で死んでしまう「娘」達の物語である(逆に「息子」がテーマとなる物語では,たいていろくでもないドラ息子が描かれている)。

 何の根拠があるわけでもないが,お婆ちゃん子で,自分の娘の理想像ばかり描く作家。その作品が勧善懲悪に彩られ,ストレートで善意の人々にあふれるのは当然といえば当然なのかもしれない。

 それにしても,コロコロやコミックボンボンならいざ知らず,天下の青年誌の人気連載,最終回の最後の見開きが

  人間なんて地球の塵
  一生なんて儚い…
  だけどみんな必死に生きてる

というのは……大丈夫か若者達。

先頭 表紙

巨人の渡辺オーナーが,スカウト活動に違反行為で退任ですって。ふん。 / 烏丸 ( 2004-08-13 17:02 )
不慮の事故といえば,美浜原発の蒸気漏れ事故で4人が死亡,2人が重体,5人が重軽傷。10気圧,142℃の高圧水蒸気を全身に浴びるなんて,およそ考えられる死に方の中でも避けられるものなら避けたいものだ。亡くなられた方の冥福を祈ります,などという言葉さえヌルい。 / 烏丸 ( 2004-08-10 02:51 )

2004-08-07 怖ければよい,わけではないのがつらい 『新耳袋 現代百物語 第九夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー


【課長さんは営業だからいいですよ。泊まりがないんでしょ!】

 ごくまれに,本当に怖い本というのがある。
 そういう本は,読み始めるとすぐわかる。
 ページを開く指の一本一本からヒイヤリした禍々しさが伝わり,何かを呼んでしまいそうで一人の家では読めず,読んだそばから「しまったしまったしまった」と後悔が背中を這い登り,もう読まないとかたした棚からは小さな耳を刺す声が聞こえたりするのだ。

 本書は残念ながら,そういった一冊ではない。

 また,『新耳袋』シリーズ独特の,とくに幽霊が出るとかいうわけでもないのによこしまな気配に満ち,どうにも説明のつかない奇態な空間についての話もない。

 ここにいたって,「このようなものが求められているらしい」と取材対象者にもシリーズの類型が見えてしまい,無意識にそのようなものが語られている……そのような感じだ。

 また,比較的ありきたりな怪談もいくつか掲載されているのだが,本シリーズの著者は稲川淳二や平山夢明らに比べると,オーソドックスな怪談を怪談として「怖く」語ることにおいては決してテクニシャンではない。

 結果,結局はたいして怖くない一冊となった。

 あとがきによれば「怪談はコミュニケーションツールである」が著者の持論なのだそうだ。それは,ある意味タチが悪い。つまり怪談というものがはてしない伝言ゲームとなりかねないことを示すからだ。
 その結果,一つひとつの怪談は「どこか」の「友達の友達」を主人公とする曖昧模糊とした物語と化してしまう。

 どこかで聞いたか読んだかしたような話でありながら稲川淳二の語りが怖いのは,彼の語りは出来事をすべて「自分が働いていたビルで」「友達と泊まった旅館で」「ゲストで出た番組で」と多少強引に己のすぐそばまで引き寄せるからではないか。
 『新耳袋』については,淡々と距離をおいた記述がここ二冊ばかりは裏目に出ているような気がする。

 本シリーズを未読の方には,ぜひとも第一夜から第四夜あたりをお奨めしたい。
 奇妙にゆがんだ,もしくはうつろな,あるいはヒリヒリした,一日で百篇読んでしまうと本当に何かを招いてしまいそうな,いや途中ですでに背後に立たれているような,編纂中に著者が奇妙なめにあったというのが納得できる,初期はそのような本当に怖い話がたくさんあったのだ。

先頭 表紙

家に帰れば,捨て置いたはずの本がテーブルの上に。猫の目があたしの少しうしろのほうを見るのはなぜかしら。 / 烏丸 ( 2004-08-08 03:03 )
手に取っては置き・・・やはし、ここは捨て置こう。 / ねんねこ先生 ( 2004-08-07 07:57 )

2004-08-03 斜めにかしぐフォルムの躍動感 『リモート』(全10巻) 原作 天樹征丸,漫画 こしばてつや / 講談社ヤンマガKC


【素人が爆弾を作るのに参考にする文献は数がしれてる‥‥ パターンはせいぜい100かそこら‥‥ すべて頭に入っている!】

 ヤングマガジンという雑誌は,どうも粗雑なタッチ,手を抜いた背景をむしろ推奨するようなところがあって,最近の若手の作品は総じて苦手だ。
(『AKIRA』がこの雑誌に連載されていたことなど,今となってはどれほどの人が覚えているだろう。)

 『リモート』も,単行本発売時やテレビドラマが始まった折に一二度手に取ったが,ヘタなのか粗暴なのかよくわからない絵柄,パンチラを連発するセンスに購入する気になれずにいた。最近10巻をもってストーリーが完結したことを知り,決着が明らかならと数冊無造作に買い求め,その結果多少見解を変えるにいたった。

 ストーリーはシンプルで,婚約者のいる若い婦人警官が,洋館の地下に引きこもる異能警視の指示を受けて猟奇的な難事件の解決に奔走する,というもの。
 基調はヒロインが絶叫してばかりのB級サスペンスなのだが,ミステリとしてそれなりに趣向をこらしているので,暇つぶしにはなる。ただ,絵柄は荒い。事件がシリアスであるにもかかわらず登場人物の大半が(サザエさんの登場人物がそうであるのと同等の意味で)いわゆるマンガ顔。ギャグも笑えない。

 ……などと思いつつ読み進むうちに,だんだんヒロインの絵柄が気になってきた。

 本作のヒロイン彩木くるみは,素直で前向き,けなげでエロティック……とかいうキャラクター設定の問題,ではない。
 数ページに一度登場する彼女の全身像が,たいがい重心を崩して,つまりアンバランスに描かれていて,それが妙に心にひっかかる。悪くいえばやたらと身もだえしているわけだが,その不安定な構図が不思議に魅力的なのだ。

 たとえば添付は第3巻の表紙で,高校生に扮したくるみと制服のくるみを重ねて描いたものだ。この絵そのものは(とくに右手の扱いなど)決して巧みとはいい難いが,この表紙を開いたところの口絵は,この警官姿と高校生姿を前後入れ替えたものになっており,それを知るとなぜかぐらっときてしまう。

 そうした視点から作品を読み返すと,へたり込んで悲鳴を上げるくるみ,氷室警視に敬礼するくるみ,こわごわ銃を構えるくるみ,事件が解決して胸を張るくるみ……それらの奇妙にゆがんだフォルムがいちいち計算ずくのように思えてくるから不思議だ。
 バランスが崩れているということは,その状態では静止できないということだ。当たり前のことだが,本作ではそれが思い切りダイナミックにヒロインの描写に利用され,それが独特なゆっくりとした躍動感を生んでいる。

 ヒロインが独特な躍動感を感じさせる……これはコミック作品としては十分読むに足るということではある。
 とはいえ,好みが分かれそうな作品でもあり,お奨めしてよいものかどうかは少々迷う。などと紹介者に言われても困るだろうが,困ったときはとりあえず読んでみることをお奨めしたい(なんだそりゃ)。

先頭 表紙

2004-07-26 『怪盗ニック対女怪盗サンドラ』 エドワード・D・ホック,木村二郎 訳 / ハヤカワ文庫


【コブラにかまれたぐらいじゃ,わたしは落ち込まないのよ】

 怪盗ニックシリーズ,1年あまりで早くも4冊めの登場。

 本作は1960年代の海外サスペンスドラマ,とくに『プロ・スパイ(スパイのライセンス)』を思い起こさせ,読んでいてどこか懐かしい。
 『プロ・スパイ』はロバート・ワグナー主演(あのナタリー・ウッドと二度結婚した二枚目俳優だ),CIAに首根っこをつかまれた大泥棒が東西冷戦期のスパイとして活躍するという話だった。

 一方,本シリーズのニック・ヴェルヴェットは,現金とか宝石とか絵画とか,価値のあるものは盗まないというルールを自らに課した頭脳派の泥棒である。
 今回は,トリッキーな犯行のあとに

   白の女王
   不可能を朝食前に

というカードを残す女怪盗サンドラ・パリスが,ニックのライバルとして登場する。二人はあるときは競い合い,あるときは助け合って依頼主の奇妙な注文をクリアしていく。
 バースデイ・ケーキのロウソクを盗め,禿げた男の櫛を盗め,色褪せた国旗を盗め,蛇使いの籠を盗め,など,収録作品は十編。

 競い合い,助け合う怪盗とライバルの女怪盗といえば,ルパン三世と峰不二子を思い浮かべる方も少なくないだろう。作者のエドワード・D・ホックもふーじこちゃんの熱烈なファンではないかと想像されるくらい設定は似ている。要するに,女優の経験もあるサンドラ・パリスは,いまや決して若くはないが美人でオシャレで不可能犯罪の才能も度胸も抜群なのである。さすがのニックも,サンドラに先を越されて何度か悔しい思いをする。

 サンドラの登場によって,価値のないものばかり盗むという,頭脳的ではあるもののどうしても地味にならざるを得ないピカレスクが,一転ゴージャスとなった。
 とはいえ,ニックにはグロリアという長年連れ添った恋人がおり,サンドラと共闘するにもいちいち彼女の顔色をうかがうあたり,作者の真面目さというか,小市民的な印象がぬぐえない(そういえば,同じ作者の『サム・ホーソーンの事件簿』も,生真面目な田舎医者の話だった)。テレビドラマ化されそうでされないのは,そのあたりが原因かも。

先頭 表紙

中島らも,死去。酔っ払って転げ落ちて死ぬなんて,まるで狙ったかのような。天晴れな文士の最期に黙祷。 / 烏丸 ( 2004-07-27 23:01 )

2004-07-18 UFJと東京三菱が統合?

 
 また,銀行名,変わるんですか……?

 現在とその直前の行名はたとえばこちらのページなど見ればわかるんですが,割合詳しめのこの表だって,そもそもは
  第一銀行+日本勧業銀行
   ⇒ 第一勧業銀行
とか,
  協和銀行+埼玉銀行
   ⇒ 協和埼玉銀行
   ⇒ あさひ銀行
あるいは,
  神戸銀行+太陽銀行
   ⇒ 太陽神戸銀行
そして
  三井銀行+太陽神戸銀行
   ⇒ 太陽神戸三井銀行
   ⇒ さくら銀行
とかいうのを省略しているわけで……。

 我が家には,学生時代に住んでいた池袋の第一勧銀の通帳とか,以前会社のビルの近所にあった富士銀行高輪支店(もうない)の通帳とかがあって,始末に困ります。
(とっくに扱いが停止しているのかもしれないし,そもそも残金もカードでおろせない数十円,数百円しかないに違いないのだけれど,廃棄するとお金の神様のバチが当たりそう)

 以前は,銀行が統合したり,支店が統廃合されると,その都度連絡がきて,通帳やカードをリメークしなくてはならなかったように記憶しているのですが,最近は「銀行なんてそのうち名前も場所も変わるもの」という意識が当たり前になったのか,そもそも全顧客に連絡していたら金がかかってしかたないせいなのか,ほったらかしですね(普通預金しかしてないから連絡こないのかな? まぁこの利率では定期にするメリットも感じませんが)。
 手間はかからなくていいのだけれど,そうなったらそうなったで,たとえば三和銀行のカードをなくした! というとき,どこに電話すればよいか,とっさに出てこないのがやっかい。戦前とかは別として,1970年ぐらいから後の統合,再編について,一望にできる図があるといいですね。

 それにしても,安全のために預金先を振り分けても,振り分け先が勝手に統合しちゃうのはかないませんね。もっとも,メガバンクが倒れたとき,銀行側が名寄せするのも大変そうです。

 ふと思ったこと。
 現役の銀行員で,当人が入退職したわけでもないのに勤務先の行名が最も変わった人って,どの銀行の,誰なんでしょう? 太陽 ⇒ 太陽神戸 ⇒ 太陽神戸三井 ⇒ さくら ⇒ 三井住友,これで5銀行。もっと変わった(なおかつリストラされずに頑張ってる)人っているんでしょうかね?


【おまけ】

 松任谷由実が,全盛期のインタビューで

 「あたしが売れなくなるのは,都市銀行がつぶれるような時代になるってこと」

というなかなかゴージャスな発言をしたそうで,これが実は予言として的中していたというのはなかなか考えさせられます。


【おまけ その2】

 そういえば,カラスは「UFJ」が何の略だか,結局知らないまま終わりそうです。いや,別に,教えてほしいということではありません。その程度のお付き合いなんだな,と思っただけ……。

先頭 表紙

メガバンク1つになってしまったら、日本中の駅前はすかすかになってしまいそうですね。そのメガバンクの銀行担当者一人が融資してくれないと即倒産,という構図もちょっと怖い。 / 烏丸 ( 2004-08-02 22:38 )
おまけが興味深い話ですね。ほんとにいっそひとつに?なんて冗談でも言いたくなりますね。 / フィー子 ( 2004-07-31 23:02 )
あややん,見ましたよ。わはは。それにしても,興銀の本店って,ADSLモデムみたいですね。 / 烏丸 ( 2004-07-20 22:47 )
おお,Hikaru様,まったくたまたまですが,カラスも「太陽神戸銀行」の並びの居酒屋○○であるはずが,そこが「さくら銀行」になってしまっていたために開始時間の集まりが非常に悪かった,という宴会の記憶があります。 / 烏丸 ( 2004-07-20 22:47 )
ああ、この文章を読んで、ぜひ読んでいただきたいものが・・・。http://www.s-shibuya.com/essays/planofbanks.html 烏丸さんなら一緒にわははと笑っていただけそうです。 / あやや ( 2004-07-20 14:26 )
Σ(‥;) う。なんか下の文章変! / Hikaru ( 2004-07-18 00:41 )
かつて友達と太陽神戸銀行の前で友人と待ち合わせた母は、場所が見つからずオロオロしましたが、無事さくら銀行の前で出会えたそうです。まだ携帯も普及していないころの笑い話ですが。(‥ ) / Hikaru ( 2004-07-18 00:41 )

2004-07-13 (大袈裟だけど)我が人生の一冊 『イシミツ』 白土三平 / 小学館文庫


【イシミツならおまえたちに毎日のませていたではないか!!】

 木ヘンに「色」,身ヘンに「黒」の異体字,人ベンにやはり「黒」の異体字,サンズイに「黄」。これで「イ」「シ」「ミ」「ツ」と読む。

 忍者文字は七種のヘンに七種のツクリを組み合わせ,それをいろは文字にあてはめて一種の暗号をなしたものだそうである。ただし,実際に忍者文字というものが存在したのか,白土三平の創作なのかはわからない。

 今では笑い話にもならないが,大学生がマンガを読む,それだけで事件になった時代があった。1960年代後半だったろうか。その少し後には,サラリーマンが電車の中でマンガを読む写真が新聞紙面をにぎわしたこともある。

 一点明らかなのは,少なくとも当時,マンガはしょせん子供だましの低劣なものであり,成人,文化人が読むに足るものではないという考えがあったことだ。当時の,とくに劇画的表現に対する社会的反感はさらに苛烈で,新聞紙面などでごく当然のように非人間的,暴力的,野卑,俗悪と罵られたものである。

 『イシミツ』はそれらの報道よりさらに以前の昭和38年(1963年),少年サンデー誌上に掲載された作品である。
 物語は「イシミツ」と呼ばれる不老長寿の霊薬をめぐって展開する。
 平安,鎌倉,戦国,そして江戸中期,それぞれの時代の忍者たちが,あるときは奪い合い,あるときは共闘して「イシミツ」の謎を追う。

 史実,実在の人物に虚構をちりばめ,忍者同士の壮絶な戦闘と忍法についての薀蓄,さらに各時代における農民たちと支配層の対立を巧みに織り込んで間然するところもない。これで150ページに満たないとは,何度読み返しても信じがたい。

 添付画像は昭和52年2月20日発行の小学館文庫版。
 幸い,『イシミツ』は現在も小学館文庫などで入手できるようなので,機会があったらぜひともご覧いただきたい。
 昭和38年に,マンガはすでにここまできていたのだ。

 白土三平は『カムイ伝』『忍者武芸帳−影丸伝』『サスケ』といった長編は別格として,この『イシミツ』のように1つの謎,忍法等をとことん追求するタイプの中編,連作がいい。たとえば,傷一つなしに人を呪い殺す「丑三の術」をめぐる『真田剣流』。

先頭 表紙

2004-07-06 どこに向かう技量 『退屈姫君伝』 米村圭伍 / 新潮文庫


【(すてきすてき。今日はなんとも波乱万丈だわ)】

 先日紹介した『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』においても

 読み手の予想を快く裏切って,意外な展開を続ける米村圭伍の手並みに,すでに「作家の自負」とでもいうべきものが揺るがずに立っているのを感じる。

と賞賛された作品である。
 しかし,そのあとの作品まで俯瞰して見ると,はたしてそうか,どうか。

 本書『退屈姫君伝』そのものはなかなか面白い。
 美貌ながら生来のいたずら好き,陸奥盤台藩五十万石の末娘,めだか姫が讃岐の小藩にお輿入れ。そんな彼女がある日退屈しのぎに屋敷を抜け出し,幕府隠密,くノ一,長屋の町人まで巻き込んで,藩の七不思議ならぬ六不思議の謎解き,あげくに陰謀めぐらす田沼意次と対決することに……。
 云々という筋書きを古いと読むか,今風と見るかはともかく,天真爛漫,物怖じしないのびやなか性格で,周囲の者たちは呆れはてつつやがて味方となってわいのわいの,というめだか姫,アニメ化の話がないのが不思議なほどである。

 六不思議の謎解きをはじめ,さまざまな事件,登場人物を交えながら,それでも作中の時間はゆっくり過ぎていく。展開が遅いわけではない。文体というより,作品内時間の経過の仕方が際だって「落語」的なのである。

 だが,本作が一種の連作であることを考えたとき,作者の手腕を手放しで讃えてよいものかどうか,若干の疑念がよぎる。

 デビュー作『風流冷飯伝』,本作『退屈姫君伝』,さらに続く3作めの『面影小町伝』(文庫化に際し『錦絵双花伝』より改題)の3作を見ると,一部の人物が複数の作品に登場しており,これらが連作であることは明らかだ。
 だが,作品のもつ手ごたえは,これが同じ作者によるものかと思われるほどに異なる。
 とくに,1作,2作めののんびり明るい風情を好もしく思った者にとって,3作め『面影小町伝』の凄惨な展開は衝撃だろう。また,それと知ったとき,1作めの『風流冷飯伝』も,決して万事にほのぼのした物語ではあり得なかったことに気がつくだろう。

 もちろん,一人の作家がユーモアとシリアスを書き分けることは珍しくない。しかし,三部作で,しかも登場人物や舞台が重なりながらこれだけタッチが異なるのも珍しい。
 これを,狐の書評のように「読み手の予想を快く裏切って」と評価すべきか,それとも作者のフォームが安定しないとみるべきか,そのあたりは難しいが,どうも後者を否定しきれない。
 極端にいえば,三部作を通して共通するのは,作者米村圭伍の「技量」だけなのである。

 この構造は,『後宮小説』のあと,小説を書くという行為そのものをテーマにしたような短編集『ピュタゴラスの旅』を提示した酒見賢一のあり方と一見似ているようで,実はまるで違う。
 酒見賢一は小説が「技量」によって成立していることを作品中でも明示し,いわば手の内をさらしたところでファンタジーを書いた。読み手は,その構造を理解したうえで,その構造も含めて酒見賢一を面白がることが可能である。
 しかし,米村圭伍の文体は,酒見賢一のようにあるにはあまりに口あたりがよすぎる。おそらく落語などの芸能への傾倒が良くも悪しくも米村圭伍の作品をとっつきやすくしているのだろう。そのため,読み手は,そこにある濁りに気がつきにくい。そして,その濁りをメインテーマにされたとき,一部の読み手は途方に暮れるに違いない。

 なんとなく遠回しな書き方をしてきたが,つまりはこういうことだ。
 『退屈姫君伝』は,近来まれにみる,読みやすく楽しい作品である。時代小説が苦手という方にも,凝ったミステリが好きという方にもお勧めしたい,非常によくできたソフトファンタジーである。
 だが,もし『退屈姫君伝』が貴方のお気に召した場合,別の意味で非常によくできた伝奇ファンタジー『面影小町伝』をお勧めすべきかどうか……それは実に悩ましい問題なのである。

先頭 表紙

2004-06-30 のびやかに吹くべしホラを 『後宮小説』 酒見賢一 / 新潮文庫


【なによ。ばつがわるいじゃないの】

 『鳥類学者のファンタジア』のもう一方の魅力は,小説たるものは本来突拍子もないホラ話であるべし,ということをがつんと思い出させてくれることにある。

 もちろん,ブンガクの使命はほかにもきっとある。多分,あるに違いない。だが,どうも「自分探しに懸命なワタシ」や「衝動的に破壊に走ってしまうワタシ」ばかりだと少々うんざりしてしまう。
 作者自身の惑いや心理衝動を散文にのせただけなら,それは「ワタシ小説」に過ぎない。純文学と分類される小説の側にも,他人を楽しませ,喜ばせ,救う,いうなれば「他小説」がもう少しあってもよいのではないか。もしくはもう少し評価されてもよいのではないか。どうも小乗小説が多いような気がしてならない。

 上記に思い至ったのは,『鳥類学者のファンタジア』に続いて酒見賢一『後宮小説』を読んだためでもある。

 『後宮小説』は第一回ファンタジーノベル大賞受賞作で──といわれても,ファンタジーノベル大賞というものをよく知らないのでうなずくしかないのだが──また,テレビアニメ『雲のように風のように』(1990年3月21日放映)の原作としても知られる作品である。
 このTVアニメ作品をうっかり(?)見てしまったため,これまで原作を読む意欲を失していた。だが,15年近く経って,ふと,アニメのほうはヒロイン銀河を演じた佐野量子のちょっとはかない(というか頼りない)声を除き,ほとんどなんにも記憶にないことに気がついて,今さらながら原作を読んでみようと思い立った。

 さて,その原作だが……なかなか,よかった。

 『後宮小説』は,田舎娘の銀河が,腹上死した先帝の後を継いで素乾国の皇帝となった槐宗の後宮に入り,物怖じしない天真爛漫な言動に周囲を巻き込み,あげくに後宮軍隊を組織して反乱軍に立ち向かう,というお話である。

 まぁ,詳細を覚えてもいないアニメと比較してもしようがないが,『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』の近藤勝也によるアニメのキャラクターの銀河はおよそ美人には見えないが,原作では性格はともかく王都で流行している衣装を着せ,公女のように髪を結えば「宦官の身でさえはっとするほどの姫君」とされている。要するに,原作では銀河は美麗であること一流なのである。
 また,原作の文体には,アニメでは表現されなかった,架空の「素乾国」の歴史などをまるごとデッチアゲた「かろみ」が漂っている。架空の王朝の後宮について,架空のしきたり,架空の学問をしゃらりと描き上げる。「素乾」というネーミングからして,素晴らしいではないか。
 本書は,「素乾書」「乾史」「素乾通鑑」という(当然ながら架空の)文献をもとに書かれたことになっており、随所にそれが示される。曰く,

『強ヒテ望ム,ソノ答ヲ出ダサレンコトヲ。判然トセザルハ心気安セザルナリ』
 と銀河が叫んだことになっている。
「ちゃんとした答えを教えてもらわないと,夜も気になって眠れなくなるじゃないの」
 師に対するには不躾すぎる物言いであろう。さらに,『卑怯ナリ』と言ったともいわれるが,どうだろうか。


 ここで,筆者も馬鹿かと思わないこともない。この小説のもとだねとなっている歴史書のひとつ「素乾書」を編纂した無名の史官に対してである。正史とは国家の歴史の正式な記録である。にも拘らず,このような痴戯の類まで馬鹿正直に記載しているのである。そんな史官の執筆態度に筆者も好意を覚えざるを得ない。

 などなど。
 タワケているといえばこの上なくタワケた書きっぷりだが,これが本書の魅力と「かろみ」の真髄である。

 また,テレビ用のアニメではほとんど触れられなかったが,原作では素乾国後宮における一種の性愛哲学に大きな比重がおかれている。それを語るに作者は角先生という人物を用意して,作者直接でなく角先生に語らせ,処女の銀河に問答させることで,そのあたりの生臭さを巧みにすり抜け,バートン版『カーマ・スートラ』同様本来のそのことの尾籠さをうまく隠蔽している。
 ただ,なにぶん全編にこの話題の占めるボリュームが大きく,本書を子供に勧めるとなるとやや躊躇するものがあるだろう。

 最後に,『後宮小説』は本来子供っぽくてのびやかな銀河の魅力(年ごろになったハイジを想像すればよい?)によるものだが,それ以上に魅力的なのは,素乾国を滅ぼした幻影達の背後にいた,渾沌なる人物である。
 この気まぐれ,かつ妙に文化人たる混沌,アニメでは気のいいおじさん程度にしか描かれなかったが,原作では一種の「怪物」である。おそらく,混沌という人物の側から素乾史を描いたなら,本書はおよそ手触りの違う暗黒小説となったかもしれない。本書が,いかにもジブリアニメの原作のようでありながら,中に一種の鉛の錘を置いたような按配なのはこの渾沌という人物のせいであろう。

 さて,小説はホラ話,ということでは,もう一人取り上げたい作家がいる。
 次回はその作家の作品を。

先頭 表紙

アレックス・タイムトラベルですね。あのシリーズは泣けます。青いバラといえば,『Z −ツェット−』の第一話もそうでしたね。 / 烏丸 ( 2004-07-04 01:44 )
アニメを観た後すぐに原作読んだクチですが、なんだー原作の方がおもしろいなぁと思った私はアレですか。(^ ^;)青いバラって清原なつのさんのマンガ思い出しますね。 / けろりん ( 2004-07-01 12:58 )
おお。青いバラだ。発売は数年後だって。 / レインボウズ ( 2004-06-30 20:34 )

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