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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-05-14 沈みゆく悲しみ 『深海蒐集人(1)(2)』 かまたきみこ / 朝日ソノラマ
2004-05-06 最近《ちょっと》がっかりしたコミックス 『栞と紙魚子 何かが街にやって来る』 諸星大二郎 / 朝日ソノラマ(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)
2004-04-26 最近《ちょっと》がっかりしたコミックス 『珍犬デュカスのミステリー(2)』 坂田靖子 / 双葉社(ジュールコミックス)
2004-04-20 『真相はこれだ! 「昭和」8大事件を撃つ』 祝 康成 / 新潮文庫
2004-04-12 ザリガニの老いと死
2004-04-08 サン=テグジュペリの機体確認される
2004-03-30 最近読んだ本 『空のむこう』『恋は肉色』『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』『菜摘ひかるの私はカメになりたい』『えっち主義』
2004-03-22 最近読んだ本 『頭文字D(28)』『モーツァルトの子守歌』ほか
2004-03-15 最近読んだ本 『のだめカンタービレ(8)』『白夜行』『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』
2004-03-08 こちらのほう,オトナマターということでいかがでしょうか? 『オトナ語の謎。』 監修 糸井重里 / ほぼ日ブックス


2004-05-14 沈みゆく悲しみ 『深海蒐集人(1)(2)』 かまたきみこ / 朝日ソノラマ


【アラン・ボームのカレイドスコープ…】

 3年ばかり前に紹介した『クレメンテ商会』は,コピー機やFAX機と会話をかわせる主人公を描いた,素敵にエキセントリックで,不思議にノスタルジックな作品。

 その私評の中で

> 描かれたコマには,ベランダやバルコニー,橋の欄干など,高さを表す構造物
> があふれている。OA機器の世界は古代ギリシア風の柱が立ち並び,登場人物は
> 階段を走り,コピー機は階上のフロアから蹴り落とされる。そして多くの場合,
> 登場人物はその高いところに「登る」のではなく「降りる」姿として描かれる。

と書いた自分を,今はちょっとだけほめてやりたい。新シリーズ『深海蒐集人』は,地球の温暖化が進み,人類の築いた文化のほとんどが海中に沈んだ時代の女性天才ダイバーが主人公である。もう,「降りる」,いや「潜る」シーン満載。

 地球温暖化で都市が水に沈むという発想は,SF作品では枚挙にいとまがない(J.G.バラード『沈んだ世界』,椎名誠『水域』,ケヴィン・コスナー主演の映画『ウォーターワールド』など)。
 その際,人類が限られた土地を植物と動物のために割り当て,一部の限られた人々だけが陸での生活を送り,残る人々が肺や筋肉を海に適合させて海上で生活する,という設定もそう無理ではないだろう。
 驚くのはその先だ。本来なら海水に侵食されるはずの金属や木質に,水と調和する処理を施したため,街は水に沈んだままの形で生き残り,主人公は海の人々の中でも傑出したプロのダイバーであり,「図書館」の依頼に応じて海底に潜り,カードキーで目的の家に入り込み,古い絵や本,貴重品を取ってくる……。

 『深海蒐集人』は,遺跡のように静謐で神々しい海底の街と,騒音に満ちた船の上,陸の上とを行きつ戻りつして展開する。ある短編は財産や欲望にまみれたサスペンスであり,ある作品は古代都市の郷愁を招く歴史ドラマだ。

 ……私評なんて無力なものだと思う。
 『クレメンテ商会』の際もそうだったが,このような設定,あらすじをいくら書きつらねたところで,かまたきみこの作品の奇妙さ,ひたひたと満ちるような哀感はおよそかけらほどにも伝えられそうにない。

 かまたきみこは明らかに萩尾望都らいわゆる24年組の作家たちの影響下にある。が,そのわりにタッチにはあまり気を遣わないほうなのか,多くのコマはかならずしも美麗とは言い難い。また,しみじみと泣ける話なのにばたばたと笑えない三枚目が見開きを走り回ったり,主人公のミミにしても読書好きな地味な性格なのか,がちゃがちゃした元気一辺倒の性格なのか統一がとれていない。全編,驚くほど美しいコマと,一種乱雑なコマとが入り乱れる。

 だが,なにはともあれ。
 彼女が水音も立てずに水面に飛び込み,まっすぐな体で潜り,静かに扉を開けるとき,水底,かつてそこで暮らした人々の悲しみが封じ込められた世界は彼女を黙って受け入れ,彼女が絵や本を手にすると,そこには豊かな物語が水に揺れながらつむがれる。奇想というタペストリいっぱいに,ゆっくりと,音楽のように。

先頭 表紙

2004-05-06 最近《ちょっと》がっかりしたコミックス 『栞と紙魚子 何かが街にやって来る』 諸星大二郎 / 朝日ソノラマ(眠れぬ夜の奇妙な話コミックス)


【そう… 困ったわねえ ああいう用で来られる方は たいてい何か忘れて行くから…】

 一昔,いや二昔ばかり前までの文芸同人誌の合評会では,「直接的」というしごく便利な論評用語がまかり通っていた,らしい。
 「この事件の描写は直接的でいただけないね」
 「このエンディングでは主人公の感情があまりに直接的すぎる」
といった具合に用いて,要は「あまりよろしくない」というのを言い換えているだけ。しかし,文芸同人誌の数十枚の小説に読み手の誰をも瞠目させる描写など簡単になされているわけもなく──そんなことできるくらいなら,そんなとこで書いてたりしません──結局若い作者は自分ではロクに書きもせずただ人の作品を酷評してばかりの先輩同人に「はぁ」とうなずいてみせるしかなかったりするのであった,らしい。
 ただし,ではその「直接的」という品評論評に実がないのかといえばいちがいにそうとも言い切れず,確かに若書きの作品などに生硬というかぎこちないというか,やはり「直接的」としか言いようのない表現はあったように記憶している,そうだ。

 閑話休題。
 『栞と紙魚子』シリーズ,待望の新刊である。

 確かひとたびは掲載誌「ネムキ」に次号で最終回,との予告があったはずだが,作者が気を変えたのか編集が拝み倒したのか,とりあえず連載が終わることはなかったようだ。ファンとしては有り難いことなのだが,いかんせん新刊『栞と紙魚子 何かが街にやって来る』は何やらバタバタした印象が強く,いただけなかった。
 前作『栞と紙魚子と 夜の魚』が切ないほどによい出来だっただけに,少しの瑕でも目につくのかもしれないが……。

 本シリーズの魅力の一つとして,舞台となる胃の頭町のごくありきたりな町並みが,ぐにゃりと異界と通じてしまい,平凡と不可思議が混ざり合ってしまうことがある。
 ここで特筆すべきは,主人公たちが怪奇やモノノケが生息する異界に入り込むのではなく,生活の中に異界が点在するように現れることだ。濃い霧の向こうが異界だった,のではなく,すれ違う人の数人に一人が妙,棚の食器の数枚が自分で歩く,といったような按配。しかも,摩訶不思議な顛末に登場した妙な人物やモノノケは,そのあと,平然と胃の頭公園などに棲息するようになってしまうのである。
 この,平凡と異界,悲惨と太平楽との乱雑でソリッドな混ざりようが,体感的になんともいえない。

 ところが,今回の新刊に収録されたいくつかの作品では,従来の作品に比べ,どこか事件の展開や登場人物の言動が「直接的」なのである。

 たとえば栞が飼っている猫のボリスは一種の化け猫なのだが,今回のある作品ではほとんど主人公のように振る舞い,ドタバタコメディを演じている。化け猫としてのボリスの魅力は,もしかしたら喋るのかもしれない,喋らないかもしれない,もしかしたらモノのわかった,いやそんなはずは……といった曖昧かついい加減な猫もしくは化け猫としてのあり方にあったはずだ。それなのに,本作ではまったくのところストレートな化け猫すぎるのである(もちろん,佐賀の化け猫とはずいぶん佇まいの異なるお化け猫ではあるが)。
 また,いかにもなホラー作品「魔術」も,このシリーズでは珍しく登場人物が本当に殺されてしまうなど,悪意に満ちた魔空間がストレートに描かれている。およそ胃の頭町の事件らしくないし,そもそもこの作者の作品としても違和感が強い。
 わずかに「ゼノ奥さんのお茶」「井戸の中歌詠む魚」の二編は従来の茫洋たる作風を示してはいるが,ゼノ奥さんの庭を描いた作品なら以前のほうが格段に優れていたし,「井戸の中」もどこかピントが合っていない。また,二編とも栞や紙魚子がただの傍観者に過ぎないのがもの足りない。

 「直接的」ということでもう一つ例をあげるなら,本シリーズの名キャラクター,段先生の奥さんは,従来はドアや襖越しに手や顔の一部しか描かれないというまことに魅力的な存在だったものが,本作では再三通常の人間と同じフォルムで登場する。これがつまらなくなくて,なんだろう。

 ……連載を終了すべきとはいわないまでも,いったん休憩して,不定期掲載にしたほうが作品のためにはよかったのではないか。作者こそはゼノ奥さんのお茶を飲んで,何かを忘れてきたほうがよいのかもしれない。

先頭 表紙

「のだめカンタービレ」「バジリスク〜甲賀忍法帖〜」が,講談社漫画賞受賞だそうです。まぁ,両作品ともとくに不思議ではありませんが……。 / 烏丸@でもおめでとうございます ( 2004-05-13 18:28 )

2004-04-26 最近《ちょっと》がっかりしたコミックス 『珍犬デュカスのミステリー(2)』 坂田靖子 / 双葉社(ジュールコミックス)


【玉緒さん 新しく買う税金管理ソフト 何がいいかなあ】

 お気に入りの作家の作品が発売されると知ったとき,その1ヶ月に加えて前後5営業日はバラ色の光に包まれる。だが,万一その作品がハズレだったとき,世界は前後3ヶ月にわたってしっけた闇に覆われるのだ。

 さて,そんなお気に入りの作家の一人,坂田靖子の作品には決してハズレなどない……わけでもない。
 こちらの気分にもよるのだろうが,けっこう出来不出来があるのである。

 たとえば,初期の名作『闇夜の本』シリーズにしても,2巻,3巻は第1巻に遠く及ばない。また,JUNEコミックスの短編集何冊かは,発表の場がカラスの趣味の外だということを差し引いても一編一編が妙に短く食い足りない。いや,あの手の素材で長々こってりされても持て余すかもしれないのだが。

 さて,『珍犬デュカスのミステリー』だ。
 このシリーズは,坂田靖子作品としては,駄作とまでは言わないもののどうも今ひとつ満足できずにいる。その理由は割合明快だ。
 先ほど例に出した『闇夜の本』には「浸透圧」という,それはもうエビぞって後頭部がカカトについてしまいそうな大傑作が収録されている。この「浸透圧」の素晴らしさの根底には,2人の登場人物が見事に役割を演じ分けているということがある。漫才におけるボケとツッコミに類する分担だ。

 つまり,こういうことである。
 坂田靖子の作品の多くでは,「浸透圧」に限らず,まず超常的な事件,事態が(なんの説明もなしに)発生する。そして,登場人物の一人がなんとも呑気かつすっとこどっこいな性格で,その超常的な事態をまったく気にもかけず,さらにはてしなく周囲を振り回していく。かたや一方に,これがまた常識人といえば聞こえがよいが要は目の前の異常事態にまるでついていけない生真面目一本やりの登場人物がおり,こちらは事態の異常さにパニックを起こし,すっとこどっこいな人物の言動に呆れ,怒り,必死で事態を常識の範疇におさめようとする。もちろん,彼(彼女)の絶叫(なぜだーっ)や努力はむなしく,世界は底なしにはちゃめちゃに転がっていくばかり……。

 適当に例をあげるなら,『マ−ガレットとご主人の底抜け珍道中』や『闇月王』,『ダンジョンズ&ドラゴンズ』などはいずれもこのタイプに属する。これらに似ていながら『水の森綺譚』シリーズが今ひとつ破壊力に欠けるのは,この作品の舞台がそもそもファンタジーの世界であり,登場人物の2人が世界のありさまそのものにはとくに疑問を抱いていないためなのである(この2人は役割分担も不明確で,いくつかの物語において役柄を交換してもなんら問題がない)。

 では,『珍犬デュカス』はどうか。

 異常なのは言葉を喋る犬なのか,ふりかかる事件なのか。
 常識的なのは主人公のOL冴子なのか,彼女が勤める設計事務所の社長龍一なのか,龍一の元妻の玉緒なのか,それともデュカスなのか。

 これら役割分担が明らかでないうえに,よく読むと,デュカスや主人公たちは,多くの事件において当事者ではなく,ただの傍観者であることがわかる。
 これでは「まきこまれ」の名手たる坂田靖子らしさがスパークするはずがないではないか。

先頭 表紙

6月とはあーた,けっこうきんきんじゃぁございませんか。遠藤淑子は文庫での再発も始まっていますし,しばらく続いた店頭での「枯渇」状態からは脱したもようですね。やでうれしや。 / 烏丸@らびあんろ〜ず ( 2004-04-28 01:31 )
そんな烏丸さんに朗報!もう今年は出ないんじゃないかと思っていた遠藤淑子さんの新刊がまた6月に出ます。しかもノーチェックの作品だったので、個人的にもすごく楽しみです。 / けろりん ( 2004-04-27 03:06 )

2004-04-20 『真相はこれだ! 「昭和」8大事件を撃つ』 祝 康成 / 新潮文庫


【え,ダメだって? アリバイがあった? カレーライスを食ったって?】

 実際,“この手”の本にはロクなものがない。

 タイトルこそ大仰だが,いたずらにスキャンダラスな素材ばかりかり集め,そのくせすでに新聞や雑誌でさんざん書きふるされた,それも根拠はっきりしない事例をただ声高にあげつらえ……。

 と,こき下ろすだけこき下ろしておいて持ち上げるのも何だが,本書『真相はこれだ! 「昭和」8大事件を撃つ』はなかなか,いや非常に面白かった。コウモリ風見鶏,ばさりと前言撤回。

 本書にて取り上げられた事件は,以下の8つ。

   美智子皇后「失声症」の真相
   府中「3億円事件」で誤認逮捕された男の悲劇
   丸山ワクチンはなぜ「認可」されなかったのか
   美空ひばりが「紅白」から消えた日
   発案者不明?! 「成田空港」最大のミステリー
   疑惑の「和田心臓移植」33年後の新証言
   潜水艦「なだしお」東京湾衝突事件で隠されていた「無謀運転」
   世紀の対決「猪木・アリ戦」の裏ルール

 それぞれが読み物として面白いし,それ以上に筆者の丁寧な取材,インタビューによって浮き彫りにされた事実が恐ろしい。

 たとえば,あれほど大きな,もはや内乱と言うべき大きな戦闘と混乱をもたらした「成田空港」を三里塚に持ち込んだ(決定した)人物が,今もって明白ではない,という空虚な事実。
 あるいは,あれほどもてはやされた国内最初の心臓移植の,暗い真相。本書に記されたことが事実であるなら,それは紛れもない二重の殺人事件だったことになる。名誉,権力にしがみつく医学界のお歴々に,底知れぬ腐臭を感じざるを得ない。
 もしくは,世紀の対決が世紀の大凡戦と化した「猪木・アリ戦」の裏で繰り広げられた激しくも情けない闘い……。

 それ以外も,いずれも短いながら力作ばかりだ。

(個人的には,和田心臓移植についての項を読むためだけに本書を購入しても決して惜しくはないと思う。)

 もちろん,筆者の記述がすべて正しく,沈黙を守る側がすべて悪であった,などと妄信するつもりもない。本書に取り上げられた事件の当事者の一人と,ほんのちょっとした縁で会話を交わしたことがあるが,そこにいたった経緯は本書が暴いた「真実」とはまったく逆の事実を想像させるものだった。
 本当に本当,のことなど,当事者含めて誰にもわからないものなのかもしれない。

 ただ一つ言えることは,本書の独特な手応えの背景には,「昭和」という時代のモノトーンな色合いが静かに裏打ちされていることだ。昭和という時代の澱が,水閼伽のように沈殿した,そんな灰色の事件とその真相。

 それにしても,3億円事件や猪木・アリ戦が歴史上の事件として扱われるのか……思わず「昭和は遠くなりにけり」と凡庸なため息が風見鶏の口をついて出ようというものである。

先頭 表紙

2004-04-12 ザリガニの老いと死


 我が家の玄関で2年9ヶ月にわたって生きていたザリガニが,死んだ。

 最後の数ヶ月は,爪や肢の先に色素がたまり,一日中こわばったように水面に半身を浮かせて過ごしていた。エサを投げ入れても反応せず,死んでいるのではないかと子供たちが水槽をゆすると,しばらくしてようやくぎくしゃくと水に潜む。
 こと「老い」という点では人間のそれとひどく似通ったところがあり,やがて訪れるであろう別れに胸が痛んだ。

 最期の日,朝,ふと気がつくと仰向けになって肢を天井に向けて動かない。死んでしまったのかと指で腹をつつくと,ゆるゆると肢を動かした。どうやら引っくり返ったまま起き上がることができなくなっていたらしい。急いで起こしてやると目が覚めたかのように予想外に俊敏にあとずさる。少し安心して出かけたが,夜になって見るとまた腹を見せて肢をばたつかせていた。もう一度起こしてやって,それからほんの1時間後に見にいったときには静かに死んでいた。

 日なが水面に浮いて動かないザリガニが,死んだときにはたしてわかるのだろうか。そう思っていたのだが,意外なほどそれはすぐにはっきり見て取れるのだった。肢や爪が妙にこわばっていて,一見水底に立っているようで,実はただ沈んでいるだけなのだ。肢が小石をつかんでないから,水槽をそっと揺すると,ふわふわ漂ってしまう。
 しばらく時間をおいて,それからもう一度見てみたのだが,やはり動かない。何度見ても,同じ姿勢で動かないのだった。

 ザリガニは犬や猫と違って,とくに人間とコミュニケーションがあるわけではない。エサをやってもなつくわけでもないし,せいぜい汚れた水を替えるときに怒って爪を向ける程度だ。
 だが,迷い言をいうなら,この3年近くにわたって,彼(彼女?)は我が家の玄関で,その小さな爪をもって,子供たちを守り続けてきてくれたような気がしてならない。その間,子供たちは大きな怪我や病気もなく,穏やかに,伸びやかに育った。
 黙って家を守り,爪や肢にぎしぎしと鉛のような濁りをためこみ,最後に力尽きて死んでしまった彼(もしくは彼女)。

 死の瞬間は,仰向けになって肢や爪を伸ばした無様な姿ではなく,しっかり爪を顔の前においたファイティングポーズだった。

 ありがとう。

先頭 表紙

うちでも先日、1年以上に渡って飼っていたハムスターが亡くなりました。動物病院に半年通ったのちの出来事でした。私は春が嫌いです。 / Hikaru ( 2004-04-18 02:23 )
あー,横山光輝も亡くなってしまったなぁぁぁ。書評的な意識の対象としてでなく,子供心の対象として,ファンでした。とくに『伊賀の影丸』が今でも大好き。ご冥福をお祈りいたします。 / 烏丸 ( 2004-04-16 01:21 )
「お悔やみ」といえば,作家の鷺沢萠さんが亡くなられたそうですね。35歳とはまだ本当に若い……。一時期,エッセイなど読んでいたのですが。 / 烏丸 ( 2004-04-15 02:15 )
言葉がみつからないけれど、穏やかな文章に引き込まれてしまったので、拝読の証として。不謹慎かもしれないけど、「お悔やみの気持ち」というより、静かな静かな気持ちでいっぱい。うまく表現できないのですが・・ / あやや ( 2004-04-12 12:33 )
こちらは,若くて元気なころの彼(彼女)。ちなみに,次男がとってきたザリガニは1年9ヶ月経ったいまも元気で,どうやら我が家はザリガニにとってそう悪くない環境のようではあります。 / 烏丸 ( 2004-04-12 02:22 )

2004-04-08 サン=テグジュペリの機体確認される


 『星の王子さま』の作者,サン=テグジュペリの操縦した戦闘機の一部が,フランス南部マルセイユ沖で発見されたそうである。
(正確には墜落時の目撃者によっておおよその場所は知られていたのだが,その情報をもとに昨年引き揚げられた機体が,機体の製造番号から彼の乗っていた戦闘機だと確認されたらしい。)

 新潮文庫の堀口大學訳『夜間飛行』,『人間の土地』,『戦う操縦士』は,僕の知る限りでもっとも古めかしくも美しい散文翻訳の1つだ。体の中を小さな砂の粒が縦に横に通り過ぎてゆくような,そのたびに体が冷たい水のように透き通っていくような,そのような言葉のベクトル。過剰な比喩がもたらす,己がまだ得たことのないもの,決してたどり着くことのない地平への郷愁。

 サン=テグジュペリがロッキード社の戦闘機P38ライトニングで消息を絶ったのが大戦末期の1944年,つまりほんの60年前だと思うと驚く。その清冽な精神のあり方がこの「現代」のほんの手前に記されたことに驚く。

 新潮文庫の表紙は数年前に著名なアニメーターのイラストに差し替えられた。
 言うまでもなく,一人の夜に手に取るならそれ以前のものにしたい。宮崎駿の作品は嫌いではないが,あの砂漠の処女地に点点と落ちている涙の形をした黒い隕石を描いた『人間の土地』の表紙を飾るには夾雑に過ぎる。


    林檎の木の下にひろげられた卓布の上には,林檎だけしか落ちてこない。
    星の下にひろげられた卓布の上には,星の粉しか落ちてこないわけだ、……
                             (『人間の土地』 堀口大學訳)

先頭 表紙

2004-03-30 最近読んだ本 『空のむこう』『恋は肉色』『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』『菜摘ひかるの私はカメになりたい』『えっち主義』


『空のむこう』 遠藤淑子 / 白泉社(ジェッツコミックス)

 遠藤淑子の作品をヒトカラゲに「ハートウォーミング」とレッテル貼ってすますのはそろそろ止めにしてほしい……と常々思っていたら,久々発行の本短編集では担当者が変わったものか帯やカバーにその言葉は見当たらなかった。善哉。

 「ハートウォーミング」という評価にどうして苛立つかといえば,それを説明するにはエネルギー保存の法則を持ち出さねばならない。

 遠藤淑子の作品が読み手のハートを温める,これが事実であるとき,読み手のハートにもとから用意されていたなにがしかが燃焼するか,あるいはハートの外部から熱量が持ち込まれるのでなくてはならない。
 しかし,読み返すまでもなく,遠藤淑子の作品は,ばたばたしたギャグがちりばめられたものも,しんみりシリアスなものも,いずれもハッピーエンドとは言いがたい。比較的最近の長編,『ヘブン』『狼には気をつけて』『マダムとミスター』などを見ても明らかなように,そもそもがハートウォームといえるような設定ではないのだ。ギャグと穏やかな各エピソードの最終ページに騙されてはいけない。登場人物たちが息づく世界は,寂しくも枯れ果てた,救いのない砂漠なのだ。
 つまり,読み手のハートが温まるのは,彼ら登場人物の残りとぼしいぬくもりを搾取しているからに過ぎない。

 同じ雑誌で活躍したこと,絵柄が決して巧みとは言いがたいこと,シリアスなストーリーにこれでもかとギャグを盛り込むこと,など,類似点の多い遠藤淑子と川原泉が意外なほど並列して語られないのは,このあたりの構造の違いによる。
 遠藤淑子がエネルギー保存の法則にのっとって読み手に熱をもたらすのに対して,川原泉はいうなれば共振,共鳴の理論で読み手を揺さぶる。遠藤淑子の登場人物が諦念に満ちているのに対し,川原泉の登場人物は愚痴っぽいが優しい。彼らのちょっとした台詞やしぐさに心を温められるなら,それはあなたのハートの何かが彼らによって共振,共鳴を起こしているためなのである。

『恋は肉色』『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』 光文社 知恵の森文庫
『菜摘ひかるの私はカメになりたい』『えっち主義』 角川文庫


 菜摘ひかるのエッセイ集を束ねて読んだ。

 とくに思うところがあったわけではない。
 ずっと以前,インターネットのオークションで,誰かが彼女を(もちろん当人に無断で)売りに出した。その事件の記憶が少しばかり引っかかっていたためかもしれない。

 4冊続けてまとめ読みしたせいなのか,また,どこまでが意図的なのかよくわからないが,4冊の隅から隅まで,著者は自分のことしか書こうとしていない……そのことには何か圧倒された。

 風俗嬢という,徹底的に対人的な職業についていながら,その間,彼女はずっと自分のことしか考えていない。単に「我欲」というのとは違う。まったく違う。また,「自分は,自分は,」と表層的な自己主張が強いわけでもない。

 たとえば服装や化粧について語るとき,人は誰しも「他人にどう見られるか」を気にする。菜摘ひかるの場合,必ずそこに「自分としては」が付け加えられる。彼女の言動,職業選択,対人関係,そこにすべて「菜摘ひかる」というフィルターが被さった感じだ。1つ1つは別に特殊なことではない。だが,「必ず」「すべて」となると,さすがに圧迫感が強い。
 たとえば男女が恋愛関係にあるとき,そこには女と男がいるはずだが,本書では「菜摘ひかる」しかいないようにしか読めない。彼女はなぜ「自分が」その相手と付き合うつもりになったかを語り,「自分が」どうなると「自分が」付き合いを続けられないかを語る。相手の男は菜摘ひかるを通してしか存在しないし,菜摘ひかるが目をそらした瞬間,この世からいなくなってしまう。
 4冊の文庫本のうち2冊の作品名に著者名が乗っかっているのも,偶然ではないような気がする。

 菜摘ひかるはソープで働いたときのことを語る際に,半可通の客をあしらい,うぶで感じやすい若い女を演じてみせ,それをプロの矜持として誇る。とても正しいと思う。彼女に限らず,プロはそうなのかもしれない。そうなのだろうと思う。
 では,これらの書物において,彼女と読み手の関係はどうなのだろう。読み手はどこまで彼女を信じてよいのか。信じるべきではないのか。
 文庫の解説やWebに散見する感想の類では,女性の読者にはなんらかの共振,共鳴を発生しているように思われる。僕には残念ながら,共振,共鳴する糸がない。

 ただ,それならつまらなかったのか? と問われれば,それに対してはけっこう面白かった! と答えたい。
 女ではない自分,風俗営業にかかわったことのない自分,ましてや風俗嬢の経験のない自分(当たり前だ…)からみて,これらのエッセイ群は,実にソリッドなノンフィクションレポートであり,まるで異国文化に触れるような新鮮な読書体験を与えてくれる。
 たとえば,4冊の中では自伝仕立ての『風俗嬢菜摘ひかるの性的冒険』が抜群に面白い。都内某所のストリップ劇場での10日間を描いた「トキメキ☆衆人環視」など,汗の飛び散る肉体労働を歌い上げるという意味で近年まれな大ケッサクだと思う(多分,女性読者にウケるのは,こういった部分ではないのだろうが)。

 ただ,その読書体験を与えてくれる著者に対して好感を持てるかといえば,それはまた別だ。好感という言葉を持ち出すのがそもそも間違いかもしれない。「自分が」「自分は」と繰り返す小さなブラックホールを扱いかねる,そんな印象のほうが近い。わずらわしさのほうが先にたってしまうのだ。

 角川文庫の『えっち主義』には,エッセイに合わせて作者当人によるマンガが掲載されている。絵の巧い下手とは別に,菜摘ひかるにとって人間の顔がゴム製品のように見えているのではないかと思われるときがあり,少しばかり異様な気がする。

先頭 表紙

2004-03-22 最近読んだ本 『頭文字D(28)』『モーツァルトの子守歌』ほか


【場数と経験の量が 自信と技術を作る・・】

『頭文字D(28)』 しげの秀一 / 講談社(ヤングマガジンKC)

 読者諸君はかつて『頭文字D(27)』の私評において,筆者が「プロのドライバーにも勝ってしまったプロジェクトD,今後読み手が納得できる壁はあり得るのか」と疑問を呈したことをご記憶だろうか。

 ……と,ナレーション口調もちょっぴり『頭文字D』ふうだが,新刊では早速それに対する1つの回答が提示されている。拓海ではないが「そうくるか」と思わず納得の展開だ。
 ここで「オトナ」を出してくるとは,やるなぁ,しげの秀一。

 高橋啓介と恭子ちゃんのラブラブファイヤーもあえなく散って,ソリッドな公道バトル路線に戻り,結局のところ,無節操な闘いの拡大再生産にも陥らず,ラブアフェアも飾りの域を出ず,『頭文字D』はそのあたりのストイックさが魅力なのかと思ってみたりみなかったり。

『モーツァルトの子守歌』 鮎川哲也 / 創元推理文庫

 斯界の巨匠ならストイックかというと,当然ながらそんなことはない。
 創元推理文庫から最近立て続けに復刊された<三番館>シリーズ,主人公の探偵が持ち込む謎をバー<三番館>のバーテン氏が快刀乱麻に解いてみせるという典型的な安楽椅子探偵タイプの短編集だが,この名作にして,後半はダレダレにダレてさっぱりだった。

 後半というとどのあたりかというと,
  『太鼓叩きはなぜ笑う』
  『サムソンの犯罪』
  『ブロンズの使者』
  『材木座の殺人』
  『クイーンの色紙』
  『モーツァルトの子守歌』
と全6冊並べて,3冊めの『ブロンズの使者』あたりですでに少し緩んだ印象があり,4冊めの『材木座の殺人』ではすっかり弛緩しきっていた。

 何が違うのだろう。
 この<三番館>シリーズの各作品は,おおむね,まず肥った弁護士が探偵に調査を依頼,探偵が足と口を使って執拗な調査を行うがどうにも埒があかず,<三番館>のバーテン氏に相談したところ,意外な着眼点から事件の様相がまるで異なるものになる……という筋書きである。ところが,後の作品になればなるほど,この探偵の調査が適当だったりそもそも欠落していたりするのだ。つまり,あらゆる可能性が検討された後にバーテン氏の指摘があるからこそ,その推理の見事さに打たれるはずなのに,十分な検討,検証を経たうえでないなら,それは単なる可能性を1つ追加するだけなのである。
 実際,『クイーンの色紙』や『モーツァルトの子守歌』収録作品にいたっては,素人読者にも,ほかの解決案が指摘できそうなものがある。「本格」だの「安楽椅子」以前の問題だろう。

 ただ,作品そのものがつまらなくなる一方,一種の「見もの」として注目に値するのが,各巻の解説である。
 なにしろ,作者は本格の巨匠。東京創元社の抱える資産の中では一番の大物かもしれない。あだやおろそかに扱えない巨匠に対する苦し紛れの世辞追従。
 各巻の解説担当者が,テクニックの限りを尽くして作品をそして鮎川御大を持ち上げるさま(あヨイショ!),春の宵にブランデー片手に味わうだけでも十分豊かでインテレクチュアルな時間を過ごせるように思われるのだがさて如何。

先頭 表紙

2004-03-15 最近読んだ本 『のだめカンタービレ(8)』『白夜行』『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』


『のだめカンタービレ(8)』 二ノ宮知子 / 講談社 Kiss KC

 早くも8巻め。1巻が2002年1月発行,つまり2年で8巻。掲載誌が月2回刊であることを考えれば,少しびっくりしてよい刊行ペース。
 しかも,テンションは高まるばかり。

 帯の惹句には「こんなに笑えるクラシック音楽があったのか!?」とあるが,『のだめ』はもはや「笑い」の領域にはない。上質な『ルパン三世』作品においては,ちりばめられたギャグに笑う以前に完成度に見とれるしかなかったように,『のだめ』8巻では一瞬も笑うことができなかった。
 ここに描かれているのは,ただ,正しく音楽である。
 息が詰まるほど感動する以外に何ができるというのか。

『白夜行』 東野圭吾 / 集英社文庫

 少々動機が不純で,最近諸般の事情から長編小説から離れていたのだが,「いけない,このままでは長距離走に耐えられないカラダになってしまう!」なる焦燥感から,ながく本棚で寝ていた本書を手にとった。

 噂にたがわぬ傑作であった。
 もちろん,数行で感想を語り尽くせる作品ではない。

 新本格派と称する作家の多くが「パズル」を強調するのに対し,『白夜行』はそのまったく逆,動機や犯人の心のあり方に重心を置こうとする試みである。文庫にして800ページを越える膨大な記述の果てに,読み手は最後まで描かれなかったものの重みに圧倒される。

 この長編は,ある意味,許されない人々がいかに許されないか,を描いた作品である。能天気な翻訳をするなら「白夜行」とは「御天道様(おてんとさま)の下を歩けない」の言い換えである。そして,登場人物たちが自分たちの行く末を「白夜」の下に見据えるように,読み手も生半可な感情移入は許されない。
 だが,これほど苦い物語に,こうまで心洗われる気がするのはなぜだろう。

 なお,細かいことだが,1970年代前半に起きた最初の事件以来,『あしたのジョー』連載終了,山口百恵ブームなど,妙に世俗的な描写が頻出するのに違和感があった。これらが必要だった理由は最後に明らかになる。ただ,文章としてはその何箇所かがどうしても浮いていて,もう少し手はなかったのかという気もしないではない。

『老女の深情け 迷宮課事件簿(3)』 ロイ・ヴィカーズ / ハヤカワ・ミステリ文庫

 ヴィカーズといえば倒叙モノの「迷宮課」シリーズ。

 「倒叙モノ」というのは,犯人の視点から物語を書き起こし,あわや完全犯罪,といったところでちょっとした見落としから探偵に暴かれて大逆転,というミステリの一手法である。
 オースチン・フリーマンの短編集『歌う白骨』を祖として,フランシス・アイルズ『殺意』,クロフツ『クロイドン発12時30分』,リチャード・ハル『叔母殺し』などが追従した,とたいていのミステリ史で紹介されている(本当)。要するに『刑事コロンボ』や(そのパクリで有名な)『古畑任三郎』の展開,あれだ。

 ヴィカーズは,その倒叙モノの短編集『迷宮課事件簿(1)』で知られており,これが1977年にハヤカワ・ミステリ文庫から発売されて,それっきり,音沙汰もなく……。
 と思ったら,今年になって3巻めの『老女の深情け』を書店店頭で発見して「えっ,なぜ第3巻???」。失礼しました,昨年夏に第2巻の『百万に一つの偶然』が発売されていたのですね。それにしたって,2巻が26年ぶりとは。相当に深い「迷宮」にはまりこんでいたとみえる(先に紹介した叙事的な大作『白夜行』で流れた年月にも匹敵!)。

 さて,作品としてはどうか。
 元来,倒叙モノには非常に面白い作品が多く,本シリーズでもハタ,と手を打つ作品もなくはない。……のではあるが,いかんせん,20世紀初頭(1930年ごろまで)を舞台にした作品だけに,犯罪が発覚するきっかけとなる小道具がわかりにくく,そのため,いくつかはどうも今ひとつカタルシスに至らなかった。
 誰も疑いすらしなかった犯行が発覚するのが,犯人が「荘園邸の羽目板細工」を処分したため,と言われてもなあ。なんだそれ。

 コロンボや古畑任三郎がああまで痛烈だったのは,映像ゆえ,なのかもしれない。
 アリバイを練り上げた犯行のサスペンス。不敵な笑みさえ浮かべる犯人。ちょっとした小道具や言葉じりから犯罪が暴かれた際の,探偵の申し訳なさそうな口元……。

先頭 表紙

この作者の頭の中には,マンガはこうでなくては,とか,このくらいの展開が普通,とかいった外からの制限が入ってないようで,そこが嬉しい。音大生たちも,「いかにも」の予断で描かれていないように思います。8巻のあとがきで,ある人物を描きやすいと語っているのはちょっとショックでした。 / 烏丸 ( 2004-03-21 00:05 )
8巻の帯に関しては、ちゃんと「わかっている」人が書いているのかなーと疑問。「自由に楽しく〜」というのはこれから実際に出てくるのだめの台詞なんですが、使い方間違ってマス。 / けろりん ( 2004-03-19 10:21 )
のだめは、すでに9巻のの内容の連載を終えたところで、この春からはなんと舞台は日本を離れます。全然先が読めません。今一番続きが楽しみなマンガかも。 / けろりん ( 2004-03-19 10:15 )

2004-03-08 こちらのほう,オトナマターということでいかがでしょうか? 『オトナ語の謎。』 監修 糸井重里 / ほぼ日ブックス


【むしろ,ぜんぜんウェルカムです】

 ある日,サラリーマン金太郎ならぬサラリーマン烏丸が取引先のとある担当者にものしたメールの一文。

   お世話になっております。

   さて、例のスキームの件なのですが、プライオリティ高ということで、
   上のほうからも週明け午後一に各社様からのお見積りをいただくのがマストと
   指示がふってきております。
   必ずあいみつをとることが弊社内のコンセンサスとなっており,
   お手数ですがなるはやでご対応いただけましたら幸いです。

   よろしくお願いいたします。

 「お世話になって」いて,「お手数ですが」「いただけましたら幸い」とへりくだり,あげくに「よろしくお願いいたし」と頭を下げているのだから,さぞや大切な取引先かと思いきや,何を隠そうこのメールの本音は,再三の「お願い」にもかかわらず週明け午後一に見積もり持ってこなきゃ,あんたんとこの商品は二度と扱わないかんね,という最後通牒なのでありました(そうでなきゃ,取引先に直接「あいみつ」の一口だなんて言いませんよね)。

 つまり,「お世話になって」いる相手に「お願い」して,「対応いただけたら幸い」と申し上げるのは,直訳すれば「やってね」という意味しかないのです。
 なにしろ,サラリーマン烏丸のウィンドウズパソコンには
   おつ ⇒ お疲れさまです。
   おせ ⇒ お世話になっております。
      ⇒ 日ごろはお世話になっております。
   よろ ⇒ よろしくお願いいたします。
      ⇒ 何卒よろしくお願い申し上げます。
がそれぞれ辞書登録されていて,へりくだるのなんざピシパシピシと2文字分で朝飯前。
 この場合もちろん,「おつ」が社内向け,「おせ」が社外向けであり,「おせ」「よろ」のやや丁寧なほうが部長級以上が相手の場合,ということは言うまでもありません。

 このメールのもう1つの特徴は,「スキーム」だの「プライオリティ」だの「マスト」だの「コンセンサス」だののカタカナ言葉,「午後一」「あいみつ」「なるはや」という,中学・高校では勉強しなかったヘンテコな言葉,さらには「例の件」「上のほう」とどうにも曖昧模糊な用語用例がちりばめられていることです。

 このような,サラリーマン社会でのみ通じる(つまり辞書には載ってない,もしくは辞書に載っているのと微妙にニュアンスの異なる)言葉遣いに着目し,それを「オトナ語」と名付けて紹介したのが本書『オトナ語の謎。』です。
 もともとは糸井重里のホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」で話題になったコーナーの単行本化だそうで,烏丸は書店店頭で手に入れましたが,デフォルトでは通販で販売されているもののようです。

 素晴らしいのは,苦笑いするしかない,その内容の充実ぶり。
 なぜ苦笑いかというと,そうですね,先週1週間の会議(MTGですな)やメールのやり取りで烏丸が直接使った,あるいは目や耳にしたものだけで,1つ2つ……50ではきかないかもしれない。100近くあるかも。どうやらサラリーマン烏丸は「オトナ語」にまみれたオトナ社会にどっぷり首までつかって生きているようです。

 最初に揚げたメールは先ほどちゃっちゃっとこしらえたマガイモノですが,辞書登録はウソではありません。実際,普段何百通/日とやり取りしている社内,社外へのビジネスメールの大半は,まぁこんな程度のものです。

 本書を読んでびっくりしたのは,これらの用語が決して烏丸の勤めている会社やその周辺独自のものではなく,どうやら広くサラリーマン社会に共通するものらしい,ということ。本書には相当数の「オトナ語」が紹介されているのですが,言葉そのもの,あるいは用法をまるっきり知らなかった,というのはほとんどありませんでした。
 つまり,この日本には「標準語」とは別に,「オトナ語」という共通語があるらしい。語意的にはへりくだっているのに内容は脅しに近い断りだったり(「おっしゃることはよくわかるんですが」「と,おっしゃいますと?」「ご縁がありましたら」「〜さんに言ってもしょうがないんですけどね」),よいことであるはずなのに危機的状況を表したり(「テンパる」「バンザイ」),いったい何だかよくわからなかったり(「ウィン・ウィン」「あいみつ」「いちばんベター」)。いやはや,なんとも味わい深い用語,用法ばかりではありませんか。

 ちなみに新社会人の方は,「コンセンサス」「シナジー」「シェアする」「アジェンダ」といったカタカナ言葉をわりあい早く口にするようになられると思いますが,むしろ「のむ」「泣く」「丸投げ」「手弁当」「織り込みずみ」などの言葉に慣れてこそ一人前といえます。要するに,後者は実際に追い詰められたり嫌な思いをしたときじゃないと覚えないんですね。

 それにしても,最近は「インパク〜インターネット博覧会」の編集長を引き受けてしまうなど,なんとなくパッとしない感のあった糸井重里だけど,こういう着眼点というか,ピックアップはさすがに上手い。ただ,この本もほかのイトイ本と同じように,社内で話題になって,回し読みして,しばらくしたらどこかに消えてしまうのでしょうけど。

 そうそう,烏丸の周りでよく使われる「オトナ語」で,掲載されていないのが1つありました。
 本書にも掲載されている「ざる」はチェックの甘い状態のことを言うのですが,もっとひどい状態のことを「わく」と言います。「ざる」ほどにもひっかかるところがないんですね。

 とりあえず,上記レジュメのほう,ご査収いただけましたら幸いです。
 何卒よろしくお願い申し上げます。

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