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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2004-02-08 『社長をだせ!ってまたきたか! “あっちでもこっちでも”クレームとの死闘』 川田茂雄 監修,森 健 取材・文 / 宝島社
2004-02-02 コンビニの棚の前で我を高みにいざなう聖性 「Jupiter」 平原綾香
2004-01-27 『どーでもいいけど 不景気な暮らしの手帖』 秋月りす / 竹書房 バンブー・コミックス
2004-01-19 『紙の中の黙示録 三行広告は語る』 佐野眞一 / ちくま文庫
2004-01-13
2003-12-29 読むのに時間がかかった本 『ばってんBOX(1)』 笈川かおる / 集英社ヤングユーコミックスワイド版
2003-12-22 読むのに時間がかかった本 『[完全版]夜の画家たち 表現主義の芸術』 坂崎乙郎 / 平凡社ライブラリー
2003-12-15 ドーナツブックスいしいひさいち選集 37『蜜月マーヤの暴言』 いしいひさいち / 双葉社
2003-12-08 読むのに時間がかかった本 『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』 スティーブン・ジェイ・グールド,渡辺政隆・訳 / ハヤカワ文庫NF
2003-12-01 読むのに時間がかかった本 『蔭桔梗』 泡坂妻夫 / 新潮文庫


2004-02-08 『社長をだせ!ってまたきたか! “あっちでもこっちでも”クレームとの死闘』 川田茂雄 監修,森 健 取材・文 / 宝島社


【ふつうのキャンディであれば,何も問題はないでしょう? 犯罪ではありませんよ】

 前作『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』に負けず劣らず,いや,個人的には前作より幾段か面白く読みました。
 カスタマーサポートに少しでもかかわる方,商品戦略にかかわる方,営業にかかわる方,どなたにもオススメ……というありきたりの推奨文のほか,中高生の課題図書にして感想文書かせるてはどうか,なんてことも考えてしまいます。

 前作では著者川田茂雄氏個人の経験を中心に,カメラ製造会社に寄せられるクレームの実態とそれに対する対策が詳細に語られたのに比べて,今回は「食品製造,書店,電気機器メーカー,旅行代理店,定食チェーン,ファミリーレストラン,通信販売,テレビ放送,量販店……」とさまざまな業種のお客様相談室,サポートセンターの担当者にルポライターの森 健氏がインタビュー,そしてそのそれぞれに川田氏のコメントが付く,という構成になっています。

 本来サポート担当者というのは,契約上,業務の裏事情を語ってはならないことになっており,インタビューの了解を得るのは非常に難しかったと想像されますが,それで得られた本書の各章の内容は,かなり実態に即した内容ではないかと想像されます。そして,さまざまな業種を並べたことが,単にバリエーションが増えただけでない,構造的な面白さにつながっているのです。
 どういうことかというと,前作がいわば川田氏のワンマンショーであったのに対し,今回はサッカーや野球のように,さまざまなプレイングスタイルのサポート担当者が,ディフェンス,オフェンス,時と所を変えながらさまざまなクレームに対応するわけです。ファミレスと家電量販店ではそもそもクレームの種類や質も異なりますし,受ける側もその対応はさまざま。本書に展開する世界は,野球やサッカーのような集団競技のようであり,ルール不在の異種格闘技のようでもあります。

 野球やサッカーのチームに優れた選手とそれほどでもない選手がいるように,非常にクレバーで冷静な担当者,温かみのある対応をするサポート担当者,自分が客の立場ならクレーマー扱いされて不愉快な思いをしそうな担当者などさまざま。サポート担当者側からみての勝ち負けだけでなく,そもそも問い合わせをしてきた客のほうが正しいように思われる,つまり決してクレームとは思えないエピソードさえあります。
 また、単にクレーム対応だけでなく,その企業の顧客への意識そのものが透けて読める面もあり,カメラ製造,販売の経験から語る川田氏の分析が,必ずしも彼らの対応とマッチするとは限らないところも微妙な味わいです。

 クレームの種類も,意図的に謝礼や金銭を狙ってくるものから,寂しさや自己顕示欲から電話を何度もかけてくるもの,どこか歪んだというか壊れた精神状態を感じさせるものなどいろいろで,カメラ業界に限定された前作より「人の業」を感じる例が少なくありません。
 個人的には書店のレジで起こるトラブルのいくつかに胸を打たれます。本来出版物というのは薄利多売で利益を上げるもので,顧客対応に時間や経費をかけるのはたいへんやっかいなのですが,本書に登場した大手書店チェーンの担当者の方の対応には出版の見果てぬ夢を説かれたようで胸が熱くなりました。

 一方,最低だったのは本書中ほどに掲載されたとある業種(会社)です。
 明らかにミスは自社のほうにあるにもかかわらず,強引に顧客に責任をなすりつけ,結局被害の半額を顧客払いにした所長とやらも問題ですが,その経緯を「このケースについて言えば,社内的には所長のゴリ押しは通る話でしょう」と容認してしまう担当者も問題です。この業種にはそのような酷い事件が相次いでいるのではないかと思わせる一節でした。

 本書の巻末には,弁護士と大学教授が法律の専門家として寄稿しています。とくにインターネットでの告発が自分にはね返る可能性を語った後者の論旨は普段あまりお目にかかれないもので,丼のキムチにカエルが入っていたり,修理に出した車が傷ついて戻ってきたり,ビデオの画質が許せなかったりする方々はインターネットに告発サイトを立ち上げる前にぜひとも目を通しておくとよいでしょう。

先頭 表紙

もし、「兼高かおる世界の旅」のタイトルバックのジェット機がその「もく星」号であるなら、それは(1)わが国の戦後最初の旅客機(ノースウエスト航空からのチャーター機)であり、同時に(2)わが国航空史上,最初の大規模墜落事故の「もく星」号である(乗員37名全員が死亡),ということになります。 / 烏丸 ( 2004-02-13 01:06 )
木星のトリビアなんですが、昔の飛行機の機体に「もく星」と書いてあるのを発見したのですが(画像を私のページに貼りました)、それと関係があるのでしょうか? / クラッセ ( 2004-02-12 17:53 )
なにしろ,最近はあまりに巨大化して経費がかかりすぎて,サポートセンターを地方都市や,海外に配置することさえ検討されているご時世……。ちなみに,「グループ全体での概算」というくくりで,一番大きなサポートセンターはどこなんでしょう? やっぱり,NTTかな?(116をサポセンと言ってよいかどうかはよくわかりませんが) / 烏丸 ( 2004-02-09 00:38 )
これは実際のところさほど多くはない数字で,業種によれば問い合わせが一日数万というのもあります。家電としては多い,というつもりだったかもしれませんが,パソコンが主力商品の一つとなっているメーカーなら,こんなオペレーター100人にも満たないであろうちっぽけなサポートセンターでは話にならないはずです。 / 烏丸 ( 2004-02-09 00:37 )
ところで,面白く思ったのは,サポートセンター同士の横のつながりや統計ってあまりないらしい,ことですね。本書のある章に,「大手家電メーカー」の担当者が「うちのお客様センターにかかってくる電話は,おそらく日本でもトップ10に入るでしょう」とあるのですが,その数字が,「グループ全体での概算」で「平均一日に三百五十件」「年間で十万件以上」というのですね。 / 烏丸 ( 2004-02-09 00:37 )
なるほど,告発サイト立ち上げて大企業をぎゅうぎゅう締め上げる参考にされるわけですな。チガウ……? / 烏丸 ( 2004-02-08 23:41 )
前作は、烏丸氏の書評のあと即買いしてしまったワタクシ、この本も先日ビックカメラで見つけ、気になってましてん。かっちゃおうっと。 / あやや ( 2004-02-08 22:08 )

2004-02-02 コンビニの棚の前で我を高みにいざなう聖性 「Jupiter」 平原綾香


【愛を学ぶために 孤独があるなら 意味のないことなど 起こりはしない】

 その歌を初めて耳にしたのは昨年の暮れ,たしかときどき立ち寄るブックオフ2Fの文庫コーナーでのこと。清水國明のにぎやかな宣伝歌のあと,この曲が始まったときは,一瞬空間がゆがんだかとさえ思った。
 もっともその瞬間の「頭」の反応は,小柳ゆきがK-1のオープニング用にアメリカ国歌を歌ったのかしら,とかいったものだったけれど。

 その歌,「Jupiter」を歌っているのは平原綾香という新人。祖父,父ともにミュージシャンという音楽一家に育ち,高校を出たばかりの19歳とか。原曲はホルスト『惑星』から「木星」の一部をモチーフに,日本語の歌詞を付したもの。

 その後,コンビニ等で何度か耳にするうちに気になって気になって,矢も楯もたまらず(←これは「火星」のイメージだが)マキシシングルを購入してきた。
 ……ところが,自宅でじっくり聞いてみると,これがコンビニで聞くほどにはよろしくない。

 「木星」をリメークしたコンセプトは見事だし,歌も上手い(残念ながら宇多田ヒカルほど存在感があるわけではないし,ミーシャほど切れるわけでも,小柳ゆきほど揺さぶりをかけるわけでもない。が,新人としては十二分な唱力と言ってよいだろう)。すべてにおいて平均点以上,そのうえあの荘厳な雰囲気,意味深な歌詞……。

 それでもやはり,コンビニで聞いたほうがよく聞こえるのだ。

 たぶん,それはこういうことなのだろう。コンビニエンスストアという,是も非もなく「俗」な空間,そこでカップ麺やらカテキン茶やらアロエ入りヨーグルトやら青年誌やら潤滑ゼリー付きコンドームやらをレジに並べて釣銭をまるめようと財布を開いたところに静かにこの曲が始まる。すると,聞き手は一瞬にして雑然としたレジの前からある種の「高み」にすっと引きずり上げられてしまうのだ。
 目と鼻の先のプチ食欲や性欲をコンビニエントリに処理して済ませんとする自分の耳をつまんで,その音は自分の内奥をいきなり透明に洗い上げ,静謐な境地を垣間見せてくれる,そんなふうに思われるのだ。

 ところが,自宅のごく普通のオーディオ機器でそれを流すとき,この曲は単なる「ちょいとコンセプトの巧い,新人の佳曲」に過ぎなくなる。
 たとえば宇多田の「COLORS」や元ちとせ「ワダツミの木」のように,繰り返し聞けば聞くほどに胸のうちで大きな領域を占める,そういったレベルの楽曲ではない。そのうち,心に残ったのは,実はそもそものホルストによる原曲のメロディであることに気がついたりもする。

 結局のところ,平原綾香の「Jupiter」が与えてくれる音のシャワーは,コンビニや古本屋といった有線放送の似合う空間でだけ,生活の向こう側のありようを指し示してくれる「聖性」なのかもしれない。

 ただし,それはそれで得がたいものであることもまた事実。
 安ホテルのシャワーなどより格段に心を洗ってくれるものが,少なくともそこにはあるのである。

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 今週のトリビア。

 ジャーナリスト 兼高かおるが1959年から1990年の31年間にわたって(ギネスブック承認)ナレーター兼ディレクター兼プロデューサーとして活躍した「兼高かおる 世界の旅」(TBS系)のオープニング,ジェット機をバックに流れる爽快な音楽が,ホルスト『惑星』の「木星」だった。

先頭 表紙

お前の倒した譜面台は金の譜面台、それとも銀の譜面台? いえいえ、「木星」だけに木製の譜面台。にゃんてな。銀の譜面台5つで金の譜面台と交換できます。はい、いらっしゃいませ〜♪ / 烏丸 ( 2004-02-10 01:54 )
補足トリビア:1986年12月、福岡市民会館で「木星」を演奏したあややは、演奏後、立ち上がったところで譜面台を倒した。 / あやや ( 2004-02-09 12:55 )

2004-01-27 『どーでもいいけど 不景気な暮らしの手帖』 秋月りす / 竹書房 バンブー・コミックス


【当たり前の生活なんだが これを不況というらしい】

 先に取り上げた『紙の中の黙示録 三行広告は語る』に少し遅れて,1992年から2001年まで,いわゆるバブル経済崩壊後の「失われた10年」を(結果的に)描き上げた四コママンガ,それが秋月りすの『どーでもいいけど』だ。
 『どーでもいいけど』は朝日新聞土曜日夕刊の「ウィークエンド経済」欄に掲載されたもので,単行本化が待たれていたが,最近ようやく全373編がまとめられて竹書房から発刊された。

 本連載,おそらくもともとは夕刊の経済欄にその折々の時事ネタを織り込んでくすぐりと風刺を,といった程度の狙いだったのだろうが,単行本のサブタイトルに「不景気な暮らしの手帖」とあるとおり,全編を隙なく覆う閉塞感はふり払いようがない。どこから読み返してもうんざりするほどに「不景気」ネタのキンタロアメ,それも「銀行は定期預金者につまらぬ粗品をよこすくらいなら金利を上げて」,とかいった世知辛い題材のオンパレードである。

 妙な言い方だが,こうやって一望にしてみると,1990年代の不景気さは一種「たいしたもの……」とさえ思える。
 経済欄という発表の場からか,『どーでもいいけど』には阪神・淡路大地震,オウム・地下鉄サリン事件はほとんど扱われていないのだが,そうなるともう目ぼしい事件がほとんど残らない。都市博の中止や山一證券の倒産,和歌山毒物カレー事件など,もちろん大事件ではあったのだが,その大半は中止,倒産,喪失,失敗といった負のベクトルの事件であり,あとに残るのはただしみったれた閉塞感ばかりである。

 ただし,『どーでもいいけど』に横溢する閉塞感をただ時代のせいにするのは,それはそれでまたスジ違いというものかもしれない。

 まず,秋月りすという作家は,何人か(何組か)の登場人物を並列的に描いて,だんだんそれぞれに愛着や味つけを加えていくのが得意な作家である。これはたとえば連載開始当初は決して面白いとは思えなかった『かしましハウス』が,4巻,5巻あたりから三女のみづえ,次女のふたばの個性を強調することでこの作品ならではのノリを獲得していったことでも明らかである。
 ところが,『どーでもいいけど』は,経済欄の週一連載という特性もあってか,とくに誰を主人公とするわけでなく,市井の若夫婦や独身OL,子供たちをその都度語り部とし,そのために,最後まで登場人物たちが踊らなかったきらいがある。
 となると,秋月りすの描く人物のただ塗りつぶされた黒い「目」はアクティブに世相を映す力を失う。学習雑誌のイラストカットのように,妙に硬直したカメラ目線での説明的セリフ,そんな印象のコマが少なくないのだ。

 もう一点,発表の場が朝日新聞であることも少なからず影響したのではないか。
 たとえば単行本の前半で再三登場する「人員整理」という言葉,通常は「肩たたき」ないし「リストラ」という言葉が使われそうなものだが,それを厳密に「人員整理」と表記するあたり,朝日新聞校閲部の
  「リストラ」は「リストラクチュアリング(restructuring)」の略であり,本来企業等の組織・事業内容を再編成,再構築することであって,単なる人員整理のことではない
とかいった指摘の声が聞こえてきそうな気がする。
 朝日朝刊で読売の社長をおちょくれるモンスターいしいひさいちならともかく,秋月りすが朝日の経済欄担当者とのやり取りに全く影響を受けなかったとは考えにくく,直接の修正依頼はなくとも,場の圧力によって作品が伸びやかさを削がれたとみるのはあながち間違いではないだろう。

 だとすると……。

 秋月りすはこの連載を経て否が応でも1990年代の「不景気」の構造を学習し,正面から見据え,それはひるがえって代表作『OL進化論』の足枷ともなった。
 『OL進化論』の好々爺たる社長,スーパーキャリアウーマンたる社長秘書らが登場の場を失い,ジュンちゃんのダメダメぶりがOLとしてではなくプライベートライフにおいてばかり強調されるようになったのは偶然ではないような気がする。
 「人員整理」はもはや「まさか」と笑って過ごせるジョークの素材ではなく,会社は,1980年代までのように呑気で楽しい永遠の楽園ではないのである。

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 というわけで,最後は,今週のトリビア。

 「リストラ」なる言葉を商標登録しているのは,2度にわたる大規模な人員整理で話題をまいた当の富士通である(第3324766号)。

先頭 表紙

イブニングの『中年ポルカ』はかなり前に終わりました……Webで検索してみると2002年の1月あたり。『喰いタン』と入れ代わりだったみたいですね。 / 烏丸@おっと,未ログインだった ( 2004-02-04 02:10 )
おおお!覚えていますそのパーティドレスネタ。確かに「毒」が抜けて「ほのぼの」系ネタが増えてますね。そういえば「中年ポルカ」ってまだ続いています? / けろりん ( 2004-02-04 00:49 )
一番「怖さ」を感じたのは,家事と子育てでやつれた若奥さんが,たんすの上にパーティ用のドレスをしまっていて,それを見つけた亭主に「パーティなんて」と指摘されて目が泳ぐ,というもの。このネタは,今思い返しても怖い。最近は,ギャグの質こそそう落としていないものの,まったくの予想外なネタはほとんどありませんね。 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
それはともかく,『OL進化論』含め,秋月りすの作品において,全体に「毒」の要素がますます少なくなっているような気がします。↑の本文に書いたことだけが原因ではないと思いますが,それにしてもきっぱりはっきりしたキャラも,裏を考えれば実は怖い,というネタも,少なくなりました。 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
トリビアの泉の高橋さんふうに言うと……「私の場合・・令子さんに叱られるのが,夢です」 / 烏丸 ( 2004-02-02 21:14 )
ネタの変化はなんとなく感じていたものの「OL進化論」から社長秘書・令子さんが消えたというのは言われてみれば「ああ!」という感じです。個人的には「おうちがいちばん」より「かしましハウス」の方が好きだったんで連載終了はちょっと残念でした / けろりん ( 2004-02-02 19:26 )

2004-01-19 『紙の中の黙示録 三行広告は語る』 佐野眞一 / ちくま文庫


【近所の人達は誰れも知らぬ。過去と今後の進路は一切問わぬ。重病の父に一目だけでも会って欲しい。真佐子】

 佐野眞一といえば,読売新聞,日本テレビ,プロ野球巨人軍の上に君臨した正力松太郎を取り上げた『巨怪伝』,ダイエーの中内功を主軸に戦後の流通史を描き上げた『カリスマ』,そして『だれが「本」を殺すのか』『東電OL殺人事件』など,骨太で長大な著作で知られるノンフィクション作家。
 一方で彼は生活に密着した低い目線のルポルタージュ雑誌連載も得意で,ゴミや業界紙といった身近な素材から現代日本を浮き彫りにしてみせる。
 本書『紙の中の黙示録 三行広告は語る』は,新聞の三行広告をトリガーに,さまざまなメディアの小さな広告群から浮かび上がる社会の実相に着目した作品である。

 読み手はまず,巻頭に例示された赤瀬川原平収集による三行広告に圧倒される。そこでは,なんらかの経緯で家を出た「隆」に対するその母親らしい「真佐子」の執拗なまでの語りかけが繰り返されている。十五回にわたるその尋ね人広告の中で,隆の父は倒れ,入院し,死んでいく。当人たち以外にはわからぬドラマが短い活字の向こうで展開され,消えていく。
 そして,これら尋ね人広告,お詫び広告,黒枠広告の裏でしのぎをけずる新聞,広告代理店の面々。

 面白いのは,
  「三行の活字の裏側にひそむ社会の諸相と,この時代のみえない底辺を,文字通りフィールドワークしていきたい」
という著者の作業そのものが,本書が「モノマガジン」に連載された1988年から翌89年,つまりバブル経済最盛期(バブルがはじける直前)の世相を期せずして克明に描き上げていることである。

 たとえば,
  「未曾有の好景気による求人広告出稿数の激増ぶり」
  「もはや給与面の待遇など,一点だけをアピールするだけでは,なかなか人が集められない時代」
といった表記を,現在のリストラクチャ当事者たちはどう読むだろう。
 もちろん,バブル最盛期とはいえ,財界の大物のレポートを得意としただけあって著者の視点にブレはなく,
  「三行広告は,ふくらむだけふくらんではいるが,内部の空洞もそれだけ広がっているゴム風船のような日本経済そのものを象徴している」
の一節は,流石と評価してなお余りある。

 ただ,雑誌連載のメリハリに窮してか,大阪・釜ヶ崎,訪問販売業者,求人情報誌など,素材や対象を広げ過ぎてやや散漫な印象があるのが残念。
 また,『東電OL殺人事件』などでも時折りみられた,
  「そのカラフルな頁には,時代という名の共犯者に追従し,彼らが無意識のうちに犯してきたその咎(とが)もまた,あぶりだしのように滲みだしている」
  「もし三行広告に声があるとするならば,時代と社会の澱の底からわきあがるようなおらび声やうめき声が,紙面の背後から聞こえてくるはずである」
といったウェットに過ぎる表現が気にかかる。
 これほどに扇情的にあおらず,事実の積み重ねだけで読み手を圧倒するのが,ルポルタージュのあるべき姿ではなかっただろうか。

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 ところで,三十余年を経た今も記憶に残る,尋ね人広告について,一ネタ。
 おそらく1971年の秋だと思われる。講談社・少年マガジン本誌の『巨人の星』の連載が完結し,少年マガジン別冊として厚さ2cm程度の『巨人の星』総集編本が発売された。マンガの単行本文化がまだ発達しておらず,人気連載マンガを追体験するにはそういった別冊を購入するしかなかった時代である。
 さてその『巨人の星』総集編本の最後を飾る1巻の,そのまた巻末に掲載された埋め草ページ,読者の声やイラストにちょっとしたギャグをあしらったその見開き,新聞の体裁をとった確か左ページ右下にその尋ね人広告はあった。

  「飛雄馬 パーフェクトかたついた帰れ 一徹」

先頭 表紙

クラッセさま、いらっしゃいませ。本書を読まれるかもしれない方には、今回の私評は余計なお世話の領域まで書いているのではないかと少し心配しています。もちろん、この程度で本書の内容を伝えられたなどとおごったことを考えているわけではないのですが。 / 烏丸 ( 2004-01-24 02:55 )
はじめまして。本屋で買おうか迷った本のタイトルを目にしてやって来ました。とても参考になりました。過去の日記も参考にさせて頂きます。私も「なんたってショージ君」を同じ頃に読んでいたので、何となくおかしかったです(11/30と12/18の日記に書いてあります)。デペッシュモードは「See You」の頃からのファンです。 / クラッセ@突然おじゃましました ( 2004-01-23 19:06 )

2004-01-13 雨

 
 今年は……
 雨がたくさん降るといい。
 雨は好きだ。窓を打つ雨の音を聞きながら本を読んだり,お茶を飲んだり。ささやかに人をののしったり,ひざまずいて小さな嘘をついたり。
 雨の日に似合う音楽や雨の日にふさわしい本というものがあって,それは普段はそれとわからないのだけれど,雨が降り出して通りを子供たちの走る声がすると静かに思い出されるのだ。
 子供のころ,雨が降り出すと父親の車に本を持ち込んで寝転んでそれを読みふけったものだ。車の後部座席は子供が寝そべるにも狭く,空は暗く,本を読むのに快適とは言いがたかったけれど,雨とガソリンの匂いの中で本を読むのが好きだった。
 雨の日,人は楽天的にこそなれないけれど,どうしようもないほどに投げやりにもならないものだ。
 雨の日に似合う苛立ちや悲哀というものがって,それは普段はそれとわからないのだけれど,雨が降り出すとやがてそれも静かに降ってくる。
 雨は好きだ。愛だの恋だの思い出だのはカビや苔と同じで湿ったところにしか生えないのだから。

先頭 表紙

ニナさま,いらっしゃいませ。冬の雨はとがった感じ,春の雨はティアードロップな感じがしますね。夏の夕立はそりゃもうでっかいまん丸というか。 / 烏丸 ( 2004-01-18 01:56 )
雨をうたう歌も好きです。1970年ごろにエアチェックしたカセットテープに「雨」という題名しかわからない女性ボーカルの曲(歌謡曲? フォーク?)が残っているのですが,歌手もわからず心の隅にずっとひっかかっています。 / 烏丸 ( 2004-01-18 01:46 )
私もみなみさんと同じく、春の雨が特に好きですね。それは子どもの頃の出来事と思春期の頃読んだ本と繋がって、何とも説明難い原風景のような。 / ニナ ( 2004-01-14 18:27 )
雨、わたしもだいすきです。雨の音を聞きながら眠りにつくのがいいんだよなぁ。春の雨が特に好きですね。 / みなみ ( 2004-01-13 02:14 )
2004年の1冊め,なにをもってきてもしっくりこないのでこんなものをアップしてしまいました。今年の目標は,1つ1つの私評をもう少し短めに……。 / 烏丸 ( 2004-01-13 01:33 )

2003-12-29 読むのに時間がかかった本 『ばってんBOX(1)』 笈川かおる / 集英社ヤングユーコミックスワイド版


【あなたのは 夢ですら なかったのよ】

 ずっと以前の書き込みのつっこみ返しでもふれたように,笈川かおるは非常に好きな漫画家の一人だ。清原なつのと同じくらい,といえばおわかりいただけるだろう(か?)。
 単行本はほぼ揃っている。単行本未収録作品のいくつかを掲載誌からの切り抜きで保存してあるのはちょっとした自慢だ。
 残るは集英社の『ばってんBOX』1冊……。

 となってから,本書を入手するまでが長かった。

 『ばってんBOX』は1997年5月の発行なのだが,なにしろ紀伊国屋BookWebすら十数冊しかない単行本の全貌を把握できないほどのマイナー作家である。
 不覚にも『ばってんBOX』の発売に当時は気がつかず,気がついたときはすでに品切れになっていた(発売から1年もたなかった印象だが,いったい何部刷られたのだろう?)。

 紀伊国屋BookWebで「入手付加」の文字を見たその日から,『ばってんBOX』を探し求める孤独な兵士の旅が始まった(いや,それほどのもんでも)。

 訪ねた古書店は北は網走から南は石垣島まで(嘘デス,ゴメンナサイ),少なく勘定しても50軒はくだるまい(こっちは本当)。いや,古書店の前を通りがかるたびに中に入って集英社のヤングユーコミックスのコーナーをチェックする習性がほとんど体にしみついて3年,4年,5年……。
 ある日,Amazon.co.jpのユーズドブック欄にそのタイトルがあった。

 売り値やコンディションなどどうでもよい。震える指でクリックし,飛び立つ思いで(怪しいエステ系の通販商品の推奨文みたいね)注文して待つこと数日,封筒が届いた。

 ヤングユーコミックスの棚をいくら探しても見つからないわけだ。ヤングユーコミックス「ワイド版」だったとは……。
 同じ集英社のヤングユーコミックスから発行された『ソルジャーオブレイン』や『夏だったね』が普通のコミック版だったから,てっきり同じサイズかと……いや,確認してなかった自分が馬鹿なのよ。

 ともかく,ようやく手に入った『ばってんBOX』である。
 人の心のすれ違いをテーマにしたそれぞれ十ページ程度のショートショート集で,ここしばらくの(といってもいずれも十年以上前の作品だが)単行本の中でも笈川かおるらしさがよく顕れていて,とても面白く,そして切なく思われた。
 女の子はきれいでかわいい。男の子もほどほどに二枚目で,シックな場面も笑えるギャグも巧みに描き分ける。にもかかわらず,照れなのか,何かあったのか,この作者はいつも正面から「ちょっと目をそらして」しまう。
 笈川かおるが実はマンガ嫌いなのではないか,ということについては以前ふれたので繰り返さない。

 マンガと笈川かおるの関係をトレースするかのように,「すれ違い」や「勘違い」ばかり描いたショートショート集の(1)だけを残して,及川かおるは少女マンガに続いてレディースコミックの表舞台からも消えてしまう。

 その後の仕事が『集英社版・学習漫画 世界の歴史人物事典』『集英社版・学習漫画 世界の歴史(11) 市民革命とナポレオン : イギリスとフランスの激動』だというのは……ファンとしてはあくまで追いかけるべきなのか,それとも,痛みにうつむくべきなのか。

先頭 表紙

2003-12-22 読むのに時間がかかった本 『[完全版]夜の画家たち 表現主義の芸術』 坂崎乙郎 / 平凡社ライブラリー


【「いや,これはエクスプレションなのだ」】

 『東海林さだおのフルコース “丸かじり”傑作選』のところでは,「ベッドに入ったところでまず少々重めの本を選んで読んで1時間,2時間,微妙に眠くなったところですかさず本書に切り替えて」と書いた。その「重めの本」の1冊として長きにわたり一種の就眠儀式の台本として君臨してきたのが,この『夜の画家たち』である。

 本書は,印象主義の少し後から主にドイツを中心に花開いた「表現主義」の画家たちを取り上げた論評集なのだが,これがもう,絵画についての書籍としては実に重い。重いというより,はっきり言って熱苦しい。
 なにしろ表紙カバーの惹句からして

  激しい感情表出,死とエロスの,霊と肉の,赤裸々な相剋を伝える緊張と孤独──。
  北欧のムンク,スイスのホードラーを先達とし,ドイツの土壌に開花した表現主義の運動。
  カンディンスキー,クレーを育む現代絵画のひそかな間道としての表現主義芸術を照射する。

といった具合。
 取り上げられた画家も,ムンク,ホードラー,ココシュカ,キルヒナー,ノルデ,ベックマン等々,ヒゲ剃りの後が青々とした(?)こゆいお歴々が並んでいる。後半に登場するカンディンスキーが軽くさわやか!に感じられるのだから,トータルの密度,濃度たるやご想像いただけるのではないか。

 本書から無作為に──いや修辞としてでなく本当に行き当たりばったりにページを繰って──その濃さを示す表記を求めてみよう。

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  闇夜にも似た運命のただ中に浮かび,たえず存在の不安におびえながら,仕事する繊細な腕と対決し,ときに憔悴し,ときに苦渋しながらも,感じ,悩み,愛する人間へのきびしい洞察を,カンヴァスの上に不敵に描き出した生涯こそ,おそらくムンクの生涯だったのではあるまいか。(ムンク)

  自然が,その奥行の全容をうつしだす水の深さを待ってはじめて立体的に,ひとつのまとまりをもった実体としてとらえられるものだとすれば,同様に生もまた,死の深淵に影をうつしてはじめて,その真相をあきらかにすることができるのではあるまいか。(ホードラー)

  印象主義という精神的な遺産をまったくもたないこのドイツの女流画家と詩人とが,この遺産を継承し,これに大きな修正をこころみるセザンヌに血縁を感じたという事実。(モーダーゾーン=ベッカー)

  ノルデの宗教的な作品が,往々にして信仰と狂気,正教と異端,神と悪魔とのあいだの間一髪の綱わたりであると評せられ,みる者に,あきらかに霊と感性とのアンバランスを感じさせるのは,どういう理由によるものであろうか?(ノルデ)

  ココシュカの探求が,事物の本質的な形体や,それの造形的な秩序の把握をめざすものではなく,もっぱら主観の対象への投入と,それによる事物の象徴的な把握から出発していることは疑いのないところだ。(ココシュカ)

  微小なもののなかにひとつの宇宙をみようとする,あるいは単純な表現に深い体験を暗示する象徴性こそ,彼の作品を支える最大の秘密である。(クービン)

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 ……ご覧のとおり,著者の目には,画家の作品など映ってはいない。
 ここにあるのは,画家が描きたかった(つもりの)もの,それを著者が読み取った(つもりの)ものばかりである。是非はともかく,少なくとも絵画作品とは別の次元の話だ。

 そもそも,もし一個の絵画作品を評価するのにこのようなテキストが必要なのだとしたら,それは絵画の敗北である。
 逆にいえば,たとえばムンクの作品は,このようなくだくだしい説明なしに,あの言いようのない不安,虞れ,それらに挑む画家の生きざまを感じさせてくれるからこそ素晴らしいのだ。
 結局,このようなテキストは,その画家,あるいは画家たちがまだ十分に知られていない時期には一種の啓蒙の役割を果たすかもしれないが,一歩違えば予断を押し付けることになりかねない。

 先に引用したテキストが,いかにも学校の入学試験に引用されそうな,そんな雰囲気が立ち込めるのは,だから決して偶然ではない。
  問1 著者はムンクの生涯をどのような生涯だと述べていますか。句読点を含む三十字以内で答えなさい。
  問2 ココシュカの探求について,下線部「それ」は何を指していますか。
  問3 クービンの作品を支える最大の秘密について,下線部と同様の意味で説明されている部分を本文中から抜き出し,最初と最後の5文字で答えなさい。(完全正答)
などなど and so on...
 絵画作品に向かう際,こういった読解の技術は不要でこそないが,必須というわけでもない。少なくとも,表現主義の画家たちの作品に相対するのにこんなテキストが必要かと言われれば,それは疑問である。

 ただ,ベッドで手にする本書には,別の魅力があることもまた事実である。

 本書で取り上げられた画家たちの多くは,ムンクやカンディンスキー,クレーら一部を除けば,概して非常にメジャーとは言いがたい。そして,本書ではそれぞれの画家の作品をいくつか口絵として紹介してはいるものの,いずれもモノクロ,それもあまり精度のよくない小さな写真である。

 だから,本書を読むことは,まだ見ぬ異国の画家の作品についてのびのびと──もとい,著者によるがんじがらめのルールの中で──想像力を働かせる,ということだ。

 たとえば,キルヒナーの「画家とモデル」という作品について,著者が「眼のさめるようなオレンジ色の布地に濃いブルーの横縞の入っているガウンの色彩が,ほとんど画面を決定している」と述べるとき,(その作品を印刷物においてすら見たことのない)読み手は,まざまざと画面の左半分を覆うオレンジと濃いブルーのガウンに圧倒される。これは素晴らしい絵画体験である。
 ……あとでインターネット上でこの作品の画像を発見して,「眼のさめるような? どこが?」とがっかりすることはあっても。

 あるいは,マルクという画家についてはよく知らないのだが,本書にて語られるその作品はひどく魅力的に思われる。ナチスから頽廃芸術の烙印を押されて消息を絶ったとされる「青い馬の塔」はことに心を洗う。

  塔を形成する四頭の馬の眼は,敬虔で神秘の光を放っている。

 ベッドの中で本書をひもとき,そしてこの世にもう存在しないとされる作品の馬の眼の「敬虔で神秘の光」にため息をつき……。
 だが,それは結局のところマルクの作品であって,マルクの作品ではない。本書にとって,「夜の画家たち」は,はたして実在する必要はあったのだろうか。それとも。

先頭 表紙

2003-12-15 ドーナツブックスいしいひさいち選集 37『蜜月マーヤの暴言』 いしいひさいち / 双葉社


【きれいに焼けませんのやで。】

 アズキ相場の勧誘電話なら息せき切って「今,大変なチャンスになっているんですぅ!」と叫びそうな空模様である。
 というのも,なぜかこの秋いしいひさいちの新刊が立て続けで,「急いでお金振り込まなくっちゃ!」な状況なのだ。

 なにしろ。
 『となりの山田くん』シリーズの文庫化(東京創元社)を除けば,『現代思想の遭難者たち』が2002年6月の発行,その次が1年2ヶ月後の2003年8月『ののちゃんのとなり』,これにしても東京創元社の既刊文庫化。
 しかして,この秋は。

  『眼前の敵』(河出書房新社)
  『大統領の陰謀』(双葉文庫)
  『がんばれ!!タブチくん!! 阪神死闘編』(双葉文庫)
  『ドーナツブックスいしいひさいち選集 37 蜜月マーヤの暴言』(双葉社)
  『バイトくん 大学には入ったけれど』(双葉文庫)
  『忍者無芸帳 眠れる森の忍者』(双葉文庫)

 もういったいどうしちゃったの,よっぽど苦しいのか双葉社。いやそのごほん。

 もちろん,『がんばれ!!タブチくん!!』『バイトくん』『忍者無芸帳』は既刊の文庫化だが,いずれも久しく(モノによると20年以上!)入手が困難だったもので,初期からのいしいひさいちコレクターからみればこれらが簡単に入手できるようになったことに悔しい面もなくはないもののまずはメデタイと言っておこう。
 『大統領の陰謀』は『ドーナツブックス』『問題外論』『大問題』などの既刊から「大統領」系の作品をピックアップし,単行本未収録作品を加えたもの。エリツィン,ブッシュ父子,クリントン,金正日,フセインらおなじみの面々がご活躍である。

 そして,『となりの山田くん』『ののちゃん』シリーズを除くオリジナル作品集としては実に久しぶりの『眼前の敵』。河出書房新社から新書サイズという体裁もオシャレ。これは『鏡の国の戦争』シリーズの続刊にあたる戦場,軍隊モノで,「いしいひさいちはテンポを狂わすということはないのか」と思われるほどに,変わらぬ苦味を提供するブラックユーモア集である。

 ……どうもタイトル名,シリーズ名ばかり列挙して申し訳ない。

 それにしても,いしいひさいちはもはや国民的四コママンガ家として「大家」の領域に入るだろうに,この四方八方あたりかまわぬ「嘲笑」はどこから出てくるのだろう。1970年代後半,デビュー当時の『バイトくん』や『タブチくん』なら,作者自身が無名の貧乏マンガ家,つまり弱者の側にいることから理解できなくもなかった。しかし,そのスタンスが朝日新聞連載を得た現在にいたるまで続き,他国の大統領を含めてとことんとんとんオチョクリ倒す,この神経は並みではない。
 しかも,それを支える,たとえばプロ野球,推理小説,戦争映画,時代劇,政治経済,哲学等々についての広範囲な知識……。いったいいつ読んで,観戦して,取材しているというのか。

 今回の新刊,『ドーナツブックスいしいひさいち選集 37 蜜月マーヤの暴言』の巻頭には,「月子」という,どちらかといえば地味な16ページの新シリーズが掲載されている。こーれーがー,怖い。小品ではあるが,いしいひさいち初のホラーである。もちろん,怖いといっても,決してゾンビの首が抜けて血がドーバドバとか,寝ていると天井から老婆が逆さまに顔の真上にぶらんとか,そういう怖さではない。一話一話は四コマギャグなのである……が,それでもやはりホラーなのだ。
 直接の影響は指摘できないものの,ここにあるのは,ラブクラフト,クトゥルー系の闇の系譜である。それが,いつもの白っぽい四コママンガで描かれていることが,怖い。
 いしいひさいちこそは引き出しの底の見えぬ「妖怪」なのである。

 なお,「月子」には,いしいひさいち全作品でおそらく初めての,ディープなキスシーンが挿入されている。いしい作品は足が早いので(書店店頭から消えるのが早いので),ファンの方は急ぐように。

先頭 表紙

もちミケルソンさま,遅ればせながら本年もよろしくお願い申し上げます。さて,萌えともうせば,ミケルソンさま萌え萌えのアレが,また何冊かたまっております。機会がありましたらお送りいたしましょう。 / 烏丸 ( 2004-01-13 01:32 )
月子さん、結構萌えではありませんでしたか。ええ、ええ、萌えでしたとも。 / もちミケルソン ( 2004-01-06 15:20 )

2003-12-08 読むのに時間がかかった本 『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』 スティーブン・ジェイ・グールド,渡辺政隆・訳 / ハヤカワ文庫NF


【アノマロカリスは,付属肢を使って獲物をその開口部まで運び,それをすぼめることで獲物を砕いていたのではないかというのだ。ペユトイアと命名されていた環状の板は,内側の縁に歯がついている。】

 忙しいときは忙しい。
 当たり前のようだが,本当のことだ。

 会議,会議,会議の用意,会議で決まったことの落とし込み,また会議。会議が3つ5つとブッキングし,自分で主催したミーティングで議事進行をとりながら,手元のノートPCから別の会議に指示を送る。ある部下は会議の最中に議題の業務をフロー化し,会議が終わると同時に議事録とフロー図の記されたExcelシートを出席者全員に送りつけ,確認を要請した。アッパレ,モノノフのかがみである。
 このような業務スパイラルにはまり込むと,昼飯を食べに出るのはなかなかに難しい。昼時といえど打ち合わせのお招きはメールや電話で押し寄せ,相談という名の業務押し付けがあらゆる通路で多発する。やむなく支援部隊に買いにいかせたコンビニのおにぎりとお茶を会議中にはむはむ流し込んで空腹を押さえ,そのうちコンビニメシを手配する暇もなくなり,最後はトイレに行く時間もなくなって往生する(本当)。
 夜9時から始まる会議に向かうエレベーターでなんだか足がふわふわするのでおかしいと思ったら,朝から固形物を一切口にしてなかった。その時間の会議ともなるとさすがに気心の知れた面子中心なので,急遽会議場を向かいのコーヒー店に移した。

 無茶苦茶ではあるが,この不景気なご時世,忙しいというだけで幸福なことだ。
 仕事をする自分を会社の歯車にたとえて社会を批判する者がいるが,そういう輩に限って歯車としても使い物にならない。目先の仕事や上司の命令に追われているのは本当の自分ではない,「自分らしさ」「本当の自分」を求めて有給を観光地で過ごす……勝手にすればよいが,その「弛緩」を会社に持ち帰らないでほしい。どうせその程度の「自分」は会社でも観光地でもその他大勢のワンピースにすぎないのだから。

 ……などなど,ちょいとモーレツ社員ぶってみたが,新しい商品やサービスを扱う際にたまに会議が重なるだけで,実態はそれほどでもない。ただ普段からそれなりに忙しいのは確かで,そうなると一人で昼食を食べに出られるときには,せいぜい仕事と関係ない本を手にその数十分をくつろぎ,リフレッシュしたいものだと思う。「自分らしさ」「本当の自分」を求めて……コラコラ。

 というわけで,ここ数ヶ月,昼食時に持ち歩いていたのがこの『ワンダフル・ライフ』である。昼食時だけに限定したので,読み終わるのにずいぶん時間がかかった。

 『ワンダフル・ライフ』は,カナダ,ブリティッシュ・コロンビア州の山中の「バージェス頁岩」にて発見された約5億年前の奇妙な小動物たちの化石をめぐって,生物の進化の謎を追うノンフィクションである。

 当初,バージェス頁岩の発見者であるウォルコットは,その生物たちを従来の節足動物の枠にあてはめた。すなわち,三葉虫やエビの一種とみなしたわけである。しかし,のちの研究でそれらは既存の分類体系のいずれにも収まらないことが明らかになってくる。それどころか,それは,従来の進化についての考え方を大きく覆すきっかけとなるものだった……。

 書物としてはまことに面白い。
 スリリングであり,説得力があり,ファンスティックで,さらになんといっても化石から復元された小動物たちの見目姿がよい。
 たとえば表紙の右に描かれたハルキゲニアは,どちらが前か後ろか,どちらが上か下かさえわからない。表紙左のオパビニアは,一見エビの一種のように見えるが,5つの目と先が爪状になったノズル(口?)を持ち,体節の上面には鰓,尾には3つの節がある。
 二対の棘が長く突き出た頭部とエレガントな鰓脚を持つマルレラ(当初は三葉虫の一種とされたがのちに否定された),頭部は節足動物に見えるがそれ以外は脊索動物のように見える(!)ネクトカリス,遊泳する扁平な動物オドントグリフスは円形型の歯が独特だ。
 本書に登場する小動物たちはいずれも謎に満ちて魅惑的である。マリアン・コリンズによる細密な復元画がまた魅力的で,嬉しい,たまらない。

 もっとも,進化に関する著者の主張については,若干首を傾げてしまう面もなくはない。
 グールドが指摘するのは,従来の進化の系統樹が逆円錐形をしており,現在に近づくにつれて枝が多くなり,複雑化することに対する疑問符である。彼はバージェス頁岩に見られる「カンブリア紀の爆発」に,生命は発生初期にこそ多様性が最大で,そこから悲運多数死によってどれかの種が偶然生き残る,という進化観をとる。
 この考え方がおかしいと言いたいわけではない……いや,そうではなくて,むしろ当然のような気がするのだが,違うのだろうか。つまり,グールドがこぶしを振り上げて否定したがっている進化についての思い込みは,そもそもそのような思い込みがあること自体馬鹿馬鹿しくはないか。
 どうもキリスト教に基づいた西欧文明というのは,動物の中では哺乳類,哺乳類の中では霊長類,霊長類の中ではヒト,といった具合に生物を「高等」「下等」に分けて悦に入るところがあって,逆円錐形の系統樹もそれと同じ根の上にはびこっているように思えてならない。「未開民族はすべて同一の発展段階を経て,西欧型の最終段階文明に到達すると考えていた十九世紀的進化論の遺物的な思想」(唐沢俊一『カラサワ堂怪書目録』光文社知恵の森文庫),これとそっくりな思考フォーマットである。
 しかし,そもそもそのような進化のとらえ方そのものがピンとこない者には,グールドの主張は今ひとつ意味がよくわからない。三葉虫は人類より下等だ,と言われても,すぐにはうなずけない。少なくとも,人類はあれほど幾何学的に美しくはない。
 グールドは本書において我田引水が過ぎ,コンウェイ・モリスらの研究者から反発を買ったらしい。その前に,東洋的,仏教的な輪廻観などを,(是非はともかく)進化学者たちにばら撒いてみたいような気がしないでもないがどうだろうか。

 いずれにせよ,バージェス頁岩の小動物たちは,夢のように美しい。
 のちの研究では,彼らの大半は(あのハルキゲニアすら!),実は従来の分類に収められると言われているそうだ。だが,別に進化や生物の分類学について正確な情報が欲しくて本書を手にしたわけではない。本書は十分に魅力的で,かつかなり論理的でもある。よい書物は,よしんば内容が古びてしまっても,読むに足るものなのだ。

 遅い昼食にのんびり箸を運びながら,カンブリアの海底に思いをはせる。穏やかだが,にぎやかな午後の海。君たちの波,君たちの光,君たちの闘いと生産性。

 ここに大きな泥の波が押し寄せて何億年かののちに発掘されたなら,僕たち人類はどのように評されるのだろう。僕たちはオパビニアやサンクタカリスのように魅力的に見てもらえるだろうか。少なくとも進化の長と認めてはもらえそうにないように思われてならないのだが。

先頭 表紙

2003-12-01 読むのに時間がかかった本 『蔭桔梗』 泡坂妻夫 / 新潮文庫


【静乃は眩しいようなあどけない笑顔を見せた。】

 読むのに時間がかかった,どころか,実はまだ読み終えていない。

 発行が平成五年二月とあるから,かれこれ十年近くもの間,通勤の鞄の中と本棚の未読コーナーを行ったり来たりしているということになる。我ながら,少々情けない。

 別に晦渋な学術書でもなければ,両手に重い超大作でもない。たかだか300ページに満たない文庫本に,収録短編11作品である。悪文で不評轟々というわけでもなく,実は作者の(遅めの)直木賞受賞作にあたる。
 だが,しかし……なぜかページを繰る手が止まってしまうのだ。

 泡坂妻夫のトリックはすごい。そのトリックを提供する展開がすごい。その展開の合間にほの見える人間関係に妙にほろほろと苦味があって,いわゆる「行間を読ませる」ところがすごい。
 デビュー短編を含む『亜愛一郎の狼狽』1冊だけで,作者がこの国のミステリ史上,最高の業師であることは明らかである。かと思えば,とことん設定で遊んだように見える初期の長編『乱れからくり』に登場する女探偵・宇内舞子の堂々たる存在感はどうだろう。彼女の過去については何一つ描かれていないにもかかわらず,両の腕を伸ばして抱えなければとても相手できそうもない,その肉の厚み。

 そんな泡坂妻夫が直木賞を受賞したのがやはりミステリではなく,紋章上絵師としての人情譚でだった,それが悔しい。作者当人がどう考えるかは別として,「失われゆく江戸情緒」を評価されて直木賞を受賞したのなら,亜愛一郎や宇内舞子,あるいは最近は初期の論理の妖艶さを失ってしまったとはいえ,奇術探偵 曾我佳城の価値はいったいどうなってしまうのか。

 いや,もちろんそれはミステリやSFになかなか賞を与えようとしない直木賞の選者,出版社側の問題であり,一方で初期のタッチを見せてくれない作者の作風の変化によるわけだが,それにしてもアクロバティックな魅力を失ってしまった泡坂妻夫,それにもかかわらず相変わらずほめてばかりの解説担当者たちの情けなさ。

 誰か,「読みたいのは,こうではなくて,こういうのではなくって……」とはっきり泡坂妻夫に提言しないものか。

 もちろん,『蔭桔梗』に収録されているような,紋章上絵師など古い技術にかかわる人々をしっとりと描き上げた作品がつまらない,というのではない。主人公が作者と同じ紋章上絵師であるからと,すなわち私小説的に日々の出来事を淡々と描いたのだろうなどと微温なことを想像するつもりもない。
 それぞれの作品にはそれなりに苛烈な設定やアイデアがこめられているのもまた事実であって,『蔭桔梗』収録作では,「竜田川」や「くれまどう」にその魅力を感じる。しかし,表題作の「蔭桔梗」そのものは,それほど褒めちぎるべきものだろうか。あるいは最近の長編で,読み終えたとたん最初から読み直したくなるような作品があっただろうか。

 などということを思いつつ読んでいると,なんだか没頭できずに短編の一つ二つ読んだところでまた本棚に戻してしまう。数ヶ月,あるいは数年して再度取り上げたときには,その空気になじむためにまた最初のページからめくることになる。
 いったいいつになったら読み終えることやら。

 ちなみに,出版された作品はほとんど読んでいるはずの泡坂妻夫なのだが,この『蔭桔梗』以外にもあと2冊,どうしても読めない「本」がある。
 1冊は長編『写楽百面相』,江戸中期の浮世絵師・写楽の正体をめぐって……ということのようだが,どうも文体だか冒頭の展開だか,あるいはその両方になじめず,これまた鞄と本棚を何度も行きつ戻りつしている。
 もう1冊は『生者と死者 酩探偵ヨギガンジーの透視術』……これを読めていないのは自分が悪い。出版されてすぐにもう1冊買っておくべきだった。これは,手元に2冊ないと,読むわけにはいかない類の「本」なのである……。新潮文庫ではとうに絶版,再販の気配もなければ,古本屋に出回りそうな本でもない。実に困っている。

先頭 表紙

……などという私評を書いたら,さすがに私評を書くためにぱらぱら目を通して,その勢いのまま最後まで読んでしまったさ。感想はとくに変わらず。 / 烏丸 ( 2003-12-07 03:11 )

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