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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-08-18 〈葬儀屋探偵〉明子シリーズ 『赤い霊柩車』『猫を抱いた死体』『毎月の脅迫者』『華やかな誤算』『大江山鬼伝説殺人事件』 山村美紗 / 新潮文庫
2003-08-11 『殺しも鯖もMで始まる』 浅暮三文 / 講談社ノベルス
2003-08-03 企業人必読! 『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』 川田茂雄 / 宝島社
2003-07-29 たおやかな漢字遣いの魅力 『黒いハンカチ』 小沼 丹 / 創元推理文庫
2003-07-21 『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』 監修 青島広志 / 飛鳥新社
2003-07-14 『死と彼女とぼく』 川口まどか / 講談社漫画文庫
2003-07-07 アンリ・ミショー「安穏をもとめて」 〜あるコミック作品の前奏として〜
2003-06-30 『謎解き 少年少女世界の名作』 長山靖生 / 新潮新書
2003-06-15 『ゴースト・ラプソディー』(全2巻) 山下和美 / 講談社漫画文庫
2003-06-09 バリ島版陰陽師 『踊る島の昼と夜』 深谷 陽 / エンターブレイン BEAM COMIX


2003-08-18 〈葬儀屋探偵〉明子シリーズ 『赤い霊柩車』『猫を抱いた死体』『毎月の脅迫者』『華やかな誤算』『大江山鬼伝説殺人事件』 山村美紗 / 新潮文庫


【顔は比較的傷んでなかったので,着物を着せると,なんとかみられる姿になった。】

 誰に聞いたのだったか,「葬」という字は,草の上に死体を横たえ,その上に草をかぶせる,そういう行為を表したものだそうである。
 もちろん,人口の爆発的に増えてしまった今,そのような弔いふうでは聖衆来迎寺の「人道九不浄相之図」のごとき有様をあちこちに見ることになっていただけない。これは要するに源信の『往生要集』の思想を具体化したもので,墓地に捨てられた死体が青黒く膨れ上がり,ただれて皮が破れ,血膿が流れ出し,犬猫に食い荒らされ,蛆がわき,白骨となり,ついには粉々に砕けて土とひとつになってしまう,その推移を克明に描いたものである。これが野山,町中,いたるところにあふれ返るわけだ。

 そこで,葬儀屋という職業が存在する。おかげで僕たちは父や母あるいは妻や夫,子供の亡骸を野山に捨てにいかずにすんでいるのだ。ありがたいことである。

 年齢がある程度いくと,同じ冠婚葬祭でも,結婚式より葬式のほうが多くなってくるような気がする。否,よしんば回数がおなじでも,同世代や若い世代の葬式が増えて,若いころのそれよりこたえるのだ。
 その葬式のひとつで,読経の際,ふと思いついた。
 「葬儀屋を本職とする探偵はいなかったのではないか。普段はクールで無口な葬儀屋の青年,葬式で死体を扱いながら,その死体の有様や遺族の言動にふと疑念を抱き,卓抜な推理力をもって見事に事件を解決していく。冠婚葬祭の作法や葬儀業界の裏表なども交えれば,推理以外の部分も読み応えが増すのではないか……」

 残念ながら,すでに先例があった。
 山村美紗の〈葬儀屋探偵〉明子シリーズ,『赤い霊柩車』『猫を抱いた死体』『毎月の脅迫者』『華やかな誤算』『大江山鬼伝説殺人事件』の5冊である(いずれも新潮文庫に収録)。
 主人公・明子は,交通事故で亡くなった父の跡を継ぎ,京都で葬儀社を切り盛りするようになる。葬儀の現場で遺体を検め,遺族とやり取りするうちにふと疑念が生じ……といったストーリーで,片平なぎさ主演でサスペンスドラマにもなっているらしい。
 文庫1冊に数編ずつ収められた中短編はいかにもサスペンスドラマの原作向き,京都を舞台に,ドラマにしやすそうな脇役も取り揃え(葬儀社の有能なベテラン社員や,明子の恋人の医者の卵など),推理ともいえない荒っぽい事件の発生から解決までの顛末が山村美紗ならではの箇条書きのような文体で描かれている(事件の発端から解決まで,ラブシーンも女事務員と茶飲み話をするシーンも,全編まったく同じ厚みの文章が続くのは驚嘆に値するほどである)。

 事件やストーリーは主人公が葬儀屋であろうが検察官であろうが女医であろうが別にかまわないようなしろものだが,それでも,葬儀屋の社員がいち早く死亡の情報を得るために病院の看護婦に付届けをしたり,警察無線を傍受したりといった(どこまで本当かは知らないが)営業努力を重ねていることや,友引を避け,火葬場の込み具合と調整し,といった葬儀のスケジュール感など,葬儀屋探偵譚「ならでは」の知識も得られ,その点ではなかなか面白い。

 ただ,個人的には本シリーズ,なんというか,少々,いや,かなり気持ちの悪いものだった。
 死体や殺害シーンが出てくることが気持ち悪いのではない。それらにまったく無頓着な主人公・明子やその恋人で医者の卵の黒沢が,気持ち悪いのだ。
 明子と黒沢は東京で知り合い,その後明子が父の跡を継ぐために京都に戻って,現在は遠距離恋愛中である。黒沢はときどき東京から明子に会いにくるのだが,休みの日でも葬式が入ると二人で出かけることもできなくなる。その按排は明子の職業が検察官であろうが女医であろうが変わらなかったに違いないが,それにしても火事で焼けただれた,あるいは発見が遅れて腐敗の進んだ死体の処置を施したその数時間後にその死体の有様を語り合いながら仲良く食事をし,それから二時間ばかり「愛をたしかめ」合う,二人の神経は太い。サスペンスドラマ向けサービスなのか,いずれの作品でも似たような展開で,このシリーズをそのように描いた山村美紗もまたそのような神経の持ち主だったということだろうか。

 この夏,ちょっとした旅行で京都に赴き,晴明神社を含むいくつかの寺社仏閣と,太秦の映画村を散策した。映画村では「最恐のお化け屋敷」というものに入ったのだが,(誰と入ったかはさておき)三十年ばかり前に入った縁日のお化け屋敷とは少しばかり様変わりしていて興味深く思った。
 昔の縁日のお化け屋敷も映画村のお化け屋敷も,迷路ふうの暗く狭い通路と音や風によって人を怯えさせる仕組みは似たりよったりなのだが,前者にまだ見受けられた一つ目小僧,ろくろっ首,唐傘といった「お化け」「妖怪」のたぐいは一切なくなり,「幽霊」でさえなく,映画村のお化け屋敷の恐怖の根源は惨殺された死体,磔られた死体,獄死した死体,要するに「死体」なのだった。ここのお化け屋敷のウリは人形にまじってプロの俳優が突然現れ,恐怖を演出することなのだが,彼らが演ずるのも「幽霊」というよりは,怨念のあまり死ぬに死ねない「死体」なのであった。
 つまり,科学や理屈が妖怪や幽霊を追いやった結果,リアルな恐怖として残されたものはソリッドな「死体」に対するそれ,ということだろうか(太秦のお化け屋敷1つでそこまで言うのも何だが)。

 さて,〈葬儀屋探偵〉シリーズに登場する恋人たちは,この「最恐のお化け屋敷」に入っても冷静に観察して歩ける,職業的経験に裏打ちされた強心臓の持ち主なのだろうか。それとも単に無神経なのだろうか。どうも後者のように思われてならず,それがグロテスクで底なしに気持ち悪いのである。

先頭 表紙

ところで「太秦」って,広隆寺など,聖徳太子と秦氏にゆかりがある土地だから,太と秦の字があてられている,のだそうです(MKタクシーの運転手さん曰く)。でも,なんでその読みが「うずまさ」なんでしょうね? / 烏丸 ( 2003-08-28 23:05 )
添付画像はシリーズ第二作の『猫を抱いた死体』。表紙の恋人達(多分)に菊の花をあしらったミステリって珍しいと思う。 / 烏丸 ( 2003-08-18 03:07 )

2003-08-11 『殺しも鯖もMで始まる』 浅暮三文 / 講談社ノベルス


【魚はジャック・ロビンソンといい終わる前に腐っちゃいますからね。】

 推理小説が,見ていて,つらい。

 新本格,日常の謎,と多少の盛り返しはあったものの,このところ「新機軸」といえるほどの潮流は現れず,江戸川乱歩,松本清張といった大巨人も登場しない。島田荘司を上回る者さえ噂を聞かず,少なくともここ数年の新作を読むくらいなら,過去数十年間の傑作を手に取り直したほうがよほど充実した時間が過ごせそうだ。

 そもそも,前提条件が厳しいのである。
 たとえば,密室殺人のトリックは,主だったものがすでに出揃ってしまった。一見新しそうなアイデアも,過去のいずれかのカテゴリーに折りたためてしまう。無理やりアクロバティックなトリックを捻出しても,やれ紐や装置を用いる機械トリックはつまらない,心理トリックとしては過去の何々という作品に似ている,などなど。

 けだし,推理小説の作者やファンは大きく2つに分かれるようで,一方はやたらとお勉強好きで記憶力がよろしい。やれ誰の作品のトリックが,やれこのプロットは誰の作品で,と過去の作品の生き字引であることがすなわち権威であるかのような,そのような一派がいる。かと思えば,もう一方は不思議なくらいそういったことに頓着しない,極端にいえば同じ作品の中の十数ページ前と矛盾することを書いてもとくに気にしないような,そんな一派である。
 前者はおもに「本格」という旗のもとに集いたがり,後者は決して集わない代わりに推理小説は体力勝負とばかりに百も二百も長編を生産し続ける。B級C級サスペンスドラマの原作としてスタッフロールをにぎわすのも主に後者のつとめである。興味深いのは,後者の作家の担当編集者もまた忘れっぽい御仁が少なくないようで,使い古された,いや同じ作家の作品で何度も用いられたトリックにせいぜい国内日帰り旅行パックをかぶせた程度の作品に「本格」「驚愕」「空前絶後」等の惹句をつけたがる傾向が強いようだ。
 閑話休題。

 さて,今回ご紹介する『殺しも鯖もMで始まる』は,昨今の推理小説の素地,素材の枯渇を思い切り現すような……要するに痛々しいまでにつまらない作品の1つである。

 発覚した殺人の状況そのものは,なかなか面白い。
 死体が発見されたのは地中の空洞であり,その空洞のあった原っぱには穴が掘られた形跡がまったくない。死んでいたのは奇術師であり,彼はなぜか「餓死」しており,空洞の中には「サバ」なるダイイングメッセージが残されていた。……

 この作品が傑作として記憶に残るためには,この殺人が地中の空洞で行われた理由になるほどと手をうち,「サバ」の文字の解釈にそれはごもっともと指を鳴らし,さらにそれらすべてを指摘して犯人を割り出す探偵の手腕に溜飲が下がらねばならない。
 だが……。
 未読の方へのネタばらしはご法度なので詳細には書けないが,この作品では,犯人がなぜ地下の空洞で殺人を行わねばならなかったのかについて,とくに明確な理由がない。いや,探偵は説明したつもりなのかもしれないが,アリバイを目的とするなら,このような発見されにくい犯行現場には意味がない。逆に,「サバ」というダイイングメッセージのわかりにくさも説明がつかない。もし被害者が犯人を示したかったのなら,堂々と名前や殺害方法を記せばよいのだ。この状況では,犯人に消される心配など別にないし,消されるなら何を書こうが同じなのだから。
 「サバ」に続いて「ミソ」なるダイイングメッセージが残される第二の犯行は,第一の犯行に比べれば目的はわからないでもない。しかし,第一の犯行同様,作者が「密室殺人」「ダイイングメッセージ」を描くために起こされた感は否めない。

 その他,本作について文句を言い出せばキリがない。
 登場人物の一人が何十回も繰り返す「なんだ,ほりゃ」「なんじゃ,ほりゃ」という口癖はうるさい限りだし,刑事の部下の妻についてのやり取りもしつこくてうざったい。それ以上に鬱陶しいのが,探偵役の青年が突拍子もない警句を撒き散らすことだが,これについては作者も確信犯的なところがあるらしく,とりあえず是非は問わないでおこう。

 そして,一番残念だったことは,探偵の青年は葬儀屋として事件にかかわってきたにもかかわらず,彼が葬儀屋であるという事実は全編を通してとくに何の布石にもなっていなかったことである。
 実は今回,これほど酷評する作品を捜し求めて読んだ理由は,探偵が葬儀屋である,という一点につきたのである。これについては,次回に続けて取り上げたい。

先頭 表紙

もし皆様が誰かに殺されかかって,もしそこでダイイングメッセージを残したいと思われたなら,オススメしたいのは,顔でも胸でも,自分の体にツメでかきむしって犯人の名前を書き残すことです。被害者は必ず解剖されますし,それを消すのはまず不可能。書かれた部分を切り取られたら? いやいや,そんな余裕がある犯人なら,そもそもダイイングメッセージなど残すいとまもなく,きちんととどめを刺すに違いありません。その際はあきらめて天国にまいりましょう。 / 烏丸 ( 2003-08-11 21:46 )
ダイイングメッセージですが、よく床や壁に血文字でえらくわかりにくいことが書き残されていた,ということになっている。たいがいは,直接犯人の名前を書くと犯人が戻ってきて消してしまうから,という説明で押し通していますが,生死の境目で被害者にそこまで知恵が働くものでしょうか?(スペードのジャックを手に,なんてもってのほか!) / 烏丸 ( 2003-08-11 21:34 )
次回を楽しみに待っておりまする。そのダイイングメッセージの件、ワタシも昔から不思議でした。何故殺されてまで回りくどいんだ被害者たちよ… / 皮肉屋彦左衛門 ( 2003-08-11 13:18 )

2003-08-03 企業人必読! 『社長をだせ! 実録 クレームとの死闘』 川田茂雄 / 宝島社


【「あなたね,これは,いるのいらないのの問題じゃありませんよ。」】

 好著である。
 サポートセンター,サービス窓口など,インバウンド接客を主業務とする部署の方はもちろん,営業企画や製品開発にかかわる方々にもぜひとも読んでいただきたい。

 本書の構成はきわめてシンプルで,とあるカメラメーカーで製造部門,消費者相談室,サービスセンター所長等を務め,数多くのクレーム処理にあたってきた著者が,その経験をもとにクレームとそれに対する対応を語る,というもの。当然ながらカメラ,レンズという製品に固有のクレームが少なくないが,クレームなるものの本質,それに対する処置,対策が平易な文体でまとめられており,その内容は業種を超えて説得力がある。

 たとえば,海外旅行にカメラを持っていったが,その故障のせいで貴重な写真がすべてダメになった,旅行費用を全額弁償してほしい。そうでないならそれに匹敵する金額のカメラ,レンズが欲しい……そう主張して説得に応じず,自分の言い分が通らないと泣き,わめく女性。
 クレーム対応のポイントは「さじ加減」にある。正直言って,この著者の対処がすべての場合に正しかったとも思えない。たとえばある事例で著者はクレームをしかけてきた相手に対し何十万円かを手渡そうとする。結果的に渡さずにすんだとはいえ,一般的にそれがよい対応とは思えない(相手が総会屋スジなら思うツボである)。さりとてこの事例でほかにどのような対処があり得たかといえば,わからない。それがクレーム処理の難しさだ。

 また,これは経験的にいえることだが,クレーム処理には向き,不向きがある。低姿勢に出なくてはダメだが卑屈に謝り通してもダメ。顧客の側に立つことは大切だが,一緒に会社やサービスの悪口を言ってるようではダメ。トークの中に顧客の言い分が法的に通らないことを交えなければならないが,だからといって高圧的になってはダメ。つまりは,顧客の言い分を承りつつ企業として主張すべきは主張し,丸く四角く好感を持たれなくてはならない。風貌や服装,髪型,声のトーンなども影響するだろう。

 知人にクレーム対応のスペシャリストがおり,いざヘビークレームが発生したと聞けば「いやーまただよ,まいった」と口ではぼやきつつ喜色満面で日本全国どこへでも飛んでいく。技術やサービスオペレーションについての知識はけっこういい加減なのだが,にもかかわらず重大クレームをなんとなく片付ける。あげくに全国に彼のいうところの「お客様」,つまりお友達にしてシンパの情報源を得てしまう。
 彼の場合,組織運営や管理面では何度もトラブルを起こしているのだが,ともかくクレーム対応のプロとして評価を受け,役職とは別に,常に部長待遇を受けているらしい。

 ただ,かつて東芝事件で話題になった人物がそうであったように,業者側から一種「有名人扱い」されるような,クレームのスペシャリストが存在することもまた事実だ。
 ある電気製品の業界では,もう十数年も前にある製品を購入し,些細な問題点を騒ぎ立てて代金を払わず(ここまでならまだわかる),その問題点についていつまでもしつこくクレームを発し続け,担当者を呼びつけては新品と交換させ(ここまでもまだ理解できるが),あげくにその製品について新製品が発売されるたびになんだかんだと持ってこさせ,一度も代金を払わないままに十数年間新しい製品を使い続けているという人物がいる。
 この例ではメーカー担当者の初動がまずかったのだろう……と批判するのはたやすいが,実際にここまで横暴な顧客(正確には顧客とすら言えないか)に自分がとりつかれた場合を思うと,想像しただけで脂汗が吹き出しそうである。

 自分でもライトからヘビーまで,何度かクレーム処理に苦労したこともある。
 そんな経験から漠然ととらえていた顧客のクレームを,本書のように【ごね得型】【プライド回復型】【神経質型】【新興宗教型】【自己実現型】【愉快犯型】などときちんと分類してもらえると,過去のそれぞれの例が顧客のタイプ,目的,クローズの仕方など,非常に明確になったような気がする。
 また,このクレームの分類において,著者が【泣き寝入り型】,つまりクレームを言ってこない顧客こそが企業にとって最も厳しいクレームである,と指摘するのには目を洗われる思いがした。確かにそういった顧客を放置することは,その企業,製品からの顧客離れを進め,また製品やサービスの改善の機会を失うことでもある。
 サポートセンターは単に顧客の質問に答え,クレームを撃退するためにあるわけではないのだ。

 とにもかくにも,穏やかな口調で淡々と書かれてはいるが,奇妙な,あるいは過激なクレーマーたちの言動を読むだけでも十分読み応えがあるし,さらにそこからさまざまな企業対応のノウハウが読み取れる。中堅サラリーマン必読の1冊である。チーズや金持ちとーさんなどよりよほどオススメ。
 ただし,読んで万一つまらなくても,「くるくる回転図書館」にクレームのつっこみを入れてきたりしないように。

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※本評はベストエフォート型の私評であり,取り上げる書籍,コミックの紹介の品質を保証するものではありません。
※本評に関するテクニカルサポートは受け付けておりません。
※本評の開封後はお早めにお召し上がりください。
※夏場はいたみやすいウニ,ウズラ玉子のお持ち帰りはお断りしております。

先頭 表紙

なるほど。では,カラスが架空の書物の書評を書いて遊んだこちらの『暴走』の項もご覧いただければ,笑っていただける,かも。 / 烏丸 ( 2003-08-11 21:22 )
過去に一時期サポート業務の末席を汚していた者としても非常に興味があります。これは旧仲間たちにも薦めてみようかとワタシも思っておりまする。良い本のご紹介、ありがとうゴザイマシタ。 / 皮肉屋彦左衛門 ( 2003-08-11 13:20 )
皮肉屋さま,本書をして,うちの会社の「夏の課題図書」に指定,感想文を提出させてはどうか,なんて考える今日このごろであります。 / 烏丸 ( 2003-08-11 02:24 )
このカバーがまたイイですな。(笑) / 皮肉屋彦左衛門 ( 2003-08-05 00:28 )
あややん,お久しぶり〜♪ カラスは昔,クレーム電話1本の間に「バカか」と四十数回罵倒されたことがあります。正正正と書いて数えたの。面白かったのはその電話,まずカラスが出て,「上司と変われ」と言うからカラスの部下に変わって,「お前じゃ話にならん,もっと上司と変われ」と言うのでもう一度カラスが(ちょっと声を低くして)出たのでした。 / 烏丸 ( 2003-08-04 00:39 )
ははははは!とっても面白い書評でした。クレーム処理には人並みならぬ思い(いれ?)があります。この本はぜひ手にとってみます。 / あやや ( 2003-08-03 20:57 )

2003-07-29 たおやかな漢字遣いの魅力 『黒いハンカチ』 小沼 丹 / 創元推理文庫


【──お這入んなさいな,なんて変だわ。】

 昭和32年4月から翌年3月までというから……もう45年以上も昔,雑誌「新婦人」に「ある女教師の探偵記録」とサブタイトルを付して読切連載された短編作品の初文庫化。
 探偵役はA女学院のニシ・アズマ先生。小柄で愛嬌のある顔をした彼女は,その鋭い観察眼から,ふとしたきっかけをもとに事件を見つけ出し,控え目にその真相を説く……。事件といってもいくつかは窃盗や寸借詐欺の類で,全12話のうち1話にいたっては犯罪ですらない。また,血なまぐさい殺人事件においても犯人の動機やその逮捕は物語の外にあり,ささやかで成就しないアズマ嬢のラブアフェアのほうがむしろ心に残る。

 この作品をして,チェスタートンのブラウン神父の子孫,あるいは昨今の北村薫をはじめとする「日常の謎」系ミステリの祖とみなして論を張るのは不可能ではないだろう。しかし,どちらかといえばそれは牛刀をもっての類ではないか。『黒いハンカチ』の一連の作品にはブラウン神父譚のような論理のアクロバットは用意されていないし,「日常の謎」に素材を求めざるを得なくなった現代ミステリの枯渇感もない。悠揚たる筆致で描かれるは,女学院という女の園を主舞台とした,エスプリあふれる軽妙洒脱なプチパーティの記録である。
 実際,探偵小説の系譜の中で論じるより,同じ著者の『小さな手袋』(講談社文芸文庫)というエッセイ集の惹句に記された「日々のささやかな移ろいの中で,眼にした草花,樹木,そして井伏鱒二,木山捷平,庄野潤三,西条八十,チエホフら親しんだ先輩,知己たちについてのこの上ない鮮やかな素描」の一節のほうが,この作品の本質を格段によく表すものと思う。なるほどチエーホフが女性誌向けにユーモアミステリ短編を書いたら,このような雰囲気になるかもしれない。

 書かれた時代のせいもあって,本書では少しばかり古めかしい言葉遣い,正確にいえば「漢字遣い」に心を魅かれた。初めのほうのほんの十数ページをもう一度軽くひもといただけでも次のような具合である。

 「おやおや,さてはあそこで午睡でもする心算じゃなくて?」(ひるね,つもり)
 「それなら茲へお通しして頂戴な」(ここへ)
 「真逆……,こんな汚い所へお客さんをお通ししちゃ」(まさか)
 「二分と経たぬ裡に」(うちに)
 「まあ吃驚した。目覚時計のベルだったのね?」(びっくり)
 「卒業して暫く会わなかった」(しばらく)
 「頗る面白くなかった」(すこぶる)
 「兎も角,もう一度その専門家とか」(ともかく)
 「これ真物でしょうね?」(ほんもの)
 「狼狽てて呼び留めて」(あわてて)

 さりとて漢字の割合がそう高いわけではない。一般に,漢字が多いと「堅い」「固い」「硬い」文体,ひらがなが多いと「柔らかい」「軟らかい」文体とされるが,上記のような言葉が漢字で書かれていることが決して文体を硬直させていないのである。
 むしろ,これらの漢字遣いは,やまとことばが漢字で表記されてなお柔軟でたおやかな意味を含みもてることを示してくれるような気がする。『黒いハンカチ』にて採られた口調はややもすれば中間小説的であり,決して名文,美文調とは言いがたいが,それでも短冊に書くかのようにさらりと記された文言は日本語の機能の豊かさを嬉しく感じさせてくれるものである。

 収録12作品をミステリとしてとらえれば,とくにお奨めするようなものではないかもしれない。ミステリとして「頭に」残るようなものではないからだ。その代わり,本書はささやかに読み手の「心に」残る。
 ──そうじゃなくって?

先頭 表紙

2003-07-21 『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』 監修 青島広志 / 飛鳥新社


【けれどもあれは死んでいる うごかない…あれもレド・アールだ】

 どこで小耳にしたものか,長男が突然「アバンギャルドって何?」と言い出した。既存の権威や流派を否定する芸術上の手法,作品のこと……といった程度の知識は持ち合わせているが,しかし,これをピカソやシュルレアリスムはおろか,「芸術」という概念さえない小学生にどう教えればよいのか。モナリザが,ピアノ発表会の選曲が,書道の練習が,と回答に到る道とも思えぬあれやこれやの話題が飛び交って,あげくに我が家の食卓ではカンディンスキーのように,どちらが上だか下だかわからないのがアバンギャルドということとなった。

 言われてみれば,アバンギャルドという言葉に縁遠くなって久しい。1960年代,70年代には,ファッションや映画について,まだまだ日常的に耳にする機会が少なくなかった。「キーハンター」で大川栄子演ずる丸顔のお嬢さんがちょっと奇抜な洋服を着て現れると丹波哲郎がすかさず「アバンギャルドだねえ」とつぶやく,とか。
 一方,現在,ちゃんとした主旋律もなく,意味不明なつぶやきや自然音だけを組み合わせた音楽CDが発売されたとして,それが面白いか面白くないか,売れるか売れないかは語れても,アバンギャルドとは言われないような気がする。スタンダードがなければ,それに対するアンチも動機足り得ない,そういうことなのだろう。

 さらに加えて,単にコラージュ的であったり幾何学的であったり上下が判別不明であったりすることと,アバンギャルドとはまた少し異なるような気がしないでもない。シュルレアリスムや表現主義においても,ダリやキリコ,ムンクらはアバンギャルドとはまた違うような気がする。アバンギャルドという言葉が似合うためには,もう少し乾いてなくてはダメだ。たとえばピカソの「ゲルニカ」など。

 ひるがえって我が国のマンガ誌において,アバンギャルドなる言葉が雑誌単位で最もよく似合ったのは,虫プロ商事の月刊誌「COM」だったような気がする。たとえば「COM」と同時代,青林堂の「ガロ」に掲載されたつげ義春の「ねじ式」などは,悪夢を自動記述的に描くことにおいてシュルレアリスムの類縁にあるが,どうもアバンギャルドという言葉は似合わなかった。やはり,アバンギャルドを称するためには,(裏にいかなる七転八倒があれど)あくまでクールで既存のものにとらわれないドライさを持ち合わせていなくてはならない気がする。

 そして,1960年代の「COM」のアバンギャルドな空気を代表する作家の一人,それが岡田史子である。
 岡田史子については,かつて朝日ソノラマから発刊された『ガラス玉』を紹介しているので,そちらを参照いただきたい。

 岡田史子は萩尾望都をして「天才」と呼ばしめた稀代の短編コミック作家であり,その鮮烈さにおいて比較し得る対象を知らない。
 しかし,今回飛鳥新社から発刊された『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』は,残念ながら朝日ソノラマ版に比べておよそオススメに足るものではない。一人の作家の作品集を編み上げるにおいて,編集や監修の力はそう影響を及ぼすまいと考えるのが普通だ。朝日ソノラマ版と今回の作品集においても,かなりの作品が重複して収録されていることでもあるし……。
 だが,「ODESSEY」というおよそ岡田史子の作風に似合わないサブタイトルを含むごちゃごちゃした書名,表紙カットの選択,その色遣い,作品の収録順,著者への回顧談の依頼にいたるまで……あらゆる切り口からみて,本書は1冊の書物として最低の次元にある。

 岡田史子本人の思いがいかなるものであったにせよ,岡田作品は,プライベートな感傷とは別の次元で読み手に意味を問うものであった。際立って特殊な技法ではなかったにもかかわらず,それはアバンギャルドと呼ぶに足る衝撃を当時の読者,ことにマンガ家や作家をめざす者に大きなショックを与えたものだった。
 たとえば,作品ごとにタッチ,とくに登場人物の「目」の描き方を変えた「とらわれなさ」。作品内世界の木で鼻をくくったような会話の「不親切さ」。それらのすべてが読み手に突きつけられた問いの刃だったのである。

 それを,作家の家族構成だの,作品がコンテストで評価されるかどうかに一喜一憂するさまだの,要するに楽屋ネタばかり加えてどうするのか。いや,百歩譲って資料的価値ありとして掲載するまでは容認するとしても,作品そのものの魅力を邪魔せんばかりに巻き散らかしてどうするというのか。

 コミック作家としての岡田史子は,実際のところは,キャリア的にもテクニック的にも,およそプロといえる水準にはない。作家としてのキャリアを一望にしてみれば,決して商業的に成功したとはいえない「COM」という雑誌の,そのまた「投稿者」に毛の生えた程度の存在に過ぎない。その作品が……場合によっては佳作扱いで,雑誌の1ページに2ページ分ごと縮小されて掲載された程度の作品が,あれほどの衝撃を残したことを思い起こすべきだろう。それを,今さら40年近く昔の「投稿者」としての作者の等身大の姿を紹介することに何の意味があるのか。

 そもそも,このような作りの『ODESSEY 1966 2003 岡田史子作品集 episode 1 ガラス玉』を手にして,新たに岡田史子に衝撃を受ける者がどれほどいるだろう。本書は岡田史子という資源の浪費にすぎない。

先頭 表紙

いえいえ,もちろん岡田史子フリークの烏丸としては,ここで入手し損ねていたら痛恨失態河童の砂漠巡りとなるところでした。episode 2も発売されれば速攻で注文の心算。ただ,この1冊で岡田史子と初めて出会う人のことを思うと,余計なお世話ながらもちょっと心配……。 / 烏丸 ( 2003-07-29 01:35 )
ひぃぃぃぃ。いやー、私もまだ手に取ってなかったのですみません。朝日ソノラマ版は読んだことないので見てみたいものです。おわびに最近作ったブツを送らせていただいきますので、ちょっとお待ちを。 / けろりん ( 2003-07-22 20:43 )
それにしても,多分,マズいのは監修の青島なにがしと,それから岡田史子当人なのでしょう。あの時代,あの「COM」にあのような形で作品を発表した,ということの特異性が,当人たちにはかえってわかっていなかったということではないかと思います(朝日ソノラマの編集者は,そのあたりが非常にわかっていたものと想像されます)。 / 烏丸 ( 2003-07-21 03:47 )
けろりんさまからお誕生祝いにご紹介いただいた本をここまで叩きのめして,まぁどうしましょう。 / 烏丸 ( 2003-07-21 03:46 )

2003-07-14 『死と彼女とぼく』 川口まどか / 講談社漫画文庫


【 「オリは…… ハナをみてる」 「そうか花か キレイだもんな」 「うん キレイ」 】

 ……死者を見る能力を持つ少女,時野ゆかり。
 死者の声を聞く能力を持つ少年,松実優作……。

 死者の孤独と恐怖が見えてしまう,聞こえてしまう彼らの孤独は深く,少女はいっそそんな目を針でつぶそうか,薬で焼こうかとまで思いまどい,少年は聞こえないはずの声をかき消すために1日中ヘッドホンをはずさす,あげくに三度にわたって自ら鼓膜を破る。

 死者たちは天井のすみ,休んでいる生徒の机の下,ロックされた車の中,立ち読みする人のとなり,あるいは道にあふれ,ゆかりや優作の部屋に押し寄せ,泣き,わめき,騒ぎ,訴える。

 設定そのものはホラーマンガとして決して珍しいものではない。だから,本作をオーソドックスなホラー作品とみなすのはたやすい。が,ホラー作品とのみみなすのは難しい。

 もちろん,この作品においても,死者の多くは悪意に満ち,血まみれで臓腑をさらし,グロテスクだ。人としての姿形を維持していないものも少なくない。
 だが,死者の造形に対する作者の考えは明確で,「ほとんどの死者はどうしても内面をかくせなくなっていくの だってしかたないわ もともと肉体のない 心だけの存在ですもの」,そういうものである。
 つまり,たとえば事故の死のショックに動転して我を忘れた死者は顔の半分を喪った血まみれの姿で現れ,自分が誰かを思い出し,残された家族のことを思いやれば同じ死者が穏やかな若い父親のはにかみを見せる。悪意をもった死者は悪意を剥き出しにし,突然の死にとまどい,不安を隠しきれない死者はときどき子供の姿にフラッシュバックし,水に沈んでぶよぶよと膨れた死者は生者の優しさにふれたとき生前の姿に戻って涙を流す。
 逆に,どこまでも生者を呪ってやまない死者の肢体はゆがみ,凝固し,痛みに苦しみながらだんだん石化して身動きならないまま何年もその場で苦しんだり,熔けて動けなくなってしまったりする。

 本作では死者は生者同様に明るく,あるいは暗く,おしゃべり,あるいは無口,攻撃的,あるいは穏やかだ。……しかし,妄執に我を忘れて生者を呪う死者も含めてすべての死者が切なく,哀しい。
 なぜなら彼らはすでに死んでいるのであり,「生きていくことが 幸せの宝庫だと 気づいてしまって」,その限りではもうどうにも取り返しがつかないことを彼ら自身がよくわかっているからだ。

 死者の姿が見えてしまうゆかりは,死者たちからみると光ってよい匂いのするものらしく,死者はゆかりを見そめては彼女を追い,彼女に迫る。生者たる彼女の体を乗っ取ろうとする死者もあれば,性的虐待すら辞さない死者もいる。死者がゆかりをコントロールしきれないのは,結局のところ死者は死者であり,弱いからにすぎない。

 そんなゆかりの絶望を描く川口まどかの絵柄は,お世辞にも巧みとは言いがたい。
 感動的なシーンで登場人物の手足がドラえもんのそれのようであったり,キスシーンで優作の唇が河童の口のようだったりする。第一話から最新作にいたるまで,川口まどかの絵柄は大きく変化しているが,最新作にしてもせいぜいレディスコミックレベルの,デリカシーに欠けた大雑把な絵柄に過ぎない。ことに瞳や唇の描き方は山岸凉子や大矢ちき,萩尾望都,山本鈴美香らの開拓したテクニックを無視して,まるで60年代の少女マンガのようだ(60年代の週刊少女マンガ誌には,ままこのような絵柄のB級ホラーサスペンスが掲載されていたような気がする。もちろん,実際は川口まどかのほうが格段に洗練されてはいるのだが)。

 ……と,ここまでの大まかな紹介では,実はこの作品についておよそ語ったことにはならない。

 まず,互いにその予兆を知りながら,何年もかかってようやく出会うことのできたゆかりと優作の間の固い絆。この面において,本作は赤面しそうなほどの甘いラブロマンス,いやファンタジーの領域にある。

 いや,そんなことより,死者だ。

 かつて,いかなるホラーサスペンスにおいて,その死者(幽霊)が見えてしまう者をして,死者に対し
「そんなことばかりしてちゃ 暗闇に閉ざされて動けなくなるわ!! ひとり苦しむのは いずれ あなたよ」
「冷静に よーく考えることだ やりきれなさから 逃れたいのか やりきれなさの虜になりたいのか 自分を救うには最終的には 自分しかいないんだ 自分しかな」
「赤ちゃんはね どんな死者にでも さわろうとするわけじゃないの キレイで ステキな そして 幸せになって当然の 死者にしか 近よろうとしたりしない」
と語らしめるような作品があっただろうか。

 『死と彼女とぼく』の中では,時間はゆっくり流れ,ときには逆行して何年も昔のことが語られ,あるいは長きにわたって1人の死者と過ごした時が数コマの間に語られる。
 ある死者と出会い,その死者とゆかりと優作が語り合う穏やかな何日,何ヶ月,何年の月日。その死者がいつかはこの世界から消える(一種の成仏ということだろうか),その寂寥感。
 生き残った者たちを愛する死者,さらには誰という具体的な対象すら越えて人々の幸福を願う死者。

 説話文学というジャンルが喪われ,きまじめな道徳訓話が忌避される時代に,この作品のうちいくつかは,あらすじだけ切り出すと鼻につきそうなほど教訓的である。しかし,それが不快に感じられないのは,先に挙げたような教科書的,宗教説話的なセリフが,ゆかりや優作,あるいは死者たちのおかれた状況の切実さから発せられた言葉だからではないか。ただ死者を恐れ,逃げまどっていたゆかりと優作は,成長とともに,死者のいる生活に慣れ,死者たちの哀しみを見つめ,自分たちにできること,できないことを見すえるようになる。

 つまり,ここで語られる死者とは,ゆかりや優作にとっては(ほかの人間たちに見えない,聞こえないというだけで)閉じた,彼らの社会の構成員なのである。そして,人間社会において疎ましい,呪わしい人物がいるように,あるいは美しい,愛しい人物がいるように,あるいは暴力的なあるいは甘美な人物がいるように,死者たちにもさまざまな存在があり,さまざまなコミュニケーションの物語がつむがれる。

 だから,これはホラーサスペンスではなく,切ないまでのコミュニケーションギャップと,その裏返しとしての稀有なコミュニケーションの果実を描いた物語なのである。そしてそれは,ゆかりや優作が,あるいは死者が,自らの思いを伝え得ない,あるいは伝える相手をもち得ない子供であるときに,いっそう悲哀のこもった旋律が流れることになる。

 『死と彼女とぼく』の世界において,多くの死者は生きた人間以上に人間らしい。死者たちは呪い,攻撃し,願い,泣く。
 この作品世界で死者として存在することは,生半可な生者とは比較にならないほどあざらかに生きることなのである。

先頭 表紙

どうもありがとうございました! 烏丸師をうならせる文章は程遠いでありますが・・・あのキャラで今後も・・・?  遅くなりましたが・・・【お誕生日おめでとうございます】  / ムッシュ ( 2003-07-18 12:03 )

2003-07-07 アンリ・ミショー「安穏をもとめて」 〜あるコミック作品の前奏として〜


 「この世をうけいれない者は家を建てない。寒さを覚えずに風邪をひき,熱くもないのに熱がる」
 アンリ・ミショーの散文詩「安穏をもとめて」(思潮社『ミショー詩集』,小島俊明訳)はこのように始まる。

 「あんのんをもとめて」という何となく呑気で穏やか極まりない音感の題名とは裏腹に,そこで描かれるのは苛烈な男の生きざまだ。何が苛烈かといえば,その生きざまが,ことごとくずれているからである。彼は「まるで何もうち倒さないかのように,死刑執行人をうち倒す」,「渇きを覚えないのに彼は水を呑み,岩のなかへ平気で入っていく」。
 そして彼は「荷馬車にひかれて脚が折れても」「空気のない大暴風が彼のなかで吹き荒れ」ても,平和に思いをはせる。「地獄に堕ちて痛みもだえている平和,彼の平和,人びとがその平和以上だという平和に思いをはせる」のだ。

 ミショーが何を思ってこの作品を書いたのかは知らない。
 「彼」や「死刑執行人」「水」が何の暗喩(メタファー)であるのか,この「平和」がいかなる意味をもつ「平和」であるのか,まるでわからない。
 だが,この作品は心をうつ。正確にいえば,心をはがす,もしくは心をはぎ分ける。

 人間の衝動や,その衝動がもたらす行為,その結果。それらとはまるで別のところで,別の色合い,別の次元,別の音程で,常に願われ,常に描かれ,常に奏でられ続けられる希い。それが「安穏への思い」であるとするなら,ここで語られる「安穏」はただ一人の人間の生活における安逸などであるはずもない。単なる戦争と反対の状態としての平安などであるわけはないのだ。

先頭 表紙

おお,けろりんさま,貴重な情報をだうも〜。さっそく注文いたしました。「episode 1」というのがなんとも,スターウォーズみたいですね。 / 烏丸 ( 2003-07-14 00:45 )
フィー子さま,この烏丸,さすがにもう誕生日を祝う年でもありませんが,子供たちとケーキを買いにいくのはそれなりに楽しいものがあります。次男が,ケーキ屋にいくと,欲しいのがなかったり,長男の言動が気になったりで毎度毎度必ず涙を流すハメにおちいるのがまたかわいい。 / 烏丸 ( 2003-07-14 00:45 )
お誕生日祝いにプチ情報を。岡田史子さんの新刊が出ましたよ〜。詳しくは飛鳥新社のサイトでチェックを! / けろりん ( 2003-07-09 01:04 )
本当にいろんな分野の本をお読みですね。お誕生日おめでとうございます。 / フィー子 ( 2003-07-08 17:44 )

2003-06-30 『謎解き 少年少女世界の名作』 長山靖生 / 新潮新書


【(『若草物語』のジョーとローリィは)揃いも揃って,自分が現実に所有している性と,こうでありたいと望んでいる性が分裂している倒錯者なのである】

 試みは素晴らしく面白い。

 要は,「少年少女世界の名作」として扱われてきた過去の文学作品のあれこれをまな板に乗せ,これまでとは違う切り口で料理してみようというものである。
 取り上げられた作品は『フランダースの犬』『王子と乞食』『小公子』『宝島』『家なき子』『十五少年漂流記』『ドリトル先生物語』『ピーター・パンとウェンデー』『野性の呼び声』など,懐かしくも記憶に鮮やかな作品ばかりだ。

 だが,1つ1つの論評を読んでの印象は,残念ながらあまり鮮やかとは言いがたい。

 たとえば斎藤美奈子の『妊娠小説』『紅一点論』と比較してみよう。その差は歴然だ。過去の名作を思いがけない角度から切りほぐしてみせる手法は両者とも変わらない。しかし,斎藤美奈子の論評は,ある「名作とされている作品」読了後に残る一抹の怪しさ,信用しきれない頼りなさを,たとえば「妊娠小説」あるいは「紅一点」といった独自の視点から切って捨てる。つまり,斎藤論評では,「名作とされているが,どこか信用できないような気がする」→「この視点から見てみるとなるほど実に情けない」→「なぁんだ怪しいと思ったがやっぱりダメじゃん」と,一連の流れが強烈に「ツジツマ合ってる!」のである。

 一方,『謎解き 少年少女世界の名作』はどうか。
 なるほど,個々の論評は作者の経歴や時代背景をもよく調べ,論旨にもそれなりの説得力はある。しかし,それはいずれも一種の積み上げ的な情報でしかなく,あっと驚く意外さには乏しい。
 たとえば,『フランダースの犬』の悲劇が,絵を売ることを是としないネルロ少年の「謙虚というより,ひきこもり的な,性格欠損」にあるとする視点,さらにはそういったシャイで繊細な芸術家のイメージを愛好する傾向は日本人独特のもので,実は『フランダースの犬』は日本人にしか読まれていないという事実……。これらは児童書やアニメで『フランダースの犬』に親しんできた者には思いがけない指摘かもしれない。しかし結局のところ,著者はこの指摘をもって何を語ろうとしているのだろう。何を破壊,あるいは構築しようとしているのだろうか。
 『宝島』が契約精神に貫かれた経済的な物語であるとの指摘,教育と無関係に天才的に「よい子」として育った『小公子』の物語が子育てになんら役立ちはしないという指摘,孤児である『少女パレアナ』の「喜びのゲーム」は周囲の者たちへの執拗な攻撃であるとする指摘。これらはいずれも一見スジが通ってはいるのだが,では読み手はいったいそれをどう受けとめればよいのか。これらの「少年少女世界の名作」をもう名作扱いするのを止めるべきなのか,それとも反面教師として深読みしながら付き合い続けるべきなのか。

 期待が大きかったせいもあるだろうが,この企画ならもう少し技のふるいようがあったろうにと惜しまれてならない。たとえば一人の著者に任せるのではなく,中経出版『ウルトラマン研究序説』のように,さまざまなジャンルの専門家がさまざまな切り口から「少年少女世界の名作」を論ずるなど……。

先頭 表紙

円谷プロが持ち去ったというのは,今ひとつよろしくありませんな。たとえば企画を立てた編集者が印税をかっぱぎ,というのならまだ少しは許せますが……。『ウルトラマン研究序説』は,企画が中身(本文)を格段に上回る数少ない書物の1つだったように思います。 / 烏丸 ( 2003-07-14 00:44 )
中経出版『ウルトラマン研究序説』、ご存知でしたか。あれには知り合いも参加してたり。印税の大半は、円谷プロが持ち去って、みんなは1人5,000ちよいしかもらえなかったよし。 / mishika ( 2003-07-07 06:51 )

2003-06-15 『ゴースト・ラプソディー』(全2巻) 山下和美 / 講談社漫画文庫


【君は メロディーを 聴いたはずだ】

 「反体制」なんて言葉は今ではも死語というほどにも生き残っていないわけだが,それでも「権威」とされる何かについつい刃向かってしまう衝動というのはそこここに顕在する(問題は権威に刃向かうより弱いものを虐待する衝動のほうが生活やネットの上で数倍数十倍顕在していることなのだが……それはまた別の話)。

 山下和美は,とくにロックミュージシャンへの共感を描くことでそのあたりの攻撃性を追体感させてくれる稀有な作家の一人で……あったのだが,『天才柳沢教授の生活』という恰好の素材を得てブレークしてしまい,最近では次に何を描けばよいのかわからなくなったかのようにも見える。描きたいものがはっきりするまで描かないという選択肢もあるだろうに,出版社やアシスタント等とのしがらみもあるのだろうか,このところ迷走気味である。余計なお世話もいいところだろうが,何もしないのも創作行為の一環だと思うが……。

 さて,『ゴースト・ラプソディー』は山下和美の攻撃性がまだ明らかだった時代の好編だ。
 好みは分かれるだろうが,ここに描かれたジェットコースターのような,ロックミュージシャンの幽霊を含む四角関係の展開には,明らかに『柳沢教授』の連載の過程において作者が喪っていった,そして『不思議な少年』の読み切り掲載でも再構築できない何かがビビッドにほとばしっている。それは,主人公が,常に自分にとって必要な何かを追い求めている,その姿勢から出てくるものだ。それがピュアな恋愛感情であれ,一過性の快楽であれ,打算,欺瞞臭あふれる擬似恋愛であれ,かまやしない。求める高み,あるいはソリッドな手応えがあるということは,少なくとも作品世界では何にも増して主人公の言動を光らせるものなのだから。

 個人的には,主人公がライブのステージでミネラルウォーターか何かのボトルを投げ捨てる,そのボトルが宙に浮いたワンカットに最も魅かれる。描き手にそのつもりがあったか否かは知らないが,そのカットにみなぎる浮遊感と攻撃性は,この作品全体のテーマと(たまたま?)合致するもののように思われてならないからだ。

 要は,ここ十冊分ばかりの『柳沢教授』を読むくらいなら,そんなものあブックオフにでも投げ込んで山下和美の旧作を読んでみてはいかが,つーことである。
 『柳沢教授』については,あっさり終わってしまったつまらないテレビドラマに対しても言いたいことの一つ二つなくもないが,正直言ってほとんどテレビを見ない者には最近のテレビドラマは文法レベルで理解できないので……。

先頭 表紙

『喰いタン』2巻。早くもネタに詰まった感はありますが,主人公のしあわせそうな顔を見るだけで価値ありです。行列のできるラーメン屋に並びながら,ほかのラーメン屋から出前をとるシーンは圧巻。しかし,巻末の爆発ネタは無理だと思うぞ。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:12 )
『空想科学エジソン』のカサハラテツローが「4年の科学」に連載した『ヴァイスの空』(原作あさりよしとお)が単行本化なりました。はっきり言って古いSFジュブナイルには何度も登場するような設定,展開ではありますが,やっぱり泣けます。これをリアルタイムに読めた去年の4年生くん達はしあわせだね。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:11 )
コミックレポート,いくつか。『ヒカルの碁』22巻。主人公がその競技の本当の魅力を理解しないうちから強力なコーチの指導で鍛えられ,そのコーチを喪った慟哭の中,国際ジュニア大会で自分自身の実力を発揮していく。……『エースをねらえ!』みたい。しかし,ストーリーがこうシリアスになってくると,黒髪と茶髪を組み合わせたヒカルの髪型が……。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:11 )

2003-06-09 バリ島版陰陽師 『踊る島の昼と夜』 深谷 陽 / エンターブレイン BEAM COMIX


【「それほどの事態」だったってことだよ】

 これまでここ「くるくる回転図書館」で紹介してきた深谷陽作品は次のとおり。
  『アキオ紀行 バリ』
  『アキオ無宿 ベトナム』
  『運び屋ケン』
  『レディ・プラスティック』
  『楽園夢幻綺譚 ガディスランギ gadis langit』
 要するに単行本化されているもの,全部。しかし,これらはすべて品切れか絶版で,今はもう手に入らない。知名度,読み手の皆さんからの反応を考えると,取り上げ方が少々度が過ぎているかもしれない。また逆に,深谷作品を語ることで何かを伝えようとか,そんな目論見や手応えがあるわけでもない。

 実際のところ,深谷陽の作品は,誰にでもお奨めできるわけではない。絵柄やストーリーテリングはもっちゃりしているし,登場人物はパターンが限られている。バリ島やベトナムの風俗習慣をリアルに描くという点では独特だが,その点についてはデビュー連載『アキオ紀行 バリ』での描き込みが圧倒的で,それ以降の作品はそれほどでもない……。

 などなど,言い訳めいたことを並べてしまったが,要は面白ければよい。その意味で,この5月に発売されたばかりの『踊る島の昼と夜』はなかなかの……いや,かなりお奨めの1冊である。
 舞台は(深谷得意の)インドネシア,バリ島。主人公は和風居酒屋“KAMAKURA”の日本人オーナー・ヨリトモ(通称)。日本人旅行者のよき相談相手である彼には,不思議な力を操る“裏の顔”があった……。

 つまり『踊る島の昼と夜』は,バリ島を舞台にした,バリ島ならではのオカルトホラー短編集である。
 ホラーといっても,角川ホラー文庫によくあるずちゃずちゃぬたぬた系ではないし,『新耳袋 現代百物語』のように日常生活の中にすっと異界が入り込んでくるといったタッチでもない。日本でいえば貴船神社の丑の刻参り,藁人形に五寸釘,あの「呪術」系の話である。かなり原始的で,それがバリという空間を舞台にしているため,一種独特なリアリティを持つわけである。

 たとえば,部屋に異変(ポルターガイスト)が続き,玄関を開けると表札代わりの名前のタイルに緑の蛇が囲むように置いてあった……。あるいは,島で出会った若者に,観光用でない祭りに連れていかれたあげく,「誰かにちゃんと祓ってもらわないと3日以内に死ぬぞ」と言われてしまう。ヨリトモはいかに彼女たちにかけられた呪術を暴き,敵を倒すのか……などと書くとまるで必殺なんとか人シリーズだが,ヨリトモにしても狙われた日本人女性を助けるのはあわよくば彼女たちとひとつよろしい関係になろうというシタゴコロ丸出し,決して道徳的な人物とは言いがたい。つまるところこれは,浮世離れした「神」と「魔」の島における,呪術を小道具とした大人のコメディなのである。

 ……と,毎度のごとくとりとめもなく終わるしかないのだが,本書では各短編にそっと登場する“サトミサン”が魅力的だ。
 白い服の“サトミサン”は午後の光の中,日傘をさしてどこかに歩いていくのだが,誰も話しかけることができない。本当の名前も,どこに住んでいるのかもわからない。声をかけようとしても,不思議と近づくことができないのである。「バリに想いを残して死んだ日本人OLの幽霊」なんて説さえある。……

 夜の呪術と昼の“サトミサン”。
 対するのがストイックな安倍晴明ならぬ和風居酒屋の女たらしオーナーであるあたりがほどよいサジ加減であろうか。

先頭 表紙

『無宿ベトナム』がお気に召したのでしたら『紀行バリ』はオススメですね。ただ,発行部数は多くはなかったでしょうし,また購入した物好きは簡単には手放さないでしょうから,古本屋でも入手は簡単ではないかもしれませんが。それにしてもこういう人がシレっと出てくるから,モーニングはじめ講談社系の青年誌はチェックを欠かせません。 / 烏丸 ( 2003-06-30 01:58 )
無宿ベトナムだけ、持ってます。なんか大好きなんですよ。一緒に売っていたバリを買わなかったのを後悔しています。烏丸さんのレビューを読んで、今からでも探してみたくなりました。 / みなみ ( 2003-06-22 20:07 )

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