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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-06-15 『ゴースト・ラプソディー』(全2巻) 山下和美 / 講談社漫画文庫
2003-06-09 バリ島版陰陽師 『踊る島の昼と夜』 深谷 陽 / エンターブレイン BEAM COMIX
2003-06-03 『怪しい日本語研究室』 イアン・アーシー / 新潮文庫
2003-06-02 たまには少し辛口で…… 『毎月新聞』 佐藤雅彦 / 毎日新聞社
2003-05-26 [雑感] 旧石器捏造事件,プロ野球,100円USBケーブル
2003-05-19 SARS禍の今,もう一度手にしてみたい 『ホット・ゾーン』 リチャード・プレストン,高見 浩 訳 / 小学館文庫ta
2003-05-11 『テレビに出せない本当の怖い話』『テレビの中で起きた怖い話』 宗 優子 / 竹書房文庫
2003-05-04 『東京伝説 うごめく街の怖い話』 平山夢明 / 竹書房文庫
2003-05-02 『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』 朝日ソノラマ ASコミックス
2003-04-21 [雑感] 鉄腕アトムの誕生日


2003-06-15 『ゴースト・ラプソディー』(全2巻) 山下和美 / 講談社漫画文庫


【君は メロディーを 聴いたはずだ】

 「反体制」なんて言葉は今ではも死語というほどにも生き残っていないわけだが,それでも「権威」とされる何かについつい刃向かってしまう衝動というのはそこここに顕在する(問題は権威に刃向かうより弱いものを虐待する衝動のほうが生活やネットの上で数倍数十倍顕在していることなのだが……それはまた別の話)。

 山下和美は,とくにロックミュージシャンへの共感を描くことでそのあたりの攻撃性を追体感させてくれる稀有な作家の一人で……あったのだが,『天才柳沢教授の生活』という恰好の素材を得てブレークしてしまい,最近では次に何を描けばよいのかわからなくなったかのようにも見える。描きたいものがはっきりするまで描かないという選択肢もあるだろうに,出版社やアシスタント等とのしがらみもあるのだろうか,このところ迷走気味である。余計なお世話もいいところだろうが,何もしないのも創作行為の一環だと思うが……。

 さて,『ゴースト・ラプソディー』は山下和美の攻撃性がまだ明らかだった時代の好編だ。
 好みは分かれるだろうが,ここに描かれたジェットコースターのような,ロックミュージシャンの幽霊を含む四角関係の展開には,明らかに『柳沢教授』の連載の過程において作者が喪っていった,そして『不思議な少年』の読み切り掲載でも再構築できない何かがビビッドにほとばしっている。それは,主人公が,常に自分にとって必要な何かを追い求めている,その姿勢から出てくるものだ。それがピュアな恋愛感情であれ,一過性の快楽であれ,打算,欺瞞臭あふれる擬似恋愛であれ,かまやしない。求める高み,あるいはソリッドな手応えがあるということは,少なくとも作品世界では何にも増して主人公の言動を光らせるものなのだから。

 個人的には,主人公がライブのステージでミネラルウォーターか何かのボトルを投げ捨てる,そのボトルが宙に浮いたワンカットに最も魅かれる。描き手にそのつもりがあったか否かは知らないが,そのカットにみなぎる浮遊感と攻撃性は,この作品全体のテーマと(たまたま?)合致するもののように思われてならないからだ。

 要は,ここ十冊分ばかりの『柳沢教授』を読むくらいなら,そんなものあブックオフにでも投げ込んで山下和美の旧作を読んでみてはいかが,つーことである。
 『柳沢教授』については,あっさり終わってしまったつまらないテレビドラマに対しても言いたいことの一つ二つなくもないが,正直言ってほとんどテレビを見ない者には最近のテレビドラマは文法レベルで理解できないので……。

先頭 表紙

『喰いタン』2巻。早くもネタに詰まった感はありますが,主人公のしあわせそうな顔を見るだけで価値ありです。行列のできるラーメン屋に並びながら,ほかのラーメン屋から出前をとるシーンは圧巻。しかし,巻末の爆発ネタは無理だと思うぞ。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:12 )
『空想科学エジソン』のカサハラテツローが「4年の科学」に連載した『ヴァイスの空』(原作あさりよしとお)が単行本化なりました。はっきり言って古いSFジュブナイルには何度も登場するような設定,展開ではありますが,やっぱり泣けます。これをリアルタイムに読めた去年の4年生くん達はしあわせだね。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:11 )
コミックレポート,いくつか。『ヒカルの碁』22巻。主人公がその競技の本当の魅力を理解しないうちから強力なコーチの指導で鍛えられ,そのコーチを喪った慟哭の中,国際ジュニア大会で自分自身の実力を発揮していく。……『エースをねらえ!』みたい。しかし,ストーリーがこうシリアスになってくると,黒髪と茶髪を組み合わせたヒカルの髪型が……。 / 烏丸 ( 2003-06-15 02:11 )

2003-06-09 バリ島版陰陽師 『踊る島の昼と夜』 深谷 陽 / エンターブレイン BEAM COMIX


【「それほどの事態」だったってことだよ】

 これまでここ「くるくる回転図書館」で紹介してきた深谷陽作品は次のとおり。
  『アキオ紀行 バリ』
  『アキオ無宿 ベトナム』
  『運び屋ケン』
  『レディ・プラスティック』
  『楽園夢幻綺譚 ガディスランギ gadis langit』
 要するに単行本化されているもの,全部。しかし,これらはすべて品切れか絶版で,今はもう手に入らない。知名度,読み手の皆さんからの反応を考えると,取り上げ方が少々度が過ぎているかもしれない。また逆に,深谷作品を語ることで何かを伝えようとか,そんな目論見や手応えがあるわけでもない。

 実際のところ,深谷陽の作品は,誰にでもお奨めできるわけではない。絵柄やストーリーテリングはもっちゃりしているし,登場人物はパターンが限られている。バリ島やベトナムの風俗習慣をリアルに描くという点では独特だが,その点についてはデビュー連載『アキオ紀行 バリ』での描き込みが圧倒的で,それ以降の作品はそれほどでもない……。

 などなど,言い訳めいたことを並べてしまったが,要は面白ければよい。その意味で,この5月に発売されたばかりの『踊る島の昼と夜』はなかなかの……いや,かなりお奨めの1冊である。
 舞台は(深谷得意の)インドネシア,バリ島。主人公は和風居酒屋“KAMAKURA”の日本人オーナー・ヨリトモ(通称)。日本人旅行者のよき相談相手である彼には,不思議な力を操る“裏の顔”があった……。

 つまり『踊る島の昼と夜』は,バリ島を舞台にした,バリ島ならではのオカルトホラー短編集である。
 ホラーといっても,角川ホラー文庫によくあるずちゃずちゃぬたぬた系ではないし,『新耳袋 現代百物語』のように日常生活の中にすっと異界が入り込んでくるといったタッチでもない。日本でいえば貴船神社の丑の刻参り,藁人形に五寸釘,あの「呪術」系の話である。かなり原始的で,それがバリという空間を舞台にしているため,一種独特なリアリティを持つわけである。

 たとえば,部屋に異変(ポルターガイスト)が続き,玄関を開けると表札代わりの名前のタイルに緑の蛇が囲むように置いてあった……。あるいは,島で出会った若者に,観光用でない祭りに連れていかれたあげく,「誰かにちゃんと祓ってもらわないと3日以内に死ぬぞ」と言われてしまう。ヨリトモはいかに彼女たちにかけられた呪術を暴き,敵を倒すのか……などと書くとまるで必殺なんとか人シリーズだが,ヨリトモにしても狙われた日本人女性を助けるのはあわよくば彼女たちとひとつよろしい関係になろうというシタゴコロ丸出し,決して道徳的な人物とは言いがたい。つまるところこれは,浮世離れした「神」と「魔」の島における,呪術を小道具とした大人のコメディなのである。

 ……と,毎度のごとくとりとめもなく終わるしかないのだが,本書では各短編にそっと登場する“サトミサン”が魅力的だ。
 白い服の“サトミサン”は午後の光の中,日傘をさしてどこかに歩いていくのだが,誰も話しかけることができない。本当の名前も,どこに住んでいるのかもわからない。声をかけようとしても,不思議と近づくことができないのである。「バリに想いを残して死んだ日本人OLの幽霊」なんて説さえある。……

 夜の呪術と昼の“サトミサン”。
 対するのがストイックな安倍晴明ならぬ和風居酒屋の女たらしオーナーであるあたりがほどよいサジ加減であろうか。

先頭 表紙

『無宿ベトナム』がお気に召したのでしたら『紀行バリ』はオススメですね。ただ,発行部数は多くはなかったでしょうし,また購入した物好きは簡単には手放さないでしょうから,古本屋でも入手は簡単ではないかもしれませんが。それにしてもこういう人がシレっと出てくるから,モーニングはじめ講談社系の青年誌はチェックを欠かせません。 / 烏丸 ( 2003-06-30 01:58 )
無宿ベトナムだけ、持ってます。なんか大好きなんですよ。一緒に売っていたバリを買わなかったのを後悔しています。烏丸さんのレビューを読んで、今からでも探してみたくなりました。 / みなみ ( 2003-06-22 20:07 )

2003-06-03 『怪しい日本語研究室』 イアン・アーシー / 新潮文庫


【G7でこの問題についての協議がなされないというふうに断定的にとることは必ずしも正しくないというふうに思っとるんです。】

 帯の惹句に「読書中,お腹の皮がよじれることがあります」とあるが,内容はいたってまじめな日本語論考エッセイである。
 著者のイアン・アーシー氏はカナダ出身の「和文英訳」翻訳家。スキンヘッドの著者近影を見ると目つきの怪しいボブ・サップみたいで,こういうのがUFOから降りてきて流暢な日本語で話しかけてきたらちょっと怖そうだ。

 本書ではまず「外人」「我が国」という言葉に見え隠れする日本語における属人,属地域的な特性から書き起こし,さまざまな切り口の日本語論を展開する。
 著者は通算で十年以上日本に暮らし,そこらの平均的日本人よりよほど日本語に堪能なのだが,それでもぶつかる言語的障壁に日本語の特性が浮き彫りにされていく。

 たとえば,日本語での一人称,二人称の難しさ。
 あるいは「線をもうちょっと細く書かれたほうがいいんじゃないですか」「正しいんじゃないですか」といった曖昧な言葉遣い(実はこれらは曖昧なわけではなく,「線をもっと細く書いたほうがいいよ」「○×って,日本語として正しいよ」と真意のほどは明快なのである)。
 もしくは,「OL」「TPO」などのアルファベット略語,「パソコン」「セクハラ」などのカタカナ略語,「どたキャン」「朝シャン」「ボキャ貧」「MOF担」などの和洋折衷略語,はては「キムタク」「ブラビ」「橋龍」などの人名略語にいたる省略好き。
 など,など,などなどなど。

 かなり攻撃的に語られるのは,社長の挨拶文や官庁用語,つまりは「権威スジ」の用語用法である。

 著者が用意した架空会社の架空の社長ご挨拶文はまったく馬鹿馬鹿しいほど内容が空疎で,そのくせいかにも日本中の社長が挨拶文に用いていそうな立派なシロモノである。

 また,「整備」という言葉に代表される霞ヶ関の日の丸官僚言葉。
 パソコンを買ってくる,でなく「パソコンの整備」,道路に木を植えるのは「街路樹の整備」。著者が実際の役所書類から見つけ出してきた,次の文言群の意味ははたしてご想像いただけるだろうか(答えはあとで)。
   非自発的離職休職者
   語学学習意欲の高まり
   各主体の自主的対応尊重
   緑資源の基盤が脆弱化する
   人的資本の流動性の拡大のため,環境整備を行う
   平均的な勤労者の良質な住宅確保は困難な状況にある
   円滑な垂直移動ができるよう,施設整備を進めていく
   住宅のあり方が夫婦の出生行動に大きな影響を与えている
   制度を整備した上で措置する
     :

 ただ,著者はあれこれ途方に暮れることはあっても,決して日本語を見下しているわけではない。いやむしろ,とことん惚れ込んでいるといってよい。

 だから,ときにはその音や表記,構造の魅力を讃えあげる。
 一般にはカタカナ言葉を取り込んでだらしないとされることの多い近代の日本語だが,実は「十前後ある日本語の品詞のうち,外来語が大きく踏み込んでいるのは名詞と,その延長線上にあるものだけ」と論破する。実際,外来語をそのまま動詞として取り込んでいるのは「トラブる」「ダブる」などごくごく特殊な例だけ,形容詞も「ナウい」のようなケースはまれ,副詞にいたっては事実上外来語ゼロ。
 つまり,日本語は,外来語を広く無節操に取り入れているように見えて,実は骨格の部分は揺るがされていない。あらゆる外来語の品詞をいったん名詞化して取り込み,広く浅く分布はさせているが,実のところ日本語の構造はほとんど影響を受けていない。むしろ,日本語の文法に飲み込んでしまっている,というのである。
 カタカナ言葉の多さを卑下する文章は数あれど,このような視点から明快に例を示して語る文章にはあまり記憶がない。おかげでなんとも豊かな気分にひたれた次第。

 なお,先に示した整備文体の著者による口語訳は,以下のとおり。
   クビになって仕事にあぶれている人
   外国語ブーム
   みんな勝手にやればいい
   緑が少なくなる
   転職しやすくする
   普通のサラリーマンは家を買えない
   エレベーターを入れる
   うちが狭いから子供はもうつくれない
   少しあとでやります

先頭 表紙

2003-06-02 たまには少し辛口で…… 『毎月新聞』 佐藤雅彦 / 毎日新聞社


【本当に正しく理解すれば両者の長所や欠点がわかるし】

 佐藤雅彦は「ポリンキー」「バザールでござーる」「だんご3兄弟」等の仕掛け屋なのだそうだ。企画事務所を運営するかたわら,慶應義塾大学教授を務め,竹中平蔵との共著『経済ってそういうことだったのか会議』(日本経済新聞社)をものし,ゲームソフト『I.Q』(ソニー・コンピュータエンターテインメント)を開発,NHK教育番組『ピタゴラスイッチ』を担当。
 なるほど,ピカピカの職業インテリである。テレビCM,慶応,竹中,日経,NHK……見事なまでにハナモチナラヌ取り合わせといっていいだろう。SCEが入っているのが逆にソニーの昨今の内情を露呈するようで,物悲しさがつのる。

 問題は,こういった職業インテリは,『ロシアは今日も荒れ模様』の米原万里の例でも顕著なように,世間一般的にみればまずまず興味深い情報や視点を提供してくれ,手軽でウィットに富んだ(ように見える)プチ・インテリゲンチャな気分を満喫させてくれることである(佐藤雅彦の一部の著作のタイトルが『経済ってそういうことだったのか会議』や『プチ哲学』であることはその意味でなかなか示唆的だ)。したがって,彼らはえてして高い人気をほこり,またサブカルチャー派より半歩ばかり高いステータスをお持ちのようにふるまわれることが少なくない。

 ……と,思い切りこきおろした書き起こしから始めてしまったが,今回取り上げる『毎月新聞』はそれほど不愉快な書物というわけではない。これは著者が毎日新聞紙上で1998年の秋から4年にわたって「毎月新聞」という月一のコラムを掲載し,日常の不可思議や物事に対する新しい見方を世に問うたものである。おそらく,本書収録の48のコラムに「はっ」としたり,我が意を得たりと手を打つ方も少なくないのではないか。

 たとえば,表紙にも流用されている「じゃないですか禁止令」など,なかなか面白い。著者は最近の若者から中高年齢層にまで広まった「じゃないですか」という物言いに,誰かがその言葉を用いた瞬間にそれが既成事実と化したかのように思えること,それは同時に自分の責任を一般論に置き換えるずるさをもった便利な言葉であること,を指摘する。だから禁止しよう,と。なかなかパワフルな切り込みである。
 実は,僕自身,ある関連会社の若手役員がこの「じゃないですか」をなかなか巧みに連発するのに苦戦した経験もあり,この指摘には納得できるものがあった。もちろん,今後は勝ち目の薄い会議などで「じゃないですか」を要所要所で連発していこうと考えている。

 しかしその一方,なんというか,著者が頭でっかちな,理屈だけで働いてきたことを感じる部分も少なくはない。たとえば,自分が経済であるとか,音楽であるとか,特定のジャンルに疎い場合,それについて何か教えてもらうと必要以上にその内容を紹介したがる面。あるいは,田舎の葬式のように,自らの日頃の生活とかけはなれたものに出会うと妙に大仰に取り上げたがったりする面。
 巻末の付録エッセイ「テレビを消す自由」では,故郷の高齢の母親が自分の好きなテレビ番組を見たあとで迷いもなくテレビを消す姿を見て,「僕達」はテレビを楽しむ自由と同時にテレビを消す自由も持っているのだ,と気がつく……これはまったく馬鹿げた指摘で,リモコンの登場とともにテレビジャンキーと化して,面白い面白くないにかかわらずテレビを消さないのは「僕達」などではなく「僕」=佐藤雅彦だったはずなのだ。

 当たり前のことだが,世の中というものはさまざまで,別の地域(単に都道府県市町村といった括りではない)に行けば別の地域の生活やものの考え方,別の社会にいけばそれぞれの社会のスペシャリストがその社会で機能している,という,それだけのことを,佐藤雅彦はしょっちゅう見失ってしまうらしい。そして,(かなり狭い)自分の世界に相容れないものと出会うと,その都度その衝撃を読者と共有したがるのである。
 妙なたとえかもしれないが,新大陸を「発見」してみせた大航海時代の船長たちのことを思い出さないでもない。それは欧州の王宮で報告を待つ身にはなかなか興味深いレポートだろうが,発見される側にしたら面白くもなんともない話である。「デジタル」という言葉に対する過剰反応,カマキリが1匹部屋に飛び込んだだけで大騒ぎする感覚。こういう人物は20世紀と21世紀の切れ目だとか,インターネットの普及などにも大袈裟な反応を示しがちである。もちろん,それがいけないわけではない。需要があるところには,供給がなされるべきなのだ。

 ところでこのコラム「毎月新聞」には,毎回,(あのだんご3兄弟のタッチの)「ケロパキ」という3コママンガが掲載されている。はっきり言って,おだやかですこやかなカエルのケロパキ少年の日々を描くこの作品は,高校教師の説教臭い本文より格段に好感が持てる。定価1,300円(税別)の本書だが,このケロパキを読むために1,100円くらい出しても惜しくないといったらほめすぎだろうか。

先頭 表紙

ただ,自分の周りの何人かの視野の狭さ,頭の堅さを例にして,それが「世間」や「社会」,「若者」の平均を表すかのような(それに対してまるで教師然と訓示を垂れるような),そんな角度の書き方はなるべく控えてほしいものです。 / 烏丸 ( 2003-06-03 01:02 )
本文いささか辛口ですが,大半が「こういった人々」への不快感の露呈であって,本書そのものは手にとって損はないものと思います。実際「おっ」と思わされるような指摘の類もいくつかありますし,要は読み手がどれだけ吸収,活用できるかなのでしょう。 / 烏丸 ( 2003-06-03 00:59 )
この本、本屋で見て気になったんですが・・。佐藤氏の描くマンガやアニメは好きです。「プチ哲学」はオリーブで連載していた頃からチェックしてたし。なんだかんだ言ってもうまいんですよね。(^^;) / けろりん ( 2003-06-02 18:09 )

2003-05-26 [雑感] 旧石器捏造事件,プロ野球,100円USBケーブル

 
 東北旧石器文化研究所の藤村・元副理事長がかかわったとされる前期・中期旧石器遺跡について,180以上の遺跡のうち162遺跡で捏造が確認された。要するに彼の「発見」はすべて「捏造」だったということだ。捏造が暴露された際,この「くるくる回転図書館」でも「もし最初の1つがフェイクなら,全部チャラ」ということを指摘したが,結局そうなったわけだ。
 藤村氏の行為を責めるのはたやすい。しかし,問題はむしろ162回にわたって繰り返された捏造をチェックできなかった考古学会の怠慢……否,そもそも学説としてきちんと発表,検証されてもいないレベルで「発見」イコール「通説」としてまかり通してしまった体質のほうだろう。
 それは,少なくとも科学的な姿勢ではない。

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 あまり指摘されないようだが,ヤンキースの松井秀喜のプレイはつまらない。
 49試合を経て3本のホームラン,2割6分台の打率がものたりない……それも事実だが,それだけではない。もっとスポーツ観戦の根幹にかかわること,つまり,わくわく,どきどきしないのである。体が重そうだし,こねるようなバッティング,再三のセカンドゴロがなんだかいかにも思い切りが悪そうで,すっきりしない。
 打てなければブーイング,打たれればマイナー送り,それがMLBの痛快さ,ひいては魅力だったのではなかったっけ。

 ひるがえって,日本のプロ野球が今年はなかなか面白い。
 各チームとも中継ぎ,抑えの強化や調整に大失敗したらしく,やたら大差をひっくり返される逆転試合が少なくない。終盤で5点差や6点差あってもちっとも安全圏ではない。年がら年中荒っぽい試合ばかりというのも困るが,とりあえずフランクリン・ルーズベルトも言ったように「もっとも面白いのは8対7の試合だ」。7回を終わって7対2の試合が,終わってみれば同点,延長,大逆転! 見る側からしてみればまことにけっこうなことではないか。
 ペナントレースが面白いのは,もう1つ,例によって金にものを言わせて強化を重ねたジャイアンツがいっこうにパッとせず,タイガースが2位に6.5ゲーム差をつけて独走していることがある。31勝のうちなんと22勝が逆転と,終盤の粘りがファンを沸かせているのも盛り上がりの材料だ。
 しかし。逆転が多いということは,冷静に考えれば序盤に先発投手が点を取られるケースが多いということだ。6月,7月に向けてまだまだセ・リーグもこじれそうである。こじれにこじれたあげく,ジャイアンツはヤクルトに足を掬われ,僅差でタイガース優勝,といったあたりがもっとも「沸く」展開だろうか。

 パ・リーグではダイエーの若手投手陣をおおいに応援したい。寺原,杉内,和田,新垣……松坂と競い合って,客を呼べるパ・リーグにしてほしいものだ。

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 最近,ノートPCが新しくなったのに合わせて,コンパクトフラッシュの512MBのものを購入。1万円あまりで買えて,驚いた。何年か前,デジカメが登場して浸透し始めたころには,8MBや16MBの製品が1万円以上していたような記憶がある。
 コンパクトフラッシュは相次いで登場するメモリカードの中ではすでに負け組みとまではいかないまでも,なんとなく進化の止まってしまった規格だが,大容量の製品が他のメモリカードより早く出ること,容量あたりの単価が安いことが魅力だ。512MBを無造作に使いながら,自分はこのまま容量について無神経になってしまうのだろうかと妙な危惧さえ覚える。

 廉価なPC器具といえば,近所の100円ショップにUSBケーブルがあった。1mのUSBケーブル,オス⇔オス,オス⇔メスがいずれも100円である。
 机の下のデスクトップ機の背面からUSBケーブルを引き回すのが面倒と日ごろから感じていたので(さりとてUSB HUBを購入するほどの用途でもない),1本買ってきたが,缶コーヒー1本より安いとはなんともメーカーが気の毒になってしまう。自分が買っておいてなんだが,いったい100円ショップでUSBケーブルを購入する者がどれほどいるというのだろうか……。

先頭 表紙

2003-05-19 SARS禍の今,もう一度手にしてみたい 『ホット・ゾーン』 リチャード・プレストン,高見 浩 訳 / 小学館文庫ta


【アメリカ合衆国陸軍の冷凍庫に保存されているウイルスの源,メインガ看護婦。……彼女は静かで気立てのいい,美しいアフリカの娘だった。年は二十歳くらいだったというから,いわば,人生でいちばん楽しいさかりだった。彼女は明るい希望に燃えていた。……両親は彼女のことを,目の中に入れても痛くないくらいに可愛がっていたという。】

 脳,内臓を溶かし,目,鼻,口など,体中の穴という穴から血の滴が滲み出てくる……。

 ホラー映画のコピーではない。
 致死率九〇パーセントの「エボラ・ザイール」ウイルスとの闘いを描いたリチャード・プレストンのノンフィクションの惹句である。

 ケニアの農園に働くフランス人シャルル・モネの発病のさまから静かに書き起こされる本書は,精緻かつ淡々とした文章で描かれる……が,エボラの病状は想像を絶する恐ろしさだ。
 それは,人がインフルエンザにかかったときなどとはまるで違う。ある宿主の中でウイルスが増殖すると,その結果,その宿主の肉体は脳から皮膚にいたるまでウイルス粒子で飽和させられてしまう。肝臓,腎臓,肺,両手足,そして頭の中は血栓で詰まり始める。血液の供給が遮断された腸筋肉は壊死を開始する。やがて患者は「炸裂」する。鼻や口,肛門,いや体中のあらゆる孔という孔からおびただしい血が噴き出し,壊死した内蔵が吐き出される……。

 本書は,ワシントン近郊の町レストンのモンキー・ハウスに突然出現した「エボラ」に対し,防護服に身を包んだアメリカ陸軍の特殊チームが核攻撃さながらの最高度機密保持態勢のもとに展開した制圧作戦を描く第二部以降が主旋律となっている。
 しかし,思わず本棚から取り出し,何度も読み返してしまうのは,アフリカの熱帯雨林のどこかから不意にエボラが現れ,宿主を徹底的に破壊しつくすさまを克明に描いた第一部である。

 その第一部に,「メインガ・N」という患者についての記述がある。
 彼女は看護婦として,ザイール,ヌガリエマ病院で「シスターM・E」と呼ばれる患者の「炸裂」に立ち会う。シスターM・Eの病室は,床といわず,椅子といわず,壁といわず,あたり一面すべてが血まみれとなり,患者の死体を運び出したあとも清掃のためにその部屋に踏み込もうとする者はなかった。
 しばらくして,メインガは頭痛と極度の疲労を覚え始める。メインガはシスターM・Eの血か黒色吐物を体に浴びたのかもしれない。メインガは自分が病気にかかりつつあることはわかっていても,それが何なのかを素直に認めようとはしなかった。認めたくはなかった。彼女はすでにヨーロッパの大学で学ぶための奨学金を得ていた。ここで病気になってしまったら海外旅行の許可を取り消されるかもしれない。彼女の症状はさらに悪くなった。しかし,彼女はその病気に詳しい,自分の勤める病院で告白することができなかった。そして彼女は二日間にわたって混雑した町中をさまよい,ほかの病院をたずね,マラリア患者やボロをまとった子供たちの中で震えていたのだ。

 1976年10月のことだ。
 メインガ看護婦は世界的な厄災の撃鉄を引いたのかもしれなかった。ことの次第を知ったザイール大統領は,軍を動員し,そのヌガリエマ病院を含むブンバ・ゾーン一帯を封鎖した。情報のとだえたブンバは地上から消え,密林の奥に飲み込まれ,消えようとしていた……。



 関西ツアー旅行に参加し,大阪,京都,兵庫,徳島,香川の2府3県をバスと船でめぐった台湾人医師が,帰国後,新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)に感染していることが確認された。
 彼はSARSの患者のいる病院に勤務していたが,病院側の言によれば直接患者を診療したわけではなく,勤務中は高性能マスクと防護服を着用していたという。
 だが……。

 日本での観光のさなかに発熱した彼の思いはどうだったのだろうか。

先頭 表紙

確かに,ある種の病気については,病院こそ恐ろしい場所となりえますね。エボラ・ザイールの際も,マラリアの治療に1本の注射器を繰り返して使ったことが病気をさらに広めたようです。医者や看護婦がパニックを起こして病院を放棄して逃げ出したことが沈静につながったという笑うに笑えない展開があったもよう。 / 烏丸 ( 2003-05-25 23:56 )
そういえば、私は種痘を受けた世代ですが、妹のときにはもうやってなかったです。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:41 )
「アフリカの蹄」は、夕飯の食卓で見始めて、そのまま最後まで... あれは病気そのものもですが、人間のやってることがすんごく怖かったです。情報操作とか。中国での情報隠しが発覚したとき、まっさきに思い出しました。原作では、臓器移植も絡んでくるそうです。(TVではそこはさらっと行ったようですが)「復活の日」は"MM88菌"でしたっけ。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:38 )
ここ数年、病院と縁が切れてません。幸いうつる病とかではないのですが、先日受付で、隣の人が「肺炎かどうか調べて欲しい」と言ってるのが聞こえた時は、さすがにびびりました。うがいだけはしっかりやってます。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:37 )
致死率の高い伝染病の怖さというものを考えるとき,自分が死ぬのも苦しむのももちろんいやだし怖いことですが,自分がどこかからウイルスを拾ってきて,それで家族が死ぬ……考えただけで足の力が抜けるような恐ろしさです。そういったことについてはまことに意気地がありません。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:12 )
けろりん様,そういえば『復活の日』のウイルスは,いっけん風邪のような症状であったような。小松左京がまだ攻撃力をもったころの作品ですね(当時,小松や筒井はともかく全作品を追っかけて読んだものです)。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:09 )
Hikaru様,『アフリカの蹄』はTV欄で「を,これは」と思いつつ,見逃してしまいました。麻生幾だかの短いフィクションでサイバーテロの武器として天然痘を用いる話があって,なかなか怖いものでした。日本など手もなくひねられる,てな感じです。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:08 )
怖いけどつい見てしまいそう。映画といえば「復活の日」なんてのもありましたね。 / けろりん ( 2003-05-22 06:18 )
エボラを扱った映画「アウトブレーク」を思い出しますが、NHKのドラマになった「アフリカの蹄」も怖かったです。(こちらはフィクションで天然痘ですが) / Hikaru ( 2003-05-20 14:35 )

2003-05-11 『テレビに出せない本当の怖い話』『テレビの中で起きた怖い話』 宗 優子 / 竹書房文庫


【男性の後ろ手に組んだ右手の人差し指を,小さな手がつかんでいる。】

 前回取り上げた『東京伝説 うごめく街の怖い話』が存外によかったので,「むむ。竹書房文庫はしばらく詮議の外だった」と都内某大手書店で買ってきた2冊。しかし,こちらははずれだった。
 なにしろまるで怖くないのである。

 著者はいわゆる「霊能者」で,雑誌,テレビなどで活躍しているらしい。ここに掲載されている短い話も,実際にあった事件を一部仮名にしてストーリー化したものとのこと。つまりは,本書が「怖い」としたら,その根拠はそれが「本物」「事実」である,ということで……だが,読み手というものは贅沢なもので,よしんばその内容が本当に事実だったとしても,そう感じられなければそれまでである。まして活字にスレてしまって,本になった情報,テレビで放送された情報などしょせん大半はマガイモノなどと考えてしまう輩にはなにほどでもない。

 つまりは,1枚の心霊写真があったとして,それが本当に心霊のしわざであるかどうかより,ヒヤっとさせられたり,ハラハラさせられたりするかどうかのほうが問題なのである。リアリティのないホンモノよりは,うまくだまされるならニセモノのほうが説得力が高い,ということだ。

 ところが,本書に掲載されたストーリーたるや,著者が直接体験したものにせよ,知人の体験談にせよ,煎じ詰めればほとんど内容がない。
 とある心霊スポットにテレビクルーが撮影に赴いた際のことを「放送できなかった恐怖映像」「山道のアクシデント」「廃屋の異常事態」などタイトルこそにぎにぎしく並べたてているが,参加者の誰それが夜道を怖がった,悲鳴を上げた,といったアオリを削っていくと「著者が浮遊霊を見た(と思った)」「ビデオ機器の調子が悪くなった」「歩いていたキャスターの足が痛くなった」程度の記述しか残らない。
 掲載された心霊写真にしても,やたら「オーブ(霊魂の玉)が」と連発するが,夜間フラッシュを焚けば,埃や虫が丸い光の玉になって写るのは珍しくない。
 そもそも,
 「わたしは,少女の怨念だとか,ベッドに触ると死ぬだとかいったうわさはまったく信じません。」
と記したほんの数十ページあとに
 「その人は,そのスタジオではなく,まったく別の場所で自殺したのですが,○番スタジオに未練か恨みのようなものを残していて,それで現れるのでしょう。」
などと書けてしまう神経も疑問だ。

 ……とかなんとかいうようなことを書いている最中に,霊能者の宜保愛子氏が6日に胃癌で亡くなっていたとの報が届いた。
 宜保愛子氏については,彼女が活躍した時期あたりからほとんどテレビというものを見なくなったため,まったくというほど動く映像を見た記憶がない。本も読んでいない。雑誌などからの間接的な情報を得ただけだ。総じて今回取り上げた2冊と似た印象で,もしテレビをよく見ていても,興味の対象となったとは思えない。
 最近はあまりテレビにも出ていなかったようだが,オウム事件以来,こういったオカルト系のタレントは不遇だったのだろうか,といったようなことも考える。

 いずれにしても,よくできた怪談は事実にまさる。
 うろついたり写真に現れたりする程度で,たいした悪さもしない浮遊霊などより恐ろしい人間はいくらでもいる。怖いかどうかは別にしても,白い服を着て車に渦巻きのシールを張れば電磁波を防げると言われてそれを信じてしまう人間が少なからずいることのほうがよほど薄気味悪いではないか。

先頭 表紙

宿敵(?)大槻教授は宜保愛子氏について,教祖となって信者集め,霊感商法に走らなかったことで好感を持てた,とのこと。……宗教的なものって,不潔な印象が強くて苦手です。 / 烏丸 ( 2003-05-12 02:09 )
織田無道もバラエティ番組で見かけると思っていたら逮捕されたり。そういえば織田無道の公式サイトに「公式オープン記念。先着○名様に織田無道の気入りブレスレットをプレゼント!」なんて書いてあったのを思い出しました。(笑) / ボン・ジョンボビ/皮肉屋 ( 2003-05-11 16:57 )

2003-05-04 『東京伝説 うごめく街の怖い話』 平山夢明 / 竹書房文庫


【だめ…この首がいいから…】

 「ある意味」という慣用句は,じっくり考えてみるまでもなく,もともとたいした意味は持たない。
 「米政府の選択はある意味正しい」「人の命はある意味地球より重い」などという文言は,大袈裟な雰囲気を取り除くと,実のところ何も言ってないに等しいのである。
 とはいえ,これが便利な用法であることは確かで,たとえば次のような使い回しはどうだろう。

 平山夢明の『東京伝説 うごめく街の怖い話』は彼の得意な心霊モノではないが,ある意味心霊モノよりよほど恐ろしい……。

 平山夢明は『怖い本』などで知られる怪談コレクターにして小説家。
 木原浩勝・中山市朗の『新耳袋』と比べるとやや作った感,つまり作為的なエンターテインメント臭は否定できないが,市井から取材した体験談の素朴さ,得体の知れなさに,こなれた怪談の物語性がほどよくブレンドされている。そのくせ一話一話は引き締まって短く,展開に弛みがない。
 もっとも,弛みがないということは,「出るか,出るか……でっ,出た〜っ!」といった演出には適さないわけで,稲川淳二の怪談と比べればその利用法(?)はまるで違う。女子大生をスタジオに集め,青いライトを揺らして悲鳴を上げさせるのには向いていないだろう。

 さて,新刊の文庫書き下ろし『東京伝説 うごめく街の怖い話』である。
 平山夢明には,類似タイトルの『東京伝説 呪われた街の怖い話』(ハルキ・ホラー文庫)という怪談集があるが,正統派(?)の心霊体験談であるそちらに対し,こちらは<幽霊のでない怖い話>をまとめたものである。著者の前書きから引用すれば,
 “エレベーターから降りたら,なかに残った男に髪を掴まれ引きこまれそうになった”
 “かつての同級生が滅茶苦茶な整形をし,誰なのかわからないようになってやってきた”
 “知らない人から何枚も犬の生皮を送りつけられる”
といった体験談話であり,要は<あちら側へ行ってしまった人たち>が日常生活の中にするりと入り込んできて,さりげなく,あるいは猛然と語り手たちに現実の被害を及ぼす物語である。
 「くるくる回転図書館」でも再三取り上げてきたストーカーたちがこれに含まれるだろうし,ここしばらくテレビのワイドショーを賑わしている白い集団,「パナウェーブ研究所」とやらの醸し出す気配もそれに通じるかもしれない。

 本書に掲載された恐怖譚にはいくつかのパターンが見られる。たとえば,アパートの大家の壊れた息子。相手を選ばない尖った殺意。あるいは,ちょっとした善意の行為が呼ぶ悲惨な結末(自殺幇助など)。都市の仕事の裏の真実……。
 宅配便のあるコースの担当者が,髪の毛が束になって抜け,次々と癌で死んでいくという話には,新たな都市伝説として定着しそうな気配がある。いや,新しい都市伝説を著者がたまたま拾ってきてしまったのか。

 いずれにしても,恐ろしさのわりには意外と実害の少ない心霊譚に比べ,本書で扱われている事件はその多くが関係者の人生を徹底的に破壊しかねないものである。そのいくつかは「まさか」で切り捨てられそうだが,もし事実であったとき,直接の被害者は「まさか」ではすまない思いをすることだろう。旅先のホテルで幽霊を見た,といった話との違いとして,その多くが現在進行形の事件であることも一段と恐怖を募る。

 それにしても……プロフィールに「生理的に嫌な話を書かせたら日本で三指に入る」と紹介される著者も著者である。三指の残りの二指が誰なのかも気になるところではあるが。

先頭 表紙

asitaさま,いらっしゃいませ。本書での「怖さ」はもう少し直接的で,たとえば最近でいえば,割烹着を着て自転車に乗って包丁を振り回す通り魔,といった感じでしょうか・・・あまりおめにかかりたくはないものです。 / 烏丸 ( 2003-05-11 03:00 )
都会の人間関係の希薄さが産む不気味さはホラー映画のような「出たー!!」っていうのとは違って「何となく」、「ぼんやりと」、でも「明らかに感じる」怖さが有りますよね。 / asita@はじめまして。 ( 2003-05-07 09:27 )

2003-05-02 『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』 朝日ソノラマ ASコミックス


【一応全部はがしたよ】

 リバイバルブームである。たとえばシルヴィ・バルタンのベストアルバムが売れる。というか,洋楽CDの棚を見ればいにしえのミュージシャンのベストアルバムだらけである。
 そのこと自体は別に悪いことではない。夏目漱石や三島由紀夫の作品が手に入らないような時代がやってきたら,それこそ異常だ。
 問題は,新しい時代をになうミュージシャンが登場しているかどうかということだが,それについては正直よくわからない。大物が出てきていないのではないか,と感じているのは事実だが,それは単に昨今のウェイブにこちらが対応できていないだけかもしれないからだ。

 マンガも,リバイバルが盛んだ。
 マンガ文庫の定着によって,雑誌掲載から単行本,せいぜいたまに豪華本,という循環しかなかったものが,古い名作を再度店頭に並べる仕組みが用意された感じである。たとえばここしばらくの間に書店に平積みされたものの中には,『ちかいの魔球』『柔道賛歌』『ひとりぼっちのリン』『七つの黄金郷』などの過去の名作がある。いずれも,近年は入手が難しく,とはいえ高額な古本を探し出してまでは,といったレベルの作品ばかりである。
 文庫サイズで緻密なタッチを味わえるか,といった点はさておき,こうしてさまざまな作品が発掘されることで多少なりとも読者の層が広がったり,現在の作家がインスピレーションを得たりすることは期待できるのではないか。

 最近は,このマンガのリバイバル,リサイクルブームに,さらに新しいチャンネルが加わっている。それが主にコンビニエンスストアの店頭に並ぶA5サイズ,糊綴じのコミック冊子である。要するに旧作をチープな作りで安く(300円代〜)販売するというもの。流通のルールはよくわからないが,雑誌コードが付いているところをみると雑誌として期限を設けてコンビニに卸し,返本は即断裁なのだろう。つまり制作費を抑えるだけでなく,単行本と違って在庫リスクを負わないわけである。
 月単位なのか週単位なのかはわからないが,雑誌のサイクルだとすると,いつまでもコンビニ店頭に並んでいるはずはない。各社,すでに相当さまざまな作品を投入しているようで,全貌となるとおよそよくわからない。著名な作品の,それも面白いところを切り取るような発行をして,出版物というよりはまったくのマーケ商品である。
 もちろん,読み手にとっては,それが面白ければどのような経路で販売されようと知ったことではない。値段,サイズの手ごろさもあって,手持ちの本に倦んだ帰りの通勤電車用にコンビニで無造作に購入したりする。それは『あずみ』であったり『アストロ球団』であったり『Papa told me』であったり,極端な場合は『哭きの竜』や高橋留美子の作品集のように,自宅の棚を探せば単行本を所有していることがわかっていても,時間つぶしとばかり買ってしまったりもする。
 問題は,うっかり前後編の片割れを買ってしまった場合,もう一方も入手できるとは限らないことだ。原哲夫『公権力横領捜査官中坊林太郎』など,上巻を購入してしまったために,その続きが気になってしかたがない。しかし,雑誌扱いだけに紀伊国屋BookWebなどにも在庫はないし,そもそも単行本を探してみようというほどの作品でないのもまた事実……。

 そんなこんなで,今夜は朝日ソノラマの心霊体験コミック集『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』を購入してきた。遅い夕飯を食べながら,先ほど読了した次第。

 この手の心霊マンガオムニバス本の面白さは,どうにも絵の下手なのからけっこう巧いのまで,さまざまなマンガ家によってさまざまな「恐怖」が描かれることである。たとえば,血まみれの女がアップになっても,それはかならずしも怖くはない。むしろ,そぼふる雨の中,車の後ろにしゃがんでいる霊のほうがなにか「危ない」ものが感じられたりするものだ。あるいは,血まみれの女が振り向く際,首をやや剣呑な角度で描き,そこに「ぐるん」と効果音を付け加えるだけでそれなりに「死体」感が増す,といったテクニックなど。

 今回は,巻頭に並ぶ霊能者・寺尾玲子モノで,心霊スポットで霊を「拾う」,そこを再度たずねて霊を「はがす」という言い回しが登場人物たちの中ですんなり日常化している気配なのを興味深く読んだ。

  「とりあえずそいつは元の場所に戻した 一体ずつ確認しながらはがしていくの」
  「ここで二体目を拾ってる これも置いてくね」
  「この交差点だよ 元凶である奴を拾ってるのは──」
  「たぶんこれが最後だね 一応ぜんぶはがしたよ」

 こんな具合に抜き出してしまうと,いやはや何の会話であることやら。

先頭 表紙

あらら、知りませんでした。探してみますね。ありがとう / 風歌 ( 2003-05-06 05:58 )
フィー子さま,最近は一条ゆかり『砂の城』が並んでいました。わりあい新しい作品があったり,とんでもなく昔の作品があったり……それ自身を売りたいのか,撒き餌としたいのか,各出版社のオモワクが読みにくいシリーズでもあります。 / 烏丸 ( 2003-05-03 01:27 )
風歌さま,その若者たちがもっぱら利用するのがケータイのメールなんでしょうか。それでもコミュニケーションが存在するだけけっこうなことかもしれません。ところで,澁澤龍彦の『フローラ逍遥』(平凡社ライブラリー)という書物をご存知でしょうか。東西の風雅な植物画75点にエッセイを添えた作品ですが。 / 烏丸 ( 2003-05-03 01:25 )
漫画を買う(読む)という習性がないので気づきませんでしたがそういうのが出ているんですか。私のようにこれまで読まなかったような者には手軽で良さそうですね。コンビニで見てみます! / フィー子 ( 2003-05-02 20:47 )
現代の若者は漫画すら読まないし、CDは買わずにすぐコピー。本にCDにお金を落とすのは中年、で「懐かしさ」に訴える商法。なのかしらん? / 風歌@旧HNはがしましたの ( 2003-05-02 08:17 )

2003-04-21 [雑感] 鉄腕アトムの誕生日

 
 「2003年4月7日は,鉄腕アトムの誕生日!」……というテレビや雑誌の笛太鼓に,一抹の寂しさを感じたのは僕だけだったろうか。

 2003年のこの春,いったいどれほどの子供たちが,本当にアトムのファンだったといえるのだろう。
 『鉄腕アトム』が国産初のTVアニメとして,当時の子供たちの胸を熱くした功績を否定するつもりはない。しかし,当時のアトムというキャラクターそのものの魅力はすでに過去のものとなり,今回のお祭りはどこか親が子供に自分の好みの人形を買い与えるような,そんな乖離を感じてならなかった。
 少なくとも,何度か試みられた,アトムという番組そのものの再放送,リニューアルはとくにヒットしていない。今回の誕生日イベントで,グッズの類は多少売れたかもしれないが,その多くは配り手の思惑によるものであり,ニーズがあったためではなかったのではないか。

 僕自身は『鉄腕アトム』を第1回めから最終回までリアルタイムで見ていることもあり,「アトム世代」と呼ばれることに違和感はない。実際,自分の中のある種の正義感,ある種の思いやりは,その一部が当時のアトムの独白に結びついているように感じられるのも事実だ。
 だがそれは,今となって,決して心地よい結びつきとは思えない。アトムの歩みは常に迷いの道であり,敗北への坂道であった。「心」というものにこだわって事態を複雑にするアトムの姿は,いうなれば,ブッシュのイラク攻撃に対してハンバーガーを食べないことで反戦を訴えたつもりになるような,どこか脆弱で,本質的には身勝手なものだった。
 それを人間的なドラマというなら,それは決して的外れではない。少なくとも,同時代の『鉄人28号』やのちの『仮面ライダー』に比べて,その内面,思索の深さは比較にならない。
 だが,深いからよい,というわけでもない。僕は手塚作品全般にただよう作者の妙なこだわりに,性的な,それも若干不健康なものを感じてしかたがない。たとえば子供に見せたいアニメというテーマで比較するなら,僕は文句なしに『ポケットモンスター』の明るさを選ぶだろう。

 ところで,『スターウォーズ』の世界観が,高速宇宙船で自在にほかに星に飛べることを除けば本質的に西部劇とそう変わらないように,アトムに登場する2003年の未来世界も,意外なほどに現実を超えてはいない。
 10万(のちに100万)馬力,自由に歩行し,腕のジェット,足のロケットで空を飛び,目や耳で状況を認識して人と会話できるというアトムという超常的なロボットそのものを除けば,壁掛けテレビ,大型旅客機,宇宙ステーションなど,質はともかくすでに実現しているものも少なくない(タイムマシンや瞬間物質伝送機など,破天荒な技術は登場していない)。

 逆に,コンピュータやネットワークについては,現実のほうがアトムの世界を格段に凌駕してしまった。
 子供から大人までが携帯電話を持ち歩き,その場で撮影した画像をメールで送信,ニュースの配信や商品の売買まで手元で手軽にできてしまう世界。
 アトムは最終回には地球を救うために太陽めざして飛び去るのだが,もしそれが2003年の出来事なら,ハードディスクのバックアップを取らなかったお茶ノ水博士は厳しく糾弾されてしかるべきだろう。

先頭 表紙

烏丸,子供たちに「ファイズとカイザ,どっちが好き? どっちが強いと思う?」などなど,執拗に聞かれて困っております。日曜日朝8時からの番組の感想だなんて……。 / 朝帰りの週なら見られるんだが…… ( 2003-04-23 02:56 )
アトムの新作アニメ、あんまり観る気しませんね。手塚作品って説経くささがいい方に転んでいる作品は好きなんですが・・。最近はまっているのは仮面ライダー555です。 / けろりん ( 2003-04-22 04:34 )
アトムの誕生日なんて今さらな話題なんだけれど,今夜,子供と一緒にスターウォーズエピソードIIを見て,その感想を書こうとパソコンを立ち上げたらなぜかこういう内容になってしまった……。そちらについて言いたかったことは,「ハリウッド映画の主人公って,なぜあんなふうにお馬鹿ばっかりなんだろう?」。ホラー映画で,一人になったら殺されるとわかっていて一人になる若い女,みたいな。 / 烏丸 ( 2003-04-21 03:11 )

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