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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2003-05-26 [雑感] 旧石器捏造事件,プロ野球,100円USBケーブル
2003-05-19 SARS禍の今,もう一度手にしてみたい 『ホット・ゾーン』 リチャード・プレストン,高見 浩 訳 / 小学館文庫ta
2003-05-11 『テレビに出せない本当の怖い話』『テレビの中で起きた怖い話』 宗 優子 / 竹書房文庫
2003-05-04 『東京伝説 うごめく街の怖い話』 平山夢明 / 竹書房文庫
2003-05-02 『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』 朝日ソノラマ ASコミックス
2003-04-21 [雑感] 鉄腕アトムの誕生日
2003-04-14 [非書評] 五大捕物帳
2003-03-31 『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』 ナンシー関 編・著 / 角川文庫
2003-03-24 事件の領域。 『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』 林 明輝 / 講談社モーニングKC
2003-03-17 ノートPC購入に向けての雑感(烏丸は電気手帳の夢を見るか)


2003-05-26 [雑感] 旧石器捏造事件,プロ野球,100円USBケーブル

 
 東北旧石器文化研究所の藤村・元副理事長がかかわったとされる前期・中期旧石器遺跡について,180以上の遺跡のうち162遺跡で捏造が確認された。要するに彼の「発見」はすべて「捏造」だったということだ。捏造が暴露された際,この「くるくる回転図書館」でも「もし最初の1つがフェイクなら,全部チャラ」ということを指摘したが,結局そうなったわけだ。
 藤村氏の行為を責めるのはたやすい。しかし,問題はむしろ162回にわたって繰り返された捏造をチェックできなかった考古学会の怠慢……否,そもそも学説としてきちんと発表,検証されてもいないレベルで「発見」イコール「通説」としてまかり通してしまった体質のほうだろう。
 それは,少なくとも科学的な姿勢ではない。

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 あまり指摘されないようだが,ヤンキースの松井秀喜のプレイはつまらない。
 49試合を経て3本のホームラン,2割6分台の打率がものたりない……それも事実だが,それだけではない。もっとスポーツ観戦の根幹にかかわること,つまり,わくわく,どきどきしないのである。体が重そうだし,こねるようなバッティング,再三のセカンドゴロがなんだかいかにも思い切りが悪そうで,すっきりしない。
 打てなければブーイング,打たれればマイナー送り,それがMLBの痛快さ,ひいては魅力だったのではなかったっけ。

 ひるがえって,日本のプロ野球が今年はなかなか面白い。
 各チームとも中継ぎ,抑えの強化や調整に大失敗したらしく,やたら大差をひっくり返される逆転試合が少なくない。終盤で5点差や6点差あってもちっとも安全圏ではない。年がら年中荒っぽい試合ばかりというのも困るが,とりあえずフランクリン・ルーズベルトも言ったように「もっとも面白いのは8対7の試合だ」。7回を終わって7対2の試合が,終わってみれば同点,延長,大逆転! 見る側からしてみればまことにけっこうなことではないか。
 ペナントレースが面白いのは,もう1つ,例によって金にものを言わせて強化を重ねたジャイアンツがいっこうにパッとせず,タイガースが2位に6.5ゲーム差をつけて独走していることがある。31勝のうちなんと22勝が逆転と,終盤の粘りがファンを沸かせているのも盛り上がりの材料だ。
 しかし。逆転が多いということは,冷静に考えれば序盤に先発投手が点を取られるケースが多いということだ。6月,7月に向けてまだまだセ・リーグもこじれそうである。こじれにこじれたあげく,ジャイアンツはヤクルトに足を掬われ,僅差でタイガース優勝,といったあたりがもっとも「沸く」展開だろうか。

 パ・リーグではダイエーの若手投手陣をおおいに応援したい。寺原,杉内,和田,新垣……松坂と競い合って,客を呼べるパ・リーグにしてほしいものだ。

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 最近,ノートPCが新しくなったのに合わせて,コンパクトフラッシュの512MBのものを購入。1万円あまりで買えて,驚いた。何年か前,デジカメが登場して浸透し始めたころには,8MBや16MBの製品が1万円以上していたような記憶がある。
 コンパクトフラッシュは相次いで登場するメモリカードの中ではすでに負け組みとまではいかないまでも,なんとなく進化の止まってしまった規格だが,大容量の製品が他のメモリカードより早く出ること,容量あたりの単価が安いことが魅力だ。512MBを無造作に使いながら,自分はこのまま容量について無神経になってしまうのだろうかと妙な危惧さえ覚える。

 廉価なPC器具といえば,近所の100円ショップにUSBケーブルがあった。1mのUSBケーブル,オス⇔オス,オス⇔メスがいずれも100円である。
 机の下のデスクトップ機の背面からUSBケーブルを引き回すのが面倒と日ごろから感じていたので(さりとてUSB HUBを購入するほどの用途でもない),1本買ってきたが,缶コーヒー1本より安いとはなんともメーカーが気の毒になってしまう。自分が買っておいてなんだが,いったい100円ショップでUSBケーブルを購入する者がどれほどいるというのだろうか……。

先頭 表紙

2003-05-19 SARS禍の今,もう一度手にしてみたい 『ホット・ゾーン』 リチャード・プレストン,高見 浩 訳 / 小学館文庫ta


【アメリカ合衆国陸軍の冷凍庫に保存されているウイルスの源,メインガ看護婦。……彼女は静かで気立てのいい,美しいアフリカの娘だった。年は二十歳くらいだったというから,いわば,人生でいちばん楽しいさかりだった。彼女は明るい希望に燃えていた。……両親は彼女のことを,目の中に入れても痛くないくらいに可愛がっていたという。】

 脳,内臓を溶かし,目,鼻,口など,体中の穴という穴から血の滴が滲み出てくる……。

 ホラー映画のコピーではない。
 致死率九〇パーセントの「エボラ・ザイール」ウイルスとの闘いを描いたリチャード・プレストンのノンフィクションの惹句である。

 ケニアの農園に働くフランス人シャルル・モネの発病のさまから静かに書き起こされる本書は,精緻かつ淡々とした文章で描かれる……が,エボラの病状は想像を絶する恐ろしさだ。
 それは,人がインフルエンザにかかったときなどとはまるで違う。ある宿主の中でウイルスが増殖すると,その結果,その宿主の肉体は脳から皮膚にいたるまでウイルス粒子で飽和させられてしまう。肝臓,腎臓,肺,両手足,そして頭の中は血栓で詰まり始める。血液の供給が遮断された腸筋肉は壊死を開始する。やがて患者は「炸裂」する。鼻や口,肛門,いや体中のあらゆる孔という孔からおびただしい血が噴き出し,壊死した内蔵が吐き出される……。

 本書は,ワシントン近郊の町レストンのモンキー・ハウスに突然出現した「エボラ」に対し,防護服に身を包んだアメリカ陸軍の特殊チームが核攻撃さながらの最高度機密保持態勢のもとに展開した制圧作戦を描く第二部以降が主旋律となっている。
 しかし,思わず本棚から取り出し,何度も読み返してしまうのは,アフリカの熱帯雨林のどこかから不意にエボラが現れ,宿主を徹底的に破壊しつくすさまを克明に描いた第一部である。

 その第一部に,「メインガ・N」という患者についての記述がある。
 彼女は看護婦として,ザイール,ヌガリエマ病院で「シスターM・E」と呼ばれる患者の「炸裂」に立ち会う。シスターM・Eの病室は,床といわず,椅子といわず,壁といわず,あたり一面すべてが血まみれとなり,患者の死体を運び出したあとも清掃のためにその部屋に踏み込もうとする者はなかった。
 しばらくして,メインガは頭痛と極度の疲労を覚え始める。メインガはシスターM・Eの血か黒色吐物を体に浴びたのかもしれない。メインガは自分が病気にかかりつつあることはわかっていても,それが何なのかを素直に認めようとはしなかった。認めたくはなかった。彼女はすでにヨーロッパの大学で学ぶための奨学金を得ていた。ここで病気になってしまったら海外旅行の許可を取り消されるかもしれない。彼女の症状はさらに悪くなった。しかし,彼女はその病気に詳しい,自分の勤める病院で告白することができなかった。そして彼女は二日間にわたって混雑した町中をさまよい,ほかの病院をたずね,マラリア患者やボロをまとった子供たちの中で震えていたのだ。

 1976年10月のことだ。
 メインガ看護婦は世界的な厄災の撃鉄を引いたのかもしれなかった。ことの次第を知ったザイール大統領は,軍を動員し,そのヌガリエマ病院を含むブンバ・ゾーン一帯を封鎖した。情報のとだえたブンバは地上から消え,密林の奥に飲み込まれ,消えようとしていた……。



 関西ツアー旅行に参加し,大阪,京都,兵庫,徳島,香川の2府3県をバスと船でめぐった台湾人医師が,帰国後,新型肺炎「重症急性呼吸器症候群」(SARS)に感染していることが確認された。
 彼はSARSの患者のいる病院に勤務していたが,病院側の言によれば直接患者を診療したわけではなく,勤務中は高性能マスクと防護服を着用していたという。
 だが……。

 日本での観光のさなかに発熱した彼の思いはどうだったのだろうか。

先頭 表紙

確かに,ある種の病気については,病院こそ恐ろしい場所となりえますね。エボラ・ザイールの際も,マラリアの治療に1本の注射器を繰り返して使ったことが病気をさらに広めたようです。医者や看護婦がパニックを起こして病院を放棄して逃げ出したことが沈静につながったという笑うに笑えない展開があったもよう。 / 烏丸 ( 2003-05-25 23:56 )
そういえば、私は種痘を受けた世代ですが、妹のときにはもうやってなかったです。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:41 )
「アフリカの蹄」は、夕飯の食卓で見始めて、そのまま最後まで... あれは病気そのものもですが、人間のやってることがすんごく怖かったです。情報操作とか。中国での情報隠しが発覚したとき、まっさきに思い出しました。原作では、臓器移植も絡んでくるそうです。(TVではそこはさらっと行ったようですが)「復活の日」は"MM88菌"でしたっけ。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:38 )
ここ数年、病院と縁が切れてません。幸いうつる病とかではないのですが、先日受付で、隣の人が「肺炎かどうか調べて欲しい」と言ってるのが聞こえた時は、さすがにびびりました。うがいだけはしっかりやってます。 / Hikaru ( 2003-05-23 10:37 )
致死率の高い伝染病の怖さというものを考えるとき,自分が死ぬのも苦しむのももちろんいやだし怖いことですが,自分がどこかからウイルスを拾ってきて,それで家族が死ぬ……考えただけで足の力が抜けるような恐ろしさです。そういったことについてはまことに意気地がありません。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:12 )
けろりん様,そういえば『復活の日』のウイルスは,いっけん風邪のような症状であったような。小松左京がまだ攻撃力をもったころの作品ですね(当時,小松や筒井はともかく全作品を追っかけて読んだものです)。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:09 )
Hikaru様,『アフリカの蹄』はTV欄で「を,これは」と思いつつ,見逃してしまいました。麻生幾だかの短いフィクションでサイバーテロの武器として天然痘を用いる話があって,なかなか怖いものでした。日本など手もなくひねられる,てな感じです。 / 烏丸 ( 2003-05-23 02:08 )
怖いけどつい見てしまいそう。映画といえば「復活の日」なんてのもありましたね。 / けろりん ( 2003-05-22 06:18 )
エボラを扱った映画「アウトブレーク」を思い出しますが、NHKのドラマになった「アフリカの蹄」も怖かったです。(こちらはフィクションで天然痘ですが) / Hikaru ( 2003-05-20 14:35 )

2003-05-11 『テレビに出せない本当の怖い話』『テレビの中で起きた怖い話』 宗 優子 / 竹書房文庫


【男性の後ろ手に組んだ右手の人差し指を,小さな手がつかんでいる。】

 前回取り上げた『東京伝説 うごめく街の怖い話』が存外によかったので,「むむ。竹書房文庫はしばらく詮議の外だった」と都内某大手書店で買ってきた2冊。しかし,こちらははずれだった。
 なにしろまるで怖くないのである。

 著者はいわゆる「霊能者」で,雑誌,テレビなどで活躍しているらしい。ここに掲載されている短い話も,実際にあった事件を一部仮名にしてストーリー化したものとのこと。つまりは,本書が「怖い」としたら,その根拠はそれが「本物」「事実」である,ということで……だが,読み手というものは贅沢なもので,よしんばその内容が本当に事実だったとしても,そう感じられなければそれまでである。まして活字にスレてしまって,本になった情報,テレビで放送された情報などしょせん大半はマガイモノなどと考えてしまう輩にはなにほどでもない。

 つまりは,1枚の心霊写真があったとして,それが本当に心霊のしわざであるかどうかより,ヒヤっとさせられたり,ハラハラさせられたりするかどうかのほうが問題なのである。リアリティのないホンモノよりは,うまくだまされるならニセモノのほうが説得力が高い,ということだ。

 ところが,本書に掲載されたストーリーたるや,著者が直接体験したものにせよ,知人の体験談にせよ,煎じ詰めればほとんど内容がない。
 とある心霊スポットにテレビクルーが撮影に赴いた際のことを「放送できなかった恐怖映像」「山道のアクシデント」「廃屋の異常事態」などタイトルこそにぎにぎしく並べたてているが,参加者の誰それが夜道を怖がった,悲鳴を上げた,といったアオリを削っていくと「著者が浮遊霊を見た(と思った)」「ビデオ機器の調子が悪くなった」「歩いていたキャスターの足が痛くなった」程度の記述しか残らない。
 掲載された心霊写真にしても,やたら「オーブ(霊魂の玉)が」と連発するが,夜間フラッシュを焚けば,埃や虫が丸い光の玉になって写るのは珍しくない。
 そもそも,
 「わたしは,少女の怨念だとか,ベッドに触ると死ぬだとかいったうわさはまったく信じません。」
と記したほんの数十ページあとに
 「その人は,そのスタジオではなく,まったく別の場所で自殺したのですが,○番スタジオに未練か恨みのようなものを残していて,それで現れるのでしょう。」
などと書けてしまう神経も疑問だ。

 ……とかなんとかいうようなことを書いている最中に,霊能者の宜保愛子氏が6日に胃癌で亡くなっていたとの報が届いた。
 宜保愛子氏については,彼女が活躍した時期あたりからほとんどテレビというものを見なくなったため,まったくというほど動く映像を見た記憶がない。本も読んでいない。雑誌などからの間接的な情報を得ただけだ。総じて今回取り上げた2冊と似た印象で,もしテレビをよく見ていても,興味の対象となったとは思えない。
 最近はあまりテレビにも出ていなかったようだが,オウム事件以来,こういったオカルト系のタレントは不遇だったのだろうか,といったようなことも考える。

 いずれにしても,よくできた怪談は事実にまさる。
 うろついたり写真に現れたりする程度で,たいした悪さもしない浮遊霊などより恐ろしい人間はいくらでもいる。怖いかどうかは別にしても,白い服を着て車に渦巻きのシールを張れば電磁波を防げると言われてそれを信じてしまう人間が少なからずいることのほうがよほど薄気味悪いではないか。

先頭 表紙

宿敵(?)大槻教授は宜保愛子氏について,教祖となって信者集め,霊感商法に走らなかったことで好感を持てた,とのこと。……宗教的なものって,不潔な印象が強くて苦手です。 / 烏丸 ( 2003-05-12 02:09 )
織田無道もバラエティ番組で見かけると思っていたら逮捕されたり。そういえば織田無道の公式サイトに「公式オープン記念。先着○名様に織田無道の気入りブレスレットをプレゼント!」なんて書いてあったのを思い出しました。(笑) / ボン・ジョンボビ/皮肉屋 ( 2003-05-11 16:57 )

2003-05-04 『東京伝説 うごめく街の怖い話』 平山夢明 / 竹書房文庫


【だめ…この首がいいから…】

 「ある意味」という慣用句は,じっくり考えてみるまでもなく,もともとたいした意味は持たない。
 「米政府の選択はある意味正しい」「人の命はある意味地球より重い」などという文言は,大袈裟な雰囲気を取り除くと,実のところ何も言ってないに等しいのである。
 とはいえ,これが便利な用法であることは確かで,たとえば次のような使い回しはどうだろう。

 平山夢明の『東京伝説 うごめく街の怖い話』は彼の得意な心霊モノではないが,ある意味心霊モノよりよほど恐ろしい……。

 平山夢明は『怖い本』などで知られる怪談コレクターにして小説家。
 木原浩勝・中山市朗の『新耳袋』と比べるとやや作った感,つまり作為的なエンターテインメント臭は否定できないが,市井から取材した体験談の素朴さ,得体の知れなさに,こなれた怪談の物語性がほどよくブレンドされている。そのくせ一話一話は引き締まって短く,展開に弛みがない。
 もっとも,弛みがないということは,「出るか,出るか……でっ,出た〜っ!」といった演出には適さないわけで,稲川淳二の怪談と比べればその利用法(?)はまるで違う。女子大生をスタジオに集め,青いライトを揺らして悲鳴を上げさせるのには向いていないだろう。

 さて,新刊の文庫書き下ろし『東京伝説 うごめく街の怖い話』である。
 平山夢明には,類似タイトルの『東京伝説 呪われた街の怖い話』(ハルキ・ホラー文庫)という怪談集があるが,正統派(?)の心霊体験談であるそちらに対し,こちらは<幽霊のでない怖い話>をまとめたものである。著者の前書きから引用すれば,
 “エレベーターから降りたら,なかに残った男に髪を掴まれ引きこまれそうになった”
 “かつての同級生が滅茶苦茶な整形をし,誰なのかわからないようになってやってきた”
 “知らない人から何枚も犬の生皮を送りつけられる”
といった体験談話であり,要は<あちら側へ行ってしまった人たち>が日常生活の中にするりと入り込んできて,さりげなく,あるいは猛然と語り手たちに現実の被害を及ぼす物語である。
 「くるくる回転図書館」でも再三取り上げてきたストーカーたちがこれに含まれるだろうし,ここしばらくテレビのワイドショーを賑わしている白い集団,「パナウェーブ研究所」とやらの醸し出す気配もそれに通じるかもしれない。

 本書に掲載された恐怖譚にはいくつかのパターンが見られる。たとえば,アパートの大家の壊れた息子。相手を選ばない尖った殺意。あるいは,ちょっとした善意の行為が呼ぶ悲惨な結末(自殺幇助など)。都市の仕事の裏の真実……。
 宅配便のあるコースの担当者が,髪の毛が束になって抜け,次々と癌で死んでいくという話には,新たな都市伝説として定着しそうな気配がある。いや,新しい都市伝説を著者がたまたま拾ってきてしまったのか。

 いずれにしても,恐ろしさのわりには意外と実害の少ない心霊譚に比べ,本書で扱われている事件はその多くが関係者の人生を徹底的に破壊しかねないものである。そのいくつかは「まさか」で切り捨てられそうだが,もし事実であったとき,直接の被害者は「まさか」ではすまない思いをすることだろう。旅先のホテルで幽霊を見た,といった話との違いとして,その多くが現在進行形の事件であることも一段と恐怖を募る。

 それにしても……プロフィールに「生理的に嫌な話を書かせたら日本で三指に入る」と紹介される著者も著者である。三指の残りの二指が誰なのかも気になるところではあるが。

先頭 表紙

asitaさま,いらっしゃいませ。本書での「怖さ」はもう少し直接的で,たとえば最近でいえば,割烹着を着て自転車に乗って包丁を振り回す通り魔,といった感じでしょうか・・・あまりおめにかかりたくはないものです。 / 烏丸 ( 2003-05-11 03:00 )
都会の人間関係の希薄さが産む不気味さはホラー映画のような「出たー!!」っていうのとは違って「何となく」、「ぼんやりと」、でも「明らかに感じる」怖さが有りますよね。 / asita@はじめまして。 ( 2003-05-07 09:27 )

2003-05-02 『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』 朝日ソノラマ ASコミックス


【一応全部はがしたよ】

 リバイバルブームである。たとえばシルヴィ・バルタンのベストアルバムが売れる。というか,洋楽CDの棚を見ればいにしえのミュージシャンのベストアルバムだらけである。
 そのこと自体は別に悪いことではない。夏目漱石や三島由紀夫の作品が手に入らないような時代がやってきたら,それこそ異常だ。
 問題は,新しい時代をになうミュージシャンが登場しているかどうかということだが,それについては正直よくわからない。大物が出てきていないのではないか,と感じているのは事実だが,それは単に昨今のウェイブにこちらが対応できていないだけかもしれないからだ。

 マンガも,リバイバルが盛んだ。
 マンガ文庫の定着によって,雑誌掲載から単行本,せいぜいたまに豪華本,という循環しかなかったものが,古い名作を再度店頭に並べる仕組みが用意された感じである。たとえばここしばらくの間に書店に平積みされたものの中には,『ちかいの魔球』『柔道賛歌』『ひとりぼっちのリン』『七つの黄金郷』などの過去の名作がある。いずれも,近年は入手が難しく,とはいえ高額な古本を探し出してまでは,といったレベルの作品ばかりである。
 文庫サイズで緻密なタッチを味わえるか,といった点はさておき,こうしてさまざまな作品が発掘されることで多少なりとも読者の層が広がったり,現在の作家がインスピレーションを得たりすることは期待できるのではないか。

 最近は,このマンガのリバイバル,リサイクルブームに,さらに新しいチャンネルが加わっている。それが主にコンビニエンスストアの店頭に並ぶA5サイズ,糊綴じのコミック冊子である。要するに旧作をチープな作りで安く(300円代〜)販売するというもの。流通のルールはよくわからないが,雑誌コードが付いているところをみると雑誌として期限を設けてコンビニに卸し,返本は即断裁なのだろう。つまり制作費を抑えるだけでなく,単行本と違って在庫リスクを負わないわけである。
 月単位なのか週単位なのかはわからないが,雑誌のサイクルだとすると,いつまでもコンビニ店頭に並んでいるはずはない。各社,すでに相当さまざまな作品を投入しているようで,全貌となるとおよそよくわからない。著名な作品の,それも面白いところを切り取るような発行をして,出版物というよりはまったくのマーケ商品である。
 もちろん,読み手にとっては,それが面白ければどのような経路で販売されようと知ったことではない。値段,サイズの手ごろさもあって,手持ちの本に倦んだ帰りの通勤電車用にコンビニで無造作に購入したりする。それは『あずみ』であったり『アストロ球団』であったり『Papa told me』であったり,極端な場合は『哭きの竜』や高橋留美子の作品集のように,自宅の棚を探せば単行本を所有していることがわかっていても,時間つぶしとばかり買ってしまったりもする。
 問題は,うっかり前後編の片割れを買ってしまった場合,もう一方も入手できるとは限らないことだ。原哲夫『公権力横領捜査官中坊林太郎』など,上巻を購入してしまったために,その続きが気になってしかたがない。しかし,雑誌扱いだけに紀伊国屋BookWebなどにも在庫はないし,そもそも単行本を探してみようというほどの作品でないのもまた事実……。

 そんなこんなで,今夜は朝日ソノラマの心霊体験コミック集『ほんとにあった怖い話 裏観光ガイド心霊スポット特集』を購入してきた。遅い夕飯を食べながら,先ほど読了した次第。

 この手の心霊マンガオムニバス本の面白さは,どうにも絵の下手なのからけっこう巧いのまで,さまざまなマンガ家によってさまざまな「恐怖」が描かれることである。たとえば,血まみれの女がアップになっても,それはかならずしも怖くはない。むしろ,そぼふる雨の中,車の後ろにしゃがんでいる霊のほうがなにか「危ない」ものが感じられたりするものだ。あるいは,血まみれの女が振り向く際,首をやや剣呑な角度で描き,そこに「ぐるん」と効果音を付け加えるだけでそれなりに「死体」感が増す,といったテクニックなど。

 今回は,巻頭に並ぶ霊能者・寺尾玲子モノで,心霊スポットで霊を「拾う」,そこを再度たずねて霊を「はがす」という言い回しが登場人物たちの中ですんなり日常化している気配なのを興味深く読んだ。

  「とりあえずそいつは元の場所に戻した 一体ずつ確認しながらはがしていくの」
  「ここで二体目を拾ってる これも置いてくね」
  「この交差点だよ 元凶である奴を拾ってるのは──」
  「たぶんこれが最後だね 一応ぜんぶはがしたよ」

 こんな具合に抜き出してしまうと,いやはや何の会話であることやら。

先頭 表紙

あらら、知りませんでした。探してみますね。ありがとう / 風歌 ( 2003-05-06 05:58 )
フィー子さま,最近は一条ゆかり『砂の城』が並んでいました。わりあい新しい作品があったり,とんでもなく昔の作品があったり……それ自身を売りたいのか,撒き餌としたいのか,各出版社のオモワクが読みにくいシリーズでもあります。 / 烏丸 ( 2003-05-03 01:27 )
風歌さま,その若者たちがもっぱら利用するのがケータイのメールなんでしょうか。それでもコミュニケーションが存在するだけけっこうなことかもしれません。ところで,澁澤龍彦の『フローラ逍遥』(平凡社ライブラリー)という書物をご存知でしょうか。東西の風雅な植物画75点にエッセイを添えた作品ですが。 / 烏丸 ( 2003-05-03 01:25 )
漫画を買う(読む)という習性がないので気づきませんでしたがそういうのが出ているんですか。私のようにこれまで読まなかったような者には手軽で良さそうですね。コンビニで見てみます! / フィー子 ( 2003-05-02 20:47 )
現代の若者は漫画すら読まないし、CDは買わずにすぐコピー。本にCDにお金を落とすのは中年、で「懐かしさ」に訴える商法。なのかしらん? / 風歌@旧HNはがしましたの ( 2003-05-02 08:17 )

2003-04-21 [雑感] 鉄腕アトムの誕生日

 
 「2003年4月7日は,鉄腕アトムの誕生日!」……というテレビや雑誌の笛太鼓に,一抹の寂しさを感じたのは僕だけだったろうか。

 2003年のこの春,いったいどれほどの子供たちが,本当にアトムのファンだったといえるのだろう。
 『鉄腕アトム』が国産初のTVアニメとして,当時の子供たちの胸を熱くした功績を否定するつもりはない。しかし,当時のアトムというキャラクターそのものの魅力はすでに過去のものとなり,今回のお祭りはどこか親が子供に自分の好みの人形を買い与えるような,そんな乖離を感じてならなかった。
 少なくとも,何度か試みられた,アトムという番組そのものの再放送,リニューアルはとくにヒットしていない。今回の誕生日イベントで,グッズの類は多少売れたかもしれないが,その多くは配り手の思惑によるものであり,ニーズがあったためではなかったのではないか。

 僕自身は『鉄腕アトム』を第1回めから最終回までリアルタイムで見ていることもあり,「アトム世代」と呼ばれることに違和感はない。実際,自分の中のある種の正義感,ある種の思いやりは,その一部が当時のアトムの独白に結びついているように感じられるのも事実だ。
 だがそれは,今となって,決して心地よい結びつきとは思えない。アトムの歩みは常に迷いの道であり,敗北への坂道であった。「心」というものにこだわって事態を複雑にするアトムの姿は,いうなれば,ブッシュのイラク攻撃に対してハンバーガーを食べないことで反戦を訴えたつもりになるような,どこか脆弱で,本質的には身勝手なものだった。
 それを人間的なドラマというなら,それは決して的外れではない。少なくとも,同時代の『鉄人28号』やのちの『仮面ライダー』に比べて,その内面,思索の深さは比較にならない。
 だが,深いからよい,というわけでもない。僕は手塚作品全般にただよう作者の妙なこだわりに,性的な,それも若干不健康なものを感じてしかたがない。たとえば子供に見せたいアニメというテーマで比較するなら,僕は文句なしに『ポケットモンスター』の明るさを選ぶだろう。

 ところで,『スターウォーズ』の世界観が,高速宇宙船で自在にほかに星に飛べることを除けば本質的に西部劇とそう変わらないように,アトムに登場する2003年の未来世界も,意外なほどに現実を超えてはいない。
 10万(のちに100万)馬力,自由に歩行し,腕のジェット,足のロケットで空を飛び,目や耳で状況を認識して人と会話できるというアトムという超常的なロボットそのものを除けば,壁掛けテレビ,大型旅客機,宇宙ステーションなど,質はともかくすでに実現しているものも少なくない(タイムマシンや瞬間物質伝送機など,破天荒な技術は登場していない)。

 逆に,コンピュータやネットワークについては,現実のほうがアトムの世界を格段に凌駕してしまった。
 子供から大人までが携帯電話を持ち歩き,その場で撮影した画像をメールで送信,ニュースの配信や商品の売買まで手元で手軽にできてしまう世界。
 アトムは最終回には地球を救うために太陽めざして飛び去るのだが,もしそれが2003年の出来事なら,ハードディスクのバックアップを取らなかったお茶ノ水博士は厳しく糾弾されてしかるべきだろう。

先頭 表紙

烏丸,子供たちに「ファイズとカイザ,どっちが好き? どっちが強いと思う?」などなど,執拗に聞かれて困っております。日曜日朝8時からの番組の感想だなんて……。 / 朝帰りの週なら見られるんだが…… ( 2003-04-23 02:56 )
アトムの新作アニメ、あんまり観る気しませんね。手塚作品って説経くささがいい方に転んでいる作品は好きなんですが・・。最近はまっているのは仮面ライダー555です。 / けろりん ( 2003-04-22 04:34 )
アトムの誕生日なんて今さらな話題なんだけれど,今夜,子供と一緒にスターウォーズエピソードIIを見て,その感想を書こうとパソコンを立ち上げたらなぜかこういう内容になってしまった……。そちらについて言いたかったことは,「ハリウッド映画の主人公って,なぜあんなふうにお馬鹿ばっかりなんだろう?」。ホラー映画で,一人になったら殺されるとわかっていて一人になる若い女,みたいな。 / 烏丸 ( 2003-04-21 03:11 )

2003-04-14 [非書評] 五大捕物帳


 2週間も更新が滞り,「あのお喋りカラスめが,そろそろ我慢できずに新しいのをアップしているころであろう」とチェックに来ていただいた皆様にはたいへん失礼いたしました。このところちと「書評」などという御大層な取り上げ方にはそぐわない,ただのんびりと読書を楽しむ,そのような本の読み方ばかりしていたものですから……。
 はい,この春の烏丸的マイブームは「捕物帳」なのでありました。

 捕物帳には,「五大捕物帳」と称される一種の代表的な古典群がありまして,その作者,発表時期を縄田一男氏の資料をもとに紹介すれば,

  岡本綺堂 『半七捕物帳』 大正六年〜昭和十二年
  佐々木味津三 『右門捕物帖』 昭和三年〜八年
  野村胡堂 『銭形平次捕物控』 昭和六年〜三十二年
  横溝正史 『人形佐七捕物帳』 昭和十三年〜四十三年
  城 昌幸 『若さま侍捕物手帖』 昭和十四年〜四十三年

という具合になります。
 いずれも読み物として有名なだけでなく,映画やテレビで再三取り上げられて広く知られるところですね。
 烏丸がこの春,ムヤミヤタラと読み散らかしているのが,これらの捕物作品群なのですが,ところが,これらの原作を読んでみようとすると,意外や入手が難しい。

 本家本領,古典中の古典,『半七捕物帳』は光文社文庫から新装版全6巻が発売されたばかりということもあり,さほどの苦労もなしに全作品が手に入るのですが,それ以外は全作通して読むのはなかなかたいへんそうです。

 いや,そもそも『若さま侍捕物手帖』など,作者自身が長短篇併せて「三百に近いかもしれない」おびただしい作品数,しかもそれがいまだ作品リストさえ作成されていないとのこと。また,『銭形平次捕物控』はそれ以上の短篇数三八三を誇り(加えて長篇もいくつか)。『人形佐七捕物帳』も二百篇以上。
 いずれにしても,文庫でさらりと発刊できるようなボリュームではありません。おのずと,ごく一部の代表作を集めたものでその世界をうかがうしかない。
 また,『右門捕物帖』は時代小説の老舗,春陽文庫から全4巻が発行されているのですが,残念ながら3巻,4巻は現在品切れで入手できませんでした。もっとも,こちらはときどき増刷がかかっているようなので,オンライン書店などでこまめにチェックしていればいつかそのうち入手できるでしょう。

 それにしても,時代小説専門の春陽文庫はともかく,ここしばらくの光文社文庫の努力は光ります。半七,人形佐七,若さま,伝七など,入手しづらい捕物作品を新装で発刊してくれて嬉しい限り。もちろん,それでも全数百作品中の十作程度だったりするのですが。

 さて,本来ならここでそれぞれの捕物帳の特徴を紹介したり,比較したりすべきかもしれませんが,まだほんの一部の作品しか読めていないこともあり,きちんと紹介するのは荷が重い。一種のメモレベルのコメントでお茶を濁させていただくことといたしましょう。はい。

 半七……コナン・ドイルとほぼ同時代に生きた作者が,シャーロック・ホームズの魅力を日本に持ち込もうとした作品。江戸期の市井の風物や情緒を描いた点に特徴ありとよく言われるが,それ以上に端正で美しい日本語が魅力的。

 右門……五大捕物帳の中でも最も「芝居がかった」名調子連発。たとえば地の文に「右門はどこまでもわれわれの尊敬すべき立て役者です」,右門の台詞に「のう,お弓どの,よくご納得なさるがよろしゅうござりますぞ。そなたがわたくしへの美しいお心根は,右門一生の思い出としてうれしくちょうだいいたしまするが,不幸なことに,そなたは豊臣恩顧のお血筋,わたくしは徳川の禄をはむ武士でござる」などなど。それにしても,「むっつり右門」のはずが,よく喋る,喋る。

 平次……真犯人を明らかにしない事件多数。人情譚としてはよいのだろうが,検挙率はそれでよいのか江戸の民衆。

 佐七……半七を真似た設定に作者得意のトリックをあてはめた,いうなれば定型的な捕物帳だった初期作品から,後期にはだんだん油がのって耽美,猟奇といった傾向が強まったように思われる。

 若さま……身分も姓名も一切不詳の若さまが,酒を呑んでは快刀乱麻の大活躍。持ち込まれた事件を卓抜した推理力で解きほぐす設定は,バロネス・オルツイの著名なミステリ短編集『隅の老人』に想を得たと言われる。しかし,本作の魅力の本筋は,そういった推理の過程より,かつてのチャンバラ映画が持ち合わせていた底抜けの明るさ,豪放さではないか。事件が起こって「ハッハッハ!」,身を乗り出して「ハッハッハ!」,解決して「ハッハッハ!」,若さまの笑い声が実に楽しい。作者は日夏耿之介門下の詩人城左門として活躍したそうだが,詩人でありながら,他の4つの捕物帳に比べても格段に展開がノンシャラン,主人公若さまの口調がべらんめえといったあたりがまた魅力的。高笑い,春風駘蕩。

先頭 表紙

これらに加えて平岩弓枝『御宿かわせみ二十七 横浜慕情』(文春文庫)も発売され,まことに時代劇につかった日々であります。 / 烏丸 ( 2003-04-14 03:03 )

2003-03-31 『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』 ナンシー関 編・著 / 角川文庫


【でも,言っておきますが揃いも揃ってパンダではないです。】

 昨年6月にナンシー関が亡くなってからの寂寥感ときたら,心にぽつんと穴があいたとかいうレベルではない。部屋の一方の壁がぶっ飛んで,雨風が無造作にばらばら吹き込んでくるような,そんな感じだ。彼女の1ページ単位のエッセイがコンスタントにあちらこちらの週刊誌に掲載されていたことで,僕たちは多分、安心することができていたのだ。テレビという,放っておくと底なしに(それ自身が,あるいは視聴者が)ダメになってしまいそうなメディアに対して,自分は決して気を許しているわけではないことを,ナンシー関の厳しさが代弁してくれるような気がしていたわけだ。
 だが,彼女を喪った今,当たり前のことだが,僕たちは,あのように語り,あのように描き,あのように立ちふさがっていたのがナンシー関であって自分ではないことをもう知っている。僕たちは,いや,僕は,ナンシー関に甘えすぎていたのだ,多分……。

 『ナンシー関の記憶スケッチアカデミー』は,そんなナンシー関の残してくれた,彼女ならではのグラフィカルな思考実験のコレクションである。
 「記憶スケッチ」とは,提示されたお題を記憶のみに頼って描いてみること,そしてその作品を愛でながらも「人間と記憶とは,そして絵心とは」などについて考察していくのが「記憶スケッチアカデミー」である。具体的にはカタログ雑誌「通販生活」(カタログハウス発行)誌上において,同誌読者からの投稿を募ったものにナンシー関が寸評を加えたものがそれにあたる。
 文庫化された本書には,数年間にわたる成果の中から,「カエル」「ペコちゃん」「フランケンシュタイン」「カマキリ」「ガイコツ」「パンダ」「自由の女神」「スフィンクス」「鬼」などのお題に応えた作品が収録されている。いずれも,ナンシーいわく「人間の記憶のでたらめさを白日の下にさらす」,「症例とかカルテと言い換えてもいいかも」しれない珠玉の作品群である。要するに,いずれも,カエルにも,ペコちゃんにも,フランケンシュタインにも,カマキリにも,見えない。それは何か別のものであったり,何か別のものですらなかったりする。

 だから,これらの作品とそれに添えられたナンシーの寸評は,大いに笑えると同時に,どこかで心を黒くする。
 記憶にのみ頼ったスケッチは,不思議な「傾向」を見せる。たとえば,年をとると一気に線が描けなくなり,短い線を何本も重ね描くことで長い線を描くようになる。あるいは,誰もが本来「眉毛」のないものについつい眉毛を描いてしまう習癖,ハガキ1枚の隅に絵を描いてしまう習癖……。
 これらに対する巻末のナンシー関の「考察 〜記憶のあやふやとスケッチのうやむや〜」と,押切伸一,いとうせいこうを交えた「記憶スケッチ学会座談会」は必ずしも学術的とは言えないが,記憶と,それを描くことについて,激しく読み手を揺さぶる。パンダやムーミンをちゃんと描けないからといってどうということないように思えるが,実のところ衝撃は小さくない。なぜなら,僕たちが確かなものと信じている記憶が,これほどあいまいであること,うやむやであることが,言い訳できないほどに剥き出しにされてしまうからだ。
 試しに,長年連れ添った家族の顔を記憶だけで描いてみようか。……これは,なかなか恐ろしい試みである。

 なお,「記憶スケッチアカデミー」収録作品の多くは,ナンシー関の公式サイトNANCY SEKI's FACTORY『ボン研究所』で見ることができる。
 だが,本書の考察欄にて「何も恐れることはない。これからもふるって御参加いただきたい。責任は私がとる。」と豪気に断じてくれた,あのナンシー関はもういない。

先頭 表紙

これは皮肉屋彦左衛門さま,いらっしゃいませ。「耳部長」「小耳にはさもう」「聞く猿」など「耳」にこだわったタイトルで知られるナンシー関を語るに「耳掻き」をもってするとは,さすがですね。ツッコミ返しについての論考など,参加こそしておりませんが,いろいろ賛同する面もありました。 / 烏丸 ( 2003-04-01 01:25 )
ねんねこさま,カラスはときどき子どもとの交換日記(カラスは子どもの起きている時間にはまず家にいないか,いたら寝ているので,そういうことをしているのです)で動物の絵など描きますが……子どもはまっつぐに「これなに?」とたずねてきたり。しくしく。 / 烏丸 ( 2003-04-01 01:25 )
耳の穴にピッタリ合った耳掻きのように、気持ち悪いと思ってたところにピタッと届いて感動するぐらい気持ちよく引っかかりを取り除いてくれたナンシー関。ホントにすごい人でしたね。 / 皮肉屋彦左衛門@お初様でゴザイマス ( 2003-03-31 10:39 )
記憶のお絵かきっこはたまにシテ遊んでます。性格が現れてけっこう楽しいですよ / ねんねこ ( 2003-03-31 06:58 )

2003-03-24 事件の領域。 『Big Hearts ジョーのいない時代に生まれて』 林 明輝 / 講談社モーニングKC


【これは土壇場で 人生を変える一発が 出せるかどうかの 練習なんです】

 少年マガジン『はじめの一歩』,少年サンデー『KATSU!』,ヤングサンデー『パラダイス』,スーパージャンプ『リングにかけろ2』,そして『あしたのジョー』の復刊。ボクシングマンガが元気である。

 ボクシングそのものの人気が決して快調とはいえない現状を鑑みれば,この盛況は特筆すべきことのように思われる(実際,現在どれほどの日本人が,今日の時点での日本人チャンピオンの名をあげられるだろう。ヘビー級の世界チャンピオンの名を知っているだろう。オリンピックの金メダリストを覚えているだろう)。
 要するに,リアルなボクシングに結びついての人気ではなく,一対一,決着のはっきりした戦いの構図が読者にわかりやすい,あるいは勝ち上がりマンガとして描きやすいだけなのではないか。
 その1つの顕れとして,物理法則を超えた必殺パンチの飛び交う一部作品は論外としても,大半の作品で,いっこうにホンモノのボクシングの匂いが感じられないということがある。その原因は,それらの作品の登場人物の顔つきや体つきがちっとも「ボクサー」らしくないことにつきる。

 ごく大雑把にいえば,重量級の一部の選手を除き,プロボクサーの多くは顔も腕も格闘技の選手としてはラインが細い。スピードが命のこの競技では,贅肉は敵であり,さらに選手は試合前の減量でとことん水分をしぼり取られる。丸顔でずんぐり筋肉質な体系というのは,およそプロボクサーとしてのリアリティに欠けるのである。
 その点,モーニング誌上で断続的に掲載され,この3月に同時に1,2巻が発行された『Big Hearts』は,実にプロボクシングの匂いがする。ボクサーの,余分なものを削り落とされた,一種薄っぺらいまでの戦闘性がきちんと描かれているためだ(添付の表紙画像からでも、それはご理解いただけるだろう)。

 だから『Big Hearts』はリアリティあふれており,……と話を進められるなら紹介も楽なものである。
 しかし,『Big Hearts』の魅力は,実はそんなところにはない。

 主人公は,プレッシャーに弱く,プレゼンで失態をさらして会社を辞めた26歳の青年・保谷栄一と,メジャーデビューしたばかりの新人歌手・古谷カオリの2人。思いがけずプロとしてデビュー,鍛錬を重ねる栄一と,脱アイドルをはかり,自分の作った曲で人を感動させたいと願うカオリの2人の軌跡が,つかず離れず展開していく。
 粗筋だけみると陳腐なほどにオーソドックスなボクシングマンガだし(最近のトレンドとして,これに「死んだ父親もボクサーだった」を加えればデキアガリ),絵柄そのものも決して流麗とは言いがたい。決してこれだけで人気が出そうな造型とは言えないだろう。

 しかし,本作が鳥肌が立つほどに感動を呼ぶのは,無名なボクサーの生活や心情を上手く描いている,などといったナイーブな次元の問題ではない。
 2度,3度読み返すうちに明確になってくるのだが,この作品ではシンプルな線や登場人物の言動の背後に,驚くほど細密な計算が行き渡っている。いや,計算という言葉は誤った印象を与えるかもしれない。どちらかといえば,橋であるとか,塔であるとか,そういった建造物のイメージである。

 たとえば,栄一のために招かれた,まじめだがちょっとピントのはずれたトレーナー,梁瀬。彼は四六時中ボクサーらしからぬ丁寧な口調でボクシングを説くのだが,それが栄一の試合のゴングとともにぼそりと敬語モードを捨て去る……彼がですます調で語っていたのは,その効果のためだったのである。
 あるいは,栄一の試合の最中に,いわゆる回想シーンが見開きで入る。これは同じ2巻の最初のほうに登場したシーンのコピーなのだが,最初に登場したときは1ページだったのに,後の回想シーンは見開き2ページ分に絵柄が広がっている。つまり,このコピーは,連載を抱えたマンガ家の苦し紛れのコピーではなく,最初から反復効果を意図して用意されていたものなのである。
 これらの点に気がついてみると,たとえば栄一が大手ジムに出稽古に赴き,スパーするシーン。おそらく取材の写真をもとにした構図なのだろうが,2度登場するスパーの見開きシーンで,エプロンに立つ2人のトレーナーの姿勢が鏡に描かれたように逆転していることにも効果が見えてくる。

 つまり,本作は,素朴な青年の成長を素朴に描いたように見えながら,多数の伏線,造型上の工夫が縦横に張り巡らされているのである。そのため,ただのジムでの反復練習シーンをみても,その効果は深い。
 実際,2巻のうち何箇所か,数十コマにわたってただ鍛錬の様子が続くページがあるのだが,これが異常なほどに心に残る。その数十コマを通して,栄一の肉体とハートが,ボクサーとして削られ,尖っていくことが如実に伝わるのだ。
 これは,稀有な経験だ。このようなボクシングマンガ,いやスポーツマンガは記憶にない。

 本作が非常に高度かつ複合的な構成意識に基づいて描かれていることの例証として,もう1点あげておこう。次のセリフは,カオリが脱アイドルのために作品を持ち込んだプロデューサー,ミカミの独白である。

  「わたしはこういうネイキッドなのは好きではない!! 断じて好きではない!! だが………」

 このプロデューサーの揺れは,そのまま『Big Hearts』を前にした読者の動揺でもあるだろう。この相似形は偶然とは思えない。作者は確信犯的に「狙って」いるのである。

 単にネイキッドな「勝ち上がり」マンガとして読むか,計算し尽くされた緻密にして大胆な建造物として読むか。
 このあと,勝ち抜きマンガに流れてしまうくらいなら,現在までの2冊で終わってほしいと思うほどの力作である。推奨度120%。

先頭 表紙

この作品の呼び招く「鳥肌」感は,あの不世出のチャンピオン,大場政夫を思い出させるものがあります。 / 烏丸 ( 2003-03-24 02:29 )

2003-03-17 ノートPC購入に向けての雑感(烏丸は電気手帳の夢を見るか)

 
 愛用ノートPCのハードディスクが不調で,近々買い換えることになりそうだ。

 これまで使っていたのは,2000年春に発表されたメーカー製B5ノートで,CPUはセレロン450MHz,液晶は10.4型の800×600と現在からみればかなり貧弱だが,会議や出先でメールを見ながら議事録を取るといった用途には全く不満はなかった。足りないとしたら9GBのハードディスク容量で,GPS用の地図や趣味の音楽データ数百曲分等を詰め込んでしまうと残るは1GB程度しかなく,いつも汲々と不要なファイルを削除していたものだ。
 仕事がら,業務のメールは日に数十MB,保存フォルダはこの1年分でも合計数GBにのぼる。それを常に持ち歩きたいができないのもフラストレーションの種ではあった。

 しかし,新たに買い換えるとなると,なかなか「これ1台」と断言できる機種が少ないのもまた事実だ。今回壊れた機種に比べれば,最近のノートPCはいずれもCPUパワー,メモリ・ハードディスク容量,イーサネットに無線LAN内蔵等々,充分なうえにも充分なパワー,機能を持ち合わせているのだが,どうも自分の望むものとバランスがとれないのである。

 今回の個人的なテーマは,まずなんといっても軽量であること。
 これまで持ち歩いていたものは1.4kg,ノートPCとしてもかなり軽いほうではあったが,それでも連日肩に下げると疲れの残る重量ではあった。ところが,1kg前後の機種となると,意外とバリエーションがないのである。VAIOの一部や東芝Libretto,富士通LOOKのように,PCというよりはPDA的要素が強まって,液晶やスロット等にクセが強いものも少なくない。
 次に,価格だが……これはある程度しかたがないことなのだろう,軽量,コンパクトであることは電子機器としては重要な付加価値だ。なんとか無線LAN機能とOfficeと消費税を併せて20万以内におさまればと思う。
 コンパクトな機種で問題となるのは,キーボードだ。当たり前だが,狭いスペースに無理やり詰め込めば,使い勝手が悪くなるのは当然のことである。それが容認できるかどうかは,困ったことに使い慣れてみないとわからない。これまで使ってきた何機種かのノートPCだって,最初のころはキートップの幅が狭い,タッチが浅い,配列が違うとイライラさせられたものだ。ノートPCを通販で買う勇気がなかなか湧かないのも,キーボードの問題が大きい。

 ……などなど,実のところ,買い物そのものより,どのような機種を購入するかあれこれ迷うのがPC選びの楽しみではあるのだが,今回周囲の知人などに相談した結果,しみじみと感じたことは,やはりメーカー,ブランドイメージには誰しもしばられているのだな,ということだ。

 たとえば,SONY VAIOシリーズに感じる抵抗。宇多田ヒカルや浜崎あゆみのCDを購入する際の照れくささのようなもの。「かっこよいから」「人気があるから」選んだ,ように見られることへの抵抗,とでもいえばいいだろうか。ただの思い込みとはわかっているのだが,思い込みが生むのがブランドイメージなのである。
 次に,NEC 98シリーズに感じる抵抗。いかにも「パソコンに詳しくないオヤジが,店員に薦められるままに購入してしまった」イメージ。コネクタ類にひらがなで名称が書いてありそうな雰囲気,とまでいうと失礼だろうか。
 富士通だとFMV BIBLOとなるのだが,これも若干オヤジっぽさが漂うかもしれない。少なくとも,マニア臭は今はなく,かつてのFM-7,77時代のユーザーカラーを知る者には寂しい限り。
 シャープは,ある時期までノートに力を入れていたように見えたが,最近はどうだろう。なんとなく焦点がしぼれない。熱意を感じないというか。
 東芝は,ノートはさすがに強い。バラエティも充実している。……が,なぜか,東芝のノートPCは,分厚くフルスペックでCD-ROMはおろかFDまで付いているような機種は安いくせに,小さくてちょっとかっこよいと思われる機種はめっぽう高い。
 高いといえば,IBMは個人で手を出すのはちょっと。壊れにくい,との評判だが。
 デル,コンパックあたりは,十把一絡げ,文句をいうスジ合いもないが,B5コンパクトサイズはあまり見受けられず,正直なところ,よくわからない。A4スリムノートを企業でまとめて納入,といったあたりが向いているのだろう。

 などなど,などなど……こうしてみると,パナソニックのレッツノートが軽くてデザインもちょっと特殊で,面白いかなと思っているのだが,さてどうだろう。
 もっとも,重量よりキーボードよりブランドイメージより,秋葉原に買い物にいく時間,そして家人に了解を取る勇気がポイントなのは言うまでもないことなのだが。

先頭 表紙

その楽しみを少しでも味わいたくて……ぐずぐずしているわけではないんですが,この週末も秋葉原に出られませんでした。ああっ,このままでは春の新製品が出てしまう(←嬉しそう)。 / 烏丸 ( 2003-03-24 01:07 )
こうやって買うが際前提にあっての、あれやこれや・・・一番たのしい時間かもしれない・・・ / ねんねこ ( 2003-03-21 15:13 )
Hikaruさま,そうなんですよ,バッテリパックを買い換えて1週間もたたない命でした。ちょっとした事故がありまして……。いや,その,決して会議の最中に「いい加減にしろっ! 同じことを何度も言わせるなっ!」と液晶ディスプレイをばこんと叩いて,そのためにHDDが破損したなんてことは……。 / 烏丸 ( 2003-03-17 21:51 )
マッキ〜さま,R1は小さくて見目もエッジが切れた感じで麗しいですね。銀のナイフをイメージさせられます。1kgを割るライトさも魅力ですね。一方,無線LAN内蔵で1.07kgのT1の最上位機種も(値段はちと張るものの)なかなかリッチで魅力的です。う〜むむむ。 / 烏丸 ( 2003-03-17 21:51 )
ふと。バッテリーを新調したばかりではなかったでしょうか?? うちにも最近「いいパソがほし〜」が口癖になってるのが若干一匹(こやつ、今度出るNTT関連の業界誌に載るので、お目に留まるかもです) / Hikaru ( 2003-03-17 17:32 )
レッツノートのR1ってのを使ってますよ。画面もきれいだし、キーを押してる!って感じで、マッキ〜は好みです。気になるのは、右の小指で押す辺りのキーが小さくて打ち間違えることと、HDDにアクセスしてるとき(?)に音が気になること。いざとなったら、オンラインで注文! / マッキ〜 ( 2003-03-17 09:59 )

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