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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-09-09 何してる人ですかー? 『セクシーボイス アンド ロボ』(#1) 黒田硫黄 / 小学館 BIG COMICS IKKI
2002-09-02 愛しの首長竜たちよ 『世界最大の恐竜博2002』(主催:朝日新聞社,NHK,NHKプロモーション,共催:国立科学博物館)
2002-08-26 『語っておきたい古代史』 森 浩一 / 新潮文庫  ……とはあまり関係なく仁徳天皇陵の思い出について
2002-08-18 高校野球が好き
2002-08-12 「天気管」について
2002-08-11 『海底2万マイル』 ジュール・ベルヌ原作 / NHK総合
2002-08-05 読者体験怪談の文体について考える 『恐怖体験!呪われた写真』 心霊現象研究会=編 / 廣済堂文庫
2002-07-29 朽ち果てて,風化して 『廃墟霊の記憶』 板橋雅弘 文,岩切 等 写真 / 角川ホラー文庫
2002-07-22 怖さひりひり 『新耳袋 現代百物語 第七夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー
2002-07-15 人間とアイアイ,謎なのはどちら? 『アイアイの謎』 島 泰三 / どうぶつ社


2002-09-09 何してる人ですかー? 『セクシーボイス アンド ロボ』(#1) 黒田硫黄 / 小学館 BIG COMICS IKKI


【いやー、いろんな人がいるのは、本当驚くばかりだけど。】

 将来スパイか占い師になりたいと考えるニコ(林 二湖)は,七色の声色を利用してテレクラのサクラを演ずる14歳の中学生。いつものようにテレクラで誘い出した男たちを喫茶店の窓から観察しているところに声をかけてきた謎のおじいさんの依頼に応え,頼りにならない子分・ロボ(須藤威一郎)を運転手兼お供にしたがえて,今日もニコは事件を追う……。

 と,B級アクションマンガのようなタイトルや設定だけを抜き出せばまるで黒田硫黄の作品ではないように思われなくもないが,ページを開いてしまえばやはり筆ペンで描かれたいつもの黒田硫黄である。

 黒田硫黄の魅力を,その作品を見たことのない人に伝えるのは難しい……のは実は当たり前のことで,本来,音楽であれ美術作品であれ,何かを奏で,あるいは描いてそれを伝えるためにその形態が選ばれている以上,それ以外の手段でそれが伝えられるはずはない。他の手段を持って伝えられるなら,その作品の魅力などたかが知れているということなのだ。
 ……とかなんとか,ついつい屁理屈をこねてしまうのも,黒田硫黄の作品が他の作家の作品とは一線を画したものであり,その独自性をつい誰かに伝えたい衝動にかられてしまうからにほかならない。たとえば,手塚治虫や大友克洋,あるいは岡崎京子,まぁ誰でもいいのだが,それら他の作家を語るのと同じ文体,文脈では,黒田硫黄について語れそうもない。唯一思い浮かぶのは安部慎一の黒く太い線だが,黒田硫黄と安部慎一を比較したって何が始まるわけでもないだろう。とりあえず黒田硫黄がガロでデビューして青林堂の類型に納まらずにすんだことを今は喜びたい。

 さて,黒田硫黄についておおよそ一般に言われていることは,その奇想天外,奔放な展開,意外なアングル,コマ割り,洒脱なセリフのやり取りといったところだろうか。とはいえ,これらは新しい魅力的なマンガ家については必ず言えるはずの,というかマンガというジャンルそのものが持っている構造的な魅力であって,だとしたら黒田硫黄作品はマンガとして正しく面白い,ということに過ぎない。
 しかし,実のところ,コマ割りは意外とオーソドックスであり,また画力がずば抜けて高いかといえば必ずしもそうではない。精密さ,巧緻,バラエティといった要素には明らかに欠けるし,若い女たちは描き分けがきかずたいがい同じ顔に見える。

 ここではたとえば「情交」という言葉を持ち出してみよう。
 「情交」というと色恋沙汰,それも肉体関係を交えた場合に用いることが多いように思うが,黒田硫黄の描くコマには,そこに登場する男女の間に肉体関係がなくとも,いやそもそも恋愛感情にあたるものがなくとも,濃い「情交」が感じられる。ただ黙ってその空間に同席するだけで,あるいは突拍子もない会話を交わすだけで,濃密な情交の圧力がかもし出される,そんな感じである。しかも,ト書きにあたる「説明」がほとんどないから,読み手はただもう黒田硫黄の提供するセリフと登場人物たちの表情からあらゆることを読み取ろうとするしかない。そのボリュームが,厚い。

 収録作の中で,個人的には「タワーの男」が一番強く印象に残った。
 ベッドの上で股を開きマニュキュア,ペディキュアを塗りながらテレクラのサクラを演じる少年のようなニコ,その電話の相手で,次世代高速携帯電話の開発を担当するエンジニア・相模武夫。鈍色に内から光るような相模武夫の色男っぷり,有能ぶりと,それに見合う見事なばかりの壊れっぷり。次世代高機能オタクのあるべき姿を見るような思いである。

 以上,『茄子』の新刊(講談社 アフタヌ−ンKC)を紹介したかったが,どうもうまく説明がつかないので少し前に発売された本書を取り上げた次第。『茄子』の連載は終わったそうだが,漬けるも焼くも,要注意である。黒田硫黄。

先頭 表紙

やややさま,いましろたかし,ですか。いましろたかし,いましろたかし……はて。……をを,『デメキング』の,あの。それはまたシブい(あちらに比べれば,絵的に黒田硫黄は「ふつう」に見えるかもしれませんね)。 / 烏丸 ( 2002-09-10 02:05 )
『茄子』読みました。友人の強いすすめで初黒田硫黄。絵的にべつだん魅力的とか新鮮、ではなかったのですがなかなかおもしろかったです。こちらも読んでみようかな。いましろたかしにも最近またハマってます。 / ややや ( 2002-09-09 22:59 )

2002-09-02 愛しの首長竜たちよ 『世界最大の恐竜博2002』(主催:朝日新聞社,NHK,NHKプロモーション,共催:国立科学博物館)


【きみ,なかなか大きいなぁ。】

 8月頭から家人と子供たちが田舎に帰っていたため,この夏は単身赴任同然。帳尻合わせというわけではありませんが,夏休み最後の日にようやく家族そろって,幕張メッセの『世界最大の恐竜博2002』に行ってまいりました。

 目玉は全長35メートルにおよぶセイスモサウルス(大地をゆるがすトカゲという意味だそうです)の全身復元骨格。これまでもあちらこちらの博物館で竜脚類の復元骨格は見てきましたが,これほど大きいのは記憶にありません。尻尾だけでもこーこーかーーらーーーーーこーーーーーーーーーーこーーーーーーーーーーまーーーーーーーーーーーーでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっ,ぜいぜい,というくらい,長い。あんなの,どうやって支えていたんでしょうね。

 今回の展示は,セイスモサイルス,マメンチサウルス,ディプロドクス,カマラサウルス,アパトサウルス,ダトウサウルス,クンミンゴサウルス,クラメリサウルスなどなどの竜脚類(いわゆる首長竜)と,アロサウルス,ティラノサウルス,ガソサウルス,サウロファガナクス,トルボサウルス,シンラプトル,モノロフォサウルスなどの顎の大きな肉食恐竜が中心で,オーソドックスといえばオーソドックスな恐竜の品揃え。
 その分,それ以外のシブめの面々はあまり置いてありません。
 いちおう剣竜類からステゴサウルス,鎧竜類からガストニアが展示されていましたが,大好きな鎧竜はもう少し見てみたいところでしたし,オシャレな角竜,つまりトリケラトプスやカスモサウルス,ステラコサウルスたちはカタログの系統樹にすら影も形もありません。これはちょっと寂しい。
 逆にいえば,ここ十数年ブームの続いていた子育て恐竜マイアサウラ,頭のコブで頭突き合戦をしていたららしいパキケファロサウルス,同じく頭に特徴のあるカモノハシ竜パラサウロロフスの3種には少々食傷気味だっただけに,それらが目玉になってなくてほっとした面は否定できません。

 個人的には,ひょっとしたらこれが世界最大かもしれないアルゼンチノサウルスのドでかい背骨の一部を見られたこと(骨1個で200〜300kgあるそうです),中国で発見されたマメンチサウルスの首が本の図解どおり本当に長いことをこの目で確認できたことなどに満足。アフリカで発見された原始的な竜脚類ジョバリアの二足で立った復元骨格がかっこよくて,写真も撮れて,これまた大満足。ああ,幕張メッセくらい広い豪邸を建てて,ジョバリアをペットに飼いたい! エサ代が大変だろうけれど。

 それにしても,夏休み最後ということもあってか,素晴らしい人出でした。
 入場券をすでに持っていて,それで入場に1時間待ちです。かといって人数制限してるとかそういうわけではありませんから,中は人,人,人の寄せ鍋状態。ちょっと珍しそうな展示物を見るには人ごみを数メートル押し分けねばならず,あきらめたものも少なくありません。子供の写真を撮ろうにも,少し離れるとあっという間にぎゅうぎゅう人がはさまって,しかたなくアップばかり。

 一点気になったのは,最近,美術館や博覧会など,大きな展示会では音声ガイドが珍しくなくなったこと。
 あれはあれで説明を受けるにはよいのでしょうが,どうも音声に気をとられて,目の前の作品や展示物に気持ちが集中しないような気がしないでもありません。クイズの紙ペラまでセットになっていて,今回は子供たちに音声ガイドを持たせたのをほんの少し後悔しました。そういうのはテレビや本で十分な気がします。

 もう一点。会場の随所に主催のNHKがらみで作成されたと思われるCGによる恐竜のビデオ映像が流れているのですが,今回のものに限らず,どうしてCG動画による恐竜はあのようにせわしなく首や腰を振るのでしょうか。大きな爬虫類には,ワニやリクガメのように悠然泰然としていてほしい。B級アイドルタレントじゃないんだから,あのように四六時中ヘラヘラと首を振らず,山口百恵のように(?)首を据え,目線を落ち着けてほしいと思うのは私だけでしょうか。……要するに,アメリカ産ゴジラより,国産ゴジラの動きのほうがよいな,と,いう話のような気もしますが。

 ともかく心躍る1日ではありました。
 子供たちの夢に,セイスモサイルスは歩いているでしょうか。

先頭 表紙

カラスが行ったときは,「ほんの」60分待ちでした。案外すたすたと前に進めたこと、そこで配られているパンフや恐竜新聞を子どもたちと見ているうちに、中に入れた、という印象です……厳しいのは、そのあとでした。 / 烏丸 ( 2002-09-11 03:35 )
入場するのに75分待ちと言われて帰ってきました。。。 / Blue ( 2002-09-10 10:31 )
そうですよね,koedaさま,幕張メッセとなると,どこから行くにしても「ちょっと遠い」と思ってしまいますよね。帰ってきてから,ふと,毎日通う会社までの通勤時間とほとんど変わらなかったことに気がついて少しばかり哀愁が肩のあたりに。まぁ,電車の通勤って長いほどにじっくり本が読めるからいいのですけど。 / 烏丸 ( 2002-09-10 02:07 )
ちょっと興味をそそられましたが、幕張でやっているんですね。ちょっと遠いかな。 / koeda ( 2002-09-09 14:24 )
今週のモーニングの「DINO^2」(所十三)はトルヴォサウルス,ケラトサウルス,アロサウルスらの捕食竜たちがディプロドクスやアパトサウルスを襲うという,まことにこの恐竜博を見て描いたような(実際そうらしい)作品が掲載されています。トルヴォくんの「マ……マジすか?」「ご……ゴチになりやす!!」といった言葉遣いがちとたまりませんが。 / 烏丸 ( 2002-09-07 06:08 )

2002-08-26 『語っておきたい古代史』 森 浩一 / 新潮文庫  ……とはあまり関係なく仁徳天皇陵の思い出について


【前方部の幅305m 後円部の直径245m 濠を含む東西の長さ656m 濠を含む南北の長さ793m 周囲2718m 面積464124平方m】

 「倭人・クマソ・天皇をめぐって」と副題された本書は,考古学者・森浩一氏の1990年代の5つの講演記録に加筆,再編集したものである。製鉄をはじめとする古代日本のテクノロジー,クマソと倭人伝の狗奴国との関連,さらには宮内庁の制約が考古学的研究の妨げになっていることへの憤懣など,その内容は多岐にわたる。8歳のときに土器に興味を持ち,それ以来ずっと考古学にかかわってきたという森氏の話術と論理に堪能できる。考古学に興味をお持ちの方にも,そうでない方にもお奨めしたい……。

 が,今回は内容にはとくに踏み込まず,表紙の仁徳天皇陵について少しばかり思い出話。


 勤めていた会社を社員みんなでつぶして,少しばかり暇になった。
 17年前のことだ。

 会社の向かいの文具屋に封筒と便箋を買いにいき,書棚の「手紙の書き方」の辞表の書き方のページを人数分コピーして配ったことも今は懐かしい。辞表を書くための便箋代は経費で落ちるかどうか議論をした記憶があるが,あの領収書は結局どうしたのだったか。
 その会社では,退社時に退職者が本社の社長室まで挨拶に向かうのが通例だったが,なにしろ分社のワンフロア全員が退職するため,社長自らやってきて応接室で順繰りに面談することとなった。ある時期週刊誌などでも取り上げられた名物社長は大柄でもじゃもじゃ頭,要するに小ぶりな高見山ふう。それが大きな目をぎょろぎょろさせて「あとで後悔するぞ」と聞きようによっては恐喝的なありがたい訓示をたれてくださったが幸いその会社を退社したことについては一度も後悔することなくすんでいる。十年ばかりしてつぶれたのは本社のほうだった。ハレルヤ。

 当時すでに,一年以上何もせずに生活できるだけの蓄えはあった。というより,どうやら自分の人生は一箇所で穏やかにこつこつと働くといった具合になりそうもなかったため,いつどこで誰ともめて失業してもよいよう,年収の一年以上分の貯金を溜め込むのが習いである。実際は,もめることはもめるが,それ以上にしつっこい性格から,当時予想したよりは職を転々とすることはなかったのだが。

 それはともかく,当時年齢としてはそれなりの退職金も得て,文字どおり「あてもなく」山手線に乗ったのは春まだ浅く,小雪ちらつく中だった。南に向かうことにしたのはその天候ゆえである。目的地というものは明確にはなかったが,多少なりともこの国の歴史とかかわる仕事をしてきたにもかかわらず,生来の旅行嫌い,出不精ゆえ,名所,旧跡をたずねるということをしなかった,その穴埋めをしようと思い立った。たとえば登呂遺跡,あるいは京都金閣,もしくは広島原爆祈念館。

 新幹線ではなく在来線で西へと向かい,疲れたらそこで降りて一泊,気が向けばもう一泊。あれこれの果てにたどり着いた大阪では旧知の友人と久々の邂逅,彼もまたたまたま失業中で,昼は大阪近辺の名所めぐり,夜はガイド本どおりの名店での飲み食いと金の続く限りの放蕩三昧にひたることにあいなった。そのある日(グリコ事件のキツネ目の男が大阪城をにぎわした翌日),「行くべし」と向かったのがようやく本題の仁徳天皇陵である。

 あれほど有名な前方後円墳でありながら,驚き困ったことに,それを一望にできる高みというのはそのあたり一帯にいっさいないのだった。近所の公園の博物館は平屋,戦没者を祈念する塔は人が出入りできるような具合ではない。もちろん陵には入り口こそあるが立ち入り禁止。しかし,時間だけは両手を広げても余るくらい持ち合わせた二人はいやもおうもなく歩き始める。陵の周囲を一周するために。

 堺の市中なのだから不思議もないが,陵の周囲には高校やホテル(どう見てもモーテルというよりラブホテルである),ごくありきたりの民家が建ち並ぶ。そこそこ遊歩道ふうにこぎれいな部分もあるのだが,金網に右手を添えて歩くと最後には町工場とみまがう民家の庭を無断で入り込んで,洗濯物をかき分けて,あれで見咎められ通報でもされていたら我ら二人はどうなったのだろう,職業は? いや無職です。二人とも? 二人とも。
 ……相当に,怪しい。

 最近の仁徳天皇陵についての紹介文を読むと遊歩道が完備されているように書かれている。僕たちが歩いた後に整備されたのか,それとも僕たちがイレギュラーな道を歩いてしまったのだろうか。
 この周辺には百舌鳥古墳群といって,かつては数百の古墳が随所に見られたらしい。宅地造成のために取り壊され,現在では50程度しか残っていないとか。仁徳天皇陵のすぐ隣の公園の資料館には現在と以前の大きな航空写真があり,膨大な数の古墳が失われたことがわかる。墓を掘り返された祟りはないのだろうか,などとも思う。

 仁徳天皇陵,その周辺一周はおよそ徒歩45分,金網の向こう,堀のよどんだ水には倒木が浮かび,その上で大きな亀が何匹も甲羅を干していた。明治だか昭和だかのいつかに台風で一部が崩れ,その部分だけ学術調査を許されたという丘陵は穏やかに緑豊か,その数年の軽い神経症的な状態からようやく開放され,次の仕事を求めてネクタイを絞めるにはまだ数ヶ月を要する,そんなうらうらとした春の一日。

先頭 表紙

ふうむ,なんだか逆高所恐怖症にかかりそうな話であります。 / 烏丸 ( 2002-09-02 02:38 )
大船モノレールの残骸の下を通る時はいつもヒヤヒヤします。素人目にもアレでモノレールは走らないだろうなぁ。。。と。 / Blue ( 2002-08-27 15:34 )
先月紹介の『廃墟霊の記憶』で取り上げられていた大船のモノレール事業,ダイエーがとうとう断念したようですね。1966年5月に日本ドリーム観光が運行したものの,橋脚の安全性に問題があって翌67年9月から運休していたとのこと。橋脚などの施設を撤去するだけで約100億円かかるそうで,廃墟もなかなか物入りです。 / 古墳は廃墟なのかしらん ( 2002-08-26 02:43 )

2002-08-18 高校野球が好き

 
 世代的なものもあるのだろうけれど,どうしてもサッカーよりは野球が気になる。わけても高校野球が大好きだ。

 甲子園での鍛え抜かれたチーム同士の緊迫した試合も好きだし,地方大会ベスト4あたりののんびりした試合運びも好きだ。
 坂東・村椿の投げ合いには間に合わなかったが,三沢と松山商業の延長18回にわたる0対0の決勝戦も見たし,箕島vs.星稜の息詰まる延長の接戦も記憶に残っている。作新・江川の化け物ぶりは圧倒的だったし,池田の山びこ打線には胸が躍った。

 2つ,夢がある。
 1つは,甲子園の大会の全試合を見ること。
 実は,十数年前,春の大会については全試合をテレビ桟敷で見ることができた。そう大きな話題を残した大会ではなかったが,ビールを片手に1日どっぷり高校野球にひたった満足感はいまも胸を満たしている。
 残るは夏の大会だが,当分は忙しい日々が続きそうなので,これが達成されるのは十年,二十年が経って,リタイアしてからだろうか。

 もう1つの夢は,ベスト4に四国のチームを占めること。
 東京,埼玉に住んでもう25年以上になるのだが,どうにも高校野球的「地元」意識は変わらず,あいかわらず四国人である。また,四国のチームならどれでもよくて,隣の県でもいっこうにかまわないところが不思議だ。
 ベスト4に四国のチームが2つ残るというのは何度かあったように記憶しているが,それ以上となるとなかなか難しい。それが,この夏の大会では香川・尽誠学園,愛媛・川之江,高知・明徳義塾,徳島・鳴門工(たった今,試合が終わった)と史上初めて4校がベスト8に進み,おまけに順々決勝では直接対決がない。
 カラスの出身校は中・高6か年教育の予備校みたいな学校で,野球部はあっても地区予選にすら参加していなかった。だから四国のチームでさえあれば楽しく応援できる。まして今回,川之江は家人や妹の母校だし,尽誠はそれなりに懐かしい思い出のある学校だ。
 強い子も,そうでもない子も,みんな,頑張れ。

 アイドルタレントと甲子園球児が自分より若いことに気がついたときが,酒を飲んだりタバコを吸ったり以上に大人への意識改革だった(飲んだり吸ったりはそれよりずっと以前からやっていたからということもあるが)。
 高校野球も,もう変わってもよい。とりあえず茶パツ,長髪の解禁,それから女子選手への門戸開放などいかがだろうか。

 明日,甲子園で最も見ごたえがあると言われる準々決勝。
 会社,休んじゃうかな。そうもいくまいなぁ。

先頭 表紙

ところで,ベスト4まで進んで,家人の母校が朝日新聞の記事で太字見出しになったのは敗戦の翌日だけでした。毎試合毎試合,負けたチームのほうが大きく取り上げられた,ということですね。全員で赤頭巾,全員で狼さんの学芸会じゃあるまいに,美談趣味,悪平等が過ぎないかなぁ。教育上,よくないぞぉ。 / 烏丸 ( 2002-08-22 02:29 )
四国勢でベスト4制覇の夢はとりあえずお預け。2つも残ったのでよしとしましょう。球児の皆さん,お疲れさま。これでおおっぴらに茶パツ,喫煙,不順異性交遊だぁ(←言葉が古いよ)。 / 烏丸 ( 2002-08-22 02:26 )
そうですねえ。高野連さえ何とかなればいいイベントなんですけどね。明徳義塾優勝、おめでとうございます。 / Hidey ( 2002-08-22 01:59 )
「お兄さんたち」がすでに10以上も下の年齢になっていることに甚だ驚愕を覚え・・。一番燃えた夏は中学3年、地元福岡第一高校が決勝で敗れた夏。長かった・・・。 / あやや ( 2002-08-19 14:26 )

2002-08-12 「天気管」について

 
 昨日取り上げた『海底2万マイル』の後編が,先ほど終わった。

 TVドラマとしてはよく頑張ったほうだと思うが,当初の,(夏休みで家人の実家に帰っている)子供たちにビデオ録画しておいてあとで見せてやろうという目的には少々味が苦すぎ,「なしてそーなる」と少々困惑気味である。後半はなんというか,救いのない,残虐なシーンも少なくなかった。
 まぁ,つまるかつまらないか,ついてこられるかこられないか,決めるのは彼らなのだが。

 ところで,インターネットの検索サイトで『海底2万マイル』やベルヌについてアットランダムに調べていると,妙なものに行き当たった。
 「天気管」なる機器(?)である。

> 天気管(てんきかん)と申しますのはStorm Glass あるいは
> Weather Glass と呼ばれる、17世紀頃からヨーロッパを中心に
> 用いられた天気の予測を行うための計器のことです。

> ガラス管に封じ込められた液体中の結晶の様子(形状や状態)を
> 観察することで、その後の天候の変化を予知することが出来ると
> 言われる不思議な気象観測機器です。

ということで,こちらの雑貨屋 パームでは実際に数千円程度で販売もされている。

 素敵なのは,そのページに,

> ご注意 天気管の動作原理は解明されておりません。
>     天気予報に実際役立つかどうかは保証いたしかねます。

とあること。思わず注文したくなってしまったさ。

 「雑貨屋 パーム」のページのリンク先には,天気管の魅力に引かれてイギリスに注文して手に入れた方のサイト「天気管の謎」もある。天気管の歴史なども紹介されていて,うん,とてもよい感じ。

先頭 表紙

この雑貨屋さん,職場からそう遠くもないので,寄ってみたいと思っているのですが,このところ,朝帰りが続いていて,身動きなりません。くうぅ。1個1個に日付のはいったアニバーサリーマグカップなんかも,1個800円ならいくつか買い込んでみたい……。 / 烏丸 ( 2002-08-15 05:16 )
面白い情報ありがとうございます。もの凄く気になるので、この店に直接行ってみたくなってしまいました。藤子不二夫のマンガに出てきそうな品揃えのお店だったら楽しいのですが(笑) / TAKE ( 2002-08-13 03:34 )

2002-08-11 『海底2万マイル』 ジュール・ベルヌ原作 / NHK総合

 
【誰でもない】

 そして結局のところ,ネモ艦長とはいかなる人物で,彼が陸を捨てて海に生きていくことを誓ったのはいかなる経緯によるのか。彼の家族はいかにして失われたのか。ノーチラス号を建造するための技術力,財力はいかにして得られたのか。そしてそれを操艦する乗員たちは?

※とはいえ,ネモ艦長は実はどこの国の何者で,渦巻きに巻き込まれたあと……という作品もベルヌは書いているらしい。あまり読みたくはない。

 思い起こせば『海底2万マイル』からは,大切なものの多くを教えてもらった。
 ベルヌやウェルズの作品を好んだことが己の形成に影響したのか,己の志向が彼らの作品を読み返させたのか。どっちだろう。よくわからない。それでも,己が今の己であることの背景に,少年時代に夕飯の呼び声も忘れて読みふけった彼らの作品の影響がないとは思えない。たとえばとりあえず権威に反発する心,科学に対する興味と不信,孤絶した世界への憧憬。

 そのうち,己にとっての『海底2万マイル』や『十五少年漂流記』,あるいは『タイムマシン』を書いてみたい。
 そう思って振り返れば,海底軍艦轟天号もヤマトもナディアも沈黙の艦隊も,それぞれの制作者たちによるノーチラス号へのオマージュなのかもしれない。

 この週末の土曜,日曜,NHK総合では2夜連続で海外ドラマとして『海底2万マイル』を放送している。主人公を父親の権威に圧迫されてあえぐ青年学者に,またとぼけた味の召使コンセイユの代わりに解放運動家の黒人青年を配している。アメリカのTVドラマらしいといえばそれまでだが,ベルヌの原作の根底にアイデンティティというテーマがあることを受けてのことのように思われなくもない。
 ドラマそのものも海底シーンがややチープとはいえ,TVドラマとしては非常によい出来である。日曜夜は11:25より後半放送の予定だそうだ。お時間に余裕のある方はどうぞ。

先頭 表紙

ただ今,後編放送中です。子供たちに録画して見せてやろうと思っていたのですが,小学2,3年生には少々荷の重そうなシーンが続いています。 / 烏丸 ( 2002-08-11 23:34 )
自分がBS2で見た作品と同じなのかな?海底シーンはプールっぽさが目に見えたけど、後半の方が視覚的に良かったかな・・。ノーチラス号のデザインが良かったですねー / そー@始めましてかな? ( 2002-08-11 12:32 )

2002-08-05 読者体験怪談の文体について考える 『恐怖体験!呪われた写真』 心霊現象研究会=編 / 廣済堂文庫


【「キャッ!」それに気がついた時,私は悲鳴を上げていました。】

 いわゆる「心霊写真」が「本物」かどうかという議論にはあまり興味がない。

 たとえば,かつて誰かが自殺した岩陰に人の顔が! ……確かに撮影してしまった者には剣呑だろうが,人の「顔」に対する認識力には若干偏りがあり,早い話黒い丸をぽぽぽんと3つ並べればそれが人の顔に見えてしまうのはご存知のとおり。岩や梢の複雑な陰影にはそうでなくとも人の顔に見えるケースが少なくないのだ。夏の雲がクジラの形に見えたからといって,それを日本人に捕食されたクジラの霊とは考えないのと同様である。
 
 思いがけないところに人の手が,画面を横切る光の帯が,など,そういった写真についても,そこに鏡やガラスはなかったか,とか,車のライトが横切らなかったか,とか,要するに心霊以外のあらゆる素因をすべて取り除いてからでないと検討したとはいえない。
 もちろん,心霊写真を提示する側は「そんなはずはない」と主張するのが通例だが,人の記憶ほどあてにはならないものはないのだ。

 そもそも,もし「心霊」なるものが本当にあって,それが死後にもなんらかの力を発揮できるのなら,なぜ人間についてだけ起こるのか。恨みや無念を抱いて死ぬのは人間に限ったことではないだろう。なぜ海は小魚たちの怨霊で満たされていないのか。なぜデパートの食品売り場は心霊写真のメッカとならないのか。

 ……つい力が入ってしまったが,本書『恐怖体験!呪われた写真』はそのような議論を持ち出すほどの本ですらない。大昔の少女雑誌や中学生向け雑誌の一角にいつも載っていたような,根拠も背景もいい加減な「読者体験談」のたぐいである。
 本書を手にしたのは,その日,少々重めの案件があって,まっとうな本を正面から読むつもりになれない,かといってスポーツ新聞や週刊コミック誌では時間をもてあましそう,そんな気分からだった。そんなときの本選びこそ,実は難しい。文字通りのよい本だと,気持ちが乗らなくて入り込めないし,もったいなさに却っていらいらしてしまう。さりとて過度に難しい本,まったくつまらない本では読む気になれず,時間つぶしにさえならない。

 そんな用途に心霊写真体験集は妥当なのかと言われればなんとも言えないが,まぁ適度な気分転換になったようなのであの日はあれで正解だったのだろう。もちろん期待を上回るような写真はない。

 ……が,一点,興味深く思ったことがあった。
 本書は取材先で得られたものや(どんな取材だ)読者から送られたという心霊写真とその体験談を2ダースほど並べたもので,したがって語り手はその心霊写真を撮影した当事者,ということになっている。当然,若い女性であったりある程度年配の男性であったり,その年齢や職業はまちまちだ。そして,写真の撮影された背景やその後の体験などが,本当の話なのか,それとも写真を素材に編集部側が勝手に書き起こした作り話かは不明だが,その文体が実に……ヘタなのである。
 いや,単にウマい,ヘタ,ということでなら,別に珍しくもないし,不思議でもない。こういったたぐいの読者体験文は,若手編集部員や売れないフリーライターが書かされるのが普通だし,また必ずしも美麗な文章を求められるわけでもないからである。
 ただ,それにしても,ヘタなのだ。男女の描き分けが。
 たとえば,

「リゾートマンションは三LDKで,ダイニングが十二畳ほどもある。その広さが良かったのだが,その時はそんな場所に二人だけでいることが心もとなく感じられた。さきほど見た人物が,まだどこかにいるような気がして仕方がなかった。」

「この写真を見れば,あの時の楽しい気分を思い出して,態度を少しは和らげてくれるかもしれない。そう思ったからです。
 正直いって,私は里香のことがとても好きでしたから,なんとかして,関係を修復したかったのです。」

 である調,ですます調以外,とくに年齢や性別を明らかにするための素材はなさそうだ。実は前者の語り手は若い女性,後者は中年の男性である。しかし,この引用部に限らず,およそそのようには読めない。それぞれで話題にされる写真は,男女が泊り込みの旅行に出かけてその先で撮影した,そういう背景にもかかわらず。
 そういうプライベートな,なおかつ男女の関係が透けて見えることを描いた場合,文章がウマかろうがヘタだろうが,通常はもう少し年齢や性別が見えてくるものである(もちろん,手馴れたプロならば,書き手の設定を文体から匂わすくらい可能だろうが)。プライベートな,それも色恋にかかわる内容で,これだけ何も見せないということのほうがむしろ難しいかもしれない。

 つまり,本書のライターは,男とも女とも,また年齢もよくわからない,そんな文体を1冊通して書き続けるという,逆の意味で特殊な能力を持っているということになる。
 どうも,選ばれている言葉やシチュエーションに対する反応(妙に古風に律儀なのである)などから,まぁまぁ年配,手広く仕事を請け負ってはきたが今ひとつ名のあがらないフリーライターもしくは出版プロダクション社員,あたりとみるが,どうだろうか。

先頭 表紙

「うむ,これは没になった日記の霊が,ぺしの姿を借りて現れたものでしょう。放置しておくとたいへん危険です」「せ,先生,どうすればよろしいのでしょう」「御祓いが必要ですな」「御祓いですか」「うむ。このように。ぺし,ぺし」 / 烏丸 ( 2002-08-07 03:22 )
「あっ、ここにも魚の霊が!」「よく見るとヒヨコの顔にも見えますね?」・・・・これじゃあ寒くなるどころか、笑って体が熱くなりそう? / カエル ( 2002-08-05 11:05 )

2002-07-29 朽ち果てて,風化して 『廃墟霊の記憶』 板橋雅弘 文,岩切 等 写真 / 角川ホラー文庫


【深夜,ここでセックスをするなんて,ただの肝試しだ。】

 「廃墟という趣味」について初めて知ったのはスポーツライター山際淳司の記事によって,だったかと思う。アメリカでは,休日にゴーストタウンを訪ねる趣味があり,写真を撮ったり廃屋に残された生活用品類を手に取ったり,確かそのような内容だった。
 その後も長崎の軍艦島をはじめとする廃墟の写真集が地道に売れているらしい,とか,廃墟を舞台にした映画が廃屋で上映されてマニアが集まったとか,静かにブームは続いているようだ。

 『廃墟霊の記憶』は,雑誌「SPY」に連載されたフォトエッセイが1992年マガジンハウスから『失楽園物語』として単行本化,さらに今年になって文庫化されたものである。

 廃墟めぐりの趣味はないし,本物・見世物を問わずお化け屋敷を訪ねたいとも思わない。それでも,廃屋に前にするときの,あのなんとも言えない思いはわかるような気がする。
 埼玉県K市に住んでいたころ,家人の運転で郊外に車をめぐらせると,工事途中でバブルが崩壊してそのままとなった巨大なマンションの棟があり,夕暮れから夜にかけて,そこを通りかかるたびに少し怖さのまじった暗い気持ちになったものだ。人が住み始める前であの気配である。このマンションはその数年後,体裁を整えて売りに出されたが,あの数百の窓に人が住み,そののちに廃屋と化したなら,何か出ないほうがおかしい。

 『廃墟霊の記憶』は全体的には意外とキワモノではなく,文章的にも落ち着いて読めるものだった。過分なアオリもなく,むしろ淡々と閉館された映画館,金の採掘場後,30年以上運行されてないモノレールなどを訪ね,紹介する文章は好感が持てる。
 ただ,「幽霊ホテル」として有名な琵琶湖湖畔の木の岡レイクサイドホテル(表紙写真),スペシャル級の「お化け屋敷」相模外科病院跡などをまじえたため,「ひとが勝手につくり,勝手に捨ててしまった物件たちに,かつての賑わいの残り香を嗅ごうと思って」という当初のルポの目的が曖昧になってしまったようにも思われる。
 要するに「廃墟めぐり」に「お化け屋敷めぐり」が必要以上にまざってしまったわけである。読み手にしてみると,住宅展示場と化した大阪球場やブームの終焉した幸福駅などの章に焦点が合わせにくいのだ。

 念のために言っておけば,本書は角川ホラー文庫にありながら,ホラーの要素はほとんどない。幽霊が出ると有名な現場に赴いても,どのようないわくつきの幽霊がどのように出るか,という話はほとんど触れられていない。
 だから怖い,という面もなきにしもあらずだが……。

 ところで,「SPY」連載時に編集者として付き合ったのはどうやら西原理恵子との親交でも知られる(正確にはサイバラとの付き合い以外ではよく知らない)新保信長らしい。いや,そもそも,著者の板橋雅弘という名前に覚えがあるので誰だろうと思ったら……少年マガジンに長年連載されたあのほのぼのラブラブコミック「BOYS BE…」の原作者だった。なるほどねえ。

先頭 表紙

カラスは,正直,廃屋は怖くて苦手です。逆に,新宿や渋谷のように,「欲」が剥き出しな街や建物も苦手です。人の気配のあんまりない深夜のオフィスで仕事をするのが好きなのはそのあたりからかも。 / 烏丸 ( 2002-08-15 05:19 )
実は学生時代、「廃墟巡り」を良くしていました・・^^; 相模外科病院、伊豆の大滝ランド、近所大船のモノレール、伊豆、三浦半島、相模湖畔などにある廃ホテルなど・・。心霊現象には興味はありませんでしたが、ヒトの営みのビジュアルとして惹かれるものがありました。この本も見てみたいと思います。 / TAKE ( 2002-08-13 03:28 )

2002-07-22 怖さひりひり 『新耳袋 現代百物語 第七夜』 木原浩勝・中山市朗 / メディア・ファクトリー


【ふみひこ は だめ】

 怖い話は聞くのも話すのも大好きで,かつて,とあるパソコン通信ネットの会議室でオンライン百物語が始まったときには,喜んで夜毎踊り明かしたものだ。インターネットが普及するよりずいぶん前の話である。
 ただ残念なことに,猫も杓子もインターネットの昨今と違い,当時は参加者が決して多いとはいえず,季節の移ろいに伴ってだんだん怪談のアップ数が減り,感想や雑談はにぎわったものの結局百話に満たないうちに会議室ごと沈んでしまった。
 不思議なのは,日々怪談の題材を求めていると,勘が冴えてくるというか,うっかり呼んでしまうというか,ほうっておいても怪しい気配がにじり寄ってきたことだ。もともとは霊感が強いとかいうほうではないのだが,当時はいくたびかおかしな気配を感じたり,つじつまの合わない思いをしたりしたものである。
 今でも残念に思うのだが,このオンライン百物語,百話めがアップされていたならはたして何が起こったのだろうか……。

 それはさておき,独特のひりひりした怖さで知られる『新耳袋』の新刊である。
 最近は文庫,コミック,映像化など,メディア展開もにぎにぎしい『新耳袋』だが,凡百の怪談集と異なるのは,このシリーズがいかにもな「心霊」モノ,あるいはセミプロの手による創作モノでない,市井の「不思議」体験をヒアリングして集めた点にある。いわば,現代の「遠野物語」なのだ。
 したがって,その中にはもちろん,友達の兄姉の友達とやらによる作り話,いかにもどこかで語られていた怪談のリメーク,あるいは話者の単なる思い込みや夢とおぼしきもの,などまで含まれているようにも思われるが,逆に,なんとも説明のつかない,得体の知れない話も少なくない。

 たとえば,新刊の第七夜には,次のような話が掲載されている。
 中古の一戸建てを購入すると,壁が妙に厚い。大工を呼んで調べてもらうと,なぜか壁の中に食器棚が塗り込められ,平皿,深皿,グラスまでが揃っていた……。
 これは,怖い。前の住居者は,いかなる意図で食器棚を壁に塗り込んだのか。その背景にはいかなる事態があったのか……。
(ただ,この話には,ちょっと気のきいたオチが用意されており,話としてはよく出来ている分,一種出来すぎともなってしまっている。語りが巧すぎると,かえって作り話に見えやすい,ということである。)

 一方,旅館で寝ていると歯ぎしりの音が,とか,天井から女の手が,とかいった話は一つ一つはそう怖くない。閉めたはずの押し入れが気がつくと少し開いているという話がすでに山岸凉子の単行本のタイトルとなっているなど,よくある怪談の一パターンと化したものが少なくないためである。

 いずれにしても,部屋の体感温度を確実に5℃は下げてくれる本シリーズ,寝苦しい夜にはお奨め。
 今回はどれがとくにということではないが,全体に,ここ数冊の中では怖い印象がある。テナントの入りの悪いビルの屋上に揺れていたものとか,回っている皿がすべて空で,客が全員席に座ったままうつむいている回転寿司屋だとか……。

先頭 表紙

ほおずきさま,いらっしゃいません。ふみひこは,死んだあとにもお風呂で背後から髪に触ったり,畳の上にぬっと手首を突き出したり,棚からさかさまにぶら下がったりするから駄目なのです。……ウソです。ふみひこは本書のそれらとは別のお話に登場する登場人物で,語り手の女性の子供時代の日記になぜか「ふみひこ は だめ」と書かれていたというかなり情けない人物なのです。 / カラスの知るふみひこ氏は…… ( 2002-07-27 23:40 )
ふみひこはなぜだめなんでしょうか。気になります。 / ほおずき ( 2002-07-27 04:32 )
あややさま,そういえば,今回の第七夜は,読み終わったあとも側面の色の記憶がない……と思って見直してみると,なるほど,この色だったか……。『新耳袋』は最近,角川文庫から2冊発売されましたが,これは単行本で読みたいですね。怪異の招き度合いが違う感じ,とでもいうか。 / 烏丸 ( 2002-07-23 02:03 )
うー、シーズンですよね。それにしても、新耳袋の側面って、なんですぐ色落ちするのでせう。雨の日、バッグに浸透した雨が、色を落としてしまいました。赤いから2巻か・・。 / あやや ( 2002-07-22 20:20 )

2002-07-15 人間とアイアイ,謎なのはどちら? 『アイアイの謎』 島 泰三 / どうぶつ社


【バナナを食べる。卵を食べる。使う指がバナナでは薬指,卵では中指である。】

 朝日新聞・日曜版の書評欄とは,どうも相性が悪い。
 なんというか,「著者が長年にわたって丹念に調べ上げた市井の○○はその時代を反映して……」といった具合に,時代への意味付け,社会変革に役立つかどうか,そういった(その本の内容とは必ずしも一致しない)価値観があまりにも前面に濃厚すぎ,いやなかなか面白かった,ではすませてもらえないことが少なくないからだ。
 いきおい,紹介される本のラインナップも道徳臭,説教臭が強くなる。たとえば最近紹介された文庫をざっとリストアップすると,次のような具合だ。
  宮崎和加子『家で死ぬのはわがままですか』
  根深誠『シェルパ』
  高野裕美子『サイレント・ナイト』
  アエラ編集部編『女は私で生きる』
  筒井康隆『わたしのグランパ』
  吉行あぐり『あぐり 95年の奇跡』
  塩倉裕『引きこもる若者たち』
  村上龍『希望の国のエクソダス』
  鈴木浩三『資本主義は江戸で生まれた』
……一部を除き,文庫というよりは岩波の新書新刊一覧といった趣である。

 もちろん,そのような選択がなされるのはそうしたニーズがあるということで,もちろん心ときめいて注文を急ぎたくなる本が取り上げられることもないわけではない。

 本書『アイアイの謎』が作家の堀江敏幸によって紹介されたのは6月9日。
 マダガスカル固有の原猿類アイアイをうたう童謡がなぜ「アイアイ アイアイ おさるさんだよ」とことさらに「おさるさん」だと断りを入れなければならないのかと疑問を提示し,その回答として本書を推奨するその手際やよし,もとより奇態な生物についての本は嫌いではない。早速その日のうちに紀伊国屋BookWebに注文を入れた。

 アイアイについては,正直,何一つ知らない。
 霊長類としては例外的に耳が大きく,その耳には毛が生えていないこと。リスに似た歯をもち,19世紀半ばまではげっ歯類(ネズミやリスの仲間)とみなされていたこと。中指が曲がったワイヤーのように細く長く,薬指が最も太くて長いこと。アフリカとモザンビーク海峡を隔てたマダガスカル固有の哺乳類の一種であること。マダガスカルには大型の原猿類もいたが,ここ数百年の間に何種類もが絶滅したこと。残る種も,国土の8割にも及ぶ野焼きのために絶滅の危機に瀕していること。

 アイアイそのものはまことに不思議な生き物であり,その特徴的な耳や指がいかなる食性を意味するかを究明する道すじは一種の探偵小説のようで興味深い。
 しかし,本書を手にしたことが読書として爽快だったかといえば,残念ながらそうでもない。

 夜行性の動物だからやむを得ないのだろうが,ポケモンのピカチュウ,いやピチュウを思わせるアイアイの写真はいずれもフラッシュに目が光って無気味だし,その撮影がアイアイにとって必ずしも快適なものではなかったことも明らかだ(飼育されたアイアイの貴重な赤ん坊が死んだのは,明らかに研究を目的とした著者の介在のためだろう)。
 著者の文章は笑えないギャグをところどころに配置して,真摯なのかアバウトなのか掴みにくく,マダガスカルで長年困難な調査に務める以上アイアイへの愛情がないはずはないのだが,そうは読めない面もまま見られる。

 とくに,煙草の吸殻を間違って口に入れたような気分になってしまうのは,本書に何度も登場するアメリカ人霊長類学者エレノア・スターリングに対する悪意ともなんともつかない表記である。彼女の論文が取り上げられるのは,ほぼ毎回,そのデータとしての曖昧さ,アイアイの生態についての指摘のあやふやさを攻撃するためである。著者にしてみれば,自説と相反する説を持ち出すアイアイの「権威」たるスターリングの存在は鬱陶しいものかもしれないが,それなら自説の正しさを適切な資料を示して強調すればよいだけだ。「後からきた者に知名度で追い越されたひがみ」とでも言いたくなるようなこの書きっぷりはいかがなものか。

 結局,そこらの図鑑よりは詳しくアイアイについて知ることができたが,だからどうかと言えば,消化しづらいものが胃に残る。

 マダガスカルでは住民はアイアイを恐れ,アイアイに触れた者は1年以内に死ぬと言われていたそうだ。もちろん,間違いである。アイアイに触れた人間が死ぬのではない。人間が触れたアイアイが死ぬのだ。

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