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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-03-16 シリーズ 怖い本 その三 『殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気,非情の13事件』 「新潮45」編集部編 / 新潮文庫
2002-03-12 シリーズ 怖い本 その二 『海洋危険生物 沖縄の浜辺から』 小林照幸 / 文春新書
2002-03-10 シリーズ 怖い本 その一 『キラーウイルス感染症 逆襲する病原体とどう共存するか』 山内一也 / 双葉社 ふたばらいふ新書
2002-03-04 『エッセイ&コミック サカタ荘221号室』 坂田靖子 / PHP研究所
2002-03-02 『楽園夢幻綺譚 ガディスランギ gadis langit』 深谷 陽 / リイド社 SPcomics
2002-02-25 『かめくん』 北野勇作 / 徳間デュアル文庫
2002-02-21 『だめんず・うぉ〜か〜』 倉田真由美 / 扶桑社
2002-02-16 『プロ野球殿堂 ダメ監督列伝 怒涛編』 テリー伊藤 / メディアワークス
2002-02-12 『牌がささやく 麻雀小説傑作選』 結城信孝編 / 徳間文庫
2002-02-07 ジョン・レノン『ヌートピア宣言』などについての断章


2002-03-16 シリーズ 怖い本 その三 『殺人者はそこにいる 逃げ切れない狂気,非情の13事件』 「新潮45」編集部編 / 新潮文庫


【腹を一回,左胸を二回,頭を一回ナイフで刺し,最後に喉を切り,念のためにビニール紐で首を二回絞めて】

 エボラが怖い,毒クラゲが怖いといっても,気をつければそれなりに避けることができる。もちろん,いかに気をつけたところで,地震でビルが倒れる,トラックが飛び込む,飛行機が落ちる,肺癌にかかる,餅が喉につまる,などなど,いたるところに死の扉は待ちかまえている。
 だが,これらの怖さは,即物的とでもいうか,殴られれば壊れる,壊れれば痛む,そういう次元の話にすぎない。

 エイズや狂牛病の怖さは,少し違う。免疫性が損なわれたり,脳がスポンジ状になったりという,症状による恐ろしさもあるが,それだけではない。
 たとえばエイズの場合,人と人が結びつくことからウイルスが侵入する。また,免疫性が損なわれるというのは,いわばアイデンティティが損なわれるということだ。その意味で,エイズは自己と他者の「関係」の病だということがいえる。
 狂牛病という病気にも似たところがあって,牛に肉骨粉を食べさせた結果広まったこの病が,食人の習慣のあった部族のクールー病と同じ異常プリオンによるなど,どうも生物が同族を食べたときに何かが壊れていくそんな摂理によるもののように思われてならない。ここでも壊れているのは「関係」なのだ。

 本書はもう1つの「関係」の病,「殺人」を取り上げたものだ。
 取り上げられた事件は13。有名なものからそうでもないもの,じっくりと1人を殺したものから無造作にたくさん殺したもの,子供殺しから親殺しまで,さまざまなパターンが含まれている。

 取り上げられた事件の中,熊本「お礼参り」連続殺人事件,広島「タクシー運転手」連続四人殺人事件,世田谷「青学大生」殺人事件などが,行為の陰惨さのわりに記憶に残りにくいのは,殺人者の言動があまりに身勝手で,その分,人間の行為に見えないためかもしれない。しつけられていない野生動物が噛みついた,その程度の感じ。つくば「エリート医師」母子殺人事件も,幼児性において印象は変わらない。

 それに比べると,いまだに犯人が特定されない井の頭公園「バラバラ」殺人事件や,名古屋「臨月妊婦」殺人事件は格段に薄気味が悪い。
 後者では殺された臨月の主婦の腹部が切り開かれて胎児が取り出され(赤ん坊は生きていた),代わりに受話器とミッキーマウスのキーホルダーが押し込められていた。前者ではビニール袋に入れられた遺体の一つひとつが入念に洗われ,きれいに血が搾り抜かれていた。すべてのパーツはまるで定規で測ったかのように(切り取りやすい関節などに関係なく)ほぼ二十数センチに切り揃えられている。そのくせ,切断のしかたは乱暴に手ノコをあてたものや鋭利な刃物で肉を切って骨を露出してから慎重に切ったもの,切れ目を入れてからポキンと折ったものなど,数種類の特徴があって複数の人間の手によるものと想像され……。

 いや,それにもまして恐ろしいのは,葛飾「社長一家」無理心中事件で,妻子を殺したあと逃亡し,首を吊って縊死した男の,自殺実況テープの内容だろう。

 犯人はクラシック音楽を専門に扱うソフト制作会社の社長。資金繰りに破綻したあげく,49歳の妻と23歳の娘を自宅で絞殺,それから約10日間,死に場所を求めて国内を転々とする。そして長野県塩尻市内のホテルで首を吊って死ぬのだが,その絶命までの約40分間のテープはいろいろな意味で恐ろしい。

 第一は,その弱さ,ねっとりとした身勝手さを示す妙に丁寧な内容だ。
 彼は金融機関からの借金,2800万円の返済日が間近にせまるや,家族に返済が困難なこと,返済の期日が近いことを何一つ知らせず,そのくせ「信じられないくらいの心の負担となって,何も出来なくなって,本当に心身ともにボロボロになってしまうんじゃないかと思うんですね」と妻子の殺害を決めてしまう。そして殺害後,「わたし自身も,その後を追おうと思ったんですけれども」「死ぬのはいつでもできると……あんたたちの行きたいといったところを,時間の許す範囲で回ってみようと思ったわけです」「富士山に関しては,一番いい姿を全部見せてあげられたんじゃないかな,と思います」
 そして,奈良市内のホテルで一度自殺を決行するが,途中で紐が切れて失敗。大小便にまみれ,痛みに這いずりまわり,それから二日後に今度は自殺に成功する。
「今日は強いロープを二重にして,ぶら下がっても大丈夫な梁に付けてありますから。もっと早いうち,死にますから。ハァーッ……排尿の中,動き回るってことはないと思います」

 そして,テープは後半にいたって,聞く者を異様な世界に誘う。本文から引用しよう。
 「雅夫の背後で,激しいノイズが聞こえる。ゴーッという,地鳴りのような音。聞きようによっては,嵐の中,断崖絶壁に立って録音しているような音である。(中略)ふと思い当たってしまった──あの世から吹く風,黄泉の国から吹き付ける風があったら,きっとこんな音がするだろう」

 そして,お喋りな自殺者の断末魔の悲鳴のあと,ゴーッという轟音が延々と十分ほど続いてテープが終わる。
 ほつれた「関係」の紐がその黒い風の中に揺れて,ちぎれる。

先頭 表紙

2002-03-12 シリーズ 怖い本 その二 『海洋危険生物 沖縄の浜辺から』 小林照幸 / 文春新書


【刺されて助かったという話はまったく聞かない】

 「毒」。なんと蠱惑的な言葉であることか。
 たとえば毒薬,猛毒,毒蛇。あるいは毒蜘蛛,毒牙,毒殺。さらには劇毒,毒婦,毒茸,毒芹,毒団子。
 爬虫類館を訪れてガラスの向こうの緑に輝く蛇が強い毒を持つと知るや,心のどこか黒い片隅が沸き立つような気がするのは私だけだろうか。蠍やタランテラのフォルムに単に不気味さだけでない,濃密な意志を感じるのは?
 「毒」のなまめかしいまでの恐ろしさは,穏やかな日常の中に,その黒い錐が突然刺し込まれることだ。穏やかな青い海,珊瑚礁。そこに足を踏み入れると,そこには小さな,しかし強烈な毒をもつ生物が静かに棲息している……。

 本書は一見穏やかで平和に見える沖縄の海に潜むさまざまな危険生物を取り上げ,その恐ろしさと対処法を紹介する。

 たとえば,ハブクラゲに刺されると,「刺傷後六時間ほどでミミズ腫れは炎症性の浮腫を伴った水疱となる。重篤な患者では,受傷直後にショック症状を起こし,呼吸停止から心臓停止となり,死亡に至る」。
 1997年8月には小学1年生の6歳の女児が水深約40センチ,波打ち際から約10メートルの浅瀬で,翌98年には3歳の女児が水深約50センチ,波打ち際から約15メートルのやはり浅瀬で,ハブクラゲに刺されて死亡している。
 ハブクラゲに刺された場合,特効薬にあたる血清は現在のところ,ない。触手が絡みついた患部は絶対に砂や水でこすらず,食酢を何回かにわけてかけるのがよいのだそうだ。

 あるいは,錐状の殻が15センチにも達する美しいイモガイの一種,アンボイナガイは,歯舌歯と呼ばれる毒矢をもち,ここから猛毒を刺し入れる。アンボイナガイに刺された箇所には小さな穴ができるが,このとき痛みはないし,腫れたりもしない。しかし,「刺されてから十五分から三十分後に,ようやく刺された周囲が紫色になり,痺れてくる。このとき同時に口の痺れ,目眩,物が二重に見える複視などが起こり,徐々に全身の運動神経が麻痺して重篤となる。そのまま放置しておくと,最後は呼吸麻痺となって死に至る」。
 沖縄ではアンボイナガイのことを「ハマナカー」と呼ぶが,それは,刺されると浜の真ん中で死んでしまうということに由来するそうだ。
 このアンボイナガイの毒を中和する血清も,今のところ存在しない。

 このほか,背鰭の毒棘に,一匹でゆうに四人を殺せる毒をしのばせたオニダルマオコゼ(砂や岩の色に似ていて,これを踏み付ける事故が後を立たない)。光をめがけて突進し,長く鋭いくちばしで人に突き刺さり,死に至る大怪我を負わせるダツ(オキザヨリ)。茶褐色の海藻そっくりな体表にある何千という刺胞球から毒を発射し,刺されると激しい痛みを感じ,潰瘍の回復までに数か月,場合によっては1年以上かかることもあるウンバチイソギンチャク。黄色い体に青い斑紋が美しいが,咬みついたときに相手にフグと同じテトロドトキシン系の毒を注入し,筋肉の麻痺,嘔吐,呼吸困難,運動麻痺を招くヒョウモンダコ。性質がおだやかで,毒牙が小さいためハブやマムシに比べて被害数は少ないが,実はコブラより強い神経毒をもつウミヘビ……。

 しかも,これらの海洋危険生物の多くには,ハブに咬まれたら血清,といった決定的な治療法がない。沖縄ではこれらの生物による被害を減らすために,ビーチにクラゲネットを用意したり,啓蒙用のポスターを多数配布するなど行政上の対策が進められている。それでもこれらの生物による被害はあとを絶たないし,また,原因不明の水難事故死のうちいくつかがこれらの生物によるものである可能性も少なくないようだ。

 本書の巻末には,取り上げられた海洋危険生物の被害に遭った際の応急処置一覧と,2001年12月現在の沖縄の保険所及び医療機関連絡先が掲載されている。
 この夏,南の島でのリゾートを計画している方は,痛いめ,悲しいめに遭わないためにも前もって本書に目を通しておくことをお奨めしたい。
 必要以上に恐怖にすくむこともないだろうが,結局のところ,「自分は大丈夫」という安易な思い込みこそが一番の猛毒なのだから。

先頭 表紙

本書で取り上げられたハブクラゲは,そのbox jelliesと同類か,非常に近い種のようです。box jellies用の薬品がハブクラゲに効くかどうか,作者が自分の手で試してみるという一節もあります。また,危険生物をあれこれ食す,という項もあります。どうやら,一番獰猛なのはやはり人間のようです。その中でもとくに獰猛なのは……おっととと。 / 烏丸 ( 2002-04-11 02:23 )
どうもです。こちらではこれに刺されたら「サヨウナラ〜」と言われています(ガイド本では「数十秒以内に酢をかけろ」となっていますが、実際には海中でビリビリに痺れたまま浜辺までたどり着けずに逝ってしまうとか)。先日は正体不明のサンゴで手首を切って一瞬意識不明になりました。海にはコワイ奴がたくさんいてます。 / M ( 2002-04-05 22:49 )
今朝の朝日新聞書評欄に本書が。担当はあの斎藤美奈子さん。普段,そう新刊読破にこだわっていないカラスには,少し嬉しい「先どり」でありました。 / 烏丸 ( 2002-03-18 00:37 )

2002-03-10 シリーズ 怖い本 その一 『キラーウイルス感染症 逆襲する病原体とどう共存するか』 山内一也 / 双葉社 ふたばらいふ新書


【ローラが亡くなった八日後,シャーロットが発病した。発病後一一日目にシャーロットは死亡した】

 前回も取り上げた『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』は吉野朔実によるなかなか鋭い書評コミックなのだが,リチャード・プレストンの『ホット・ゾーン』を紹介した一節には,
  エボラとエイズ,どっちが怖い?
という実にやっかいな命題が提示されている。
 かたや致死率90%,宿主も感染経路も治療法も見つかっておらず,20日で内臓どろどろのエボラ。かたや,かかってるのかかかってないのかいつ死ぬのかわからないエイズ……。

 『キラーウイルス感染症』には,そのエボラ出血熱をはじめ,マールブルグ病,ラッサ熱,牛海綿状脳症(狂牛病),ウエストナイル熱など,最近になって新しく出現(エマージング),または再出現(リ・エマージング)したさまざまな感染症が紹介されている。
 それら感染症の病原体の多くはウイルスで,また,そのウイルスのほとんどは「本来の宿主である動物と平和共存しているが,人に感染したとたん激しい内臓出血,全身痙攣,脳の破壊,肺の損傷などの惨状をもたらし患者を殺す」。しかもその大半には薬が効かない。というより,現状では,その本来の宿主が明らかでないために感染経路が不明で,かつまた,アフリカなど一部の貧しい地域で散発的に発生する病気のためにワクチンを製造,販売するのは,製薬会社にとってメリットのある話ではないのだ。

 ただ,「キラーウイルス」なるタイトル,「悪魔の感染症」なる惹句ほどには本書は煽情的ではない。むしろその逆で,長年ウイルス感染症による発病メカニズム,動物バイオテクノロジーに取り組んできた著者をはじめとする研究者たちの地道な活動の記録といえるだろう。もっとも,致死率が80%,90%などというすさまじい感染症に対する戦いは「地道」という色合いとは少々異なり,たとえば本書には,マールブルグウイルスをモルモットに接種しようとした研究者が注射器の扱いのミスから感染して死亡,その研究者を解剖した研究者もまた死亡,という話が紹介されていたりする。
 また,これらの病気が出現または再出現してきた背景には,密林の無闇な開拓や,航空の発達による野生動物の輸送など,人間の手によるウイルスのグローバリゼーションがあるという著者の指摘が重い。

 それにしても,エボラ出血熱や狂牛病の話は,なぜこれほどに恐ろしいのだろう。実際のところは,癌や交通事故で死ぬ確立のほうがずっと高いし,苦痛や死ぬまでの時間の短さだけで片付けられる話でもない。
 思うに,この恐ろしさは,これらの病気がまだ局所的で,非常に限られた者だけが発病すること,いうなれば通り魔的に見えることに起因するような気がしないでもない。あなたがこの週末に歩いたデパートのペットショップの輸入動物から飛散したフィロウイルス,あるいはその帰りに立ち寄ったレストランで口にした普段と同じスープから体内に入ったBSEプリオンが原因で全身から血を噴いて死ぬなんて,脳がスポンジ状になって死ぬなんて,そんなことは起こらないはずだけど,そんなことが自分にだけ起こったらなんて不条理な……そんな感じだろうか。

 もっとも,本当に不条理なのはエボラウイルスやBSEプリオンではない。
 肉骨粉を用いた飼料から狂牛病が発生する可能性に目をつむり続けた役人根性や,アフガンやイラクへの空爆という利益のからんだ戦争には星条旗を振り続けるのに,炭疽菌の白い粉事件にはいつの間にか言及しなくなった正義の国など,人の世のならいのほうがよほど不気味ではないか。
 そして,そんな不条理な人の心が歯止めを失った今,天然痘など伝播力をもつウイルスを用いたバイオテロリズムが発生する可能性は高い。そのとき,世界は「他者への不信」という血を噴き出しながら内臓からどろどろに腐っていくのだ。

先頭 表紙

2002-03-04 『エッセイ&コミック サカタ荘221号室』 坂田靖子 / PHP研究所


【キンカンナマナマ】

 ……坂田靖子をお気に入りの作家として意識した時期は,わりあいはっきりしている。
 初期の数年は,「ちょっと変わった作風だけれど,白っぽくてなんだか手抜きのような。ギャグをやりたいのかファンタジーやりたいのか,方向が今ひとつわかりにくいし」といった印象で,目は通すものの,雑誌を切り抜いたり,単行本を買い集めたりしていたわけではない。
 それが,カメラのピントがくぃーんと合うように「ギャグともシリアスともつかないけれど,とてもよい」に変わったのが,「別冊ララ」1982年夏の号に掲載された「砂浜の家」を読んだときだった。「砂浜の家」は,事故で妻を失ったコント作家のところに仲間がやってきてパーティーを開く,それだけのことなのだけれど,たった一晩のどたばたしたパーティーが,喪われた永遠を思わせるような,にぎやかで静かで切ない話なのである。この作品はのちに,やはり妙に心に染みる「タマリンド水」,神経に染みる「トマト」などとともに『エレファントマン・ライフ』(白泉社)に収録されている。まだご覧になってない方はぜひともご一読をお奨めしたい。

 さて,坂田作品の1つの頂点が,「花とゆめ」に連載された『バジル氏の優雅な生活』であることは言うまでもない。
 これは19世紀,ヴィクトリア王朝のイギリスを舞台に、有閑貴族のバジル・ウォーレン卿と孤児ルイがさまざまなやっかいごとに首を突っ込んでは解決していく(あるいはさらに混乱させていく)連作短編集。シリアス,ギャグ,ラブロマンス,カルチャーがほどよくブレンドされた,美味しい紅茶とマフィンのようなおしゃれで贅沢でそのくせ経験してもいない過去を深く振り返るような味わい深い時間を過ごせることうけあいである。
(『バジル氏の優雅な生活』の文庫を見ると,白っぽく見える坂田靖子の画風が,実は微妙なタッチに裏づけられていることがよくわかる。単行本に比べて細部がつぶれて,その絶妙の「間」がときに判読しづらいのである。それほど入手が難しいとも思えないので,古本でよいから花とゆめコミックス版をお奨めしたい。)

 そしてもう一方の頂点が,『闇夜の本』をはじめとするスラップスティックな異界譚だが,これはもうトリッピーなサカタ漫才とでもいうか,これを説明するには「げんこつやまのおにぎりさま」や「在広東少年」における矢野顕子のアレンジをもってするしかないような,そんな作品群である。個人的には「浸透圧」シリーズがお気に入りだ。

 なお,坂田靖子が恋愛を正面から描くことはめったにない(『チャンの騎士たち』『闇月王』のように,いや,『伊平次とわらわ』でさえ,登場する男女が恋愛に陥って不思議でない設定にもかかわらず,そのはならない作品が少なくない)。恋愛そのものは描かれるのだが,その多くで主人公は傍観者にすぎない。その分,「神が喜びを下さるように」「イースター・エッグ」,バジル氏の友人ウォールワース君の得恋などは実に心を揺らす。
 坂田作品における恋愛感情が多くの場合,傍観の対象であること,あるいは恋愛をパスしてすでに落ち着いた夫婦になっていること,恋愛の成就に「思い出す」ことや「やり直す」ことが前提とされていること,などなどは注意を必要とするような気がする。

 さて,ご紹介が遅くなったが,『サカタ荘221号室』はそんな坂田靖子が雑誌やホームページで散発的に発表してきたエッセイや単行本未収録のコミックをまとめたものである。

 内容は「ふだんのはなし」「たべもののはなし」「ゲージュツのはなし」の三部に分かれているが,「ふだんのはなし」に三葉虫の化石を主人公にした「三葉虫の夏」(泣ける……)が収録されているなど,いわゆる「とりとめもない」作品群になっている。ただ,一篇一篇は短いものの,さほど「寄せ集め」感はない。全体に,坂田靖子テイストというか,そういう統一感があるためだろう。

 個人的には浜田廣介「泣いた赤鬼」やRPG「ドラッケン」への突っ込みにはたと手を打ったり(記事を書くためにプレイしたパソコンゲームライター以外で「ドラッケン」をコンプリートした人の話は初めて読んだ),住まいの近くの花や漱石譚に同じく最近読んだ吉野朔実のコミックエッセイ『お父さんは時代小説(チャンバラ)が大好き』(本の雑誌連載)との類似を感じたり,それなりの読み応えだった。
 巻末の「あとがき」には,マンガの単行本を作る手間と手順が簡単に紹介されており,文字や写真による雑誌作りしか知らないカラスには新鮮な驚きでもあった。なるほど,マンガの短編集はこのように作られているのであるか。「コマをバラバラに切ってから組み直して頁増やすとゆー方法もアリ!」って,そりゃそうだろうけど,いいのかそんな赤川次郎が改行増やすようなことして。

先頭 表紙

これは中納言の姫さま,いらっしゃいませ。坂田靖子は単行本を出す出版社があちこちちらばっていて,あとから手にいれるのが大変なのですが,最近は文庫化が進んでわかりやすいですね。トールキンはここしばらく家人がナイトキャップ代わりに読んでいるようです。あまり進んでいるようには見えませんが……。 / 烏丸 ( 2002-03-10 02:22 )
坂田靖子 さんのコミックは大好きです!でも今はトールキンの「仔犬のローヴァーの冒険」って本にはまってます。 / わらわ ( 2002-03-09 16:49 )
カラス的イチオシは『石の血脈』ですが……追悼で読み返すには、ちと分厚いような。 / 烏丸 ( 2002-03-06 23:37 )
半村良氏が亡くなられたとか。今宵は追悼で岬一郎を読まねば。 / ぽた ( 2002-03-05 12:12 )
しっぽなさま,日本の少女マンガは,大島弓子あたりから「コマ」が融解して隣のコマと混ざり合ったり,コマとコマの間にキャラが描かれたり,そういう切り貼りはできないものと思っていました。坂田靖子の作品なら……できるかもしれませんね。逆に,吉沢京子の作品は難しそうです。全ページ,ページの断ち切り線まで絵がはみ出してるんですから。 / 烏丸 ( 2002-03-05 02:44 )
クマさま,とりあえず,少し読んでから嫌いになるのはいかがでしょうか。 / 烏丸 ( 2002-03-05 02:43 )
「闇夜の本」は娘達にも読ませたい宝物です〜〜〜なるほど、文庫は未読ですがハードカバー版で持っています>バジル氏 坂田氏は三葉虫が大変お好きなようですね。。。あちこちに三葉虫のエピソードのあるお話が。「チュ〜君とハイちゃん」、何気ない普段の生活を描いたものですがそういうのもいいですよね。フランスのコミックはコマ単位で描かれ、縮小したりレイアウトしたりでページを作るのですって。あっちはオールカラーだ・・・日本の漫画世界とは違うモノのように思います。 / しっぽな ( 2002-03-04 13:00 )
PHPは、読まず嫌いしているクマです σ(^◇^;) / クマ ( 2002-03-04 04:13 )

2002-03-02 『楽園夢幻綺譚 ガディスランギ gadis langit』 深谷 陽 / リイド社 SPcomics


【気のせいかここに来てから… 一晩ごとに夜の闇が濃くなる気がする】

 とても便利,なのだけれど,その便利さにもたれかかっては危うい言葉,というものがある。

 たとえば下の『かめくん』についての私評にも登場した「癒し系」が,それだ。
 「癒し系」の音楽。「癒し系」の写真。「癒し系」のグラビアアイドル。言わんとすることはよくわかる。だが,数分から数十分の心地よい,ちょっとひねった音楽や,愛くるしい子犬の写真で癒されるように思われるような欠落など,本来病気でも傷でもなんでもない。
 若者がある種の苛立ちにかられるのはわかる。無力感,飽和感,無闇な破壊衝動,いずれも誰もが覚えることで,しかもその頃には「自分ばかり」という意識が強い。だが,それを癒してくれるのは「系」などという曖昧模糊としたものではない。行為と時間だけである。
 誰かのため,何かのために腕も上がらないほど働きつめ,働きつめして,報われず,救われず,苦痛に身もだえしながら唇に感じる死に水の清涼感。そんなものだ。

 ほかにも,その便利さについつい使ってしまうが,その実何を伝えられているのか心もとない言葉は少なくない。
 たとえば,「エスニック」。
 もともとは民族や人種に由来するさまを表す言葉だそうだから,たとえば金田一耕助が和服を着ればエスニック,エーベルバッハ少佐がイモを食えばエスニック,ブッシュ父子がイラクを空爆すれば……そりゃ違う。
 ともかく,ethnicという言葉にはとくにどの民族,どの人種を特定する意味はなかったはずなのに,なぜかエスニック料理といえばトムヤムクン,キーマカレー,チャーゾーなどなど,要するに東南アジアを中心としたアジア文化圏の料理がぼっと脳裏に浮かぶ。せいぜいがメキシコ料理,アフリカ料理あたりで,ミラノ風カツレツや信州そば,球磨焼酎をエスニックと評することはないようだ。

 とはいえ,このエスニックという言葉,その東南アジアのスパイシーな味や香り,濃密な色遣いを実によく伝えてくれる。タイ料理の店で過ごすダルな午後が,頭の後ろのほうまで「エスニックな」気分でいっぱいになるのも,また事実なのだ。
 そんなエスニックな(ああ,つい,使ってしまう)雰囲気を濃厚に漂わせるマンガといえば,これはもう深谷陽である。

 深谷陽の魅力が最も表れた作品は,バリやベトナムの風俗とそこに長期滞在する日本人アキオをまたーりと描いた『アキオ紀行 バリ』『アキオ無宿 ベトナム』につきるように思う。ポイントは「長期滞在」で,世に氾濫するアジア本にまま見られるバックパッカーの一過性のイベントではなく,さりとてアキオがその土地にすっかりなじむわけでもない,そのあたりのバランスがなんともいえない。二種類のチョコレートが練っても練っても1つにはならない,そんな感じだ。

 さて,本作は『レディ・プラスティック』以来の長編だが,舞台は「楽園」と呼ばれる地・ガディスランギ。
 過去の作品で何度も登場したインドネシアやバリの気配が濃厚ではあるが,川べりの街のようであり,深い森の奥のようでもあり,あくまでそれは架空の土地。そのガディスランギを訪れた旅行者タロー(24,日本人),ハキーム(年齢国籍不詳),そこで知り合ったミホたちが濃密な事件に巻き込まれていく。
 人を喰らう神獣(ヴィダダリ),月天女(デウィラティ)の神事,神々の御霊,血の男(ラキダラァ),そして神殺し(ブヌゥデワ)。
 まぁ,こういったオカルトファンタジーについてあらすじを云々するのは野暮というものだろう。

 1ついえるのは,『ガディスランギ』はアジアを舞台とした貴種流離譚,霊的な資質と守護をもつ主人公が自らの出目を知らず……つまりは要するにハリー・ポッターだということだ。
 ただし,ハリー・ポッターが「魔法使い」であるのに対し,本作ではまことにアジア的な(「くるくる」でもかつて取り上げた)○○,さらにハリー・ポッターが世界的ベストセラーであるのに対し,深谷陽の作品発表の場は「モーニング」,「オールマン」,「ミスターマガジン」,「コミックビーム」,「MANGAエロティクスF」等々とマイナー化する一方で,『ガディスランギ』が連載された「リイドコミック爆」(「リイドコミック」のリニューアル誌)にいたっては2001年3月の発刊から10冊めの12月号で見事休刊となってしまった。
 追いかけるのもたいへんである。

先頭 表紙

御意。最近は(あの水着グラビアとえっちマンガで電車の中では開きにくい)ヤングアニマルに短いエッセイを連載したりしているようです。なんだか,一種,枯れた感じとでも言いますか。 / 烏丸 ( 2002-03-12 01:31 )
確かにハートフルの連呼でしたなあ。丹頂鶴とイタチ親分にのみ、かつてのエンドウの面影があって嬉しかったくらいで。 / ぽた ( 2002-03-11 18:32 )
『スマリの森』,5日の朝にはゲットいたしました。しかし、いい加減「ハートフル」「ハートフル」の連呼はやめてほしい。「癒し系」同様、あまり連呼されるとむくむくと黒い気持ちが湧きあがってきてしまいます。 / 烏丸 ( 2002-03-06 23:40 )
なに!遠藤の新刊が!それは見逃せませんな。 / ぽた ( 2002-03-05 12:13 )
おや,そうですか。もう品切れ。では,入手の際にお邪魔にならない程度にさらさらとひとつ紹介をば……。 / 烏丸 ( 2002-03-04 03:15 )
『サカタ荘221号室』は、amazonでゲットしようとしたら品切れ中でした。近所の本屋にもないしー。5日には遠藤淑子さんの新刊が出ますね。 / けろりん ( 2002-03-04 00:18 )
だうもー,けろりん様,お久しゅう。最近,なにかヒットはございますか。高野文子『黄色い本』はもうご覧になりましたよね。あ,あと,『サカタ荘221号室』とか。 / 烏丸 ( 2002-03-03 01:16 )
↓という関係か、竹書房の4コマ雑誌にもたまにショートコミック描いてますよ。 / けろりん ( 2002-03-02 23:34 )
お久しぶりです。最近、深谷陽が深谷かほるの実弟だと知りました。(遅すぎ?)兄弟でマンガ家って多いですね。 / けろりん ( 2002-03-02 23:32 )
いらっしゃいませ、クマさま。クマさまご推奨の本もご紹介いただければ幸いです。……はっきり言って、本やマンガについて、外からの刺激に飢えているんですよ。 / 烏丸 ( 2002-03-02 16:38 )
はじめまして、なんか面白そうな本達がいっぱいじゃー! ヾ(@⌒▽⌒@)ノワーイ! / クマ ( 2002-03-02 12:29 )

2002-02-25 『かめくん』 北野勇作 / 徳間デュアル文庫


【エスプレッソを飲んでから,ミワコさんはかめくんの甲羅にいろんな色の電極やプローブやスキャナを取り付ける。】

 かめくんは模造亀(レプリカメ)である。
 かめくんは会社が吸収合併されたために退職することになり,それまで住んでいた独身寮にもいられなくなった。それでもキノネ主任のおかげでクラゲ荘という新しい住まいを見つけ,フォークリフトを操作する新しい仕事に就くことができた。
 かめくんは仕事の合間には図書館に寄り,駅前の商店街でパンの耳を買い,土手を散歩しながらそれを食べる。かめくんはりんごが好物だし,スルメやおかきも好きだ。

 しかし,帯に書かれていた「脱力&極楽小説」だとか「ぼくもこれで癒されました」だとかは違うんじゃないか。もっといえば,NHK教育「むしまるQ」のカメさーん!や以前モーニングに連載されていたながいさわこ『かめ!』を思わせるようなこの表紙イラスト,そしてこのタイトルロゴは勘違いを招きゃしないか。
 実際,1年ほど前に発売されたときに各書店で平積みになっていたのを一度ならず手にしながら,今回「くるくる」でも何度か登場しているテクニカルライター・駒沢丈治氏にお奨めいただくまで読む気になれなかったのは,「いかにも当世ふう《ほのぼの》志向の本」に見えたせいだ。
(本文に挿入されたカットは悪くないのだが……)

 いや,もちろん,かめくんの視点から語られる世界はあくまで淡々と静かで,そこに描かれる近未来の大阪の街や人々はどこか懐かしい。
 レプリカメは木星戦争に投入するために開発されたカメ型ヒューマノイドなのだが,その戦争は常にプリズムをかませてしか描かれない。

 だが,ここに描かれているのは,一見ほのぼのした手触りにもかかわらず,実のところかなり寂寥として,不安のたちこめた,もっとはっきり言えば絶望に甲羅をはばまれた世界だ。

 かめくんの世界と人間の世界は,親しく近しく見えつつもまったくのところ断絶しており,さらにはかめくんがかめくん自身からも断絶していることが徐々に明らかになる。
 本書は果てしなく加速するかめくんの別れの物語でもあるのだ。

先頭 表紙

異星で働くレプリカメ,擬似イベント戦争,サイバーパンクな世界観など,本書は意外なほど正当派のSFとしての骨子をもっています。SFはここまできた,というべきなのか,ここまでしかこられていない,というべきなのか,難しいところです。 / 烏丸 ( 2002-02-25 00:12 )

2002-02-21 『だめんず・うぉ〜か〜』 倉田真由美 / 扶桑社


【いい男にもてあそばれるほうが ブサイクと真剣につき合うより100倍ましでしょーが】

 しかし。
 ダメ監督の面々をもう一度よく見ていただきたい。
 金田正一や吉田義男はチームをリーグ優勝どころか日本一に導いている。この本が書かれた当時はまだ現役だった野村克也は,おそらくこの阪神での3年間と夫人をネタに今後永くダメ監督の一人として数えられるだろうが,彼が南海,ヤクルトでチームを何度も優勝まで引き上げたのは周知の事実である。いや,少なくとも阪神に移るまでの数年間は,名将中の名将として讃えられていたのは間違いないことなのだ。

 結局のところ,ダメかダメでないかなどは相対的な問題にすぎない。
 そもそもプロ野球チームの監督に招かれた段階で,その人生は十分に評価されたものであり,逆に,いかな名将も,引退時はたいてい優勝を逃したダメ監督として辞めていくものだ。
 たとえば,阪急,近鉄というパ・リーグの「お荷物」級の弱小チームを何度も優勝させた西本幸雄。彼は,何度も日本シリーズまで進みながら,微妙な采配ミスがたたってどうしても日本一になれず,そこに至る間にも選手に総スカンを食らったり,オーナーとケンカしたり,といった逸話を多々残している。だからといって彼を,ダメ監督と呼べるだろうか。まさか。

 ……とかいう相対的な問題とはまったく別に,どうもこの世には,かなりダメな男がいる。
 単にダメなのではなく,ダメダメ〜だったり,ダメダメダメ!だったりするようだ。

 たとえば,カラオケパブで知り合って,初めて外で会っていきなり「金貸してくんない」,1回については1万,2万でも累計が50万円くらいになって借用書を書いてと頼むと「信用貸しでおねがい,オレってモテるから金かかるんだ」,100万円になってそろそろ返してほしいというとぶん殴って,突き飛ばして,「お前の親をムチャクチャにしてやるぞコラ」……。

 それでもなおかつ,そんなダメ男に,それも連発で引っかかる女がいる。引っかかったら最後,自分からはどうしても別れられない女がいる。
 そんなダメ男に繰り返し惹かれる女を「だめんず・うぉ〜か〜」というくくりで描いたのが本書である。本書であるなどといっても,1回数ページのぱらぱらのぽちぽちで。連載は週刊SPA!だし。男と女のことを分類するだけ分類して指さして,それ以上でもそれ以下でもないあたり,すごくSPA!らしいし。

 ただ,読み返すほどには盛り上がらないのは,どうもこのダメ男のパターンが「女に金を出させる身勝手フリーター」タイプか「高級取りでもてて身勝手」タイプ,「ドラッグでらりぱっぱ」タイプなど,せいぜい数パターンしかないためではないか。
 さらにいえば,ダメ男にほれる女の側はさらにバラエティがなく,作者くらたま当人と美人に描かれた麻雀プロ渡辺ヨーコを除いてほとんどキャラに描き分けはない。大半がそういうダメ男につくすことに充足を感じるらしいというだけで,流行りの「共依存症」といえば何かわかったような気がするし,「破鍋(われなべ)に綴蓋(とじぶた)」といえばそれなりにそれらしい。

 結局,「だめんず」という切り口に「ストーカー」ほど妙味が感じられないのは,異常さ,ヤマイダレの気配が希薄なせいかかもしれない。他人の恋愛など,多少あぶの〜まるな味付けがなければ面白い見ものではないのだ。

先頭 表紙

本書は発表の場の温度と企画がうまくミックスした,そんな感じがします。ただ,そもそもダメ男といえば,演歌,歌謡曲,邦画のメインストリームだったような。 / 烏丸 ( 2002-02-22 01:07 )
これ読んで、学んどけ(涙)。か・・・。 / あやや ( 2002-02-21 10:22 )

2002-02-16 『プロ野球殿堂 ダメ監督列伝 怒涛編』 テリー伊藤 / メディアワークス


【子供が学校でいじめられるから,やめて】

 存亡の危機を迎えた日本プロ野球界。
 長嶋監督が引退し,野茂,佐々木,イチローらが大リーグに流れ,これを活性化するには,もはやかつてのように名選手,名監督の名前を列挙するだけでは何も始まらない。

 そこで,現役時代にまばゆいばかりの実績を残しながら,監督になったとたんに汚名を背負って消えていったダメ監督たちに着目するという,本書の着眼点は面白い。
 大相撲を語るのに,貴乃花,千代の富士,北の湖,大鵬,柏戸ら名横綱ではなく,たとえば安芸乃島,琴錦,栃乃和歌,琴ヶ梅,逆鉾,栃赤城,玉ノ富士,荒勢,長谷川ら,大関になれそうでなれなかった力士を語るようなものである。そこには勝負について,人間について,単にたくさん勝った者とはまた違う何かがくっきりと描かれるに違いない。

 本書では,そのダメ監督として,前作『お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝』でピックアップされた金田正一,鈴木啓示,田淵幸一,中村勝広,関根潤三,有藤道世らに加え,大沢啓二,藤田平,吉田義男,佐々木恭介,石毛宏典,高田繁,達川晃豊,近藤昭仁,ボビー・バレンタインが取り上げられている。

 しかし,テリー伊藤はしょせんプロ野球の一ファンにすぎない。
 そのため,ここで扱われている話題の大半は,デイリーで新聞やスポーツニュースに目を通していればわかるようなことばかりだ。また,エンターテイメントな側面,要するにテレビ的な盛り上げに着目するあまり,ダメ監督,すなわち名脇役たちの魅力が,ダメでない,すなわちその年の優勝監督と対峙して初めて意味があることがついつい忘れられてしまうのも問題だ。
 近年,プロ野球が面白くないとされる最大の原因は,その,ダメでないほう,つまりたくさん勝ち,より速く投げ,よりたくさん打つ,そちらの側が魅力として手応えを感じさせないことにあるのだから。
 1冊の本としてみれば,たとえばプロ野球記録の鬼,宇佐美徹也氏と組み合わせ,ダメ監督として列挙された監督個々の手腕を見るなど,改善の手はいくつかあるだろう。しかし結局のところ,それは本としての出来の話にすぎない。

 ところで,カラスは実のところ,プロ野球はもうつぶれても,あるいは卓球やハンドボールと変わらぬ,それを愛好するプレイヤーとウォッチャーによって成り立つ一スポーツとみなされても別によいではないか,と最近考えるようになった。

 思うに,プロ野球の魅力は,空き地の三角ベースの楽しみの上に立脚するものであった。日本中の空き地で,投げ,打ち,走る,そのきらめくような時間のエネルギーが,選ばれた高校球児に,選ばれたプロ野球選手に,そしてさらに選ばれた名選手の中にフォーカスされていく……。
 だが,今,あらゆる空き地は閉ざされ,子供たちはほかの楽しみに三々五々散ってしまった。
 ナショナリズムの流し込み先として,第二,第三の野茂,イチローは登場するかもしれない。しかし,上流を潤す豊かな雨雲を失ったプロ野球が枯渇し,先細っていくのはしかたない。

 あとは,もう,演出などいらない。白球に任せればよい。

先頭 表紙

2002-02-12 『牌がささやく 麻雀小説傑作選』 結城信孝編 / 徳間文庫


【失牌は成功のもと】

 北池袋場末のその雀荘は,場代が安いのは魅力なのだが,貧乏学生の我々がたむろする4階はともかく,遮光カーテンで窓を塞いだ3階はどうやら少々訳ありな方々の社交場らしく,24時間営業にもかかわらず,深夜になると1階からの出入りが許されないどころか,外から電話しても誰も電話に出てくれないのだ。
 駅ビルのバイトで知り合った我々はその雀荘で,それはもう打ちに打った。出入りを許される朝まで打って,R大の学食に紛れ込んで安いメシを食い,そのままそろってバイトにでかけ,稼いだ日銭をまた夜になると賭けるのだった。

 当時の,あの情熱は何だったのだろう。
 神保町に「近代麻雀」のバックナンバーを探し歩き,著名プロの牌譜を読み漁る者(四筒はもちろん,筒子の上のほうをばらばら撒いた阿佐田哲也のペン七筒リーチは今でも鮮烈に思い出される),炬燵に4人分の牌を並べ,1人でそれを周りながら研究にいそしむ者,一発,裏ドラといったツキを拒否して競技ルールでなければ参加しないと口を尖らす者,麻雀禁止の四畳半に住んでいながら,カキヌマの全自動卓を購入するのに貯金があといくらと昼メシを抜く者。
 そのくせ,どいつもこいつも情けないほど弱かった。ありがちである。

 麻雀の本はずいぶん捨てたつもりだったが,それでも棚には五味康祐『雨の日の二筒』,畑正憲『ムツゴロウ麻雀記』,吉行淳之介『麻雀好日』,佐野洋『麻雀事件簿』,田村光昭『麻雀ブルース』,井出洋介『恐怖の東大麻雀』など懐かしい本が並ぶ。もちろん,阿佐田哲也は別格で,『Aクラス麻雀』1巻,『麻雀放浪記』全4巻は,麻雀という枠を超えて我が青春のほろ苦いウィルヘルム・マイステルである。

 1970年代後半の「近代麻雀」ブームのあと,麻雀人気そのものは急速に失速していく。
 現在所属する会社がもともと市井のギャンブルにあまり興味を抱かない面子が多いこともあって(なにしろ部署の存続自体が毎日ギャンブルみたいな会社だけに),世間一般のことはよくわからない。それでも80年代,90年代と,どうにもオシャレとは言いがたい麻雀が,少しずつ市民権を失い,主婦やOLを巻き込んで隆盛を極めたパチンコや競馬に追いやられ,影が薄くなっていったようには感じたものだ。かつてオフィス街の要所要所には地階や2階を示す雀荘の看板があったものだが,最近あまり目にした記憶がないのは,カラスの無関心からばかりではあるまい。

 80年代になって能條純一『哭きの竜』がちょっとした人気を呼ぶが,極道の世界をシリアスに描いたように見えたこの作品も,実のところ,片山まさゆき『ぎゅわんぶらあ自己中心派』同様,眉間に皺寄せた麻雀漫画の一大パロディだったように思えてならない(とはいえ『哭きの竜』は今読み返してもやはり傑作である。とくに,意外や竜がよく喋る第1巻から,石川喬との決戦を描いた3巻までは,麻雀メディア史に残る名場面,名台詞の連続だ。あんた,背中がすすけてるぜ)。
 実際に麻雀人口が激減している以上,麻雀小説やマンガの元気が失われていくのもまた当然のことだろう。

 ところが,このところ,妙に麻雀本が元気だ。
 一時は品切れ,そのまま絶版かと思われた角川文庫の阿佐田本が平積みになり,ときどきは新刊が現れたりもしている気配だ。どうも,少年マガジン連載の星野泰視/さいふうめい『哲也 雀聖と呼ばれた男』の人気によるように思われるのだが,どうだろう。『哲也』はいうまでもなく若かりし阿佐田哲也の活躍を描いた……などと思って手にすると,阿佐田ファンが七筒を投げつけそうな,それはもう無茶苦茶なストーリーなのだが,細かいことに目をつむれば,実に楽しい,血湧き肉躍るバトルマンガとなっている。連載開始当時の坊主頭の哲也はなんだかなぁ,な印章であったが,そのうち無造作に髪をたらした寡黙な「黒シャツ」姿となって,阿佐田哲也とも誰とも違う,なんともいえない味のあるいいキャラに仕上がった。これこそマンガの魅力だろう。

 結城信孝編『牌がささやく 麻雀小説傑作選』は,そんな微かな麻雀景気の浮上気配の中に登場したアンソロジーで,収録作品は以下の通り。

  阿佐田哲也「新春麻雀会」
  清水義範「三人の雀鬼」
  五味康祐「雨の日の二筒」
  大沢在昌「カモ」
  山田風太郎「摸牌試合」
  横田順彌「麻雀西遊記」
  三好徹「雀鬼」
  黒川博行「東風吹かば」
  生島治郎「他力念願」
  清水一行「九連宝燈」

 いくつかは麻雀そのものを描こうとし,いくつかは麻雀(ギャンブル)を小道具に人生の機微を描こうとしたもの。いずれも黒い,ビターな味わいに充ちた好編ばかりといえるだろう。ポン,チーとは,程度の知識を持ち合わせている方で,これまで麻雀小説なるものに触れたことのない方には,ぜひ一読をお奨めしたい。世の中には,こういった味わいの小説もあるのである。

 ただ,ここに取り上げられた作家の多くはすでに故人か,そうでなくとも「境地」という面ではすでに盛りをすぎた作家であり,つまりはその麻雀小説というジャンルそのものが過去の遺物であることもまた否定できない。

 たとえば清水一行「九連宝燈」では,製造会社で係長への出世を争う若い社員が,九連宝燈を振り込んだ者と上がった者とで運命を分かっていく。それだけならまだしも,九連宝燈の話題をきっかけに次期社長とも噂される常務と卓が囲め,それが出世の足がかりとされる,とか,イカサマを見られたと思われる同僚の女性社員の口をふさぐために電灯の下で彼女を犯し,「わたしはどうなるの」と嗚咽する彼女に「君さえよければ結婚してくれ」と言ってみたり。……なんというか,神代の世界である。それとも,この国のサラリーマン社会には,今もこんな雅な風俗習慣が残されているのだろうか。
 また,比較的新しめの横田順彌,清水義範の2人が,かたやハチャハチャ,かたやパスティーシュと,呼称こそ違え,要はパロディの名手とされていることが少々気にかかる。要するに,麻雀小説は,先に『哭きの竜』や『ぎゅわんぶらあ自己中心派』について述べたように,もはやパロディとしておちょくられる対象としてしか生き残っていないのではないかということだ。
 麻雀小説が過去の伝統芸の再生産に終わるのか,それとも『哭きの竜』や『哲也』に触発された若い世代からなにか新しい切り口が登場するのか,そのあたり,このアンソロジーだけでは読み切れない。

 ちなみに麻雀をこの国で初めて活字で紹介したのは夏目漱石だし,アガサ・クリスティのあの『アクロイド殺人事件』で登場人物たちが打ち嵩じていたのが麻雀というのもまた事実だ。麻雀は,文学の歴史において,決してキワモノではない。
 というわけで,新しい時代の新しい麻雀小説を,ショウ子も待っているのである。ふわっ(わかる人だけ,わかってください)。

先頭 表紙

漱石が麻雀らしき遊戯を「博奕の道具は頗る雅なものであった」と記したのは,明治42年の東京朝日新聞紙上の紀行文『満韓ところゞ』において。同年は,日本に麻雀牌が持ち込まれた年でもあるそうです。 / 烏丸 ( 2002-02-16 10:40 )
いやいや,だらしがなかっただけです。学費を親に依存した以上,間違っても「無頼」を口にしてはなりますまい。もっとも当節は三十路を越えても生活や仕事の面で親に依存したままの者も少なくなく,そんなのに限って口だけ達者だったり。 / 烏丸 ( 2002-02-16 10:32 )
カラス様は無頼な青春時代を送られたのですね。漱石の麻雀モノとはもしや「吾輩は猫である」とか? / 「アクロイド」しかわからない人 ( 2002-02-16 07:24 )

2002-02-07 ジョン・レノン『ヌートピア宣言』などについての断章


 音楽の好みなんて人それぞれで,そもそも当人にだって説明つきゃしない。

 ジャーニーが嫌いでトトがつまらなくてELOがかったるくて,そのくせなんでボストンが好きなんだ俺は。ピーガブ時代はもちろん,フィル・コリンズになってからもお気に入りだったジェネシスが,『デューク』『アバカブ』以降,まるで3日間テーブルにさらしたままのカステラみたいな味になってしまうのはいったいどういうわけだ。

 世間の評価もどこかそういうところがあって,同じ大物ミュージシャンで,同じように人気を博したはずのアルバムが,今となってはまるで歴史から埋もれてしまった,そんなこともある。

 たとえば,デヴィッド・ボウイの『ステイション・トゥ・ステイション』。
 次の作品があの傑作『ロウ』だったアオリをくらったのか,当人からも「なかったこと」みたいな扱いを受け,CD化に時間のかかったボウイ作品の中でも発売されたのはずいぶんと後回しだったように記憶している。まぁ,グラムの帝王がディスコに走ったとか,アメリカにひよったとか言われた前作『ヤング・アメリカン』とこの『ステイション・トゥ・ステイション』,忘れたい気持ちもわからないでもない。ゲルマン人がこさえたゴジラのサントラみたいな『ロウ』に比べれば確かに上滑りした感は否めないし。それでもたとえば「野生の息吹き」など,なかなか捨てがたいと思うのだが……。

 ジョン・レノンでいえば,『ヌートピア宣言』。
 あの『イマジン』の次のアルバムが,20年後の今これだけ忘れられ,見捨てられるとは。
 そりゃ確かに,冒頭の「マインド・ゲームス」にせよ,6秒間の無音にすぎない「ヌートピアン・インタナショナル・アンセム(ヌートピア国際賛歌)」にせよ,ご大層なタイトルのわりに思いの高みは「イマジン」や「ハウ」「神」に遠く及ばない。『ジョンの魂』当時の野太い丸太がごんごん激流を下るような率直さパワーもなく,「ワン・デイ」は「ラヴ」や「オー・マイ・ラヴ」の透過性に欠け,ヨーコを歌った「あいすません」は「母(マザー)」や「母の死」のようにソリッドな個人の経験に裏打ちされた切実さを感じさせず……うーむ,こうして1曲1曲を比較してみると,そりゃ確かに『ジョンの魂』や『イマジン』より評価が劣るのはやむを得ないという気もしないでもない。だが,それにしてもこれほど軽んじられるほどのことはないのではないか。
 説得力がイマイチなぶん,1つ1つの曲相はポップで,馴染みやすい。大傑作とは言いがたくとも,心地よい佳曲が並んでいるとでもいおうか。「アウト・ザ・ブルー」は少しゆがんだラブソングとしてときどき口をついて出るし,「ミート・シティ」はジョン・レノン,いやビートルズのメンバーとしては珍しいほどのバリバリしたハードロックだ。
 というわけで,『ヌートピア宣言』は,レッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』である,とか言ってみたいわけだが,どうか。どうかって言われても困るだろうけど。

 ほかにも,たとえばミッシェル・ポルナレフ『星空のステージ』。
 「愛の伝説」をフューチャーした『ポルナレフ革命』を最後の花火として,なんとなくフレンチポップスブームが完結してしまい,当人も巻き返しのつもりかどうかアメリカに移ってごそごそやってた時期のアルバムで,「青春の傷あと」がシングルとしてはそこそこヒットしたものの(馬場のスカイコンパのジュークに入っていたなあ),もはや「ラース家の舞踏会」「愛のコレクション」「ロミオとジュリエットのように」などに象徴される「あの」おフランチ,大袈裟,華麗・美麗なポルナレフのイメージはここにはない。でも,今聞いてもそれなりに耳を楽しませてくれるのはさすがだ。「青春の傷あと」は今聞くとこれはもう演歌としかいいようがないのだが,「失われたロマンス」「愛の旅人」「雨の日のラヴソング」などのメロディは,地味ながら噛めば噛むほど味が出る。いや,実際,1曲1曲,タイニーながらなかなかよく出来ているのだ。
 大ヒットとはいえなかったこのアルバムにしてこのメロディメイク。逆にポルナレフの天才を見るような気がしないでもない。

 10ccでは,後期の『ミステリー・ホテル』だ。
 当時の『ルック!ヒア!!』,『都市探検』,『ミステリー・ホテル』,発表順もよく思い出せないこれらの作品群はファンからの評価も低く,いずれも今では国内はもちろん海外のCD通販サイトですら入手できない。ゴドレイ&クレイムがいた初期の知的でビターなアルバム(個人的には2作めの『シート・ミュージック』が一番お気に入りだ),後期のエリック・スチュワート&グラハム・グールドマンによるちょっとシニカルだけどメロディそのものは伸びやかなラヴソングス,そういった彼らの魅力がどんどん失われ,才能が涸れに涸れた時代の作品,ということになっているのだが,どういうわけか『ミステリー・ホテル』だけは妙に心に馴染む。最後の「サバイバー」なんて,10cc全曲の中でもベスト5には入れたいお気に入りだ。10ccというお祭りそのものの終焉を歌うような,というとご大層に過ぎるか。
 10ccが男性のアレの1回分を指すというのは当時ロック雑誌などで繰り返し語られたことだが,その10ccの最後のひと絞り,というかね。

先頭 表紙

「哀愁のヨーロッパ・バイソンやねん」「ピーター・プランクトン」なども,タイトルからして素敵。「カブト虫は840円」はなぜかといえば,消費税がつくからだそうです。 / 烏丸 ( 2002-02-16 21:09 )
知りませんでした(笑)。「むしまるQ」ですね、今度見てみます。 / ガス欠コイン ( 2002-02-16 11:52 )
NHK教育の「むしまるQ」の挿入曲が,いろいろなロックの名曲のパクリなのをご存知でしょうか。「サーモンUSA」とか,「じみへん」とか。その中で鈴木トオルが豚の父と息子を歌い上げた名曲が「ボス豚」。こりゃー,泣けます。 / 烏丸 ( 2002-02-09 00:54 )
確かに『ヌートピア宣言』は、エアポケットに入ってしまったようですね。「マインド・ゲームス」は個人的には好きなのですが。まあ、でも、あの頃のジョンは、改めて模索する日々が続いていたのではないでしょうか。僕もジャーニーは凄い高音だなと思いましたが、それだけで、ボストンは好きでしたよ。 / ガス欠コイン ( 2002-02-08 01:39 )

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