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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-02-21 『だめんず・うぉ〜か〜』 倉田真由美 / 扶桑社
2002-02-16 『プロ野球殿堂 ダメ監督列伝 怒涛編』 テリー伊藤 / メディアワークス
2002-02-12 『牌がささやく 麻雀小説傑作選』 結城信孝編 / 徳間文庫
2002-02-07 ジョン・レノン『ヌートピア宣言』などについての断章
2002-02-03 ニュー・オーダーについての断章
2002-01-29 スザンヌ・ヴェガについての断章
2002-01-27 『目をみはる 伊藤若冲の『動植綵絵』』 狩野博幸 / 小学館アートセレクション
2002-01-24 ここで会ったが百円め,百も承知の 『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』 吉岡道夫 / ダイソー・ミステリー・シリーズ2
2002-01-20 十代の夢のフローチャート 『キスまでの距離 おいしいコーヒーのいれ方I』 村山由佳 / 集英社文庫
2002-01-13 [歳時記] お年玉付き郵便はがき・切手 当選番号


2002-02-21 『だめんず・うぉ〜か〜』 倉田真由美 / 扶桑社


【いい男にもてあそばれるほうが ブサイクと真剣につき合うより100倍ましでしょーが】

 しかし。
 ダメ監督の面々をもう一度よく見ていただきたい。
 金田正一や吉田義男はチームをリーグ優勝どころか日本一に導いている。この本が書かれた当時はまだ現役だった野村克也は,おそらくこの阪神での3年間と夫人をネタに今後永くダメ監督の一人として数えられるだろうが,彼が南海,ヤクルトでチームを何度も優勝まで引き上げたのは周知の事実である。いや,少なくとも阪神に移るまでの数年間は,名将中の名将として讃えられていたのは間違いないことなのだ。

 結局のところ,ダメかダメでないかなどは相対的な問題にすぎない。
 そもそもプロ野球チームの監督に招かれた段階で,その人生は十分に評価されたものであり,逆に,いかな名将も,引退時はたいてい優勝を逃したダメ監督として辞めていくものだ。
 たとえば,阪急,近鉄というパ・リーグの「お荷物」級の弱小チームを何度も優勝させた西本幸雄。彼は,何度も日本シリーズまで進みながら,微妙な采配ミスがたたってどうしても日本一になれず,そこに至る間にも選手に総スカンを食らったり,オーナーとケンカしたり,といった逸話を多々残している。だからといって彼を,ダメ監督と呼べるだろうか。まさか。

 ……とかいう相対的な問題とはまったく別に,どうもこの世には,かなりダメな男がいる。
 単にダメなのではなく,ダメダメ〜だったり,ダメダメダメ!だったりするようだ。

 たとえば,カラオケパブで知り合って,初めて外で会っていきなり「金貸してくんない」,1回については1万,2万でも累計が50万円くらいになって借用書を書いてと頼むと「信用貸しでおねがい,オレってモテるから金かかるんだ」,100万円になってそろそろ返してほしいというとぶん殴って,突き飛ばして,「お前の親をムチャクチャにしてやるぞコラ」……。

 それでもなおかつ,そんなダメ男に,それも連発で引っかかる女がいる。引っかかったら最後,自分からはどうしても別れられない女がいる。
 そんなダメ男に繰り返し惹かれる女を「だめんず・うぉ〜か〜」というくくりで描いたのが本書である。本書であるなどといっても,1回数ページのぱらぱらのぽちぽちで。連載は週刊SPA!だし。男と女のことを分類するだけ分類して指さして,それ以上でもそれ以下でもないあたり,すごくSPA!らしいし。

 ただ,読み返すほどには盛り上がらないのは,どうもこのダメ男のパターンが「女に金を出させる身勝手フリーター」タイプか「高級取りでもてて身勝手」タイプ,「ドラッグでらりぱっぱ」タイプなど,せいぜい数パターンしかないためではないか。
 さらにいえば,ダメ男にほれる女の側はさらにバラエティがなく,作者くらたま当人と美人に描かれた麻雀プロ渡辺ヨーコを除いてほとんどキャラに描き分けはない。大半がそういうダメ男につくすことに充足を感じるらしいというだけで,流行りの「共依存症」といえば何かわかったような気がするし,「破鍋(われなべ)に綴蓋(とじぶた)」といえばそれなりにそれらしい。

 結局,「だめんず」という切り口に「ストーカー」ほど妙味が感じられないのは,異常さ,ヤマイダレの気配が希薄なせいかかもしれない。他人の恋愛など,多少あぶの〜まるな味付けがなければ面白い見ものではないのだ。

先頭 表紙

本書は発表の場の温度と企画がうまくミックスした,そんな感じがします。ただ,そもそもダメ男といえば,演歌,歌謡曲,邦画のメインストリームだったような。 / 烏丸 ( 2002-02-22 01:07 )
これ読んで、学んどけ(涙)。か・・・。 / あやや ( 2002-02-21 10:22 )

2002-02-16 『プロ野球殿堂 ダメ監督列伝 怒涛編』 テリー伊藤 / メディアワークス


【子供が学校でいじめられるから,やめて】

 存亡の危機を迎えた日本プロ野球界。
 長嶋監督が引退し,野茂,佐々木,イチローらが大リーグに流れ,これを活性化するには,もはやかつてのように名選手,名監督の名前を列挙するだけでは何も始まらない。

 そこで,現役時代にまばゆいばかりの実績を残しながら,監督になったとたんに汚名を背負って消えていったダメ監督たちに着目するという,本書の着眼点は面白い。
 大相撲を語るのに,貴乃花,千代の富士,北の湖,大鵬,柏戸ら名横綱ではなく,たとえば安芸乃島,琴錦,栃乃和歌,琴ヶ梅,逆鉾,栃赤城,玉ノ富士,荒勢,長谷川ら,大関になれそうでなれなかった力士を語るようなものである。そこには勝負について,人間について,単にたくさん勝った者とはまた違う何かがくっきりと描かれるに違いない。

 本書では,そのダメ監督として,前作『お笑いプロ野球殿堂 ダメ監督列伝』でピックアップされた金田正一,鈴木啓示,田淵幸一,中村勝広,関根潤三,有藤道世らに加え,大沢啓二,藤田平,吉田義男,佐々木恭介,石毛宏典,高田繁,達川晃豊,近藤昭仁,ボビー・バレンタインが取り上げられている。

 しかし,テリー伊藤はしょせんプロ野球の一ファンにすぎない。
 そのため,ここで扱われている話題の大半は,デイリーで新聞やスポーツニュースに目を通していればわかるようなことばかりだ。また,エンターテイメントな側面,要するにテレビ的な盛り上げに着目するあまり,ダメ監督,すなわち名脇役たちの魅力が,ダメでない,すなわちその年の優勝監督と対峙して初めて意味があることがついつい忘れられてしまうのも問題だ。
 近年,プロ野球が面白くないとされる最大の原因は,その,ダメでないほう,つまりたくさん勝ち,より速く投げ,よりたくさん打つ,そちらの側が魅力として手応えを感じさせないことにあるのだから。
 1冊の本としてみれば,たとえばプロ野球記録の鬼,宇佐美徹也氏と組み合わせ,ダメ監督として列挙された監督個々の手腕を見るなど,改善の手はいくつかあるだろう。しかし結局のところ,それは本としての出来の話にすぎない。

 ところで,カラスは実のところ,プロ野球はもうつぶれても,あるいは卓球やハンドボールと変わらぬ,それを愛好するプレイヤーとウォッチャーによって成り立つ一スポーツとみなされても別によいではないか,と最近考えるようになった。

 思うに,プロ野球の魅力は,空き地の三角ベースの楽しみの上に立脚するものであった。日本中の空き地で,投げ,打ち,走る,そのきらめくような時間のエネルギーが,選ばれた高校球児に,選ばれたプロ野球選手に,そしてさらに選ばれた名選手の中にフォーカスされていく……。
 だが,今,あらゆる空き地は閉ざされ,子供たちはほかの楽しみに三々五々散ってしまった。
 ナショナリズムの流し込み先として,第二,第三の野茂,イチローは登場するかもしれない。しかし,上流を潤す豊かな雨雲を失ったプロ野球が枯渇し,先細っていくのはしかたない。

 あとは,もう,演出などいらない。白球に任せればよい。

先頭 表紙

2002-02-12 『牌がささやく 麻雀小説傑作選』 結城信孝編 / 徳間文庫


【失牌は成功のもと】

 北池袋場末のその雀荘は,場代が安いのは魅力なのだが,貧乏学生の我々がたむろする4階はともかく,遮光カーテンで窓を塞いだ3階はどうやら少々訳ありな方々の社交場らしく,24時間営業にもかかわらず,深夜になると1階からの出入りが許されないどころか,外から電話しても誰も電話に出てくれないのだ。
 駅ビルのバイトで知り合った我々はその雀荘で,それはもう打ちに打った。出入りを許される朝まで打って,R大の学食に紛れ込んで安いメシを食い,そのままそろってバイトにでかけ,稼いだ日銭をまた夜になると賭けるのだった。

 当時の,あの情熱は何だったのだろう。
 神保町に「近代麻雀」のバックナンバーを探し歩き,著名プロの牌譜を読み漁る者(四筒はもちろん,筒子の上のほうをばらばら撒いた阿佐田哲也のペン七筒リーチは今でも鮮烈に思い出される),炬燵に4人分の牌を並べ,1人でそれを周りながら研究にいそしむ者,一発,裏ドラといったツキを拒否して競技ルールでなければ参加しないと口を尖らす者,麻雀禁止の四畳半に住んでいながら,カキヌマの全自動卓を購入するのに貯金があといくらと昼メシを抜く者。
 そのくせ,どいつもこいつも情けないほど弱かった。ありがちである。

 麻雀の本はずいぶん捨てたつもりだったが,それでも棚には五味康祐『雨の日の二筒』,畑正憲『ムツゴロウ麻雀記』,吉行淳之介『麻雀好日』,佐野洋『麻雀事件簿』,田村光昭『麻雀ブルース』,井出洋介『恐怖の東大麻雀』など懐かしい本が並ぶ。もちろん,阿佐田哲也は別格で,『Aクラス麻雀』1巻,『麻雀放浪記』全4巻は,麻雀という枠を超えて我が青春のほろ苦いウィルヘルム・マイステルである。

 1970年代後半の「近代麻雀」ブームのあと,麻雀人気そのものは急速に失速していく。
 現在所属する会社がもともと市井のギャンブルにあまり興味を抱かない面子が多いこともあって(なにしろ部署の存続自体が毎日ギャンブルみたいな会社だけに),世間一般のことはよくわからない。それでも80年代,90年代と,どうにもオシャレとは言いがたい麻雀が,少しずつ市民権を失い,主婦やOLを巻き込んで隆盛を極めたパチンコや競馬に追いやられ,影が薄くなっていったようには感じたものだ。かつてオフィス街の要所要所には地階や2階を示す雀荘の看板があったものだが,最近あまり目にした記憶がないのは,カラスの無関心からばかりではあるまい。

 80年代になって能條純一『哭きの竜』がちょっとした人気を呼ぶが,極道の世界をシリアスに描いたように見えたこの作品も,実のところ,片山まさゆき『ぎゅわんぶらあ自己中心派』同様,眉間に皺寄せた麻雀漫画の一大パロディだったように思えてならない(とはいえ『哭きの竜』は今読み返してもやはり傑作である。とくに,意外や竜がよく喋る第1巻から,石川喬との決戦を描いた3巻までは,麻雀メディア史に残る名場面,名台詞の連続だ。あんた,背中がすすけてるぜ)。
 実際に麻雀人口が激減している以上,麻雀小説やマンガの元気が失われていくのもまた当然のことだろう。

 ところが,このところ,妙に麻雀本が元気だ。
 一時は品切れ,そのまま絶版かと思われた角川文庫の阿佐田本が平積みになり,ときどきは新刊が現れたりもしている気配だ。どうも,少年マガジン連載の星野泰視/さいふうめい『哲也 雀聖と呼ばれた男』の人気によるように思われるのだが,どうだろう。『哲也』はいうまでもなく若かりし阿佐田哲也の活躍を描いた……などと思って手にすると,阿佐田ファンが七筒を投げつけそうな,それはもう無茶苦茶なストーリーなのだが,細かいことに目をつむれば,実に楽しい,血湧き肉躍るバトルマンガとなっている。連載開始当時の坊主頭の哲也はなんだかなぁ,な印章であったが,そのうち無造作に髪をたらした寡黙な「黒シャツ」姿となって,阿佐田哲也とも誰とも違う,なんともいえない味のあるいいキャラに仕上がった。これこそマンガの魅力だろう。

 結城信孝編『牌がささやく 麻雀小説傑作選』は,そんな微かな麻雀景気の浮上気配の中に登場したアンソロジーで,収録作品は以下の通り。

  阿佐田哲也「新春麻雀会」
  清水義範「三人の雀鬼」
  五味康祐「雨の日の二筒」
  大沢在昌「カモ」
  山田風太郎「摸牌試合」
  横田順彌「麻雀西遊記」
  三好徹「雀鬼」
  黒川博行「東風吹かば」
  生島治郎「他力念願」
  清水一行「九連宝燈」

 いくつかは麻雀そのものを描こうとし,いくつかは麻雀(ギャンブル)を小道具に人生の機微を描こうとしたもの。いずれも黒い,ビターな味わいに充ちた好編ばかりといえるだろう。ポン,チーとは,程度の知識を持ち合わせている方で,これまで麻雀小説なるものに触れたことのない方には,ぜひ一読をお奨めしたい。世の中には,こういった味わいの小説もあるのである。

 ただ,ここに取り上げられた作家の多くはすでに故人か,そうでなくとも「境地」という面ではすでに盛りをすぎた作家であり,つまりはその麻雀小説というジャンルそのものが過去の遺物であることもまた否定できない。

 たとえば清水一行「九連宝燈」では,製造会社で係長への出世を争う若い社員が,九連宝燈を振り込んだ者と上がった者とで運命を分かっていく。それだけならまだしも,九連宝燈の話題をきっかけに次期社長とも噂される常務と卓が囲め,それが出世の足がかりとされる,とか,イカサマを見られたと思われる同僚の女性社員の口をふさぐために電灯の下で彼女を犯し,「わたしはどうなるの」と嗚咽する彼女に「君さえよければ結婚してくれ」と言ってみたり。……なんというか,神代の世界である。それとも,この国のサラリーマン社会には,今もこんな雅な風俗習慣が残されているのだろうか。
 また,比較的新しめの横田順彌,清水義範の2人が,かたやハチャハチャ,かたやパスティーシュと,呼称こそ違え,要はパロディの名手とされていることが少々気にかかる。要するに,麻雀小説は,先に『哭きの竜』や『ぎゅわんぶらあ自己中心派』について述べたように,もはやパロディとしておちょくられる対象としてしか生き残っていないのではないかということだ。
 麻雀小説が過去の伝統芸の再生産に終わるのか,それとも『哭きの竜』や『哲也』に触発された若い世代からなにか新しい切り口が登場するのか,そのあたり,このアンソロジーだけでは読み切れない。

 ちなみに麻雀をこの国で初めて活字で紹介したのは夏目漱石だし,アガサ・クリスティのあの『アクロイド殺人事件』で登場人物たちが打ち嵩じていたのが麻雀というのもまた事実だ。麻雀は,文学の歴史において,決してキワモノではない。
 というわけで,新しい時代の新しい麻雀小説を,ショウ子も待っているのである。ふわっ(わかる人だけ,わかってください)。

先頭 表紙

漱石が麻雀らしき遊戯を「博奕の道具は頗る雅なものであった」と記したのは,明治42年の東京朝日新聞紙上の紀行文『満韓ところゞ』において。同年は,日本に麻雀牌が持ち込まれた年でもあるそうです。 / 烏丸 ( 2002-02-16 10:40 )
いやいや,だらしがなかっただけです。学費を親に依存した以上,間違っても「無頼」を口にしてはなりますまい。もっとも当節は三十路を越えても生活や仕事の面で親に依存したままの者も少なくなく,そんなのに限って口だけ達者だったり。 / 烏丸 ( 2002-02-16 10:32 )
カラス様は無頼な青春時代を送られたのですね。漱石の麻雀モノとはもしや「吾輩は猫である」とか? / 「アクロイド」しかわからない人 ( 2002-02-16 07:24 )

2002-02-07 ジョン・レノン『ヌートピア宣言』などについての断章


 音楽の好みなんて人それぞれで,そもそも当人にだって説明つきゃしない。

 ジャーニーが嫌いでトトがつまらなくてELOがかったるくて,そのくせなんでボストンが好きなんだ俺は。ピーガブ時代はもちろん,フィル・コリンズになってからもお気に入りだったジェネシスが,『デューク』『アバカブ』以降,まるで3日間テーブルにさらしたままのカステラみたいな味になってしまうのはいったいどういうわけだ。

 世間の評価もどこかそういうところがあって,同じ大物ミュージシャンで,同じように人気を博したはずのアルバムが,今となってはまるで歴史から埋もれてしまった,そんなこともある。

 たとえば,デヴィッド・ボウイの『ステイション・トゥ・ステイション』。
 次の作品があの傑作『ロウ』だったアオリをくらったのか,当人からも「なかったこと」みたいな扱いを受け,CD化に時間のかかったボウイ作品の中でも発売されたのはずいぶんと後回しだったように記憶している。まぁ,グラムの帝王がディスコに走ったとか,アメリカにひよったとか言われた前作『ヤング・アメリカン』とこの『ステイション・トゥ・ステイション』,忘れたい気持ちもわからないでもない。ゲルマン人がこさえたゴジラのサントラみたいな『ロウ』に比べれば確かに上滑りした感は否めないし。それでもたとえば「野生の息吹き」など,なかなか捨てがたいと思うのだが……。

 ジョン・レノンでいえば,『ヌートピア宣言』。
 あの『イマジン』の次のアルバムが,20年後の今これだけ忘れられ,見捨てられるとは。
 そりゃ確かに,冒頭の「マインド・ゲームス」にせよ,6秒間の無音にすぎない「ヌートピアン・インタナショナル・アンセム(ヌートピア国際賛歌)」にせよ,ご大層なタイトルのわりに思いの高みは「イマジン」や「ハウ」「神」に遠く及ばない。『ジョンの魂』当時の野太い丸太がごんごん激流を下るような率直さパワーもなく,「ワン・デイ」は「ラヴ」や「オー・マイ・ラヴ」の透過性に欠け,ヨーコを歌った「あいすません」は「母(マザー)」や「母の死」のようにソリッドな個人の経験に裏打ちされた切実さを感じさせず……うーむ,こうして1曲1曲を比較してみると,そりゃ確かに『ジョンの魂』や『イマジン』より評価が劣るのはやむを得ないという気もしないでもない。だが,それにしてもこれほど軽んじられるほどのことはないのではないか。
 説得力がイマイチなぶん,1つ1つの曲相はポップで,馴染みやすい。大傑作とは言いがたくとも,心地よい佳曲が並んでいるとでもいおうか。「アウト・ザ・ブルー」は少しゆがんだラブソングとしてときどき口をついて出るし,「ミート・シティ」はジョン・レノン,いやビートルズのメンバーとしては珍しいほどのバリバリしたハードロックだ。
 というわけで,『ヌートピア宣言』は,レッド・ツェッペリンの『フィジカル・グラフィティ』である,とか言ってみたいわけだが,どうか。どうかって言われても困るだろうけど。

 ほかにも,たとえばミッシェル・ポルナレフ『星空のステージ』。
 「愛の伝説」をフューチャーした『ポルナレフ革命』を最後の花火として,なんとなくフレンチポップスブームが完結してしまい,当人も巻き返しのつもりかどうかアメリカに移ってごそごそやってた時期のアルバムで,「青春の傷あと」がシングルとしてはそこそこヒットしたものの(馬場のスカイコンパのジュークに入っていたなあ),もはや「ラース家の舞踏会」「愛のコレクション」「ロミオとジュリエットのように」などに象徴される「あの」おフランチ,大袈裟,華麗・美麗なポルナレフのイメージはここにはない。でも,今聞いてもそれなりに耳を楽しませてくれるのはさすがだ。「青春の傷あと」は今聞くとこれはもう演歌としかいいようがないのだが,「失われたロマンス」「愛の旅人」「雨の日のラヴソング」などのメロディは,地味ながら噛めば噛むほど味が出る。いや,実際,1曲1曲,タイニーながらなかなかよく出来ているのだ。
 大ヒットとはいえなかったこのアルバムにしてこのメロディメイク。逆にポルナレフの天才を見るような気がしないでもない。

 10ccでは,後期の『ミステリー・ホテル』だ。
 当時の『ルック!ヒア!!』,『都市探検』,『ミステリー・ホテル』,発表順もよく思い出せないこれらの作品群はファンからの評価も低く,いずれも今では国内はもちろん海外のCD通販サイトですら入手できない。ゴドレイ&クレイムがいた初期の知的でビターなアルバム(個人的には2作めの『シート・ミュージック』が一番お気に入りだ),後期のエリック・スチュワート&グラハム・グールドマンによるちょっとシニカルだけどメロディそのものは伸びやかなラヴソングス,そういった彼らの魅力がどんどん失われ,才能が涸れに涸れた時代の作品,ということになっているのだが,どういうわけか『ミステリー・ホテル』だけは妙に心に馴染む。最後の「サバイバー」なんて,10cc全曲の中でもベスト5には入れたいお気に入りだ。10ccというお祭りそのものの終焉を歌うような,というとご大層に過ぎるか。
 10ccが男性のアレの1回分を指すというのは当時ロック雑誌などで繰り返し語られたことだが,その10ccの最後のひと絞り,というかね。

先頭 表紙

「哀愁のヨーロッパ・バイソンやねん」「ピーター・プランクトン」なども,タイトルからして素敵。「カブト虫は840円」はなぜかといえば,消費税がつくからだそうです。 / 烏丸 ( 2002-02-16 21:09 )
知りませんでした(笑)。「むしまるQ」ですね、今度見てみます。 / ガス欠コイン ( 2002-02-16 11:52 )
NHK教育の「むしまるQ」の挿入曲が,いろいろなロックの名曲のパクリなのをご存知でしょうか。「サーモンUSA」とか,「じみへん」とか。その中で鈴木トオルが豚の父と息子を歌い上げた名曲が「ボス豚」。こりゃー,泣けます。 / 烏丸 ( 2002-02-09 00:54 )
確かに『ヌートピア宣言』は、エアポケットに入ってしまったようですね。「マインド・ゲームス」は個人的には好きなのですが。まあ、でも、あの頃のジョンは、改めて模索する日々が続いていたのではないでしょうか。僕もジャーニーは凄い高音だなと思いましたが、それだけで、ボストンは好きでしたよ。 / ガス欠コイン ( 2002-02-08 01:39 )

2002-02-03 ニュー・オーダーについての断章


 New Orderの新譜‘Get Ready’,もちろん昨夏に発売されたアルバムを今さら「新譜」でもないのだけれど,前作の‘Republic’が8年前で,90年代のオリジナルアルバムがその1枚だけだったことを思えば,半年やそこらは誤差に過ぎない。

 その,‘Get Ready’は予想されたようなものではあったが,期待したようなものではなかった。
 無人島に追いやられる際に,持っていくことを許されるなら‘Power, Corruption and Lies’や‘Low Life’のほうがよい。間違っても‘Get Ready’ではないだろう。
 ‘Get Ready’の出来が悪い,というわけではない。ギターをフューチャーした音には厚みがあり,メロディは相変わらずセンチメンタルで,文句をつけるようなものではない。Bernard SumnerとJohnny Marrによる趣味のユニットElectronicの‘Twisted Tenderness’と似たような音で新鮮味が足りなかった,ということもあるだろう,だがそれだけでもない。

 New Orderは,その前身だったJoy DivisionのリーダーにしてヴォーカルのIan Curtisが2ndアルバム‘Closer’完成直前に首吊り自殺してしまい,途方に暮れた残されたメンバーたちがBlue Mondayの世界的ヒットによって……。
 と,この粗筋だけだとウェットな成功譚になってしまうのだが,当時の彼らの,メンバーの写真も歌詞も提供しないアルバム,愛想のないライブ,といったぎしぎしした無造作さが懐かしい。あれは,本当に心地よいものだった。世にもヘタクソなギター,ヘタクソなヴォーカルが,昇って,降りて,昇って,降りて。

 Leave me alone, leave me alone
 苔むした廃墟,ではない。見渡す限りの,空虚。

 彼らの音はかつてもっとずっと痩せていたが,それだけ豊かだった。
 その音は完成にはほど遠く,だからずっと深いところまで揺れるのだった。

 かつて,ミュージシャンが恋だの夢だのを提供して,リスナーがそれをまっすぐに受け取るということがあり得そうに見える時代があった。
 New Orderはそんな甘やかなカタチには頓着しない。無造作,不親切,投げ遣り。
 IanのことはIanにしかわからない。New OrderのことはNew Orderにしかわからない。
 外からはだからただ迷路にしか見えない。
 だが,あらゆる迷路のランダムな組み合わせを試すうちに,ごくまれに,いくつかのステップがまっすぐにリスナーに届く,そういうことはある。
 そういうことはあるのだ。

 Ian Curtisが自殺したとき,彼は僕とほぼ同年だった。
 Ian Curtisがもし生きていたら,彼は僕とほぼ同年ということになる。
 僕は彼を追い越せない。彼は僕を追い越せない。
 僕はIanではないのでIanのように歌うことはできない。BernardではないのでBernardのように歌うことはできない。
 だが,彼らが得られなかったものを,同じように手にしないことはできる。

 それはとてもつまらないものだ。だが,つまらないものの中に本当の答えはあるものだ。

先頭 表紙

ところが,New Orderのファンサイトで有名な(そうか?)Ceremonyのlyricsを見ると,どうもそこはIanではなく単にinのようで……。うーん,まるで曲の意味が違ってしまう。でも,ここはあえて『THE BEST OF NEW ORDER』に500カノッサ。 / 烏丸 ( 2002-02-09 01:07 )
New Orderといえば初期はメンバーの顔写真や歌詞を一切載せない無愛想なバンドとして有名でしたね。そのため,予想外のトラブル(?)もあります。たとえば『THE BEST OF NEW ORDER』では‘Vanishing Point’の最後から2行をLike Ian whistled the wind. …… he never gave it up.と耳コピしてしまっています。これは,Ianのことを思うと切ない。本当に切ない。 / 烏丸 ( 2002-02-09 01:07 )
New Orderについては、ちょっと一言では突っ込めません。色々な思いが錯綜しています。 / ガス欠コイン ( 2002-02-08 01:52 )

2002-01-29 スザンヌ・ヴェガについての断章


 昨秋に発売されたSuzanne Vegaの6作めのスタジオ録音アルバム‘SONGS IN RED AND GRAY’は,初期のSuzanne Vegaを思い起こさせるアコースティックな音がとても好もしい。
 あるべき声の波が遠くに引くことによって,かえって歌詞の一言一言が気になるような,そんな彼女らしさが久しぶりによく現れているように思われる。

 Suzanne Vegaがブレイクしたのは2ndアルバム‘SOLITUDE STANDING’のLUKAやTOM'S DINERのヒットによると言われ,実際この2曲はラジオやTV CFでよく耳にされたわけだが,同じ2ndアルバムの8曲め,LANGUAGEこそは比類なき作品ではないかと個人的には思っている。流れない言葉,消えてしまう言葉を歌うアコースティックギターを中心とした複層的なアレンジが理屈の縦糸,感性の横糸で音のタペストリーを虚空に結ぶ。
 当時毎週欠かさずチェックしていたPeter BarakanのPopper's MTVのエンディングで流れていたのを初めて聞いたときには,ほんのサワリだけで体中の血液が繻子ごしに洗われるような気がしたものだ。

 その後の何枚かのアルバムも,ずっとつきあってはきたが,2ndアルバムほどの思いはなかなか味わえずにいる。
 このあたり,当たり外れの多い元PoliceのStingと少し似ている。
 そういえば,少し嗄れた,だがハスキーというほどではない声,歌唱力があるんだかないんだかよくわからない,だが決してヘタなわけではなく淡々と難しい歌を歌い上げるところ,アコースティックな音を中心にしているようで電子的なアレンジもいとわない音楽性など,StingとSuzanne Vegaには似たような点が少なくない。初期のヒットにRoxanne,Marlene On The Wallと娼婦を歌う歌があったり。声や歌い方にどこか微かな「はすっぱ」さが匂ったり。少しばかりこじつけがすぎるかもしれないけれど。

 多分,Suzanne Vegaは僕の欲しいものを全部満たしてはくれない。言葉は流れず,音は消えてしまう。それでも,どこかに残るものはあるのだ。多分。きっと。

先頭 表紙

カラスがSuzanne Vegaに感じるのは,どちらかというと向こうから届くものより,かまってあげなくっちゃ,な感じとでもいいましょうか。向こうからやってきて部屋を模様替えまでしてしまうのがPatti Smithだったりするわけですが。 / 烏丸 ( 2002-02-09 01:15 )
僕はスザンヌ・ヴェガの「LUKA」は特に大好きな曲でしたね。世界の○窓からのBGMで流されていて、局に「歌詞の意味がわかっているのか」と抗議電話を入れたほどです。スティングも大好きですねえ。最後の2行に関してですが、僕の心を満たしてはくれませんが、思いっきり届きます。 / ガス欠コイン ( 2002-02-08 01:49 )
フィー子さま,本文では触れませんでしたが,このジャケットはお気に入りです。このようなソフトフォーカスで,このように見る目がとても好もしく思えます。 / 烏丸 ( 2002-02-03 03:05 )
Hideyさま,ちょっと褒めすぎ。(いちおう多少意図的ではありますが)我ながら気取って嫌味な文章だと思います。そういう文体でないとこの内容は書けないなぁ,と考えた結果ではありますが,New Orderについても書きたいことを書いたことだし,とっとと次の文体に移りたいと思います。 / 烏丸 ( 2002-02-03 03:05 )
おっしゃっていることよくわかるなあと思いながら読みました。 / フィー子 ( 2002-02-02 16:24 )
見事な文章、堪能させていただきました。個人的にスザンヌ・ヴェガもスティングも大好きです。スティングは独特の歌のうまさを持っていると思います。天才的な音感が歌の表情にも表れて、特にコンサートでの歌唱はちょっと唸ってしまうほどでした。 / Hidey ( 2002-02-02 14:01 )
そういえば,どこかのコーヒーのCMでTOM'S DINERが使われていましたね。TOM'S DINERといえば,トリビュートというかラップというか,すごいアルバムもあったような記憶が。LUKAかな。 / 烏丸 ( 2002-01-31 02:36 )
さる「インスタントコーヒー」を飲みたくなる衝動ですか・・・ / しっぽな@るるる〜〜ー♪ ( 2002-01-29 18:24 )

2002-01-27 『目をみはる 伊藤若冲の『動植綵絵』』 狩野博幸 / 小学館アートセレクション


【居士は少きより専ら新奇に務め,套習に渉ることを欲せず】

 今年の正月,2日の深夜。NHK総合で放送された『神の手を持つ絵師 〜江戸の画家・若冲の不思議世界(ワールド)〜』をご覧になった方はおられるだろうか。
 江戸中期の画家・伊藤若冲(1716〜1800)を岸辺一徳が飄々と好演,若冲コレクターの第一人者であり,50年の歳月を私財を投じて若冲研究に打ち込んだジョー・プライス氏の語りを交えて,ドラマと現代のドキュメンタリーの交錯する中に若冲の作品を紹介する,地味ながらなかなかよくできた番組だった。
 ドラマとドキュメンタリーが交錯するといえば,フィリップ・ルロワがレオナルドを演じた1971年イタリアの傑作ドキュメンタリー番組『レオナルド・ダ・ビンチの生涯』を思い起こす。画家の人生を描くのに,この手法は向いているのだろうか。

 伊藤若冲。名は汝鈞,字は景和。斗米庵、米斗翁などの号もある。
 京都錦小路の裕福な青物問屋の長男として生まれながら,絵を描くことのみに没頭し,四十にして弟に家督を譲り,隠居して俗事から離れ,ただただ絵を描いては寺社に寄進するという生涯を過ごして八十五歳で没す。
 白井華陽が著した画人評『画乗要略』によれば「初メ狩野氏ニ学ビ,後元明ノ古蹟ヲ模シ,兼テ光琳之筆意ヲ用ユ」,すわなち初めは狩野派に学び,のちに元,明の中国古画の研究を積み,なおかつ光琳の筆遣いも用いたという。写生を重んじ,沈南蘋(しんなんぴん)の花鳥画や黄檗(おうばく)宗関係の絵画など,新しい中国画からも学び,と,その自在な精神には恐れ入るばかりである。

 本書ではそんな若冲の作品のうち,相国寺に寄進され,のちに宮内庁に謙譲された「動植綵絵」全三十幅が紹介されている。いずれも着色画である。
 「動植綵絵」では鶏や孔雀,桜や梅のリアルな色彩だけでなく,タコやイカ,エイを含むさまざまな魚,百種類以上の貝(おやおやオウムガイの姿もあるぞ),チョウやカブトムシからカエル,トカゲ,ヘビにいたるさまざまな虫,という具合に,その描かれる対象も江戸時代の絵画のイメージを変えそうなバラエティである。
 重要なのは,単に貝や虫がさまざまに描かれていることだけではない。そこにいるのは単なるセミではなくてアブラゼミ,クモではなくジョロウグモ,バッタでなくショウリョウバッタ,ケムシではなくてカレハガの幼虫であることだ。つまり,若冲は「虫」を描くにおいて,イメージの集合体の「虫」ではなく,そこにいた,特定できる一匹の「虫」を描いた,ということである。そういった徹底した細密なリアリズムが,形を刻み,色を刻み,やがてリアルを越えて抽象にいたる。

 その意味で,大作「鳥獣花木図屏風」(六曲一双,各167.0×376.0cm)は,署名,印章がないため,若冲の筆ではないとも言われているらしいが,実に興味深い。
 あいにく本書ではあまり大きくは扱われていないが(*1),「鳥獣花木図屏風」では,約1cm四方の升目で画面全体を区分けし,その升目のひとつひとつに色を割り振って象,駱駝,猿,鹿,驢馬,兎,麒麟など,さまざまな(現実の,あるいは架空の)動物達が描き上げられている。パソコンのグラフィックツールでいえば,ドットに「グリッド」が表示されているような感じだ(*2)。
 一種のモザイク画ではあるが,単色のタイルのような色遣いから,升目の中にさらに小さな四角を描いたもの,その小さな四角を二重に重ねたもの,升目を気にせず曲線を描き込んだものなど,升目の扱いは多種多様でだ。

 ここには表現のひとつの理想がある。重厚な長編小説を究めれば十七文字の俳諧に通じ,分子,原子,素粒子とミクロを追求すればそこにはマクロなコスモスが見えてくる。点は世界,世界は点。色彩は沈黙,沈黙は止揚。
 この,音楽の聞こえるような「鳥獣花木図屏風」を広々とした風呂場の壁に配したプライス氏が羨ましい。多少高くともよいからどこか酔狂な紙屋が,襖絵として販売してくれないものだろうか。都の辰巳の我が庵にも一面に飾りたいものと切に願う。

 伊藤若冲,面白い。

*1……新潮日本美術文庫10『伊藤若冲』の図26参照。

*2……若冲には,スーラやシニャックら,ポアンチュリストともみまがう墨の点描を用いた「石灯籠図屏風」という作品もある。若冲にはすでに現在のパソコン上の「ピクセル」(画素)にあたる概念があったのではないか。

先頭 表紙

しっぽなさま,そういえばカラスは,楽譜がベートーベンの顔に見える,とか,そういった一種のピクセル遊びが好きな性質のようです。 / 烏丸 ( 2002-01-31 02:31 )
Jyakucyuの魅力が解るのは外人さんの方が多いかも〜ー〜、ですね。。。クロスステッチ刺繍をしていて思ったのですが、あれって超ピクセル画像なんです・・・ / しっぽな@手仕事にっぽん ( 2002-01-29 18:20 )
しっぽなさま,海外のサイトで数10ドルの売り物があったのですが,その程度の金額では,おそらくポスター程度のものなのだと思われます。それにしても,日本語で検索するよりJakuchuで検索したほうがヒットするとは,さすが……。 / 烏丸 ( 2002-01-28 02:22 )
正月、飲んだくれた後姉妹でNHKのこれらの番組を鑑賞するのが恒例となっています。。。あの屏風、確かに入手したい!と、そういう願望を抱く人は多いと想えます〜〜ー〜こうなりゃ、若冲グッヅ作ってネット販売に参入しよか〜〜〜なんって。 / しっぽな@お祝いありがとう♪ ( 2002-01-27 13:42 )
「鳥獣花木図屏風」のリンク先の画像は小さいし,色もぜんぜんよろしくありません。アメリカのサイトなども探していますが,なかなかよい画像ファイルがないようです。 / 烏丸 ( 2002-01-27 02:31 )

2002-01-24 ここで会ったが百円め,百も承知の 『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』 吉岡道夫 / ダイソー・ミステリー・シリーズ2


【ともかくカラスの正体をつきとめることですよね】

 古本屋のワゴンの100円本には不思議なほど読みたい本との出会いがない。パルプ・ミステリ,シドニィ・シェルダン,盛りを過ぎたタレント本,ハウツーセックス,オカルトとんでも本。
 ときどき「ひょっとすると掘り出し物が埋もれているかも」と丁寧に眺めてみるのだが,見事なほどアタリがない。単に古いから,汚れているから,というだけでもないようだ。
 新幹線のホームで本を持ち合わせてないことに気がついて,目の前にこのワゴンがあったら……それでもやはり,食指が動くかどうか。

 たとえば西村京太郎や山村美紗,門田泰明,こういった作家の本は普段からそう読みたいとは思わないが,それでもヒマつぶしに彼らの文庫の1冊,たまには手にしないわけではない。それが100円で買えるなら悪い話ではないように思うのだが,逆に,その,100円がいけないのかもしれない。
 なんというか,値引きもそこまでいったら本としての誇りというか矜持を失っているように見えるのだ。
 では,正面から100円の定価がついていたらどうか。これが本日のお題である。

 缶ジュースも100円で買えなくなった昨今,100円といえば100円ショップである。当初は安かろう悪かろうで,文具など実際は使い物にならないものが少なくなかったが,最近はずいぶん品質もこなれ,よく見ると正規のメーカーがボリュームを調整して納品するケースもあるようだ(ニチバンのセロテープなど)。最近のカラス的ヒットは,名刺サイズのCD-Rメディア。容量45Mはそれなりに便利な大きさで,アドレス帳やよく使うユーティリティなど,データを持ち歩くのに重宝している。

 そんな100円ショップの最近のトレンドの1つが「本」で,地図,辞書,料理レシピなどに加えて,とうとう対象がエンターテイメントにまで広がった。ダイソー・ミステリー・シリーズは,そんな100円ショップのチェーン「ダイソー」の店頭で発見した文庫サイズのポケットブックである。全30冊,通常の文庫のようにカラーカバーは付いておらず,糊付け平綴じのシンプルな造りだが,紙質,印刷,そう悪いものではない。
 店頭で発見したときは,売れないゴーストライター,無名新人,編集者のアルバイト,もしくは逆にかつてそこそこ売れた作家がペンネームを変えて粗製濫造といったところかと思ったのだが,ラインナップを見てみると少し違うようだ。『夏の旅人』の田中文雄,怪奇体験の矢島誠,作家集団「霧島那智」でも知られる若桜木虔など,そこそこ名の知られた文庫本レベルの作家も含まれているのである。筑波孔一郎という作家にいたっては,1970年代に幻影城ノベルス(!)を上梓して以来の出版と思われる。

 添付画像の『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』の作者・吉岡道夫にしても,売れっ子かどうかはともかく,紀伊国屋BookWebで調べてみた限りでは講談社や学研,双葉社といった出版社から53冊上梓した,立派なベテランである。倒産した大陸書房から『署名(サイン)はカラス』というミステリを出しており,推測するに本書はそれをタイトルを変えて収録したのではないだろうか。
 内容はカラスと名乗る脅迫者と新進俳優殺人事件が交錯する,というもの。犯人はすぐわかるが,文章は手馴れていて無理がなく,存外に楽しめた。報われない情愛,ユーモアやお色気の要素などがばらばらと散りばめてあり,要するにテレビのサスペンス劇場のように考えればそうはずれはない。ストーリーは凡庸だし,タイトルもなぜこれが「カラスの事件ファイル」なのか,なぜ「紫陽花寺殺人事件」なのか,まじめに考えれば首をひねらざるを得ないようなものではあるが,そんなことを気にせず中間小説誌を読み流す程度のかまえで読めば,決して悪い読み物ではない。いや,むしろ,トリックにこだわるあまり登場人物の言動が不自然でもよしとしてしまう最近の一部の新本格ミステリ等に比べれば,よほど肩の力を抜いて読むことができた。

 ただ,ではシリーズのほかのラインナップも購入したいかといえば……そのあたりの判断は,どうかご自身で手に取って判断してほしい。
 百円は一見にしかず,というではないか。

先頭 表紙

あややさま,100円ショップのもう1つのヒットは,トランプやコップを使った(比較的簡単な)手品を載せた本でした。もっとも,息子の机のどこかにまぎれこんでしまって,買ってきた翌日以来,読むことができないのですが。 / 烏丸 ( 2002-01-25 01:11 )
んまい!ですな。さすがでございます。 料理レシピの閉じ合わせみたいな本が売ってるなァとは思っていましたが、ミステリまで打っているとは思いませんでした。ちょっと覗いてみやんす。 / あやや ( 2002-01-24 10:09 )
佐藤マコト『サトラレ』の第2巻,発売中。いや,まったくSF(スペキュレイティブ・フィクション)の醍醐味。ピュアさでは第1巻のほうでしょうが,それでもやっぱり,泣けます。それにしても,この,複数の主人公が同時進行する設定,作者はキツいだろうなぁ。カバーの「毎回,最終回のつもり」「せっぱつまって2巻目」という言葉が思い。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:53 )
大昔,もう二十年以上前に(その後はよく知らない)旺文社の『中一時代』についていたミステリやSFの付録冊子を思い出してしまいました。従兄,従姉らの付録ももらって,ハインラインやアシモフ,ウールリッチに初めて触れたのはそのラインナップでした。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:53 )

2002-01-20 十代の夢のフローチャート 『キスまでの距離 おいしいコーヒーのいれ方I』 村山由佳 / 集英社文庫


【俺がどれだけ悩んだかわかってるのか!】

 マンガならでは,としか言えないような設定,というのがある。
 たとえば
   実は兄妹あるいは姉弟であった
   実は兄妹あるいは姉弟ではなかった
   不良にからまれた彼女を助けた
   親が長期留守することになって従姉と暮らすことになった
   いつもは「なによ年下のくせに」と生意気な彼女が突然泣き出した
   誰もいないと思ってシャワールームに入ったら彼女が悲鳴をあげた
   小さな喫茶店の寡黙なマスターは元スポーツマンだった
と,思い浮かぶままいくつか並べてみると,これってあだち充の専門分野じゃないかと思いいたるわけだが,今回は『みゆき』も『タッチ』も関係はない(話がそれたついでに……柳沢みきおの『翔んだカップル』の続編『翔んだカップル21』が最近連載されているそうだ。昨年暮れには単行本も発売された。30歳になるまで互いに恋し合いながらとうとう結ばれることのなかった勇介と圭はいまや50歳になって親の世代なのだそうだ。『特命係長 只野仁』に登場するくたびれたオヤジたちといい,いつの間にか見事な中年マンガ家になってしまったなぁ,柳沢みきお。単行本推計400冊)。

 さて,本書『キスまでの距離』は,数年前に文庫化されて以来ずっと気にかかっていた1冊だ。
 内容ではなく,ナウシカふうの表紙のイラストの2色刷りが目に心地よかったからである。ちなみに同シリーズ3巻目『彼女の朝』の文庫の表紙もとても好もしい。
 ただし,当たり前のことだが,表紙がよいからといって読み甲斐のある本であるとは限らない。カラスは小池真理子のサスペンス小説は読みたくてたまらないほうではないが,彼女の数十冊ある文庫の表紙はいずれもなかなかの力作で,表紙だけを目的に集めてみたいほどである。

 というわけで本書も,発売されてしばらくしてふらふらと購入してしまったものの,とくに急いで読む必要も感じないままに本棚に積んだままになっていた。
 なにしろ裏表紙の惹句が,
「高校3年になる春,父の転勤のため,いとこ姉弟と同居するはめになった勝利。そんな彼を驚かせたのは,久しぶりに会う5歳年上のかれんの美しい変貌ぶりだった。しかも彼女は,彼の高校の新任美術教師。同じ屋根の下で暮らすうち,勝利はかれんの秘密を知り,その哀しい想いに気づいてしまう。守ってあげたい! いつしかひとりの女性としてかれんを意識しはじめる勝利。ピュアで真摯な恋の行方は。」

 ……もう,まんま,どこを切ってもマンガである。いまどき,少女マンガでもこれだけどっぷりした設定はないのではないか。

 先日,ちょっとした外出に軽くて薄い読み物を,とポケットに詰め込んで出先で読んでみた。
 いやはや,マンガならそれなりに読めてしまうだろうこの設定が,文章だとなんと甘いことか。気の抜けたコーラ,お茶なしの落雁。シッポまでアンコの詰まった鯛焼きにメープルシロップかけて真っ黒い羊羹と一緒に汁粉に浮かべたくらい甘い。
 主人公ショーリ君は男らしさを求めてイキがり,喫茶店にはHey Judeが流れ,2人が互いの思いを確認するのは風の海辺だ。全編,すべての行がてれてれと「おもはゆい」。

 いや,甘いからいけないと非難しているわけではない。

 ある世代にこういった物語が必要なことはよく知っている。彼ら彼女たちにとってこの甘さは嗜好品の甘さではなく,日々の活動の糧なのだ。シリアスぶった書き手自身のための精神的マスターベーション純文学より,ある意味よほど誠実にニーズに応えているようにも思う。いや,ずっと好もしい。

 というわけで,続編も読もうっと。ただし,虫歯には気をつけなくっちゃ。

先頭 表紙

デビュー作『天使の卵』読了。さすがに,これは……うんざりというか,げんなりというか。しばらく休憩を擁する味覚でありました。 / 烏丸 ( 2002-01-26 01:40 )
「最近は」というと,『天使の卵』とかこの作品とかはティーン向けじゃないんでしょうか。うーむむむ。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:58 )
村上さん、なんか最近はティーンズ向け作品が多いみたいで、まじコミックの原作用みたいな連作もしてますよ。そういう手のところに、いくつか。文庫じゃないんですが。僕もこの人の本、大抵買ってしまうんだけど、あとで公開しちゃう。買うようなものだったのか?って。単に中毒化しちゃってるだけなんでしょか。 / mishika ( 2002-01-22 07:13 )
こたつにいさん,カラスのマンガ風の夢といえば,それはもう「目から光線」,これにつきます。あとは広島生まれの病弱な少女とテレパシー。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:24 )
今日も先ほど帰り道のブックオフでこの作者の文庫を何冊か仕入れてまいりました。新刊書店でないあたり,ちょっと腰が引けてます……。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:23 )
漫画ならではの男の夢といえば、「毒蛇に噛まれた美少女の脚の傷口から毒を吸い出す」というのがありますなあ。何十年も生きてきましたが、私の周りでは蛇に噛まれて往生したという人は誰も現れていませんが。 / こたつにいさん ( 2002-01-21 01:36 )
「ある世代」とは少・中・高位の年代だと思うのですが、なぜかYOUNG誌に漫画化されて掲載していました・・・絶句してしまいましたよ〜〜〜!!烏丸様の書評に意外な一冊です、と思いました。 / 楽しいからOKです!! ( 2002-01-21 00:54 )

2002-01-13 [歳時記] お年玉付き郵便はがき・切手 当選番号

 
 平成14年の「お年玉付き郵便はがき」と「お年玉付き郵便切手」の当選番号が決まった(いずれもA,B組共通,賞品引き換え期間は1月15日から7月16日まで)。

▽1等
 (液晶テレビ,ノートパソコン,カーナビゲーション,電動補助力付き自転車,高画素デジタルカメラ・プリンタセットから1点選択)

 284482
 706000


▽2等
 (電子辞書,携帯用液晶テレビ,DVDプレーヤー,デジタルカメラ,高級万年筆,ふるさと小包6個から1点選択)
 下5桁

 03555

▽3等
 (ふるさと小包1個)
 下4桁

 4551
 6394


▽4等
 (お年玉切手シート)
 下2桁

 43
 54
 58



 さっそく調べてみたところ,カラス家では今年も4等が4枚,だいたい例年のごとしである。
 高校のころ,1月の中旬に突然担任から校内放送で呼び出しをくらい,「どの件がバレたのだろう」と首をすくめながら職員室に向かうと,カラスが出した年賀はがきが当たったのだと言われた。わざわざ切手シートを持ってきてくれたのだ。しかも,翌年も連続して同じ先生に宛てた年賀はがきが当選。その授業中に寝てばかりいて,あまり印象のない古文の先生だが,なんだかこの一件だけ妙に克明に覚えている。

 数年前,3等のふるさと小包が当たったときは,なんとも嬉しかった記憶がある。北から南,カニ,干し魚,果物,ワイン,日本酒,食器,民芸細工などなど,何十種類の中から1つ。文字どおりのお年玉で,普段食べない珍しいものにしようか,あとに残るものにしようか,ああでもないこうでもないと五千円程度という価格換算の数倍はわくわく楽しめたものだ。
 逆に,1等,2等がもし当たったら,どうか。液晶テレビ,ノートパソコン,カーナビゲーション,電動補助力付自転車,高画素デジタルカメラ・プリンタセットといったものは,必要なら自分で機能,デザインを選んで買い求めるし,必要でなければ高価でも無駄になりかねないものばかりのような気がする。もちろんありがたくないわけではないだろうが,価格が高いだけ楽しめるというものでもないのではないか。

 結局,切手シートいくつか,たまにふるさと小包,というのは,1年を始めるにあたって恒例のほどよいめでたさ,ということかもしれない。
 だから,とくに切手を集める趣味はないが,このお年玉切手だけはなんとなく子供のころから集め続けている。だいたい確率どおり,例年3シートか4シート程度は残っているはずだ。そして,このシートが抜けているということは,家族の誰かが死んで喪中だったということである。

先頭 表紙

ふのりさま,最上級のお褒めの言葉をいただき,ありがとうございます。それにしても『ヒカルの碁』は,あのようにこき下ろしてはみたものの,その絵美麗にしてかつページをめくる手が止まらないほどに面白く,繰り返して読めるのもまた確かです。この魅力と欠落,いったい何なのでありましょうか。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:23 )
フィー子さま,常にナイフのようにとんがった存在でありたいと願いつつ,ときどきは刺したり刺されたりが面倒になって,同じさしつさされつなら熱燗をきゅーのほうがよろしいかなぁ,など少々首尾一貫しないカラスなのであります。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:22 )
僭越ながら……。クソミソ等と謙遜されることはありません。たとえば『ヒカルの碁』。拝読して、仰け反りました。何という深い読み、何という抽象化。このような評と供に作品を紹介してもらえる作者は幸いというべきでしょう。新年早々堪能させていただきました。今年も御健筆を振るわれんことを。 / ふのり ( 2002-01-21 06:13 )
ぬるいってそんな・・・(^_^;) / フィー子 ( 2002-01-20 23:50 )
仙川さま,そういう人に限って,1等2等が当たっていたり。 / 烏丸 ( 2002-01-14 01:49 )
Hideyさま,そうでしょうか。以前はいざしらず,現在の1等のラインナップは,かなり各家庭への普及率高い商品が多いと思うのですが。電動自転車,田舎の親には奨めていますよ。ただ,カラスの住んでいる町は見渡す限りほとんど起伏がなく,がーっと少しこぐとしばらく慣性で走り続けるようなところなので,自分自身ではニーズがありませんが。 / 烏丸 ( 2002-01-14 01:49 )
新聞をとっていないので〜♪ 助かります〜♪ TVもみないので〜♪ 忘れるところでした〜☆ (ネットがあったと〜今気付きました〜☆) / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-14 00:55 )
今年もよろしくお願いします。僕は広告代理店で電動自転車の販促を7年やってたのですが、このところ毎年のように年賀はがきの賞品になっているようです。この手の賞品の選択基準は、間違いなく、「自分ではあえて買わないけど、もらえれば嬉しいもの」というもので、そう考えると毎年賞品に選ばれるというのは立場上物悲しいものがあります。乗ってみると大人があんなに感動してしまうモノって今どきないくらいですので、まだでしたら是非一度お試しを。 / Hidey ( 2002-01-14 00:09 )
こんなヌルい駄文,アップしたくなかったけど,なんとなくクソミソな辛口が続いて,我ながらげんなりしていたため。まぁ,そんなことが気になるってことはすでに本調子じゃないってことですね。 / 烏丸 ( 2002-01-13 23:56 )

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