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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2002-01-27 『目をみはる 伊藤若冲の『動植綵絵』』 狩野博幸 / 小学館アートセレクション
2002-01-24 ここで会ったが百円め,百も承知の 『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』 吉岡道夫 / ダイソー・ミステリー・シリーズ2
2002-01-20 十代の夢のフローチャート 『キスまでの距離 おいしいコーヒーのいれ方I』 村山由佳 / 集英社文庫
2002-01-13 [歳時記] お年玉付き郵便はがき・切手 当選番号
2001-12-30 コギレイなパラサイトたちの物語 『ヒカルの碁』 原作 ほったゆみ,漫画 小畑 健,監修 梅沢由香里四段(日本棋院) / 集英社(ジャンプ・コミックス)現在15巻
2001-12-24 本の中の迷画たち 『殉教カテリナ車輪』 飛鳥部 勝則 / 創元推理文庫
2001-12-19 [非書評] 文庫とはいえ表紙は顔,顔は命
2001-12-17 粘土造りの少女マンガ 『あなたがほしい je te veux』 安達千夏 / 集英社文庫
2001-12-16 ぐりぐりと《精神世界》に抜いたり差したり 『コンセント』 田口ランディ / 幻冬舎文庫
2001-12-10 『今昔続百鬼 雲』 京極夏彦 / 講談社ノベルス


2002-01-27 『目をみはる 伊藤若冲の『動植綵絵』』 狩野博幸 / 小学館アートセレクション


【居士は少きより専ら新奇に務め,套習に渉ることを欲せず】

 今年の正月,2日の深夜。NHK総合で放送された『神の手を持つ絵師 〜江戸の画家・若冲の不思議世界(ワールド)〜』をご覧になった方はおられるだろうか。
 江戸中期の画家・伊藤若冲(1716〜1800)を岸辺一徳が飄々と好演,若冲コレクターの第一人者であり,50年の歳月を私財を投じて若冲研究に打ち込んだジョー・プライス氏の語りを交えて,ドラマと現代のドキュメンタリーの交錯する中に若冲の作品を紹介する,地味ながらなかなかよくできた番組だった。
 ドラマとドキュメンタリーが交錯するといえば,フィリップ・ルロワがレオナルドを演じた1971年イタリアの傑作ドキュメンタリー番組『レオナルド・ダ・ビンチの生涯』を思い起こす。画家の人生を描くのに,この手法は向いているのだろうか。

 伊藤若冲。名は汝鈞,字は景和。斗米庵、米斗翁などの号もある。
 京都錦小路の裕福な青物問屋の長男として生まれながら,絵を描くことのみに没頭し,四十にして弟に家督を譲り,隠居して俗事から離れ,ただただ絵を描いては寺社に寄進するという生涯を過ごして八十五歳で没す。
 白井華陽が著した画人評『画乗要略』によれば「初メ狩野氏ニ学ビ,後元明ノ古蹟ヲ模シ,兼テ光琳之筆意ヲ用ユ」,すわなち初めは狩野派に学び,のちに元,明の中国古画の研究を積み,なおかつ光琳の筆遣いも用いたという。写生を重んじ,沈南蘋(しんなんぴん)の花鳥画や黄檗(おうばく)宗関係の絵画など,新しい中国画からも学び,と,その自在な精神には恐れ入るばかりである。

 本書ではそんな若冲の作品のうち,相国寺に寄進され,のちに宮内庁に謙譲された「動植綵絵」全三十幅が紹介されている。いずれも着色画である。
 「動植綵絵」では鶏や孔雀,桜や梅のリアルな色彩だけでなく,タコやイカ,エイを含むさまざまな魚,百種類以上の貝(おやおやオウムガイの姿もあるぞ),チョウやカブトムシからカエル,トカゲ,ヘビにいたるさまざまな虫,という具合に,その描かれる対象も江戸時代の絵画のイメージを変えそうなバラエティである。
 重要なのは,単に貝や虫がさまざまに描かれていることだけではない。そこにいるのは単なるセミではなくてアブラゼミ,クモではなくジョロウグモ,バッタでなくショウリョウバッタ,ケムシではなくてカレハガの幼虫であることだ。つまり,若冲は「虫」を描くにおいて,イメージの集合体の「虫」ではなく,そこにいた,特定できる一匹の「虫」を描いた,ということである。そういった徹底した細密なリアリズムが,形を刻み,色を刻み,やがてリアルを越えて抽象にいたる。

 その意味で,大作「鳥獣花木図屏風」(六曲一双,各167.0×376.0cm)は,署名,印章がないため,若冲の筆ではないとも言われているらしいが,実に興味深い。
 あいにく本書ではあまり大きくは扱われていないが(*1),「鳥獣花木図屏風」では,約1cm四方の升目で画面全体を区分けし,その升目のひとつひとつに色を割り振って象,駱駝,猿,鹿,驢馬,兎,麒麟など,さまざまな(現実の,あるいは架空の)動物達が描き上げられている。パソコンのグラフィックツールでいえば,ドットに「グリッド」が表示されているような感じだ(*2)。
 一種のモザイク画ではあるが,単色のタイルのような色遣いから,升目の中にさらに小さな四角を描いたもの,その小さな四角を二重に重ねたもの,升目を気にせず曲線を描き込んだものなど,升目の扱いは多種多様でだ。

 ここには表現のひとつの理想がある。重厚な長編小説を究めれば十七文字の俳諧に通じ,分子,原子,素粒子とミクロを追求すればそこにはマクロなコスモスが見えてくる。点は世界,世界は点。色彩は沈黙,沈黙は止揚。
 この,音楽の聞こえるような「鳥獣花木図屏風」を広々とした風呂場の壁に配したプライス氏が羨ましい。多少高くともよいからどこか酔狂な紙屋が,襖絵として販売してくれないものだろうか。都の辰巳の我が庵にも一面に飾りたいものと切に願う。

 伊藤若冲,面白い。

*1……新潮日本美術文庫10『伊藤若冲』の図26参照。

*2……若冲には,スーラやシニャックら,ポアンチュリストともみまがう墨の点描を用いた「石灯籠図屏風」という作品もある。若冲にはすでに現在のパソコン上の「ピクセル」(画素)にあたる概念があったのではないか。

先頭 表紙

しっぽなさま,そういえばカラスは,楽譜がベートーベンの顔に見える,とか,そういった一種のピクセル遊びが好きな性質のようです。 / 烏丸 ( 2002-01-31 02:31 )
Jyakucyuの魅力が解るのは外人さんの方が多いかも〜ー〜、ですね。。。クロスステッチ刺繍をしていて思ったのですが、あれって超ピクセル画像なんです・・・ / しっぽな@手仕事にっぽん ( 2002-01-29 18:20 )
しっぽなさま,海外のサイトで数10ドルの売り物があったのですが,その程度の金額では,おそらくポスター程度のものなのだと思われます。それにしても,日本語で検索するよりJakuchuで検索したほうがヒットするとは,さすが……。 / 烏丸 ( 2002-01-28 02:22 )
正月、飲んだくれた後姉妹でNHKのこれらの番組を鑑賞するのが恒例となっています。。。あの屏風、確かに入手したい!と、そういう願望を抱く人は多いと想えます〜〜ー〜こうなりゃ、若冲グッヅ作ってネット販売に参入しよか〜〜〜なんって。 / しっぽな@お祝いありがとう♪ ( 2002-01-27 13:42 )
「鳥獣花木図屏風」のリンク先の画像は小さいし,色もぜんぜんよろしくありません。アメリカのサイトなども探していますが,なかなかよい画像ファイルがないようです。 / 烏丸 ( 2002-01-27 02:31 )

2002-01-24 ここで会ったが百円め,百も承知の 『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』 吉岡道夫 / ダイソー・ミステリー・シリーズ2


【ともかくカラスの正体をつきとめることですよね】

 古本屋のワゴンの100円本には不思議なほど読みたい本との出会いがない。パルプ・ミステリ,シドニィ・シェルダン,盛りを過ぎたタレント本,ハウツーセックス,オカルトとんでも本。
 ときどき「ひょっとすると掘り出し物が埋もれているかも」と丁寧に眺めてみるのだが,見事なほどアタリがない。単に古いから,汚れているから,というだけでもないようだ。
 新幹線のホームで本を持ち合わせてないことに気がついて,目の前にこのワゴンがあったら……それでもやはり,食指が動くかどうか。

 たとえば西村京太郎や山村美紗,門田泰明,こういった作家の本は普段からそう読みたいとは思わないが,それでもヒマつぶしに彼らの文庫の1冊,たまには手にしないわけではない。それが100円で買えるなら悪い話ではないように思うのだが,逆に,その,100円がいけないのかもしれない。
 なんというか,値引きもそこまでいったら本としての誇りというか矜持を失っているように見えるのだ。
 では,正面から100円の定価がついていたらどうか。これが本日のお題である。

 缶ジュースも100円で買えなくなった昨今,100円といえば100円ショップである。当初は安かろう悪かろうで,文具など実際は使い物にならないものが少なくなかったが,最近はずいぶん品質もこなれ,よく見ると正規のメーカーがボリュームを調整して納品するケースもあるようだ(ニチバンのセロテープなど)。最近のカラス的ヒットは,名刺サイズのCD-Rメディア。容量45Mはそれなりに便利な大きさで,アドレス帳やよく使うユーティリティなど,データを持ち歩くのに重宝している。

 そんな100円ショップの最近のトレンドの1つが「本」で,地図,辞書,料理レシピなどに加えて,とうとう対象がエンターテイメントにまで広がった。ダイソー・ミステリー・シリーズは,そんな100円ショップのチェーン「ダイソー」の店頭で発見した文庫サイズのポケットブックである。全30冊,通常の文庫のようにカラーカバーは付いておらず,糊付け平綴じのシンプルな造りだが,紙質,印刷,そう悪いものではない。
 店頭で発見したときは,売れないゴーストライター,無名新人,編集者のアルバイト,もしくは逆にかつてそこそこ売れた作家がペンネームを変えて粗製濫造といったところかと思ったのだが,ラインナップを見てみると少し違うようだ。『夏の旅人』の田中文雄,怪奇体験の矢島誠,作家集団「霧島那智」でも知られる若桜木虔など,そこそこ名の知られた文庫本レベルの作家も含まれているのである。筑波孔一郎という作家にいたっては,1970年代に幻影城ノベルス(!)を上梓して以来の出版と思われる。

 添付画像の『カラスの事件ファイル 紫陽花寺殺人事件』の作者・吉岡道夫にしても,売れっ子かどうかはともかく,紀伊国屋BookWebで調べてみた限りでは講談社や学研,双葉社といった出版社から53冊上梓した,立派なベテランである。倒産した大陸書房から『署名(サイン)はカラス』というミステリを出しており,推測するに本書はそれをタイトルを変えて収録したのではないだろうか。
 内容はカラスと名乗る脅迫者と新進俳優殺人事件が交錯する,というもの。犯人はすぐわかるが,文章は手馴れていて無理がなく,存外に楽しめた。報われない情愛,ユーモアやお色気の要素などがばらばらと散りばめてあり,要するにテレビのサスペンス劇場のように考えればそうはずれはない。ストーリーは凡庸だし,タイトルもなぜこれが「カラスの事件ファイル」なのか,なぜ「紫陽花寺殺人事件」なのか,まじめに考えれば首をひねらざるを得ないようなものではあるが,そんなことを気にせず中間小説誌を読み流す程度のかまえで読めば,決して悪い読み物ではない。いや,むしろ,トリックにこだわるあまり登場人物の言動が不自然でもよしとしてしまう最近の一部の新本格ミステリ等に比べれば,よほど肩の力を抜いて読むことができた。

 ただ,ではシリーズのほかのラインナップも購入したいかといえば……そのあたりの判断は,どうかご自身で手に取って判断してほしい。
 百円は一見にしかず,というではないか。

先頭 表紙

あややさま,100円ショップのもう1つのヒットは,トランプやコップを使った(比較的簡単な)手品を載せた本でした。もっとも,息子の机のどこかにまぎれこんでしまって,買ってきた翌日以来,読むことができないのですが。 / 烏丸 ( 2002-01-25 01:11 )
んまい!ですな。さすがでございます。 料理レシピの閉じ合わせみたいな本が売ってるなァとは思っていましたが、ミステリまで打っているとは思いませんでした。ちょっと覗いてみやんす。 / あやや ( 2002-01-24 10:09 )
佐藤マコト『サトラレ』の第2巻,発売中。いや,まったくSF(スペキュレイティブ・フィクション)の醍醐味。ピュアさでは第1巻のほうでしょうが,それでもやっぱり,泣けます。それにしても,この,複数の主人公が同時進行する設定,作者はキツいだろうなぁ。カバーの「毎回,最終回のつもり」「せっぱつまって2巻目」という言葉が思い。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:53 )
大昔,もう二十年以上前に(その後はよく知らない)旺文社の『中一時代』についていたミステリやSFの付録冊子を思い出してしまいました。従兄,従姉らの付録ももらって,ハインラインやアシモフ,ウールリッチに初めて触れたのはそのラインナップでした。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:53 )

2002-01-20 十代の夢のフローチャート 『キスまでの距離 おいしいコーヒーのいれ方I』 村山由佳 / 集英社文庫


【俺がどれだけ悩んだかわかってるのか!】

 マンガならでは,としか言えないような設定,というのがある。
 たとえば
   実は兄妹あるいは姉弟であった
   実は兄妹あるいは姉弟ではなかった
   不良にからまれた彼女を助けた
   親が長期留守することになって従姉と暮らすことになった
   いつもは「なによ年下のくせに」と生意気な彼女が突然泣き出した
   誰もいないと思ってシャワールームに入ったら彼女が悲鳴をあげた
   小さな喫茶店の寡黙なマスターは元スポーツマンだった
と,思い浮かぶままいくつか並べてみると,これってあだち充の専門分野じゃないかと思いいたるわけだが,今回は『みゆき』も『タッチ』も関係はない(話がそれたついでに……柳沢みきおの『翔んだカップル』の続編『翔んだカップル21』が最近連載されているそうだ。昨年暮れには単行本も発売された。30歳になるまで互いに恋し合いながらとうとう結ばれることのなかった勇介と圭はいまや50歳になって親の世代なのだそうだ。『特命係長 只野仁』に登場するくたびれたオヤジたちといい,いつの間にか見事な中年マンガ家になってしまったなぁ,柳沢みきお。単行本推計400冊)。

 さて,本書『キスまでの距離』は,数年前に文庫化されて以来ずっと気にかかっていた1冊だ。
 内容ではなく,ナウシカふうの表紙のイラストの2色刷りが目に心地よかったからである。ちなみに同シリーズ3巻目『彼女の朝』の文庫の表紙もとても好もしい。
 ただし,当たり前のことだが,表紙がよいからといって読み甲斐のある本であるとは限らない。カラスは小池真理子のサスペンス小説は読みたくてたまらないほうではないが,彼女の数十冊ある文庫の表紙はいずれもなかなかの力作で,表紙だけを目的に集めてみたいほどである。

 というわけで本書も,発売されてしばらくしてふらふらと購入してしまったものの,とくに急いで読む必要も感じないままに本棚に積んだままになっていた。
 なにしろ裏表紙の惹句が,
「高校3年になる春,父の転勤のため,いとこ姉弟と同居するはめになった勝利。そんな彼を驚かせたのは,久しぶりに会う5歳年上のかれんの美しい変貌ぶりだった。しかも彼女は,彼の高校の新任美術教師。同じ屋根の下で暮らすうち,勝利はかれんの秘密を知り,その哀しい想いに気づいてしまう。守ってあげたい! いつしかひとりの女性としてかれんを意識しはじめる勝利。ピュアで真摯な恋の行方は。」

 ……もう,まんま,どこを切ってもマンガである。いまどき,少女マンガでもこれだけどっぷりした設定はないのではないか。

 先日,ちょっとした外出に軽くて薄い読み物を,とポケットに詰め込んで出先で読んでみた。
 いやはや,マンガならそれなりに読めてしまうだろうこの設定が,文章だとなんと甘いことか。気の抜けたコーラ,お茶なしの落雁。シッポまでアンコの詰まった鯛焼きにメープルシロップかけて真っ黒い羊羹と一緒に汁粉に浮かべたくらい甘い。
 主人公ショーリ君は男らしさを求めてイキがり,喫茶店にはHey Judeが流れ,2人が互いの思いを確認するのは風の海辺だ。全編,すべての行がてれてれと「おもはゆい」。

 いや,甘いからいけないと非難しているわけではない。

 ある世代にこういった物語が必要なことはよく知っている。彼ら彼女たちにとってこの甘さは嗜好品の甘さではなく,日々の活動の糧なのだ。シリアスぶった書き手自身のための精神的マスターベーション純文学より,ある意味よほど誠実にニーズに応えているようにも思う。いや,ずっと好もしい。

 というわけで,続編も読もうっと。ただし,虫歯には気をつけなくっちゃ。

先頭 表紙

デビュー作『天使の卵』読了。さすがに,これは……うんざりというか,げんなりというか。しばらく休憩を擁する味覚でありました。 / 烏丸 ( 2002-01-26 01:40 )
「最近は」というと,『天使の卵』とかこの作品とかはティーン向けじゃないんでしょうか。うーむむむ。 / 烏丸 ( 2002-01-24 01:58 )
村上さん、なんか最近はティーンズ向け作品が多いみたいで、まじコミックの原作用みたいな連作もしてますよ。そういう手のところに、いくつか。文庫じゃないんですが。僕もこの人の本、大抵買ってしまうんだけど、あとで公開しちゃう。買うようなものだったのか?って。単に中毒化しちゃってるだけなんでしょか。 / mishika ( 2002-01-22 07:13 )
こたつにいさん,カラスのマンガ風の夢といえば,それはもう「目から光線」,これにつきます。あとは広島生まれの病弱な少女とテレパシー。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:24 )
今日も先ほど帰り道のブックオフでこの作者の文庫を何冊か仕入れてまいりました。新刊書店でないあたり,ちょっと腰が引けてます……。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:23 )
漫画ならではの男の夢といえば、「毒蛇に噛まれた美少女の脚の傷口から毒を吸い出す」というのがありますなあ。何十年も生きてきましたが、私の周りでは蛇に噛まれて往生したという人は誰も現れていませんが。 / こたつにいさん ( 2002-01-21 01:36 )
「ある世代」とは少・中・高位の年代だと思うのですが、なぜかYOUNG誌に漫画化されて掲載していました・・・絶句してしまいましたよ〜〜〜!!烏丸様の書評に意外な一冊です、と思いました。 / 楽しいからOKです!! ( 2002-01-21 00:54 )

2002-01-13 [歳時記] お年玉付き郵便はがき・切手 当選番号

 
 平成14年の「お年玉付き郵便はがき」と「お年玉付き郵便切手」の当選番号が決まった(いずれもA,B組共通,賞品引き換え期間は1月15日から7月16日まで)。

▽1等
 (液晶テレビ,ノートパソコン,カーナビゲーション,電動補助力付き自転車,高画素デジタルカメラ・プリンタセットから1点選択)

 284482
 706000


▽2等
 (電子辞書,携帯用液晶テレビ,DVDプレーヤー,デジタルカメラ,高級万年筆,ふるさと小包6個から1点選択)
 下5桁

 03555

▽3等
 (ふるさと小包1個)
 下4桁

 4551
 6394


▽4等
 (お年玉切手シート)
 下2桁

 43
 54
 58



 さっそく調べてみたところ,カラス家では今年も4等が4枚,だいたい例年のごとしである。
 高校のころ,1月の中旬に突然担任から校内放送で呼び出しをくらい,「どの件がバレたのだろう」と首をすくめながら職員室に向かうと,カラスが出した年賀はがきが当たったのだと言われた。わざわざ切手シートを持ってきてくれたのだ。しかも,翌年も連続して同じ先生に宛てた年賀はがきが当選。その授業中に寝てばかりいて,あまり印象のない古文の先生だが,なんだかこの一件だけ妙に克明に覚えている。

 数年前,3等のふるさと小包が当たったときは,なんとも嬉しかった記憶がある。北から南,カニ,干し魚,果物,ワイン,日本酒,食器,民芸細工などなど,何十種類の中から1つ。文字どおりのお年玉で,普段食べない珍しいものにしようか,あとに残るものにしようか,ああでもないこうでもないと五千円程度という価格換算の数倍はわくわく楽しめたものだ。
 逆に,1等,2等がもし当たったら,どうか。液晶テレビ,ノートパソコン,カーナビゲーション,電動補助力付自転車,高画素デジタルカメラ・プリンタセットといったものは,必要なら自分で機能,デザインを選んで買い求めるし,必要でなければ高価でも無駄になりかねないものばかりのような気がする。もちろんありがたくないわけではないだろうが,価格が高いだけ楽しめるというものでもないのではないか。

 結局,切手シートいくつか,たまにふるさと小包,というのは,1年を始めるにあたって恒例のほどよいめでたさ,ということかもしれない。
 だから,とくに切手を集める趣味はないが,このお年玉切手だけはなんとなく子供のころから集め続けている。だいたい確率どおり,例年3シートか4シート程度は残っているはずだ。そして,このシートが抜けているということは,家族の誰かが死んで喪中だったということである。

先頭 表紙

ふのりさま,最上級のお褒めの言葉をいただき,ありがとうございます。それにしても『ヒカルの碁』は,あのようにこき下ろしてはみたものの,その絵美麗にしてかつページをめくる手が止まらないほどに面白く,繰り返して読めるのもまた確かです。この魅力と欠落,いったい何なのでありましょうか。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:23 )
フィー子さま,常にナイフのようにとんがった存在でありたいと願いつつ,ときどきは刺したり刺されたりが面倒になって,同じさしつさされつなら熱燗をきゅーのほうがよろしいかなぁ,など少々首尾一貫しないカラスなのであります。 / 烏丸 ( 2002-01-22 02:22 )
僭越ながら……。クソミソ等と謙遜されることはありません。たとえば『ヒカルの碁』。拝読して、仰け反りました。何という深い読み、何という抽象化。このような評と供に作品を紹介してもらえる作者は幸いというべきでしょう。新年早々堪能させていただきました。今年も御健筆を振るわれんことを。 / ふのり ( 2002-01-21 06:13 )
ぬるいってそんな・・・(^_^;) / フィー子 ( 2002-01-20 23:50 )
仙川さま,そういう人に限って,1等2等が当たっていたり。 / 烏丸 ( 2002-01-14 01:49 )
Hideyさま,そうでしょうか。以前はいざしらず,現在の1等のラインナップは,かなり各家庭への普及率高い商品が多いと思うのですが。電動自転車,田舎の親には奨めていますよ。ただ,カラスの住んでいる町は見渡す限りほとんど起伏がなく,がーっと少しこぐとしばらく慣性で走り続けるようなところなので,自分自身ではニーズがありませんが。 / 烏丸 ( 2002-01-14 01:49 )
新聞をとっていないので〜♪ 助かります〜♪ TVもみないので〜♪ 忘れるところでした〜☆ (ネットがあったと〜今気付きました〜☆) / 仙川亭おき楽 ( 2002-01-14 00:55 )
今年もよろしくお願いします。僕は広告代理店で電動自転車の販促を7年やってたのですが、このところ毎年のように年賀はがきの賞品になっているようです。この手の賞品の選択基準は、間違いなく、「自分ではあえて買わないけど、もらえれば嬉しいもの」というもので、そう考えると毎年賞品に選ばれるというのは立場上物悲しいものがあります。乗ってみると大人があんなに感動してしまうモノって今どきないくらいですので、まだでしたら是非一度お試しを。 / Hidey ( 2002-01-14 00:09 )
こんなヌルい駄文,アップしたくなかったけど,なんとなくクソミソな辛口が続いて,我ながらげんなりしていたため。まぁ,そんなことが気になるってことはすでに本調子じゃないってことですね。 / 烏丸 ( 2002-01-13 23:56 )

2001-12-30 コギレイなパラサイトたちの物語 『ヒカルの碁』 原作 ほったゆみ,漫画 小畑 健,監修 梅沢由香里四段(日本棋院) / 集英社(ジャンプ・コミックス)現在15巻


【オレなんかが打つより 佐為に打たせた方がよかった! 全部! 全部! 全部!!】

 我が家ではここしばらく,囲碁がちょっとしたブームとなっている。
 『ヒカルの碁』のアニメ化がきっかけで,長男が囲碁を覚えたいと梅沢由香里の入門書を買ってきたり,碁盤をねだったり,もっとも,実のところまだ一度も対局にはいたっていない。ブームのブームたる所以である。というわけで,息子たちは冬休みに入るやいなや,碁盤や碁石のあるジジババのところへ飛んで帰ってしまった。

 そんなこんなで,『ヒカルの碁』の単行本を最新の15巻を含め,何冊か読み返す機会を得た。実はちゃんと読んでなかった。どうもあまり好きではなかったからである。

 『ヒカルの碁』が好きになれない理由は,わりあいはっきりしている。
 この作品世界では,努力とか研鑚とかいった概念が極めて希薄なのだ。要するに,囲碁に強いかどうかは天性の素質の問題であって,あとはその素質の持ち主が「やる気」になるかどうか,それがすべてとまではいわないまでも,非常に大きな要素を占めるのである。
 だから,登場人物一人一人の勝負へのこだわりは感情や名誉のレベルにとどまってしまう。努力の裏づけやジレンマの蓄積がないから,勝ち負けに執着はないし,負けたときに失うのはせいぜいプライドであって,己の生き様ががたがたになってしまうような,そんな思いはせずにすむ。

 たとえば,主人公ヒカルは,自分にとりついた平安時代の幽霊,藤原佐為の要望に応えて囲碁を始めるが,そんなきっかけで始めただけに勝ちにも負けにもさほどのこだわりは見せない。当初はただ佐為の指示するままに盤面に石を置いていくだけである。そのくせ,塔矢名人(ヒカルのライバルであるアキラの父親。五冠)と初めて対決した折には,その佐為や名人が注目するような異彩を放つ一手を打つ。ここには「天性の資質」の都合のよさ以外,何もない。
 だから,そんなヒカルは,やがて中学生にしてプロとなるが,佐為が消えてしまったあとには「全部おまえに打たせてやるから」と泣くことになる。彼にとっての囲碁はその程度のものにすぎないし,人生はその程度の手応えのものだったからだ(このあたり,山岸凉子『アラベスク』の天才少女ラーラのエピソードが思い出される)。

 ヒカルに比べれば,佐為は純粋に囲碁を愛し,より強い相手とより優れた一手を打つことを常に願う。だが,その佐為は,ヒカルの前,江戸時代にとりついた子供(虎次郎,のちの本因坊秀策)にはすべて自分の指示で囲碁をさせている。では,若くして死んだ秀策の人生とは何だったのか。
 その裏返しとして,ネット対局で塔矢名人と至高の対決をしてみせた佐為が,その直後,「神はこの一局をヒカルに見せるため 私に千年の時を長らえさせたのだ」と悟る場面は胸に痛い。彼の人生もまた「誰かほかの者のため」のものに過ぎなかった。
 そして,この一局の前にかわしたヒカルとの約束を守って,塔矢名人がタイトルを保持したまま引退してしまうのも,また,彼がそのタイトルに固執していなかったことの証のように思われてならない。

 スポ根マンガなどによく見られる,「○○以外は頭にない」とか「○○の鬼」とかいったものと,どうも少し様子が違う。
 言うなれば,ここにあるのは,限りない,依存の連鎖だ。
 依存がいけないとは言わない。たとえば,家族の絆は依存の糸によって紡ぎ上げられる。依存そのものが悪いわけではない。
 だが,囲碁に限らず,勝負などというものはそんな依存を超えた先にあるものではないのか。家族や友人の協力は得がたい。だが,少年が成長していくために必要なのは,自分自身の努力や,経験や,そして手痛い敗北によって得るものではないのか。

 よくも悪しくも純朴な佐為との会話や,佐為を身近においての囲碁の勝負を切り除くと,ヒカルという少年は実に身勝手で,佐為や祖父,母親に対する態度もおよそ感じが悪い。自らの要求についてはしつこいくせに,少し都合が悪くなるとすぐ走って逃げてしまう(ストーリーの中で,彼が他者との会話を打ち切って走り去ってしまうシーンの多さは驚くばかりだ。囲碁の勝負さえ再三途中で投げ出してしまうのである)。
 身勝手ではいけない,などと道徳の教科書のようなことを言うつもりはない。しかし,身勝手な態度を重ねればその反動で何かを失う,それが社会の仕組みというものだ。それが許される時期のことを「子供」と言うのであり,その意味で,極論すれば,『ヒカルの碁』は15巻までのところではプロを名乗りながらも子供であり続けるパラサイトたちの物語ということもできる(傍若無人に見えながら倉田プロが妙に一本芯が通って見えるのは,彼はごく普通に自立しており,ほかの登場人物たちが彼に比べるととても大人としての域に達していないためではないか)。

 本作がこのあとどう展開していくのかはわからない。このまま佐為が消えてしまうのでは,エンターテイメント作品として問題だろう。ドラえもんの最終回ではないのだから。では,どんな展開ならあり得るか。

 願わくばパラサイトでも身勝手でもない,自分の手で自分の責任をかかえることのできるようになったヒカルと,佐為(ほかの子供にでもとりつくか)の真剣勝負を見てみたい。

 本当に凄いものは,神の一手などではない。人の一手なのである。

先頭 表紙

諸星大二郎『無面目・太公望伝』,諸星作品の中で久しく絶版で手に入らなかった作品集。今回の文庫化でようやく手に入り,嬉しい。神仙を描いた中篇2作,とくに「無面目」が実によい読み応えでした。谷口ジロー『父の暦』『犬を飼う』,相変わらずのリアルで詳細な描き込みで圧倒されますが,一篇一篇が長いと少々食傷気味。似たタイプの作品では以前文庫化された『歩くひと』『欅の木』のほうがお勧めです。 / 烏丸 ( 2002-01-08 02:54 )
マンガの短評いくつか。山岸凉子久々のバレエマンガ『舞姫テレプシコーラ』第2巻ゲット。相変わらず,含みが多く,主人公が誰か(どちらか)も未だ不明。しかしこの作者はソラ恐ろしい話を軽々と描くなぁ。あさりよしとお『細腕三畳紀』,三葉虫を主人公(ではないか)にしたオムニバス……とでもいうか。ギャグのような。いや,違うか。なんというか。『なつのロケット』に泣いた人にはお勧めしづらい,かもなぁ。いや,奇妙な味の味な作家ではあります。 / 烏丸 ( 2002-01-08 02:54 )
むーうう,年明けから妙に忙しい。これではひまじんとして,恥ずかしいよう。 / 烏丸 ( 2002-01-08 02:39 )
TAKEさま,本年もどうぞよろしくお願いいたします。それにしても,年末はなんとも辛口,というか救いのない私評が続き,我ながら「や〜な感じぃ」なカラスでした。今年は「これこれ,これは読むっきゃない!」と声を大にしたい本とたくさん出会いたいものです。 / 烏丸 ( 2002-01-05 01:15 )
絵は結構好きなのに、もうひとつ気持ちに引っかからないマンガに思えた理由がようやく分かった気がしました。少年ジャンプ誌自体も大部軽くなってしまった気がします。 / TAKE@今年もよろしくお願いします ( 2002-01-05 00:24 )
それでは,みなさま,よいお年を!! / 烏丸 ( 2002-01-01 15:01 )

2001-12-24 本の中の迷画たち 『殉教カテリナ車輪』 飛鳥部 勝則 / 創元推理文庫


【店長はああ見えて画家志望だったんですよ】 ← 作者の「画家」に対する思い入れがよくわかる

 表紙に名画を用いた文庫本をもう1つ取り上げてみよう。
 『殉教カテリナ車輪』は第九回鮎川哲也賞受賞作である。

 表紙に用いられているのはカラヴァッジオの「アレクサンドリアの聖カテリナ」,おまけに『殉教カテリナ車輪』なるなんとも意味深なタイトル。作者・飛鳥部勝則は自ら油絵を描き,それをミステリ作品に綴じ込んで,イコノグラフィカル(絵に描かれた図像の主題と意味を求める)に事件の真相を追うという趣向をこらすことで知られている。
 見事である。ヒャクテンマンテンである。ここまでは。

 しかし,表紙をめくって,カラー口絵の著者の作品を見たとたんに,食欲ならぬ読書欲が即座に減退する。ヘタなのだ。いや,油絵の技術的な側面は知らないから,ひょっとすると素人としては大変に巧いのかもしれないが,そういった技巧云々以前に,本作に綴じ入れられた「S嬢」「殉教」「車輪」「バラ」の4点は,「こんな深くて重いテーマを描き込んでいるのが,わかりますか! 見えますか!」という描き手の声が油っこくキャンバスに乗って,それはもうタマラナイのだ。自意識過剰な中高生のスペルマ臭い小説を読まされるような,そんな絵なのである。
 繰り返すが,油絵の技巧的にどうこういうことはわからない。この程度でも,地方では絵描きとして「名士」になれるのかもしれない。公民館を借りて個展を開けば,親戚だの友人だのが来てくれて,キャンバス代に絵の具代とご祝儀を上乗せした程度の金でお買い上げいただけるのかもしれない。だが,それはそれだけのものだろう。
 しかも,どう見てもさほど美人とは思えない知人か誰かに無理やり頼んで描かせてもらった「S嬢」について,登場人物に
 「美しい奥さんで」
 「何をいう。並だよ」
とやり取りさせる場面など,笑ってよいのか,困ってみせたほうがよいのか。
 「殉教」や「車輪」は,絵画作品としては大作で,昨日今日描き始めた日曜画家に描けるものではないことはわかる。だからといって,日曜画家の域を越えるものではない。それとも,こんなものでよいのか? どこかのタレントといっしょに,ナントカ展とか,通っちゃうわけなのか? 

 小説のほうは,鮎川哲也賞受賞作ならではの「日常の謎」系ではなく,それなりに骨太なパズラーを狙った密室物である。地方の無名画家(綴じ入れた絵はその画家の手によるもの,ということになっている)の作品の意味を追ううちに,過去のある二重密室殺人事件の謎が徐々に明らかになってくる,というもので,前半は悪くない。後半は……このトリック,この推理で原稿料受け取って,よいのか? 払うのか?

 作者には『バベル消滅』という作品があり,こちらは角川から文庫化されている。
 こちらにも1枚の絵が綴じ入れられていて,その中央には黄土色の顔をした,セーラー服を着ていなければ根暗なおっさんにしか見えない「少女」が描きこまれている。いや,別に前衛芸術というわけではない。人物については写実のつもりのようで,どうやら,作者ははかなくもエキセントリックな美少女を描いたつもりらしいのだ。
 その作品を評した
 「絵の中の少女は泣いていた。透明な涙が頬を伝っている。何故泣くのか。何が悲しいというのか」
この描写を読んで,もう一度作者自身の手による絵画作品をめくり返す。

 やっぱり,笑ってしまう。
 この落差を味わうためだけに手にしてみても悪くない。
 ただし,1冊で,十分。

先頭 表紙

めりーくりすます,フィー子さま。イヴくらい,もう少しオシャレで夢のある本を取り上げればよいものを,気のきかないカラス,毎度のごとくでございます。とほ。 / 烏丸 ( 2001-12-24 18:59 )
なるほど、その落差を味わうためですか(笑)。それにしても烏丸さんのタマラナイたとえが凄いですね。もうこの文章読んでるだけで胸がいっぱいでご馳走様でしたーという感じです。 / フィー子 ( 2001-12-24 16:22 )

2001-12-19 [非書評] 文庫とはいえ表紙は顔,顔は命


 そんなにこき下ろすのならいったいどうして安達千夏『あなたがほしい je te veux』を取り上げたのか,いや,そもそもそんなに悪しざまに言うならなぜ「すばる文学賞」作品を手に取ったりしたのか,ということだが,これにはそれなりに理由がある。
 書店店頭にて,カラスはあきれたのである。嘆いたのである。

 添付画像ファイルをご覧いただきたい。それから,少し下に画面をスクロールしていただきたい。
 いかがだろう。

 『裸婦の中の裸婦』(文春文庫)は,澁澤龍彦と巖谷國士の共著(二人とも旧字だらけで,入力するだけで一苦労だ),古代ギリシアの両性具有像(小池真理子の文庫『恋』の表紙にも使われている,あのヘルマフロディトスだ)からバルチュス,クラナッハ,ブロンツィーノ,百武兼行,デルヴォーなど古今の名画,そしてヘルムート・ニュートン撮影のシャーロット・ランプリングのヌード写真,四谷シモンの人形にいたるまで,12点の裸婦像からさまざまなエロスのあり方を若い女性との会話体で綴ったビジュアル文庫。
 若いころの晦渋さ,攻撃性を削り取り,枯れた,だがつややかさを失わない澁澤の語り口,そして澁澤が病に倒れたあとはその友人でシュルレアリスムの書籍で知られる巖谷國士がその連載(最後の3編)を引き継いでまとめたという,実に風雅かつ手応え豊かな1冊なのである。

 この「くるくる」で1年ほど前「本の中の名画たち」という小シリーズを立ち上げたのは,実のところ,この『裸婦の中の裸婦』にたどり着きたいがためだった。
 それが果たせなかったのは,今,澁澤を語るには少しそぐわないものがあるためだ。澁澤の価値が減じたわけではないが,自分の側がシュルレアリスムだの黒魔術だのプリニウスだの思考の紋章学だの,そういったオブジェとは別の地平にいるようで,最近も『悪魔の中世』『城 夢想と現実のモニュメント』『幻想の画廊から』となぜか立て続けに文庫化が進むのを読み返すのが精一杯,といった感じなのである。

 澁澤についてはいずれまた取り上げるとして,『あなたがほしい je te veux』だ。
 著者・安達千夏を,カラスは気の毒に思う。文庫本というのは,新人作家にとって,やはり1つの夢であるのには違いない。彼女が今後何冊本を上梓できるかはしらないが,初めての文庫本の表紙がいくら本文中にポール・デルヴォーが登場するからといって,ほんの数年前に発行された他社の文庫とそっくり似た構図ってのはないだろう。装丁者と編集者は『裸婦の中の裸婦』を知らなかったのだろうが,だとすると怠慢だ。
 しかも,『裸婦の中の裸婦』が白地にデルヴォー,背表紙は赤に白抜きの文字,とすっきりした中にも1つのフォルムを見せるのに対し,同じようにデルヴォーを使いながらこの色遣いはあんまりじゃないかと思うのだが……。

先頭 表紙

フィー子さま,触った手応えやインクの匂いで選ぶ本,というのは,なんというのでしょう,最高の贅沢のような気がします。そういう本も十年もすれば埃をかぶってしまうわけですが,その中からまた思い入れが積み重なっていく本もあります。 / 烏丸 ( 2001-12-24 20:33 )
ほんとにそっくりですね。きっと編集者は知らなかったのではないですかね。表紙や触った感触で惹かれてしまう本ってあります。やっぱり大切ですよね、表紙って。 / フィー子 ( 2001-12-24 16:19 )
Hideyさま,どうもー。ここしばらく,「酷評」が続いて,作者の方々には心苦しく思っています。別に,ひどい本にばかり当たっているわけではないのですが,いい本,いい作家はすでに何度か取り上げていて,何か新しい切り口でもないと取り上げられませんので,どうしても,罵倒三昧になってしまうんですね。困った。 / 烏丸 ( 2001-12-24 13:11 )
Fruit of Sand☆さま,いらっしゃいませ。ちなみに,この本は「ジャケット買い」したわけではありません。澁澤や巖谷や種村など,著者買いのほうでございます。 / 烏丸 ( 2001-12-24 13:11 )
つっこみをする機会がありませんでしたが、毎回とても楽しみに読ませていただいています。今も忙しいですが、日本での仕事も結構忙しかったため、「はずれ」の多い現代の作家の本はついぞ読まず、同じ作家の本ばかり読むようになってしまいました。烏丸さんの書評は大変参考になります。今後も活用させていただいて、よい本を読む機会を作りたいと思います。 / Hidey ( 2001-12-22 22:52 )
なんと美しい装丁でしょう。このページ。わたくしもいわゆる「ジャケット買い」はよく致します。 / Fruit of Sand☆ ( 2001-12-22 10:29 )
ところで,レオノール・フィニ(Leonor Fini)ってどうしちゃったのだろう。いや,どうしちゃったって言い方はおかしいが,なぜこんなにメディアから消えてしまったのだろう。Webで検索しても,なかなかよい画像ファイルが得られないし。 / 烏丸 ( 2001-12-20 01:15 )
ところで,このポール・デルヴォーという画家だが,1897年生まれ,1994年没。つまり,キリコやマグリッドと同じ時代にシュルレアリストとして活躍しながら,100歳近くまで生きたわけで……彼の作品が著作権フリーになるのは,まだこの後40数年も未来なのである。いやはや。 / 烏丸 ( 2001-12-20 01:14 )

2001-12-17 粘土造りの少女マンガ 『あなたがほしい je te veux』 安達千夏 / 集英社文庫


【端的に言えば,彼女をこの腕に抱きたいということだった】

 『妊娠小説』『紅一点論』の斎藤美奈子の書評集『読者は踊る』(文春文庫)には「休刊した文芸誌『海燕』(ベネッセコーポレーション)は購読者と新人賞の応募者がほぼ同数だったらしい」という一節がある。
 要するにマンガ家やミュージシャンになる才能がないオチコボレに対して,文章,それも技や知識の蓄積がいる本格エンタテインメント,取材が不可欠なノンフィクション,多少は勉強が必要なシナリオなどでなくて,身辺雑記的なエッセイや純文学が救済機関として機能している,というのである。
 いやはや,なんというわかりやすさ。

 では,その「海燕」休刊後,オチコボレ諸氏にはどの新人賞がオススメかという問題だが,難易度を別にすれば,集英社の「すばる」などいかがだろうか。
 その手の新人賞の多くと同様,痩せぎすで生理の遅れがちな20代の女性をモチーフに,頭でっかちなセックス描写をちりばめ,エキセントリックな言動の1つ2つさせてみせる,このあたりが基本だとは思うのだが,「すばる」の場合,ときどきSF的な踏み外しをも容認することや,さすが天下の集英社がバックにつくだけあってたまに映画化されるあたりも魅力だ(本気にしないように。カラスは「すばる文学賞」と「小説すばる新人賞」が別のモノだということを知らなかったくらいその方面にはうといのだ……えっ? そもそも「すばる」と「小説すばる」って別の雑誌なの?)。

 さて,第22回すばる文学賞受賞作,安達千夏『あなたがほしい je te veux』は,まったく基本に忠実な新人賞向け作品である。
 背表紙の惹句から引用すると「年下の友人・留美に対する同性愛の欲望を意識しながらも,中年の建築家・小田との官能と友愛に充ちた関係に癒しと安らぎをおぼえるヒロイン・カナ」。高校野球地区大会準々決勝敗退チームのピッチャーのオーバースローを見るような心持ちとでもいおうか。

 近い世代の女性ということもあるためか,先に取り上げた『コンセント』と類似した面も多々目につく。
 主人公の女性からみて恋愛対象とはいえない相手とのセックスが再三描かれること。
 それも含めて全体に「悪い子でしょあたしって」な気配が漂うこと。
 職業的なリアルな話(本作の主人公はモデルハウスに勤める不動産の営業)が小説としての読み応えを支えること。
 主人公が職場では有能とまではいかないまでも少なくとも無能ではないように描かれていること。
 主人公が周囲からユキ,カナと,なぜかカタカナ2文字で呼ばれること。
 主人公の昔の学友(既婚)の女性が登場し,軽んじられつつもそれなりにストーリーを動かすこと。
 主人公の特異性は結局のところ育った家庭,その家族のあり方にかなりの部分が求められること。

 これらの共通項がこの2作にだけのものなのか,当節の女流作家の作品に共通するものなのかはわからない。もちろん,『コンセント』と異なる点も少なくない。
 たとえば『あなたがほしい』では,『コンセント』に多用された擬音語,擬態語が極端に少ない。きちんと調べたわけではないが(実際,「ふかふかのカーペット」とか「ニヤリと笑った」とか,あるにはあるのだが)175ページまで読み進んだところで,
   庄内浜で水揚げされた寒鱈が,くつくつと煮え立つ。
という表現の「らしくなさ」にびっくりしたくらい,非常に少ない。
 たとえばセックス行為も
   (乳首の)隣で唇がさまよう。中心で疼いているものにだけは触れず,意地悪くその周りに舌で円を描く。背筋にむず痒さが溜まっていく。
といった具合にあくまで「言葉」重視で表現が積み重ねられていく。もっとも,いくらセックス描写の比率が高かろうが,
   局所的で明快な快感が立ち上がる。表面に近い筋肉が,絞られるように緊張していく。充血し肥厚した感覚に,細い異物がめり込んでくる。
ではポルノグラフィーとしては落第だ。

 もう1つ,家族や周囲から翻弄され,一方で自らの内なるものに翻弄されつつも,最後には翻弄する側に回ろうと宣言する『コンセント』に比べ,本作の主人公は最後まで相手の構えや反応によりかかるばかりだ。主人公が愛慕する留美という女性の描かれ方も中途半端で,いっそ一切描写がないほうが想像力をかきたてられてよかったかもしれない,などとも思う。
 結局,出来の悪い少女マンガを読んだような気分しか残らなかったが,作者はともかく,「すばる」はこれを選ぶことで何をしようとしたのだろうか。

先頭 表紙

2001-12-16 ぐりぐりと《精神世界》に抜いたり差したり 『コンセント』 田口ランディ / 幻冬舎文庫


【もうすでに腐りかけています。人間の形をしていませんよ】

 ベストセラーを読むのは難しい。たいていつまらないからだ。旬の勢いと話題性を剥ぎ取ったら読むに値しないものが大半ではないか。夕刊紙でもめくったほうがよほど血行によい。さりとて,放っておくとたまに本当に自分にフィットする本との出会いを逃してしまうことにもなりかねない。このへんが悩ましい。絶版の足の早い最近では,本との出会いは文字通り一期一会なのである。

 『コンセント』は昨年のベストセラーの1つであり,文庫化されたらぜひ読んでみようと思っていた作品である。漏れ聞こえてくる作者の言動からは,およそ興趣も魅力も感じない,しかし,「二カ月ほど前から行方不明になっていた兄が真夏の暑い日に衰弱死し,アパートのPタイルの上で腐り果てて発見された」という展開はひょっとしたらクリティカルヒットという期待を抱かせないわけでもない……。

 と,一気に読んでみた印象だが,これがある種の読者を駆り立てる理由はなんとなくわかるが,あいにくそれに没頭できる年齢は過ぎてしまった,といったところか。たとえば大学生になったら高野悦子『二十歳の原点』はもうとても読み返せなかった,そんな具合。

 物語に通底する《精神世界》については,なんといえばよいのだろう,「しかたないなぁ」とでも言うか。《 》でくくったのは雑誌「ムー」の延長にしか見えなかったためであり,その方面にはとくに関心がない。よろしくない,というのではない。こういった世界観やオカルトはまやかしのように見えるが,愛だの正義だの市場だのだってまやかしといえばまやかしだ。オカルトに立脚したホラーやミステリが許せて,純文学や青春小説が許せない理屈はない。
 ただ,最近はこういう,一日中自分のことばかり考えている主人公に付き合うのが面倒なのだ。要するに,「世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという,その事実が神秘なのだ」というのはウィトゲンシュタインの言葉だが,なんというか,「いかに」のところで「わあわあ,あたしって,あたしって」と騒いでいるような感じがしないでもない,そんな煩わしさとでもいうか。

 などと書くと,ひどく見下した印象を与えかねないとは思うが,本としては予想よりもずっと楽しめた。なによりミステリっぽい展開の読めなさがあるし,言葉を結晶化し,着床させるのが詩だとするなら,こういった,自分に棒を(あるいは自分自身が棒として)突っ込み,かき混ぜるような方法論も主題によってはナイスだよな,という面だってある。

 ただ,どうしても点数が辛めになってしまうのは,死臭,ビジネスライクな葬儀屋,死体が放置された部屋を清掃する専門の消毒清掃会社,そしてコンセントなどなどといった小道具の巧さに比べ,言葉遣いのレベルがあまりに凡庸に過ぎるためだ。
 一番気になるのが,擬音語,擬態語の多用である。無造作に拾ってみよう,最初のページだけでも
   喉の粘膜がひりひりして
   ウィーンというかすかなモーター音とともに,パソコンが
   カチャカチャとせわしなくハードディスクが
といった具合。
   駅に向かって歩き出すと下半身がすうすうする
   ざあざあいう水音がだんだん頭の中いっぱいに
   床がぐにゃりとやわらかくなって
   こめかみがズキズキと痛んだ
   熱い精液が膣からどくどくと溢れ出してくる
など,多用することの是非はともかく,一つ一つにあまりに芸がない。喉はひりひり,水はざあざあ,精液はどくどく。類型的というかステロタイプというか,小学生の作文じゃないんだから。
 男に肛門をいじられながらペニスにまたがる場面での
   かき回されるぐりぐりが好きなのだ
にいたっては笑うしかなかった。別の場面では
   ぐりぐりと腰を回しただけで男は慌ててペニスを引き抜いて射精していた
などというのもある。

 問題は,本作の世界における嫌悪も混乱も癒しも,その程度のステロタイプな次元のことかもしれないことなのだが。

先頭 表紙

逆に,パオラさまがこの本から読み取った「いままで誰も言語化しなかったこと」はいったい何だったのでしょう。カラスには「ときどき誰かによって言語化されてきたこと」のバリエーションとしてしか読み取れなかったんですよ……(もっとも,じゃあ,誰が言語化したの? とか聞かれると,困ってしまいますが。ユングでもないでしょうし。ブルトンの「通底器」のほうが近いのかなぁ)。 / 烏丸 ( 2002-01-10 02:37 )
パオラさま,いらっしゃいませ。本というものは,それぞれの者が主観的に読めばよいものですから,評価や好き嫌いは人によって異なって当然と思います。この本のように売れた,つまりたくさんの人が反応した本が,(商業的に成功した,しないとは別に)多くの人に何かを伝えたのは,間違いない事実ですし。単にカラスが今ほしいものとは違ってた,だからほしいときなら気にならない程度のことがアラに見えた,といったところでしょうか。 / 烏丸 ( 2002-01-10 02:35 )
はじめまして。私もつい最近読んだのですが、鳥丸さんが気にしてらっしゃる点は私はほとんど気になりませんでした。むしろ、いままで誰も言語化しなかったことを可能にしてくれて、そのことをとてもありがたく思いました。私はとても主観的な読み方しかできないので、こんな感想になってしまうのですか。ランディさんの「癒し」の答え(従来の手ぬるいものではなく)が見つかることを強く願います。 / パオラ(ヒラノ改め) ( 2002-01-08 03:05 )
ふのりさま,読み物としてはたいへんわくわくしながら読めたので,本私評は少し厳しすぎるように自分でも思います。少なくとも,ここしばらく,これだけ先の展開を読めず,展開にびっくりしつつ読めた本はそうそうありませんでしたし。文体的には「どこまでわざとなのだろう?」とも思います。 / 烏丸 ( 2001-12-19 00:47 )
こんにちは。ハハハ、相変わらず手厳しくていらっしゃる。私も読んでみましたが、霊や幻覚といった純粋に主観的な経験については、ここまではっきりと説明されない方が面白いような気がしました。もう少し読者に委ねられる部分があってもよいかなと。とはいえ、謎解きとしてはこれくらい明らかにされないとストレスを感じる読者も多いでしょうから、好みの問題かもしれませんが。 / ふのり ( 2001-12-18 00:00 )

2001-12-10 『今昔続百鬼 雲』 京極夏彦 / 講談社ノベルス


【思い出すだに馬鹿である】

 京極夏彦の最新刊は各編に「多々良先生行状記」とサブタイトルの付いた短編集で,時代設定は終戦直後,4つの短編はそれぞれが
  岸涯小僧
  泥田坊
  手の目
  古庫裏婆
という江戸時代の絵師・鳥山石燕の『画図百鬼夜行』や『今昔百鬼拾遺』に登場する比較的知られていない妖怪とかかわる事件を描いたものである。

 というと,京極夏彦の代表作である『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『鉄鼠の檻』などのいわゆる京極堂シリーズと似た設定で期待が高まるが,しかし本作の主人公は「小柄で肥えた」「鳥の巣の如く寝癖のついた髪に小振りの丸眼鏡」「寸詰まりの菊池寛のような」妖怪研究家・多々良勝五郎と,そのお供で語り手でもある印刷工・沼上連次の2人。
 彼らは金もないのに伝説蒐集の旅に出,寺だの神社だの旧跡だの古老の家だのを訪ねて廻り,身があるとも思えない研究に勤しむ。もともと計画性のないところに,多々良センセイの身勝手が十重二十重に重なって,行く先々で事件が……というのが各編の基調である。

 しかしこれが,実に面白くない。馬鹿コンビのギャグは笑えないし,事件は埃っぽいし,妖怪談義は深みに欠ける。
 なぜだろう。作者にユーモアのセンスがないわけではないし,この作者が妖怪を語ってつまらないはずもない。実際,京極堂シリーズにおける探偵・榎木津礼次郎の言動は各編とも爆笑モノだし,京極堂こと中禅寺秋彦の妖怪についての薀蓄,快刀乱麻の憑物落しは爽快極まりない。

 実は,本作がつまらない理由はかなり明確だ。
 まず,ユーモアのベクトルがマズい。今どき,愚か者を愚かに描いても笑いなど取れない。榎木津は美丈夫の貴族の御曹子であり,古今の名探偵以上の超絶的スーパー名探偵であった。
 次に,妖怪と事件の絡み方がマズい。ネタバレになるので詳細は触れないが,いずれの事件も,実はその章で詳解される妖怪とはあまり関係がない。これは,京極作品の『塗仏の宴』上下巻あたりですでに顕著になっていたのだが,雰囲気溢れる妖怪談義と関係者たちを巻き込んでいく事件とが,実はとくに関係ないのである。早い話が「説明的」なのだ。説明がなければ,その妖怪が登場する意味がないのである。
 そして,最後に,京極堂シリーズとの大きな違いとして,多々良センセイと沼上は,単にその事件の場に迷い込むだけなのだ。京極堂シリーズでは,事件そのものよりも,登場人物の誰かがいかに,なぜその事件に絡んでいくかにページが割かれるのとはずいぶんな違いだ。もちろん多々良センセイも,事件の現場に立ち合い,解決に力を及ぼしたり,誰かに解決してもらったりはするわけだが,そもそもその場を訪れることそのものがたいてい山道に迷ってのことなのだから,時間的にも空間的にもまったくたまたまに過ぎない。

 「偶然」がハバを利かすミステリくらいつまらないものはない(本作はユーモア妖怪小説(?)のつもりであって,ミステリではないのかもしれないが)。
 そして,この程度の作品でもWebを見るとそれなりに「面白かった」と評される京極夏彦。
 大丈夫だろうか。

先頭 表紙

……かもしれませんし,そうはならないかもしれません。というのは,どうも,ファンというものは,それが「よいもの」だからつく,ついてくる,とは限らないようだからです。 / 烏丸 ( 2001-12-16 21:28 )
これでもし「オンモラキ」がトホホだったら大量の京極ファンが離れるかもしれませんね。 / カエル ( 2001-12-16 17:26 )
あややさま,「ちょっとした偶然が2人の運命を音を立てて変えていく」ドラマならいいのですが,決着のほうに偶然をもってこられたらリモコンを投げつけます,はい。 / 烏丸 ( 2001-12-16 01:13 )
「偶然」がハバをきかすドラマも然り・・。 / あやや ( 2001-12-14 19:57 )

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