himajin top
烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-10-01 [雑感] 中島みゆき「船を出すのなら九月」
2001-09-29 独身者の機械 その七 ピュグマリオーンと象牙の乙女
2001-09-28 独身者の機械 その六 永遠の回転運動
2001-09-26 語られないことで語られる真実 『警察署長(4)』 原案 たかもちげん,脚本 高原泉,漫画 やぶうちゆうき / 講談社モーニングKC
2001-09-25 強い女といえば 『紅一点論 −アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』 斎藤美奈子 / ちくま文庫
2001-09-24 ちょっと気分転換 『塀内夏子短編集2 〜いつも心に筋肉を〜』 講談社マガジンKC
2001-09-23 独身者の機械 その五 アナベル・リー
2001-09-22 独身者の機械 その四 ジョナサン・スウィフトの結婚
2001-09-19 独身者の機械 その三 ルイス・キャロルの言葉遊び
2001-09-14 [考察] アメリカ同時多発テロ事件によせて - 2


2001-10-01 [雑感] 中島みゆき「船を出すのなら九月」

 
 中島みゆきの7枚めのアルバム『生きていてもいいですか』は1980年4月5日発売,

   うらみ・ます
   泣きたい夜に
   キツネ狩りの歌
   蕎麦屋
   船を出すのなら九月
   (インストゥルメンタル)
   エレーン
   異国

とい内容で,黒ベタにアルバム名だけのジャケットや,冒頭の「うらみ・ます」の印象のあまりの暗さゆえか,その前後のアルバムの中でも最も重苦しい印象が強い。彼女の(一見明るい)曲に見え隠れする,切なさや悲惨さを外から笑い飛ばそうとするようなメロディ,フレーズにも乏しい。

 その中で,「船を出すのなら九月」はタイトルからして見事な,稀代の佳曲ではあるのだが,残念なことに主旋律が往年の名曲と瓜二つだ。盗作かどうかは別として,どう聞いてもまったく同じなのである。

 その曲とは「小さな木の実」,1971年にNHKみんなのうたで取り上げられたもので,海野洋司作詞・ビゼー作曲(「美しいパースの娘」から)。
 歌ったのは「詩人が死んだとき」「こわれそうな微笑」の大庭照子,映像は草原の実写に赤や茶色の紅葉をあしらったカットの組み合わせだったように記憶している。ビゼーの原曲をはなれ,秋の木の実,つまり父親の死と少年の成長をうたった,心に染みる美しい曲である(のちに,ほかの歌い手によって何度かリメイクされているし,みんなのうた名曲集といったたぐいの楽譜やアルバムにもよく収録されている。「なつかしい童謡・唱歌」「midibox」にはMIDIデータが提供されているので,気になる方,興味のある方はどうぞ)。

 もちろん,ジョルジュ・ビゼー(1838-1875)の作曲したメロディについてはすでに著作権は切れており,最近DA PUMPが同じくビゼーの「アルルの女」を利用したのと同様,今さら責められる筋合いはない。だが,80年当時すでに大ヒットメーカーだった(桜田淳子らが歌ったヒット曲を自分で歌い直した『おかえりなさい』が『生きていてもいいですか』の前年)中島みゆきが,わざわざ盗作,パクリと指摘されるような危ない橋を渡るわけもない。
 おそらく,たまたまNHKみんなのうたを小耳にしたものが意識の奥底に潜り,それが「船を出すのなら九月」という歌詞のフィルターを通して噴き出てきた,といったところではないか。

 ここではこれが盗作であるかどうかを問いたいわけではない。
 「小さな木の実」も,「船を出すのなら九月」も,ナイーブなナイフが胸を刺す佳曲であることにはかわりはないのである(要するに,ビゼーがすごい,ということかもしれない。このビゼーが生前はほとんど評価されず,無理解な妻のために作品が散逸しかかったとは信じがたい)。



 そして,ここで本当に書きたかったことといえば……。

 だが,もう九月は過ぎてしまった。
 今はただ茫洋と船の上から過ぎ去った夏を振り返るばかり。
 ただ舳先を打つ波の音にあてどない旅を思うばかり。

先頭 表紙

「怜子」はその前の「元気ですか?」の語りから……どん!と心に入る,中島みゆき全アルバムの中でも“つなぎ”の妙では傑出した作品ですよね。で,その「怜子」,表向きは幸福をつかんだ怜子と風に追われる「あたし」の対照を歌いつつ,実のところは「一人で道も歩けない」女の子を選んでしまう男のずるさが責められているような気がします。のちの「テキーラを飲みほして 」にも通ずるような。 / う,うしろめたいわけじゃない〜 ( 2001-10-14 03:44 )
なるほど。そう考えると、みゆきさんの曲は一つ一つに何かが隠されているような気になってきました。怜子はどうかなあ? / フィー子 ( 2001-10-13 15:44 )
なるほど,パキスタンとバングラデシュの間に巨大なインドが。……チガウ。 / 烏丸 ( 2001-10-03 16:07 )
ども ご無沙汰しております(^^)境界線ですか? 確か名古屋まで行ったところで、巨大なきしめん地帯になってしまいまして...(^^; / Hikaru ( 2001-10-03 14:02 )
で,結局「うどん そば」「そば うどん」の境界はどのへんだったのでしょうね。「あほ ばか」の境界と一致するとかしないとか。 / 烏丸 ( 2001-10-02 21:08 )
Hikaruさま,お久しぶり。ちなみに,讃岐うどんの本場・香川では,うどん専門店が当然圧倒的に多いわけですが,大衆食堂,パイプ足のテーブルを置いたような店(テーブルの上にコインの占い機があるような)では,メニューにあるのはうどんと蕎麦,ではなくてうどんとラーメンですね。香川で蕎麦を食べるのは簡単ではないかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-10-02 21:07 )
昔 「そば うどん」の看板が どこで「うどん そば」に変るのかを東海道に沿って追っかけ調査する番組を見ましたです。(ここいらでは うどん そば・・・かな?)(‥ ) / Hikaru ( 2001-10-02 20:39 )
讃岐うどんファンとしては,やはり蕎麦屋でうどんを食べるのは邪道かと思うわけです。 / 烏丸 ( 2001-10-02 14:46 )
泣きながらきつねうどんを食べてる、蕎麦屋が胸に痛いです。 / まやひこ ( 2001-10-01 23:18 )
あややさま,この曲をはじめて聞いたころ,カラスは酒におぼれる無為徒食な学生でした。記憶の中の九月はいつも雨で,七月はいつも朝です。 / 烏丸 ( 2001-10-01 20:43 )
ふ〜ねを〜出すのならくーがつ〜 ああ、高校時代の涙がよみがえる・・。私も小さな木の実に似てるなと思ったことがありますわー。(メジャーに転調したあともなんとなく)やっぱり何年経っても、急に聴きたくなります。ただ生きて戻れたら。 / あやや ( 2001-10-01 20:10 )
『美しきパースの娘』の「パース」は,「パース」が正解なのか「ペルト」が正解なのか。手元にあるアナログレコードは「ペルト」と表記しており,しかも「小さな木の実」のもととなった「セレナード」が収録されていない……。ちなみに『美しきパースの娘』が発表されたのは1867年,日本ではヒトハムナシキ慶喜ドノ,で大政奉還ですね。 / 烏丸 ( 2001-10-01 13:07 )
知人とのメールのやり取りにこの「船を出すのなら九月」が出てきたので,書き記しておこうと思った次第(中島みゆき論に手を出すつもりはありません)。なお,昨年10月25日の「くるくる」に「せいぜい『美しきパースの娘』について知ったかぶりする」と書いたのは,このことを差しています。 / 烏丸 ( 2001-10-01 13:07 )

2001-09-29 独身者の機械 その七 ピュグマリオーンと象牙の乙女

 
【けれどもピュグマリオーンはどうしても、どうしても、どうしても、】

 泉木修の「百物語」には,ギリシア神話に題材をとった「ピュグマリオーン」(第六十五夜)という,もともとのギリシア神話をご存知ないとおそらく意味のよくわからないであろう短章がある。

 詳しくは後でそちらを直接読んでいただくとして,そのピュグマリオーン神話を簡単に紹介しておこう。このような話だ。
「愛しい女性がついには自分のものにならないことを悟り,女性を忌み嫌うようになった彫刻家のピュグマリオーンは,象牙の乙女の像を作り,それを飾り立て,ついにはアプロディーテーにその象牙の乙女を妻にしたいと祈る。願いは聞き届けられ,象牙の乙女は人間となり,ピュグマリオーンと結ばれる」

 だが,この話は,どこか辻褄が合わないような気がしてならない。
 そもそも,冒頭であっさりと話題から消えてしまうピュグマリオーンが愛した女性とはいったい誰だったのだろうか。神話はその氏素性には一切触れていない。しかし,アプロディーテーに祈るなら,まずはその女性と結ばれるように願うのが先ではないか。つまりそれは,愛が成就することが困難なのではなく,女神の介在によっても愛が成就することそのものがはばかられるような相手だったのではないか。そして,だからこそピュグマリオーンは女性を忌み嫌い,独身を誓うことになったのではないか。ならば,彼がこしらえた象牙の乙女もまた,結ばれてはならない相手に瓜二つだったのではないか……。

 「百物語」の「ピュグマリオーン」は,トマス・ブルフィンチ版『ギリシア・ローマ神話』の同章の結末の数行だけを書き換え,ピュグマリオーン神話の意味をがらりと変えたものである。ピュグマリオーンの愛してしまった女性が,もし彼の……ならば。そしてピュグマリオーンの愛が女性に似て女性にあらざる象牙の乙女に向かうとき,彼はスウィフトやキャロル,ポーと同じ意味での独身者だったのではないか。

 なお,「百物語」中でギリシア神話を扱った短章には第二十八夜「スピンクス」第三十八夜「ペーネロペー!」があり,前者には近親相姦の禁忌(タブー),後者には到達し得ないものを求める旅がそれぞれ描かれている。同一主題のヴァリエーションというべきだろう。
 だろう,などとまるで人ごとのようだが,本人がそのつもりで書いたのだから間違いない。
 泉木修は体調がよいときの烏丸なのである。

 さて,ピュグマリオーン神話の忘れてならないもう1つのポイントは,その愛の対象が象牙の乙女,すなわち「人形」だったという点だ。
 ここで私たちは,たとえば屈曲反転する少女人形を作り続けたシュルレアリスト,ハンス・ベルメールを,あるいは遺作として少女の裸体を古びた木製の開かずの扉の向こうに封じ込めた芸術家を思い起こすべきだろう。その芸術家の名は……。

先頭 表紙

peachさま,別にナイショにするつもりも深い理由もなかったのですが,まぁ,短いながらもオリジナルをものする以上,言い訳は無用,ということからあちらはどうしても寡黙なキャラになっておりました……。 / 烏丸 ( 2001-10-01 20:32 )
ひえぇ〜い。ナンだかそんなに早くから2つの日記を全く別人のように書いて来ていらっしゃったのですね。。。知らなかったわ!?奥が深すぎるぅ〜。 / peach ( 2001-10-01 18:52 )
いや,カエルさま,当人は知ってたわけですから(当たり前),そんな重大発表とかいう自覚は別に……。書いてることもよく見ればシュミが同じですし(これまた当たり前)。ちなみに泉木のひまじんでの会員番号が77番,烏丸が78番。つまり,烏丸のほうが陰の存在なのであります。 / 烏丸 ( 2001-10-01 13:11 )
えっ!泉木修さまイコール烏丸さま?・・・重大発表をさらりと! しかし全然気が付きませんでした・・・。 / カエル ( 2001-09-29 13:18 )

2001-09-28 独身者の機械 その六 永遠の回転運動

 
【42.195のフロイト】 ← 意味なし

 同じ「少女愛」でも『ロリータ』のハンバート・ハンバートの場合と,ルイス・キャロル,ジョナサン・スウィフト,エドガー・アラン・ポーらの場合とでは何かが決定的に異なって見える,ということを前回指摘した。

 なぜ,ハンバート・ハンバートはロリータと肉体関係を結ぶことができ,残る3人ではセックス,あるいはそもそも乳房,初潮といった第二次性徴そのものまで忌避したように見えるのか。

 まず,後者,たとえばスウィフトやポーには,そもそも肉体的に性的不能だったのではないか,とする説がある。性的快楽を享受できないがゆえに性の脅威を感じさせない少女,幼女に情愛を傾け,現実の肉体関係の代償として言葉遊びや論理遊びにいそしむ。
 これはそれなりに説得力のある説だ。ことにスウィフトの場合など,その高いプライド,聖職界での政治的成功の代替として風刺小説を書いたことと透かせ合わせても,十分納得できるものである。

 もう1つの,さらにうがった説として,彼らの少女愛の背景に近親相姦に対する禁忌(タブー)の気配を見るというものがある。近親相姦の衝動が「罪」の意識から去勢コンプレックスに結びつき,ナルシシスム,あるいはオナニスムとなって現れる……とかいう,例のフロイトのアレである。

 たとえば,先にあげたジョナサン・スウィフトには2歳違いの姉ジェインがいたが,彼がステラ,ヴァネッサとの三角関係のさなかに突然奇妙かつ実現不可能な条件をつけて結婚を申し込み,苦心惨憺の末に相手が了解したら,姉が結婚すると同時にスウィフトのほうから断ってしまった相手の名前がその姉と同じジェインだったこと。ステラとの(擬似)結婚の折りに「スウィフトとステラは実の兄妹だ」という噂を流したのが当のスウィフトではないかと思われるふしがあること。
 エドガー・アラン・ポーが叔母のクレム夫人を「母親」としての思慕を抱き,姪のヴァージニアへの手紙の中で彼女を「妹」と呼んだこと。ポーの代表作の1つにおいて,「アッシャー家」は濃密な近親相姦の禁忌のもとに崩壊していくこと。
 キャロルのアクロバティックな詩や童話は,そもそも妹たちのために作った家庭誌"Mischmasch"(ごたまぜ,の意)が発端だったこと。人間嫌いで通したキャロルが,晩年まで妹たちとは親しかったこと。

 もちろん,家族のためにお話を作っただけで近親相姦を疑われたのではかなわない。独身男が妹の家で死んだからといって,何の不思議があるわけもない。
 またジェインはありふれた名前だし,姉の結婚に寂しさを覚えた弟が身近な女に走るのもありそうなことだ。

 だが,それでも,(当人がそう書き残すわけはないから証拠がないとはいえ)この設定は魅力的だ。母親や姉妹への絶望的にかなわぬ愛慕を自分の中で折り返すうちにその愛の矢印は性的に未成熟な少女に向かい,精神の中の内燃機関は言葉遊び,論理遊びを執拗に繰り返す。達成できないことの代償であるこの遊びは,コミュニケーションという実用性を失い,とことんノンセンスの領域にはまり込んでいく。

 つまり,ロリータの肉体を抱けてしまったハンバート・ハンバートと異なり,スウィフトやキャロルやポーにとっては,愛の対象とは愛が成就できないことそのものであり,愛の成就とは肉体的接触のともなわぬ,ただ精神の機械的な回転運動なのである。
 もしそうならば,the winged seraphs of HeavenがAnnabel Leeと私をうらやむのも当然だったろう。その愛は,地上の肉の上にもったりと成就した愛ではなく,形而上の,いわば虚数空間にまっすぐに張り渡された太さを持たぬガラスの直線なのだから。

 実は,このひまじんネットでは,ちょうど1年前に,このような精神のあり方について描いた作品(?)が提示されていた。それは……。

先頭 表紙

2001-09-26 語られないことで語られる真実 『警察署長(4)』 原案 たかもちげん,脚本 高原泉,漫画 やぶうちゆうき / 講談社モーニングKC


【何も言うな】

 『代打屋トーゴー』『祝福王』の作者たかもちげんが癌で亡くなったのは昨年7月5日のことだった。
 当時モーニングに連載されていた『警察署長』が絶筆となったわけだが,週刊誌の刊行スケジュールを考えるに,亡くなる直前まで作品を描いていたのではないかと想像され,切なさと羨ましさに胸が痛む。
 もし病で倒れるとして,己は死の床でまで何かに熱中,没頭できるだろうか。

 『警察署長』の主人公は,警視庁本池上署署長・椎名啓介(警視正,38歳)。彼は異例の出身地勤務,さらに異例の在任10年目,さらにキャリアとは思えない昼行灯……。
 もちろんマンガであるから,昼行灯に見えて実は,という話ではあるのだが,この読み切り連載には連載開始当時から,たかもちらしからぬというか,微妙な苛立ちを覚えた記憶がある。

 たかもち作品では,本業公務員の代打屋であれ,新興宗教の教祖であれ,つまり謎にあふれた設定でも,1つ1つのコマでは隠し事のない,一人称の展開が常だった。しかし『警察署長』は読者に対してペルソナ(仮面)を被り通す。椎名の人間洞察にあふれた推理,地元に密着した知識から事件が解決するのはこういったマンガのお作法通りなのだが,そのくせ妙にベールの厚い,すっきりしない印象が強かったように記憶している。
 それが,警察関係に詳しい原案者の存在によるものか,自らの闘病を隠そうとした結果だったのかはわからないが,作者の訃報に接したとき,ああこのままベールは開かれないのかと脱力したことは確かだ。

 その,『警察署長』がモーニング誌で復活している。作画はやぶうちゆうきという若手(といっても年齢はわからないのだが),画風からみてたかもちのアシスタントの1人ではないか。
 メジャー誌での作者を代えての連載継続には,あまりよい印象がない(といってもすぐには『柔道一直線』に『空手バカ一代』程度しか思い浮かばないが)。だが,今回に限って,そう悪いことではないように思われる。まず,新しく登場したノンキャリアの前田吾郎,キャリアの相馬俊彦が警察システムの仕組みを描く上で巧い役割を果たしていること。もう1つ,椎名啓介が警察システムの中でタブーとなるいきさつの描き方が,巧い。原案者が当分隠すつもりなのか,実は(亡くなったたかもちの胸にあって)正解がないのか,椎名の同期の高杉という警察官が死に,その真相を椎名だけが知っているらしい,ということだけが明らかになるというなかなか力のこもったタネ明かし(正確にはタネ明かさず)が,初めて椎名の生の声を描いて見事だ。その生の声が,もう1人の同僚(のちに警察官僚として出世する)堂上を巻き込むまいとする「何も言うな」という台詞であることで,この『警察署長』第4巻は,たかもちの遺作であることを越えて新しい局面に到達したと見てよいだろう。つまりここにいたって,なにやら主人公の声が聞こえないくぐもった作品は,「語らない」ことでより大きな何かを語るという構造を獲得したのである。

 たかもち同様決して旨い絵ではないし,物語の展開も極上とはいえないが,一部の脇役のごつごつした存在感といい,要チェック作品だと思う。
 いずれこの作品を最初からきちんと読んで,「相手を読み切る」ことについて考えてみたい。この作品は相手を読んで読んで読み切る,将棋や囲碁のようなミステリを狙ったものだが,その作品そのものに隠された意図を読み取るのは,残された読み手の今後の務めであるように思われる。

先頭 表紙

そうなんです,しっぽなさま。上の本文の『代打屋トーゴー』のリンク先の日記が,そのときの追悼文になってます。 / 烏丸 ( 2001-09-28 02:35 )
えっ!?たかもちげんが亡くなっていたとは知りませんでした・・・・引きこもっている間に世間では色々変化がある、といってもあまりに悲しい。「代打屋トーゴー」は面白かったです。それからの作品は読んでいなかったのですが・・・ご冥福を祈ります。 / しっぽな ( 2001-09-28 00:46 )
TAKEさま,しかし『警察署長』の3巻まではとっくに品切れになってしまっているようです。探すほどのものかどうか。ちょっと悩みどころ。 / 烏丸 ( 2001-09-27 20:54 )
あややさま,警察署の地下4階というと,やはりなんというかあの,宿泊施設なのでありましょうか。 / 烏丸 ( 2001-09-27 20:52 )
最近では「ホテル」「味いちもんめ」なども作者・原作者が亡くなられてからも作品が続いています。僕も「代打屋トーゴー」以来、たかもち氏のファンでもあったので「警察署長」の再開も注目してます。おっしゃられる通り、もう少し経ったら最初からキチンと読み直してみたいですね。 / TAKE ( 2001-09-27 02:28 )
ホンモノの警察署長のイメージか・・。結婚式のスピーチの大半が署の社屋の紹介でありました・・。地上10階地下4階、とかいらん知識がつきました。 / あやや ( 2001-09-27 00:04 )
なんか,この私評だけ読んだら,どんなすごいマンガかと思っちゃいますね。実のところ,そんなに重い作品ではないんですけど。 / 烏丸 ( 2001-09-26 11:59 )

2001-09-25 強い女といえば 『紅一点論 −アニメ・特撮・伝記のヒロイン像』 斎藤美奈子 / ちくま文庫


【森雪は高校野球部の女子マネジャーである】

 気分転換のつもりが,毎度のごとく1冊では片付かないのが悪い癖だ。
 だがひとたび「強い女」を話題にして,最近文庫化されたばかりのこの本を取り上げずにいられるだろうか。いや,いられない(反語)。

 斎藤美奈子『紅一点論』はアニメや特撮,伝記本の中に登場するさまざまなヒロインを取り上げ,男性社会の閉鎖性を斬り,返す刀で新しい女性の生き方を模索する……ような本では,少なくともない。
 どちらかといえば,アニメ・特撮おたくが過去の名作にメガネを寄せ,「あのシーン,オレはこう見たね」とうそぶく薀蓄本のほうがよほど近い。

 たとえば本書では,『ウルトラマン』や『マジンガーZ』の男の子の国のチームは親方日の丸の軍隊であると指摘し,そこで働く紅一点,つまり二十歳前後のセクシーな若い女は,父親の威光をカサに着た「七光娘」であり,公の仕事は通信係=電話番であり,陰の仕事は雑用とお色気サービスであると喝破する(『ドラえもん』のしずかちゃんさえ,シャワーシーンがお約束だ。しかも,しずかちゃんにはなぜか女の子の友だちがいない)。
 もしくは本書は,魔法少女の変身が体のいいコスプレであり,セーラー服,スチュワーデス,看護婦,パッツパツの水着状レオタードといった服装と大人の女の肉体への変身は,少女の夢の実現以上に,おやじ好みのイメクラ遊びに近いと言い当てる。

 ナイチンゲールはセカンドネーム,ヘレン・ケラーはフルネーム,そして何故かキュリー夫人には「夫人」という肩書きがつく。その理由についても筆者は十分納得のいく答えを用意しているのだが,「こうあるべき」「今後はかくあるべき」ということまで示すわけではない。
 本書はあくまで「アニメや特撮や伝記はこうで,こうで,こうだ」と伏せられたカードを順にめくって見せるだけ,その巧みな手さばきと綿密な調査に感心させ,笑わせるばかりである。

 本書はつまり,ジェンダー(性差)にとことんこだわった本ではあるが,フェミニズムの今後について,なんらかの明確な解答を提示しようとするものではない。
 だから面白い。だから可能性がある(かもしれない)。
 必要なのは,誰も正面から反論を口にできないようなお綺麗な(だが現実にはとうてい実現不可能な)模範解答や,逆に読み手が思わず引いてしまうような強固で狭い思い込みではない。目の前で事実をひらひらと揺さぶり,クラブのジャックと思っていたところにダイヤのクィーンがあって,確かに見えていたことが実は薄ぼんやりとした思い込みでしかないことを思い知ることである。それだけでよいわけではないが,それなしには何も始まらない。

 ……と,前向きに締められればよいのだが,女権論についての筆者の思いはひょっとすると正面から論じられないほどに絶望的なのかもしれない。
 解説の姫野カオルコは本書を「性差にこだわった本ではない」とし,エンタテインメント性を強調するが,それでは片付かない苦いものが残る。たとえば次の一節など,アニメの製作者が男だから,となじるわけでないだけ,余計に筆者の絶望の深さを感じるのだが,いかがだろうか。

  『エヴァンゲリオン』が図らずも残したのは,「チームの男女比が逆転すると組織は内側から崩壊する」という事例であった。『もののけ姫』が残す印象は,以下のようなものだ。女のけんかは限度を知らない。女はふところが狭いので,敵の論理を認められない。女同士の間では話し合いが成立しない。(「第四章*紅の勇者の三十年」より)

先頭 表紙

みなみさま,正直なところジェンダーの話題に踏み込む(心の)用意はありません。キャロルが,ポーが,と話題にしても,それははっきり言って身勝手な男の側の話に限定しています。ただ,この本の裏にあるのは,怒り,焦燥の域ではない,さりとて諦観でもないように感じました。 / 烏丸 ( 2001-09-27 20:32 )
斎藤美奈子の女権論についての絶望、私も似たようなことを感じます。まだ少ししか読んでいませんが、これからたくさん読んでみたい文筆家の一人です。(何より、爆笑できる!) / みなみ ( 2001-09-26 23:16 )
文庫版が出ましたか。女の変身がドレスアップという一節には笑えました。 / まやひこ ( 2001-09-25 07:51 )

2001-09-24 ちょっと気分転換 『塀内夏子短編集2 〜いつも心に筋肉を〜』 講談社マガジンKC


【今の・・・・だめだったんでしょうかっ】

 少年マガジンという雑誌は,同じ水曜日発売の少年サンデーに比べて硬派というかヤンキーな登場人物が多いように見えて,その実,女流作家による細やかな素材や恋愛感情の扱いがページの厚みを支えている,という構図がある。
 きちんと調べたわけではないが,この10年ほどの長期連載を見ても『おがみ松吾郎』の伊藤実,『シュート!』大島司,『Tenka fubu信長』ながてゆか,そして『Jドリーム』の塀内夏子らが女性である。こうしてみると,女流作家による連載の比率はけっこう高い。

 塀内夏子は,デビュー当時は塀内真人というペンネームで描いていた。真人というのは弟さんの名前だそうで,『おれたちの頂』(けろりん氏による詳評あり),『フィフティーン・ラブ』,『涙のバレーボール』などを「真人」名義で発表したのち,高校サッカーを描いた長編『オフサイド』の11巻以降は本名の塀内夏子で上梓している。作者名が変わったと読者が動揺したふしもないので,少年マガジンの読者にとってはたいした問題ではなかったのだろう(欄外の落書きなどからなんとなく作者が女性であることがうかがえたし)。

 だが,女流だから女性的,というわけではない。むしろ,これ以上ないくらい正当派の少年マンガだといえる。
 塀内作品では,さまざまなスポーツをテーマに,やんちゃな主人公が,そのスポーツに打ち込むうちに真摯な姿勢を身につけ,仲間や周囲とのいさかいを突破して最後には本当の勝利を得る……ベタといえばベタ,ワンパターンといえばワンパターンなのだが,ツボにはまると泣ける。いやもう,実に泣ける。

 この9月,その塀内夏子の短編集が2巻,同時に発売されるという情報を得た。彼女の短編集といえば,デビュー当時の『ダイヤモンド芸夢』『サーカス・ドリーム』などが絶版になっている。そのあたりの再販だろうか。
 では,なかった。

 『塀内夏子短編集1 〜天国への階段〜』は,表題作こそ始まったばかりで打ち切りになった(ほかの連載とのスケジュールの兼ね合いからか?)ボクシングマンガだが,実質は女子マラソンを描いた「42.195のダフネ」がメイン,それに女子プロレスの北斗晶,神取忍やマラソンの有森裕子へのインタビューが巻末に掲載されている。「42.195のダフネ」は,美貌と素質を鼻にかけた,少々性格に問題のありそうな女の子が,ブランクののちに日本最高記録を塗り替える話。もちろん,塀内作品であるから,彼女は実はピュアな心の持ち主だし,石部金吉のコーチも心の奥底では彼女のことを憎からず,なんて説明するほうがヤボであろう。

 『塀内夏子短編集2 〜いつも心に筋肉を〜』では,女子プロレスを描いた表題作が秀逸。空手が得意で乱暴な少女紫(ゆかり)は,高校を退学して女子プロレスの世界に入門する。無口で無愛想なゆかりは,チャンピオンの陽子と闘うことになって……。こちらはゆかりの同級生の心臓の悪い青年との交際が彼女の闘争心を止揚する。これに平泳ぎの選手の引退を描いた「水の子」,さらに棒高跳びを題材にした掌編「谷川高校へっぽこ陸上部」が添えられている。

 いずれもこの10年以内に,主に青年誌で発表されたもの。代表作の長編連載のように個性的な登場人物が次々に登場して青春群像を形作るというわけではないが,逆にいえば主人公の苦闘と異性へのほのかな思いがくっきりと描かれて好感が持てる。これで1冊390円(税別),お買い得だ。

 それにしても……強い女は美しい。

先頭 表紙

月刊マガジンといえば『VIVA!CALCIO』ですが,これはセリエAが舞台ですから違いますよね。ボリビア。うーん,なんでしょう……? / 烏丸 ( 2001-09-26 01:54 )
フットボール漫画、大好きなのがひとつだけあったなあ。確か、ボリビアとかに主人公が行っちゃうやつ。月刊の少年マガジンだったと思う。烏丸さん、知りません? / ガス欠コイン ( 2001-09-26 00:40 )
高校サッカーを描いた長編『オフサイド』でも,登場人物たちの生活がサッカー一辺倒でないこと(テニスや剣道と掛け持ちの選手も出てくる),ライバル校でも試合中以外はいたってなごやかなお付き合い,勝ちより負け方のほうに重点をおいて描くこと……そのあたりにこまやかさを感じます。甲子園,プロ(それも讀賣)という一極集中型の野球ではないから,という面もあるかもしれませんが。 / 烏丸 ( 2001-09-25 15:06 )
塀内夏子さんはフランスW杯前、日本代表の成績予想で、堂々と「三戦全敗」を予想していたのが印象的でした^^; 「42.195のダフネ」は僕も好きな話でした。読み損なった話もあるようので、買ってみようかなあ…なんて思 / TAKE ( 2001-09-25 13:52 )
そうですね、確かにスポーツ漫画の作者って女性作家が増えていますね。新進のスポーツライターにも女性の方が増えている気もするのですが、共通してスポーツに対するとても自然で柔らかい眼差しがあるような気がします。かたや男性ライターのイメージって貧困になってきているのかなあ…なんて思ったりもしています^^; / TAKE ( 2001-09-25 13:51 )

2001-09-23 独身者の機械 その五 アナベル・リー


【海のほとりの王国で】

 彼がボルチモアの叔母,クレム夫人の元に身を寄せたのは,彼が22歳,従妹のヴァージニアが8歳のときだった。
 彼はその数年後,周囲の反対を押し切ってヴァージニアと結婚する。彼女が14歳のときだ。

 彼,エドガー・アラン・ポーは,陰影の深い詩作によってフランスのボードレールやランボー,ヴァレリーらに影響を与え,いうなれば象徴主義の祖となり,一方でイギリスのドイルに影響を与えて探偵小説,推理小説の祖となった。ディレッタントで鋭敏な偏屈探偵(デュパン)とその友人で凡庸だが実直な語り手の組み合わせ,密室トリック,暗号など,現代のミステリの多くの手法が彼の手によってすでに提示されている。また,ホラーやSFは太古の神話から脈々と築き上げられた文化であろうから,彼一人を祖とするのは無理があるだろうが,それでも「黒猫」や「アッシャー家の崩壊」が近代ホラーに与えた影響,「アーサー・ゴードン・ピムの物語」や「アルンハイムの地所」がのちのSFに与えた影響は決して小さなものとは思えない。
 彼の生涯は短く,残された作品は大半が短編でその数も決して多くはないが,天才の名はエドガー・アラン・ポーのような者にこそふさわしいといえるだろう。

 さて,今回の主題に戻る。
 ポーのヴァージニアに対する愛情は,残された手紙を読んでこちらが赤面しそうなほどのもので,彼らはともに愛しあい,むつまじい結婚生活を送る。だが,極貧の中でヴァージニアは胸を病み,彼女の死後,ポーは浴びるように酒を飲んで2年後に死んでしまう。
 だが,問題は,少女に対する恋愛感情,あるいは妻に対する情愛ではない。
 ボードレールはポーの評伝において,「ポオの小説には恋愛は出てこない。少なくとも,『リジーア』とか『エレオノーラ』とかは厳密にいって恋愛物語ではない,作品を旋転させる中心思想は,全く別種のものである」と述べている(小林秀雄訳)。ポーの作品には,一見恋愛感情に見えるものが何度も描かれている。だが,そこでは几帳面なまでに肉体的接触が避けられている。愛する者の肉体は天使によって奪われ,蛆に食われるものとして描かれる。そして,幼な妻ヴァージニアは,まるでそんなポーの心持ちをわかっていたかのように,死の直前に彼にこう告げたという。
「私が死んだら,あなたを守る天使になってあげる。あなたが悪いことをしそうになったら,その時は両手で頭を抱えるの。私が守ってあげるから」
 アーサー・G・ラーニドの描くヴァージニアの肖像はほっそりと清楚で,およそグラマラスなエロティシズムとは無縁な存在に見える。

 ポーの死後に発表された詩,「アナベル・リー」は,このヴァージニアへの思いを綴ったものと思われる。最初の二節をここに掲載しておこう。
(Poeの'ANNABEL LEE'と'TO HELEN'はいうなれば烏丸の永年の愛唱詩であり,学生時代には意味もなくそらんじたものだ)
 さほど難しい言葉も出てこないので,どうか小さくとも声に出してお読みいただきたい。


      ANNABEL LEE

              Edgar Allan Poe

   It was many and many a year ago,
     In a kingdom by the sea,
   That a maiden there lived whom you may know
     By the name of Annabel Lee;
   And the maiden she lived with no other thought
     Than to love and be loved by me.

   I was a child and she was a child,
     In this kingdom by the sea,
   But we loved with a love that was more than love ──
     I and my Annabel Lee ──
   With a love that the winged seraphs of Heaven
     Coveted her and me.


 ウラジミール・ナボコフの『ロリータ』は,この詩の引用から始まるといってよい。つまり,主人公ハンバート・ハンバートは,幼なじみのアナベルを亡くし,その面影にこがれるある日,ロリータと出会うのである。
 しかし,ハンバート・ハンバートをポーの直系の子孫と見なすことには抵抗を感じる。
 第一に,ポーやスウィフトやキャロルが現実に性的不能者であったか否かは別として,ハンバート・ハンバートはロリータの母親,そしてロリータ当人と肉体的関係を持つことができた,ということ。そして肉体関係そのものにはなんら嫌悪を感じていないように読めること。そしてもう1つ,ハンバート・ハンバートには決定的に欠ける(いや,満たされた?)要素があるように思われる。

 それは……。

先頭 表紙

Chilling and killing my Annabel Lee というのがリアルな感じです。有名な話ですが,胸を病んだヴァージニアが,粗末なベッドの上で震えていて,暖をとるものといえば薄い毛布と猫しかなかった,というのがあります。 / 烏丸 ( 2001-09-26 11:58 )
つづき読みました。悲しい詩ですね。 / アナイス ( 2001-09-26 00:59 )
アナイスさま,詩の全編は「Poe Annabel Kingdom」などで検索すると,わりあい簡単に見つかります(まぁ,アメリカで書かれた最も有名な詩の1つですし)。たとえばここにはThe RavenやTo Helenもアップされているようです。邦訳も「ポー アナベル 王国」で見つかりますね。たとえば,ここ。 / 烏丸 ( 2001-09-25 12:28 )
ガス欠コインさま,愛を超えた愛をもって愛しあってしまったら,手を触れてはいけないし,もちろんセックスなんてもってのほか,Annabelのように天使に連れ去られるほかない,というのが今回の一連のテーマであります。 / 烏丸 ( 2001-09-25 12:28 )
フィー子さま,ポーにはThe Raven,つまり「大鴉」という少し長めのウツウツとした詩がありまして,烏丸のカラスの由来は,実はその「鴉」にあります。 / 烏丸 ( 2001-09-25 12:28 )
みなみさま,もう1つ2つ気分転換(たまっている本やマンガのお片づけ)をしたら,続きをアップいたします。次のお題は,ここ,ひまじんネットにも関係しています。 / 烏丸 ( 2001-09-25 12:27 )
海のそばの王国で、て素敵ですね。この詩のつづきも気になりますが。 バラにもありますが、真っ白な花をつける西洋アジサイが、「アナベル」です。とても好きな花。 / アナイス ( 2001-09-25 07:53 )
「愛を超えて愛した」、想像を超える言葉です。根拠を見い出すのは難しいし、必要もないと感じます。性的な関係を嫌悪した愛も存在すると思うのです。もちろん、幼児との性交を嫌悪と感じない人も。言い切れないことも、整理できないこともありますが、この辺で。ゆっくりと、続編、お待ちしています。ありがとう。 / ガス欠コイン ( 2001-09-25 01:38 )
一気に読みました。フィー子さんが言うように、言葉の間に余韻が感じられます。人を愛する年齢とは、いつからなのか、誰も決めた訳ではありません。日本でも、アメリカでも、中学教師と生徒の肉体関係がニュースとして報じられましたが、共通しているのは、二人とも愛し合っていること。日本のケースの場合、結婚しましたね。それから、死んでも守りたい人は存在すると思います。もし、死んでしまったら、それは自虐的行為に映るかも知れませんが。 / ガス欠コイン ( 2001-09-25 01:34 )
小さく声に出して読んでみました。日本のものもそうですが、なぜか昔の言葉はゆっくりしているというか言葉と言葉の間に空間があるというか。気持ちのいい余韻を感じます。 / フィー子 ( 2001-09-24 17:32 )
このシリーズ、面白いです(^^* ゆっくり、続けてください。 / みなみ ( 2001-09-24 01:04 )
ところで,このシリーズだけ連発するのはさすがに重いので,気分転換に少しほかの本の紹介をはさむことにします。いや,もちろんちゃんと続きを書きますので……。 / 烏丸 ( 2001-09-24 00:55 )
添付画像は創元推理文庫『ポオ 詩と詩論』(東京創元社)。創元推理文庫には,同じ装丁で『ポオ小説全集』(全4巻)も発行されています。 / 烏丸 ( 2001-09-23 04:12 )

2001-09-22 独身者の機械 その四 ジョナサン・スウィフトの結婚


【「スウィフトとヘスタは実の兄妹だ」という噂を流したのはスウィフト当人だ,という噂】

 『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは,少女たちとのリアルなセックスの代わりに,言葉遊びや論理のアクロバットに没頭したのではないか,ということを述べた。もちろん証拠があるわけではない。邪推と言われればそれまでである。
 だが,文学史のところどころには,これとどこか似た匂いのする,奇妙な記録が散見する。

 今夜取り上げるのは,『ガリバー旅行記』の作者ジョナサン・スウィフト。そう,あの,小人の国(リリパット国),巨人の国(ブロブディンナグ国)を訪ねた船乗りの物語の作者だ。ラピュタ,ヤフーという言葉の発明者もこのスウィフトである。

 前もってお断りしておくが,烏丸は『ガリバー旅行記』を(ジュブナイルを除いて)きちんと読んだことがない。完訳本はぱらぱらめくったところで,放り投げてしまった。さらに,これからご紹介する逸話も,あちらこちらで「〜と言われる」「〜という説もある」と書かれたものから適当に抜粋したもので,根拠があるのかと聞かれればきっぱり「知らない」とお答えするしかない,そんな程度の話である。

 ジョナサン・スウィフトは,1667年にイギリス,ダブリンで生まれた。父親は彼が生まれる前に死に,母親にも見捨てられて乳母の故郷で孤児同然に育つ。のちのロンドンで学んで聖職者となり,一方で風刺的な作品を発表し始める。司教になることかなわず,ダブリンに引きこもって『ガリバー旅行記』(1726年)などを執筆,1745年,精神を病んで死去。

 彼は29歳のとき,生涯愛し続けるヘスタ・ジョンソン(愛称ステラ)と知り合う。このとき,ステラは15歳(別の資料によると,スウィフト20歳,ステラ8歳のとき,とある)。
 スウィフトは,ステラと相思相愛の仲にありながら,決して手を触れず,彼女と会うときは必ずステラの乳母を同座させたという。のちにステラの精神を安定させるために,名目だけの結婚式を挙げたとされるが,それにもかかわらずステラは死ぬまで自分のことを「老処女」と呼んだ。

 かと思えば,ステラと出会ったのとほぼ同じころ,スウィフトはジェイン・ウェアリングという女性に求婚している。そして,4年後にやっとジェインが同意したとき,彼は「君に僕との結婚生活が耐えられるものか」と絶縁状を送りつけている。

 のちには,エスタ・ヴァナムリー(愛称ヴァネッサ)という女性と知り合っている。ヴァネッサはスウィフトに一途な愛を訴えるが,ステラとの三角関係に心身ともに消耗し,胸を病み,スウィフトがステラと結婚式を挙げると力尽きて死んでしまう。
 スウィフトは手紙の中でステラを少年のようにYoung Sirと呼び,ヴァネッサを両性具有者(ヘルマフロデイトス)のごとく描いている。

 ……くどいようだが,どこまで本当のことだかはわからない。
 ただ,ここに見受けられるのは,異様なばかりに女性を意識し,そのくせ,肉体的接触を極端に嫌悪する精神だ。「フロイト風にいえば,異性との肉体関係によるエロティシズムの成就に対する根深い抑圧,つまり強烈なナルシシスムの傾向があったことが,そこに暗示される」(高橋康也)。

 スウィフトの書いたものとキャロルの書いたものとの間に見受けられる共通点についても,少しだけおさえておこう。
・ガリバーは訪ねる国によって巨人扱いされたり小人扱いされたりし,アリスは飲む薬によって巨大になったり小さくなったりする
・スウィフトがステラに宛てた手紙,キャロルが少女たちに宛てた手紙の中には,アルファベットを重ねたりはぶいたりした一種の幼児語が用いられている

 そして,スウィフトもキャロルも異常なばかりの潔癖症,整理好きだった。これは,肉体的,性的なものへの嫌悪と結びついていたのかもしれない。

 そして,少女との結婚といえば……。

先頭 表紙

添付画像は集英社の『ガリバー旅行記』(矢崎節夫訳)。ラピュタやフウイヌム国(馬の国。野蛮な生物,ヤフーが出てくる)が完全に省略された,いかにもの子供向け翻案本です。正直,これを現代の子供に読ませることに,何の意味があるかわかりません(といいつつ,子供に買って読ませてしまったバカ親)。 / 烏丸 ( 2001-09-23 03:41 )
すいません。ちょっとバタバタしているもので、今。でも凄く興味があるので1からゆっくり見させてくださいませ。 / ガス欠コイン ( 2001-09-23 02:20 )
むむむぅっ,そう言っていただけると……さ,さっそくこれから続きに挑戦するのでありますっ。 / 烏丸 ( 2001-09-23 01:20 )
いやーん、続きが読みたい〜!(@_@) / フィー子 ( 2001-09-22 11:31 )

2001-09-19 独身者の機械 その三 ルイス・キャロルの言葉遊び


【木(TREE)から森(WOOD)を得よ】

 Googleなど,インターネットの検索エンジンで「聖書」「次いで」「世界」「読まれる」といったキーワードで検索を実行してみると,聖書に次いで世界で最もよく読まれている本は,たとえばドイルのシャーロック・ホームズ譚であったり,アラビアン・ナイトであったり,グリム童話であったりすることがわかる。けっこういい加減だ。コーランは候補にあがっていない。聖書に次いでコーラン,では剣呑にすぎるためだろう。
 『不思議の国のアリス』は,そんな,聖書に次いで世界で二番目によく読まれている書物の1冊である。

 というわけで,テロ事件についての考察から一転,再びルイス・キャロルの話に戻ろう。
 ずいぶん極端な,と思う方もおられるかもしれないが,実は頭の中ではそんなに離れた場所にあるわけではない。
 たとえば,こういうことだ。
 今回,ハイジャックされた旅客機は,2機が世界貿易センタービルへ,1機が国防総省へ,残る1機は墜落した。いずれも訓練されたテロリストが自ら操縦したものだという。自爆テロである。
 信じられない,と我々は簡単に口にするが,その我々の父親,あるいは祖父の世代,ほんの50数年前にカミカゼアタック,特攻を敢行したのは日本であって……という方向に話を進めるのが今日の目的ではない。少しだけ文章を巻き戻そう,自爆テロは信じられない,オーケイ,その通りだ。
 では,我々,ないし我々の周辺の者が,ときに舞い上がって(もしくは追い詰められて)口にする,「死んでも離さない」「死んでも許さない」「死んでも守る」,これらの言葉は一体何なのだろうか。
 ただの形容詞,ただの嘘八百,ただの勘違い,もちろんそれはそうなのだけれど,それを口にするほうも耳にするほうもかぁっと舞い上がるのなら,それはリアルとは別の次元で言葉が勝手に躍動するということではないか。言葉は本来リアルな事象と1対1,いわばリアルの影であったはずなのに,どこかで突然リアルな事象以上にリアルなものとして機能してしまうのではないだろうか。

 ルイス・キャロルが少女たちをこよなく愛し,コスチュームプレイ,あるいはヌード写真を撮影し,詩や物語を捧げ,やがて少女たちが大人の兆候を呈するやきっぱりと別れを告げた……ということは先にも簡単に紹介した。
 彼が金色の昼下がり,ピクニックのボートの上でアリス・リデルに語った物語をのちにまとめたもの,それが『不思議の国のアリス』だが,一読すれば明らかなように,この物語の面白さ,複雑さは,同じ子供向けロングセラーでも,たとえばグリム童話収録の物語などとはまるで次元が異なる。それは,単に登場人物の設定や置かれた状況,それに対するアクションや結果といったものではなく,それが書かれた言葉,つまり物語を物語る行為そのものの問題なのである。

 『アリス』に限らない。ルイス・キャロルが少女たちに書き送った詩や手紙には,たとえば次のような言葉遊びが含まれている。

○アクロスティック
 「折り句」ともいう。各行の頭の文字に人名や言葉を配置すること。たとえば,詩の各行の最初の1文字を続けて読むと少女のファーストネーム,最後の1文字を続けて読むとセカンドネームになる。

 日本でいえば,在原業平の
  からころも 着つつ馴れにし 妻しあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
に「かきつばた」が折り込まれている,そんな感じだろうか。

○タブレット
 キャロルが少女たちのために考案した言葉遊びで,ロンドンの女性週刊誌「ヴァニティ・フェア」に懸賞クイズとして掲載されて話題になったもの。ある単語の綴りを1文字ずつ変えて所定の別の単語に到達させる。たとえば,

  お茶を熱くせよ
    TEA
    sea
    set
    sot
    HOT

  涙を微笑みに変えよ
    TEARS
    sears
    stars
    stare
    stale
    stile
    SMILE

 ほかにも「ライオン(LION)から子羊(LAMB)を救え」「うなぎ(EEL)をパイ(PIE)にせよ」「4(FOUR)を5(FIVE)にふやせ」などなど。

○アナグラム
 キャロルの作品には,言葉や文章の文字を並べ替えてほかの言葉に変えるアナグラムが頻繁に登場する。たとえば

  WHERE MABEL?(メイベルはいかが?)
    ↓
  WE BLAME HER.(どうも感心しない)

といった具合。
 ミステリ作家「泡坂妻夫」のペンネームは本名の「厚川昌男」のアナグラムだし,今回のテロ事件の黒幕とも言われるオサマ・ビン・ラディン氏の名前Osama Bin Ladenを並べ替えると「a lebanon midas」(レバノンのミダス王)にして「
abased lion mam」(失墜した獅子)になるのだそうだ。
 本や人の話からの引用ばかりでは説得力に欠けるだろうから,日本語のアナグラムといえばやっぱりアレだよアレ,ということでおなじみ「いろは歌」を1つ即興でひねってみよう。

  アリス お茶会へ
  笑え 猫を
  ほっとけ そんな暇 無駄さ
  見ろよ 夢も 失せて
  不思議の国は 濡れる

 ほかにも,キーワードを利用したアルファベット暗号や,絵文字を組み込んだ手紙(dearの代わりに鹿,Iの代わりに目の絵が書かれる,など),文字で形を描いたアポリネールばりのカリグラフ,ダ・ヴィンチふうの鏡文字など,キャロルの言葉遊びはその執拗さにおいて少々常軌を逸している。まるで文章や単語をアルファベットレベルまで解剖し,切り刻み,手足を入れ替え,陵辱しつくすような……。

 もちろん,ルイス・キャロル,というよりチャールズ・ラトウィジ・ドジソンは,ビクトリア朝期の極めて冷静な常識人であり,少女たちとのお付き合いにはきちんとその両親の了解を得,ヌードを撮影するときにも必ず母親を同伴させている。
 つまり,ナボコフの『ロリータ』のハンバート・ハンバートや埼玉の幼女誘拐殺害事件のM君や最近のレイプビデオ好き手錠教師らと明らかに異なるのは,チャールズ・ラトウィジ・ドジソンは決して少女たちとのリアルなセックスをもくろんだのではなく,そういったリアルな行為の代わりに,言葉遊びや論理のアクロバットがあったのではないか,ということである。

 結論を急ぎすぎている? そうかもしれない。しかし,まだ旅は続く。

先頭 表紙

添付画像は「別冊現代詩手帖第二号 ルイス・キャロル」(思潮社)。表紙に使われた写真は,こじき娘に扮したアリス・リデル,撮影はもちろんルイス・キャロルです。アリスは黒髪なのに注意。本の挿絵が金髪なのは,キャロルが挿絵画家にほかの金髪の少女の写真を渡して,「こんな感じで」と求めたためだそうです。なぜだろう? / 烏丸 ( 2001-09-23 03:35 )
もちろん,タブレットは日本語でも可能で,高橋康也氏は「アタマをシッポに変えよ」,アタマ-アンマ-サンマ-サンポ-シンポ-シッポという例を紹介しています。 / 烏丸 ( 2001-09-20 01:13 )
せっかくですから,もういくつか「ヴァニティ・フェア」に掲載されたという問題を紹介しておきましょう。「盗め(STEAL),コイン(COINS)を」「釣れ(HOOK),魚(FISH)を」「粉(FLOUR)からパン(BREAD)を作れ」「黒(BLACK)を白(WHITE)に変えよ」。難問としては「魔女(WITCH)を妖精(FAIRY)に変身せしめよ」(間に12単語),「冬(WINTER)を夏(SUMMER)にめぐらせ」(間に13単語)というのもあります。 / 烏丸 ( 2001-09-20 01:12 )
「うなぎをパイに」のほうの模範解答にはe'enというの(evenの詩語)が出てきます。e'enはけっこう頻繁に出てきますね。ちとずるい……。 / 烏丸 ( 2001-09-20 01:12 )
「4を5に」の模範解答はFOUR-foul-fool-foot-fort-fore-fire-FIVEだそうです。タブレットでは早く到達するのをよしとするそうですが,逆に,長く回るのも偉い!という気がするんですが。 / 烏丸 ( 2001-09-20 01:11 )
あ、もうひとつ。EEL-sel-SED(Sozialistische Einheitpartei Deutschlands←ちょっとズルかも(笑))-fed-ped-pea-pee-PIE / なんか回り道してるっぽい ( 2001-09-19 19:05 )
ひとつ、できました! FOUR-foul-foil-fail-fall-fell-fill-file-FIVE / うーん クセになりそう。。。 ( 2001-09-19 18:50 )
チュウチュウさま,今ひとつご質問の趣旨がわかりませんが……犯罪とはルール破りのことであり,常に相対的なものですから,「やめられない遊び」だからイコール犯罪である,なんてことはないんじゃないでしょうか。 / 烏丸 ( 2001-09-19 16:30 )
言葉は所詮,生き物だから,捕らえようとしたら逃げるものなのか?遊びでしかないのならやめればいいのにね.やめられない遊びは犯罪でしかないのかなあ.どう思いますか? / チュウチュウ ( 2001-09-19 14:24 )

2001-09-14 [考察] アメリカ同時多発テロ事件によせて - 2

 
 たとえば,大半の方が言葉としてしか記憶していないかもしれない「ユーゴ空爆」は,NATO軍(といいつつ,実質大半が米軍)によって,国連安保理事会の召集も,経済制裁という通常の手口も踏まずに行われ,民間人を多数含む数千人の死者を出した。NATO軍側の死者は,ゼロである(*1)。
 ユーゴスラビアの内紛が捨て置いてよいものだったかどうかは別として,この手続きのすっ飛ばし加減,この数字は国際紛争のあり方としてどう考えても尋常でない。

 いや,それなら,過去のさまざまな紛争へのアメリカの介入は尋常だったのか。正しい情報の収集と公開,戦闘を避けるための最大限の努力を経たものだったのか。
 そもそもそれは,本当にその誰かの平和と独立のためだったのか。

 先のニューヨーク,ワシントンへのテロ攻撃は,数日経ってオサマ・ビン・ラディン氏が関与した,ということにほぼ確定した(らしい)。それは事実なのかもしれない。間接的な証拠は少なからずあるのだろう。しかし,では,なぜ彼らが生命を賭して反米テロに邁進することになったのか,それについて十分納得のいく説明をしてくれた報道はあったか。
 今日の夕刊紙の見出しを見ても「悪魔の軍隊」「狂信的」「テロ支援 悪のネットワーク」……まるで魔女狩りの標語である。よしんば彼らが狂信的なテロ集団だとしても,レッテルを貼る前になぜそのようなテロ集団が登場したかについての歴史を(たかだか数十年程度)さかのぼる必要はないだろうか。

 言うまでもないが,テロは絶対に許されるべきでない。ことに一般市民を巻き込んでの無差別テロは,無法,論外と口にするのもいまいましい。
 しかし,過去の多くの戦争において,勝者は常に敵を「超一級の悪」呼ばわりしてきたこともまた忘れてはいけない。
 大辞林によれば,テロルとは「あらゆる暴力的手段を行使し、またその脅威に訴えることによって、政治的に対立するものを威嚇すること」とある。だとするなら,たとえば冒頭で紹介したNATO軍による空爆は,はたしてテロでなかったと言い切れるのだろうか。

 ジェット機がビルに追突する瞬間や倒壊するビル,逃げ惑う人々,たむけられた花束……これらの目にインパクトの強い報道ももちろん大切だが,アメリカが今回「何をされた」かだけでなく,事件(戦争)に至った過程,正確な経緯を明らかにする努力も大切だ。
 まず,情動に流されず,何が真実かを見極める努力をしたい。簡単に真実が明らかになるなんて甘いことを期待しているつもりはない。正解に見えた答えが狂信に結びつく可能性だってある。だが,テロリストにとってコロンブスの卵と言えるだろう今回の大成功は,今後,さらなるテロルと報復の連鎖を生み続けるに違いない。そんな連鎖は,どこかで断たれねばならない。

 さて,案の定というか,ブッシュ大統領の「報復」宣言に対し,小泉首相の「対米支持」意思表示が英仏独3か国に比べて後手後手に回ったという批判がなされているらしい。判断,意思表示に遅れるのは為政者としては確かに問題だが……。
 かつて「パールハーバー」「カミカゼアタック」を実践したのが日本なら,「戦争を終わらせるため」という名目の元に2度にわたる原爆投下を経験したのもまた日本だ。戦争の矛盾,悲劇を経て平和憲法を掲げる日本には,日本にしかできない平和へのアプローチがあるのではないか。単に「報復」に賛成するだけが同盟国の務めではないように思われるのだが,どうだろう(*2)。

*1……コソボに駐屯する兵士に白血病や癌が多発して話題になった。これはNATO軍が対戦車で大量に使用した劣化ウラン弾のせいではないかという指摘がある。だとすると,それが投下されたイラク,ボスニア,コソボの住民の健康ははたしてどうなっているのか。これが,「人道のため」の「正義の戦争」の実態である。

*2……どうだろう,とカッコつけたところで,簡単に代案が出るなら誰も苦労はしない。とりあえず手元にある情報についてだけでもない知恵絞り,マスコミ報道に流されるのだけは避けたい。

先頭 表紙

フィー子さま,アメリカ軍による報復攻撃がなされた場合,アフガンの難民は100万人を越える可能性もあるそうです。結局,いつものように貧しき者と子供に漂流と飢えと病のしわ寄せがくる。この連鎖を断ち切るには,いったいどうすればよいのでしょうか。今朝の朝日新聞には,坂本龍一の「報復をしない勇気」という言葉もありました。それは,本当の勇気だと個人的には思うのですが。 / 烏丸 ( 2001-09-23 01:19 )
ゆっくり読めるときにとっておこう(笑)と思っていたらこんなに出遅れてしまいました。上手く書けないけどこういうことが言いたかったし、誰かがこう言ってくれないかなあと思っていた文章でした。やはり烏丸様です!テロという手段は言語道断だとしても、<なぜ>という点についてアメリカが考えていないように思えてなりませんでした。何でもそうですが、同時にいろんなレベルで物事を考えていかないと進んでいきませんよね。 / フィー子 ( 2001-09-21 14:45 )
おまけ。「下のつっこみへの返事はもうなさらないでください」って,これがどれほど身勝手な言いようかご理解できませんか。ちょっとあきれてしまいました。 / 烏丸 ( 2001-09-21 12:42 )
もう1点,感情を分離したら是非はどうなのか,ということを想定できないなら,それは一般的に「冷静な判断力を失っている」ということになります。ブルーさまの書き込みだけからでは,アメリカは今,冷静な判断力より感情論を優先して報復を進めようとしている,と読めます。それではテロリストを非難できません。クールダウンのために水をかけている者に対して「冷たい」と言われても,それは当然だろうなと思うばかりです。以上。 / 烏丸 ( 2001-09-21 12:37 )
「意図はわかりました」,これは勘違い,もしくは言葉の使い方が正確ではありません。相手の意図が正確に理解できたとき,人は相手と同じことを主張しなければなりません。それが論理というものです。ちなみに,僕はブルーさまのおっしゃりたいことが何なのかよくわかりません。「犠牲者をもっと思いやるべき」ということ以外,何一つ建設的なことが書かれているようには読めないためです。 / 烏丸 ( 2001-09-21 12:37 )
下のつっこみへの返事はもうなさらないでください。烏丸さまの意図はわかりました。私の考えが分かって頂いたのかどうかは疑問ですが。どちらにせよ、平行線をたどるばかりですから。 / プルー ( 2001-09-21 04:26 )
誤解をしないでほしいのは、烏丸さまのお話は建設的でないとは、言ってません。反米論は十分聞きました。では、テログループのほうはどうでしょう。議論が一方的に反米で、かなり感情も移入されているように見受けました。それから、やっぱりご返事をもらってもこのテロの攻撃で被害に遭った方への何らの感情も感じられません。感情論だけでは、何も進まないでしょう、が人間は感情の動物であり、今アメリカ(とくにNYは)はその感情に支配されていると言ってもいいでしょう。 / プルー ( 2001-09-21 04:20 )
最後に。家族が巻き込まれたり,現場を見たりで変わる理想論なら,それは単にその論が間違っていただけの話です。極端なことを言えば,当時現場にいなかった僕達はナチスの行為やヒロシマ,ナガサキについて語れないのでしょうか? 今回,この同時多発テロ事件について書いた際にずっと心にあったのは,たら子母さまのお知り合いの方の「傍観者に安易に語ってほしくはありません」という言葉です。「安易に」語ってはいけない。しかし,語るべきを語らないのも,許されないことだと思います。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:50 )
ちなみに,個人的な見解としては,ヒューマニティということが問題になるのは事故,犯罪の次元までであって,「戦争」はその範疇にありません。つまり,戦争とは,いかなる名目のもとになされようが,相手国,相手民族のヒューマニティを武力によって抑圧,抹殺せんとする行為です。アメリカは,この10年に限ってみても,テログループを圧倒しようとはしても,戦争を避けようとはしてきませんでした。それを心から残念に思います。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:43 )
4つめについて。Respect,ヒューマニティについて,軽んじるつもりはありません。しかし,イスラム原理主義者たちがここまで反米にこりかたまった原因も,そもそもパレスチナをはじめとするイスラム諸国民へのRespect,ヒューマニティ尊重の欠如ではありませんか。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:43 )
3つめについて。だからといって「今回はやむを得ない」とは申しませんし,テロは許しがたいという点についても本文に書いた通りです。アメリカの過去の行為,とくにイスラエルの建国がさまざまな紛争の根源にある,と主張することと,今回のテロを是とすることはまるで別の話。というより,過去の遺恨をさっと洗い流すいい手なんかあるわけがない,でも報復がベストとも思えないぞ,というのが本文の主旨です。これを建設的でないと言われても困ります。建設的でないのはここにいたった過程なのですから。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:42 )
そして,酷なようですが,犠牲者やその家族を悼む気持ちと,戦略,戦術級の類推をする機能を混ぜこぜにするのは,それはそれで判断においては危険が生ずる可能性もあります。顰蹙を承知で書きますが,今回の,ハイジャックした旅客機を高層ビルに激突させるというのは,実に見事な作戦だと認めざるを得ません。現在,世界中のテロリストがこのバリエーションを考案しているでしょう。しかも彼らは核,原発という切り札をまだ用いていません。亡くなった方々はお気の毒ですが,戦争はまだ始まったばかりかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:42 )
2つめについて。僕は個人的,感情的には戦争が大嫌いです。とくにユーゴ空爆のように,高所から自らは安全に爆弾を降らすという行為に対しては憎悪を感じます。しかし,人の感情と知性は同じ色一辺倒ではありません。RespectはRespectとして,ブッシュの打つ手は,タリバンの出方は,ビン・ラディン氏の応戦は,といった戦略,戦術級のことに目を光らせないなら,それはそれで情勢分析について欠けると言わざるを得ません。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:41 )
安全,についてはまたの機会に。アメリカの国民性ですが,アングロサクソンかどうかは関係ありません。この50年間,大統領の首は変われど,ヨソの国の揉め事に再三軍事力を持ち出し,思うようにおさまらないと気がすまないということを執拗に繰り返した,ここに極めて明確な国民性を感じます。植民地主義とはまた別の,保安官シュミ,空母を持った鍋奉行とでも言うのでしょうか。今回もいきなり「報復に賛成80%」,これはアングロサクソン系だけの数字ではありませんよね。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:40 )
各国との交渉ありや,という点ですが,たとえば昨日のインドネシアとの交渉において,経済,軍事力を背景にしたごり押しの要素がゼロなのか,多少あるのか,凄くあるのか,それを分離できない時点ではフェアな交渉であったかどうかはよくわかりません。日本なんか,交渉以前に「旗もってこい」の一言。ま,パワーポリティクスとはもともとそんなもんでしょうが。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:40 )
1つめについて。アメリカはフェアか,ということだと思いますが,まず,なぜビン・ラディン氏に確定でアフガン侵攻なのでしょうか。決意はともかく,納得のいく説明は聞いた記憶がありません(もちろん,ビン・ラディン氏を中心とする国際テロネットワークの仕業なんだろうな,とは僕だってそう思いますよ。でも,今回のテロを正確に察知できなかった情報網の得た資料でこんな短期にそう決めてしまっていいんでしょうか?)。 / 烏丸 ( 2001-09-21 02:40 )
建設的な意見有り難うございます。さらに展開したものをお書きになるのを待っています。皮肉でもなんでもなく、冷静なこの日記は、貴重に読ませて頂きました。 / プルー ( 2001-09-20 22:40 )
私は、戦争推進派でもないし、ブッシュ大統領ばんざいとも思っている訳ではありません。ただ、もしここに突っ込みなどしておられる方も含め、自分や愛すべきものが被害に合い、遺体すら見つけられない状況でもこのような理想論を戦わせている事が出来るのかどうか疑問に思います。 あるいは、被害に遭わなくとも現場を見てみれば、また見方も変わるかもしれません。感情的になるつもりはありませんが、ここでの議論にはヒューマニティが欠けていると感じます。 / プルー ( 2001-09-20 22:10 )
言っておられることが、アメリカが過去にやってきた事を考えれば、今回の事件は自業自得であり、それを報復などと言ってまた、他国の市民をまきこむことは許されない。亡くなられた方には仕方ないが、今回はやむを得ないという事だろうか、とこのように聞こえますが、そうでしょうか? / プルー ( 2001-09-20 21:58 )
烏丸さまの日記は、きわめて、冷静でおられますし、内容そのものにすべて、不愉快になったわけではありませんが、このつっこみを読んでいると、この事件を皆で議論して、楽しんでいるかのようです。それが、いささか、憂うつになった原因です. / プルー ( 2001-09-20 21:55 )
では、アメリカは、各国との交渉無しに、独断、勝手に報復の準備をしているというのでしょうか。 安全なところというのは、日本です。危険性がない、あるの議論はあるでしょうが、少なくとも、同じ事が、東京であるとは考えにくいです。アメリカの国民性という名の一般化は、おおざっぱすぎますね。それは、多分アングロサクソン、を差しておられるのでしょうか。 / プルー ( 2001-09-20 21:45 )
また,安全なところというのがどこのことを指しているのかわかりませんが,この世界には,戦争によって,継続的に安全を脅かされ,それに苦しむ者だっております。私は,私のような者をこの世にこれ以上一人でも増やしたくはないのです。 / 烏丸 ( 2001-09-20 16:30 )
建設的な意見,ということで申し上げれば,烏丸の結論は1つです。一刻も早く報復の準備を停止し,中東和平会議に向けて努力すべきだと思います。別途,国連平和維持軍と米軍との分離,核廃絶,当面の原子力発電所へのテロ防衛に努めるべきでしょう。アメリカの国民性,世界の趨勢から,簡単とは思いませんが,それらを抜きにしてのいかなる軍事行為も,最終的な勝者を生むとは思えません。 / 烏丸 ( 2001-09-20 14:07 )
私が、思うのは、安全なところにいる人々が、簡単に出来る批判という行為より、もっと解決するための建設的な意見を聞きたいということです。 / プルー ( 2001-09-20 06:10 )
何を書いていいのかしばし、呆然とするばかりです。批判は、あって当然ですけど、亡くなった方(あるいは、行方不明の方)達や残された方へのRespectがあってもいいと思います。暇人は、もっと良識のある方々と思っていましたが。。。 でもこれも表現の自由と言えばそうですから、何とも言えません。 / 一気にブルーになってしまった@プルー ( 2001-09-20 06:04 )
とりあえず周辺は平静を取り戻しているようですが,そのビルの業務再開は無理っぽい感じ。便乗愉快犯によるいたずら電話なのかもしれませんが,時節柄,シャレになりませんね。 / 烏丸 ( 2001-09-18 18:08 )
シティバンクに爆弾をしかけた,という電話があったらしく,赤坂のビルから人が避難しています。一時あたりはサイレンの音,ヘリコプターの騒音で騒然としていましたが,現在はやや平穏を取り戻しているようです。 / 烏丸 ( 2001-09-18 15:17 )
ふーっ,この事件のせいではないんでしょうが,ちょっとコンディション崩してしまいました。アンテナは張ったまま,いったん通常の本の紹介に戻ろうと思います(テロや中東関係の本……は,迷ったけど扱うのやめ。ハンパな知識でハンパなこと書いてしまいそうなので)。 / 烏丸 ( 2001-09-17 14:00 )
TAKEさま,そんなふうな「含み」はあるんでしょうか。ブッシュ大統領の顔にありありと浮かぶ「選ばれた恍惚と不安」,でもお父さんより小物な感じが心配。小物がキレるとどこまで突っ走るかわかりませんし。も1つのポイントは,ペンタゴンがやられたこと。世界の戦争史を見渡しても,これはまれに見る事件でしょう。このショックは数十年,トラウマとして影響を残すのではないかなぁ(死者,不明者数−−わかってないわけがない−−を明確にしないのは,よほどの,身悶えるほどの恥辱を感じているせいでは)。 / 烏丸 ( 2001-09-17 13:56 )
いや,ガス欠コインさま,別に日本だけではないと思います。イスラエル,パレスチナの戦闘があれだけ激化し,それを放置しておいて(しかもイスラム原理主義者はずっと以前から反米,宣戦を公言しているわけで),今さら「奇襲」「アンビリーバブル」とびっくりするアメリカも平和ボケではどっこいです。海に囲まれた国(アメリカも,南北はメキシコとカナダですから)の伝統的呑気さでしょうか。 / 烏丸 ( 2001-09-17 13:55 )
↓戦闘の被害者は出ないかもしれませんが、違った怖さがいっぱいですね。。 / TAKE ( 2001-09-17 13:03 )
同時に同盟国の踏み絵も済ませて、灰色諸国を監視。軍事行動は控えめに実行。そんなシナリオだったら現実的で納得が行く気もします。 / TAKE ( 2001-09-16 19:06 )
もしかしたらアメリカ軍、やるぞやるぞ…とブラフかけて、いぶり出し作戦かなあ…とも思ってます。ビン・ラディン氏狙いと見せかけて置いて、実は米国内・欧州の拠点潰しが目的じゃないか…と。例のエシュロン、フル回転でしょうね。。。 / TAKE ( 2001-09-16 18:39 )
コソボには現在、米軍基地が建設中なのではないでしょうか。烏丸さんの熱意には強く賛同します。しかし、今回のテロ事件以降、同盟国でありながら、日本だけが相も変わらず平和ボケの暮らしをしています。さらなる経済危機に加速に繋がることは疑いないのに。僕もとりあえず、*2が精一杯かな。 / ガス欠コイン ( 2001-09-16 02:05 )
出水彩霞さま,今日あたりまではかなりアメリカ寄りだったように思います。ただ,無差別テロを容認することをマスコミに求めるのも無理というものでしょう。今朝の朝日新聞あたりは,かなりフェアな記事もフォローされている印象があります。 / 烏丸 ( 2001-09-15 21:47 )
ただ,第三次世界大戦,という様相になるかどうかはまだわかりません。世界中が戦場になる,ということはないだろうとは思いますが,まんべんなく緊張に包まれる,という可能性はあるかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-09-15 21:47 )
Hirokoさま,テロというのは,本質的には,(1)戦争をしかけられた側が相手の最初の戦闘行為,(2)大国が小国と戦闘する場合の相手のゲリラ戦術,のいずれかを指して言うことが多いようです。要するにアメリカは,自国ないし自分の同盟国ないし自分が面倒をみている(みたい)国に対する戦闘を全部テロと呼びます。全部「悪」扱いされるのは,当たり前ですね。 / 烏丸 ( 2001-09-15 21:46 )
TAKEさま,ベトナム戦争のときにもアメリカは混乱していました。当時の映画は,キツいのが多いですね。超大国のエゴが何もかもまかり通って胸張りっぱなしのこの十数年のほうが異常だったのかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-09-15 21:46 )
マスコミは中立でも公正でもないですね。 / 出水彩霞 ( 2001-09-15 20:55 )
本当にアメリカが正義の国なのでしょうか。なんだか疑問なのです。いよいよ第三次(大惨事)世界大戦の始まりですか。 / Hiroko ( 2001-09-15 15:53 )
私は「充分な証拠もみつけられないまま、この国へ報復行動に出るとしら、それこそテロ行為だ」といった言葉が脳裏から離れません。 / Hiroko ( 2001-09-15 15:51 )
定住民が遊牧民を追っかけるのって、大昔から困難な戦いですものね。何を最終目標として報復するのか…というのも、もうひとつ不鮮明。いつになく余裕のない雰囲気のアメリカを見ていると不安です。 / TAKE ( 2001-09-15 02:35 )
その「貧民街の札付き不良」が山の中に隠れて,金持ちオヤジ,追いかけられるか。泥沼化しそうだし,ビン・ラディン1人を捕縛あるいは殺害したから片付く問題とも思われないし(このへん,すでに欧米風の意識でことにあたっているような気がしないでも)。 / 烏丸 ( 2001-09-15 01:43 )
いや、これもまたひとつの寄った見方に過ぎないかもしれません。(すみません) / TAKE ( 2001-09-15 01:00 )
…ということで、オイラも烏丸さま同様、今後の不安でいっぱいです。 / TAKE ( 2001-09-15 00:05 )
今回のテロは許せませんが、「金持ちの剣道三段のオヤジ」が多数で集って、「貧民街の札付き不良」を制裁する…みたいな絵もあんまり気持ちのいいものには思えません。はたして。。。 / TAKE ( 2001-09-15 00:03 )
「テロを見て喜ぶパレスチナ民衆」の絵をそのまま受け取る気もありませんが、「持てる者」「持たざる者」の間に深い溝ができているのも事実に思えてなりません。 / TAKE ( 2001-09-14 23:56 )
テロリズム・テロリストそのものは悪と呼んで構わないと思いますが、根底にある「南北問題」に関してなんらかの建設的救済がない限りテロの温床はなくならないのでは…と思います。 / TAKE ( 2001-09-14 23:36 )
akemiさま,毎度毎度エラそうなことばかり申しましてすみません。それにしても子供たちに戦争などについてどう説明するかというのは本当に難しい問題ですよね。いつかヒロシマ,ナガサキについて語ることになると思うのですが,そのときはちと重いぞ,こっちもしんどいがそっちも覚悟しておけよ,などと子供の顔見ては思ったり。 / 烏丸 ( 2001-09-14 21:57 )
子どもたちに、きちんと説明できる大人でいるために(になるために)私も学ばねばなりません。以前、こちらにつっこみをさせていただいたとき「一方からだけ見ていては、本当の歴史はわからない」と教えていただいたことがありました。そのことを思い出しています。 / akemi ( 2001-09-14 21:01 )

[次の10件を表示] (総目次)