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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-08-07 すべての子供たちと子供の心をもった大人たちに,この夏の一番星 『なつのロケット』 あさりよしとお / 白泉社JETS COMICS
2001-08-06 [私見] 新指導要領について
2001-08-04 インテリ農民の陵辱的ヰタ・セクスアリス? 『赤目のジャック』 佐藤賢一 / 集英社文庫
2001-08-03 [雑談] 手はあるか,iモードの迷惑メール対策
2001-08-02 もう1つの経済戦争 『マンガ 世界戦略 カモネギ化するマンガ産業』 夏目房之介 / 小学館
2001-08-01 お盆の帰省列車にこの1冊 『茄子 1』 黒田硫黄 / 講談社アフタヌーンKC
2001-07-31 [補遺] ヤング・ミュージック・ショーについて ほか
2001-07-30 知ってるつもり?! 『キャラバンサライ』 サンタナ
2001-07-29 知ってるつもり?! 『遥かなる影』 カーペンターズ
2001-07-28 知ってるつもり?! 『マッドマン』 エルトン・ジョン


2001-08-07 すべての子供たちと子供の心をもった大人たちに,この夏の一番星 『なつのロケット』 あさりよしとお / 白泉社JETS COMICS


【待てよ! 違うんだ こんな事 言うつもりじゃ なかったんだ】

 教育,などというと大げさだが,まぁ子供たちにメシを食わせて育てる途中で多少なりとも意識するのは,第一に読書の習慣を身につけさせること,第二に「技術」とそれによる達成感を楽しみとして経験させること,この2つだろうか。

 技術というのは,知識をカタチに変えるワザのことである。
 お絵描きでも工作でもサッカーでも鉄棒でも歌でもピアノでも料理でもテーブルマジックでも泥団子作りでも,素材や目的はなんでもいい。この世には技術によって構築される(逆にいえば技術がないとどうしても実現できない)ものがあるということ,その達成感を体で経験してほしいと願う。
 裏返していえば,PCや携帯電話,あるいは高層ビルのようにいかにも技術技術したものだけでなく,公園のブランコも割り箸もパイプ椅子も綿のシャツもアルマイトの鍋もポケモンのぬいぐるみも,あらゆるものが大小の技術の積み重ねの上に成り立っているという認識,手応えを持ってほしい。それは先人たちがこつこつと日夜積み重ねた工夫の結晶だということ,小さな,あるいは大きなブレークスルーを繰り返してはじめて当たり前のような顔をして僕たちの手元に届けられたものだということを。

 あさりよしとお『なつのロケット』は,1999年,白泉社「ヤングアニマル」に集中連載された作品。「ヤングアニマル」は水着アイドルのグラビアと『ベルセルク』,『ふたりエッチ』が売りという,どうにも小学生にはお奨めしづらい雑誌だが,この夏,ようやく単行本が発売された。

 作品中に登場する理科教師は,教育の壁に苦しんでいる。偏差値偏重の時代に,カリキュラムに添うだけではどうしても教えられないことがあるからだ。彼女の教え子たちもまた,見えない壁の中にいる。自分たちが何をなすべきか,どうやってなすべきかわからないためだ。
 だが,夏休みも終わりに近い夕暮れ,彼らはそれを突破する。
 『なつのロケット』はそんな子供たちの堂々たる成功を謳い上げる,同時にこの上なくいたましい物語である(123ページの三浦少年の笑顔には泣かずにいられない)。

 小学校高学年以上のすべての子供たちには,どうかこの作品を手に取ってほしい。
 そしてほんの少し,勉強や遊びの時間をふりわけて読んでもらえると嬉しい。
 『なつのロケット』はとてもささやかな,短いお話だけれど,その中にこめられた大切なものをどうか汲み取ってほしい。
 そして,これからの人生のいつか,どこかで,この作品に出てくる子供たちのように自分たちの作ったロケットを追って,夕暮れの空を見上げてほしい。


 今 真上……



 なお,「あとがき」によれば本作は第15回サントリーミステリー大賞優秀作品賞受賞作『夏のロケット』に触発されて描かれたとのことだが,これは作者の謙遜が過ぎるように思う。川端裕人『夏のロケット』は1998年刊だが,あさりよしとおが小学生を主人公にロケット開発の歴史を描いた名作『まんがサイエンスII ロケットの作り方おしえます』は1992年の刊行なのだから。

先頭 表紙

koedaさま,いらっしゃいませ。そうですね,そのへんが実に難しい。押し付けを含む「提供」と,自主性に任せた「放任」と,子育てはそのへんのサジ加減かと思います(決め言葉並べた子育て論やそれをふりかざす人くらい信用ならないものはありません)。 / 烏丸 ( 2001-08-13 03:16 )
まさにわが子が悩んでいることが書かれているように思います。 なんでちゃんと色々なことを教えてくれないのだろうと、今貪欲に吸収しようとするわが娘。 できるだけ力にはなりたいと思うけれど、力になっているのかどうか、いつも疑問に思いながら見守っています。 / koeda ( 2001-08-12 17:30 )

2001-08-06 [私見] 新指導要領について

 
【無理数としてのπ】

 数年前に発表された文部省の新指導要領に,戸惑いと憤りを覚えた方は少なくないと思う。「ゆとり」の名のもとにπを3.14…でなく3で計算させたり,台形の面積を指導からはずす,という例のカリキュラムである。
 幸い2002年の実施時点ではπを3で通すヘタレ教科書は1冊もないもようだが,この国の未来を担う子供たちにこれではあまりに心もとない。たとえばソフトウェア産業でめざましく躍進を遂げつつあるインドでは,基礎教育の中で,九×九ではあきたらず,二十×二十までを暗誦させるそうである。かなうわけがない。

 ただ,この新指導要領に今さらかみついたとしても,たいした意味はない。
 というのは,本当の問題はこの新指導要領が求められた背景にあり,たとえば旧来のπを3.14,台形の面積ありの指導要領によっても子供たちの学力は低下し続けてきた,という事実である。

 最大の問題は,悪しき人権主義だ(日教組の弊害についてはここでは触れない)。要するに,体罰がいけないのは自明としても,それに代わる強制手段を何一つ持てない現状の公立学校では,低いほうに学力をならす悪平等以外にいかなる指導もできないということである。極端な例をいえば,女の子全員が赤頭巾,男の子全員が狼を演ずる学芸会,生活水準差が表れないよう弁当持参を禁ずる運動会での順位をつけない徒競走,そして優秀な子供を特別扱いせず,できない子供を受容する心のこもった授業である。
 これらのとんでもなさについて,いちがいに学校,教師のせいにすることはできない。授業中に携帯電話で喋り続ける子供から携帯電話を取り上げると,「子供の権利が侵害された」と両親が県教委にかけこむご時世なのだから(実話)。もちろん熱血先生の個別指導もセクハラで左遷されかねないので要注意だ。
 一部の公立校の「心ある」教師は,学習,進学の意欲の高い児童と親に,塾での学習や私立への編入を奨めていると聞く。「心ない」場合は推して知るべし。

 これだけ問題の根が深いと(なにしろ温床は日本型民主主義原理そのものなのだ),文部省の指導ごときで事態が改善されるとはとうてい思えない。必要なのは構造改革だが,それはすべての教師とすべての親の意識や水準を変える,ということでおよそ現実的ではない。
 結局,郵政事業同様,公立学校による義務教育というシステムそのものが限界にきているのかもしれない。少子化も進んでいることだし,公立学校や教師はどんどん統廃合,リストラして,民間,つまり私立学校や塾に名実ともに任せてしまうのはどうだろう。そして,型通りの平等な教育など諦めて,いっそ徹底的な特殊教育を競わせればよい。たとえばスポーツ選手を育てる学校(すでにあるか),音楽家,政治家,あるいは宇宙開発者を育てる学校。

(これは,ある作品を紹介するための前文なのですが,紹介そのものとこのへんは分けておきたかったのです)

(つづく)

先頭 表紙

九九……快感……。それは青池保子『イブの息子たち』のニジンスキー。ペシ! / 烏丸 ( 2001-08-08 13:00 )
私も20x20まで覚えようかな?インド人の子供に負けたくないもん。 / りり ( 2001-08-08 08:46 )
いえいえ,そういうストレートな教育論本ならこんな回りくどい分け方しないざんす。新刊マンガを紹介するのに,教育論は欠かせないなーとは思ったのだけれど,こういうぐじゃぐじゃした教育の話とは分けたかっただけなのです(3000字におさまらんなーと思っているうちにおねむの時間になった,というのが正確なところですが)。 / 烏丸 ( 2001-08-06 11:42 )
『学力があぶない』ですかい? / 蛇足ぽたりん ( 2001-08-06 11:25 )

2001-08-04 インテリ農民の陵辱的ヰタ・セクスアリス? 『赤目のジャック』 佐藤賢一 / 集英社文庫


【ひひ,まずは奥方さまを優先して】

 相次ぐリストラに倒産,雇用不安の高まる昨今だが,そんな中でもなり手が少なくて求められている職業がある。その1つが時代小説家だ。
 池波,司馬遼といった大物が去り,残るおばさまがたもこの暑さではいつ風太郎に続いて,コホン,いや失礼。ともかく力のある時代小説家の登場が強く望まれ続けてきたにもかかわらずなかなか現れない最大の理由は,創作にともなう時代考証の面倒くささだろう。しかも時代小説の熱心な読み手は歴史や風俗にうるさ,ゴホゴホゴホ,いやつまり,文芸の徒たるもの,常に資料にあたり,正確な表記をむねとするのは最低のつとめであって。

 まあそのくらい大変なのが時代小説家なのだが,よその国の昔の話ともなるとその谷はさらに深く険しい。
 衣食住から言語,役職,宗教,交通,性生活,その他風俗習慣あらゆる項目について詳細な資料をしかも外国語であたらねばならず,その困難たるや想像を絶するものがある。
 ところが,だ。数年前にひょいと登場したこの佐藤賢一,なんと異国の歴史モノを得手とする。しかも,日本人でも多少は人物,ファッションについて知らないでもないフランス革命やルネッサンス期でさえなく,得意な時代が中世,英仏百年戦争期という珍しさである。14世紀ですぞ,14世紀(もっとも中世人が徹底的に暗愚だったとはルネッサンスを贔屓しすぎで,すでに英知の萌芽はあったというのが最近の説らしいが)。

 本書は,裏表紙の惹句によれば「十四世紀半ばの北フランス。百年戦争の果てない戦乱に蹂躙され,疲弊しきった農村に一人の男が現れた。人身を惑わす赤い目を持ったその男・ジャックに扇動された農民たちは理性を失い,領主の城館を襲撃,略奪と殺戮の饗宴に酔いしれる。燎原の火のように広がった叛乱はやがて背徳と残虐の極みに達し…。中世最大の農民暴動『ジャックリーの乱』を独自の視点で濃密に描く,西洋歴史小説の傑作。」

 ……百年戦争で日本人の耳に唯一馴染んでいる名前がジャンヌ・ダルクと思われるが(続いて青ひげ公ジル・ドゥ・レかな),ジャンヌ・ダルクが登場するのは同じ佐藤賢一の作品でも『傭兵ピエール』のほう。こちらは,農民暴動「ジャックリーの乱」……。うーむむむ。

 と肩に力入れて読み始めたが,別に歴史の知識を要求されるわけでもなくすたすた読めて(極論すれば,イギリスとフランスの場所を知らなくても読める。どちらかといえば,イタリアの歴史を多少知っていたほうがよいかも),まぁ面白かったし,登場人物もなかなか個性豊か,最後のオチも,オチとは言わないかもしれないが,まあなかなかうまくまとめているし。

 でも,一番の印象は,なんといっても────いやぁ,こんなえっちな小説とは思ってもみませんでした。勝目梓ほどではないが,花村萬月くらいにはえっちですねー。青少年諸君,電車の中で読むのはやめたまいよ。

 ちなみに,本文庫を手にするのなら,絶対に巻末の作者による「あとがき」や細谷正充の「解説」を先に読んだりしないこと。とくに「解説」。ミステリでいえば犯人とトリックを書いてあるようなものです。まったく何考えてんだか,最低。

先頭 表紙

某出版社勤務の知人が言うには,時代小説家が求められたのは昔のこと,今は「なんでもいいから売れる作家」がほしいとのことです。 / 烏丸 ( 2001-08-04 03:27 )

2001-08-03 [雑談] 手はあるか,iモードの迷惑メール対策

 
 iモードのデフォルトメールアドレスが,電話番号からランダムな英数文字に変わったと宣伝されていますが,相変わらず出会い系サイト等からのスパムメールは届いているようですね(人ごとのように書いているのは,携帯のメールは使っていないから)。

 考えてみれば,「090********@docomo.ne.jp」の数字8桁が数字とアルファベットの3〜30桁になるというのは単に量的な変更にすぎません。むしろコンピュータの得意分野といってよいかもしれない。
 もちろん,メールアドレスだけでなくドメイン名なども複雑にし,ランダムではなかなかヒットしないようにするのは可能でしょうが,それだと今度はユーザーの利便性が損なわれてしまう。とても覚えられない,手打ちできない。

 また,着信拒否を10件に増やした程度ではなんの対処にもならないことは,PCでメールをやり取りしていてもわかることです。同じアドレスからスパムを送り続ける業者のほうが珍しい。

 DoCoMoに打てる決定的な手段としては,素のインターネット経由メールを禁止し,メール発信者から金を取るシステムを開発することでしょうか。効果の不確かなスパムメール10万通に30万円払うなんてのは,さすがの業者もつらいでしょう。でも,これも一般からの利便性考えると多分無理。

 iモードはインターネットと違って集中管理なんだから,同一アドレスから一定以上の数のメールが送られたらそれを廃棄,これはいい考え……と思ったら,すでにシステム改変が検討されているようですね。
 もっともその論拠は「電気通信設備に多大な負荷を与えるため」とかになってしまうでしょうから,数万通程度で禁じられるのかどうかは疑問。しかも大量メールを機械的にはじくのならともかく,後で責任を問う程度では効果はどうか。
 DoCoMoのお知らせを見た限りでは,「裁判所に対し送信を控える旨の仮処分を申請」とのこと,これで業者が動じるとは到底思えません(宣伝メール発信は別業者に委託したと責任回避,業者は複数のPC,複数の使い捨てメールアドレス,複数のIP経由で分散発信……いくらでも逃げの手はありそう)。

 もう1つの手として,iモードのユーザー(Iさんとしよう)にメールを送ると,いったん自動リプライが届き,そのリプライにキーワード(Iさんが設定。姓名とか)を添えてリプライして初めてIさんがメール着信を知る,というのはどうか。これならメールの末尾にシークレットコード4桁を付けるのと違って,Iさんと面識がなければまずヒットしない。もちろん,メール送信側は,1行目にキーワードを書くなりすれば対応メーラーが自動的にリプライするようにすれば実際は2度送る手間はない。
 ただし……当然ながらトラフィック面ではとんでもないことになりそう。

 いずれにしても,メール受信で無条件に金を取るのは,今後難しくなりそうですね。着信メールを一覧表示してからダウン,ということになるのかな。でもそれだとタイトルに要件書けば,それだけで連絡通じますからね。もともとが1〜数行メッセージなんだし。タイトル用の「本文なし」の符牒が流行するんでしょう,きっと。
 それどころか,友達と示し合わせ,フリーメールアドレスを利用して
  ok@****.co.jp
からのメール着信音なら「了解」,
  no@****.co.jp
からなら「やだよ」の意思表示。これなら,タイトル表示すら必要ない。

 まぁ,この問題の根を絶つには出会い系サイトがはびこる社会と人間性のほうをなんとかしろよ,ですが……これがなんとかなるようなら人類なんてとっくの昔に滅びているわな。

先頭 表紙

ところで,とりあえず,メール着信音と電話受信音を個別に時間制限する機能(ex. 深夜2:00〜朝8:00はメールを着信しても鳴らない)なら簡単に開発できるような気がしますが……。いかがかな > NTT DoCoMo / 烏丸 ( 2001-08-03 20:21 )
あややさま,スパムメール送信を請け負う業者のアルバイト君がPCの前で仕事する姿を想像したら……やはりそれは夜中から朝方にかけてでしょうか。机の上にはゲーム機のコントローラとコーヒー牛乳,かな。 / またしりとり誘ってくださいませ ( 2001-08-03 20:19 )
なるほど!読んでるほうが面白くて、しばらく迷惑メールのメイワクサをわすれてしまいました。個人で変更したのにまだくる出会い系・・。しかも真夜中とか朝方です。ぷんすか。 / あやや ( 2001-08-03 19:33 )

2001-08-02 もう1つの経済戦争 『マンガ 世界戦略 カモネギ化するマンガ産業』 夏目房之介 / 小学館


【日本経済同様,構造改革は痛みを伴う】

 2001年7月,教科書問題,首相の靖国参拝問題に際して,韓国は日本との文化交流,軍交流などを制限する措置を発表した。

 だが,隣国同士,鎖国でもしない限り,政治がらみでは止められない流れもある。サッカーW杯はなんとか協力し合って無事成功させてほしいものだし,文化面ではこの夏,予定通りスタジオジブリの映画が韓国でも放映される。
 一方,日本国内ではこの夏,韓国の出版社・大明鍾(デミョンジョン)の日本法人「タイガーブックス」から,韓国の人気コミックスが単行本の形で発行される。8月6日には第1弾の8冊(価格は各600円),その後も順次発行される予定である。
 予定されているのは韓国で人気の少女マンガ,サッカーマンガなどだが,とくに期待されるのが「Hなナンセンスマンガなのだが,日本でいえば初期大友克洋や鳥山明のようなテイストのうまい絵で,かつ小林まことの絶妙な間を感じさせる」,梁栄淳(ヤンヨンスン)の『NUDL NUDE(ヌードルヌード)』……。

 おっと,ご紹介が遅れたが,この「 」内の評が,今夜ご紹介する『マンガ 世界戦略 カモネギ化するマンガ産業』からの引用である。
 本書は,夏目漱石の孫で(という紹介はもういい加減失礼だな)マンガ家,マンガ評論家として知られる夏目房之介が,海外の作家,評論家たちとのマンガ交流に巻き込まれ,あちらの勉強をしたり,こちらのことを伝えたりしているうちにさまざまな問題に直面し,危機感をもってそれを伝えようとした啓蒙書である。

 確かに,私たちは,日本のマンガやアニメが海外で高い評価を得ている,とは聞いているものの,実際にどの作品がどのような層に,どのような受け止め方をもって評価されているのか,具体的にはあまり知らない。高い評価といっても,夏目漱石のように評価されているのか,宮部みゆきのように評価されているのか,それとも館淳一のように評価されているのか,そのあたりは質的にも量的にも把握できているとは言いがたい。
 また,欧米,アジアの各国でマンガは描かれているのか,描かれているならどのように描かれ,どのように評価されているのか。講談社のモーニングは以前より比較的熱心に韓国,台湾の作家を取り上げてきたが,あれにしても本国で人気の高い作家なのか,それとも登呂遺跡の売店で売られている宮崎産の埴輪(本当)のようなものなのか,実はよくわからない。

 本書はそのあたりの事情をつぶさに伝え,また一方,マンガ,アニメに国際化の波が押し寄せているにもかかわらず,そのあたりにうとい出版者,マンガ家に対し注意を喚起するものである。版権や契約の問題にうといと,海外で大ヒットしたアニメの権料が入らない,作品を切り張りされ,スタッフクレジットを書き換えられるといったことさえ起こるようである。

 マンガの一読者が,はたして国際的なビジネスとしてのマンガ,アニメの有り様まで知る必要があるのかどうか,また海外のマンガ,アニメを知ることによって相対的に日本のマンガ,アニメの質,傾向を考えるという行為がはたして必要なのか,そのあたりはなんともいえないが,ただブームに流されるだけでなく「考えてみたい」方には非常によい体験になりそうな1冊である。

 たとえば,アメコミを読みなれたアメリカ人読者には,デフォルメされた(マンガチックな)人物とリアルな背景が共存する『釣りバカ日誌』はとても奇妙に見える,なんてことがわかるだけでも十分面白いのではないだろうか。

先頭 表紙

押井守は米国のビデオエージェントに「GHOST IN THE SHELL」の権利料を払ってもらえないそうです。 / 烏丸 ( 2001-08-02 11:36 )

2001-08-01 お盆の帰省列車にこの1冊 『茄子 1』 黒田硫黄 / 講談社アフタヌーンKC


【あんた茄子嫌いじゃない】

 2001年7月,小泉首相はその改革へのパフォーマンスで参議院選挙を圧勝し,ヒットラーとの類似を指摘する夕刊紙さえ現れた。

 その同じ7月。
 こちらはナチ,ではなくて茄子。『大日本天狗党絵詞』,『大王』の黒田硫黄の新刊,連作短編集である。

 最初の話は,読書好きの中年オヤジが野良仕事を終え,納屋を開けて若い男女を発見するシーンから始まる。無気力な高校生・まるかは18,少年は5歳年下。家出らしいが,年下の少年のほうが仕切り屋で,オヤジは2人に茄子を食わせ,風呂を使わせる。
 なるほど,この3人が登場人物で? と思っていると,2人はあっさりと物語から消え,代わりにワケありな雰囲気の中年女がオヤジのもとを訪れる。ふうむなかなかこのオヤジもワケありそうな,と思っていると,その次はぜんぜん関係なさそうな高校の屋上の空中菜園が舞台で,その次にいたってはスペインの自転車レースがメインテーマだ。ほかのも面白いが,この「アンダルシアの夏」という中篇がなんとも凄い。ほんの50ページで,シブい映画をじっくり見たような気分になれるのだ。
 と余韻にひたっていると,やや,次の短編では,また最初のオヤジが登場する。それから,最後の短編には,また別の若い男女。
 いずれも,古い,上質な映画を思わせる。ということは,何気ないようで,アングルや台詞にいろいろなものがこもっているということか。とにかく50歳と45歳の添わぬ男女を描けるマンガというのはただ事ではない。

 いずれの作品にも,小道具として茄子が登場する。あの,紫色の,焼いて熱いのを皮むいて醤油かけたり,じっくりヌカに漬けこんだり,それから中華味で炒めたり味噌汁に入れても旨い,あの茄子だ。スペインのアサディジョ漬けは5日目が一番旨いのだそうだ(巻末にはちゃんと漬け方が載っている)。ワインと食え! ビールで食う奴は死刑だ! そうだ。

 これら脈絡のあるようなないような短編群に登場する茄子は,いったい何の象徴なのか……などと問うのはヤボの極みだろう。しいていえば,作者の太いペンタッチは,焼き茄子の皮のあたりのイメージにちょっと似てる。巻末のオマケの4コマが,また笑える。「夏はビールに限るなあ なすでも焼くか」という作者を台所で茄子たちがつるし上げ,「何がなすでも焼くかだっ!!」「なすのマンガ描いてわれわれをメジャーにしろ」「タマネギよりもメジャーにしろ」「大ブレイクしろ」……。

 さて,これが第1巻,大ブレイクは果たせるだろうか。

先頭 表紙

一見ガロふうなんですが,実はスピードというかアクションこもった感じですねえ。とらえどころはないけど芯はくっきり,という印象です。 / 烏丸 ( 2001-08-02 21:28 )
やや!でましたね!この方、大好きです。画力ありますねえ。『大日本天狗党絵詞』処分しなけりゃ良かった・・・某アングラ古書店に行ってみます。烏丸様、あったらゲットしておきま〜す! / しっぽな ( 2001-08-02 12:36 )
や,短編集がまた出ますか。要チェックですね。それにしても『大日本天狗党絵詞』,ずっと探しているのですが,これが書店店頭では見つからない……。 / 烏丸 ( 2001-08-02 03:17 )
わわわ、これは買わなくては。黒田硫黄の短編集(「大王」以降の作品)、イーストプレスから9月下旬頃に出るそうですよ。これも買いですね。 / けろりん ( 2001-08-02 00:48 )

2001-07-31 [補遺] ヤング・ミュージック・ショーについて ほか

 
○エルトン・ジョン
 『イエス・イッツ・ミー〜レア・トラックス』などが発売されたおかげで,エルトン・ジョンについては初期のCD化されてなかったマイナー曲も大半が手に入るようになっています。しかし,いまだブートレッグでさえ見かけないのが,かつて(1973年10月28日)NHKがヤング・ミュージック・ショー(*1)で放映した音源です。
 その内容ですが,まずは来日コンサートからJerry Lee Lewis「Whole Lotta Shakin' Goin' On」を一発(画質は悪いのですが,ピアノの前での飛び跳ねロックンロールで,まさに「一発」),そしてメインはロンドン・ロイヤル・フィル(ポール・バックマスター指揮)をバックに,「僕の歌は君の歌」「パイロットにつれていって」「60才のとき」「可愛いダンサー」「王は死ぬものだ」「黄昏のインディアン」「マッドマン」「布教本部を焼きおとせ」そして「グッドバイ」という,2nd,4thアルバムからのメロディアスなバラード中心に全体で約60分。
 実は,1993年に発売された『エルトン・ジョン/エルトン・スーパー・ライブ〜栄光のモニュメント〜』が,ストリングスをバックにオーストラリアで録音されたもので,明らかにヤング・ミュージック・ショー当時を意識した初期のメロディアスな曲中心の選曲なのですが,いかんせんこの時期のエルトン・ジョンは喉のポリープで高音が乱れ,曲によってはかなり聞き苦しい。
 やはり,若くはつらつとした時代のヤング・ミュージック・ショーのナイーブかつテレビ放映用とは思えないほどクリアな音源のCD化を期待したいのですが……。

*1「ヤング・ミュージック・ショー」……NHKが1971年〜1981年の約10年間にわたって,散発的に海外のミュージシャンのライブ映像を放映したもの。エマーソン・レイク&パーマー,ローリング・ストーンズ,ピンク・フロイド(ライブ・アット・ポンペイ!),スリー・ドッグ・ナイト,ロキシー・ミュージック,サンタナ,ポリスなど,プロモーションビデオがブームになる以前の貴重な洋楽ビデオクリップ,ライブ放映だった。

○カーペンターズ
 カーペンターズについて,デビュー当時から気になっていたのは,ともかくバックミュージシャンの写真がレコードジャケットに一切掲載されないこと。ライブコンサートのもようでも,カレンとリチャードだけを写すか,写っていても,ピンボケで顔も楽器の詳細もわからないようになっているのです。
 もちろん,ポップミュージシャンのバックバンドなんて今も昔も写真が載らないのが普通かもしれませんが(たとえば松田聖子のシングルのバックミュージシャンなんてぜんぜんわかりません),さわやか,和気あいあいなイメージで売っているわりには冷たいよなぁ,という気がしたものです。
 「愛にさよならを」のギターなど,いかにもカーペンターズふうの音がある以上,同じスタジオミュージシャンが参加していたに違いないのですが。

 なお,カーペンターズの怪しさについては,山岸凉子が1987年9月号11月号のASUKAに「グリーン・フーズ」という作品を掲載しています。兄妹のポップグループで,兄がキーボード,妹がヴォーカル担当,妹が拒食症で死ぬ,という以外は別にカーペンターズでなくともよい設定(兄が名子役だった栄光から才能ある妹を抑圧する,というストーリーになっている)ではありますが,山岸凉子もなにか気になるものがあったのかな,という気はします。

先頭 表紙

当時のNHK教育が何を思ったかフランス語講座のゲストにポルナレフを招き,インタビュー。「ポルナレフさんは,暇な時には何をしているんですか?」の問いに答えて曰く,「退屈してる」。 / 烏丸 ( 2001-08-02 21:26 )
ポルナレフは,代表作がCD化されない謎のミュージシャンの1人だったのですが,最近ようやく初期のアルバムも手に入るようになりました。とくにラップや中米音楽を取り込み,多重録音をこらした3枚目は時代を考えるとその先進性にちょっとびっくりします。 / 烏丸 ( 2001-08-02 21:24 )
ビデオなんてなかったあの時代、目を皿のようにして見ていました。全身耳と目。ミッシェル・ポルナレフとはラジオのAMで出逢い。後日姿を見てぶっ飛んだ〜です。 / しっぽな ( 2001-08-02 12:39 )
ビデオの(もちろんLDやVHDも)普及してない70年代には,「動く」ロックミュージシャンの映像は貴重でしたね。ヤング・ミュージック・ショーは英米のロック中心でしたが,フジテレビのミュージック・フェアはポルナレフやジョルジュ・ムスタキなど,ヨーロッパ系もけっこう登場したような。 / 烏丸 ( 2001-07-31 20:49 )
ちょうど帰宅した頃(4時半ごろかな)これ放送していました。小5の私に新しい世界を与えたのはラジオとこの番組でした。プロモのクリップなんかと比べて長くて重い画像。最近、BSで再放送していませんでしたか? / しっぽな ( 2001-07-31 15:26 )

2001-07-30 知ってるつもり?! 『キャラバンサライ』 サンタナ


【「着くまでもつか?」「ああ血がとまったから」】

 もとやま礼子というマンガ家がいる。いた,と書くべきだろうか。久しく作品を見かけないし,単行本もこの20年,出していない。
 手塚治虫が『火の鳥』を掲載した「COM」の月例新人賞でデビュー,70年代後半,つまり萩尾望都,大島弓子,樹村みのり,名香智子,伊東愛子,岸裕子,倉田江美らが描いていた頃の別冊少女コミックで異彩を放ち,その後ふっつりと消えてしまった。

 光をたたえた大きな目,長い髪がたなびく,要するに一見オーソドックスな少女マンガふうの絵柄なのだが,ストーリーに目をやるとこれが骨太というか,若者の感情を大胆に描く作品が少なくない。恋愛が成就するか否かにはほとんど力点をおかず,日々の出会いから湧き出る感情のダイナミズムを太い線で描く,そんな趣。高校生の青年の,姉に対する恋慕を描く作品などにその傾向が顕著だ。タブーを描くというより,成就のあてのない,出口のない思いが素材として好まれたのではないか。また神社仏閣,紅白饅頭等といった,少々古風かつ和風の小道具も,もとやま作品の特徴の1つだろう。
 決してメジャーな作家ではなかったし,活動期間も長くないので代表作と言えるほどのものはないが,単行本化された作品の1つに『やったぜ!墓場グループ』という連作がある。高校の近くの墓場にたむろする不良たちと,それにかかわってしまった少女・差久楽(さくら)の青春群像,といった趣のコメディ。もちろん四半世紀も前の少女コミックに登場する「不良」など,せいぜい学校の外でタバコを吸って酒飲んで殴り合いのケンカをする程度で,進学校に通っているぶん今どきなら模範的高校生といってよいほどなのだが。

 と,前ふりが少々長くなったが,この墓場グループの最初の作品「墓場グループの誕生日」で,生徒会長の吉川にあこがれる差久楽が彼の部屋で聞かされ,ステレオもプレイヤーもないのに思わず買い求めるレコード,それがサンタナの『キャラバンサライ』である。
 サンタナといえばカルロス・サンタナの泣きのギター,ラテンの情熱的なリズム,と,まあ,説明する必要もない,現役のメジャーバンドだが,この4thアルバム『キャラバンサライ』は,ウッドストックで名をあげ,「ブラック・マジック・ウーマン」等で功をなしたサンタナが,どんどん精神的な世界に傾倒していき,バンドとして方向性を見失う直前の,綱渡りというか神業のようなアルバムである。
 「キャラバンサライ」すなわち砂漠の「隊商」をテーマにしたこのコンセプトアルバムで描かれた精神性というのは,キリスト教の教条主義とは少々色合いの異なる,砂漠の夜明けに立ち会ったら人は誰しも敬虔な気持ちになるとかいったそういうものだろうか。ラテン,官能的,エキゾチズムに加えて敬虔な精神性,という,言葉の上では並存できそうもないものが一つの夜の焚き木の中で燃え盛り,そのくせ全体には涼しい風が吹き抜けるようにクール,そんなアルバムだ。

 もとやま礼子は,ほかの短編では,やはり不良少年たちのたまり場でポール・サイモンの「アイ・アム・ア・ロック」を小道具に使っている。これがまた,巧い。
 揺らぐもの,揺らがないものがロックやマンガの切実なテーマとなる時代……そういうことだろうか。

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2001-07-29 知ってるつもり?! 『遥かなる影』 カーペンターズ


【They long to be...】

 カーペンターズといえば「さわやか」「美しいコーラス」「バカラックの秘蔵っ子」それにせいぜい「多重録音」といったところで,硬派な議論はあまり見かけない。というより,カーペンターズがヒットチャートを彩った当時,カーペンターズのシングルを買い求める男は,プログレファン,ヘビメタファン,いや四畳半フォークな連中にさえ軟弱者扱いされたのではないか。
 だが,ときどきふと,「さわやか」だけで語り終えてよいのか? という気にならないでもない。実は何か裏にどろどろしたものはないのか,という疑念である。そしてそのどろどろのカケラでも発見できないかとCDを皿受けに乗せてみる。何もない。いや,逆にこの,どろどろしたものの徹底した欠落は,それはそれで何か怖いものなのではないのか。

 カーペンターズのデビューシングルは1969年の暮れに発売された「涙の乗車券」。言うまでもなくレノン&マッカートニーの作品のカバー(歌詞の"she"が"he"に置き換えられている)。翌年,2枚目のシングル「遥かなる影(Close to you)」が全米1位になり,あとはスター街道まっしぐら,といった感じだった(ちょうどジャクソンファイブと同時期で,シングル発売のたびにビルボードホット100を争っていたような記憶がある)。
 1970年といえば,日本では三島割腹,よど号ハイジャック,マンガを見ても「アシュラ」に「ファイヤー!」に「光る風」。アメリカでもベトナム戦争,ヒッピー,ドラッグなど,何か世界中が問題意識で煮詰まっていたようなころ。ロックシーンでもビートルズが解散,ハードロック,プログレッシブロックが頭角を現していた。
 そんな中,カーペンターズは登場し,出来すぎた御伽噺のような清潔でさわやかな愛の歌を連発する。

 何も,おかしくはない。いや,どこか,へんだ。
 もちろん,当時,ほかにポップミュージシャンがいなかったわけではない。たとえばやはりさわやかなイメージやオーケストレーションで日本でも人気のあったオズモンズやポール・モーリアも高い人気を誇ったころだ。
 しかし,ヒットチャートをにぎわすポップミュージシャンは,通常,ポップミュージックという箱の中での存在に過ぎない。カーペンターズは,それに比べると妙に浸透しているようにも見えた。明らかにビートルズのような精神性,革新性はないはずなのに,ビートルズのような受け入れられ方とでもいうか。うまく言えないが。
 うがった見方をすれば,ぎとぎとした時代へのカウンターとでも言うか。CDのライナーノーツによれば,日本でカーペンターズ人気が沸騰するのは石油ショックとほぼ同時期だったようだし,さらに後にイギリスで人気が出たときには,不況と失業でパンク全盛のころだったようである。カウンターというよりは,ヤシガラ活性炭的とでも言おうか。社会の問題意識が煮詰まった時代に,それを吸収するうつろな箱としての機能。

 だが,それを吸収したヤシガラはどうなるのか。
 そう思うと,あれほどのクリーンな印象でありながら,「カーペンターズ,兄弟で結婚?」と音楽雑誌に報道されたり,カレンが拒食症による心不全で亡くなる(32歳),というかなり悲劇的な終末を迎えることになったりしたこともわからないではない。ジュリー・アンドリュースではなく,ジャニス・ジョプリンの側にいた,とでも言うか。
 今,「遥かなる影」を聞きながら考える。カレン・カーペンターは,うまくすれば幸福な老後にたどり着けたのだろうか。それとも……。

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ヒットした「スーパースター」や「イエスタディ・ワンス・モア」の歌詞は,いかにも昔ラジオで聴いていたカーペンターズをあとから懐かしむ,みたいな内容になっていて,その入れ子構造がちょっと不思議です。 / 烏丸 ( 2001-07-30 14:14 )
好きでしたよ〜「カーペンターズ」曲しか知りませんが〜ほのぼのと〜ラジオなんかで聴いていましたよ〜♪ / 仙川 ( 2001-07-30 03:42 )

2001-07-28 知ってるつもり?! 『マッドマン』 エルトン・ジョン


【世界の森繁久彌】

 もう何年も前だが,ロッキングオンか何かに「エルトン・ジョンのファンっていったいどんな人なんだか」という記事が載って,苦笑いして読んだ記憶がある。とても有名なのはわかるけど,心からのファンがいるとはとても思えない,そんな書き方だった。
 確かに,最近のエルトン・ジョンは,ベルサーチやダイアナ元皇太子妃の葬儀で泣き崩れて「あたしなんかがねえ,生き残ってねえ」と森繁久彌やってる姿くらいしか思い浮かばない。

 だが,テレビCMやドラマの主題歌として2,3年に一度はリバイバルヒットする「僕の歌は君の歌(Your Song)」(2ndアルバム『エルトン・ジョン(Elton John)』収録)の作られた1960年代後半から70年代前半にかけてのエルトン・ジョンは,叙情味あふれるピアノの吟遊詩人というイメージと天才的な作曲の才能で,それはもうカルトな人気を誇ったものだ。たとえば「僕の歌は君の歌」はバーニー・トーピンから詩を渡され,ピアノの前に座って15分でできた,と言われている。
 『ホンキー・シャトー(Honky Chateau)』から7作連続全米No.1を獲得し,バラエティあふれるエンターテイナーエルトン・ジョンの最高傑作は『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード(Goodbye Yellow Brick Road)』,というのがロック雑誌などでよく言われる定説だが,どうもばたばたした印象,おまけに2枚組と長すぎて(最近はCD 1枚にまとめられている)あまり好みではない。というか,エルトン自身が言うところの初期の"strings period"好きとしては,(セカンドアルバムは多少聞き飽きたこともあって)ここは一つ4thの『マッドマン(Madman Across The Water)』を押したい。
 夜の高速をドライブするような切なさに満ちた「可愛いダンサー(マキシンに捧ぐ)(Tiny Dancer)」,ポール・バックマスターのアレンジが異様な高揚を誘う「マッドマン(Madman Across The Water)」,インディアン一族の悲劇的な最後を描く「黄昏のインディアン(Indian Sunset)」,アルバムの最後を締める小曲「グッドバイ(Goodbye)」などフェーバリットソングが並ぶが,中でも金儲けにしか興味のない小市民の死を歌う「リーヴォンの生涯(Levon)」は凄い。なめし皮のムチを振るうようなエルトン・ジョンならではの屈折したメロディ展開。アクの利いたヴォーカル,ピアノのタッチも彼らしい。

 エルトン・ジョンはよく知らないが「僕の歌は君の歌」は好き,という方には,同様のメロディアスなチューンとして,2nd『エルトン・ジョン』の「ハイアントンの思い出(First Episode At Hienton)」,3rd『エルトン・ジョン3(Tumbleweed Connection)』の「遅れないでいらっしゃい(Come Down In Time)」,さらには出来が悪いからとずっとCD化されなかった映画「フレンズ」のサウンドトラックほか初期の佳曲がようやく2枚組CDにまとめられた『イエス・イッツ・ミー〜レア・トラックス』から「四季のテーマ(Seasons)」あたりをお奨めしたい。恋や愛を歌うには,泣いたり叫んだりする必要はないのだ。

 『マッドマン』といい,最後に並べた曲目といい,エルトン・ジョンのオーソドックスな評価としては癖がある選択とは思うが,エルトン・ジョンのヒット曲を他のミュージシャンが歌ったトリビュートアルバムで元ポリスのスティングが「遅れないでいらっしゃい」を選んでいたのには驚き,また嬉しく思った。考えてみれば,この,世にも難しい愛の歌(なのか?)を胸張って歌えるのは世界でもスティングくらいなのかもしれない。

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