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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-04-09 マスコミの誤報について その三 専門家という情報源
2001-04-08 マスコミの誤報について その二 報道の本質について少し考えてみる
2001-04-07 『誤報 ─新聞報道の死角─』 後藤文康 / 岩波新書
2001-04-06 [書評未満] 『多重人格探偵サイコ』大塚英志 原作,田島昭宇 作画 / 角川コミックス・エース
2001-04-03 [雑談] ホラー小説と映像
2001-04-02 [短評] 『ハンニバル(上・下)』 トマス・ハリス,高見 浩 訳 / 新潮文庫
2001-04-01 『イチジクを喰った女』 ジョディ・シールズ,奥村章子 訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫
2001-03-29 『雪の峠・剣の舞』 岩明 均 / 講談社KCデラックス
2001-03-27 『WWW激裏情報』 激裏情報,にらけらハウス / 三才ブックス
2001-03-26 [短評] 『リング』 鈴木光司 / 角川ホラー文庫


2001-04-09 マスコミの誤報について その三 専門家という情報源

 
 もうずいぶん前のことだが,考古学の研究を専門とする知人が
「考古学については,新聞の派手な記事なんかあてにしてはダメだよ。どこの新聞も自分たちが親しい一部のセンセイの言うことばかり取り上げて,実証できてないようなことまで平気で載せてしまうのだから」
と苦い顔をしていたことを思い出す。どの新聞がどの大学のどの研究室の,ということまで詳しく説明していただいたのだが,申し訳ないことに詳細までは記憶がない。知人の懸念は,最近の旧石器発掘捏造事件でも明らかになった。
 もちろんこの事件の「犯人」はマスコミではない。また,以前から一部で指摘されていたと言われる旧石器の発見に対する疑問を取り上げていないことを責めるのも無理というものだろう。しかし,論文にすらまとめられていない発見を再三持ち上げるマスコミの煽りが,事件の当事者をますますのっぴきならない立場にまで押し上げていったであろうこともまた否めない。

 この事件は,マスコミ報道についてさまざまな教訓を示しているように思われる。その1つ,「専門家の言うことは正しいのか」という点について少し考えてみよう。

 『誤報 ─新聞報道の死角─』には,1990年5月の「高校生コンピューター・ウイルス事件」が取り上げられている。
 その年の4月,S社製のパソコン用のゲームソフトにコンピュータウイルスが発見され,話題になったのだが,この報道は,香川県丸亀市に住む高校生がパソコン通信を通じて大手コンピュータメーカーの社員を名乗る人物からコンピュータウイルスの開発を持ちかけられ,金銭と引き換えにそれを渡した,というものだ。とくに朝日新聞がスクープとして1面トップに掲載したが,記事を読んだだけでうさんくささに首をかしげるような奇妙な記事だった。

 まず,従業員4万人の大手コンピュータメーカー(暗にF社を示している)の社員が名刺を出して高校生にコンピュータウイルスの開発を依頼した……この時点でもう眉唾モノである。悪巧みをするのにわざわざ名刺を出すのは妙な話だし,そもそもコンピュータメーカーの技術力をかんがみれば,地方の高校生にウイルス開発を依頼することからして説明がつかない。ウイルス開発に40人がかり,というのも「わかっていない」印象である。
 さらに,その事実を突き止めたというのが,大阪のコンピュータ連盟の会長ということになっていたが……この人物がどういう位置付けにあるかは,パーソナルコンピュータ業界に詳しい者数人に尋ねればすぐにわかったはずなのである。

 この人物の悪口が本稿の目的ではないのでこれ以上詳しくは触れないが,結局,この報道は以前から虚言癖のあった高校生の言葉を新聞社が真に受けたための失態として決着を見る。果たしてそうだろうか。
 『誤報 ─新聞報道の死角─』は誤報の原因として記者のあせりや判断ミスをあれこれ挙げているが,そんな立派なものではない。先の人物からの情報を真に受けた段階ですでに敗北が決まっていたのだ。おそらく「コンピュータ」「連盟」「会長」といった彼の肩書きに目をくらまされたのだろうが,この人物の情報に基づいて記事を作成するのは,小泉純一郎の出馬の意思を確認するのに小泉今日子に電話するくらい頓珍漢なのである。

 そんな剣呑なことをしてしまうほど朝日新聞はパーソナルコンピュータ業界に疎いのだろうか。どうも,少々疎いようなのである。

(つづく)

先頭 表紙

カエルさま,堅い本をきっかけに堅い話が続いて,少々肩こり気味の烏丸でございます。反動が出ないように気をひきしめねば。ねばねば。 / 烏丸 ( 2001-04-11 02:04 )
小泉・・のくだりで、飲んでたコーヒー噴出しそうになりました・・もう烏丸さまったら(笑)それはそうと、自分の担当する業界の知識があまりない新聞記者って結構いますからね。(どういう基準で各部署に配置されるんだろ?)いかにも「らしい」単語に惑わされてしまうってありますね。 / カエル ( 2001-04-10 16:45 )

2001-04-08 マスコミの誤報について その二 報道の本質について少し考えてみる

 
 『誤報 ─新聞報道の死角─』(後藤文康)については,しかし,著者が大手新聞OBであるだけに,どこか誤報についての反省も対策案も業界の囲いのうちにあり,その点で限界というかそらぞらしい一面は否めない。

 第一に反省,対策といっても,たいがい精神論に過ぎないということ。また,誤報についての「おわび」「訂正」がなされたらそれで済むのか,ということがある。やらせが明らかになって謝罪した,といって,せいぜい担当者の首のすげかえ,マスコミ各社の中での順列に影響する程度で,「おわび」される側のダメージに見合うものとはとても思えない。そもそも,大手新聞は「おわび」を掲載するのに想像を絶するほどの抵抗を示すが,毎度の訂正記事の目立たなさはこれまた想像を絶するほどである。ほんとに謝意があるなら号外ぐらい出しなさい。それがスジというものだ。

 また,そもそも犯罪報道とは何か,という問題もある。
 「松戸OL殺人事件」で,冤罪とされた時点で各社はこぞって謝意を明らかにして世論におもねたが,では冤罪でなかった(有罪と確定した)なら,何を書いてもよかったのか。少なくとも松本サリン事件の河野さんについては,オウム真理教が加担していることが明らかにならなければ「おわび」「訂正」が載ることはなかったろう(この点は著者も明記している)。だいたい,マスコミは,いかなる権利があって犯罪の容疑者,被害者についてあのように鬼の首をとったように書き立てるのだろうか。国民の知る権利は,関係者の人権よりも重いのだろうか。

 念のため書いておくが,別にマスコミ報道の存続そのものを否定しているわけではない。しかし,マスコミ各社の報道行為は,国民の知る権利に答えること,再犯を防ぐこと,など,さまざまなプラスの面があることは確かながら,一方で関係者の人権,プライバシーを踏みにじることで成立するビジネスであるとの自覚は持ってほしいということだ。
 実際,マスコミ各社は,ロス疑惑事件についていかなる反省をしただろうか? 裁判で負けがこんだことへの反省はあったかもしれないが,たとえばテレビ局としては,得られた視聴率(広告収入)との収支決算はおおいに黒字であり,「ロス疑惑よもう一度」と願うプロデューサーは少なくないのではないか(事実,少なくないのだが)。

 ちなみに,テレビ局内部では「報道」とエンターテイメントたる「ワイドショー」は別ものという認識はあるようだ。しかし,それなら「ワイドショー」はオープニングで「本番組は報道ではない」と明言すべきと思うし,そもそも,「報道」と「ワイドショー」が違うというのも内部の人間の勝手な思い込みであって,視聴者から見ればテレビ局のチャンネルが同じなら同一の情報ソースにしか見えないという点は忘れられていないだろうか。

 つまり,いかに国民の権利を守るため等々の奇麗事を並べようと,マスコミ報道のある一面は情報話題ころがしによる利益追求である。これは,そういう報道とそうでない報道があるということでなく,あらゆる報道にその面がある,という意味である。

 1970年代,毎日新聞が小・中学生の教育問題を取り上げ,「乱塾時代」と命名して大々的にキャンペーンを行った。その結果起こったのは「よそが塾に行かせているのなら」という,さらなる塾通いの加熱,公立学校の空洞化であった。
 しかし,当たり前だが,毎日新聞がこの件について「おわび」「訂正」を掲載したという話は聞かない。

(つづく)

先頭 表紙

誤報ではないのですが,スポーツと朝日という点でここ数年気になっているのが,スポーツ欄の写真がつまらないこと。プロ野球でいえば決勝ホームランを打ったバッターの,その打席でなくベンチ前でナインに迎えられているシーン,サッカーなら試合が終わってうずくまるシーン,水泳では競技が終わって電光掲示板を見上げるシーンとか。要するにスポーツの躍動感の感じられない写真がやたら多いような。 / 烏丸 ( 2001-04-11 13:02 )
スポーツ・ファン的には、朝日新聞といえば昨年のフィリップ・トルシエ日本代表監督解任のフライング報道が記憶に新しい所です。もう少しで記事が現実を歪曲してしまうところでした。 / TAKE ( 2001-04-11 08:29 )
cesarioさま,烏丸個人は「書くことは犯すこと」と感じることはほとんどありません。ではどう感じているかといえば,「書くことは掃除洗濯整理整頓」。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:25 )
たらママさま,「所詮はそういうことで」と認識しておられる方はよろしいのですが,実のところマスコミ側にしても読者,視聴者側にしても,それは少数派なのでは,と思われます。とくにワイドショーや女性週刊誌にたいしては眉にツバしても,大手新聞が載せたらまるまま信用,という方は少なくないのではないでしょうか。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:25 )
「書くことは犯すこと」ですね。 / cesario ( 2001-04-08 06:12 )
マスコミという業種は所詮はそういうことで成り立っているのでは・・・。報道であっても事実というより企画(こういうストーリーがやりたい)ではないでしょうか。 / たらママ ( 2001-04-08 01:49 )

2001-04-07 『誤報 ─新聞報道の死角─』 後藤文康 / 岩波新書


【サンゴ汚したK・Yってだれだ】

 関東大震災下の「朝鮮人暴動」(1923年)
 元号「光文」事件(1926年)
 林彪事件(1971年)
 国際産業スパイ事件(1972年)
 ロス疑惑(1981年〜)
 教科書検定事件(1982年)
 大韓航空機爆破事件(1987年)
 「なだしお」事故(1988年)
 グリコ・森永事件(1989年)
 幼女連続誘拐殺人事件(1989年)
 サンゴ損傷事件(1989年)
 湾岸戦争(1991年)
 松本サリン事件(1994年) ……

 本書は,元新聞記者・紙面審議会委員の著者が,あるときは罪もない市民の人権を侵し,あるときは世論を誤らせてきたマスコミの「誤報」の数々を紹介し,それぞれの原因と過程,さらにその防止策,善後策を考えるというものである。

 誤報はなぜ起こるか。
 第一に,マスコミが,犯罪事件では捜査当局を最大かつ最重要な情報源にしていること。第二に,時間に追われ,確認を怠る場合。第三に,ほかの記者,新聞,テレビなどとの過剰な競争心理がチェックの甘さに結びつく。極端な場合には,「サンゴ損傷事件」のようなでっちあげ,捏造にいたることさえある。
 誤報をなくすには,ともかくほかの情報源によるクロスチェックを重ねる以外にない。もちろん,個々の記者,デスクが,報道というものがいかに大きな影響を与えるかについて自覚し,その一方でシステムとしてのチェック機構を整備することだろう。

 一方,誤報が明らかになった場合の後始末の仕方もまた重要である。いかに速やかに「おわび」「訂正」を掲載するか,そこにマスコミ各社の姿勢が問われるのは言うまでもない。

 本書は1996年の発行だが,1999年12月の朝日新聞が雅子妃の懐妊について,朝刊で華々しく報道した翌日急にトーンダウンしたことが記憶に残る。この報道は「誤報」とはいえないものだったかもしれないが,少なくともスクープ報道の直後,朝日新聞は何かに気がつき,口を閉ざしたに違いない。3日後の宮内庁による「(懐妊は)明確に断言できる段階ではない」との発表まで,誤報の可能性があること,現在詳細を調査中との旨を明確にすべきだったのではないだろうか。

 また,本書で取り上げられている「松戸OL殺人事件」とは,19歳の信用組合職員の殺害事件(1974年)で容疑者として逮捕された小野悦男が一審の無期懲役の判決から,1991年4月のニ審では人権派の弁護士の活躍などで無罪を勝ち取り,「冤罪のヒーロー」として祭り上げられ,各マスコミが大々的に「おわび」「訂正」したことを示す。ところが,小野容疑者は本書発行当時の1996年,幼女誘拐殺人未遂,また首なし女性の焼死体についても殺人容疑で逮捕され,無期懲役が確定している。
 人権派弁護士は松戸OL殺人事件については冤罪だったのだから誤報,という指摘を未だに繰り返しているが,この事件はむしろ裁判,報道の限界を示しているようで興味深い。

 昨今,インターネット上のニュースサイトで通信社の生の報道に触れられるようになったが,ときに大手新聞の記事がそれに妙に手を加えていることがわかる。すなわち,ごくまれではあるが,生の報道では
 「○○の○○がいついつ,AはBであると語った」
だったものが,前半が消え,
 「いついつ,AはBであることが明らかになった」
に書き換わっているのである。よしんば前者が事実であっても,後者は事実とは限らない。のちにAはBでないことが明らかになったとき,前者は(報道において全く責任がないわけではないものの)誤報ではないが,後者は明らかに誤報となるのである。

(つづく)

先頭 表紙

cesarioさま,ここで問題にしているのは「○○補佐官」等をはしょったために事実を捻じ曲げる場合のことであって,それを削ることの是非ではありません。限られたスペースで出来る限り情報を伝えようというのはマスコミ(プロ)に限らず,ここひまじんネットだって皆さん同じ苦心をしておられるはず。要は提示された表現そのものであって,書き手の裏の「つもり」などは知ったことではなく,ましてやプロがそういった当然の努力を云々するのは見苦しいだけと烏丸は認識しております。 / 烏丸 ( 2001-04-09 00:24 )
ただ、マスコミ発の情報の中にはおっしゃるように「そうとは言い切れない」部分もある。たとえ「作られた」ものだとしても、それなりに苦心されている部分もあるのだという点について、ささやかながら実情の一部をお話したいという気持ちになり、長々しい書きこみをさせていただきました。失礼がありましたらお許し下さい。 / cesario ( 2001-04-08 06:07 )
すみません、烏丸様の言わんとされた論点からずれてきてしまったかもしれません。週刊誌やスポーツ新聞などで取り上げられるネタでいわゆる大手マスコミが無視しているものはきわめて多く存在しており、それはすなわり新聞社によって意図的に「隠蔽」されているのだというご指摘については、まさにその通りであると自分も感じております。 / cesario ( 2001-04-08 06:07 )
ここで「ほら、『どの要素を入れるのか』という取捨選択において必然的に一定の意図を働かせているではないか」というご指摘もあるでしょう。それはおっしゃる通りで、その点についても自覚しているつもりです。 / cesario ( 2001-04-08 06:06 )
少なくとも自分が従事する範囲では、ある要素を隠蔽するか否かという意図を働かせるレベルに至る前に、読者にとってレレバントな情報をできるだけ盛りこむにはどうしたらよいのか、そのラインをどこに置くのかをぎりぎりまで考えているというのが実情です。読みやすさと事実の量をどこまでトレードオフさせるのか、そのためにない知恵を絞っているというのが偽りのない本音です。 / cesario ( 2001-04-08 06:05 )
となると、スペースが足りない。外電発記事の翻訳となると、これはもう圧倒的に足りないのです。私の乏しい経験でも痛感されるのですが、翻訳後の記事は元記事より必ず長くなります。これを規定のスペースに納めるために、どの要素まで入れ込んでどの要素を捨てるべきか? / cesario ( 2001-04-08 06:04 )
たとえば「○○補佐官」の名を出されてピンとくる読者はどれほどいるのか。それが一般に想定される日本人にとって理解されない固有名詞である場合、盛りこむ側としては「事実だからとにかく入れるのが義務」という考えのもとに挿入したまま放置するわけにはいきません。その固有名詞が記事文脈上で理解されうるよう、コンテクストを(基本的には)同じ記事中で説明する必要がでてきます。 / cesario ( 2001-04-08 06:02 )
「できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向」というのは言葉足らずな表現だったかもしれません。確かに外電などのソースは明言されないことが多いですし、外電発と断りを入れていても厳密な発言者名まで明記されている場合は少ないかもしれない。ただしそれは、マスコミがソースを「隠蔽」したいという意図の発露である場合もある一方で、単純にスペースの制約という物理的な理由による場合も多いのではという気がします。「限られた紙面上で日本人読者が読んでピンとくる情報をどこまで入れ込むことができるか。」 / cesario ( 2001-04-08 06:01 )
烏丸様、ご丁寧にご返答いただきありがとうございます。大変興味深く感じますので、しつこいようですがもう少し書かせてください。 / cesario ( 2001-04-08 06:00 )
……などと,大上段に理屈を振りかざしても「そういう面もあるかもしれないがそうとは言い切れないかもしれない」ということになってしまいますから,話題を一部の報道に絞り,新聞の報道の姿勢,クオリティを読んでみようというのが今回の目的です。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:41 )
そもそも,マスコミの大きな仕事の1つは「隠蔽」です。たとえば週刊誌がこぞって取り上げる元首相の愛人問題,大相撲の八百長騒ぎ,新聞勧誘員によるトラブル等が新聞紙上に載らないのはなぜなのでしょう。青少年による殺人事件は戦後一貫して減少傾向にあるのに,そうは扱わないのはなぜでしょう。大手新聞の報道の本質が「事実を盛り込む」ことより情報を恣意的に取捨し,世論を喚起することにあることは明らかだと思われます。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:41 )
cesarioさま,「できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向」とのことですが,はたしてそうでしょうか? たとえば,「○○補佐官が,『△△大統領が〜と述べた』と述べた,という外電」があった場合,『 』内しか報道されないことは珍しくありません。つまり,発言者や外電によることなど,情報ソースは往々にして隠される気配があります。 / 烏丸 ( 2001-04-08 01:40 )
以上、書評の途中に大量に差し挟んでしまい、失礼いたしました。 / cesario ( 2001-04-07 05:32 )
烏丸様が例として挙げられた「新聞社による記事の書き換え」については、記事の性質にもよると思いますが、新聞社側が通信社による第一報の裏をとれなかった場合などに行われるのではないかという印象を受けます。情報提供側としては、できるだけ事実を盛り込もうとするのが一般的な方向かと思いますので。 / cesario ( 2001-04-07 05:29 )
ただしこれ(主語の隠蔽)は日本文記事特有の問題というわけでは決してなく、英文記事を邦訳する時に意識される点でもあります。つまり、英文において隠されていたポイントが邦訳の際に明らかになる場合もままあります。(「日本語は曖昧で冗長」との見方がありますが、個人的には必ずしもそうとは思いません。) / cesario ( 2001-04-07 05:28 )
たとえば主語の問題。ある状態を説明する記述において省略されている場合、「ほぼわかっているけれど今の段階では主体を明らかにしたくない」もしくは「今後に備えてニュース源を保護したい」といった記者(またはデスク)の意図を感じることがあります。しかし英文として流れを作っていく上で主語がないと不自然な場合は、彼らと相談の上、間違いではないと確定できる範囲で主語を入れることもあります。もちろん英文においても主語を明言しないやり方はあるので、元記事に忠実な形で訳すというのが基本ですが。 / cesario ( 2001-04-07 05:28 )
興味深いテーマです。私は時にニュース翻訳の仕事を請け負うことがありますが、翻訳している段階で必然的にチェックを重ねることになり、日本語では通りのよい記事においても英訳に際して穴の見えてくる場合が少なくありません。 / cesario ( 2001-04-07 05:26 )

2001-04-06 [書評未満] 『多重人格探偵サイコ』大塚英志 原作,田島昭宇 作画 / 角川コミックス・エース


 
 コミックから小説,DVDとメディアミックスで展開される『多重人格探偵サイコ』,コミック版をやっと1巻だけ手にしました。
 前々から売れているのはわかっていたけど,どうも……信頼できるマンガ評サイトなんかではあまり正面から取り上げられてなかったので,なんとなく後回しにしてきたのです。

 感想は,一言でいえば「おやまぁ,エグい」。死体や殺し方の表現が,かなりきています。というか,1巻については,とにもかくにもインパクトのある殺し方とそれを平気でしてしまうヤツを描きたかった,という感じでしょうか。
 で,世評によると,1巻をピークにどんどんつまらなくなる,猟奇殺人を犯す犯人の左目に黄色いバーコードがあるというネタはSF的に処理されるもよう,ということで,なーんだそういうことならあわてて読まなくてもよいのかなといった感じ。「巻を重ねるごとに,だんだん殺し方が極まってきましたね!」というのならまた別の楽しみもあるというものだけど。

 大塚英志が1巻の巻末に「死体を描くのは作品を書くうえでの思想的なもんだから文句は後で言えよな」みたいな宣言をしているのですが,そりゃ,すごい作品なら「必然性」があると認められるってなもんで,そうでないならただの思い上がり。
 で,結局,残念ながら2巻以降を急いで読みたい気持ちにはならなかった。漫画喫茶に通う習慣はないのだけど,通うならそのうち続きを読んでもよいか,あんまり話を広げないでちゃんと落とし前つけてくださいね,くらいでしょうか……。

 それにしても,これがX指定もなくどこの本屋さんにも当たり前で並ぶなんて,昨今のPTAも大人しいんだねえ。スカートめくりで大騒ぎになった時代を思うと,隔世の感あり。

先頭 表紙

ここ数日,大ネタ(ただし,内容がすごいのでなく,単に手間が大変なだけ)のネタ収集に追われて,今日のははっきり言って手抜きです。画像もスキャンしてません(本はもう人に貸してしまった)。ごめんなさい。 / 烏丸 ( 2001-04-06 13:41 )

2001-04-03 [雑談] ホラー小説と映像

 
 『ハンニバル』のTAKEさまのつっこみにつっこみ返しを書いているうちに,少々長くなってしまいました。こちらにまとめてアップすることにします。

 昨今の作家当人が映像化(映画化)を意識しているかどうかという問題について,角川ホラー文庫の作家の多くにとって,彼らが怖がり,熱狂した「ホラー」の原体験がいずれも映像だったということが大きいのではないか,という見方はいかがでしょう。

 誰かが「東京湾に巨大恐竜が出現して暴れるが,天才科学者が苦悶の末,彼の研究成果を……」とかいう小説を書こうとしたとき,いかに内容に純文学的な表現やテーマを盛り込もうとしても,東宝怪獣映画的な描き方にしかならんのではないか,そんな感じです(たとえば,フランスの心理小説や中国の歴史モノのような書き方は不可能ではないはずなのに,まずそうは書けないでしょう)。

※そもそも,東宝怪獣映画は,スタッフがその少し前に手がけていた戦争映画のノウハウ,セリフ回しを抜きには語れませんし。

※逆に,原民喜の『夏の花』『心願の国』や井伏鱒二『黒い雨』のようなゴジラ小説に挑戦するのも面白いかもしれない。


 トマス・ハリスも,映像について,出世作『ブラック・サンデー』の時点から多少その気味はありそうな気はします。彼は綿密な調査と硬派の文章力を持ち合わせた小説家ではあるけれど,それと同時にかなりの映画好きなのではないでしょうか。
 彼の作品には,映像化できない場面というのはあまりない……というより,『ハンニバル』にいたっては映画用の絵コンテをテキスト化したような感さえあります。少なくとも,彼がモノカキになりたい,と思うにいたった最初の一撃は,ゲーテとかボードレールとかではなかったことでしょう。また,彼にとってのフィレンツェは,いかに登場人物に薀蓄を語らせようと,古典の中の花と権謀術数の都市ではなく,いかにもなアクション映画の舞台のように見えます。

 まぁ,「ホラー」に限定すれば,映像的でも別にかまわないのですが,個人的な好みでいえば,「本」で読むならば,食人鬼が出てきてがつがつ死体を食べるシーンの連続するホラー小説より,「死体の一部が損傷していた。いったい,誰が何のために……」という謎が提示されたまま,登場人物が(誰のしわざ?)(まさか,この傷は……)と惑ううちに幕,といった薄ら寒い作品を読みたい気はします。もちろん,よい出来で,という前提はありますが。

 また,20年後のわが国の作家の傾向を想像すると,無意識に格闘ゲームやRPG,コロコロコミックの影響が現れるのではないでしょうか(角川スニーカー文庫や富士見ファンタジア文庫,徳間デュアル文庫等収録の作品のことではありません。それらは,自覚しつつRPGを取り入れて書いているでしょう。ここで言うのは,純文学っぽい恋愛小説や,シリアスな経済小説に,ドラクエやFF,ミニ四駆,遊戯王カードの影響が……という話です)。

先頭 表紙

をを,キューブリック監督のあれでございますね。部屋のドアをちゃんと閉めて,電気を消してご覧になるよろし。ちゃかぽこ。 / 烏丸 ( 2001-04-04 12:43 )
そうそう、オススメの「タイプライターちゃかぽこ」のDVDを買ってまいりました。今週末にでも、じっくり見るといたしませう。 / こすもぽたりん ( 2001-04-03 17:44 )
↓とつっこみを書いた後で,ふと気がつく。そもそもは『ハンニバル』の話だったはずなのに,いつのまにかすっかりゴジラの話に……そっかー,烏丸は映画「ハンニバル」を怪獣映画と分類しているわけね。 / 烏丸 ( 2001-04-03 16:00 )
しかし,こんな具合に,さまざまなジャンル(恋愛,ミステリ,ホラーなどなど)の作家が自分の得意分野でゴジラ,ガメラ,大魔神を扱った,トリビュート短編集があったら面白いと思うのですが……。少なくとも,今の東宝にまかせておくよりはよほど。 / 烏丸 ( 2001-04-03 15:55 )
確かに小津,入ってますね。あと,大林監督版『時をかける少女』のケン・ソゴルが居候した家の老夫婦かな。やはり烏丸も映像世代なんですね。 / 烏丸 ( 2001-04-03 15:51 )
でも「ゴジラ小説」思い浮かべる僕のアタマの中は、小津タッチの映像が…。やはり映像世代なんですね…^^; / TAKE ( 2001-04-03 15:26 )
すみません、再び間が悪い…(汗) それはそうと、ゴジラ小説、面白いです^^。 / TAKE ( 2001-04-03 14:41 )
↓あ、間の悪いつっこみに…^^; 「サスペリア」は覚えてます。ぴりぴりと怖かったですね。 / TAKE ( 2001-04-03 14:35 )
上の「ゴジラ小説」について,たとえば。……ゴジラに蹂躙された焼け跡で,夕暮れ,老夫婦が自分の家から焼け残ったものを静かに掘り起こしている。ひしゃげた箪笥からこの春に結婚する予定だった娘の晴れ着が出てくる。「ああ,これはもう,着られませんねぇ」「仕立て直すわけにはいかんのか」「無理ですよ,放射能ですものねぇ」。娘は山手線で帰宅途中,ゴジラに遭遇して死んでいるのだが,二人はそれには触れず,娘の部屋から使えそうなものを探し続ける。 / 烏丸 ( 2001-04-03 14:34 )
このあとさらにゲーム世代の作家さん達になると、「怖さ」の質も変わってゆくのですね…。 / TAKE ( 2001-04-03 14:31 )
TAKEさま,最近モンスター系が多い,というの,確かにそうですよね。とくに洋画のホラーは全体に「ずじゃぬたたた」「うっぎゃー」みたいなのばかりですが,その中で(少し古いけど)「サスペリア」は皮膚にピリピリくる感じで,とても好きでした。 / 烏丸 ( 2001-04-03 14:29 )
ホラーでも、やはり僕も日本人だからなのでしょうか、映像的にも全貌がハッキリ見えるモンスターより、足のないお化けの方が凄く怖いのです(笑) 最近はお化け的なものより、モンスター的なものの方が優勢なのがちょっと寂しかったりもします。 / TAKE ( 2001-04-03 14:19 )
僕自身も視覚型の人間で、世代的にも近い作家さんも多いので、やはり映像的な原体験が多い事はすごく分かる気がします。 / TAKE ( 2001-04-03 13:59 )
烏丸さま、ありがとうございます。最近とっても気になっていたことだったんです。 / TAKE ( 2001-04-03 13:56 )

2001-04-02 [短評] 『ハンニバル(上・下)』 トマス・ハリス,高見 浩 訳 / 新潮文庫


【ポップ】

 平積みのベストセラーを読むのは好きではない。夾雑物が多すぎる。
 だから,濁り水の沈殿を待つように,しばらく,余計な惹句の萎えるのを待つことが多いのだが,今回のように映画化の話題が進むとそういうわけにもいかない。キャラクターの顔やイメージをテレビCFや雑誌上で連発されてしまうからだ。

 もちろん,映画が嫌いなわけではない。小説を原作にした映画がみなだめ,というわけでもない。
 ただ,アンソニー・ホプキンスでは顔の脂肪が厚すぎる。もっと枯れて,痙攣的な,そう,何を隠そう僕の頭の中のハンニバル・レクターの顔や表情,ハープシコードに向かう姿はマルセル・デュシャンなのである。

 『ハンニバル』はとてもポップだ。
 よくもあしくもサービス過剰で,一種マンガ的でさえある(*1)。
 問題は,訳者の高見浩が「脇役クラスに至るまで,実に濃厚に個性が書き込まれていたから,それぞれのイメージを明瞭に把握することができた。その面での苦労はほとんどなかった」と述べているように,レクター博士,メイスン・ヴァージャーはじめ,あらゆる登場人物が説明しつくされ,その言動に意外性のかけらも残されていないことだ(*2)。

 それでは闇の跳梁する余地がない。

*1……マーゴ・ヴァージャーの描き方にいたっては,ハリスも寺沢武一の『コブラ』を読んでいるとしか思えないほどだ。

*2……とくに,ポール・クレンドラーがいけない。敵に加担する姑息な上官が,最後に主人公たちにやっつけられる。まるで水戸黄門ではないか。

先頭 表紙

そうですね、文庫になってますし、映画見る前に読んでしまわないと…。「闇の跳梁する余地がない」というのは名言だと思います。先日のリングの時も思ったのですが、やはり最近は映像化を前提に書かれたりするのでしょうか。 / TAKE ( 2001-04-03 09:42 )

2001-04-01 『イチジクを喰った女』 ジョディ・シールズ,奥村章子 訳 / ハヤカワ・ミステリ文庫


【部屋はさらに暗さを増した】

 学生時代,心理学のハードカバーのトレンドはユング研究で,フロイトはとっくにバブル処理が済んで古典としての安定飛行に入っていた。ところがユングはご存知の通り意味深ではあるがはっきり言ってオカルトで,よほどの勉強家と馬鹿を除くと「読んでます」とは口に出しにくいシロモノだった。……無論これはちゃんと勉強しなかった言い訳に過ぎないが,そういうわけで精神分析は野次馬として「覗き損ねた」気分の強いジャンルではある。その分,ミステリやマンガに「精神分析」だの「サイコ」だのの惹句が付くと,つい手が伸びてしまうのは今も変わりがない。

 本書の文庫の腹帯には「フロイトが書いたミステリ、と言っても疑う者はいまい」とある。これには二重の意味で疑問がある。
 第一に,登場人物(殺された若い女,ドラ)は実在したフロイトの患者をモデルにしているそうだが,この作品そのものはフロイト当人に書かれたようには全然見えない。第二に,よしんばフロイトが書いたミステリがあったとしても……それが傑作である保証などまるでない。少し考えればわかることだ。他人の夢に出てくるあれこれをやたら性的な意味に結びつけようとするオヤジの書いた犯罪小説が,冴えたミステリになるわけがないではないか。

 舞台は20世紀初頭のウィーン。
 ある夏の夜,公園で若い女性の絞殺死体が発見され,解剖の結果胃の中から未消化のイチジクが検出される。担当の警部は部下とともに捜査を進め,一方,死体の化粧に招かれた警部の妻もまた独自に犯人を追い始める。

 物語は最後まで名の明かされない警部と,その妻のエルスゼーベ,さらにエルスゼーベの友人の若い子守り女ウォリーの視点を,鋏で切ったように数ページで切り替え,切り替え,徐々に事件の真相が明らかになっていく。
 警部の背景には解剖や写真技術,指紋の鑑定を取り込んだ最新の犯罪科学,心理学があり,ハンガリー出身のエルスゼーベの背景にはマジャール人やジプシーたちの迷信,まじないがある。そして舞台は,芸術と科学と退廃の都。若い女たちがカフェで煙草を吸いながらケーキを食べ,出会った男とタロットゲームや占いを繰り返し,年末には仮面舞踏会に汗を流す。
 過激な連続殺人があるわけではないし,露骨なセックスシーンがあるわけでもないのだが,熱中しているのか上の空なのかよくわからないエルスゼーベのなまめかしさをはじめ,全編を覆うのは濃密な猟奇色と官能性である。犯人が明らかになる最後の数十ページにいたっては,登場人物たちは誰もがみな熱病におかされたかのような(いかにも欧文だなぁ)意識の高揚,混濁に陥っている。

 というわけで,本書は論理的なカタルシスを求めるより,ヴィスコンティの映画を見るようなつもりで読み進めるべきだろう。要するにミステリというより文芸作品なのである。
 そういえば,この密度や匂いは,リルケの『マルテの手記』にとてもよく似ている。『マルテの手記』は,若い詩人が20世紀初頭のパリに滞在した日々に書き溜めた手記,という体裁の一種の長編散文詩。ウィーンとパリ,場所は違うし,描かれた内容もおよそ異なるものではあるが,絢爛たる文化の花開く新世紀の都市を舞台に東欧出身者(リルケはプラハ出身)の濃密な想念が五月雨式に描かれるという点,もっと言えばマルテの見る事象,エルスゼーベの見る事件が,見たままでなく,なんらかの精神や霊のありようを投影したものであるという点で,そう見当違いな指摘でもないような気がするのだが,さてどうだろう。

先頭 表紙

カエルさま,そっち方面って,ど,どっちの方面なのかなぁぁ。か,烏丸,よくわ,わからないなぁぁ。 / 烏丸 ( 2001-04-02 12:13 )
cesarioさま,いらっしゃいませ。恥ずかしながらこの烏丸も高校時代には「ドゥイノの悲歌」を詠んでうなったりしたものです。「いかに私が叫んだとて……」だったっけかな。 / Pouse ( 2001-04-02 12:07 )
「フロイト」「イチジク」という単語を見て、「まさか、烏丸様がそっち方面の本の書評を・・?」と早とちりしてました。すみません、私ったら下品すぎ・・。 / カエル ( 2001-04-01 23:30 )
初めまして。『マルテの手記』は高校時代の愛読書でした。最後の方、ゴブラン織りのタペストリーを前にマルテが語る場面などに、静謐ながら強烈に匂い立つ官能を感じたものです。 / cesario ( 2001-04-01 04:29 )

2001-03-29 『雪の峠・剣の舞』 岩明 均 / 講談社KCデラックス


【それは 悪しゅうござる】

 『風子のいる店』『寄生獣』『七夕の国』の岩明均の新刊。初の歴史作品集でもある。

 大雑把に紹介すると,『雪の峠』は関ヶ原の合戦後,西軍についた常陸の佐竹氏が東北に転封され,そこに城を築くまでの新旧の家臣たちの葛藤を描く中篇。『剣の舞』は村を襲った侍たちに親兄弟を殺され自らもなぶりものになった少女ハルナが疋田文五郎(新陰流の創始者・上泉信綱の弟子)に剣を学び,復讐を果たそうとする話。
 いずれも,地味ながら実によい味に仕上がっている。後者は少しウェットに流れる気味があるが,前者の淡々としているようで濃密な知恵合戦,後者の文五郎の冴えた存在感,池波正太郎あたりが原作を書いていてもおかしくない印象だ。

 岩明均については,評価が二分というか,とくに代表作の『寄生獣』について永井豪『デビルマン』の亜流という見方があるらしい。確かに,人類に敵対する存在を体内に取り込んだ主人公が人類とその敵とのはざまで孤独な戦いを強いられるという設定は似ているが……亜流とまで見下すのはどうか。描かれた世界観は「洗濯物をたたんで重ねる」のと「たたんだ洗濯物を蹴飛ばして散らす」くらい違うように思う。あるいは「神が死んだ」と騒ぐのと「神なんていないのだがさてどうしよう」と考える違い。どちらがどう,については今はおこう。

 ただ,岩明という作家が,他人の作品からインスピレーションを得,それをとくに隠し立てするつもりのないことは明らかで,オリジナルの設定で大向こうをうならせる,という作業には向いていないのかもしれない。
 その意味で,現代を舞台としたSFでありながら時代考証的雰囲気を取り入れた『七夕の国』はよい経験になったのではないか。時代小説では,信長だの家康だの柳生一族だの,実在の人物や逸話を元に話をふくらませても盗作,剽窃と言われる心配はないのである。

 今回まとめられた『剣の舞』においても,時代小説のみならず,小山ゆうの女剣客もの『あずみ』からの影響は隠しようがない。
 小山はさいとうたかを,岩明は上村一夫という全く異なる大物のアシスタントとしてスタートしながら,この2人の作風というか透明度が(陽陰の違いはあれど)驚くほど似ていることに今回驚かされた。人の心や痛みを描きながらどこか突き放した距離感,それゆえにギャグと同じタッチで淡々と描かれる残虐シーン,一種抽象的なまでのクライマックスの高揚。
 たとえば,重要な登場人物がパラサイトやあずみに殺される場面を想像していただきたい。鋭い刃風で腕を切り落とされて「おっ」と言いながら手首から先のない自分の腕を見るときの「ほう,よい切れ味だな」「見事な剣技だ」「なるほど腕の断面はこうなっているのか」などがないまぜになり,自分の腕が切られたこと,己がまもなく殺されることを失念したような風情。そんなものを描けるのは小山と岩明の2人だけと思うがどうか。
 いずれ(『あずみ』の連載がまとまったら),両者の違いについてきちんと検討してみたい。

 とにかく,歴史マンガに小さな,しかし確かな新しい可能性を感じさせる『雪の峠・剣の舞』,どうかご一読願いたい。

 ……それにしても,岩明均の発表の場はどんどんマイナーな雑誌に移っていく。
 『雪の峠』モーニングマグナム増刊(講談社)
 『剣の舞』ヤングチャンピオン(秋田書店)
 そして新連載『ヘウレーカ』がヤングアニマル増刊“嵐”(白泉社)……。
 なにか,問題でもあるのだろうか?

先頭 表紙

けろりんさま,白泉社のヤングアニマル増刊“嵐”は毎月第1金曜日発売だそうです。次は4月6日。電車の中では開きにくいエッチなマンガやグラビアが満載な雑誌です。とほほ。 / 烏丸 ( 2001-03-29 17:35 )
えっ、新連載は知らなかったのでチェックしなくちゃ!『寄生獣』と『デビルマン』どっちか選べと言われたら私的には『寄生獣』でしょうか。ちょっと突き放したような寂寥感が好きなんです。あー、また読み返したくなってきました。 / けろりん ( 2001-03-29 16:54 )

2001-03-27 『WWW激裏情報』 激裏情報,にらけらハウス / 三才ブックス


【UG】

 少し前に,『ロシアは今日も荒れ模様』を例に米原万里という通訳,エッセイストの本から漂う胡散臭さについて簡単に取り上げた。
 実際のところはロシアの高官,民衆の実態についてそこそこ参考になる本であり,「いけすかないインテリゲンチャ」とまで言われるほど(言ったのはおめーだ > 烏丸)悪い本ではない。奨めもしないけれど。

 しかし,それだけ一方を貶めるなら,どういう本ならいいのよ,という例を挙げなければ片手落ちだろう。なに,「片手落ち」は差別用語だから使用を控えたほうがよろしい? なるほど,ごもっとも。だが,そういうことが気になる方は以下は読まないほうがよろしい。それどころではない少々エグめの話題である。

 米原万里については「日本側の外交官や企業の役職者に同行し,ロシア側の高官を相手にする著者には,苦労がないとは言わないが,食前酒をなめなめテラスから民衆を描く趣」と述べた。それに対し,同じ笑いをとるにしても,もっと性根の座った,アンダーグラウンドで命がけな姿勢を評価するのはイカにもまっタコ自然の理(ことわり)である。ここで不肖宮嶋こと宮嶋茂樹やサイバラこと西原理恵子を挙げるのは順当といえば順当の雨の中0-5だが(うぅっ……),彼らの著作についてはすでにここひまじんネットでも再三紹介されており,まあ言ってしまえば今さら珍しくもない。
 そこで本日は,ロシアならぬ某国の某人物を題材とし,非常にユニークかつトンガッた作品をWeb上で発表し続け,大手新聞紙上でも紹介されながらこれまで主だった出版社が尻ごみして最近まで単行本に恵まれなかった「にらけらハウスっ!」を紹介したい。

 どうぞ各人でこっそりアクセスし,とくに「GO!GO!正日君(不定期連載中)」(どこの誰をおちょくってるのか,もろばれやんけ)全43話をご覧いただきたい。米原万里の「お笑い」とやらがいかにチョコザイな,インテリのお遊びに過ぎないかご理解いただけるのではないか。にらけらハウスのこの傾き(かぶき)ぶり,花の慶二も草葉の陰からちょもらんまであろう。

 にらけらハウスは,にらとけらの夫婦ユニットだが,その画力,表現力は
   GO!GO!正日君特別編 南侵
   GO!GO!正日君特別編 やわらかな秋の日差しの中で
   GO!GO!正日君特別編 おばあちゃん
の3つの特別編だけ見ても明らかである。カラスがこう言っても説得力がないかもしれないが,「やわらかな秋の日差しの中で」「おばあちゃん」には,一読後,鳥肌が立ち,しかるのち感涙にかきくれたものだ。
 ただし,いきなりこの3編だけ読んでも登場キャラが把握できないだろうから,やはり「GO!GO!正日君」には順に目を通しておいていただきたい。

 『WWW激裏情報』はそんなにらけらハウスの初の単行本である。ただし,激裏情報(これは著者名,というかハンドル)との共著。内容は,
   爆発物/危険物
   交通違反
   パチンコ
   公衆電話
   工学系馬券師講座
   ドラッグ
   クレジットカード
   消費者金融
   保険金
   クラッキング
   おまけ
   逮捕日記
といったかなりキナクサイを通り越してコゲクサめのアンダーグラウンド情報。さすがは「ラジオライフ」の三才ブックス,ということで,わかる人だけわかればよろしい。

先頭 表紙

かつてはバッ活に限らずディスアセンブルとROM(CD-ROMではない)解析はゲーム開発者の基本鍛錬だったのですが,いまやゲームシステムが巨大過ぎて,それらの技が違法コピーやクラッキングなどにしか結びつかないのは残念なことですね。 / 烏丸 ( 2001-04-02 11:53 )
で〜た〜、三才ブックス(笑)。「ラジオライフ」に代表される、相変わらずのコアな雑誌を出し続けてますね。実は僕、「バックアップ活用テクニック(現ゲームラボ)」に自作ソフトを投稿して掲載され、原稿料をもらったことがあります。センスのあるゲームソフトしか載せてくれない一般誌と違って、マニアが泣いて喜ぶようなツール類を投稿して喜んでもらえましたから、ゲームの作れない僕にとっては貴重な存在の雑誌でした。 / clouds@もう10年以上前の話 ( 2001-03-31 16:55 )
美奈子さま,極上のほめ言葉,ありがとうございます。手元・出先のすべてのパソコンにコピーしてフォルダの下のほうにそっと大切にしまっておきましょう。ときどき取り出して,薬の代わりにさせていただこう……。迷惑? ……思いあたるフシがありません。どうぞいつでも気が向いたときにつっこみにやってきてください。そうでないと,烏丸にとって,ひまじんネットがひまじんネットでなくなってしまいます。 / 烏丸 ( 2001-03-29 02:44 )
TAKEさま,無造作に手にした本でしたが,本当によい本に恵まれた気分でいます。最近,ちくまから出ている日本でのオウムガイの研究をまとめた『オウムガイの謎』という本も読みましたが(こちらは中・高校生向け? タイトルが同じで紛らわしい),そちらは今ひとつでした。 / 烏丸 ( 2001-03-29 02:36 )
どうかこれからもずっと書き続けていってください。こちらの書評がまとまって出版されたら読者一号として本屋に駆けつけますので、その際わかりやすいように著者名は「烏丸」氏でお願いいたします?(笑) それでは、今後一層のご活躍を影ながらお祈り申し上げます。 / Chunse ( 2001-03-28 19:48 )
烏丸様。数多くの素晴らしい書評を読ませていただき、本当にありがとうございました。カバーされる分野の驚異的な幅広さ(時々ついていけませんでしたが)、真の教養に裏打ちされた深みのある内容、そして時に涙をそそるような文章の美しさ。感動の毎日でした。こちらにつっこむのはとても素敵な経験でした。それなのにご迷惑をおかけしてしまい大変申し訳ございませんでした。お許し下さい。 / 美奈子 ( 2001-03-28 19:47 )
お、お、恐るべし、にらちづる^^ やっぱり壺焼きなのですね。そういえば「オウムガイの謎」、まだ見つからないんです。いい本みたいですから、絶版にはしないで欲しいですね。 / TAKE ( 2001-03-28 17:05 )
TAKEさま,カラス忍軍からの情報によりますと,なんでもにらちづるは某所でオウムガイのつぼ焼きを食したもよう。自分も食べてみたいとは思いませんが,生きたオウムガイに触れたというのはなかなか羨ましいことです。 / 烏丸 ( 2001-03-28 12:16 )
ふう,大昔の作品はともかく,現役のマンガでけろりんさまのご存知のない情報を探し出すのはなかなか大変。ファイトの沸くことであります。ふつふつ。 / 烏丸 ( 2001-03-28 12:16 )
にらりんさま,そのうちまた気分転換にアップしてくれるのを待つばかりです。「南侵」や「おばあちゃん」も一時は消えておりましたし。 / 烏丸 ( 2001-03-28 12:15 )
そうですか,そういうプレゼントがあったとは存じませんでした。ところでカラスは北京放送はたまに聞き流していましたが,1971年のピンポン外交の折の「名古屋市○○○で参加選手,関係者による晩餐会が開かれた。参加者は〜〜〜〜〜〜〜〜」と以後2時間以上にわたって日本側,中国側の肩書きと名前だけが延々延々と連呼されたのは,たぶんこの人生で出合ったワンセンテンスで最長のものと思います(最後には気分が悪くなった……そこまで聞くなよ)。 / 烏丸 ( 2001-03-28 12:15 )
にらけら、確かNetNaviあたりで連載がありましたよね。結構好きです。 / TAKE@ハナから水が止まらない(泣) ( 2001-03-28 01:23 )
けろりんも登場。不覚、にらけらは知りませんでした。正確に言うとどこかで見た絵柄なので知らないうちに読んでいるのかも。こういう形式でマンガを発表するのも楽しそう。 / けろりん ( 2001-03-28 00:56 )
にらけろ。。なんだか平和なひびき。私もタイ旅行記好きでした。あと入院日記も。たまに復活してるときがありますよね。(期間限定ページができたときとかに) / にらりん ( 2001-03-28 00:32 )
偉大なる金主席およびチュチェ思想を学ぶテキスト、マスゲームの美しさを愛でる絵本やシール。小学生の頃、朝鮮中央放送局に番組の感想を出すと、北からの素敵なプレゼントが送られてきたものです。なお当方、潜入工作員ではありませんのでご心配なく。 / 「チョンリマ羽ばたく朝の国…」 ( 2001-03-27 23:51 )
TBSのスギ花粉情報も今日はまっかっかざます。花粉症の皆様,お大事に……。 / 烏丸 ( 2001-03-27 15:37 )
にらけらハウスっ!はいつ拉致されてもよいように(アブ……)ときどき丸ごとファイルに落としているざんすが,にらちずるのタイ旅行記を保存しそこなったのは痛恨ざます。 / 烏丸 ( 2001-03-27 15:34 )
にらりんさま,いらっしゃいませ……え? にらりん,けろりん,にらりん,けろりん,にらりんけろりん,にらけろ……。ありゃま。 / 烏丸 ( 2001-03-27 15:33 )
赤い本やノート……はて? 偉大なる首領さまの本でしょうか。 / 烏丸 ( 2001-03-27 15:33 )
あっ、これって、ラジオライフの会社なんだ〜。にらけらは、インド旅行記が好きでしっ。 / こすもぽたりん(花粉で脳死中) ( 2001-03-27 13:18 )
けろりんさんところからとんできました。にらけらは名前が似ているので見に行ったらとってもディープでこっそりブックマークして、よく読んでます。本が出たんですねー / にらりん ( 2001-03-27 12:16 )
いいですね。昔、赤い本やノートをもらったりしたのを思い出しました。 / 「こちらはチョソン中央放送局…」 ( 2001-03-27 06:28 )

2001-03-26 [短評] 『リング』 鈴木光司 / 角川ホラー文庫


【やはり,ボクシングのビデオだと思ってました】

 怖い怖い本当に怖いと「本の雑誌」で紹介されているのを見て以来,90年代ホラーのスタンダードとして読まないわけにはいくまい,と思いつつ,なんとなく手にしてなかった本書であるが,思うところあってようやく読むことができた。

 思うところ,といってもたいしたことではない。池田雅之訳編による小泉八雲怪談集『おとぎの国の妖精たち』(社会思想社現代教養文庫)をぱらぱらめくっていたら「怪談」に収録された「お貞の話」という生まれ変わりについての話があって,『リング』の主人公が「貞子」というやや古風な名前であるということくらいは聞いていたので,鈴木光司がなんらかの意味でこの「お貞」を,パクるとは言わないまでも一種のオマージュとして『リング』を書いたのかどうか,そのへんが気になったからである。

 結論としては,よくわからなかった。ちなみにハーンの「お貞の話」は英題では"The Story of O-Tei"だそうで,「貞子」とは別段関係ないのだろう。

 さて,『リング』であるが,これが,驚くほどにちっとも怖くなかった。小松左京あたりがショートショートで書いていたら着想の妙に感心しただろうに,といった印象である。エグい本は嫌いではないが,人並みに怖いものは怖いほうだし,ホラー小説でこれほどまでに徹頭徹尾怖くないのはなぜだろう。

 なぜほかの読者は怖い怖いと騒ぎ,自分はちっとも怖くないのか。烏丸の背筋に電流が走った。……まさか,という思いでその閃きを一旦脳裏から消したが,『リング』の文庫本をひっくり返したとき,瞬間に流れた電流は確信に変わっていた。『リング』の文庫本の裏にはブックオフの値段シールが貼ってあった……。

先頭 表紙

カエルさま,それを言ったら↑の本文の最後の一段落もネタバラシのようなものですから。しかし,貞子って……「それが出来るなら,ほかにもあれこれなんでも出来るだろうに,なんでそれしかしないの?」なやつ。 / 烏丸 ( 2001-03-26 18:34 )
TAKEさま,その一例が同じ角川ホラー文庫の『パラサイト・イブ』かと思います。音,光のない前半は怖いのに,現実に映像(にあたるもの)が動き出す後半はコドモダマシになってしまう……あまりのしょーもなさに愕然としました。 / 烏丸 ( 2001-03-26 18:33 )
↓これって、ネタばれですね。烏丸さま、まずかったらどうか消してしまってください。 / カエル ( 2001-03-26 18:14 )
『リング』はあまり怖くなかったですが、『バーズディ』に収録されている、高野舞が貞子を出産する話『空に浮かぶ棺』はちょっと怖かったです。怖いと言うか、気持ち悪いというか。 / カエル ( 2001-03-26 16:35 )
怖さの演出が映像的だと、文で読んだ時ってあんまり怖くないですよね。最近はビジュアルを文章化したような作品が増えている気がします。 / TAKE ( 2001-03-26 14:40 )
しっぽなさま,角川ホラー文庫の作品(のいくつか)は,モダン風,SF仕立てを装いつつ,根っこのところはお化けやお札の世界で,それだとあんまり怖くないのです。少なくとも,生身の女性ほどには……。 / 烏丸 ( 2001-03-26 12:31 )
匿名希望さま,ファンを敵に回すのを,烏丸一人に押し付けましたね……この恨み,古井戸の底から……(笑)。 / 烏丸 ( 2001-03-26 12:31 )
その“お札”を剥いだとたんに・・・・・!? / しっぽな ( 2001-03-26 02:42 )
あぁよかった。自分もどこがこわいのか理解不能、「くだらない」と思ってしまった自分の神経がおかしいのかと心配していました。なるほど、ショートショートとしてはいけそうですな。 / 匿名希望(軟弱者・ファンの方すいません) ( 2001-03-26 02:41 )

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