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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-10-23 『きのこの迷宮 こんなところにあった,別世界』 小林路子 / 光文社 知恵の森文庫
2006-10-13 『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』 北村雄一 / ネコ・パブリッシング
2006-10-09 『巨人軍タブー事件史』 別冊宝島編集部 編 / 宝島社文庫
2006-10-02 『巨人(ジャイアンツ)マンガの系譜』 蕪木和夫 / 水声社
2006-09-24 浮き上がるロジックの美しさ 『アンダースロー論』 渡辺俊介 / 光文社新書
2006-09-19 〔短評〕この夏読んだその他のホラー 『本当にあった呪いの話』『都市伝説セピア』『蟲』
2006-09-17 あっぱれ 化け物の良い座興 『夢幻紳士【逢魔篇】』 高橋葉介 / 早川書房
2006-09-15 拾っては,いけない。……確かに。 『オトシモノ』 福澤徹三 / 角川ホラー文庫
2006-09-13 『再生ボタン』『怪の標本』『怪を訊く日々』『廃屋の幽霊』『亡者の家』 福澤徹三
2006-09-10 『たまらなく怖い怪談 身の毛がよだつ実話集』 さたな きあ / KKベストセラーズ ワニ文庫


2006-10-23 『きのこの迷宮 こんなところにあった,別世界』 小林路子 / 光文社 知恵の森文庫


【だからきのこは自然がそこにポンと置いていった贈り物のように思えるのではあるまいか。】

 みな底にひそむ異形の徒が深海生物なら,森を飾るあやかしの使いがきのこである。
 上に引用した一節の「ポンと置いていった」にも表れるごとく,なにか私たちの日常の脈絡とはかかわりなく,あたかもほかの次元からはみ出して,ふと気がつけばそこにいるような異界の生き物。さっきまでその切り株には間違いなく何もなかったのに,ふと振り向けば,そこに,いる?

 本書は,細密なきのこの絵で知られる画家の小林路子が,きのこの楽しさを知らしめんと著したもので,きのこ採りの楽しさから食べる楽しみまで,さまざまな切り口からきのこを語りつくした1冊である。

 繊細で不思議なきのこそのものの魅力。きのこを語り合う仲間たちとの集い。完全防備で山に踏み込み,雨をものともせずきのこを探す魅力。逆に都会の一角にひっそり発生するきのこをめぐり,菌類好き同士が出会う話。
 きのこ好きが乗じて仲間うちで「仙人」とあだ名される著者の筆さばきは軽く明るく,笑いを誘うエピソードも満載だ。きのこを探して三年ばかりすると,次第に目がなれてきてきのこが見つけられるようになることを「きのこ目になる」という話など得がたく,興味深い。

 ところで,山に登り,スケッチしたり,ナベにしたり,というきのこ採りの楽しみとは別に,きのこについて耳目を集めるのは,そのいくつかにエキセントリックな「毒」があることだろう。一昨年,これまでごく普通に食用とされてきたスギヒラタケが突如毒性を発現して多数の死者まで出たのも記憶に新しい。
 餌となる生物を捕らえようとしたり,我が身を守ろうとする毒ヘビや毒虫の毒と違い,きのこの毒は明らかに「たまたま」人の体内で毒となってしまうものであり,症状も毒の強弱も千変万化,その分すさまじい。
 嘔吐,下痢,腹痛などの胃腸系の症状は序の口で,
「再び激しい嘔吐がはじまり,大量の黒い血を吐き続け,タタミをかきむしって苦悶した」「その後も人工透析が欠かせず,一人前に働けない体になってしまった。臓器がボロボロになってしまうのだ」(ドクツルタケ)
「一時意識はもどったが,四人の子供のうち小さい三人は二日後に死亡,一番上の子は四日後に死亡した」(ニガクリタケ)
「手足の先が赤く腫れ,焼け火バシを刺されるような激痛が一ケ月以上続くのである」「皮膚がただれて,治ってもケロイド状になるそうである」(ドクササコ)
「数日後,四十度以上の発熱があり髪が抜けはじめた。運動や言語に障害が起き,幸い回復したが後遺症があり小脳に萎縮が見られたという」(カエンダケ)
など,など。食べたときには違和感がなく,何日も経ってから症状が出るものも怖い。あとに障害が残るのも恐ろしい。
 きのこは結局のところ,ヒトとは文脈,文体が違う生き物なのである。理解できなければ,解毒剤の開発も難しい。

 著者はきのこの楽しみを伝道する意識をもって本書を纏めたようだが,実際に記憶に強く残ったのはナベにして楽しいきのこではなく,あくまで異界の使者としての謎めいた毒きのこの姿である。
(まぁ,このあたりは私がもともとマツタケ含めてきのこにあまり食欲のわかないタチであることにもよるのだろうが。)

 きのこのヒダからツボにいたるまで詳細に扱った本書は実に興趣に満ちた書物ではあるが,しいて1冊の本として欲をいえば,本文中にさまざまなきのこが話題に登場するのに対し,カラー口絵にはタマゴタケやアシベニイグチなどほんの数種類しか掲載されていないことが寂しい。カラフルな,あるいは不気味なきのこと遭遇し,「私は喜んで,地面に寝転び,スケッチをした」といったような表記が散在するだけに,余計に口惜しい。

 また,きのこの食べ方について万漢全席ならぬ「万菌全席」と称してシブくてゴージャスなきのこ料理のフルコースを紹介するなど,バラエティに富んだ内容のわりに,最後がきのこグッズやきのこの形を模したお菓子の話題で終わるのはどうもバランスが悪い。同じきのこの話題を広げるのなら,きのこが登場する本や映画まで扱ってほしいと思うのは,選り好みが過ぎるだろうか。しかし,冬虫夏草を扱って名高い白土三平『イシミツ』や,きのこの怪しさを描いて夜の巷の心肝寒からしめた映画『マタンゴ』など,私の知る限りでもきのこを扱った作品には魅力的なものが少なくない。など,など。

先頭 表紙

2006-10-13 『深海生物ファイル あなたの知らない暗黒世界の住人たち』 北村雄一 / ネコ・パブリッシング


【餌になる魚を置いてしばらく待てば,何もいないように見える深淵の闇のなかから集まってくる】

 ターミナル駅の地下街の書店でたまたま出会った。奥付を見ると昨年の11月の発行とある。
 不覚,不覚,不覚,不覚。こんないい本を知らなかったとは。

 ……それから夜毎枕元に置いて,ところが読み切るまでに2ヶ月近くかかってしまった。
 暗い海の底に音もなく集まる怪しい生き物たちが脳裏に揺れて,毎晩ほんの2ページ,4ページと読み進んだところでとろりとろーりと意識がとけてしまうのである。

 最初の80ページあまりは深海生物の写真集。
 これは貴重だ。嬉しい。美しい。
 試しに,小学生のころから魚類図鑑であこがれだった,あの口が大きくて胃袋に自分より大きな魚を収めたフウセンウナギ(サッコファリンクス),フクロウナギ(ユーリファリンクス)の画像をインターネットで検索してみよう。海洋堂のボトルキャップで人気の出たセンジュナマコ,早川いくおの『へんないきもの』で有名になったオオグチボヤなどの深海生物でもいい。イラストや海洋堂のフィギュアの写真はあっても,生きた深海生物のクリアな写真となるとほとんど見つからないことに驚くだろう。
 深海生物はこと写真,映像についていえばまだまだ未開拓な分野なのだ。
 (深海生物の高画質な壁紙用画像,ゆるゆると泳ぐ深海魚のスクリーンセーバーをCD-ROMにしたらウケると思うのだが,どうだろうか?)

 本文ページではグラビアで紹介された生物たちが,左に文章,右にイラストで再登場する。本の造りはベストセラーとなった『へんないきもの』の真似と言われてもやむを得ないところがあるが,なにしろ紹介される深海生物の特殊性がそんなことを忘れさせる。

 異形でありながら,どこか静かで毅然とした美しさをたたえた魚の仲間たち。
 この星の生き物であることが信じがたい,あでやかで量感たっぷりのクラゲの仲間たち。
 巨大なヒレと直角に曲がる長い腕とをもつ大型イカ(映像はあるが標本がないので未命名)やNHKのドキュメンタリーで一躍勇名をはせたコウモリダコを含む,不気味なイカ,タコの仲間たち。
 夢のように美しいナマコの仲間たち,みな底の砂に奇妙な軌跡を残すユムシ,ギボシムシの仲間たち。
 そして,硫化水素と酸素を化学反応させてそのエネルギーで増殖する硫黄酸化細菌を体内にぎっしり共生させて成長するハオリムシ。ハオリムシは口も肛門も消化器官も退化し,ただ真紅のエラから硫化水素と酸素を取り込んで体内のバクテリアに送り込んで自らも成長していく……。

「さらに深く潜ると1000メートルあたりで全くの暗黒になってしまう。」
「暗い深海では植物が光合成によって有機物を生み出すことができない。」
「人間は10気圧程度で呼吸障害を起こす。深海の生物にとって水圧が真に脅威になるのは深度3000メートルを超えて圧力が300気圧以上,1センチ四方にかかる圧力が300キログラム以上に達するあたりからだ。強大な水圧は生物のミクロな部分,細胞やタンパク質の構造まで押しつぶしはじめる。」

 宇宙に進出するのに比べても比較にならないほど過酷と言われる深海に生まれ,漂い,棲息する個性豊かな生き物たち。
 彼らの多くは発光器官をもつ。あるものは目が異常に発達し,あるものは目がすっかり退化している。繁殖の機会が少ないためか,深海魚には,雄が小さくて雌に寄生するもの,雌雄同体のもの,さらには最初は雄として成熟し,成長すると雌に性転換するものもいる。

 彼らが自ら望んでこのような姿,このような機能を持ったのでないとしたら,この世界には,間違いなく,設計に長けた神がいるのだ。ただし,その神のデザインセンスは人間の想像を超えている。その神の存在を前にしたとき,死肉にもぐりつく骨らしい骨のないヌタウナギと人間にどれほどの違いがあるのだろう。

 ……よく,わからない。わからないながら今夜もまたページをめくる。そして深い闇に沈む。

先頭 表紙

2006-10-09 『巨人軍タブー事件史』 別冊宝島編集部 編 / 宝島社文庫


【凋落しているのはジャイアンツで,プロ野球ではない。】

 ジャイアンツの本など別に続けたくはない。ないのだ。のだけれど今のうちに書いておかないと二度と話題にできないかもしれない……そんなことをウスら寒く思ってしまうジャイアンツの凋落度合いである。諸行無常。

 本書は長島解任,江川空白の1日,バース敬遠指令疑惑,桑田当板日漏洩疑惑,湯口変死事件,韓国籍選手への差別,番長清原の乱闘時の意外なヘタレ具合など,ジャイアンツにまつわる数々のスキャンダルを取り上げたもの。
 アンチジャイアンツ派にとっては溜飲の下がるダーティなスキャンダルのオンパレードであり,「やっぱりあいつらは,な」と酒の肴に煮たり焼いたりしたいところだが……あいにくジャイアンツの悪口で盛り上がることのできるトモガラも今や絶滅危惧種だ。

 そもそも,ジャイアンツの凋落の直接の原因は何だったのか。
 嗜好の多様化,度重なる不祥事,金権野球。サッカー人気,スター選手のメジャーリーグへの流出。妙にバラエティ化したナイター放送の勘違い。
 いずれも正解だろう。その中でも,昭和のスーパーヒーロー,長島を軽んじた監督解任事件はマーケットを断絶させた点で減点ポイントが高い。さらにもう1つ,あまり言われていないことだが,松井秀喜の役割というか,残したダメージが大きかったのではないか。

 松井のドラフト会議への反応について,ある記事は「阪神ファンだったと言われる松井だが,長嶋茂雄監督(当時)がクジを引き当て巨人に決まると笑顔で快諾」と記している。これはそれまでのジャイアンツ一辺倒の入団記事とはかなり色合いが異なる。
 空白の一日を利用して江川が,密約を噂されながら桑田が,FAを利用して落合が清原が入団したがった球団に対して「快諾」。この文脈は,明らかに主体が球団側でなく(まだ北陸の一高校生に過ぎなかった)松井の側にあったことを示している。そしてその松井は,四番打者として活躍中,球団を見捨ててメジャーリーグに走る。礼を失しているわけではないが,球団に対する過剰なレスペクトは感じられない。
 もしかすると,生真面目な顔をした松井秀喜こそは「栄光」のジャイアンツに水をかけ,この国が見続けていた太平の夢を覚ました張本人だったのではないか。……

 ところで,そのジャイアンツを復活させるための方策は何かあるだろうか。
 ジャイアンツの人気を取り戻すために生え抜きの選手によるクリーンナップを,という提言をよく見かける。別にそんな必要はないだろう。阪神金本,日ハム新庄らを見ても明らかなように,問題は生え抜きかどうかではなく,魅力と実力である。
 ……それにつけても解せないのは高橋由伸だ。あり余る才能を持て余し,ただ引退を待ちこがれているかのようなふてくされた態度。
 彼は,どこへ行きたいのだろう。何が,嫌なのだろう。

先頭 表紙

ところで,もし自分がジャイアンツのオーナーなら,三顧の礼をもって新庄を監督に招きたい。同じ勝てないなら,ジャイアンツがもってない大切なものを知っている新庄に任せたほうがなにかと吉。 / 烏丸 ( 2006-10-11 01:23 )
ホークスの相手が中日ドラゴンズに決まった。……と,今日くらいは言わせてください日ハムのファンの皆さん。 / 烏丸 ( 2006-10-11 00:38 )

2006-10-02 『巨人(ジャイアンツ)マンガの系譜』 蕪木和夫 / 水声社


【あゝ,あの頃の巨人が懐かしいなあ】

 駒苫の田中を持ち上げるだけ持ち上げて,ハンカチ王子こと早実斎藤の人気がブレークするやそちらに色目を使う。斎藤が進学表明すると,一転愛工大名電の堂上を1位指名。結局抽選に外れ,ことわざ通り虻も蜂も取り損なって後悔後の祭り。
 クジ引きは時の運とはいえ,少なくともここにはかつて金と人気で専横を極めた「盟主」ジャイアンツの面影はない。相変わらず傲岸不遜なのは球団幹部の老人どもだけで,痩せた選手らは顔と名前が一致せず,視聴率は勝っても負けてもふにゃふにゃとしお垂れるばかり。

 そんなジャイアンツのかつての栄光の時代に,少年マンガ各誌を飾った数々の「巨人マンガ」があった。本書はその重いコンダラを列挙し,過ぎし野球少年時代へのオマージュと,未来への苦味を込めた紹介をしてみせるシレンの道である。
 『スポーツマン金太郎』『ちかいの魔球』『ミラクルエース』『黒い秘密兵器』『巨人の星』『侍ジャイアンツ』……。
 いずれの作品も奇妙奇天烈,奇想天外,人間離れした主人公,ライバルともに味わい深く,かつて部屋の隅で日がかげるのも忘れて読みふけった半ズボンの日々が思い出される。

 今,こうして一連に並べてみると,憧れの対象だった主人公の誰しもに暗い「再起不能」の影が落ちていることに驚く。
 『ちかいの魔球』『黒い秘密兵器』『巨人の星』という少年マガジン連載シリーズでは,主人公はいずれも魔球を投げ過ぎて手首を傷めて消えていく。『ミラクルエース』でも主人公は満身創痍,『侍ジャイアンツ』にいたってはマウンドで弁慶立ちしたまま死んでしまう。
 星飛雄馬を例にひくまでもなく,なぜか巨人マンガのエースたちは肉体的にも精神的にも脆弱だ。荒唐無稽なマンガでありながら,結局のところ最後まで作中の「光」の具現たる長島に及ばない。

 もう一点,不思議なことがある。
 これら「巨人マンガ」では,作者を異にするにもかかわらず,記憶に残る名シーンの一つひとつがおよそ肉体の躍動感の対極にあった。
 投球シーンなら,投げ終わったあとの静止ポーズ。打撃シーンなら,振り終わって打球を目で追うシーン。映画『巨人の星』(そういうものがあったのだ)のラストシーンは甲子園に向かう飛雄馬ら星雲高校チームの乗った汽車に向かう一徹のVサインの静止画像だったし,テレビでは大リーグボール二号で飛雄馬が高く足を上げたシーンだけで30分はもった(ような気がした)。
 つまり,これらのマンガにおいて,ボールを投げる,打つ,取る,投げる,という一連の流れとしてのプレーはほとんど記憶に残っていないのである(ちばあきおの『キャプテン』『プレイボール』の躍動感と比較すれば,その「静止」性は明らかだ)。
 まるで所作として「大見得」をきることだけが大切であるかのように,ポーズポーズがいちいち停止してしまうスポーツマンガ。梶原一騎の趣味嗜好だけで語れることではないような気がする。

 つまるところ,「巨人マンガ」とは野球に姿を借りた格闘技であり,その必殺技たる「魔球」は野球というスポーツの技術ではない。だから,「巨人マンガ」では,ボールゲームとしての野球のダイナミズムは描きようがなかったのかもしれない。
 これらの「巨人マンガ」に再三登場する土ケムリにボールが姿を隠す魔球,あの魔球はピッチャーの手首を凍りつかせ,バッターは立ちすくんで動けず,観客も水を打ったように静かになる。どう頑張っても,土けむりごと振り抜いてみせた,あの長島に勝てるわけはなかったのだ。

先頭 表紙

2006-09-24 浮き上がるロジックの美しさ 『アンダースロー論』 渡辺俊介 / 光文社新書


【人差し指が最後にボールから離れる】

 オーバースローから投げ下ろすストレートが汗の匂いとフィジカル(肉体的)な存在感で場を圧倒するなら,アンダースローから繰り出される浮き上がるストレートはメタフィジカル(形而上)な美を具現化する。それは緊密なロジックに基づいているからだ。

 たとえば,阪急の剛速球投手,山口高志は,文字通りのオーバースローで,投げ終わると一球ごとに後頭部と背番号14がバックネット裏から見える,そんな腹筋背筋の利いたフォームだった。活躍したのは数年の間にすぎなかったが,プロ野球史上最高の速球投手と評価するファンも少なくない。そんな彼がサイドスロー,アンダースローに挑戦していたとしても……おそらくあれほどの活躍,存在感は見込めなかったに違いない。
 一方,巨人,ヤクルトで活躍した左腕投手,角盈男。彼は,オーバースローの速球派投手として5勝7セーブで新人王を獲得したものの,翌年はコントロールの悪さばかりが目立ち,四球押し出し投手として悪名をはせた。そんな彼がサイドスローに転向してリリーフエースとして君臨したことは記憶に鮮やかだ。ひじを曲げた独特のサイドスローから繰り出されるクセ球はうなりを上げ,並み居るセリーグの好打者たちを文字通りきりきり舞いさせたものだ。

 サイドスロー,アンダースローに向く投手,向かない投手がいる。

 間接の柔軟さ,腰の回転,肘の角度。
 アンダースローは変則ゆえに変化球投手のイメージが強いが,実は高めの延びる球で三振をとれるフォームでもある。野田浩司(オリックス)に破られるまで,1試合の奪三振記録(17)を長年保持していたのはアンダースローの足立光宏(阪急)だった。

 だが,山田久志,上田次朗,金城基泰,仁科時成,松沼博久ら,往年の大投手,好投手が引退したのち,アンダースローの系譜は閉ざされてしまう。目指すべき高い目標がなければ野球少年たちは真似るスターを見失い,選手が枯渇すれば指導者は育てるノウハウを忘れてしまう。

 そんな中,突然変異のように現れたプロ野球一軍ただ一人のアンダースローピッチャーがロッテの渡辺俊介である。それも,2005年には15勝,2006年にはWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で活躍するなど,堂々たる戦歴だ。

 渡辺俊介のピッチングフォームは美しい。力が抜け,右手手首が地上すれすれからすうっと延び,最後は腕ごと体に巻きついていく。力感とスピードには乏しいが,高めのストレートには,120km代とは思えない強烈な意思が感じられる。

 本書『アンダースロー論』は,その渡辺俊介が,アンダースローについてさまざまな角度から語ったもの。
 とくに「バッターから一番見づらい,わかりにくいのは<前後の距離感>」というポイントからアンダースローのフォームやタイミングを語った投球術論は得がたく,これまで野球ファンとして漠然とながめていたものに突然光が差す,そんな思いがする。

 たとえば……「上げた足をそのまま斜めに踏み出すのではなく,まずは真下に下ろし,両足のくるぶしが触れ合う状態を一度作ってから,打者に向かって踏み出す」……。頭の中でフォームを検討してみると,この足さばきがいわゆる「開き」を抑えるための大きなポイントだということが理解できる。
 あるいは,「アンダースローは手が下にあるので,ボールが手の上にのって」いるため,カーブを投げるとき,「指に強い力を入れて握らなくても」「腕の振りよりボールのスピードを遅く」できるという指摘。言われてみればそのとおりなのだが,指摘を受けて驚く。
 グラブやスパイクについても,無駄な動きを防ぐために重いものを使う,「グラブを持つ手を前に伸ばしてしまうと,身体の重心のほかに,グラブの重さが遠くにあって,重心が二カ所になって」しまうので「足下に真っ直ぐに自然に垂らし」,また「網み目の部分は,握りを見られたくないので,一切隙間がないタイプにして」いる,など,など,理にかなった詳細な記載が目を打つ。
 
 高価な本ではない。数時間もあれば読み終えるボリュームである。
 どうか,全国の中学,高校の野球部の指導者の方々は,本書を手に取り,オーバースローで伸び悩んでいる若いピッチャーたちの指導に活かして欲しい。
 本書には,アンダースローに挑戦するにはまたとない高度な意図が満ちている。それは単なるテクニックではない。本書で取り上げられているのは,おそらく野球理論で常に話題にされながら伝達のひどく難しい,「体の開き」と「間」についての問題なのだ。渡辺俊介が目指すものは,実はオーバースローピッチングでも,バッティングでも応用がきくものなのではないか……。

 「啓蒙の書」という言葉はお説教臭くて好きではないが,本書は正しく「啓蒙の書」といえるだろう。お奨めである。

先頭 表紙

丹波哲郎(84)死去。記事では「Gメン」や「大霊界」の名があがっているけど,個人的にはなんといっても「キーハンター」,そしてそのコアとなった「007は二度死ぬ」のタイガー田中役かな。黙祷。 / 烏丸 ( 2006-09-26 00:22 )

2006-09-19 〔短評〕この夏読んだその他のホラー 『本当にあった呪いの話』『都市伝説セピア』『蟲』


『本当にあった呪いの話』 三木孝祐 / ハルキ・ホラー文庫

 「実録怪談」系でヒットの少なくないハルキ・ホラー文庫にこのタイトル──期待して手に取ったのだが,落ちる球を引っかけて注文通りのショートゴロゲッツー,チェンジ。残念でした。
 タイトルの「本当にあった」というくだりは必ずしも嘘でなく,取り上げられているのはかつて新聞に載ったような大小の事故,事件である。問題は,それらに無理やり陰陽道の呪符や修験者の加持祈祷を結びつけるそのやり口だ。
 ことに胡散臭さを増しているのは登場人物に再三警察官を持ち出していること。警察という組織は,徹底したリアリズムの徒である。事件現場に落ちた呪符や藁人形にとらわれる刑事まではともかく,その調査を認める上長まで描いたらいくらなんでもやりすぎだろう。
 おまけのように記された陰陽道や修験道についての薀蓄もなにやら散発的で,全体に信用できない。修験者,神社仏閣に取材したというのは本当かもしれないが,その方角にまとまった威力が感じられない。
 ハルキ・ホラー文庫の他の「実録怪談」は事実に基づいているのに本書は違う,と,そういうことを言っているのではない。実録怪談の編著者たちは,彼らの信じる何やかやに従って描くべきことを描いているのである。本書の著者は加持祈祷のご利益や呪符,祓い,式神,方忌みといったものごとを本当に信じているだろうか。そうではないだろう。それならそこから書くべきなのである。

『都市伝説セピア』 朱川湊人 / 文春文庫

 『花まんま』で直木賞を受賞した朱川湊人のデビュー作。
 芥川賞は久しくよくわからない受賞作が続いているが,直木賞選評の目は比較すれば確からしい。この短編集も,作者の掌の上での転がされ具合が心地よい。
 素面で相対すると赤面してしまいそうな,若いというか青臭くエモーショナルな展開も少なくないのだが,それでもストーリーテリングの妙で最後までつるりと滑っていく,この面映ゆさ,この手腕は,デビュー当時の宮部みゆきを思い出させる。
 同じ公園で幾度となく友人の死と直面する少年を描く「昨日公園」は,最後の数ページが切なくてよかった。都市伝説を扱った「フクロウ男」,死者をめぐる苛烈な三角関係を描いた「死者恋」はいずれも設定が巧い。「アイスマン」は少し味付けが甘すぎ,「月の石」は散漫でよくわからなかった。

『蟲』 坂東眞砂子 / 角川ホラー文庫

 子猫殺しで話題になってしまった坂東眞砂子のデビュー当時の作品。
 昨年の夏,『夢みる妖虫たち 妖異繚乱』を読んだ後,虫を素材にしたホラーを探しては購入してそれっきりになっていた1冊。
 夫が拾い帰った古い石には「常世蟲」という文字が刻まれていた。その日からめぐみは怪しい夢に悩まされ始める。夫にとりついた巨大な緑色の「蟲」とは?
 ……という,作者の得意な古代と現代を結ぶ伝奇ホラーなのだが,いかんせんどこをどう怖がっていいのかわからないままずるずると読了してしまった。妊婦の心理を陰陰滅滅と描いた部分への評価もあるようだが,悪阻(つわり)の時期の女性の言動はもっとずたずたざくざくしたところがあって,この程度ではすまないような気もしないではない(女性にもよるだろうが)。
 最後のページに至るあらすじだけみれば,こういった作品は,たとえば昭和四十年代なら「ホラー」でなく「SF」の中篇として書かれ,発表されていたに違いない。いずれにしても,「SF」としては凡庸,「ホラー」としては本スジがよくわからない。なにしろ「蟲」が,「蟲」として,怖くも気色悪くもないのだから。

先頭 表紙

2006-09-17 あっぱれ 化け物の良い座興 『夢幻紳士【逢魔篇】』 高橋葉介 / 早川書房


【僕の名は 夢幻です 夢幻魔実也というのですよ】

 久々に女たらしで怠惰怠慢,人でなしでロクでなしの青年版「夢幻紳士」の面目躍如。あゝ,嬉しいことだねえ,やあ,楽しいねえ。

 ときは大正か昭和のはじめ。なにしろ主人公夢幻魔実也は全編を通してただ料亭で呑んだくれているだけなのに,妖怪たちが勝手に現れては蹂躙されていく。
 前作「幻想篇」では脇役に甘んじ,また柄にもなく守護聖人じみた役割を演じた反動か,今回魔実也はいつに増して性酷薄,人も性根も悪い。夢幻紳士はこうでなくってはよひろみ。
 狂言回しに登場する中高い顔の料亭の女将,先見や千里眼を生業とする“手の目”もいい味を出してあゝ面白いねえ,やあ愉快だね。

 ところで,高橋葉介の『夢幻紳士』にはいくつかバリエーションがあり,ときどき文庫で復刊される「冒険活劇篇」は同じ魔実也でも元気のいい少年探偵が活躍する話。とことんスラップスティックなドタバタコメディで,それはそれで底抜けに楽しい佳品だが,「逢魔篇」を含む青年版の魔実也とはおよそ人となりも作風も異なるため,片方に魅かれてもう一方に手を伸ばすと驚いたり呆れたりするハメに陥るのでご注意ください。お子様の手の届かないところに保管してください。目に入れたり,炎症のある皮膚へは付けないでください。もし誤って目に入った場合はすぐに大量の冷水で洗い流して専門医にご相談ください。ご使用の前には商品に添付された説明書をよくお読みの上,専門医の指示でご使用ください。

先頭 表紙

2006-09-15 拾っては,いけない。……確かに。 『オトシモノ』 福澤徹三 / 角川ホラー文庫


【おまえもいつかマグロを拾うぜ】

 福澤徹三の怪談について書いていたら,書店に新刊が積まれていた。

 「駅でオトシモノの定期券を拾った人々が,次々と行方不明になる(中略)ヤエコという名の女性の霊が関係していることを突き止めた女子高生奈々は,姿を消した妹を救うため呪いを解こうと奔走するが……。」

 この9月30日に封切されるホラー映画の,ノベライズだそうである。ノベライズには概してロクなものがない。本作も御多分に洩れない。
 かみくだいて言えば,映画のパンフレットの「あらすじ」をうっかり最後まで書いてしまった,そんな程度だ。
 このストーリーに福澤徹三らしさを求めるのは酷だし,そもそも柳の下の貞子を狙ったこんな設定で企画が通る映画界とはいっそうらやましい。うっかり買ってしまったこのオトシモノ,もといオトシマエ,ええどうしてくれよう。映画館に沢尻エリカの憂い顔,見に行くしかないか。

先頭 表紙

2006-09-13 『再生ボタン』『怪の標本』『怪を訊く日々』『廃屋の幽霊』『亡者の家』 福澤徹三


 いしいひさいちの『コミカル・ミステリー・ツアー4』,さらには新刊『ホン!』の,いずれでも取り上げられた福澤徹三。

 『コミカル・ミステリー・ツアー4』では『廃墟の幽霊』という作品に想を得た5コママンガ……これが,どこが面白いのかさっぱりわからん。『ホン!』では『亡者の家』という作品に対し,「福澤さんの描く怪異は,現実ではありえない,と言い切れない雰囲気を発散して,現実と物語の境界線をすんなりと越えて,圧倒させてくれます」などというベタな高評価。つまるところ,福澤徹三を読まぬわけには。

※ちなみに『ホン!』のタイトルは,同じ徳間書店の『フン!』を受けてのもの。犬マンガと書評マンガ,およそ内容を異にしながら,反骨の匂いがこってりそっくりなのはすがすがしくもいしい大人,天晴れの捻転返し。

 さてこそもののこの八,九月,ここまで読んだ福澤徹三は,とりあえず文庫化されたものから以下の五冊。

 『再生ボタン』 幻冬舎文庫
 『怪の標本』 ハルキ・ホラ−文庫
 『怪を訊く日々』 幻冬舎文庫
 『廃屋の幽霊』 双葉文庫
 『亡者の家』 光文社文庫


 『再生ボタン』はデビュー短編集『幻日』に筆を加え,再編集したもの。
 「夜ひとりで厠(かわや)にいるとき,牡丹の花の折れるところを想像してはいけません」なる,モノカキを志す者なら誰しもお好み焼きの上のカツオ節よろしく身悶えそうな一行で始まる,デビュー短編集と思えない見事な粉の溶き具合。いずれも短編アンソロジーに選ばれて遜色ないクオリティだ。ただ,ここに見られる作品の志向性は「怪談」というよりは「幻想文学」に近く,青い文学臭が鼻につく面も否めない。老成しているが青春文学なのである。

 『怪の標本』は『再生ボタン』と同じ路線だが,一言でいえば冷めたお好み焼き。

 『怪を訊く日々』は木原浩勝や平山夢明の著作に近い,いわゆる実録怪談モノ。平山ほどの切れ味はないが,1つの素材に対する執着が微妙に重く,全体に田舎暗い。

 中編『亡者の家』は,残念ながら『ホン!』で絶賛されているほどは感心しなかった。作品中に描かれた「家」の嫌な雰囲気は確かにわかるのだが,怪異そのものがありきたりで,フランスの幻想文学あたりに同じカタストロフィーを見かけたような……と思った時点で恐怖度三割引き。
 この作者は怪談の中でよく入れ替わり,すり変わりを巧みに用いるのだが,その点だけをもって評するなら『再生ボタン』収録の「仏壇」のほうが段違いに怖い。

 短編集『廃屋の幽霊』は,ほかの怪談採話者,あるいはホラー作家にない独特な境地を感じさせる快作,もとい怪作。
 作品中では,「実録怪談」によく現れるような廃屋,いわくありげな借家などが舞台として選ばれる。そして,いかにも「実録怪談」に描かれそうな怪異,心霊現象が語られる。そのくせ読後に残るのは実録怪談の風味を越えて,短編小説のそれなのである。これは,ホラー作品として,ありそうで案外ない。
 廃屋に現れる幽霊の噂をきっかけに嫌な気配がどんどん深まっていく表題作。リストラされた中年サラリーマンの不愉快さが怪談の不気味さと交互にすりかわりながらしこった不協和音を奏でる「庭の音」。古いアパートの住民の不潔感を頭からかぶってしまうような「市松人形」など,など。
 手応えは文学的というのでもない。なんというか,実録怪談が素材のままで怪しさを伝えるのに対し,蒸留して濃度を高めた,密度の高いいとわしさに素手で触る,そんな感じで実にもう嫌だ嫌だ。

先頭 表紙

2006-09-10 『たまらなく怖い怪談 身の毛がよだつ実話集』 さたな きあ / KKベストセラーズ ワニ文庫


 採話であるか創作であるかを問わず,怪談の編著者には当人なりの生理的な嗜好があるようだ。

 「さたな きあ」(奇妙なペンネームだ。由来はわからない)の場合,たった今何もないと確認したばかりの空間(ロッカーや保冷車の中)にもやもやと人の髪の毛や顔,腕が見えてくる,というのがお好みのようだ。全体に「もやもや」「髪の毛ずるずる」系である。

 もう一つ顕著なのは,登場人物に神経症の傾向があるなら説明がつくというタイプの話だ。

 たとえば巻頭の「猫が…いる」。
 自宅の内,外にいもしない猫の声を聞くようになった夫。それはだんだんエスカレートして,トイレの便器に多数の猫の首を見るにいたる。
 ここまでなら,疲れた夫の幻聴,幻覚であり,怪談にするよりまずカウンセラーを奨めるべき話にすぎない。この「猫が…いる」で本来最も怖いのは,それを語る妻の衣服から猫特有の匂いがするという後日譚だろう。ところが,著者はどういうわけかそこを素通りして「夫を案じていた夫人の耳にもまた,猫の声が執拗に聞こえ始めていても,おかしくないように思う」などという,なんだかとんちんかんな感想で幕を閉じる。
 違うだろう。これではまるで怖くない。まさかとは思うが,猫の気配や声,姿に翻弄される夫のばたばたした立ち居振る舞いや悲鳴,それをこの怪談の本領ととらえているのだろうか。

 あるいは,ある病人がてるてる坊主を怖がることから書き起こされた一編。
 古いアパートの一室に捨てても捨てても現れる,髪の毛のからみついた櫛。これだけで十分怖い話になりそうなものを,わざわざてるてる坊主嫌いにまで引っ張る必要などあったろうか? ましてや「あの部屋にはつまり,なんていうか,先客がいたってことなんだろうな」「たわごとと思うか思わないかは,あんたの自由だけどね……」などという余計なセリフを付けてまでページを増やす必要はなかった。

 なかには深夜まで浴槽を洗い続ける隣室の中年女など,料理の仕方次第でかなり怖くなりそうな話はいくつもあるのに,余計な演出とセリフでただ大仰な話にしてしまう失敗が繰り返される。
 いや,そういう大味な話術を好む読者がいるのなら,それを「失敗」というべきではないのかもしれないが……それでも。

 たとえば,「四角い箱のなかで 保冷車の場合」の一節はこんな具合だ。

 「白い腕が──髪の下から,ずるっと出てきて──ひっ! なにもなかったのに──どこから,こんなっ。ヒヒッ! かっ,顔が──ひいっ。こっちを向いてる! ヒッヒッヒ! 顔がっ!!」

 これはこの話で一番怖いはずのシーンなのだが,鳥肌より先に笑いが漏れてしまう。

 先にも書いたとおり,十分怖い怪談になりそうな素材が数編あるだけに,惜しい。

先頭 表紙

「おじゃる丸」の犬丸りんが飛び降り自殺って……。うう。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-09-11 12:00 )

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