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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-11-21 烏丸のそれはちょっといやだ その1 『ドロファイター』 村上もとか / マインドカルチャーセンター(MCCコミックス)
2000-11-20 北村薫「日常の謎」について 追捕 『覆面作家の夢の家』 北村 薫 / 角川文庫
2000-11-20 400円文庫特別書下ろし作品をチェック! 『puzzle(パズル)』 恩田 陸 / 祥伝社文庫
2000-11-18 曲がるスプーンのイマイチ 『超心理学読本』 笠原敏雄 / 講談社+α文庫
2000-11-17 理屈抜きイチオシ 『不肖・宮嶋の ネェちゃん撮らせんかい!』 宮嶋茂樹 / ザ・マサダ
2000-11-16 ハートウォームなマンガのイチオシ 『ハムスターの研究レポート(5)』 大雪師走 / 偕成社ファンタジーコミックス
2000-11-15 北村薫「日常の謎」について 最終回 『夜の蝉』 そして再び『六の宮の姫君』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)
2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その4 『秋の花』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)
2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その3 『空飛ぶ馬』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)
2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その2 『六の宮の姫君』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)


2000-11-21 烏丸のそれはちょっといやだ その1 『ドロファイター』 村上もとか / マインドカルチャーセンター(MCCコミックス)


【泥の中から金を,生活を築いていくレースを……】

 村上もとかといえば,F1を舞台にした『赤いペガサス』,山男の苦闘を描いた『岳人列伝』,剣道を歌い上げた『六三四の剣』など,骨太なストーリー,力強いデッサン,細緻な描線で知られる小学館系の大家である。個々の作品の設定だけ見るとB級といえばB級なのだが,これだけ堂々と描かれてしまうと黙るしかない。要するに大デュマやバルザックをB級とは誰も言わない,その領域である。
 一時,バイクマンガ『風を抜け!』やボクシングマンガ『ヘヴィ』で少々タッチが衰え,『六三四の剣』で燃え尽きたかと心配されたものだが,なんのその,昭和史を描いた長編『龍-RON-』,タイの犯罪を描いた『水に犬』,検事を主人公にした『検事犬神』など,地味な題材を取材を重ねてじっくり描き,最近さらに凄みが増したような次第である。

 添付画像の『ドロファイター』は『赤いペガサス』の直後(1979年〜),少年サンデーに連載された作品。主人公は身長6フィート9インチ(2メートル6センチ)の日系アメリカ人ノブ・トクガワとその妹サキ。賞金目当てにアメリカ各地を戦線する金も学もない無名レーサーが不屈のガッツとタフな肉体を武器にスプリントからドラッグレース,ストックカー,そしてインディとだんだん大きな舞台で活躍していく文字通りのアメリカン・ドリームを描いたものだ。
 ヨーロッパを舞台に精密機械のような天才F1ドライバーを描いた『赤いペガサス』がレッド・ツェッペリンなら,アメリカのパワーレースを描いた『ドロファイター』はグランド・ファンク・レイルロード,といった感じだったろうか(ジミー・ペイジが精密機械? というつっこみはこの際なし)。

 村上もとかという人は単行本の再版に無頓着なのか,この『ドロファイター』は1981年に単行本が完結して以来ずっと再版されず,古本市場でも割合高額だった。元気は出るがドタバタしたB級アクション,に,大枚はたくべきかどうか迷っているうちに買い逃す,そんなことが何度かあった。それが今回,マインドカルチャーセンターなる聞いたことのない出版社からめでたく再版され始めたわけである。喜びいさんで1冊めを買ったのはよいのだが……実は,1999年12月に第1巻が出て以来,1年近く音沙汰がない。すでに一度単行本となったマンガの再版に,それほど手間がかかるとは思えない。あまり間があくのは営業的に不利なはず。いったいどうなっているのか。

 このまま沙汰止みになってしまうのは……それはちょっといやだ。

先頭 表紙

『ドロファイター』が連載されていたころは,ぴりぴりした『赤いペガサス』に比べてなんとなくギャグっぽくてタルいように思っていたのですが,時間が経つとこちらの余裕も好もしく思えるようになりました。当時単行本を買っておけばなんてことなかったのに……。 / 烏丸 ( 2000-11-24 11:46 )
遅いつっこみになってしまいましたが、このマンガ結構好きだったんですよ。ジャンプ誌の「虎のレーサー」でデビューした村上もとか氏、「赤いペガサス」のモナコGPあたりから作風が変わったんですけど、そのあたりからこの「ドロファイター」で氏のスタイルのベースが出来たような気がします。 / TAKE ( 2000-11-23 02:24 )
あ,そういうわけではないです。この新企画では怖くてやれん,というだけ。サイバラは黒ネズミ,白ウサギ,白ネコ,緑カエル……十分ですね。 / 烏丸 ( 2000-11-21 20:13 )
え、無敵のサイバラはデンキネズミにも喧嘩売ってるんですかい? / こすもぽたりん ( 2000-11-21 19:49 )
サイバラ@ロッキンオン的なのは多分タイトルだけかと……。「その3」までは用意しているけど,その後どうしましょう。黒ネズミや白ウサギ,黄色ネズミにケンカ売る気はないしなぁ。あんな勇気ないっす。 / 烏丸 ( 2000-11-21 15:56 )
あ、間違えた。↓は新企画だっちゅうの〜。 / 三菱銀行東長崎支店の、誰だっけ?? ( 2000-11-21 15:12 )
お、サイバラ@ロッキンオン的雰囲気な新規格ですな。 / こすもぽたりん ( 2000-11-21 15:11 )

2000-11-20 北村薫「日常の謎」について 追捕 『覆面作家の夢の家』 北村 薫 / 角川文庫


【天津風雲の通路ふきとぢよ】

 こすもぽたりん氏に過分なお褒めをいただいた「北村薫『日常の謎』について」の考察ではあるが,「神田マスカメ書店」へのつっこみにも書いた通り,あの一連の書評には実は意図的に触れていない大きな穴があった。それを埋めておきたい。

 大きな穴とは何か。自明である。
 誠実な読み手,書き手がハシカのように一度は虚構と現実の壁に悩むのなら,〈私〉と同じ大学,同じ学部に学んだ現実の作者・北村薫もまた,そのジレンマに悩んだはずだということである。

 すなわち,「円紫師匠と私」シリーズを覆う〈私〉のジレンマについてなど,あの長いスロープに通った北村薫はとうに気がついていたはずだ。
 だから,1作め『空飛ぶ馬』は〈私〉が「聡明な少女」でいられるぎりぎりの大学2年生で始まり,2作め『夜の蝉』では〈私〉がそこに永遠には安住できないことが示唆される。3作め『秋の花』で実際に「そんなにもろいもの」として作中に生き,死に,苦しむのは〈私〉でなく後輩の女子高生達であり,残された理恵をしっかりと抱きとめたのが誰だったかを見れば,作者にとっても〈私〉が重い手応えのない虚構の側にいることなど明らかだったのである。

 しかし,作者は「円紫師匠と私」シリーズを止めることができなかった。〈私〉という,おそらく作者にとって理想の乙女の姿をもうしばしこの世にとどめたいと思ったのか,それとも作者本人の芥川についての未完の卒論に未練があったのか,実際のところはわからない。ただ,4作めの素材として芥川の『六の宮の姫君』論が選ばれたのは,〈私〉を現実の世界に引き寄せるべきかどうか悩む作者の逡巡が感じられ,野次馬にすれば興味深い(いっそその逡巡をそのまま〈私〉に渡してしまえばよかったのだ。就職をあのように安直に決めさせたのはやはり甘すぎる)。
 しかし,円紫が〈私〉をどろどろした現実に引きずり込むという展開があり得ない以上,このシリーズはもうそっと蓋をしておくしかないのだろう。これを揺するには,たとえば円紫と〈私〉が不倫関係に陥るとか,〈私〉か円紫が殺人を犯すとか,そういった極端な手以外にないようにさえ思われる。

 だからこそ『覆面作家』シリーズは書かれたのだ,と考えたい。

 詳細を明かすのは興趣をそぐが,天国的美貌の持ち主で,大邸宅の内においては清楚なお嬢様,一歩外に出れば外弁慶アクションバリバリの新妻千秋こと覆面作家のフクちゃんは,〈私〉と同じ年齢でありながら,この手のシリーズ探偵コメディとしては珍しく少しずつ現実の世界に足を踏み出し,珍しくたった3巻(『覆面作家の夢の家』)できっぱりと幕をおろす。
 第1巻『覆面作家は二人いる』では子供の成長についての重い言葉が語られ,第2巻『覆面作家の愛の歌』の最後では〈私〉ならあり得ない,思いがけない展開が待っている。宮部みゆきや有栖川有栖が解説に「本格原理主義者」と連呼するほどには「謎」の面白くないこのシリーズ,やはり「謎解き」よりは「物語」として書かれる必然性があったと見るのが妥当だろう。

 〈私〉というストーリーの中でがんじがらめになった「陰」があって,そこから生まれた「光」。それが『覆面作家』なのではないか。フクちゃんの説明されない二重人格は,新妻千秋と〈私〉の交錯であると見るのも面白い。また,フクちゃんの強さ,明るさ,幸福は,本来〈私〉が得るはずだったものかもしれないとも思う。

 フクちゃん,そして〈私〉に祝福を。

先頭 表紙

ちなみに烏丸は,水族館好きで,わりあい最近も池袋のサンシャイン水族館に赴くなど,あの暗く,ぬったりした空間は嫌いではないのでございます。 / 烏丸 ( 2000-11-24 11:51 )
天気予報が雨50%だったので,結局,お隣の葛西臨海水族館に行ってきました。そう,ユースケがフクちゃんに投げ飛ばされた水族館です。しかし,誘拐犯がお金を奪取するには最低の場所ですね。クロマグロは回遊できるように水槽が広くて場所特定できないし,そもそも出入り口は幅の狭いエスカレーター一対だけ。フクちゃんが走って逃げられたということは,ほかに警察官,誰一人いなかったのか。 / 烏丸 ( 2000-11-24 11:49 )
家族税の納付でございますか。本来は勤労感謝の日でございますのにねえ。お疲れ様でございます。「みっひー」は連れて行かれないのでしょうか? / 明日はエアコンの掃除をせむ ( 2000-11-23 00:19 )
さっき気がついたのですが,この(©でじこ)のマルCマーク,Netscape Navigator4.04ではマルCにならないんですね。で,どうかというと,(C)と表示されている。わかっちゃいるけどフォントがないのよ,みたいな感じなんですかね。ファニーなやつだぜ。 / 明日は黒ネズミの巣に行くかも 烏丸 ( 2000-11-22 20:20 )
生まれてこの方、一度しか行ったことがないので知らないにょ〜(©でじこ)。エクスピアリとかいう駅前商店街もできたとか。 / こすもぽたりん ( 2000-11-21 19:50 )
ところで,『覆面作家の謎の写真』(だったかな)にあったのですが,TDLにはポリシーとして黒ネズミが同時に一箇所しか現れない,というのは本当でしょうか。だとすると,めったに行かないのに握手できた烏丸はらっきー。 / 烏丸 ( 2000-11-21 16:00 )
いやいや、フクちゃんファンが増えてなによりでございます。 / 岡部不可介 ( 2000-11-21 15:13 )
しかしこの『覆面作家』シリーズを食わず嫌いで片付けていたのは烏丸人生の不覚でありました。感謝感謝。 / 烏丸 ( 2000-11-21 00:52 )
し、しまった。高岡正子さんが大飯喰らい犬嫌いの役立たずオバケの飼主にされてしもうた。 / こすもドロンパ ( 2000-11-20 20:24 )
正ちゃんといわれるとすぐオバQと反応してしまう高度成長期育ち。 / バケラッタ 烏丸 ( 2000-11-20 19:51 )
そして正ちゃんの吟誦に拍手喝采を!! / こすもぽたりん ( 2000-11-20 18:47 )
このところ,ぽたりんさまご推薦の本の落ち穂拾いで糊口をしのぐ毎日。なにか新機軸を開拓せねば……。 / 烏丸 ( 2000-11-20 14:16 )

2000-11-20 400円文庫特別書下ろし作品をチェック! 『puzzle(パズル)』 恩田 陸 / 祥伝社文庫


【中編小説のよしあし】

 「光文社知恵の森文庫」「ハルキ・ホラー文庫」「学研M文庫」「新潮OH!文庫」「日経ビジネス人文庫」など,出版不況を反映してか,このところ文庫本の新規参入やお色直しが目につく。各社の台所を覗いたわけではないが,雑誌や新刊書籍が売れないので,廉価な文庫で勝負をかけざるを得ないといったところだろうか。
 本好きとしては望むところ……ではない。文庫の新刊ラッシュは書下ろし作品の比率が高まり,ハズレをつかまされる可能性が高まる。また,新刊ラッシュは絶版ラッシュと表裏一体で,魅力的な1冊と回り逢う機会を永遠に失うことにもなりかねない。もっとも,本との出会いは一期一会,そんなことを気にしていたら本など読んでいられないのだが。

 さて,今回注目したのは「祥伝社文庫15周年記念特別書下ろし 400円文庫」なる中編小説のラインナップ。全21冊を「鬼」「無人島」といったテーマ競作,「恋愛&心理サスペンス」「SF奇想&ホラー」「ミステリー&ハードボイルド」「歴史&時代小説」と分類して提供するあたりがなかなか中間小説に手馴れた同社らしい。
 まずは雑誌の書評(確か週刊文春)で好評だった『0番目の男』(山之口洋),『puzzle』(恩田陸)から読んでみることにした。
 前者はクローン人間をテーマにしたSFで,内容は……大昔の小松左京の短編を読み返したほうがいいかな。目的が読者を不安にすることなのか感動させることなのか文明について何か指摘することなのか,よくわからないのだ。とりあえず置いて,「無人島」をテーマにしたミステリ作品『puzzle』のほうをもう少し詳しく紹介することにしよう。作者の恩田陸は,最近NHKで少年ドラマシリーズテイストで話題になった『六番目の小夜子』の作者である。

 『puzzle』の舞台はコンクリートの堤防に囲まれた,今は廃墟マニアが訪れるばかりの無人島。名前は変えてあるが,長崎の端島(軍艦島)のことだろう。海底炭坑とともに発展したこの島には,昭和30年代の最盛期にはわずか7ヘクタールの土地にコンクリートによる高層建築が積み重ねられ,約5000人が生活していた(横山博人の映画『純』は電車内で痴漢を働く主人公の精神的荒廃を出身地のこの島に投影して見事だった)。
 その島で,学校の体育館で餓死した死体,高層アパートの屋上に墜落したとしか思えない全身打撲死体,映画館の座席に腰掛けていた感電死体が発見される。3人とも身元を示す持ち物はなく,遺品は「さまよえるオランダ人」「スタンリー・キューブリックの新作発表」「元号制定」「料理のレシピ」「地形図の作られ方」といった,脈絡のないコピーだけ。島を訪れた2人の検事が暴く真相とは……。

 一見バラバラな謎だが,ジグソーパズルのように最後には全体像が明らかになる。しかし……逆に言えば,ジグソーパズルと同じで,なぜこのようにバラバラにしなければならなかったかとなるとよくわからない。
 よくできたパズルだが,もう少しなんとかなったのではと思われ,それが惜しい。

 もう1点抑えておきたいのは,『puzzle』は縦35文字×横13行だということ。手元の文庫本何冊かを調べてみたところ,44文字×18行,40文字×17行,なかには43文字×20行というものもあった。『puzzle』を1ページあたり400字詰め原稿用紙に換算すると1.14枚。詰まった文庫本なら2.15枚だから,文字量は半分強ということになる。『puzzle』は150ページ程度だが,実際の読み応えはずっと薄いので,400円文庫を購入する場合はそのあたりも要注意だ。つまり,400円は決して安いわけではないのである。

先頭 表紙

をを,今表紙を見ると,10001ヒット。ご愛顧感謝なのであります。 / 烏丸 ( 2000-11-20 02:18 )

2000-11-18 曲がるスプーンのイマイチ 『超心理学読本』 笠原敏雄 / 講談社+α文庫


【科学的事実とは何か】

 最近は連日数冊の本を並列に読んでいる。通勤の行き帰りには比較的新しい本,ひまじんで書評を書くために読み返す本,夜,音楽を聴きながらゆったり読む本,そして寝室で寝転がって就眠儀式として読む本。
 寝室用の本の選択は少し難しい。面白すぎて眠れないのも困るし,難しくてあっという間に寝てしまうのも同じページを行ったり来たりして困る。それなりに興味深く,章立てが分かれたノンフィクション,小説なら短編集が望ましい。

 というわけで,最近寝室で読了したのが,こすもぽたりん氏ご紹介の『超常現象の心理学』である。オカルトや血液型性格判断を題材に,人がつい陥りがちな「思い込み」「錯覚」に注意を喚起してくれる,実にわかりやすくよい本であった。
 詳細はぽたりん氏の書評をご覧いただくとして,付け加えるなら各章の見出しや本文中に銀英伝,ウルトラセブン,ガンダムなどのSF,アニメ作品からの引用が散見されること。自称霊能者とテレビ対決した顛末を紹介する章のサブが
 「またつまらぬものを斬ってしまった」(十三代目 石川五右ヱ門)
だったのには,深夜,爆笑が止まらず困った。

 勢いで次に読み始めたのが表題の『超心理学読本』なのだが……驚いたことにこちらは超心理学,つまり超能力(ESP)や死後生存を肯定する本であった。たま書房でなく講談社,しかも著者が大まじめだけにどっひゃーである。

 内容はESPの分類に始まり,念力(PK),死後生存などについて歴史的経緯を挙げ,実験を紹介し,科学的に証明せんとする。心理療法実践中に患者がPKを発揮した(録音テープにノイズが入った)と思われるケースや,清田益章のスプーン曲げなど,著者が直接検証を試みる項もある。

 しかし,著者がいくら一生懸命誤謬や不正行為を排除したつもりでも,説得力は弱い。そもそも,他者の悪意についての想像力があるように見えないのだ。たとえばタレントの松尾貴史(キッチュ)らは,アンチオカルトとして「手品」としてのスプーン曲げを実践している。しかし,本書に清田益章のスプーン曲げを疑う気配はない。実験に協力してくれるのだからちゃんとやってくれているのだろうし,自分達が見ているのだから大丈夫,程度の気構え。録音テープにノイズが入った場合も,その場に居合わせた自分やその患者が恣意的にそうする理由がないというだけで,トリックや悪戯の可能性が消去されてしまう。

 だから,1610年代の初めから1970年代半ばまでの360年ほどの間に報告されたポルターガイストの事例116例のうち,24例ではRSPKの焦点となる生者の中心人物の存在がつきとめられなかった……という情報から,死後生存があるという結論が導き出されたりする。「1610年には教会のキリスト像が血を流した。だから奇蹟はある」というのと変わらないことが,どうもわからないらしい。
 それなのに著者は,「超心理学の門外漢」による論文が「専門家である超心理学者」の審査を経ることなく科学雑誌に掲載されると憤る。認知されてない側によるお墨付きが必要という,この1点をもってすでに論理の外とみなしてよい。

 想像力に乏しい学者が赤恥をかくのは当人の勝手だ。しかし,思い込みと批評の甘さが,血液型性格判断のような人権侵害,あるいはオウム真理教のようなカルト事件に発展するのをどう圧し留めればよいのか。
 疑いを知らないことは,決して純朴で美しいこととイコールではない。私達は,つい最近も検証を怠った呑気な学者達による,旧石器発掘捏造という悲劇を知ったばかりではないか。

先頭 表紙

自分が仕事でそうやられたら……怒るのはもちろんでしょうが,ちょっとうすら寒いような気がします。そのうちDNA性格判断なんてベストセラーが出てくると「あたし,DNAに欠損のある人とはお付き合いしないの」なんて言い出す輩が現れ,もっといやかも。 / 烏丸 ( 2000-11-20 19:54 )
にょ〜(©でじこ)、それはビックリなのです。テクニカル・ライター氏が被害にあわれたということは、相手は必ずしも「と」系な方ではないわけでござんしょ。オカルトでございますねい。 / こすもぽたりん ( 2000-11-20 18:50 )
そうそう,しつこくなくて,お行儀のよいオタク,という感じでございました。血液型性格判断は,知人のテクニカルライター氏も被害にあったもよう。さんざ打ち合わせに時間とっておいて,最後に血液型がこれこれの人とは仕事しない,とやられたそうです。断る理由付けでなく,本気らしいのでアキレます。 / 烏丸 ( 2000-11-20 00:09 )
「血液型性格判断はインチキである」と言うと、すかさず「そんなことは分かっている。分かっていて楽しんでいるんだから何が悪い」という差別に鈍感な輩や、「そうは言ってもあたっているところもあるんだから」という『フリーサイズ効果』にどっぷり嵌った愚かなオカルト者がすぐに登場するので、最近は口にしないようになりました。「血液型は?」と聞かれたら「知らない」で終り。 / こすもぽたりん ( 2000-11-18 12:52 )
『超常現象の心理学』の菊池聡という人は、なかなかいいオタクでしたねい。 / こすもぽたりん ( 2000-11-18 12:45 )

2000-11-17 理屈抜きイチオシ 『不肖・宮嶋の ネェちゃん撮らせんかい!』 宮嶋茂樹 / ザ・マサダ


【死ぬほどのキスを】

 思えば烏丸幼少のみぎり,世界にはまだハードボイルドなスーパーヒーローがあふれていた。ジェームス・ボンドしかり,ナポレオン・ソロしかり,マイク・ハマー,プロ・スパイしかり。彼らが後年のタフガイ達と大きく違うのは,たまたま事件に巻き込まれるのではなく,「危険」と「女」に自分から好き好んでダイブしていくことだった。
 子供心にも,あれは作り話,あんなヒーローはいないのだと思い諦めて幾星霜……ふと気がつけば,本物がいた。どちらかといえば007,0011より「それゆけスマート」に近かったが。それが不肖・宮嶋,宮嶋茂樹である。

 彼の行動原理は,ジャーナリストや雇われカメラマンとしての金や名誉欲では説明がつかない。ともかくキナ臭い騒ぎがあれば,きれいなネェちゃんがいれば,そっちめがけて頭から突っ込んでいってしまう。

 そうでなくて,いったい誰がカンボジアのPKOに同行するだろう。取材などという甘っちゃんちゃこりんなシロモノではない。文字通り体を張っての同行である。江川紹子女史と石垣島にシロクロはっきりする前のオウムを追い追われ,湾岸戦争の折りには自衛隊の機雷除去に同行し,和歌山に赴いては林真須美に水かけられる。シブい。
 桜散る小菅は東京拘置所に麻原彰晃をスクープし,ハマコーの刺青を撮っては追いかけられ,極寒の南極でドラム缶にウンコをさらす。ごっついもんである。
 ノルマンディー上陸作戦50周年記念式典でドイツ軍の制服を着て日章旗を振り,金日成の像の前では同じポーズをとって撮影される。シャレんならん。

 彼の言動は過分に右翼的であり,理性的というには問題発言多く,思想は関西弁とギャグに埋没する。しかし,ここには世界に体当たりする行動がある。おきれいな本社ビルと首相官邸との間を黒塗りのハイヤーで行ったり来たりで片付く大手新聞の記者仕事とはわけが違うのだ。

 本書は副題を「『ボスニア原色美女図鑑』撮影記」という。紛争中のボスニアに赴き,ラダ・ニーバに乗り,イグマン山の峠を越え,戦争で親兄弟や恋人を失った女に化粧品を渡し,爆撃跡に立たせてカメラを向け,真冬の湖で水着撮影までしてしまうという,作者自らが「あんまりにもアブナイ」「こりゃ,アカンわ」と封印していた原稿が日の目を見たものである。
 発行は今年6月で,この取材潜入はクレスト新社から発行されている『空爆されたらサヨウナラ』(1999年7月発行)よりも先である。週刊文春のグラビアに届いたクレームを知って出版の引き受け手がなかったのだろうか。

 掲載されたボスニアネェちゃんどもの写真はどれもこれも知的な色気に満ちて後ろめたいほどけっこうなものだし(モノクロなのが泣きだ。豪華天然色写真集が出るなら片手までは出す),文章は毎度の不肖・宮嶋ノリだし,文庫になる保証はない。

 とりあえず,戦うことの意味を知りたい男は本書を手にせよ。そしてまずまえがきの
「私をハイエナだと嘲笑う人たちこそ,羊の群れにだけよく吠える無関心で無責任な飼い犬ではないのか」
に吠え返してみよ。
「この宮嶋や戦争一本で食っているカメラマンを失業させてみい!」
に応えてみよ。……いかん,ちょっと櫻井よしこさん入ってしまった。

 『六の宮の姫君』の書評と似たような結論になってしまうが,世界はおっとり眺めてどうなるものではない。叩き割って首つっこんでゲロ吐いてそれでやっとなんぼかのもんである。

 フォトグラファー宮嶋氏のご武運を祈る。

先頭 表紙

をを、早速綾波書店に走らねばっ! / こすもぽたりん ( 2000-11-20 13:48 )
『一見必撮』を紀伊国屋BookWebで注文したほんの数時間後に,立ち寄った小さな駅ビルの書店店頭で平積みになっているのを発見。ぐうぅ。 / 烏丸 ( 2000-11-19 23:52 )
しかし本書、さっそく手配せねば。新刊情報も頂戴したことですし、紀伊国屋BookWebへゴーだ! / こすもぽたりん ( 2000-11-18 12:42 )
ほよよ(©則巻アラレ)、拙文をご紹介いただきまして、まことにありがとうございます。今読み返すと、まことにお恥ずかしい限りでございまして。あたしゃ、第1回から宮嶋だったんですな〜。 / こすもぽたりん ( 2000-11-18 12:41 )
ぽたさまの「日本の出版界を支えているのは『右の宮嶋、左の西原』である」はまったく名言ごくごくです。 / 烏丸 ( 2000-11-18 01:53 )
「不肖宮嶋」という謳い文句以外、よくしりませんでした。さっそくリンクに飛んで見よう〜っと。 / あやや ( 2000-11-18 00:20 )
私の愛読する文春にときどきコメント付きで登場されますね。不肖宮嶋サマ。本業の写真意外でも味のあるお方ですねえ。 / たら子母 ( 2000-11-17 22:50 )
宮嶋茂樹の過去の代表作については,こすもぽたりん氏による書評『ああ、堂々の自衛隊』『不肖・宮嶋 史上最低の作戦』『不肖・宮嶋 南極観測隊ニ同行ス』をそれぞれご参照ください。 / 烏丸 ( 2000-11-17 17:41 )
2000/11,文藝春秋より『不肖・宮嶋の一見必撮!』も発行。紀伊国屋に注文す。 / 烏丸 ( 2000-11-17 17:08 )

2000-11-16 ハートウォームなマンガのイチオシ 『ハムスターの研究レポート(5)』 大雪師走 / 偕成社ファンタジーコミックス


【チビっち母になる】

 北村薫について短時間で書き上げたため,頭の中ではまだあちこちプスプス,ヂヂヂとショートした回路が煙を上げている。書き足りないこともいくつかあるのだが,ここはいったんクールダウンに励もう。

 さて,実のところ,烏丸は人間が苦手だ。手間がかかるし,壊れやすい。とくにここしばらくは身近でインフルエンザのように癌が流行り,こんなことなら親兄弟なんて縁日で飼うのではなかったと……なんか,違うな。

 冗談はさておき,動物は大好きだが,実際に飼うのは苦手だ。無視されると寂しいし,好かれるのもまた困る。すがるような目ですり寄られるともうどうしてよいのかわからない。ましてや死なれでもしたら。
 だから,若気のいたりでうっかりもらってしまったのを除いて,極力新しい動物は飼わないように心がけている。

 ……しかしハムスターは,飼ってみたいかな。

 と烏丸を動揺させるのが,大雪師走の『ハムスターの研究レポート』だ。
 内容は4コママンガで,爆笑するようなギャグではないし,克明な記録というふうでもない。ハムスターを散歩に出したらタンスと壁のすきまにはまり込んでしまった,とか,お見合いさせたらメスがオスをいじめるとか,そういった小さなエピソードが丁寧に描かれるだけだ。
 飼い主(作者)は後ろ姿や首から下しか描かれない。あくまで主人公はハムスターなのだ。しかし,だからといって動物マンガによくある擬人化,記号化はほとんどなされない。ハムスターが何かに焦ったときに飛ぶ汗が少々描き込まれる程度で,全体としては飼育日記をちょきちょき切り取って並べたような印象だ。
 しかしそれが,もうなんともいえずかわいい。ハムスターの腰のあたりの力感や,頬袋にエサを溜め込む動作が見えるような気がする。とことん無表情なハムスターの絵柄がこれだけ生き生きと見えるのは,作者のハムスターに対する,過剰ではないが確かな愛情のなせるわざだろうか。

 ここ数年,ペット業界ではハムスターがブームらしく,書店の一角を関連本が占めている。ハムスター専門のマンガ誌さえあるようだ。『ハム研』はそのブームのきっかけと言われており(確認できたわけではないが,発行年月日などを調べた限りではそうなのだろう),確かにこれ読めばハマるよねという力を感じる作品である。また,類似品,便乗本のたぐいはさほど面白くないのだから,『ハム研』は相当特殊な領域にあるのだろう。

 もっとも,烏丸は,今のところハムスターとモルモット,ハツカネズミ,あるいは(二階堂が苦手な)スナネズミの区別もつかない。また,それでいいと思っている。近所のホームショップ屋外のペットコーナーは鬼門とみなし,イモリやカメの水槽を除いては近寄らないようにしている。だって,ハムスターの本物を見てしまったら即手を出してしまいそうじゃないですか。くわばらくわばら桑原茂一。

先頭 表紙

「ちょっと風邪をひいてしまって……若手のミステリ,ください」「まあ,どれをお読みになっても,似たようなもんですけどねえ」「あ,これなんですか」「近藤史恵ですね。お買いになられますか」「いえいえー」 / 烏丸 ( 2000-11-16 15:53 )
おーう,とみぃ。し,新本格に気をつけて,壁塗んなぁ。 / 烏丸 ( 2000-11-16 13:55 )
正義と真実の人、桑原茂一でございます。ご家庭でご不要になりました、島田掃除(ママ)、大沢在昌、綾辻行人等ございましたら、高級化粧紙と交換させていただきます。 / こすもぽたりん ( 2000-11-16 13:36 )

2000-11-15 北村薫「日常の謎」について 最終回 『夜の蝉』 そして再び『六の宮の姫君』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)


【NIGHT CICADA 1990,A GATEWAY TO LIFE 1992】

 北村薫は,最初の短編「織部の霊」でいきなり〈私〉に「昭和四年版新潮社の世界文学全集。フランソワ・コッペの『獅子の爪』」を読ませて読者の度肝を抜く。
 北村暁子の「解説」から表記を借りれば,3作め『秋の花』で〈私〉が手にした本は「『フロベールの鸚鵡』(ジュリアン・バーンズ),『ボヴァリー夫人』『感情教育』『聖ジュリヤン伝』『ブヴァールとペキュシェ』(フロベール),『奉教人の死』『或阿呆の一生』(芥川龍之介),『ドン・キホーテ』(セルバンテス),『アンチゴーヌ』『ひばり』(アヌイ),『鳴海仙吉』(伊藤整),『八犬伝の世界』(高田衛)──そして《私》にまだ読まれていない『野菊の墓』(伊藤左千夫)」
 4作めの『六の宮K』では,菊池寛の長編小説『真珠夫人』を読んだという〈私〉に,文芸出版社の編集者が「今時,千人に聞いても読んでないわよ。あなたって面白い子ね」と評価する。

 しかし,それだけの本を手にしながら,3年めの〈私〉は3年前の〈私〉と大切な部分で何も変わらない。変われない。

 『六の宮K』には,〈私〉がバイト先でたまたまベルリオーズの『レクイエム』のチケットをもらい,それを聞きに赤坂のホールに向かうという話がある。全体の中でどの話題とも関連のないエピソードであり,作者北村薫が今後のための伏線として置いたものと考えられる。
 そのエピソード内で,〈私〉は,ホールへの道すがら「玩具のお城めいた屋根の建物」に入ろうと誘う男と女のやり取りに「どきどきした。バッグのバンドをきつく握り,足早に通り過ぎ」る。
 同じ本の第一章の三で「何事かを追求するのは,人である証に違いない」と言い切った,その同じ〈私〉の「性」「愛」に対する答えが,ただ逃げるように通り過ぎることなのか。
 セックスにもマスターベーションにも目をつむる一方で先に挙げたような本を読みふけり,大学2年の春には近世文学概論の教授と「辰巳芸者とは深川の芸者」と隠微なやり取りをしてみせた“聡明な”〈私〉。

 片や,山岸凉子「朱雀門」の春秋子は「他人を許す 他人を引き受ける それができなくて何が愛よね」「お見合いなんて何度やっても同じよ」と,遅ればせながら『六の宮A』の言葉を自らに取り込み,「あきらめません 今度はいい人を自分で探すわ」と世界への参加を高らかに宣言する。さらに姪の千夏はそんな春秋子を受け「傷つくのをさけて生きてなんになるのでしょう」と勇気をもって電話を手にする。

 〈私〉の姉も,アクティブな友人たちも,自分の手はずは自分自身できちんと整える。2作めの『夜の蝉』ではずいぶんと露骨に〈私〉をいざなう事件も起こった。だからこそ『夜の蝉』1巻はおそらく本シリーズ中最もスリリングで魅力的だったのだ。
 しかし……。

 3作め『秋の花』,そして4作め『六の宮K』にいたって,〈私〉はこう述懐するにいたる。(円紫が謎を解いてしまうのを)「それを見ることが重なるうちに,私は,自分のぶつかる謎の殆どは解決がつくような気になっていたのだ」
 そんなことはない。人生には,解決のつかない謎のほうが多いし,ましてや他人の手で解決のつく謎などなにほどのこともない。

 円紫は,相手を──あるいは対応を間違えた。
 結局のところ北村薫の「日常の謎」とは,〈私〉が勇気をもつ機会を奪い続ける,青臭い円紫の愚話にすぎないのである。

先頭 表紙

なーにをおっしゃいますやら。烏丸は,自分が萌えじゃないヒロインをおとしめる書評となると元気が出るだけざんす。美○子説とか。 / 烏丸 ( 2000-11-15 19:06 )
はあ〜、なんか次を書ける自信がなくなってしまいました… / こすもぽたりん ( 2000-11-15 18:41 )
…… 参りました。 / ぽた公 ( 2000-11-15 18:31 )

2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その4 『秋の花』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)


【AUTUMN FLOWER 1991】

 〈私〉は,人生の闇を,闇として体験すべきだった。

 理路整然とした言葉で語られる世界ではなく,肉体的な痛みや不快感,不透明感の積み重ねとしての世界。闇は闇のまま身体の中に取り込むか,もし明らかにするなら他者の言葉によってでなく,自らの経験,聡明さ,あるいは汚れた泥にまみれることで解明しなければならなかった。

 繰り返される機会を,〈私〉はことごとく円紫の言葉の橇(そり)に乗って通過してしまう。
 あらゆる経験は〈私〉の前で本の中の言葉と同じ重みしか持たない。円紫と〈私〉は,ミステリ作品の中ではなかなかよき「コンビ」だが,実生活のコンビではない。恋人であれ夫婦であれ,実生活のコンビなら,まだよかった。言葉だけで通過できないことは実生活にはいくらでもあり,現実の恋人や夫は〈私〉を言葉の皮膜では覆いきれず,それどころかその存在そのものが〈私〉に重くのしかかるだろう。

 しかし,円紫は偶発的にしか現れず,そのくせその都度つるりとした論理と言葉で〈私〉をリアルな穢れから護る。

 そして,円紫とは関係のない,就職という数少ない人生のビッグイベントさえ,〈私〉は教授推薦の出版社アルバイトからなし崩しに入社,という具合に,自ら悩み,挑戦し,選ぶことなくすり抜けてしまう。通過儀礼たり得ない。

 そろそろおわかりだろう。
 「琴を引いたり歌を詠んだり,単調な遊びを繰返す」ばかりの六の宮の姫君,「極楽も地獄も知らぬ,腑甲斐ない女」とはまさしく〈私〉のことではないか。

 ネタバレになるため詳しくは書けないが,古今のミステリのシリーズ探偵には,自らが殺人を犯すことでシリーズを閉ざす者も少なくない。
 その状況,理由はさまざまだが,彼らの優れた頭脳と,誰のために推理するか,というテーマを作者が編み上げていくうちに,ある瞬間,探偵(作者)の中でリアルな行為が裏返るのではないか。確かな手応えの世界に復帰するためには殺人という大罪を犯す以外なくなるのではないか。

 3作めの『秋の花』で,〈私〉はそれまでの短編集2作以上に重い現実に遭遇する。
 幼い頃から大の仲良しだった理恵と真理子。しかし,文化祭を間近に控えたある夜,真理子は高校の屋上から墜落死してしまう。事件は事故として処理されるが,残された理恵は憔悴の度を加えていく。2人の先輩にあたる〈私〉は事件の真相を求めるものの……。

 事件の全貌が明らかになった終盤,〈私〉がもらす「私達って,そんなにもろいんでしょうか」という問いかけはまことに秀逸だ(角川が映画にしたなら,このコピーは1日中テレビで流されるだろう)。
 しかし,〈私〉は,そんなことを円紫に聞いてはいけなかった。円紫もまた,それに言葉で応えてはいけなかった。それは六の宮の姫君が往生するためには自身で阿弥陀仏の名を唱えなければならなかったように,自らに対し常に問いかけ,何年かかろうが自らの力で答えるべき問題だったのだ。
 だから,これほどの事件を得ながら〈私〉は結局,円紫の言葉を通してしか事件,そして世界を把握できない。そんな〈私〉に,世界の誰かが救えるだろうか。誰も救えはしない。

 だから,3作めの〈私〉はまことに貧相で,彼女の持つ知識との落差が不快感をさそうのだ。

(つづく)

先頭 表紙

先に山岸凉子の「朱雀門」を読んでいただけに,むしろ『六の宮K』は,それがオチである,と思っていたわけです。〈私〉が,本を読んで頭でっかちになっている自分にショックを受ける,といった内容ではないのかな,と。ぜんっぜん違いました。 / 烏丸 ( 2000-11-15 19:05 )
「私」が… 六の宮の… / こすもぽたりん ( 2000-11-15 18:40 )

2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その3 『空飛ぶ馬』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)


【FLYING HORSE 1989】
 
 「円紫師匠と私」シリーズの1作め,つまり『空飛ぶ馬』の最初の短編「織部の霊」では,掲示板の休講の告知に「こんちくしょうゆ」とつぶやく〈私〉は読書好きな文学部の大学2年生だった。
 その後,彼女は噺家の春桜亭円紫と知り合い,日常のちょっとした事件の中にさまざまな人生の秘密がひそむことを教えられる。

 従来のミステリの枠組みにならうなら,円紫がホームズ,〈私〉がワトスン役と言っていいだろう。
 しかし,この配役には大きな問題がある。〈私〉は大学の教授や円紫には及ばないものの,古今の文芸作品について相当の読書家であり,古典芸能に通じ,極めて聡明な女性である。
 人がよいばかりで機微にうとい,逆に壮年で自分の食い扶持は稼げるワトスンやヘイスティングスと同列に語ることはできない。

 そして,もし〈私〉が本当に聡明な読書家であったなら……優秀な文学部学生ならではのジレンマがあったはずだ。
 〈私〉は,穏やかな家庭,アクティブな友人,よき教師,明哲な知人に恵まれ,その一方で恋愛を,男女の営みを,本の中の知識としてしか知らない。

 たとえば,芥川のちょっとした表現のよどみに,同時代の作家の作品の数々,遺された手紙や弔辞まで掘り起こそうというほどの読み手が,小説中の男女の営みのありようについてのみ「こう書いてあるのだからそうなのだろう」ですませられるものだろうか。

 文学部や文芸サークルに多少なり出入りしていればわかることだが,誠実な読み手,書き手であればこそ,一度は悩む壁がある。
 一般的に,優秀な女子大生の小説の読み方,書き方には,モズがトカゲやカエルをハヤニエにするようなところがある。刺は鋭いが,人生にはかかわらない。リアルな手応えのない空間では,小説の言葉など小手先の慰みに過ぎない。そして聡明な読み手であればあるほどその構造に気がつき,虚構と現実の壁はなかなか抜けられないジレンマとなる。極端な場合,ある種の作品を十全に読み,あるいは書くために無理やり肉体関係を含む擬似恋愛に陥り,それが擬似恋愛であることにますます自家撞着が深まる,そんな例すらないわけではない。
 もちろんこれは大学生に限ったことではない。ある広さ,深さ以上に小説世界に親しむ者の,ハシカのような,しかし逃れられない病なのである。

 繰り返すが,〈私〉は最初の短編ではまだ大学2年生だった。
 彼女が,人生の闇に出会うチャンスは目の前に広がっていた。たとえばこすもぽたりん氏が「喫茶店の片隅のテーブルに陣取った3人の少女らは、順繰りに紅茶に砂糖を入れては味を確かめるかのようにそれを啜る。それが終わると、また一巡。それが7巡目、8巡目と続いていく。彼女達は一体何が楽しくて紅茶に砂糖を入れつづけるのか」と紹介した「砂糖合戦」だってそう,彼女が剥き身で他者の悪意と向き合うきっかけはいくらでもあったのだ。

 それをことごとく邪魔したのが,円紫である。

(つづく)

先頭 表紙

あるいは,駄菓子屋のおばさんが,子供に金額以上のお菓子を与えているような図式。相手がワトソンやヘイスティングスといった「大人」ならいいんですが。 / 烏丸 ( 2000-11-15 19:02 )
いやあ,1冊め『空飛ぶ馬』から,円紫はまずいと思っていたんです。妻でも娘でも恋人でもないお嬢さんに,これはいけないのではないか,おかしいのではないか,と。ヘンな言い方をすれば,テストを受けている学生の背中で解答を読み上げているような感じ。 / 烏丸 ( 2000-11-15 19:00 )
ぎょっ…… としますね。そうか、円紫が… / こすもぽたりん ( 2000-11-15 18:38 )

2000-11-15 北村薫「日常の謎」について その2 『六の宮の姫君』 北村 薫 / 東京創元社(創元推理文庫)


【ATTENTION!】

 先に,本書を未読の方に注意しておきたい。
 創元推理文庫版『六の宮の姫君』(『六の宮K』)には佐藤夕子による14ページにも及ぶ長い「解説」が付いているが,その終盤にはこの書誌学的なミステリの結論,普通のミステリで言うところの「犯人」が明記されている。なぜそんなことをしてしまったのか,容認した担当編集者を含め,理解に苦しむ。
 とりあえず本書については,内容を読了しないうちは解説のページを開かないことをお奨めしたい。

【朝霧の前に】

 さて,本書『六の宮K』は,先にも書いた通り,『今昔物語』巻十九第五を原典とする芥川龍之介の短編『六の宮の姫君』(『六の宮A』),それがいかなる意図のもとに書かれたかを女子大生の〈私〉がさまざまな書物をひもといて探る,そういう内容である。
 具体的には,芥川を文学部の卒論のテーマに選んだ〈私〉が,たまたまアルバイト先の出版社で文壇の長老に話を伺う機会を得,その長老が昭和の初めに芥川と直接会った折りに『六の宮A』について「あれは玉突きだね。……いや,というよりはキャッチボールだ」と言われたという,その意味するところを探るわけである。

 ところで,作者の北村薫は,佐藤夕子の解説によればW大学第一文学部に在学したとのことである。したがって,作品中の〈私〉が在籍する大学とはW大学であり(第1短編「織部の霊」に「文学部の長いスロープ」とあることなどからも推察される),本作冒頭で〈私〉が友人と一緒に行き付けの店で食事をともにする寺尾が「政経の四年,政治の方」というのは同じくW大学の政治経済学部の政治学科のことであろう。

 ……などと書くと,本書の読み手の多くは「何を馬鹿な」とお怒りになるのではないかと思う。
「作者北村薫は〈私〉の在籍する大学名はおろか,氏名すら明らかにしていない。作者の学歴からそれを押しはめるのは,作品世界について正しい読み方ではない」
 全く,その通りである。

 だが,〈私〉が『六の宮A』に対してしてみせるのは,まさしくそういう行為だ。
 ミステリ作品としてのネタバレになってしまうため詳しくは控えるが,〈私〉が芥川や同期の作家たちの他の作品,手紙,それらの書かれた年月日を調べ上げて小説の意味を探るのは……文学作品の「研究」としては理解できるが,はたして小説として正しい読み方なのだろうか。
 「玉突き,というよりキャッチボール」という,作家がプライベートにもらした言葉があるのとないのとで意味が違ってくるような,あるいは作家当人の手紙や同時代の他の作家の作品まで目を通さねば意図が理解できないような,そんな小説を,1篇の,自立した文学作品と言えるのだろうか。

 繰り返しお断りするが,学問としての,文学作品の書誌学的な研究そのものを否定しようというのではない。〈私〉の小説の読み方がそういう具合だ,ということを,先に明確にしておきたいのである。

(つづく)

先頭 表紙

最近の話題作はトリンプの宇宙旅行ブ… いや,烏丸,そういう品目のことはよく知らないのでありますっ。 / 烏丸 ( 2000-11-16 13:35 )
ああ、銀座を歩くんですね・・・って、そりゃ銀ブラ!(なんてベタな。。) / エル ( 2000-11-15 20:30 )
エルさま,それはそれとして,この「文学部の長いスロープ」のところで,他の,女学生の少ない学部の男どもが日向ぼっこしながらぼーーーーっと日がな一日乙女たちを眺めるのを「文ブラ」と申すのだそうです(伝聞)。 / 烏丸 ( 2000-11-15 19:11 )
作者のバックグラウンド等はただの理解を深めるプラスαであってもらいたいですね。それがないと作品の真価が分からないなんて、“死刑囚である”永山則夫が書いた「木橋」と同じですね。 / エル ( 2000-11-15 15:01 )

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