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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-11-03 [雑談] 人権尊重と教育の行く末
2000-11-02 本の中の強い女,弱い女 その九 『虐げられた人びと』 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー,小笠原豊樹 訳 / 新潮文庫
2000-11-02 本の中の強い女,弱い女 その八 『大人になったのび太少年』より「キャンディ(はあと)キャンディ」 木全公彦,林公一 / 宝島社文庫
2000-11-01 本の中の強い女,弱い女 その七 『めぞん一刻』 高橋留美子 / 小学館
2000-10-31 本の中の強い女,弱い女 その六 『ルネサンスの女たち』 塩野七生 / 中公文庫
2000-10-30 本の中の強い女,弱い女 その五 『イキにやろうぜイキによ』 聖千秋 / 集英社
2000-10-29 [雑談] マキシシングルとは?
2000-10-29 [補遺] 『日本の危機』(櫻井よしこ)にみる人権派の功罪
2000-10-28 本の中の強い女,弱い女 その四 『日本の危機』 櫻井よしこ / 新潮文庫
2000-10-27 本の中の強い女,弱い女 その三 『見守ってやって下さい』 内田春菊 / 河出書房新社(河出文庫)


2000-11-03 [雑談] 人権尊重と教育の行く末

 
 『死刑執行人の苦悩』(大塚公子),『日本の危機』(櫻井よしこ)の書評において,人権尊重がすぎるとそれはそれで問題がある,ということを扱った。

 たとえば,暴力がいけない,幼児虐待はいけない。これは正しい。しかし,では,幼年期に尻をぶったりおもちゃを取り上げたりしないで,どうやってこの世にはやってはいけないことがあるということを学習するのか。中学生に話し合いをしてみせるためには,その前の段階で互いの言葉にコンセンサスがなければならない。尻をぶたれずにどうやって他人の尻をぶたないよう指導できるか,あるいは成人になって尻をぶたれたとき,どう対応するのか。残念ながら社会は学校のようにぬくぬくと優しいところではない。
 また,選挙権に年齢制限があるように,少年であるということは,人権とは別の次元で抑制され,学ぶべき時期であるということは自明である。成人と同じ,無制限の権利を与えることは,人権とは関係ない。

 そういう意味で,少々面白い(不愉快な?)報道を昨日見た。
 労組・日本プロ野球選手会(ヤクルト古田敦也会長)が,西武球団に対し,書面で「松坂選手野球活動再開へ向けてのお願い」届けたらしい。それによると,「プロ野球選手にとって野球活動は人格の中心部分であり,償いはグラウンドでファンを魅了するように練習を重ねるしかない」ので,松坂の早期野球活動の許可,処分の解除を嘆願したというのである。

 古田の表現に,間違いは何ひとつない。しかし,グラウンドでファンを魅了することは,罪の償いとはなんら関係ない。というか,ここには「処罰」という発想が欠落している。
 自分のしてしまった行為の責任を問われ,したいことを抑制されるのが社会的処罰というものではないのか。逆にいえば,プロ野球人格に対してゴルフやテレビ出演を謹慎させることはなんら処罰にはあたらない,ということである。

 極端な例として,そごう水島元会長が「会長職は自分の人格の中心部分。償いはリストラ,再建を自ら担当することで」と言ったら,さてどうか。笑い話ではない。少なくとも,小中高校の教育の現場では,これと遜色ないやり取りが今日もまかり通っているのである。

先頭 表紙

akemiさま,そうですね。「ほめるのも大切」なのと,「ほめるばかり」とはぜんぜん違うと思います。烏丸,カラスではありますが子育てはそのへんのバランスが難しいと思うばかりで,「なんとか論」的に一方向邁進はまゆにツバぬりまくりです。 / 烏丸 ( 2000-11-04 01:08 )
「ほめて育てる」と声高に語ってる母親を中学の地区懇で見かけました。根っこの部分の「躾」ができていなければ、単なる甘やかしじゃねえか!と思いましたが、まだ中学の保護者としては1年目なので、取りあえず黙って聞いていました。 / akemi ( 2000-11-03 16:01 )
松坂のニュースは私も「ばかいってんじゃないよ」と思いつつ読みました。 / こすもぽたりん ( 2000-11-03 15:08 )

2000-11-02 本の中の強い女,弱い女 その九 『虐げられた人びと』 フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー,小笠原豊樹 訳 / 新潮文庫


【気違いだっていいわ】

 物語の語り手は若い小説家ワーニャ(イワン・ペトローヴィチ)。彼の幼なじみナターシャは,軽薄で世間知らずの美青年アリョーシャと恋に落ちる。頑固だが善良なナターシャの父ニコライ・イフメーネフはアリョーシャの父ヴァルコフスキー公爵に泥棒呼ばわりされ,蔑まれ,領地を奪われるが,ナターシャはアリョーシャとの恋のために家を出る。一方,ワーニャは街でたまたま貧しい老人の死に立ち会うが,彼が老人の部屋に引き移るとそこに痩せた少女が現れた……。

 『貧しき人びと』で新進作家として成功したものの,その後批評家にそっぽを向かれたドストエフスキーは,1849年,空想的社会主義者ペトラシェフスキー主催の会合に参加,当局に捕えられ,処刑寸前に許されてシベリアに流刑の身となった(流刑地での体験は『死の家の記録』に詳しい)。
 『虐げられた人びと』は,首都ペテルブルグに帰還を許された彼が作家として復活を遂げた長編で,自ら認めるように通俗的で甘い面もあるものの,メロドラマと切り捨てることのできない奥行きの深い人物造型で読み応えがある。
 ことにほとんど表だって出てこないが悪意の権化のようなヴァルコフスキー伯爵は『罪と罰』のスヴィドリガイロフ,『悪霊』のスタヴローギンを,言動が善意に過ぎてその善意が人々を不幸に陥れるアリョーシャは『白痴』のムイシュキンを思わせる。

 そして,主人公や彼ら以上に心に焼きつくのは,ヴァルコフスキー伯爵の実の娘でありながら,ただ貶められ,病に死んでいく少女ネリー(エレーナ)の存在である。彼女は「十二か十三の発育の悪い小娘で,おまけに大わずらいのあとのように貧弱で顔色もよくはない。そのせいか,大きな黒い眸はかえってきらきらと光っている」。
 彼女は顔をまっさおにして倒れ,熱を出し,うわごとをもらし,何を尋ねても黙り込むかと思えば,洋服が汚れると言われて「こんなのびりびりに破っちゃうわ」と引きちぎり,「ここにはいたくない,あたし意地悪よ」と茶碗を床にたたきつけて「ほら,こんなにこわれちゃったわ」と叫び,泣きすぎてヒステリーを起こしたあげくワーニャにしがみついて「あんたならネリーと呼んでもらいたい」と訴え,最後まで自分と母を捨てた父親を許さずに死んでいく。

 烏丸はかつて『罪と罰』の巧みさ,重さに驚き,続いてこの作品に触れてネリーに文字通り夢中になった。書物における烏丸の女性の趣味がいまだ病的,エキセントリック,ヒステリックにやや偏っているのは,その当時,寝ても覚めてもネリーの面影を追い,その死を悔いたためである。その後,彼女に代わるものを求めてドストエフスキーの作品を読み漁ったが,病的な女性は再三現れるものの,ネリーの暗い眸,崩れた黒い髪には二度と出会えなかった。ずっとのちに,ネリーと見まがう危うさを撒き散らす現実の女性と知り合ったが,数年がかりで自分がワーニャでないことを思い知らされただけだった。

 ちなみに,ネリーに思い入れるのは,烏丸一人の話ではない。新婚の妻を残して車ごと水に沈んだ烏丸の高校の数学教師も本作を熱く語っていたし,太宰の習作『葉』には貧しいロシア人の娘を見て「ドストエフスキイを覗きはじめた学生ならば,おや,ネルリ!と声を出して叫んで,あわてて外套の襟を掻きたてるかも知れない」という一節がある。また,黒澤の『赤ひげ』に出てくる薄幸の少女・おとよもこのネリーがモデルとされている。
 だが,本作のネリーを上回るほどにエキセントリックな魅力に満ちた少女をいまだ烏丸は知らない。また,今はもう,知りたいとも思わない。

先頭 表紙

MS-IME2000の辞書では,「はくち」も「きちがい」も変換してくれないんですね。ふうん。言葉だけ狩ってもしょうがないだろうに。 / 烏丸 ( 2000-11-02 20:14 )
いしいひさいちドーナツコミックスの7巻は『椎茸たべた人々』というサブタイトルで,もちろんこの『虐げられた人々』のパクリなんですが,『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』あたりならともかくこれをパクるというのはけっこういいシュミだと思います。編集者が露文出身か,というのはたとえばそんなところから。 / 烏丸 ( 2000-11-02 20:11 )
烏丸的萌えの朱雀とでも申しましょうか。添付画像は,まだカラーのカバーがなかったころの角川文庫(昭和43年発行。絶版)。現在は新潮文庫で小笠原豊樹による訳が入手できますが,ドストエフスキーはやはり米川正夫で読みたいものです。 / 烏丸 ( 2000-11-02 20:08 )

2000-11-02 本の中の強い女,弱い女 その八 『大人になったのび太少年』より「キャンディ(はあと)キャンディ」 木全公彦,林公一 / 宝島社文庫


【笑ってられない キャンディ〜】

 本書は昭和30〜40年代に描かれたマンガの主人公8人を取り上げ,精神分析を援用してその後の彼・彼女らがどんな職業に就き,どんな人生を歩いていくかを想像したものである。
 各主人公について,精神分析的解説は林公一,「大人になったら…」の部分は木全公彦が担当したとのことだが,この2人,妙によく似た名前である。関係ないけど。

 取り上げられた主人公には『ドラえもん』野比のび太,『巨人の星』星飛雄馬,『鉄人28号』金田正太郎らがいるが,今回は「本の中の女」シリーズということで『キャンディ(はあと)キャンディ』のキャンディのその後について紹介しよう。

 念のためおことわりしておくが,のび太がベンチャー企業の開発部長としてしずかちゃんのマネージメントのもと第二のビル・ゲイツのようになるかも,という例を除くと,ほぼ全員,相当に陰惨な人生を送りそうな気配である。なにしろ道徳的マゾヒズムから共依存,自己敗北型人格にいたる早乙女愛の行く末たるや,(1)飲んだくれ亭主のアル中を促進してしまう妻,(2)赤羽の安キャバレーから大蔵官僚・岩清水の手をふりきってピンサロ,ソープに落ちていくホステス,(3)集団自殺を図る信仰宗教信者,というくらいなのだ。わからんでもないけど。
 したがって,キャンディのファンで夢は破られたくないという方は,この後を読まないことをお奨めしたい。

 さて,孤児院“ポニーの家”に育ったキャンディの人生は,次々にふりかかってくる困難の連続だが,それを突破するためにキャンディが選択するのは,「躁的防衛」という防衛機制である。つまり,自分が困ったり苦しんだりしていることを否認し,強く明るい自分を無理やり作り出すことによって苦難を克服する心の働きだ。もちろんこの防衛機制には限界があるが,それが破綻する寸前で,毎回,彼女は自分の笑顔が“可愛い”という条件によって誰か(アンソニー,ステア,アーニー,アルバートなど)に助けられるという経験を重ねる。そのためキャンディはやがて常に依存対象を求める「依存型性格」に陥っていく。そして,生きていくためには自分にとってよい人か悪い人かだけで相手を判断する「二分法的思考」も強まることだろう。
 以上のような経緯から,30代のキャンディは,たとえば,(1)いつも明るく朗らかな看護婦さん,しかし,その笑顔は常に「自分は見捨てられるのではないか」という不安に裏打ちされたもので,ある意味笑顔の押し付けにすぎない。そんなキャンディが患者に取り返しのつかない失敗をしたとしても,きっと彼女は明るく笑って♪看護ミスなんて 気にしないわ〜……。(2)経済的に不自由なく,子供も手のかからなくなったお気楽専業主婦キャンディ。彼女は依存する相手を求めてテレクラに走り,最後にはセックス依存症にいたる。(3)明るい笑顔でみんなに好かれることから人気タレントとなったキャンディ。彼女は惚れっぽいが相手に不信感を抱いた時点ですぐ嫌いになる性格から,大物タレントやプロデューサー相手に不倫騒ぎを繰り返す。……

 これはもちろん極端な想像ではある。しかし,幼年期にまことちゃんのように厳しい処罰を与え続けられたらどうなるのか。ひみつのアッコちゃんのように「人のためによかれ」ばかり考えているとどうなってしまうのか。正太郎少年のように世界が思うままだとどう育つのか。
 本書は誰にでもお奨めといえる本ではないが,親が子供を抑制しすぎてもいけない,放任すぎてもいけないという,子育てのバランスの難しさを示す1つの例として一読の価値はあるだろう。

先頭 表紙

いわゆる「別冊宝島」のラインナップで,最近文庫化されましたです。はい。 / 烏丸 ( 2000-11-05 00:58 )
なんと、文庫でしたか。あさっての方向を探していたようでやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-11-04 14:08 )
神保町でないとは思えないざんすが……。宝島社文庫の中では,今,いちばん目にするのがこの1冊であります。刷り部数が多かったに違いない。 / 烏丸 ( 2000-11-04 01:12 )
売ってなかったざんす〜。 / 神保町放浪のぽた ( 2000-11-03 18:48 )
あややさま,この本は最近文庫になったばかりで,今もあちこちの書店で平積み状態です。扱われている主人公は本分中に少しずつ触れましたが……このほか,『リボンの騎士』のサファイアがいます。 / 烏丸 ( 2000-11-02 01:59 )
エルさま,見つかっても「てへっ」と明るく,ですね。 / 烏丸 ( 2000-11-02 01:57 )
いけない、いけないと思いながらも、自分がされた事と同じ事を子供にもしてしまう、という人が多いらしいですし。。 / エル ( 2000-11-02 01:05 )
うわーーーー!!!この本読みたい!(横で見ているダンナもそう言っております!)しかし、キャンディーファンの私としても、この解釈は不愉快にはなりませんでしたよ!笑える。スルドイ。あはははは。この本、さっそくゲットしようと思いますが、最近の本なのでしょうか? / あやや ( 2000-11-02 00:50 )
(4)養父であるアルバートと禁断の関係の末に出来た子供を明るく笑って♪ポニーの家の前にそっと置いていく、というのはいかがでしょうか。。 / エル ( 2000-11-02 00:47 )

2000-11-01 本の中の強い女,弱い女 その七 『めぞん一刻』 高橋留美子 / 小学館


【私のことだけ考えて…】

 次に述べるのは,ある若者のエピソードである。名前をK青年とでもしておこう。
 ここでことわっておかねばならないのは,このK青年というのは,断じて僕,烏丸のことではないということだ。K青年はごく普通の会社員だった。独身で,しかもカノジョってのはどんな食べ物のことかいなという枯れた状態がもう何年も続いていた。しかし僕には,じゃなくてK青年には,心に決めた恋人がいた。その女性は一刻館という古アパートの管理人で,やきもち焼きで,早とちりで,泣いたり怒ったりだけど,その若き未亡人が微笑うとK青年は最高にしあわせなのだった。
 当時,K青年は一刻館に負けないくらい古い木造アパートの2階に暮らしていたが,あまりに本が多いため,真下の部屋に住んでいた管理人家族は危険を感じてそこを物置にし,大家は会うたび出ていってほしいと強く目で訴えるのだった。しかし,本があまりに多くて引っ越し作業そのものが想像できなかった僕は,じゃなくてK青年は,しかたなく今日も天井まで積み重なった本からその女性が登場する作品を探し出し,読み返すのだった。
 K青年がそのアパートを引き払い,通販で手に入れていたPIYO PIYOエプロン(添付画像参照)を何も知らない新妻に着せ,心の中で響子さんにさよならを言うのはそれからまだ何年も後のことであった。

 ……ま,これはかなり作っているが(本気にしないように),響子さんにこんな思いを抱いていた若者は当時日本中に少なくなかったのではないだろうか。

 以前ここで紹介した『漫画原論』は『めぞん一刻』連載中に書かれたものらしく,本作の五代君と響子さんについて非常に面白い解析をしている。少し引用してみよう。

「奇妙なことに,永遠に擽ったげな擦れ違いを演ずるこのカップルは瓜二つの顔をしている。いや,そればかりではない。彼らの恋愛の成就にとって障害物である二人の好敵手(三鷹,こずえ)もまた酷似した顔の所有者なのだ」
「根本的なところで時間は少しも進展していない。誰もが大いなる停滞感覚のなかで,いつまでも同じ遊戯の反復に終始している」
「『めぞん一刻』が本質的に完結するとすれば,それは忌避されてきた惣一郎(響子さんの死んだ夫)の顔が公開される瞬間である」

 しかし,『めぞん一刻』は全15巻中,13巻の後半あたりから突然サザエさん的永劫停滞から抜け出し,終結へ向けて怒涛の寄り身を見せる。『漫画原論』は外したわけだが,予想としては外れでも,分析としては正解だったと思う。
 五代君と響子さんが結ばれると同時に,輪郭や髪型を同じくするあらゆる登場人物がトランプの一人遊びでいう「あがり」目指して綺麗に並んでいく。文字通り誰もが「かたづいて」いったわけで,それはそれまでの数年間,本作をちょっと大人向けのギャグと油断して漫然と感情移入してきた若者たちを一気に「自分は五代であり響子であり自分は自分を愛しており自分が自分を愛することが許される」状態にしてしまったということである。これではうろたえないほうがおかしい。
 それが,当時のマンガファンを毎週熱狂させ,胸をしめつけた『めぞん一刻』の結末であった。
 作者は,連載開始時,はたしてこれほどの幕閉じを考えていたのかどうか。語られることはないだろうが,気になるところだ。

 それにしても響子さんというのは,顔はともかく性格は決してよくないのである。金こそかからないが扱いづらいタイプだし,嫉妬深いし,怒りっぽいし……もう一回,最初から読も。

先頭 表紙

では、埃を払っておくので、K青年に渡して欲しいでやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-11-04 14:08 )
をを,それはうれし,いや,K青年が喜ぶかもしれないのであります。 / 烏丸 ( 2000-11-04 01:11 )
管理人さんの巨大なポスター集を持っているざんすが、邪魔でしょうがないざんす。カラスの旦那に差し上げるざんす。 / こすもぽたりん ( 2000-11-03 18:49 )
あややさま,PIYO PIYOエプロンのほか,響子さんの顔のデザインされたマグカップなど,小学館プロダクションが販売しておりました。 / 烏丸 ( 2000-11-02 00:40 )
エルさま,烏丸が引っ越しで荷物を運び出した後,壁と畳のゆがみに管理人と大家の顔が青ざめ……あっ,K青年の話ですが。 / 烏丸 ( 2000-11-02 00:39 )
着てましたね!「PIYOPIYOエプロン」!通販で手に入るとは知らなかった!!! / あやや ( 2000-11-02 00:32 )
K丸様もぽたりん様も本で家屋を崩壊寸前にまで追いこんだ事があるのですね。。 / エル ( 2000-11-01 23:01 )
こすもぽたりんは自宅通学でありました。部屋は2階でしたが、真下に当たる1階から天井を見ると、明らかに本棚部分が歪んでおりました。泣く泣く本を捨てました。その後は寮暮らしが長かったので、あまり本を買えませんでした。寮から開放されてマンション暮らしを始めたとき、歯止めが利かなくなったのでした。 / こすもぽたりん ( 2000-11-01 20:39 )
あっ,そういうことはありませんです。人のことなら平気で実名で書きます。はい。 / 烏丸 ( 2000-11-01 18:10 )
K様はもしかして、こすもぽたりん様!?なんて。。 / エル ( 2000-11-01 17:43 )
ちなみに,K青年はどうやって大家さんの厳しい目を逃れたか。答えは,隣の部屋も借りて荷重を分散した,でした。もちろんK青年とは僕のことではありませんが。 / 烏丸 ( 2000-11-01 14:18 )
にゃんと『あの頃ぼくらはアホでした』調ですにゃ。そういえば下校途中に友人が突然、「あのさぁ、『春のワサビ』のことなんだけどさぁ」と言い出したりするほど、響子さんは我々の心に深く染み込んだのでありました。私は未だに四谷さんの「のぞきを少々…」という台詞で思い出し笑いをしてしまうでやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-11-01 13:56 )

2000-10-31 本の中の強い女,弱い女 その六 『ルネサンスの女たち』 塩野七生 / 中公文庫


【困難,困難,悲劇,困難】

 たとえば,「曲がった線は面白く,真っ直ぐな線は美しい」という視線なしにカンディンスキーの絵を見ても,何かを得るのは難しい。順位だけにこだわって路上のアスリートを見ても,その躍動を感じとることはできない。
 同様に,塩野七生のイタリア本が面白いのは,そこに塩野ならではの歴史上の人物たちへの視線が生きているからだ。では,その視線をプリズムで分解したら,何が見えてくるだろう。

 たとえば,ルネサンス期に,古代ローマの真・善・美の復興を求める人々の心。それは,若い枝が水と光の力で伸びるように,強く高みを目指す。
 あるいは,権力。それを得るためにあらゆる権謀術数が張り巡らされ,武力,経済力が培われ,いっそすがすがしいばかりに闘いが展開される。
 領土を守ることと至高の芸術家を招くことが不可分な,夢のような,栄光の時代。

 そして,分解された塩野の視線が再び像を形造るとき,我々はそこに法王アレッサンドロ六世の息子にしてマキャベリが絶賛したチェーザレ・ボルジアという,突き抜けて生臭く,生臭さが英雄の領域にいたる稀有な人物を見る。
 塩野のチェーザレへの賛辞は,たとえばこんな一節に垣間見ることができる。
「人々は,彼らの中に,永遠の青春を見出すのだから。青春は美しい。とくにそれが,むやみと感傷的に浪費されるのとは違い,現実に足をふまえ,冷静な精神とともに大胆に発揮されたときにはなおのこと。」
 彼女の初期の作品は,常にこのチェーザレからスタートし,チェーザレに戻る。

 『ルネサンスの女たち』はそんな塩野七生の最初の著作で,チェーザレとほぼ同時代に生き,マントヴァ,フェラーラという小国を再三脅かす危機と闘う「ライオンと狐の結合」イザベッラ・デステ,チェーザレの妹で,兄の政略の道具とされながらそれなりに悠々と生きたルクレツィア・ボルジア,チェーザレと闘って敗れたもののラ・ヴイラーゴ・デイターリア(イタリアの女傑)と称えられた美しくも残忍なカテリーナ・スフォルツァ,キプロス王妃となり,ヴェネチアの崇高ともいえる偽善の中に超然と生きたカテリーナ・コルネール,この4人の女を描き上げる。

 塩野の筆はそこいらの男性よりよほど合理主義的,現実的で,ルネサンス期の書物のみならず,手紙,外交文書などの原史料の詳細な調査の積み重ねの上に築き上げられていく。その作品の手応えは,温もりある肌や血よりは大理石の彫刻のようにソリッドで,「物語」「小説」という言葉ではくくりがたい人間の確かな姿が浮かび上がる。下世話だが崇高,残虐だが美麗,明晰にして誇り高い人生の数々。

 ちなみに,著者が「ビスケットだって箱の上に明記してあるではないか」とあとがきに用意してくれた『ルネサンスの女たち』の成分表は次のとおり。
  政略結婚 八
  戦争   二
  略奪   二
  暗殺   六
  恋    四
  牢獄   二
  強姦   一
  処刑   四
  そして,権謀術数にいたっては数知れず。

先頭 表紙

『イキに……』は最近文庫化されてるざます。まだ途中かも。 / 烏丸 ( 2000-11-04 01:10 )
『イキにやろうぜイキによ』も売ってなかったざんす〜 / こすもぽたりん ( 2000-11-03 18:50 )
あちきは、あれざんす、脳の記憶容量が少ないので、キーになる逸話しか覚えてないんざんす。お恥ずかしいざんす。 / マスカメ書店店主軽薄(ママ) ( 2000-11-03 18:47 )
塩野作品では助走といったところでしょうかね。これで慣れたらフィレンツェの勃興を描いた『わが友マキアヴェッリ』,ヴェネツィアを描いた『海の都の物語』がお奨め。 / イル・モーロ烏丸 ( 2000-11-01 11:34 )
珍しい本が取り上げられてるんで、ちょっとビックリ。これ僕も好きな本です。面白いですよね、これって。 / mishika ( 2000-11-01 05:19 )
エルさま,おほめいただいて,ありがとうございます。実は,本を読む,書評書く……だけのときは,「お,けっこういいセン?」なんて自分でも天狗になるざんす。でも,今回のみたいに,読む,書く,確認に読む,書く……と繰り帰しちゃうと,元の本に圧倒されて,「だめじゃーん!」な気分になってしまうざんすー。 / 烏丸 ( 2000-11-01 02:04 )
そんな、ヘタだなんて・・!それじゃあ烏丸様の分かりやすい書評を呼んで本を理解した気になって酔いしれちゃってる私はお間抜けになっちゃいますわ!(すでに間抜けなんですが。。) / エル ( 2000-11-01 01:03 )
しかし,こういう本を紹介するのは,われながらヘタです。キーとなる逸話を本文中からささっと抜いてくる,というのができない。「神田マスカメ書店」は,そのへんほんとに巧いっす。 / 烏丸 ( 2000-10-31 23:27 )
この中に出てくるルクレツィア・ボルジアというのは,こすもぽたりんさま紹介の『世界悪女物語』でも取り上げられた女性。しかし,澁澤龍彦と塩野七生では,同じ女性?と思うくらい扱いが違います。澁澤は,そりゃもうオカルティックで怖くて絢爛。もっとも,雰囲気が違うだけでどっちも「やらせ」ばかしだったりして。 / 烏丸 ( 2000-10-31 23:27 )

2000-10-30 本の中の強い女,弱い女 その五 『イキにやろうぜイキによ』 聖千秋 / 集英社


【いい男 みつけたなぁっ】

 この週末は『ハサミ男』『私が彼を殺した』と,こすもぽたりんさまの書評に触発されてミステリ三昧でした。とくに後者は一種の犯人当てパズルなのですが(作者による正解が書かれていない),不肖この烏丸も掲示板にて拙推理を展開させていただきました。ぜひとも原作をご一読のうえ,お嗤いくださいませ。

 なーんてくだくだ書いてしまうのも,「本の中の女」が進んでないせい。何冊か候補は決まっているのですが,どう書くべきか見当がつかなかったり,読み返すのがキツかったり。今さら○○○○○○○○なんてー。

 というわけで,今日はからっとした少女マンガから,お気に入りを1つ。

 大昔の少女マンガでは,美人で優秀でお仲間が多くてというと,けなげで誠実な主人公をいじめるお嬢さまと相場が決まっていましたが,最近はなんでもアリ,トッピンシャンでもブンブクチャガマでもおっけーよ,てな御時世でございます。でも,画力がともなわないと,作者が主人公のことを「スタイル抜群,スポーツ万能,成績優秀で学園の人気者」などト書きに書いてやらないとそう見えないキャラが大半。逆に,お蝶夫人みたいでは読み手が引いてしまいますけどね。

 それでも,なかには人気者であることがすとーんとこちらにも伝わってくるキャラもありまして,その1人がサブタイトル「お祭りコメディシリーズ」も懐かしい『イキにやろうぜイキによ』の主人公,苫子(とまこ)さんであります。扶桑高校の象徴(シンボル)苫子さんは,ふわふわ長髪たなびかせ,長身スリムなセーラー服姿,成績優秀,スポーツ万能,祭りを仕切らせりゃ誰もがあこがれる気っぷのよさ。近隣の高校にまで知れわたる,ちゃきちゃきの下町のカリスマです。
 1巻の発行が1988年ですから,もう十年以上前の作品なのですが,これが連載されていた当時は,女の子の読者はもちろん苫子さんにあこがれ,男の読者は扶桑高校の男の子たちと一緒に「苫子さんと一緒のバスに乗りたいな」「今日は苫子さんの顔が見られて嬉しい」気分にひたっていたわけです。

 そんな苫子さんが,よりにもよって背も低くてぱっとしない(いちおう少女マンガですから,涼しげな美少年には描かれている)魚屋の息子・星野峻平に一目ぼれしてしまう。しかし,さすがは見る目のある苫子さん,俊平は苫子さんに安直になびくわけでもなく,正面向いて魚屋の仕事をこなし,弱小ボクシング部で意地を見せます。といってもいきなり日本チャンピオンとか世界戦とかになるわけではなく,強い相手には殴られ放題,あくまでごく普通の高校生の物語。
 周囲のあきれ顔にも負けず「あたしきっと魚屋さんになるんだわ うん」と必死でアタックを繰り返す苫子さん,ちょっと苦笑いしながら優しく拒絶する峻平。そうしていつか,きっと……。上滑りした疾走感に見えながら,胸を張って「あたしはえらい あんないい男 いない」と誰が言えるでしょう。これは,たぶん50年前にも,50年後にも,こうなりたい,そうあってほしい明るくてちょっとつらい若者の夢のお話であったりするのでした。

 というわけで,元気がほんの少し足りないときにはお奨め。
 人は誰しも,峻平ちゃんにも苫子さんにもなれるはず。とりあえず「あたしがなんとかしなくちゃ」から。

先頭 表紙

そもそも,最近の少女マンガ雑誌のメジャー,マイナーがちーともわからないざんす。マーガレットの地位はどんなもんなんざんしょ。 / 烏丸 ( 2000-10-31 18:54 )
なかなか萌えなキャラですねえ。しかし、マーガレット・コミックスって最近本屋の書棚におけるシェアが低下しているような気がするのですが、気のせいでしょうか? / こすもぽたりん ( 2000-10-31 18:42 )
うむ,しかし12年前の本に文句言っても間に合いませんが,この表紙はいけない。というか,違う。こんな背中合わせで仲良さそうなマンガではないのにー。もっとつっぱって元気のいい苫子さんがいいのにー。 / 烏丸 ( 2000-10-30 18:45 )

2000-10-29 [雑談] マキシシングルとは?

 なんだか重い本が続いています(このあとも!)。ご覧になるみなさまも鬱陶しいことでしょうが,実は読んで書くほうもしんどいのです。おまけに外は雨。そこで,ちょっと気分転換に音楽,というか音楽CDの話。

 実力派ファンク,バラードからビジュアル,フォーク系まで,なかなかバラエティに富んでにぎやかな昨今のJ-POP周辺ですが(烏丸的には70年代ロックを引き継いだような音の椎名林檎でしょうか。でも,あれは四六時中繰り返して聞くものではないなぁ),新譜紹介やヒットチャートでときどき目にする「マキシシングル」とはいったい何なのでしょう?

 メディア的には8cmシングルに収まらない長さのものを12cmで発売するもの,でよいと思うのですが,それだと「ミニアルバム」との違いがわかりません。
 かつて,ニューオーダーとかフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなど,ニューウェーブ系のバンドがどかどかリミックスバージョンを12インチシングルで出していた,そういう扱いのものだというのはわかるんですが,「マキシシングル」と「ミニアルバム」にちゃんとした区別があるのかどうか。

 気になるのでいろいろあたってみました。たまたま目にした小室哲哉によるインタビューでは,彼もマキシシングルの意味を知らないことがわかりました。「マキシシングルっていうのは,デカいようなシングルですか?」なんて言ってる。

 ……シングルとアルバムの違いは,オリコンや日本レコード協会の規定によるものらしいのですね。

 オリコンでは,データをまとめる際に,「リミックスなどを除いたオリジナル曲の数が4曲までのもの」をシングル,5曲以上だとアルバムとしているのだそうです。だから,オリジナルな曲が3,4曲入っていると,お徳でしょ,という意味合いで「マキシシングル」といって売り出す。また,その場合はシングルヒットチャートの対象となる。
 一方,日本レコード協会では3曲以内で1,600円以下のものを「シングル」と呼び,それ以外をアルバムとしているらしいのですね。不統一な話ではありますが,実際のところ,レコード会社はオリコンの規定に従って呼んでいる例が多いもようです。

 ところで,洋楽で,たとえばマイク・オールドフィールドの古いアルバムなんかは,アルバム全体で1曲(がPart1と2に分かれている)なんて例もありました。これはシングルヒットチャートにあがったのでしょうか。また,最近は「エンハンスドマキシシングル」なんて言葉まで……まったくもう,何が何やら。

先頭 表紙

よーし,では「SDYGSREマキシシングル」はオリジナル曲もたくさん入っていることだし,「アルバム」と呼ぶことにしよう……もとの木阿弥。 / 烏丸 ( 2000-10-30 20:46 )
略してSDYGSREマキシングル・・これじゃ略の役を果たしていないか。。 / エル ( 2000-10-30 18:57 )
エルさま,目標はもちろん「スーパーデリシャス遊星ゴールデンスペシャルリザーブゴージャスエンハンスドマキシングル」ですね。 / 烏丸 ( 2000-10-30 18:03 )
そのうち「スーパーエンハンスドマキシングル」なんてモノが出来たりして。。(笑) / エル ( 2000-10-29 23:58 )

2000-10-29 [補遺] 『日本の危機』(櫻井よしこ)にみる人権派の功罪

 書評(とは言えんなあ)をアップした後,読み返してみても,まったくのところ総括的な印象しか書けておらず,本書のリアルで厳しい姿勢はとても伝わりそうもない。しかし,本書の説得力は,執拗な取材(あるいは取材拒否を受けたいきさつ)と数字の裏付けがそれを支えているのであって,すなわち本を読まないとその手応えは伝わらないということになってしまう。

 ともかく,次のような方は本書を手に取り,一読することをお奨めしたい。
一,税金や年金資金の使われ方に疑問を感じている方。
  (逆にこれまで一度も疑問を感じたことのない方。)
ニ,郵政の仕事や農協についてこれまでとくに気にしたことのない方。
三,21世紀に向けて,子供の教育に不安を感じる方。

 ここでは三つめ,子供の教育について,本書からいくつか話題をピックアップしてみよう。

 ちょっと大げさな言い方だが,現在の日本では,「人権」という名の無敵モードの怪物が教育の現場をのし歩いている。弱者(少年,非差別者など)の人権を憂慮するあまり,他者の権利まで蝕む例が少なくない。たとえば,殺人を犯した少年の人権を守らんと裁判に人権派の弁護士が何十人も集い,加害者の名前や写真を公にすることに過剰反応するあまり,結果として被害者の人権が無視される。

 極端に人権教育に突き進んだある県では,学校教育全体が「人権」という切り口で仕切られ,過剰に平等や権利を押しつける。その柱は「差別・選別をしない」ことにあり,軍隊を思わせる「起立・礼」「前へならえ・気をつけ・休め」はなし,差別になるからと運動会のリレーも行わない。学力についても結果としての平等を守るため,どんどん低い水準に足並みそろえ,進路指導でセンター試験を受けるなと言われることもある。さりとて県内外の私学や国公立付属校を志望すると,教師にどなられるだけでなく,生徒仲間でも苛められる。

 また,行きすぎた少年法の遵守,体罰への拒絶反応は,たとえばこんな事件を呼ぶ。
 ある高層マンションのおどり場を中学生がたまり場にし,喫煙,放尿のし放題。付近の住民が学校に通報し,教師4名が駆けつけたところ,過去にも喫煙と万引きの経歴があった野球部の部員がいたことから野球部顧問の教師が彼を拳で一発殴る。その場は当人,親が謝罪するものちに問題化し,教師は異動させられる。少年は罪を問われるどころか教師を「飛ばした」とヒーロー扱いされ,卒業していく。
 つまり,社会では許されない行為が学校では許され,結果的に無法地帯となっている。しかも,その責務は親や社会ではなく,常に教師や校長が負う。
 多くの中学校にはすでに教師が生徒を見下ろす「教壇」はなく,授業中の私語を注意する力が教師にはない。注意すると逆に「子供には授業を聞く権利がある」と抗議されるのだ。授業を聞く権利を放棄し,さらに他の生徒の権利を侵害していることは放任されるのである。

 今の学校では,たとえば授業中に生徒を指名し,当人が答えられないと,親から電話で「わからない問題で当てないでくれ」と抗議される。学級通信に「誰それは○○でよく頑張った」と書くと,「載らない子の気持ちを考えてやめてほしい」と注意される。その場で反論しても,すぐに教育委員会,さらに議会などに通報されて大騒ぎになるので,いずれ抵抗は無駄である。

 しかし……そんな子供たちも,いつか外の砂漠に出て,自分で水を探さなければならないと思うのだが。それともこの国では,子供が死ぬまで親が何もかも面倒みてやれるとでもいうのだろうか?

先頭 表紙

ちなみに『日本の危機』について言えば,「ここがこんなに危機!」という部分はかなり納得ですが,たとえば税制などについて「こうすればよいのでは」の部分はそれほど力は感じませんでした。そう簡単に対策が出るなら国として苦労はないよなー,という気がします。 / 烏丸 ( 2000-10-30 01:53 )
peachさま,櫻井よしこ氏の説得力は非常に強いもので,(男だから,女だからということとは関係なく)確かに烏丸も鵜呑みにしてしまいそうなところは多々あります。ですが,1つ1つの数字や現象についてちゃんと自分の手で確認していないことを鵜呑みにするのは,それはまた別の意味で問題です。「わーい,全部信じちゃう」というのは,必ずしも櫻井よしこ氏が喜ぶ読み方ではないでしょう。 / 烏丸 ( 2000-10-30 01:52 )
エルさま,お見事です。ちなみに,実際にそれに近い若者も,知っています。 / 烏丸 ( 2000-10-30 01:46 )
成長して自分で水を探せない大人になった時は「小さい時に大人がきちんと教えてくれなかった」又は「私はアダルトチルドレン」という免罪符をかざすのですね。 / エル ( 2000-10-29 23:54 )
烏丸様、櫻井さんの本に書いて有る事を私は殆ど鵜呑みにしてしまう位、信頼している方なのですが、男性から見て読まれてその内容の信頼性度は如何でしょうか?櫻井さん自身にもお会いして、お声も掛けて頂いた事が有るのですが、個人的にも素敵な方なんですよぉ〜。 / ふぁん@peach ( 2000-10-29 19:58 )
政治,経済の問題も心配ですが,教育はそれ以上に深刻です。「今どきの若いものは」というのはギリシア哲学の時代にも言われていた永遠のテーマかもしれませんが,それにしても妙な教育,教科書がはびこっているようで,次代が心配です。 / 烏丸 ( 2000-10-29 14:11 )
烏丸様再びお邪魔致しますが、この本には現在の日本のチョッとについて詳しく書かれている様子なのですね。(気になる所も有りそう)残念ながらまだ目にした事が有りませんが、読んでみたいです! / peach ( 2000-10-29 02:42 )

2000-10-28 本の中の強い女,弱い女 その四 『日本の危機』 櫻井よしこ / 新潮文庫


【豊かな隷属国・ニッポン】

 1995年のオウム・地下鉄サリン事件で最も活躍した女性といえば,坂本弁護士一家拉致事件以来ずっと,生命の危険をおしてオウム真理教を追求し続けたジャーナリスト,江川紹子の名を挙げて異論のないところだろう。
 そしてもう1人強く印象に残ったのが,当時日本テレビで報道キャスターを担当していた櫻井よしこだった。
 地下鉄サリン事件当夜,正体不明の犯人たちの足取りを最も正確に推測し,さらに霞ヶ関を狙った犯行の目的を断言したのは同局の「きょうの出来事」だった。さらに,その後しばらく,信者の青山吉伸元弁護士が報道番組の取材に応じたのだが,身勝手かつ非論理的な応酬に全国の視聴者がいらだつ中,最も常識的,最も効果的に質問を浴びせたのもまた彼女だったように思う。オウム真理教側がその後窓口をロシアから帰国した上祐史浩外報部長(当時)に切り替えたのは,その番組で青山が絶句したからでは,と一部のウォッチャーの間では有名だった。

 櫻井よしこはベトナム生まれ,ハワイ州立大学歴史学部卒。クリスチャン・サイエンス・モニター紙東京支局員,日本テレビニュースキャスターを経て,現在フリー・ジャーナリスト。彼女が週刊新潮に連載したレポートをまとめたのが本書『日本の危機』だ。

 目次を見てみよう。誰も止められない国民医療費の巨大化/年金資金を食い潰す官僚の無責任/国民の知らない地方自治体「大借金」の惨状/族議員に壟断された郵政民営化の潰滅/税制の歪みが日本人を不幸にしている/教育荒廃の元凶は親と日教組にあり/農協は農民の診方か敵か/国民の声を聞かない官僚の法律づくり/スピード裁判なぜできない/政治への無関心があなたの利益を損なう……。
 ほか,大手メディアの罪悪,人権派の弊害,少子化と母性喪失問題,女性問題,対中国外交の弱腰など,21にわたる問題が提起され,その口調は辛口と言う言葉では物足りないほど苛烈で厳しい。しかし,厳しく指摘されるだけのことをこの国はしてきており,その柱はさらに傾く一方なのである。

 カエルと水を鍋に入れ少しずつ温度をあげていくと,危機に気がついたときにはカエルはもう動けず死んでいくという話をご存知だろうか。この国はすでにかなり煮立ちつつある鍋の中で,安閑と泰平を満喫しているかのようだ。その無知を傲慢を,櫻井は厳しく叩く。責められるのは保身と利権に走る官僚,メディア,政治家,法人だけではない。知らぬまま放任する国民もまた責任を放棄していることでは同様である。

「子供じみているうえに卑怯である。」(族議員に壟断された郵政民営化の潰滅)
「少なくとも自らの誤りを認め,より広い視点でとらえた全体像を示してみよ。」(朝日新聞「人権報道」に疑義あり)
など,本書における追究の口調は厳しく,著者に対する各省庁,メディアからの反論も厳しいと聞く。
 もちろん,すべて櫻井側が正しいと考えるのは無理だろう。いくらスタッフに恵まれても,一個の人間がこれだけの領域を網羅し,すべてにおいて全体像と各論と改善案を正確に把握するのは困難に違いない。しかし,疑惑の数字,つじつまの合わない事実がこの国にあふれていることは事実であり,これに応えるのは省庁,メディアのみならず全国民の義務だろう。
 そして国民が応えるべき相手は櫻井ではない。国民である。

先頭 表紙

それはなぜかと考えれば,おそらく,テレビや日常生活で言葉が消費,浪費されず,いったん削られて,力のあるものだけがその人に残るからか,なんて思います。だから,ゴーマン美智子さんのように文法的修辞的に美しいケースだけでなく,もの売りが聞きかじりで覚えた「センエン,ヤスイヨ」の類いもその音と意味のタイトな切実さにおいて美しいのです。 / 烏丸 ( 2000-10-30 11:52 )
櫻井よしこさんの日本語を聞いていると,海外で生まれ育った方や,永年住んでいる方の日本語が,一種純粋培養というか,非常に美しいものであることを思います。女子マラソン初期の名選手,ゴーマン美智子さんのテレビ解説は,ビデオに録らなかったのを悔やむくらい美しい言葉遣いでした。 / 烏丸 ( 2000-10-30 11:49 )
烏丸様の仰る通りです!柔らかいけれど、血液製剤の問題の時にも阿部英元帝京大副学長との遣り取りも素晴らしかったですよね。。。 / 憧れてしまう@peach ( 2000-10-29 20:02 )
peachさま,いらっしゃいませ。櫻井よしこさんは,「ですわ」口調で相手をぐいぐい締め上げていきます。彼女のように攻めの厳しいジャーナリストがたくさんいればよいのに,と思います。 / 烏丸 ( 2000-10-29 14:09 )
烏丸様、お邪魔致します。櫻井よしこさんの今日の出来事が違う方になってしまってからと言うもの、出版された本は殆ど読んでいると想います?彼女の正確で的確な辛口であったり、優しい表現に憧れています。。。今読んでいるのは「論戦1999」なのですが、頷きながら、、、です。個人的にも大好きな方です! / 憧れの才女@peach ( 2000-10-29 02:37 )
このカエルの話を48時間以内に読んだ記憶があるのですが、途中に酒が入っているので、どの本だか思いだせず…かなり健忘症が進んでいる模様で、多少薄ら寒い心持ちでやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-10-29 00:43 )
櫻井おねーさま萌えっ,みたいな文章書きたかったのに,何度もページめくってるうちに影響受けちゃって,これじゃあへたくそでうるさいだけの街宣カーみたい。 / 烏丸 ( 2000-10-28 22:06 )

2000-10-27 本の中の強い女,弱い女 その三 『見守ってやって下さい』 内田春菊 / 河出書房新社(河出文庫)


【セミヌードな心】

 内田春菊,最初のエッセイ集です。
 数ページごとにイラストが載っていることもあって,通勤の片道で読めてしまいます。内容も,日常生活や仕事のあれこれを背伸びせずにつづったもので,他愛ないといえば他愛ない……。

 問題は,引っ込み思案な少女が書いたようで,そのくせ肌の下の血管が透けて見えてしまう,この文体です。さらけ出しているはずないのに,かなりすっぴん。媚びてるふうでないのに,若さが悩ましい。
 少し,文体というものについて考えてしまいました。

 かつて,1970年代後半から1980年ごろにかけて,若手女流作家が続けて現れ,ちょっとしたブームになったことがあります。
  『海を感じる時』(中沢けい)
  『もう頬づえはつかない』(見延典子)
  『葬儀の日』(松浦理英子)
  『ダイアモンドは傷つかない』(三石由起子)
  『1980アイコ十六歳』(堀田あけみ) などなど

 その当時感じたことですが……女性の文体には,勝てない。

 表現の力において,本来勝ち負けに性別は関係ないはず。にもかかわらず厳然と違いはあって,女性が女性であることを剥き出しにしたとき,男は絶対に勝てないのです。
 これは何故だろう,ときどき考えるのですが,そもそも論理的な命題ではないのでいくら考えても正解が出てくるはずもありません。

 ただ,『見守ってやって下さい』を読んで,電車の中で読むにはちょっとつらいえっちなイラストや,ひらがなの多い,シャワーのお湯をはじくような文体にふれて,ちょっと気がついたことがあります。
 これ,セミヌードだ。
 若い女の子がセミヌードになったら,男は勝てない。オールヌードなら,勝負にもちこめるんです。こちらも脱ぐか,逃げるかすればよい。でも,相手がセミヌードだと,逃げも脱ぐもかなわず,おじさんはもじもじと座って,白旗,振るしかないのです。

 もうひとつわからないのは,文体はナチュラルとして,どうして若い女性である作者が,男が動揺するようなえっちなイラストを描けてしまうのかということです。若い男が妄想を紙に写しても,普通はもっとヘタクソ。
 なぜ彼女は,男たちの妄想,つまりこの世にいない架空の女の子を正確にトレースできてしまうのでしょう。男性体験が豊富とか,そういった下世話な理由づけでは無理です。木の葉や枝にそっくりな虫が,自分の姿を外から見らないはずなのにそういう姿になった,それと同じくらい説明がつかないことなのです。

 けれど,内田春菊は,そのうち自分をカミングアウトしてしまい,『私たちは繁殖している』や『ファザーファッカー』の仕事でオールヌードになってしまいました。評価は得ているようだけれど,まぶたの線を最後まできちんと描いてしまう内田春菊,それはもう僕のマターではありません。

先頭 表紙

おお、失礼。いつの時代の本か知らなくて。無知ですみません。 / ゜))))彡 ( 2000-10-28 21:46 )
ゝ゜))))彡さん,こんにちは。このエッセイが書かれたのは16,7年くらい前だから,若い女の子,でかまわないんじゃないでしょうか? てゆか,今だって十分若いといってよいと思いますが。 / 烏丸 ( 2000-10-28 12:24 )
激動の女性、春菊。α、β、γの次の子供はシータか・・。 / あやや ( 2000-10-28 08:17 )
初めまして。内田春菊さん……若い女の子じゃないですよね……比喩????? / ゝ゜))))彡 ( 2000-10-28 02:12 )
たら子母さま,打ち明けてしまえば,実はこの烏丸,女子でなければ遺産は相続しないという祖父の目をごまかすために十歳まで少女として……ウソです,そんなマンガのようなことは何もなく,遺産にも縁はありません。単に子供のころ近所にマーガレットやフレンドの好きな従姉が住んでいて,いつも読ませてもらっているうちに当たり前になってしまっただけです。 / 烏丸 ( 2000-10-28 01:02 )
烏丸様、打ち明けてしまえば、私最初は烏丸様は女性であると思い込んでました。だって少女漫画にあんなにお詳しいんですもの。 / たら子母 ( 2000-10-28 00:32 )
で,本文中のイラストをスキャンして,とも思ったのだけれど,使用目的が「引用」の範疇をはずれるような気がして……。 / 烏丸 ( 2000-10-27 19:16 )
それにしても,春菊の本とは思えないこの表紙。装丁者がタズラさまのファンだったのか。2輪。 / 烏丸 ( 2000-10-27 19:13 )

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