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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-10-17 極私的マンガ評論のイマイチ 『あの頃マンガは思春期だった』 夏目房之介 / 筑摩書房(ちくま文庫)
2000-10-17 1970年代黄金時代少女マンガのよくもあしくもイチオシ 『花の美女姫』 名香智子 / 小学館文庫
2000-10-17 バッドテイスト本のスーパーイチオシ 『大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代』 氏家幹人 / 平凡社新書
2000-10-16 [雑談] 子供向け伝記本にボブ・マーリー,エルトン・ジョン
2000-10-15 [雑談] ゆよーんやよーんゆやゆよん
2000-10-15 異種格闘技のイマイチ 『マンガは哲学する』 永井 均 / 講談社SOPHIA BOOKS
2000-10-14 戦前探偵小説誌アンソロジーのイチオシ 『「シュピオ」傑作選 幻の探偵雑誌[3]』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫
2000-10-13 色モノサイコ本ではない 『みんなの精神科 心とからだのカウンセリング38』 きたやまおさむ / 講談社+α文庫
2000-10-13 笑えて泣けるエッセイのイチオシ 『勇気凛凛ルリの色』 浅田次郎 / 講談社文庫
2000-10-12 ちゃぶ台返しのイチオシ 『自虐の詩』(全2巻) 業田良家 / 竹書房文庫


2000-10-17 極私的マンガ評論のイマイチ 『あの頃マンガは思春期だった』 夏目房之介 / 筑摩書房(ちくま文庫)


【一言。ガキの使いじゃあるまいに……】

 かつて,そうですね,20年ばかり前のマンガ評論の単行本というのは,それはもう,つまらんのが多かったのですよ。もちろん全部読んだわけじゃないから例外も多々あるでしょうが,たいていマンガを読んだり考えたりするのにそれほど手助けにならなかったし,楽しくもなかった。ひどいのになると戦前から話をおこし,滅びた大人マンガについて延々と述べ,真ん中あたりでやっと手塚治虫が出てきて,当時盛り上がっていた少女マンガ,萩尾望都や大島弓子あたりにベルバラ加えてやっと1ページで「少女マンガにも新しい潮流が見える」でオシマイ。山岸凉子や山本鈴美香なんて名前も出てこない。しかも,なにしろ文藝の側からマンガを評するわけですから,なぜこんな,と思うような妙な作品を題材にする。すでに『火の鳥』が何冊も出揃っていた時代に,手塚初期の『罪と罰』がどうこうと言われても。

 そんな中,両目をぴしゃんと叩かれたような気分になったのが,駒場祭ポスターや小説『桃尻娘』シリーズ,編み物本,宗教本などで歩く一人カルチャーセンター張ってた橋本治の『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』なるマンガ評論集でした。倉田江美や萩尾望都,大島弓子,大矢ちきらをプロの目から初めてきちんと評価したのがこれで,しかもこれより見事なマンガ評はいまだにあまり目にしません。
 『花咲く……』については,できれば別の機会に詳しく紹介しましょう。

 橋本治の影響下にマンガ評で出てきたのが,夏目房之介です。夏目漱石の孫で,あまり売れそうに見えないギャグマンガを発表したり週刊朝日のデキゴトロジーのページでマンガエッセイのようなものを担当したりしていた人物ですが,『花咲く……』の影響下に発表したマンガ評『消えた魔球』,これが実に面白かった。
 こちらも簡単にすませますが,要するに夏目はプロのマンガ家であることを生かして『巨人の星』や『あしたのジョー』など対象の作品を模写し,それによって作家の描線,コマ割りの分析を行う……画期的なやり方でした。

 さて,そこでちくま文庫の新刊『あの頃マンガは思春期だった』(マガジンハウス『青春マンガ列伝』改題)ですが,少なくともマンガ評に詳しくない方は,あわてて買ったり読んだりする必要はないと思います。

 これは『消えた魔球』に比べれば一種の退行で,妄想癖の強かった少年時代に読んだ作品がどう,性に目覚める頃に強い印象を受けたシーンがこう,イラストレーターしながら同棲を始めたころがああと,自分の青春遍歴とその時期その時期のマンガ作品の思い出を重ね合わせて紹介していくわけです。ところが,それがもう,つまらない。
 学生運動,フーテン,同棲ブームと,世代的には非常に濃い時期だし,マンガがどんどんメジャーになって対象年齢が広がった時期なのに,十分熟成していない世代論と中途半端なマンガ論を組み合わせた印象。個々の作品と時代背景というのは十分語るに足るテーマだと思いますが,それなら年寄りの思い出話みたいじゃなく,ちゃんと正面から語ってほしい。
 ぶっちゃけた話,夏目房之介の同棲から結婚にいたる苦労話やマンション買ったら管理会社がつぶれた話なんか読まされても,ねえ。

 というわけで,同じ夏目房之介ならぜひ『消えた魔球』を,と言いたいけど,これ,新潮文庫版が絶版なんですね。文庫が単行本より先に絶版って,珍しくないかな。ある程度版が大きくないと印刷がつぶれるからかもしれませんが,そんなこと言ってたら,マンガの文庫本のアイデンティティが……。

先頭 表紙

えーっ,そんなーっ。山崎先生ーっ。つるっつるっ。 / 口をあけただけの烏丸 ( 2000-10-19 12:17 )
『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』は品切れだそうです。残念。 / 山崎先生 ( 2000-10-19 04:54 )
あっ,斉藤さんっ。 / ぶぶぶぶぶ ( 2000-10-18 23:21 )
「濃ゆい」話…ううむ、聞きたいですねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-10-18 14:20 )
ちょっと厳しすぎますかねえ。でも,この本に取り上げたマンガであの思い出話では,同時代の方々が泣く,てなもんです。もっとこゆい話がなんぼでもあるはず。 / 烏丸 ( 2000-10-18 11:04 )
改めて見てみれば、冒頭の「一言」、きっつい一撃でございますねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-10-18 01:49 )
2ちゃんねるで匿名質問相手に朝までていねいにつきあってるの見ると,この本よりぜんぜん読めるのですよ。企画段階での編集との打ち合わせのミス,という気がします。せめてマンガ論:自分の思い出話の比率が2:1か3:1ならまだしも,これ,1:1か,ヘタすりゃ思い出話のほうがメインですものね。 / 烏丸 ( 2000-10-17 19:59 )
確かにこれはイマイチでした。夏目房之介ってば自意識過剰。偉い人の孫だとやっぱそうなっちゃうのかなあ。「あんたがどこの誰と何をしようが関係ない」と思いつつ、漫画評部分だけ拾い読みしました。 / 我輩はぽたである。 ( 2000-10-17 19:08 )

2000-10-17 1970年代黄金時代少女マンガのよくもあしくもイチオシ 『花の美女姫』 名香智子 / 小学館文庫


【おかまバーの華やぐ哀しさ】

 『大江戸死体考』の次がなにゆえ知る人ぞ知る『花の美女姫』なのか。
 理由は単純,前者の著者が氏家幹人なのに対し,後者の主人公が氏家家の者だからである。

 その主人公とは,万葉高に通う「氏家・美女丸・ソンモール(尊猛流)・ド・ロシュフォール」,「氏家・姫丸・カーモール(華猛流)・ド・ロシュフォール」なる双子の兄弟。日仏ハーフの2人は身長は190cmを越え,黄金のロングヘアプラス青い瞳の超美形にして知力,体力,家柄などなどを兼ね備えた……要するに,『エースをねらえ!』のお蝶夫人をさらにとんでもなくしたような連中である。そして,彼らの周辺の取り巻きたちもまた,まばたきで風を起こす程度には絢爛なキャラがそろっている。

 『美女姫』シリーズは,1970年代後半の別冊少女コミックに,数か月に一度,ぽつりぽつりと発表された。この時期の別冊少女コミックといえば萩尾望都,大島弓子,竹宮恵子,倉田江美,樹村みのりら,いわゆる高踏派の台頭期であり,「男も少女マンガを読む」「少女マンガは文学を越えた」などの論調の真っ盛りであり,またその中心的位置に別冊少女コミックはあったのだった(もっとも,編集部サイドはマニアに受けることをにがにがしく見ていたらしく,たまたまその少し後に会った編集部の役職者は「おまえらみたいな読者はいらん」「いるのはベルバラやキャンディキャンディだ」とかなり厳しいモノ言いだった)。

 名香智子の作品はそんな中にあり,およそこの世のものとは思えない美形(という設定)の双子の兄弟に,レースの学生服にレースのハンカチ,大邸宅,過剰なまでのファッショナブルな設定……要するに,少女マンガの王道をちょっと通り越したタカラヅカ的世界を展開したのだった。しかし,なにしろ周囲が萩尾,大島の時代である。自然,作者,読み手ともに一筋縄では片付かないものが残る。
 この作品は目の中に星が飛び交い,背景には花や点描が乱れるいわゆる少女マンガのそれもかなり極端な絵柄で描かれている。内側に素朴でナイーブな少年少女の恋愛物語があり,けばけばしい美形(の設定)たちの荒唐無稽で様式的な会話の舞踏会がそれをくるむ入れ子構造で,結果的に極上の少女マンガとそのパロディが同時進行するような作風を持つにいたる。
 したがって,こんな美形(の設定)なのにここまで,と気の毒に思われるほど酷いギャグもあれば,大胆なまでに悲惨な物語も用意される。とくにソンモール,カーモールがほとんど登場しないSF仕立ての第3巻は陰惨だ。もともと,この『美女姫』シリーズは,主人公の双子を立てながら,実のところ周辺の若者たちを描くサイドストーリーがメインなのだが,その常連でやはり美形扱いのアーリン(アンリ・ド・シャルトル)を主人公に,彼が最後には顔を焼き,片足を失うにいたる救いのなさ。

 つまり,もともとが真っ正直なシリアス少女マンガとそのパロディの重ね着の形で成立した『美女姫』シリーズはその二重構造ゆえサザエさん化することができず,作者のサジ加減一つでどう転ぶかわからないものだったのである。それを安定してないと見るも,常連キャラたちによる一大コスプレ大会と見るも自在。
 そんな堂々たる危なっかしさの振幅が,本シリーズ最大の魅力かもしれない。

先頭 表紙

当時は,昼メシ代を少女マンガに投入し,水飲んで生きておりましたからー。 / 烏丸 ( 2000-10-18 11:40 )
烏丸様ったら、私が10代に熱中したマンガをよーくご存知ですね!はい、ソンモールとカーモール、楽しく読んでいました。別コミは毎回買っていました。萩尾望都、竹宮恵子、大島弓子が「新感覚派」なんて呼ばれていたような。。。 / たら子母 ( 2000-10-17 22:15 )
をを,お玉さまをお持ちとはさすがですね。岸裕子はミルクボーイブルースも大好きだったのです。 / 烏丸 ( 2000-10-17 20:01 )
仰る通りですわね。アチラの玉三郎ちゃまの本もわたくし持っておりましてよ。けれどもアチラは玉三郎ちゃんの真剣さが楽しかったですわ。美女丸様&姫丸様の方が、はちゃめちゃぶりが面知ろうございますヮネ。 / お蝶夫人の従姉妹 ( 2000-10-17 19:14 )
お蝶夫人の従姉妹さま,いらっしゃいまし。この絢爛豪華さに匹敵するのは,岸裕子の玉三郎シリーズくらいでございましょうか。 / 烏丸 ( 2000-10-17 14:41 )
わたくしこの本、持っております!非常に夢夢しい華やかな世界の中にパロディも加味されて、非常に高尚なものですワ。かの子さまに憧れましたもの。ホホホホホホ / お蝶夫人の従姉妹 ( 2000-10-17 08:19 )
下の『大江戸……』だけアップするのはあまりといえばあんまりなので,急遽用意いたしました。内容は後で手を加えてごまかそうっと。 / 烏丸 ( 2000-10-17 02:14 )

2000-10-17 バッドテイスト本のスーパーイチオシ 『大江戸死体考 人斬り浅右衛門の時代』 氏家幹人 / 平凡社新書


【花のお江戸は今日も死体日和】

 法医学や警察・検察関係の書物を好むのは,この烏丸,以前より少々含むところがあって……では,ない。文学や漫画は好もしいが,それらでは得るのが難しい非デコラティブでソリッドな手応え,それが得たい夜には法医学本が最も手ごろなのだ。抽象的な言い方ではあるが,恋愛感情よりは論理,論理より鉱物,鉱物より死体について読むことが癒しになる精神状態もある。
 
 氏家幹人は上野正彦の対談集『死体を語ろう』(角川文庫)にも登場しており,本「くるくる回転図書館」でも紹介済みではある。その,歴史家・氏家幹人の,いわば本領発揮の一冊が本書であるが……。
 しかし,烏丸,修行のいたらなさをしみじみと感じ入る一冊でもあった。これは,だめ。もう,どうにも気持ちが悪い。食事中に読めないとか,そんなレベルでなく(125文字,略)ほどの気持ち悪さであった。

 本書の目的は,江戸期の死体の扱いについてのあらゆる資料にあたり,従来我々が目をそらしてきた当時の思想,風俗,習慣に光を当てることにある。

 以下,少々気色の悪い表記が続くので,気の弱い方はご注意。

 まず,本書は,江戸期の水辺には水死体が決して珍しいものではなかったこと,また自殺者の死体で腐臭あふれる井戸水について語る。そして,処刑された死体の胴について,それを縛りつけ,刀で一刀両断にする様斬(ためしぎり)という風習があったことを紹介する。これを任務としてあたった一族が八代にわたる山田浅右衛門,いわゆる「人斬り浅右衛門」(朝右衛門とも)であること,そして彼らがいかにしてその任務を負うようになったか,その仕事や収入はいかなる具合であったかを詳細に説明する。

 この「詳細に」がクセモノ。
 山田家は浪人であり,浪人であるにもかかわらず諸候から多くの弟子を取り,地方に出張して処刑の任にあたることもある,いわば名誉職でもあった。つまり,様斬をみごとにしてのけ,よく切れる刀を持つことは武士の誉れでありながら,同時に泰平の世においてはそれができない武士が実は多かった,ということであり,まず死体(ときには生きた二つ重ね)を一刀両断に切って落とす技術,さらにどこをどう切ればどうなるかという経験に基づく知識,そして切った胴に手を突っ込んで肋骨のずれ具合などから切れ味をチェックして依頼主に伝え,さらに山田家が裕福だったのは処刑した罪人の死体を一括管理することで,様斬の素材を得るだけでなく,その脳や肝を薬として甕に溜め込んで薬として販売したためであり,この肝を得ることは金と名誉を得るため,処刑の折りにはむらがるようにして肝を取ろうとする輩が集う「ひえもんとり」なる一種の競技があり,しかし刑場では処刑の任にあたる者以外は刃物の携帯は許されないので,手で,しかも肝を手に入れられるのは一人だけなので,ほかの者は大変薬効のあるという踵の上部,アキレス腱のところの脂肪を,しかしそれは持ち運びの効かないものであるから,処刑と同時に走り寄って踵にかぶり付いて……。

 全編,延々とこの調子である。

 生肝を貯蔵するための蔵を用意し処刑者の胴や肝,脳を甕に溜め込み,幽霊の出る噂もあった山田家跡は,都内,K町からH町あたりで,現在は若い女性に人気のイタリア料理店になっているそうだ。気になる方は,ぜひ本書を取り寄せ,確認してはいかが。

先頭 表紙

ほにゃららさま,その通りでございます。光圀公も,時代が時代とはいえ,怖いことをなさったもよう。ちなみに,江戸時代ともなると,泰平の世,武士といえども実際に人を斬る経験は少なく,だからこそ記録に残されたのでしょう。地方の藩では,罪人の処刑が決まっても,処刑の担当者はいないわ,お作法はわからないわ,で大変だったという話すらあるそうです。 / 烏丸 ( 2000-10-17 23:31 )
烏丸様。こちらでございますね。。噂の、光圀君の知られざる過去がセキララに語られている本というのは。。 / ほにゃらら噂のチャンネル ( 2000-10-17 22:26 )
き、機械の烏丸さんの方が20%怖い! / 誰か食べてあげてよアオちゃんの「虫鍋」 ( 2000-10-17 21:09 )
椎茸,食べ放題? カバンの中におみやげのびちびちサンマ。 / アオ烏丸ちゃん ( 2000-10-17 20:03 )
そうなのか、石岡君。いや、むしろ、兄にいじめられる前に「かわうそに言うぞ」と言ってやるのだ。 / 椎茸 ( 2000-10-17 19:11 )
どどどどどうだったかなあ,なにしろ僕は石岡なので記憶がなくて,ここここまったなあああ。 / 石岡かずたりん ( 2000-10-17 14:47 )
K町からH町あたりとは、麹町から平河町あたりなのかい、石岡君? / 御手洗ぽたりん(お便所帰り) ( 2000-10-17 14:02 )
相変わらず死体がお好きでいらっしゃりますなあ。 / こすも十兵衛 ( 2000-10-17 13:44 )
もうー,「み」さんったら,こゆいつっこみ。それだけでなく,日記のほうにまで……。 / 烏丸 ( 2000-10-17 12:01 )
ふふふ。きっとそのお店では、ポークリエット・トマトソース添えなどを皆さん楽しく味わっているのね。 / ( 2000-10-17 04:17 )

2000-10-16 [雑談] 子供向け伝記本にボブ・マーリー,エルトン・ジョン

 週末に散策したとある本屋は,マンガ本のコーナーのすぐ隣が児童向けの本のコーナーで,マンガの棚をチェックしていると,つい勢いでエジソンだのリンカーンだのの伝記のコーナーまで目がすべってしまう。

 そこに,妙にひっかかるものがあって……。「スティング?」

 映画「スティング」のジュブナイルだろうか。ところが,その隣が,やっぱり極太明朝体で「エルトン・ジョン」。

 なんと,明らかに子供向けの伝記本の中に,「スティング」や「エルトン・ジョン」の名前があるのだ。偕成社の「伝記世界の作曲家」というシリーズらしい。調べたところ,
 〈1〉ビバルディ―バロック音楽を代表するイタリアの作曲家
 〈2〉バッハ―バロック音楽を集大成した近代音楽の父
 〈3〉モーツァルト―オーストリアが生んだ古典派の天才作曲家
 〈4〉ベートーベン―古典派音楽を完成したドイツの作曲家
 〈5〉シューベルト―歌曲の王といわれるオーストリアの作曲家
 〈6〉ショパン―ピアノの詩人とよばれるポーランドの作曲家
 〈7〉チャイコフスキー―19世紀ロシアの代表的作曲家
 〈8〉ドビュッシー―印象主義音楽をつくりあげたフランスの作曲家
 〈9〉ドボルザーク―チェコが生んだ偉大な作曲家
 〈10〉グリーグ―ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家
と,ここまではいかにもクラシックの代表的作曲家として音楽の教科書にも載ってたでしょ,なのに,この後ニューヨークフィルの
 〈11〉バーンスタイン―「ウエストサイド物語」の作曲者
をはさんで,後は一気に,
 〈12〉ジョン・レノン―永遠に語りつがれるスーパースター
 〈13〉ボブ・マーリー―レゲエを世界に広めた伝説のミュージシャン
 〈14〉エルトン・ジョン―輝き続けるポピュラー音楽のトップスター
 〈15〉スティング―熱帯雨林の保護を訴えるロックスター
なのである。

 やるなあ偕成社。しかも,ポール・マッカートニーでなくジョン・レノンというのも味があるし,その次がボブ・マーリーというのがまたシブい。スティングが出てくるのも,よくわからないが,シブい。ポール・サイモンやバート・バカラックでは,伝記的要素が足りないのだろうか。

 この15冊は1998年の春と1999年の春に分けて発売されており,これで打ち止めなのか,この後も走り続けるのかわからないが,思わず応援したくなってしまった。

先頭 表紙

えっ,1冊2,000円もすんの。シャレで買うにはちょっと考えちゃう値段だなあ。 / 烏丸 ( 2000-10-17 20:05 )
……だんだん,1冊は買ってみないとしょうがないか,という気になってまいりました。しかし,1冊となると誰にするか。ふーむ。 / 烏丸 ( 2000-10-17 02:19 )
中身読んでないのでアレですけど,まずそういうアブない話はカットされているんじゃないでしょうか。いくらなんでも偕成社,そこまでアブない橋は渡りますまい。想像するに,海外の少年少女向け伝記シリーズを丸ごと版権買ったのでは,という気がするのですが。紀伊国屋のデータベースに,「原題」と横文字でありますし。 / 烏丸 ( 2000-10-17 02:17 )
そのチャイコフスキーの伝記には彼が同性愛者だったことは書かれているのでしょうか?ムッシュさんのおっしゃる通り、ドラッグやってたミュージシャンもいますしね。彼らアブナイ人たちを入れたのは、親の関心を集めて売上を伸ばしたいからなのか、それとも偉い人の定義が変わって「商業的に成功した人」つまり、芸術家というより一代で財産を築いた人、という意味で選ばれたんでしょうかね。 / たら子母 ( 2000-10-16 22:32 )
……あっ,今ごろ読んでるおばか烏丸。ムッシュさまの本日のお題がセルジュ・ゲンズブールだったのですね。これは失礼いたしました! / 烏丸 ( 2000-10-16 19:43 )
伝記とはぜんぜん関係ありませんが,義弟(年はあっちが上だけど)のお友達が,男の子が生まれて,やれうれしや,かねてつけたいと思った名前が付けられる,と長男は「シド」クンという名前にしたそうです。漢字は失念。で,烏丸が,「げげーっ,シド・バレット?」と聞いたら,平然と「うんにゃ,シド・ヴィシャス」。 / 子供の名付けは人のことを笑えない 烏丸 ( 2000-10-16 19:09 )
>鳥丸殿!その他予備軍は教育上良くない人が・・・・?ドラッグ!自殺とちょっと重すぎますよね〜! / ムッシュ ( 2000-10-16 18:47 )
これはムッシュ,いらっしゃいませ! ゲンズブールというと,セルジュ・ゲンズブールでございましょうか。これはまた,なんともシブいところを。 / 烏丸 ( 2000-10-16 18:22 )
そうなんですよ,フィー子さま。ポールでなくてジョン,なのは,もう死んでるからか……と思えばエルトンやスティングですから。ジャニス・ジョプリン,ジミ・ヘンドリックス,ブライアン・ジョーンズ,ジム・モリソン,ビル・チェイス,シド・ヴィシャス,イアン・カーティスなどなどたちは,作曲家といえるかどうか……(その前に,伝記として子供向きかどうか? それはさておき)。 / 烏丸 ( 2000-10-16 18:19 )
良い事きちゃった!ありがとうございます!残りの二人もお空に行かれたら出たりして?でもちょっと薄いかな!ゲンズブールはないでしょうね・・・・! / ムッシュ ( 2000-10-16 18:11 )
へえ、ショパンに混ざってボブ・マーリーか。すごいなあ。伝記といえばキュリー夫人やエジソンって世代にはずいぶん新しいような気がしてしまうけど。死ななくても伝記に載ってしまうのですねえ。ほほぅ・・・。 / フィー子 ( 2000-10-16 18:00 )

2000-10-15 [雑談] ゆよーんやよーんゆやゆよん


 文庫化されて手に入りやすくなった渡辺多恵子『ファミリー!』(アメリカのある家族を舞台にした,ほのぼのコメディ。元気の出るアットホーム系としてはオススメ)を取り上げようかどうしようか読み返していて,ふと気になったことがあります。少年サンデー連載中の『からくりサーカス』でも確かそうだったし,『ブラックジャック』にもあったような気がするのだけど……。

 漫画では,サーカスの空中ブランコ乗りって,よく死にますよね。たいてい現在進行形の話でなく,「昔,父が」「かつて,恋人が」とかいう設定なんですが。

 サーカスの空中ブランコって,そんなに死ぬものなんでしょうか。

 もちろん,地上数メートルから十数メートルくらいの高さでくるくるびゅんびゅんやってるのは,地上で道化やってるのに比べれば安全なわけはないだろうけど,でも,少なくとも練習中は下にネットを張ってるし,そもそもが高いところに強く,体の柔軟な人がやっているわけで,よしんば十メートルの高さで手がすべったとしても,素人のようにまっすぐ頭から落ちるということはない,と思うわけですよ(現に,演出でネットに落ちるときは,お尻から落ちるようにコントロールできている)。

 まあ,歴史上,そんな統計データはないだろうから,確かめようはないのだけど,危険に見えるのと,プロの仕事で本当に死ぬことは,違う次元の話なんではないかなと思うわけです。

 もちろん,何十年も昔の,人権が軽んじられていた時代はわかりません。
 そのころは,たとえば鉄道員だって,車掌は走行中に落ちるわ,連結機ではさまれるわ,とけっこう死ぬ職業だったそうだし,それ以降でも,たとえばF1レーサーにいたっては,車体の安全技術が高まる前は,歴史に残る世界チャンピオンでレース中の事故で死んでないやつはいるのか,というぐらいだったし(本当。引退まで生き残れるようになったのはニキ・ラウダやジャッキー・スチュワートのころからでしょうか?)。

 ……ん? こうしてみると,空中サーカスでの事故死多発も,やっぱりありなのかな?

先頭 表紙

ちなみに,賢治かな犀星かな朔太郎かな,と思っているところに「草野心平です」と言われたら,「あ,そうかぁ!」という人も3%くらいはいると思う。 / いちめんのからすまる ( 2000-10-16 17:21 )
そうだよ!!中也だよ!!(←自分に言ってる。)……あー、赤面。 / 美奈子 ( 2000-10-16 16:53 )
「ほとぼり」というのは,ポルトガル語の「ホット」+城の「堀」がなまったもので,真田雪村がキリシタンから得たアイデアをもとに大阪城の外堀の内側につくられたものです。つまり,堀に焼けた石を落として熱湯にし,忍者などが入り込めないようにしたわけです。それが冷めるまで待つことを「ほとぼりがさめる」といったのですが,徳川側は圧倒的な武力を背景に「さめるまで待とうほとぼり」と言っていたのが,のちに「泣くまで待とうほととぎす」に。すみません。全部,ウソです。 / 烏丸 ( 2000-10-16 13:23 )
そうそうそうそうそう! ティムですティムです。「キャンディキャンディ」以外にもいくつか読んだんだけど、あんまり印象に残ってないんですよ〜。「ジョージイ」なんてどんどん好きな人が死んじゃって、読むのが辛かったもーん。ところで「ほとぼり」ってなんなのか教えてくれないと眠れない・・・。 / よちみ ( 2000-10-16 13:12 )
(今すぐにタイトルを直すのは恥ずかしいので,しばらくたってほとぼりがさめてから直しておこう。ところで,ほとぼりって,さめてもほとぼりなのであろうか。それともさめたら何かほかのものに変ずるのであろうか) / 烏丸 ( 2000-10-16 11:46 )
お仕事にならないと困りますね。というわけで,出展は汚れちまった中也くんでありました。ちなみに,あばうとな記憶のまま書いてしまったので,表現,正確ではありませんでした。「サーカス」の一節,正しくは「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」だそうであります。 / 烏丸 ( 2000-10-16 11:39 )
その擬態語は「くらむぽんはかぷかぷわらったよ」の宮沢賢治?室生犀星?それとも朔太郎でしたっけ?……あー思い出せない!一日中気になって仕事にならないかもしれません〜。 / 美奈子 ( 2000-10-16 06:33 )
よちみさま,それは『ティム ティム サ−カス』という作品でしょうか。不勉強にして読んだことはないのですが……。 / 烏丸 ( 2000-10-16 00:12 )
そういえば、いがらしゆみこにもサーカスの漫画ありましたよ。題名忘れた〜。「なんとかサーカス」(←そのままやんけ!)。その中でも空中プランコで人が死んでました。あれはネットを張らずにショーをしたんでした。 / よちみ ( 2000-10-15 23:43 )

2000-10-15 異種格闘技のイマイチ 『マンガは哲学する』 永井 均 / 講談社SOPHIA BOOKS


【さあ今日はうかうかするぞーっ!】

 『<子ども>のための哲学』『これがニーチェだ』などの著書からも明らかなように,永井均は哲学界の人である。
 永井は本書が「マンガ愛好者には,マンガによる哲学入門書」「哲学愛好者には,哲学によるマンガ入門書」の二兎を追うとしている。志はよい。しかし,二兎を追うということは異種格闘技ということであり,本書の限界もまたそこにある。早い話,マンガの選び方,読み方がフェアでないのだ。

 たとえば冒頭,藤子・F・不二雄のSF短編を例に「相対主義の原理と限界」「異文化との出会い」を述べるあたりは,作品の狙いと永井の論旨が噛み合ってなるほど力がある。吉田戦車の4コマに「この作品が,前期ウィトゲンシュタインの主著『論理哲学論考』を連想させるとすれば,次の二つの作品は,後期ウィトゲンシュタインの『哲学探求』を連想させる」と持ち出すにいたっては,ツボにはまって爆笑の感さえある。『伝染るんです。』の面白さは確かにそういう次元にあり,ウィトゲンシュタインを知る知らずにかかわらず我々は論理哲学的にそれを笑うからである。
 ところが,哲学を学んだことを公言する須賀原洋行を持ち出したところで,話はややこしくなる。永井が須賀原を「ならいおぼえた哲学の知識が,あったかもしれないこのマンガ家の哲学的感度を,すっかり鈍くしてしまっていることは疑えない」と切って捨てるとき,我々は永井が哲学的に価値のないマンガは一切評価しないことに気がつくのだ。
 『伝染るんです。』と『気分は形而上』のどちらが凄いかといえば,たいがい前者だろう。だがそれは須賀原の哲学的感度が鈍いからではなく,須賀原があんまり好きではないからである。「あんまり」「好きでない」などとおよそ論理的でない評価になるのは,須賀原の描いているのが「私マンガ」だからである。須賀原の4コマに哲学が出てくるのは,好きで哲学を学んだが目が出ず,公務員になったが場慣れせず,マンガ家になったがヒットしない,そういう著者当人の「とほほ」素材としてである。しかも,須賀原がどこまでそれを自覚して描いているのか明確でないことが,さらにとほほ感を増す。須賀原は結婚相手のOLからネタを得るなど,笑われているのが作品なのか著者なのかその後もはっきりしない。しかし,須賀原の作品はそういうものであり,それを「とっても」「好き」なファンが少なくないこともまた事実なのである。

 須賀原に行を取りすぎたが,要は,永井のマンガ評においては哲学が何より優先しているということだ。「第ニ章 私とは誰か?」において,自己同一性が混乱する状況を描いたSFやホラーがいくつかあげられているが,それは「永井がそう語るために選んだ」ものなのに「永井が高く評価する」ものと読めてしまう。哲学を語りやすいからよいマンガ,という構図である。しかし,どう考えたってそれは別次元の問題だろう。そうして見れば「なぜこのマンガ家の全作品からこのマンガが選ばれるのか」と疑問が沸くページも少なくない。
 極端な話,カーマニアが自分の好みの車をかっこよく描いたマンガだけを高く評価したなら,それは万人向けのマンガ評とは言えまい。

 逆に言えば,こだわりの強いカーマニアがそうしたマンガ評をまとめたなら,一読に値することもまた確かだ。その意味で本書の水準は相当高い。したがって,いしかわじゅん『漫画の時間』と結論は似てくる。
 本書はこれまであまりマンガ評を読んでなかった方にはぜひ一読をお奨めしたい。しかし,永井と同じように作品を評価する必要は,ない。

先頭 表紙

では、男子中学生でも突きに行こう、かっぱくん。 / ダムダム人 ( 2000-10-16 15:42 )
かっぱくん父(紫)じゃなく,お母さんのように。 / ねぎ烏丸 ( 2000-10-16 11:44 )
『のための哲学』という哲学的な名前の本なのかと思いましたわん。 / かっぱくん父(紫色) ( 2000-10-16 11:13 )
うしろのひとなどいない! / 濡れても平気です。ぽたりん。 ( 2000-10-16 01:42 )
ところで,今気がついたんですが,「<子ども>のための哲学」の「<子ども>」の部分が表示されていませんでした。半角だと<>とその中がタグとみなされて表示されないのね。 / 烏丸 ( 2000-10-16 01:02 )
では,うしろの人もごいっしょに。 / 烏丸withシークレット・フェース ( 2000-10-16 00:55 )
「ハンサム団」でも結成しますか。 / なぜ黙る・ぽたりん ( 2000-10-15 23:37 )
その前に,まず,犬ひも。 / 烏丸 ( 2000-10-15 23:01 )
いややはり、これからはポルトガルでしょう。美しい自然、数々の史跡。それと、美しい自然..... / 生きる・こすもぽたりん ( 2000-10-15 15:49 )
まさかゲレンデがな,ぽたりんさま……まつりとかいって……あんまりゲレンデのことをなあ… / 烏丸 ( 2000-10-15 02:55 )
ああ、烏丸さんに「うかうか」されちゃった。じゃ、オイラは今日はひとつ、「とりかえしのつかないこと」でもしようかなっと。 / こすもぽたりん ( 2000-10-15 02:18 )

2000-10-14 戦前探偵小説誌アンソロジーのイチオシ 『「シュピオ」傑作選 幻の探偵雑誌[3]』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫


【手には敷島】

 本書は,昭和10(1935)年に同人誌「探偵文学」として創刊され,のちにロシア語で探偵を表す「シュピオン」からとって「シュピオ」と改題された戦前の探偵小説誌掲載作の一部を紹介するもの。
 ちなみに,小栗虫太郎『黒死館殺人事件』が昭和9年,夢野久作『ドグラ・マグラ』が昭和10年の作。

 「シュピオ」は,「月刊探偵」「ぷろふいる」「探偵春秋」が相次いで休刊する中,戦前最後の探偵小説専門誌となるも,昭和13(1938年)には経済的理由などからやはり廃刊に追いやられている。
 翌昭和14年には第二次世界大戦勃発,警視庁検閲課が江戸川乱歩『芋虫』の全編削除を命ずるなど,時代は軍靴の音を高めていく。木々高太郎の「終刊の辞」では「シュピオ」廃刊の理由として「思想的の弾圧か。そうではない。シュピオはその意味では軍国のお役に立っている」と記されている。この辺についての軽はずみな論評は控えたい。

 いずれにしても,今回の『幻の探偵雑誌』[1]〜[3]でこれまで乱歩や小栗,木々らの小説の解説,あとがきの類で名を見るばかりだった「ぷろふいる」「探偵趣味」「シュピオ」掲載作品が読めるようになったのは望外の喜びであり,また各巻の総目次・作者別作品リストの資料的価値は高い。光文社の英断と尽力に拍手したい。

 さて,ここからは,気まぐれな一読者としての私見である。
 資料的価値は別として,これまで復刊されなかった作品にはやはりそれなりの理由があり,『「ぷろふいる」傑作選』収録作のナントナク纏まらない感じ,『「探偵趣味」傑作選』収録短編群のキレの悪さは否めなかった。この3冊の中では,今回の『「シュピオ」傑作選』が,自分には最も心地よいように思われた。
 とくに,全500ページ中300ページ近くを占める蘭郁二郎の長編『白日鬼』が妙に楽しく,歴史的価値といった六ヶ敷気(むずかしげ)な理屈はともかく,素直に好感が持てたのが大きい。理由は我ながらよくわからないが,頭をふりしぼってもナカナカ事件の真相にいたらない主人公,モダーンぶってもやがて古臭くなることを覚悟したような文体が,昔の東宝特撮映画に近く感じられたせいか。たとえば冒頭,主人公が銀座の街を闊歩する場面など,ニコニコと歩き,洋装の婦人とぶつかりそうになれば帽子をとっておじぎする主人公が目に浮かび,シネマのニギヤカな音楽が聞こえるような。犯罪トリック,犯人の意外性も,作者が大仰に自画自賛する気配なく,古臭い設定なりにすんなり呑み込めるものであった。
 また,解説の若竹七海が酷評する海野十三『街の探偵』も,賢治や朔太郎風の散文探偵ポエジイと見れば,何を意図したものか自分にはドコトナクわかる気がする。
 さらに,吉井晴一(*1)『夜と女の死』なる短編では,当時の探偵小説が,『モルグ街』『盗まれた手紙』『マリイ・ロジェ』以外,すなわち探偵の登場しないポオの散文詩の影響を大きく受けた嫡子であることをうかがわせ,別の意味で興味深かった。

 戦前の探偵小説は,文体,言葉遣いをはじめ,最新のミステリに慣れた読者にお奨めし難い面もなくはない。本シリイズを契機に,必ずしもメジャアとは言えない小栗,木々,海野らに進むのもまた楽しからずや。

*1……正しくは「晴」でなく日ヘンに「睛」のツクリ。

先頭 表紙

2000-10-13 色モノサイコ本ではない 『みんなの精神科 心とからだのカウンセリング38』 きたやまおさむ / 講談社+α文庫


【もう帰れない 今はもう】

 かつて,フォークシンガーがオピニオンリーダーとみなされる時代があった。
 この国では英米に比べるとロックバンドはあれどソリッドなロック史はなく,プロテストソングはフォークミュージシャンがほぼ全面的にそれを担った。フォーク史を大雑把にまとめると,カレッジフォーク → 反戦フォーク → 四畳半フォーク → ニューミュージックに融合 → 復興,という具合になるかと思われるが,そのカレッジ〜反戦あたりの時代の話である。
 彼らのメッセージは新宿西口で歌われ,深夜放送で語られ,各地で野外コンサートが開かれた。岡林信康のコンサートでバックバンドのはっぴぃえんど(大滝詠一,細野晴臣ら)がエレキギター,エレキベースを持ち出すと「裏切り者!」と石が投げ入れられたとか,そういう濃い時代である。

 北山修はそんな時代に加藤和彦らとフォーク・クルセダーズを結成,「帰って来たヨッパライ」を大ヒットさせ,また作詞家として数多くの名曲を残した。
  ジローズ「戦争を知らない子供たち」
  はしだのりひことシューベルツ「風」「さすらい人の子守唄」
  はしだのりひことクライマックス「花嫁」
  加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」
  ベッツイ&クリス「白い色は恋人の色」
  トワ・エ・モア「初恋の人に似ている」
  堺正章「さらば恋人」
  酒井ゆきえ「ピンクの戦車」 ほか
 また,エッセイ集『戦争を知らない子供たち』『さすらい人の子守唄』などの著作もベストセラーとなった。
 フォーク・クルセダーズ解散(1968年)後は京都府立医科大学に戻り,ロンドン大学精神医学研究所を経て北山医院(精神科)院長に。1994年より九州大学教育学部教授。

 オピニオンリーダーの働きには,2方向ある。1つは一種カリスマとでもいうか,大衆を無自覚なままある方向にダイナミックに誘導するもの。ファッション分野などこの形で現れることが多い。それに対し,誘導する内容,方向でなく,自省する習慣を説く,そういうタイプもいる。北山修は後者だったように思う。彼の著作は彼ならではの考えを説くが,当時彼のファンだった若者の多くは,それがどんなものか具体的には何も覚えていないだろう。彼の読み手は「北山修と同じように」考えるのではなく,「北山修のようにいつも」考えることを教わった,とするのは持ち上げすぎだろうか。

 『みんなの精神科』では,精神科医としての北山修が,精神医療のマイナスイメージを払拭しようと努める。
 痩せたいと願う心,ゴキブリに恐怖する心,性的嗜好と心の問題,ジョン・レノン,尾崎豊の心の軌跡,母親の位置など,さまざまな話題が取り上げられ,阪神大震災後の子供の心のケアの問題(神戸の少年殺傷事件の遠因でもある)など興味深い話題も少なくない。大上段にかざさない,穏やかな口調の口述筆記で,その口ぶりは当人も認めているように「逃避的な心に肯定的に働きかける」ため全体的には敗北主義的で,およそ華やかなアジテーションとは言いがたい。肉体が風邪をひくように,心が心の病気にかかることは少なくない,そのために精神科医にかかることを恐れる必要はない,と北山修は繰り返し訴える。
 ただ,いかんせん話題が広いだけに個々の掘り下げは浅く,雑誌連載としてはともかく1冊の本として散漫な印象は否めない。
 結局,心が風邪をひいたら腕のいいオイシャにかかるが一番,ということか(ちなみに,心の風邪では民間療法はあてにならないので注意)。

先頭 表紙

うーむ,なかなかやるざんすね。CDはフォークルのベストしか持ってないざんす。先に書いて正解だったざます。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:50 )
をを、『ピエロの唄』持ってるざんす。楽譜付きなので貴重ざんす。ハードカバーの『人形遊び』も持っているざんす。自切俳人とヒューマン・ズーのCDが欲しいざんす。『夢』とか『世界は君のもの』とか。『夢』は、北山修バージョンが『12枚の絵』に入っているざんす。持っているざんす。 / こすもぽたりん ( 2000-10-13 17:41 )
フォークルでは加藤和彦が歌った「オーブル街」,今聞いても涙。歌詞の意味不明だけど。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:20 )
「ピンクの戦車」は作曲も北山修という非情に珍しいものなのね。ああ,しかし,これを書くのに鞄に『戦争を…』『さすらい人の…』『…回転木馬』『ピエロの唄』(←主な曲の楽譜付き!)持ち歩いて,ああ重かった。そのくせ,ぜんぜん引用なし。とほ。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:18 )
んわ〜、カスケードにやられたのね〜。キタヤマオサムは大事に温存してたのね〜。それはそうと、酒井ゆきえって、ピンポンパンのお姉さんですよね。『ピンクの戦車』を歌ってたんだ。知らなんだ。あれは「北山修ばあすでい・こんさあと」(ひらがななのが時代だ)でしか聞いたことがなかったっす。北山修が自切俳人の名前でやっていたオールナイトニッポン金曜第1部はよかったっす。自切俳人とヒューマン・ズーの『夢』は名曲でやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-10-13 17:05 )

2000-10-13 笑えて泣けるエッセイのイチオシ 『勇気凛凛ルリの色』 浅田次郎 / 講談社文庫


【だがサチコ。君はもう二度と笑ってはいけない。】

 さて,当代の泣かせ名人といえば『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞を受賞した浅田次郎だろうか。しかし『自虐の詩』に次いで『鉄道員』ではさすがに湿り気が過ぎる。ここではその泣かせのテクニックの裏を垣間見せてくれるエッセイ集をご紹介しよう。

 『勇気凛凛ルリの色』は1994年9月から1995年9月にかけてのおよそ1年間,週刊現代誌に連載されたエッセイをまとめたものである。のちに続刊『勇気凛凛ルリの色2 四十肩と恋愛』『勇気凛凛ルリの色 福音について』『勇気凛凛ルリの色 満点の星』が発行されている。
 1巻めの連載当時は阪神大震災,オウム・サリン事件に日本中が沸いた時期で,自然烏丸も週刊誌を手にすることが多かった。当時,作家・浅田次郎は現在ほどは知られておらず,それにしてはえらく場慣れしたおっさんだな,と読んでいた記憶がある。
 裏社会,自衛隊,競馬,戦争史など,のちに彼のキーワードとなる体験や思想が随所に織り込まれ,「浅田次郎ができるまで」な内容になっているといえるだろう。三島由紀夫に私淑したというくだりなど,彼の小説表現の源流がおぼろげに見える気がして興味深い。

 ……などとやや重めの紹介をしてしまったが,読み物としては爆笑の連続といってよい。彼は陸上自衛隊に入隊し,裏社会で金を稼いだあげくの自称説教オヤジである。そんな人物が,自らの巨頭にうろたえ,船酔いにおののく。仕事にとまどい,耳の穴のカビに泣く。それが可笑しい。電車で周囲が怪しむほどに笑ってしまう。

 だが,もう一度読み返してみれば,それらが計算と技術のたまものだということがわかる。今笑い飛ばした数ページが,まことに重い,切実な内容を込めたものであり,笑いはその内容をこちらに伝える手段の1つであることがわかる。ことに改行が巧い。起承転結の切り替え時にキーワードをすがすがしく1行で立てる,その運びが巧い。そして当然,笑いをコントロールできるからには,泣かせることだってできるのである。
 拳銃強盗に撃たれて死んだウエイトレスの少女を語った「サチコの死について」は泣ける。作者の泣かせの技に自分がはまっていることを頭で理解していても,泣ける。
 浅田次郎,あなどりがたし。

先頭 表紙

寝ている間に胞子をそっと蒔くのにゃ。 / 烏丸 ( 2000-10-13 16:39 )
耳の穴のカビってのが、今夜夢に出て来そうで怖いニャース。 / ゴミ撒き団・ニャース ( 2000-10-13 01:05 )

2000-10-12 ちゃぶ台返しのイチオシ 『自虐の詩』(全2巻) 業田良家 / 竹書房文庫


【人生には明らかに意味がある】

 昨日紹介したいしかわじゅん『漫画の時間』はじめ,ここしばらくの漫画評に必ずといってよいほど取り上げられる作品の1つ。いわく,「4コママンガで大河ドラマを描いた」「人間賛歌」「ともかく泣ける」など,大半が諸手を挙げての大絶賛。

 さて困った。もう書くことがない。

 たとえば……『自虐の詩』は週刊宝石に連載され,それがマンガ専門誌でなかったおかげで作者が編集者の意向や既存のマンガの描き方,評価等を気にせずに書くことができた……というのは文庫の解説で「ゴー宣」小林よしのりがすでに語っているし,それ以上とくに加えることもない。
 作者は川柳も得意で,素朴に見えて実は技巧的,4コマという枠やリフレインを巧く使って……などと書いても,だから何。
 「たかが浪花節」「お涙頂戴ではないか」と指摘するのは簡単だが,これまた,だから何。浪花節はもはやB級文化の代名詞とはいえないし,B級であるからよいとかよくないとかいうわけでもない。

 「うーん,どう書けばよいのか」と昨夜,とくに評価の高い最後の数十ページをぱらぱら読んで……いやもう,またしてもぶわっ。こんなふうに人生を肯定されると。でも,これで肯定される人生って。

 主人公・幸江は,元ヤクザで遊び人のイサオに献身的につくす,美人とも若いともいえない女。イサオは気にくわないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくり返す。ひっくり返す。畳までひっくり返す。ほとんどもうその繰り返しで,読み手が幸江に感情移入し,最初は悲痛,続いてうんざり,少し慣れ,だんだん慣れ,そのうち幸江のツラいといえばあまりにツラい過去,その幸江の同級生・熊本のこれまたキツい人生がカットバックでどんどん明らかになり,いいのか,こんなことが,こんな,なんてどよどよしているうちに最後に幸江と熊本が二十年ぶりに出会うシーンでもう,それはもう,ぱああっと,ダムが決壊して水があふれるようにぜんぶ。

 この哀しいまでに力のこもった肯定,匹敵するのは西原理恵子『ぼくんち』くらいだろうか。
 どちらも,実は,好きじゃない。というか,好きとか嫌いとか,そういう間尺で語れるものでない。お奨めもしない。こういう本は,必要な人はそのうち出会うものだろうと思う。

先頭 表紙

ちゃぶ台返しといえば『巨人の星』のとーちゃん・星一徹ですが,実は原作のマンガにもアニメ本編にも,ちゃぶ台返しシーンはないのだそうです。飛雄馬少年を殴るシーンで一徹が食卓にしているのは四角い箱のようなもので,それもくわっとひっくり返すわけではありません。一徹ちゃぶ台返しを刷り込んだのは,アニメのオープニング,主題歌流しながら表示される静止画なのでありました。心理学の授業で使えそうだなあ。 / 烏丸 ( 2000-10-12 18:14 )

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