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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-10-15 [雑談] ゆよーんやよーんゆやゆよん
2000-10-15 異種格闘技のイマイチ 『マンガは哲学する』 永井 均 / 講談社SOPHIA BOOKS
2000-10-14 戦前探偵小説誌アンソロジーのイチオシ 『「シュピオ」傑作選 幻の探偵雑誌[3]』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫
2000-10-13 色モノサイコ本ではない 『みんなの精神科 心とからだのカウンセリング38』 きたやまおさむ / 講談社+α文庫
2000-10-13 笑えて泣けるエッセイのイチオシ 『勇気凛凛ルリの色』 浅田次郎 / 講談社文庫
2000-10-12 ちゃぶ台返しのイチオシ 『自虐の詩』(全2巻) 業田良家 / 竹書房文庫
2000-10-11 マンガ評論のまぁ有名な本だし文庫になったし読んどいたほうがいいかも 『漫画の時間』 いしかわじゅん / 新潮OH!文庫
2000-10-11 かつてイチオシマンガ,のイマイチ 『天才柳沢教授の生活 16』 山下和美 / 講談社(モーニングKC)
2000-10-11 ドーナツブックスいしいひさいち選集 34『酒乱童子』・35『錯乱の園』 いしいひさいち / 双葉社
2000-10-10 雰囲気を剥いた後に残るもののイマイチ 『水に棲む鬼』 波津彬子 / 朝日ソノラマ,白泉社


2000-10-15 [雑談] ゆよーんやよーんゆやゆよん


 文庫化されて手に入りやすくなった渡辺多恵子『ファミリー!』(アメリカのある家族を舞台にした,ほのぼのコメディ。元気の出るアットホーム系としてはオススメ)を取り上げようかどうしようか読み返していて,ふと気になったことがあります。少年サンデー連載中の『からくりサーカス』でも確かそうだったし,『ブラックジャック』にもあったような気がするのだけど……。

 漫画では,サーカスの空中ブランコ乗りって,よく死にますよね。たいてい現在進行形の話でなく,「昔,父が」「かつて,恋人が」とかいう設定なんですが。

 サーカスの空中ブランコって,そんなに死ぬものなんでしょうか。

 もちろん,地上数メートルから十数メートルくらいの高さでくるくるびゅんびゅんやってるのは,地上で道化やってるのに比べれば安全なわけはないだろうけど,でも,少なくとも練習中は下にネットを張ってるし,そもそもが高いところに強く,体の柔軟な人がやっているわけで,よしんば十メートルの高さで手がすべったとしても,素人のようにまっすぐ頭から落ちるということはない,と思うわけですよ(現に,演出でネットに落ちるときは,お尻から落ちるようにコントロールできている)。

 まあ,歴史上,そんな統計データはないだろうから,確かめようはないのだけど,危険に見えるのと,プロの仕事で本当に死ぬことは,違う次元の話なんではないかなと思うわけです。

 もちろん,何十年も昔の,人権が軽んじられていた時代はわかりません。
 そのころは,たとえば鉄道員だって,車掌は走行中に落ちるわ,連結機ではさまれるわ,とけっこう死ぬ職業だったそうだし,それ以降でも,たとえばF1レーサーにいたっては,車体の安全技術が高まる前は,歴史に残る世界チャンピオンでレース中の事故で死んでないやつはいるのか,というぐらいだったし(本当。引退まで生き残れるようになったのはニキ・ラウダやジャッキー・スチュワートのころからでしょうか?)。

 ……ん? こうしてみると,空中サーカスでの事故死多発も,やっぱりありなのかな?

先頭 表紙

ちなみに,賢治かな犀星かな朔太郎かな,と思っているところに「草野心平です」と言われたら,「あ,そうかぁ!」という人も3%くらいはいると思う。 / いちめんのからすまる ( 2000-10-16 17:21 )
そうだよ!!中也だよ!!(←自分に言ってる。)……あー、赤面。 / 美奈子 ( 2000-10-16 16:53 )
「ほとぼり」というのは,ポルトガル語の「ホット」+城の「堀」がなまったもので,真田雪村がキリシタンから得たアイデアをもとに大阪城の外堀の内側につくられたものです。つまり,堀に焼けた石を落として熱湯にし,忍者などが入り込めないようにしたわけです。それが冷めるまで待つことを「ほとぼりがさめる」といったのですが,徳川側は圧倒的な武力を背景に「さめるまで待とうほとぼり」と言っていたのが,のちに「泣くまで待とうほととぎす」に。すみません。全部,ウソです。 / 烏丸 ( 2000-10-16 13:23 )
そうそうそうそうそう! ティムですティムです。「キャンディキャンディ」以外にもいくつか読んだんだけど、あんまり印象に残ってないんですよ〜。「ジョージイ」なんてどんどん好きな人が死んじゃって、読むのが辛かったもーん。ところで「ほとぼり」ってなんなのか教えてくれないと眠れない・・・。 / よちみ ( 2000-10-16 13:12 )
(今すぐにタイトルを直すのは恥ずかしいので,しばらくたってほとぼりがさめてから直しておこう。ところで,ほとぼりって,さめてもほとぼりなのであろうか。それともさめたら何かほかのものに変ずるのであろうか) / 烏丸 ( 2000-10-16 11:46 )
お仕事にならないと困りますね。というわけで,出展は汚れちまった中也くんでありました。ちなみに,あばうとな記憶のまま書いてしまったので,表現,正確ではありませんでした。「サーカス」の一節,正しくは「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」だそうであります。 / 烏丸 ( 2000-10-16 11:39 )
その擬態語は「くらむぽんはかぷかぷわらったよ」の宮沢賢治?室生犀星?それとも朔太郎でしたっけ?……あー思い出せない!一日中気になって仕事にならないかもしれません〜。 / 美奈子 ( 2000-10-16 06:33 )
よちみさま,それは『ティム ティム サ−カス』という作品でしょうか。不勉強にして読んだことはないのですが……。 / 烏丸 ( 2000-10-16 00:12 )
そういえば、いがらしゆみこにもサーカスの漫画ありましたよ。題名忘れた〜。「なんとかサーカス」(←そのままやんけ!)。その中でも空中プランコで人が死んでました。あれはネットを張らずにショーをしたんでした。 / よちみ ( 2000-10-15 23:43 )

2000-10-15 異種格闘技のイマイチ 『マンガは哲学する』 永井 均 / 講談社SOPHIA BOOKS


【さあ今日はうかうかするぞーっ!】

 『<子ども>のための哲学』『これがニーチェだ』などの著書からも明らかなように,永井均は哲学界の人である。
 永井は本書が「マンガ愛好者には,マンガによる哲学入門書」「哲学愛好者には,哲学によるマンガ入門書」の二兎を追うとしている。志はよい。しかし,二兎を追うということは異種格闘技ということであり,本書の限界もまたそこにある。早い話,マンガの選び方,読み方がフェアでないのだ。

 たとえば冒頭,藤子・F・不二雄のSF短編を例に「相対主義の原理と限界」「異文化との出会い」を述べるあたりは,作品の狙いと永井の論旨が噛み合ってなるほど力がある。吉田戦車の4コマに「この作品が,前期ウィトゲンシュタインの主著『論理哲学論考』を連想させるとすれば,次の二つの作品は,後期ウィトゲンシュタインの『哲学探求』を連想させる」と持ち出すにいたっては,ツボにはまって爆笑の感さえある。『伝染るんです。』の面白さは確かにそういう次元にあり,ウィトゲンシュタインを知る知らずにかかわらず我々は論理哲学的にそれを笑うからである。
 ところが,哲学を学んだことを公言する須賀原洋行を持ち出したところで,話はややこしくなる。永井が須賀原を「ならいおぼえた哲学の知識が,あったかもしれないこのマンガ家の哲学的感度を,すっかり鈍くしてしまっていることは疑えない」と切って捨てるとき,我々は永井が哲学的に価値のないマンガは一切評価しないことに気がつくのだ。
 『伝染るんです。』と『気分は形而上』のどちらが凄いかといえば,たいがい前者だろう。だがそれは須賀原の哲学的感度が鈍いからではなく,須賀原があんまり好きではないからである。「あんまり」「好きでない」などとおよそ論理的でない評価になるのは,須賀原の描いているのが「私マンガ」だからである。須賀原の4コマに哲学が出てくるのは,好きで哲学を学んだが目が出ず,公務員になったが場慣れせず,マンガ家になったがヒットしない,そういう著者当人の「とほほ」素材としてである。しかも,須賀原がどこまでそれを自覚して描いているのか明確でないことが,さらにとほほ感を増す。須賀原は結婚相手のOLからネタを得るなど,笑われているのが作品なのか著者なのかその後もはっきりしない。しかし,須賀原の作品はそういうものであり,それを「とっても」「好き」なファンが少なくないこともまた事実なのである。

 須賀原に行を取りすぎたが,要は,永井のマンガ評においては哲学が何より優先しているということだ。「第ニ章 私とは誰か?」において,自己同一性が混乱する状況を描いたSFやホラーがいくつかあげられているが,それは「永井がそう語るために選んだ」ものなのに「永井が高く評価する」ものと読めてしまう。哲学を語りやすいからよいマンガ,という構図である。しかし,どう考えたってそれは別次元の問題だろう。そうして見れば「なぜこのマンガ家の全作品からこのマンガが選ばれるのか」と疑問が沸くページも少なくない。
 極端な話,カーマニアが自分の好みの車をかっこよく描いたマンガだけを高く評価したなら,それは万人向けのマンガ評とは言えまい。

 逆に言えば,こだわりの強いカーマニアがそうしたマンガ評をまとめたなら,一読に値することもまた確かだ。その意味で本書の水準は相当高い。したがって,いしかわじゅん『漫画の時間』と結論は似てくる。
 本書はこれまであまりマンガ評を読んでなかった方にはぜひ一読をお奨めしたい。しかし,永井と同じように作品を評価する必要は,ない。

先頭 表紙

では、男子中学生でも突きに行こう、かっぱくん。 / ダムダム人 ( 2000-10-16 15:42 )
かっぱくん父(紫)じゃなく,お母さんのように。 / ねぎ烏丸 ( 2000-10-16 11:44 )
『のための哲学』という哲学的な名前の本なのかと思いましたわん。 / かっぱくん父(紫色) ( 2000-10-16 11:13 )
うしろのひとなどいない! / 濡れても平気です。ぽたりん。 ( 2000-10-16 01:42 )
ところで,今気がついたんですが,「<子ども>のための哲学」の「<子ども>」の部分が表示されていませんでした。半角だと<>とその中がタグとみなされて表示されないのね。 / 烏丸 ( 2000-10-16 01:02 )
では,うしろの人もごいっしょに。 / 烏丸withシークレット・フェース ( 2000-10-16 00:55 )
「ハンサム団」でも結成しますか。 / なぜ黙る・ぽたりん ( 2000-10-15 23:37 )
その前に,まず,犬ひも。 / 烏丸 ( 2000-10-15 23:01 )
いややはり、これからはポルトガルでしょう。美しい自然、数々の史跡。それと、美しい自然..... / 生きる・こすもぽたりん ( 2000-10-15 15:49 )
まさかゲレンデがな,ぽたりんさま……まつりとかいって……あんまりゲレンデのことをなあ… / 烏丸 ( 2000-10-15 02:55 )
ああ、烏丸さんに「うかうか」されちゃった。じゃ、オイラは今日はひとつ、「とりかえしのつかないこと」でもしようかなっと。 / こすもぽたりん ( 2000-10-15 02:18 )

2000-10-14 戦前探偵小説誌アンソロジーのイチオシ 『「シュピオ」傑作選 幻の探偵雑誌[3]』 ミステリー文学資料館 編 / 光文社文庫


【手には敷島】

 本書は,昭和10(1935)年に同人誌「探偵文学」として創刊され,のちにロシア語で探偵を表す「シュピオン」からとって「シュピオ」と改題された戦前の探偵小説誌掲載作の一部を紹介するもの。
 ちなみに,小栗虫太郎『黒死館殺人事件』が昭和9年,夢野久作『ドグラ・マグラ』が昭和10年の作。

 「シュピオ」は,「月刊探偵」「ぷろふいる」「探偵春秋」が相次いで休刊する中,戦前最後の探偵小説専門誌となるも,昭和13(1938年)には経済的理由などからやはり廃刊に追いやられている。
 翌昭和14年には第二次世界大戦勃発,警視庁検閲課が江戸川乱歩『芋虫』の全編削除を命ずるなど,時代は軍靴の音を高めていく。木々高太郎の「終刊の辞」では「シュピオ」廃刊の理由として「思想的の弾圧か。そうではない。シュピオはその意味では軍国のお役に立っている」と記されている。この辺についての軽はずみな論評は控えたい。

 いずれにしても,今回の『幻の探偵雑誌』[1]〜[3]でこれまで乱歩や小栗,木々らの小説の解説,あとがきの類で名を見るばかりだった「ぷろふいる」「探偵趣味」「シュピオ」掲載作品が読めるようになったのは望外の喜びであり,また各巻の総目次・作者別作品リストの資料的価値は高い。光文社の英断と尽力に拍手したい。

 さて,ここからは,気まぐれな一読者としての私見である。
 資料的価値は別として,これまで復刊されなかった作品にはやはりそれなりの理由があり,『「ぷろふいる」傑作選』収録作のナントナク纏まらない感じ,『「探偵趣味」傑作選』収録短編群のキレの悪さは否めなかった。この3冊の中では,今回の『「シュピオ」傑作選』が,自分には最も心地よいように思われた。
 とくに,全500ページ中300ページ近くを占める蘭郁二郎の長編『白日鬼』が妙に楽しく,歴史的価値といった六ヶ敷気(むずかしげ)な理屈はともかく,素直に好感が持てたのが大きい。理由は我ながらよくわからないが,頭をふりしぼってもナカナカ事件の真相にいたらない主人公,モダーンぶってもやがて古臭くなることを覚悟したような文体が,昔の東宝特撮映画に近く感じられたせいか。たとえば冒頭,主人公が銀座の街を闊歩する場面など,ニコニコと歩き,洋装の婦人とぶつかりそうになれば帽子をとっておじぎする主人公が目に浮かび,シネマのニギヤカな音楽が聞こえるような。犯罪トリック,犯人の意外性も,作者が大仰に自画自賛する気配なく,古臭い設定なりにすんなり呑み込めるものであった。
 また,解説の若竹七海が酷評する海野十三『街の探偵』も,賢治や朔太郎風の散文探偵ポエジイと見れば,何を意図したものか自分にはドコトナクわかる気がする。
 さらに,吉井晴一(*1)『夜と女の死』なる短編では,当時の探偵小説が,『モルグ街』『盗まれた手紙』『マリイ・ロジェ』以外,すなわち探偵の登場しないポオの散文詩の影響を大きく受けた嫡子であることをうかがわせ,別の意味で興味深かった。

 戦前の探偵小説は,文体,言葉遣いをはじめ,最新のミステリに慣れた読者にお奨めし難い面もなくはない。本シリイズを契機に,必ずしもメジャアとは言えない小栗,木々,海野らに進むのもまた楽しからずや。

*1……正しくは「晴」でなく日ヘンに「睛」のツクリ。

先頭 表紙

2000-10-13 色モノサイコ本ではない 『みんなの精神科 心とからだのカウンセリング38』 きたやまおさむ / 講談社+α文庫


【もう帰れない 今はもう】

 かつて,フォークシンガーがオピニオンリーダーとみなされる時代があった。
 この国では英米に比べるとロックバンドはあれどソリッドなロック史はなく,プロテストソングはフォークミュージシャンがほぼ全面的にそれを担った。フォーク史を大雑把にまとめると,カレッジフォーク → 反戦フォーク → 四畳半フォーク → ニューミュージックに融合 → 復興,という具合になるかと思われるが,そのカレッジ〜反戦あたりの時代の話である。
 彼らのメッセージは新宿西口で歌われ,深夜放送で語られ,各地で野外コンサートが開かれた。岡林信康のコンサートでバックバンドのはっぴぃえんど(大滝詠一,細野晴臣ら)がエレキギター,エレキベースを持ち出すと「裏切り者!」と石が投げ入れられたとか,そういう濃い時代である。

 北山修はそんな時代に加藤和彦らとフォーク・クルセダーズを結成,「帰って来たヨッパライ」を大ヒットさせ,また作詞家として数多くの名曲を残した。
  ジローズ「戦争を知らない子供たち」
  はしだのりひことシューベルツ「風」「さすらい人の子守唄」
  はしだのりひことクライマックス「花嫁」
  加藤和彦と北山修「あの素晴らしい愛をもう一度」
  ベッツイ&クリス「白い色は恋人の色」
  トワ・エ・モア「初恋の人に似ている」
  堺正章「さらば恋人」
  酒井ゆきえ「ピンクの戦車」 ほか
 また,エッセイ集『戦争を知らない子供たち』『さすらい人の子守唄』などの著作もベストセラーとなった。
 フォーク・クルセダーズ解散(1968年)後は京都府立医科大学に戻り,ロンドン大学精神医学研究所を経て北山医院(精神科)院長に。1994年より九州大学教育学部教授。

 オピニオンリーダーの働きには,2方向ある。1つは一種カリスマとでもいうか,大衆を無自覚なままある方向にダイナミックに誘導するもの。ファッション分野などこの形で現れることが多い。それに対し,誘導する内容,方向でなく,自省する習慣を説く,そういうタイプもいる。北山修は後者だったように思う。彼の著作は彼ならではの考えを説くが,当時彼のファンだった若者の多くは,それがどんなものか具体的には何も覚えていないだろう。彼の読み手は「北山修と同じように」考えるのではなく,「北山修のようにいつも」考えることを教わった,とするのは持ち上げすぎだろうか。

 『みんなの精神科』では,精神科医としての北山修が,精神医療のマイナスイメージを払拭しようと努める。
 痩せたいと願う心,ゴキブリに恐怖する心,性的嗜好と心の問題,ジョン・レノン,尾崎豊の心の軌跡,母親の位置など,さまざまな話題が取り上げられ,阪神大震災後の子供の心のケアの問題(神戸の少年殺傷事件の遠因でもある)など興味深い話題も少なくない。大上段にかざさない,穏やかな口調の口述筆記で,その口ぶりは当人も認めているように「逃避的な心に肯定的に働きかける」ため全体的には敗北主義的で,およそ華やかなアジテーションとは言いがたい。肉体が風邪をひくように,心が心の病気にかかることは少なくない,そのために精神科医にかかることを恐れる必要はない,と北山修は繰り返し訴える。
 ただ,いかんせん話題が広いだけに個々の掘り下げは浅く,雑誌連載としてはともかく1冊の本として散漫な印象は否めない。
 結局,心が風邪をひいたら腕のいいオイシャにかかるが一番,ということか(ちなみに,心の風邪では民間療法はあてにならないので注意)。

先頭 表紙

うーむ,なかなかやるざんすね。CDはフォークルのベストしか持ってないざんす。先に書いて正解だったざます。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:50 )
をを、『ピエロの唄』持ってるざんす。楽譜付きなので貴重ざんす。ハードカバーの『人形遊び』も持っているざんす。自切俳人とヒューマン・ズーのCDが欲しいざんす。『夢』とか『世界は君のもの』とか。『夢』は、北山修バージョンが『12枚の絵』に入っているざんす。持っているざんす。 / こすもぽたりん ( 2000-10-13 17:41 )
フォークルでは加藤和彦が歌った「オーブル街」,今聞いても涙。歌詞の意味不明だけど。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:20 )
「ピンクの戦車」は作曲も北山修という非情に珍しいものなのね。ああ,しかし,これを書くのに鞄に『戦争を…』『さすらい人の…』『…回転木馬』『ピエロの唄』(←主な曲の楽譜付き!)持ち歩いて,ああ重かった。そのくせ,ぜんぜん引用なし。とほ。 / 烏丸 ( 2000-10-13 17:18 )
んわ〜、カスケードにやられたのね〜。キタヤマオサムは大事に温存してたのね〜。それはそうと、酒井ゆきえって、ピンポンパンのお姉さんですよね。『ピンクの戦車』を歌ってたんだ。知らなんだ。あれは「北山修ばあすでい・こんさあと」(ひらがななのが時代だ)でしか聞いたことがなかったっす。北山修が自切俳人の名前でやっていたオールナイトニッポン金曜第1部はよかったっす。自切俳人とヒューマン・ズーの『夢』は名曲でやんす。 / こすもぽたりん ( 2000-10-13 17:05 )

2000-10-13 笑えて泣けるエッセイのイチオシ 『勇気凛凛ルリの色』 浅田次郎 / 講談社文庫


【だがサチコ。君はもう二度と笑ってはいけない。】

 さて,当代の泣かせ名人といえば『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞を受賞した浅田次郎だろうか。しかし『自虐の詩』に次いで『鉄道員』ではさすがに湿り気が過ぎる。ここではその泣かせのテクニックの裏を垣間見せてくれるエッセイ集をご紹介しよう。

 『勇気凛凛ルリの色』は1994年9月から1995年9月にかけてのおよそ1年間,週刊現代誌に連載されたエッセイをまとめたものである。のちに続刊『勇気凛凛ルリの色2 四十肩と恋愛』『勇気凛凛ルリの色 福音について』『勇気凛凛ルリの色 満点の星』が発行されている。
 1巻めの連載当時は阪神大震災,オウム・サリン事件に日本中が沸いた時期で,自然烏丸も週刊誌を手にすることが多かった。当時,作家・浅田次郎は現在ほどは知られておらず,それにしてはえらく場慣れしたおっさんだな,と読んでいた記憶がある。
 裏社会,自衛隊,競馬,戦争史など,のちに彼のキーワードとなる体験や思想が随所に織り込まれ,「浅田次郎ができるまで」な内容になっているといえるだろう。三島由紀夫に私淑したというくだりなど,彼の小説表現の源流がおぼろげに見える気がして興味深い。

 ……などとやや重めの紹介をしてしまったが,読み物としては爆笑の連続といってよい。彼は陸上自衛隊に入隊し,裏社会で金を稼いだあげくの自称説教オヤジである。そんな人物が,自らの巨頭にうろたえ,船酔いにおののく。仕事にとまどい,耳の穴のカビに泣く。それが可笑しい。電車で周囲が怪しむほどに笑ってしまう。

 だが,もう一度読み返してみれば,それらが計算と技術のたまものだということがわかる。今笑い飛ばした数ページが,まことに重い,切実な内容を込めたものであり,笑いはその内容をこちらに伝える手段の1つであることがわかる。ことに改行が巧い。起承転結の切り替え時にキーワードをすがすがしく1行で立てる,その運びが巧い。そして当然,笑いをコントロールできるからには,泣かせることだってできるのである。
 拳銃強盗に撃たれて死んだウエイトレスの少女を語った「サチコの死について」は泣ける。作者の泣かせの技に自分がはまっていることを頭で理解していても,泣ける。
 浅田次郎,あなどりがたし。

先頭 表紙

寝ている間に胞子をそっと蒔くのにゃ。 / 烏丸 ( 2000-10-13 16:39 )
耳の穴のカビってのが、今夜夢に出て来そうで怖いニャース。 / ゴミ撒き団・ニャース ( 2000-10-13 01:05 )

2000-10-12 ちゃぶ台返しのイチオシ 『自虐の詩』(全2巻) 業田良家 / 竹書房文庫


【人生には明らかに意味がある】

 昨日紹介したいしかわじゅん『漫画の時間』はじめ,ここしばらくの漫画評に必ずといってよいほど取り上げられる作品の1つ。いわく,「4コママンガで大河ドラマを描いた」「人間賛歌」「ともかく泣ける」など,大半が諸手を挙げての大絶賛。

 さて困った。もう書くことがない。

 たとえば……『自虐の詩』は週刊宝石に連載され,それがマンガ専門誌でなかったおかげで作者が編集者の意向や既存のマンガの描き方,評価等を気にせずに書くことができた……というのは文庫の解説で「ゴー宣」小林よしのりがすでに語っているし,それ以上とくに加えることもない。
 作者は川柳も得意で,素朴に見えて実は技巧的,4コマという枠やリフレインを巧く使って……などと書いても,だから何。
 「たかが浪花節」「お涙頂戴ではないか」と指摘するのは簡単だが,これまた,だから何。浪花節はもはやB級文化の代名詞とはいえないし,B級であるからよいとかよくないとかいうわけでもない。

 「うーん,どう書けばよいのか」と昨夜,とくに評価の高い最後の数十ページをぱらぱら読んで……いやもう,またしてもぶわっ。こんなふうに人生を肯定されると。でも,これで肯定される人生って。

 主人公・幸江は,元ヤクザで遊び人のイサオに献身的につくす,美人とも若いともいえない女。イサオは気にくわないことがあるとすぐちゃぶ台をひっくり返す。ひっくり返す。畳までひっくり返す。ほとんどもうその繰り返しで,読み手が幸江に感情移入し,最初は悲痛,続いてうんざり,少し慣れ,だんだん慣れ,そのうち幸江のツラいといえばあまりにツラい過去,その幸江の同級生・熊本のこれまたキツい人生がカットバックでどんどん明らかになり,いいのか,こんなことが,こんな,なんてどよどよしているうちに最後に幸江と熊本が二十年ぶりに出会うシーンでもう,それはもう,ぱああっと,ダムが決壊して水があふれるようにぜんぶ。

 この哀しいまでに力のこもった肯定,匹敵するのは西原理恵子『ぼくんち』くらいだろうか。
 どちらも,実は,好きじゃない。というか,好きとか嫌いとか,そういう間尺で語れるものでない。お奨めもしない。こういう本は,必要な人はそのうち出会うものだろうと思う。

先頭 表紙

ちゃぶ台返しといえば『巨人の星』のとーちゃん・星一徹ですが,実は原作のマンガにもアニメ本編にも,ちゃぶ台返しシーンはないのだそうです。飛雄馬少年を殴るシーンで一徹が食卓にしているのは四角い箱のようなもので,それもくわっとひっくり返すわけではありません。一徹ちゃぶ台返しを刷り込んだのは,アニメのオープニング,主題歌流しながら表示される静止画なのでありました。心理学の授業で使えそうだなあ。 / 烏丸 ( 2000-10-12 18:14 )

2000-10-11 マンガ評論のまぁ有名な本だし文庫になったし読んどいたほうがいいかも 『漫画の時間』 いしかわじゅん / 新潮OH!文庫


【青木光恵の結婚式でのサイバラのスピーチが,聞いてみたかった……】

 いしかわじゅんは,やな奴だ。
「ぼくの基準では,ぼくはとり・みきに負けたことはない」(えっ?)
「新人が怖いと思ったこともない。…(略)…このくらいなら俺でも描けるな,と思うのだ」(ええっ!)
「ほとんどの同業者を,ぼくは怖くない。…(略)…それはギャグだけでなく,シリアスものでも同じだ」(えええーっ!?)

 これ,作品のオリジナリティと作家について,言ってよいことではないように思う。業田良家より巧いマンガ家はいくらでもいるだろうが,『自虐の詩』は誰にも描けない。高橋陽一よりサッカーに詳しいマンガ家は少なくないに違いないが,『キャプテン翼』は彼にしか描けなかった。いしかわじゅんのこの物言いは,作家を自分だけが育てたつもりの三流編集者の傲慢さと同質だ。

 ほかにも,いしかわじゅんは何か処かエラそうな態度を見せる。何人ものマンガ家を自分が育てたかのように言い,各社の編集者が自分を頼りにしているかのように書く。確かに,一部は本当にそうだったのだろう。また,とにもかくにも60冊もの単行本を出したのだ,多少胸を張ってもよいとは思う。
 しかし……彼の作品が多くのマンガファン,マンガに詳しくない子供たち,マンガにうるさいマニアたちに,そう高い評価を得ていないことは事実だ。メジャーではないがマニアに高い評価,というわけでもない(少なくとも,烏丸が信頼するマニア,編集者の多くはとくに彼を評価していない)。また,彼が責任編集した双葉社の「アクション ラボ」も,集めたマンガ家の顔ぶれの割に評価されず,2号めは出なかった。売れなかっただけでなく「いかにも」なつまらなさで,要するに相手にされなかったのだ。
 烏丸は,どんなプロ,マニアの目より,ファン(購入層)の目をとりあえず優先したい。自分に面白くない,下手に見える作品でも,売れているものには必ず何かその作品,作家固有の魅力がある。プロ,マニアの評を気にするのは,その魅力を自分より巧く見つけ出し,より巧く語ってくれることを期待するからだ。その意味でいしかわじゅんは信用できない。

 ……それでもなお,本『漫画の時間』を,烏丸は強くお奨めする。

 なぜなら,この本に収録された約100作品のマンガ評は,ごく普通のマンガ読者に,思いがけない,新しいマンガの読み方を教えてくれるからだ。
 個々の作家について,著者と評価を同じくする必要なんかない。ただ,1つの作品について,たとえば「こんなふうに肉体を描いたのは誰それだけ」だとか「余計な線の捨て方がすごい」とか「この会社から出るマンガがこうなのは」とか「明らかに誰それの模倣として出てきたのに独自性が」とか「絵がヘタだと言われる誰それだがこれこれに着目すると」とか,そういったさまざまなマンガの見方,「目利き」とでもいうか,それがあることを知り,それを知った上でマンガを読むのは,実に面白いことなのだ。同じマンガを読んでも一段深く楽しめるのだ。
 そういう楽しみがあることを知るためだけでも,この本はお奨めなのである。

 ついでに,ある超有名な女流マンガ家,それから同じく有名なベテランマンガ家が,肝心のマンガについていかに愚かか,それが知るためだけにこの本を手にしても損はない。知ったからといってしかたないんだけどさ。

先頭 表紙

文庫版を注文したのね〜 / こすもマキバオー ( 2000-10-13 18:59 )
晶文社版が見当たらないので(知人に借りて読んだだけだったかもしれない),文庫で買い直してしまいました。超有名な女流マンガ家がスーパーおばかなことを口ばしったのは講談社の「IN POCKET」誌上だそうです。「IN POCKET」は何十冊も買い続け,ある日ばかばかしくなって全部捨ててしまいました。この女流マンガ家,大昔にほんのちょっとお仕事でご一緒したら,翌年お会いしたときに覚えていてくれたので,あまり悪く言いたくないんですが……。 / ミーハー烏丸 ( 2000-10-12 11:55 )

2000-10-11 かつてイチオシマンガ,のイマイチ 『天才柳沢教授の生活 16』 山下和美 / 講談社(モーニングKC)


【ヒロミツが救われすぎるのも考えもの】

 『天才柳沢教授の生活』は,それまで少女マンガの世界で活躍していた山下和美の青年誌デビュー作であり,作者の父親をモデルに,神奈川の大学の経済学教授の日常を描く作品である。
 第1巻が1989年の発行。今第1巻を読み返すと(上質とは言いがたい)ギャグの色合いが強く,それ以上に教授の杓子定規さが家族からはなはだしく迷惑がられ,罵倒されていることに驚く。

 その後,このシリーズは「教育」や「老い」というマンガとしては扱いにくい問題に鋭く挑み,何度か大きな成果をあげてきた。
 たとえば8巻における柳沢教授の対戦相手(違う……)は絶妙で,父親,マフィアの友人,二重人格の天才少年などのエキセントリックさと学問を尊ぶ教授とがぶつかり合い,止揚して,このあたりが本作の最後のピークだったろうか。
 しかし,いつの間にか教授は酸いも甘いも噛み分けた,誰からも愛される人生の達人にしてスーパーマンになってしまった。あまりの厳格さ,四角四面さゆえに不器用,頓珍漢,という側面はほとんど見受けられない。たとえば15巻のモンゴル編は,作品として悪くないものの,柳沢教授が主役である必然性は何もなかった。最新の16巻も,個々の物語が悪いわけではないが,教授やそれぞれの脇役の果たす役割が全く予想の内で,著者自身表紙カバーで独白しているようにサザエさん化がはなはだしい。

 本来,このシリーズは,四角四面な教授にとっての「正しさ」が周囲と慣れ合えず,その齟齬によって可笑しさと読み手の思索を呼ぶものであった。先に述べた「教育」「老い」などの問題は,その教授が「動じる」ほどなのだからこれはよほど重大なことなのだ,という振幅で読者に伝わったわけである。
 別に初期の描き方に戻すべき,とは言わないが,さすがに最近はアットホーム,ほのぼの色が強すぎはしないか。サザエさんがいけないというわけではない。しかし,8巻あたりまでに描かれたものが「なかなか心温まるお話」の束の中で拡散してしまうこともまた事実だ。残酷でなければ伝えられないものも,この世にはある。

 したがって烏丸としては,現在の柳沢教授(9巻以降)に比べれば,10年ほど前,同じモーニング誌に連載された曽根富美子の『ファーザー』(講談社,全2巻)のほうをよほどお奨めしたい。
 こちらも実在の奇矯な人物(3人の妻に14人の子供を生ませ,現在は一番下の同名の息子と一緒に野宿をしながら,気のみ気ままに暮らしている75歳の画家,教育者)をモデルに教育や子育てをテーマにした作品。決して万人向けとは言いがたいが,衝撃は柳沢教授の比ではない。現在は絶版のようだが,もし機会があったら古本屋,マンガ喫茶などで手にとってご覧いただきたい。ただし。正面から読むと,キツいよ。

先頭 表紙

あややさま,いらっしゃいませ。実は問題の「新○副都心クリニック」,烏丸も昔勤めていた会社で何度か健康診断に行ったところなのです。幸い点滴はせずにすみましたが……危ないところでございました(そうか?)。さて『柳沢教授』,「魅惑のトップス」という扱いでごくたまーに読み切りを発表するだけのわりに,10年で16冊はけっこう早いペースですよね。若き日の教授といえば,お見合いでのちの奥様に怖がられるところ,それからピアノを買う話,なんとなく好きです。 / 烏丸 ( 2000-10-12 12:07 )
もう16巻まででてるんですか!私も教授の初期の感じがすきです。初期は、ネコをぶつのにわざわざ木材を測って買ってきたりしてましたものね・・。そして、若き日の教授がかっこいい・・・と、その部分は少女漫画のような気分でよんでしまいます・・。 / あやや ( 2000-10-12 00:37 )
あ,「ハラハラ」,そうですね,こっこさまのおっしゃる通り。教授に最近足りないのはその「ハラハラ」かもしれません。 / 烏丸 ( 2000-10-11 18:15 )
教授にはいつもハラハラさせられてたのに。 こっこも「とんでもない人」に賛成です。 / こっこ ( 2000-10-11 15:01 )
柳沢教授,ご健在どころかすっかり添付画像のような家族にも学生にも子供たちにも愛される穏やかなヒーローでございます。もうちょっと昔のように「とんでもない」人であってほしいのですが……。 / 烏丸 ( 2000-10-11 14:52 )
柳沢教授はご健在なんですね。誰からも愛される人生の達人になった彼の姿は想像しがたいです。 これはまとめて読んでみたいです。16巻もあるなんて! 明日は本屋さんのはしご。8月8日の『ストーカーの心理学』 もチェックせねば。  / こっこママは本屋さん>こっこ ( 2000-10-11 14:27 )

2000-10-11 ドーナツブックスいしいひさいち選集 34『酒乱童子』・35『錯乱の園』 いしいひさいち / 双葉社


【35巻で計4486作品】

 いしいひさいちのドーナツブックスが2年半ぶりに発売された。問題外論シリーズが完結とされ,やや政治色に偏っているのが胸を焼くが,相変わらずどうやって情報集めてんだ,な面と,いい加減金残ったろうにどうしてこう貧乏人描けるんだ,な面を見せつけて不気味なまでに快調である。讀賣新聞社社長渡辺某,いわゆる長嶋よりエラそうなナベツネをおちょくり,返す刀で朝日新聞社長某をコケにした4コマなど,この国のマンガ史上,星一徹以来の非情さ,厳しさと言ってよい。星一徹は「獅子は我が子を」なーんて言いながら自らは崖の上にいたが,いしいひさいちは無造作に自分を崖下に突き落とす。
 この博覧強記,自分に対する非情さ,実は「いしいひさいち」は「ひさいち」「ひさじ」「ひさぞう」「ひさし」の一卵性4人兄弟のユニットと言われてもぜんぜん驚きはしない。4人がそれぞれ分身の術で4つの影を演じると,合計16人のいしいひさいち。敵忍者もむむむっと汗を飛ばそうというものである。

 ところで,なぜ2冊同時発売なのであろうか。ドーナツブックスシリーズは以前も述べたようにタイトルはいずれも古典名作文学のパロディで,内容的な統一は求められていない。政治・経済などの時事,プロ野球,バイトくん,ノンキャリウーマン,となりの山田くん,忍者シリーズなどなど,要するに,その期間のいしいひさいちの他の単行本に収録されないありったけ,というのが趣旨と言ってよい。

 ここで,ふと思い出したことがある。噂によれば,いしいひさいちがナベツネをおちょくった作品集『ワンマンマン』(文藝春秋社)が,ナベツネの秘書からのクレームによって発売が中止になった,というのである。なるほど! それなら一気に2巻発行された理由もわかる。ナベツネ本のためにまとめられていた4コマが浮き,その結果ドーナツブックス収録作が膨れ上がった,ということか。実際,第34巻『酒乱童子』は表紙はもちろん,前半,うんざりするほどナベツネのバカヤロービュンビュンビュンだらけである。

 ところが。天井裏に控える烏丸組百一匹サナダムシ忍群から極秘情報が届く。発売中止になったナベツネものは東京創元社の『大問題2000』に収録されるらしいというのだ!
 そして,さらに新たな衝撃が烏丸本部を襲う! これまで25年にわたっていしいひさいちの単行本(バイトくんシリーズ,問題外論シリーズなど)を発行し続けたチャンネルゼロが出版活動を休止した,と。そういえば,『ののちゃん』も最新8,9巻を含め双葉社から刊行され直した。
 もっとも,双葉社ドーナツブックスシリーズももともとチャンネルゼロが編集を請け負って制作されたものと聞く。だとすると,チャンネルゼロはリスクの大きい製本,販売から身を引くだけなのか。それとも『バイトくんブックス7 ばかな男』背表紙のあの名吟は,別れの挨拶だったのか。

 朝日新聞朝刊に連載を持つなどいわば公儀の側に立ちながら,実は隠密お庭番のごとく本音の読めないいしいひさいち。これが知的化け物の貌というものか。答えはドーナツの輪の真ん中に,あるような,ないような。

先頭 表紙

犬のほうの「101」ですが,ディズニーの続編製作に対し,動物愛護派がクレームつけているそうです。その内容がびっくり。あの白地に水玉模様のダルメシアンは体重が約36キロ以上に成長し,神経質な性質。おまけに4匹に1匹は聴覚異常で,飼育が非情に難しい。そのため数多くのダルメシアンが保健所で安楽死させられるのだそうです。うーむむむ。 / わんわん烏丸 ( 2000-10-12 12:14 )
ハムテル不勉強! いしいひさいち『101匹忍者大行進』全2巻,チャンネルゼロ発売なり。そんなことでは立派な漆原教授になれないぞ! / 二階堂烏丸 ( 2000-10-11 14:46 )
ハムテルが『百一匹とは犬の数字ではないのか』と問うております。 / こすもぽたりん ( 2000-10-11 14:19 )
発売は9月18日だったのですが,油断していたら売り切れだったのかそもそも入荷してなかったのか,近所の本屋になくて苦労しました。双葉社の営業にはもっと頑張って欲しいものです。 / 烏丸 ( 2000-10-11 11:25 )
あ〜すごく読んでみたいです。明日は本屋さんに行ってみます。 あと10月5日の基礎からの漢文も気になるのでチェックせねば。久しぶりにお勉強したくなりました。  / こっこ ( 2000-10-11 09:41 )

2000-10-10 雰囲気を剥いた後に残るもののイマイチ 『水に棲む鬼』 波津彬子 / 朝日ソノラマ,白泉社


【ミステリー,ホラーという名の安心装置】

 先日は花郁悠紀子をベタ誉めした烏丸だが,技術的に見れば花郁悠紀子のレベルは必ずしも高くない。絵やコマ運びはどたばたし,人物設定も詰め込みすぎでわかりにくい。いかにも「マンガ」風の記号化された描線にシリアスなストーリーが重すぎることも少なくない。
 華を背負った主人公の描画の精緻さ,ページに漂う静寂,といった点では花郁悠紀子の妹,波津彬子のほうが各段に上だろう。

 ところで,烏丸はそれなりに以前からプチフラワー等での波津彬子を知ってはいたが,彼女が花郁悠紀子の妹であることは不勉強にしてずいぶん後まで知らなかった。そして,1枚絵としてのコマに力を入れすぎ(頼りすぎ)るように思われ,物語作家としてはいくつか難点を感じていた。

 たとえば『水に棲む鬼』とはなんと素晴らしいタイトルであろうか。これは『見ずにすむ鬼』とかけ,すなわち「水」と「見る」ことに含みを持たせたお話なのであろう。……残念なことにこの作品にはそんな含みはなく,それどころか小者のワルは別にして「鬼」すら出てこない。要するにタイトルは雰囲気をかもし出すための壁紙にすぎないのだ。
 内容を見てみよう。住み込みの家政婦として萩原家を訪れた奈津子は,そこに居合わせた者たちを驚かす。彼女は死んだばかりの当家の一人娘・水緒子にそっくりだったのだ。父親の事業を継いだ貴也と結婚した水緒子が裏庭の池で死んだのは,事故か自殺か,あるいは他殺なのか……。
 通常,この設定で奈津子と水緒子について読み手がまず想像するのは「生き別れとなった双子」だろう。物語作家は,そうした定石をいかに避け,予測を裏切って新しく魅力的な設定を創造するのが仕事だといってよい。しかし……。

 本書には殺人や幽霊にからむ短編がいくつか収録されているが,どの作品もプロットは単純,一本道。現代を舞台にしながら警察の科学捜査を全く無視しているのはご愛嬌としても,結局のところいずれも予定調和の上になりたっており,読み手に安心を導くための装置になっている。なにしろ,悪人面していれば悪人,美男と美女がいれば最後には結ばれるのだ。
 姉・花郁悠紀子の作品が前人未到の4回転宙返りにひねりまで加えようとして着地に失敗し続けたのに比べれば,難度の低い,しかし優雅な舞踊,そんな感じだろうか。読み手のニーズに応えて,なら立派なプロだが(そういうプロはそれはそれで嫌いではない),物語作家としてこれでよいかとなると,さてどうだろう。

 もう1つ,別の角度から気になるのは,波津彬子の描く若い女の多くが,男にかしずき,異論をはさまず,堪えて唯々諾々を是とするような,そういう女だということだ。やはり初期の短編集『お目にかかれて』には何人か,いわゆる「はねっかえり」も出てくるが,一皮向けば「あなたに会いたくてアメリカにきたのよ」だったり「タイプだって裁縫だってキャベツ作りだってできるのよ」だったりする。一人で道も歩けない,とは中島みゆきの古い歌詞だが,今どきまずくないかそれは。少なくとも烏丸はごめんだ。

先頭 表紙

くぉぉぉっ、ケロロ軍曹殿がお腹を召されたとは! では不肖ポタタ伍長、軍曹殿の遺志を継いで「南国リゾート地で読む島田掃除(ママ)ベスト10」をばっ! / こすもぽたりん ( 2000-10-10 19:06 )
江戸時代には様斬(ためしぎり)といって,死体をしばりつけ,刀を大きくふりかざして……という本を今,読んでるの。をほほ。という話はこっちにおいといてー,いえいえ,軍曹が花郁悠紀子・波津彬子姉妹について書かれた時点でははっきりつっこむことができず,その後,単行本を買ったり読んだりしてお勉強させていただいての本書き込みなのです。そりゃ後から書くほうが有利なのですわ。 / 烏丸 ( 2000-10-10 18:30 )
しょ、少佐殿っ、不肖ケロロ軍曹著しく不勉強でありましたっ! この上は皺腹掻っ捌いてお詫びをっ! ぐっ、ムゥゥ.... (富江並みの蘇生力なのでご安心を) / ケロロ軍曹 ( 2000-10-10 17:53 )
なんだかんだ言いつつ単行本をそれなりに持っているのだから,決して嫌いな作家ではないのに,出来の悪い短編集選んでわざといぢめたような気分。ただ,ケロロ軍曹の,波津彬子が姉と比較されたプレッシャーで波頭涛子に,という指摘は時間軸から見てどうでしょうか。実質デビュー単行本にあたる『フレデリック・ブラウンは二度死ぬ』(坂田靖子,橋本多佳子との共著)で,すでに点目の自画像は登場しているのです。 / 烏丸 ( 2000-10-10 17:09 )

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