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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-10-03 エログロのイマイチ 『中国残酷物語』 山口 椿 / 幻冬舎アウトロー文庫
2000-10-03 海外ミステリのイマイチ 『検屍官』 パトリシア・コーンウェル,相原真理子 訳 / 講談社文庫
2000-10-02 なごみマンガのイチオシ 『夢幻紳士 −怪奇編−』 高橋葉介 / 徳間書店・朝日ソノラマ
2000-10-01 殺し屋マンガのイチオシ 『ゴージャス☆アイリン 荒木飛呂彦短編集』 荒木飛呂彦 / 集英社(ジャンプスーパーコミックス)
2000-10-01 『東宝特撮映画ポスター全集』(全2巻) 朝日ソノラマ 宇宙船文庫
2000-09-30 『ミカドの肖像』 猪瀬直樹 / 新潮文庫
2000-09-30 『日本国の研究』 猪瀬直樹 / 文春文庫
2000-09-29 『死刑執行人の苦悩』 大塚公子 / 角川文庫
2000-09-29 知らないと損をする寄生虫シリーズその3 『おはよう寄生虫さん 世にも不思議な生きものの話』 亀谷 了 / 講談社+α文庫
2000-09-28 知らないと損をする寄生虫シリーズその2 『空飛ぶ寄生虫』 藤田紘一郎 / 講談社文庫


2000-10-03 エログロのイマイチ 『中国残酷物語』 山口 椿 / 幻冬舎アウトロー文庫


【モアのテーマ】

 これも「イチオシ」でなく,「イマイチ」。
 「中国」「残酷」おまけに「掌編集」とくればこの烏丸,三度のメシよりウラメシヤ,まこと胸ときめく組み合わせなのだが,いかんせん萎える。

 作者は作家,画家,チェリストという多彩な顔を持つアーティスト,1931年生まれというからけっこう年配である。最近各社から文庫で再販の続くその著作,ポルノなのにポルノという言葉では語り切れない,という扱い。おお,それは凄そう! と反応するにはこちらもいい加減スレてしまった。「あー,ポルノとしてはおっ立たず,奇譚文学としてはエロがくどい,あのあたりかな?」
 あのあたりなんである。

 内容紹介は掌編がたくさんあって面倒なので,表紙カバーから。
 「秘密の花園で,美女の死体を肥やしにあでやかな百花を育てる男」「妻と弟の仲を疑い,弟の両手を切断,妻を生きながら壁にぬりこめた男」「憎い側室の手足を切り,鼻を削ぎ,耳を焼き,糞だめの中に放りこんだ皇后」……壮大な中国の歴史を舞台に語られる,この世で最も残忍残酷な拷問・復讐・惨殺・処刑の数々。人間はやはり悪魔だったのか。

 よい素材である。これだけの素材でわくわくさせないなら,それは書き手の責任だ。しかし,この山口椿の描くポルノは,描かれるセックス行為が倒錯的なわりに電車の中で読めてしまう。要するにフランス書院文庫の隠微,グリーンドア文庫の羞恥,マドンナメイトの可憐(笑),いずれにも至っていない。しいていえば富士見ロマン文庫翻訳シリーズの高踏に近い。マグネシウム成分のない食塩のように,猥雑の雑が足りないのである。
 しかも,本作は中国を舞台にしながら,漢文からゆえの重さ,キレのよさがない。和モノ,ひらがなの粘着質から逃れられないとでもいうか,たとえば『半七捕物帳』の岡本綺堂が『中国怪奇小説集』(光文社文庫)を書けば,ちゃんと中国の怪奇譚ならではの手応え読み応えがあるというのに,それがない。

 もちろん,それならそれで,山口製和モノ怪奇譚として読めばよいわけだが,掌編が35編も並ぶとそのウェットさにうんざりしてくる。多分,残虐な行為の一つひとつを書きながら,著者がビビッドに反応しすぎているのだろう。
 幼稚園年長の折りより親にせがんでヤコペッティのモンド映画を見にいっていた烏丸のワンポイントレッスン,残酷物語はリアルに淡々と書いたほうがびゅーてほー。

先頭 表紙

2000-10-03 海外ミステリのイマイチ 『検屍官』 パトリシア・コーンウェル,相原真理子 訳 / 講談社文庫


【なにかといらだつ主人公】

 「イチオシ」ではない。「イマイチ」である。
 コーンウェルの講談社文庫のラインナップは,通算400万部以上売れているらしい。けっこうなことである。ファンの感想など聞くと,登場人物に対する愛着や誰それがこれこれの作品で死んでしまったのでショック,など,シリーズならではの魅力が大きいらしい。だから,最初の1冊だけを云々するのは,平岩弓枝『御宿かわせみ』を最初の短編1作で批判するようなものであり,気にしていただく必要はない。
 ……が,それでも500ページになんなんとする長編ミステリとして,これはないんじゃないの,と烏丸は思ってしまった次第。

 以下,いわゆる「ネタばらし」にあたる表現あり。要注意。

 主人公ケイ・スカーペッタは女性検屍官。バージニアの州都リッチモンドでは,女性を狙う連続殺人に全市が震え上がっていた。被害者たちはいずれも残虐な姿で辱められ,締め殺されていたが,地理的にも人種的にも犯人との接点が見えない。焦燥の深まる捜査陣の中,ケイはさらなる困難に直面していた……。
 と,まあ,そんな具合。
 訳者あとがきによるとケイ・スカーペッタは「離婚暦のある四十歳の魅力的な女性」,「原書のジャケットの写真で見るコーンウェルは,ケイ・スカーペッタをほうふうさせるような知的な美人」だそうだ。知的,魅力的,である。

 しかし。たとえば彼女,学歴はなくとも誠実で有能に見える部長刑事ピート・マリーノに「彼は鈍くもないしばかでもない。以前にもまして,マリーノがいやな人物に思えた」と嫌悪感剥き出し。別にマリーノが彼女に対して仕事上,そう具体的な邪魔をしたようには思われない。粗野で口は悪いが,刑事としての経験則に基づいて推理し,仕事を進めているだけなのに。上司や前任者もひどい扱いだ。
 どうやらこの「知的な美人」,自分のことを最優先してくれない人物はすべて「いやな人物」扱いしてしまうもよう。逆に,マリーノが具体的な事例をあげて彼女と交際のあるとある人物の素行を疑うと,なんら理性的な根拠なしに頭ごなしに否定,被害者のファイルについての記憶が不確かになってしまうほど動転してしまう。……知的どころか,どちらかといえば感情的だし,身勝手だ。
 少なくとも烏丸は主人公に感情移入できなかったし,結局のところ犯人取り押さえの名誉はマリーノにあることを明記しておきたい。

 くどいようだけど,ここから下はネタばらし。後で烏丸に文句を言わないように。

 といった主人公のキャラクターもさりながら,烏丸が一番がっくりきたのは,本作では500ページのうち450ページを過ぎるまで,真犯人が話題に出てこなかったことだ。もちろん巻頭の「主な登場人物」にも含まれていない。もしかするとちょい役で出てきていたのかもしれないが,全然記憶にない。あいつが怪しい,こいつが怪しいとさんざん振り回しておいて,いざ犯人が明らかになると読者の全然知らない……って,そりゃないだろ。

 本作は,エドガー・アラン・ポー賞の新人賞をはじめ,英米の4つの主要なミステリー新人賞を総なめにしたそうだ。史上初の快挙だという。
 そんなもんなのかね。

先頭 表紙

うーむむむむむ,なんだかんだ言いながら,コーンウェルファン。 > mishika / 烏丸 ( 2000-10-03 16:54 )
結構、生臭いでっせという雰囲気を出そうとしたんじゃないでしょうか。確かに、死体の状態はなかなか反吐が出るような描写たっぷり、それにしては、FBI捜査官との不倫とか、エッチ関係になると相手がいきなり爆死とか、仕掛けの魂胆が見えすぎちゃって。二つ目のシリーズなんか、ボロボロですよ。目を覆いたくなるくらい。 / mishika ( 2000-10-03 16:41 )
いや〜,山村美紗とかそのへんと考えればよろしいのでは。いちおう,科学捜査やるだけマシですが。ただ,「検屍」官って言葉はいやだなあ。なんでわざわざこっちの字を。 / 烏丸 ( 2000-10-03 16:10 )
ふにゃ〜、本格者が嫌う本は私は好きなはずですが、御評を読ませていただいた限りでは私好みではなさそうですなあ。本格者からも反本格者からも嫌われるということは、いったい誰が支持して400万部も売れたのでしょう。印税約2億円かあ。本棚がいくつ買えるかなあ。 / こすもぽたりん ( 2000-10-03 15:34 )
本格者が目のかたきにしている,というような話をどこかで聞いて,どれどれと思って手にとってみたのですが,これで400万部売れたらそりゃ本格者としてはイラだつでしょうねえ。くすくす。 / 烏丸 ( 2000-10-03 11:41 )
ミステリのかたちを借りた昼メロみたいな小説で、3作までガマンして読めれば上々です。 / mishika ( 2000-10-03 10:53 )
おやまあ、ただの反則ですねい。堂々と正面きって反則かましてきたのが「史上初」なんぢゃないかと思いますねい。「反則だ」とかいうと本格者扱いされちゃいますかねい。それもちょっと危険。 / こすもぽたりん ( 2000-10-03 01:14 )

2000-10-02 なごみマンガのイチオシ 『夢幻紳士 −怪奇編−』 高橋葉介 / 徳間書店・朝日ソノラマ


【奥さん あなた先年亡くなったはずでしょう】

 高橋葉介に『クレイジーピエロ』という作品がある。普段は穏やかで大人しい少年が,ピエロの扮装をしたとたん殺人鬼と化し,敵も味方もぐちゃぐちゃに殺しまくる話だ。設定だけみると先に紹介した『ゴージャス☆アイリン』に少し似ている。しかし,明らかに異なるのが「決め」ゼリフのクオリティだ。

 「そうかもしれない だが…… おれはクレイジーだからな そんな道理はわかりゃしないのさ」
 「イエース!! おたませしたな クレイジーピエロだ!!」
 「死にたい奴らはかかってこい! かたっぱしからみな殺しだ!!」

 これらはいずれも殺人鬼モード時の主人公のセリフだが,明らかにストレートに過ぎて,『アイリン』のそれとはキレが違う。コマ運び,ストーリー展開は巧みな作者だけに,作品における力点,支点が異なるのだろうと考えたい。
 そういう目で俯瞰してみると,高橋のシリアス作品には,名画面はあれど名セリフがない。セリフの吹き出しが1つもない作品すらある。
 今回お奨めする作品の主人公もどちらかというと寡黙だ。彼の名を夢幻魔実也という。

 実は,夢幻魔実也を主人公とする高橋作品には,3つの系譜がある。というか,作者の言によれば,夢幻魔実也は3人いるのだそうだ。
 すなわち,「怪奇編」や「外伝」に登場する,成人で無口で怪しい能力と独特の色気をもった魔実也(添付画像参照)。催眠術や精神感応などの特殊能力は擁するが,少年の顔をし,身勝手に猟奇的犯罪を嗤う「漫画少年版」の魔実也。体力勝負で探偵稼業にいそしむ,コメディというよりはドタバタスラップスティック,「アニメージュコミックス版」のマミヤ。

 いずれも読み物としては楽しいものだが,今回お奨めするのは「怪奇編」(「外伝」はその続編)。
 夢幻魔実也は大正から昭和初期とおぼしき日本の夜を跋扈し,たっぷりとスミを使った黒々としたタッチのコマの中で影から影へと悠然と漂う。彼は女たらしで人でなしで,その能力において超越的ではあるが無敵ではない。趣味において厳格ではあるが道徳的ではない。
 「怪奇」とはいっても,高橋作品の多くは楳図作品のような「怖さ」「気持ち悪さ」を提供してくれるわけではない。また,魔実也は事件を解決するのではなく,ただ傍観し,デカダンでディレッタントな味わいを与えてくれるだけ。この味わいを描くために大正から昭和初期を選ばざるを得なかったとしたら,現代とはなんとつまらない時代であることか。

 ところで,この『夢幻紳士 −怪奇編−』を,何マンガのイチオシと言えばよいのだろう。恐怖,不気味という点では先に述べた通り楳図にはかなわない。美麗? それもそうだが……烏丸としては,「リラクゼイション」という言葉に切り口を見出したい。日本人特有の下ぶくれの顔,和服の幽霊,メスに引き裂かれる白い首,はじき出る腸。そしてそれを前に退屈そうにマッチで煙草に火をつける。……ああ,なごむ。

先頭 表紙

かむい先生,高橋葉介について「初期は筆ペンで描かれた」という記述を2,3か処で見たのですが,「初期は」ということは,最近は違う,ということなんでしょうか? 「怪奇編」あたりは,輪郭線は細いなあと,本文では筆ペン云々には触れなかったのでありますが。 / 烏丸 ( 2000-10-02 15:16 )
わたくしは「マンガ少年版」のシリーズが,一番幻想的で好きでありまする。 / かむい ( 2000-10-02 15:03 )

2000-10-01 殺し屋マンガのイチオシ 『ゴージャス☆アイリン 荒木飛呂彦短編集』 荒木飛呂彦 / 集英社(ジャンプスーパーコミックス)


【わたし…… 残酷ですわよ】

 ケロロ軍曹の「第666野戦重砲マンガ小隊」へのつっこみ中,「怖さイチオシ,笑えるイチオシ,泣けるイチオシ,期間・年齢・状況限定イチオシなど,マンガだけでもいろんなイチオシがある」というようなことを書いた。
 もう1つの問題として,イチオシだからと一番と思われるモノをオススメしたってしょうがないということもある。ボクシングマンガなら『あしたのジョー』だねとか,お医者マンガなら『ブラック・ジャック』でしょとか言ったって,ソレダケではつまらんのである。もちろんそれらがほんとに一番かってこともあるけどさ。要するにマンガ好き百人にアンケートとって,そのジャンルでベスト3に入るものをそのまま紹介してもしょうがない。せめてなんらかの「読ませる」要素がほしいってこったね。そこで烏丸的には,読ませる努力より,ややマイナーな作品を選んで「知らないでしょ?」と紹介する姑息な手段に訴えたい。「知ってる」という人は,知らないフリをして読んでほしい。

 さて。今回は殺し屋マンガを考えてみた。一番有名なのは『ゴルゴ13』だろうが,さいとうたかをは漫画論の素材としてはともかく個人的にコレクションしたい作家ではない。で,迷ったあげく(ウソ。最初からこれを取り上げるためにうだうだ書いてるのね)選んだのが,この『ゴージャス☆アイリン』である。

 作者の荒木飛呂彦は言うまでもなく少年ジャンプの長期連載『ジョジョの奇妙な冒険』の作者。また,彼の初期のSFバイオレンス『バオー来訪者』はツウの間でかねて評価の高い作品だ。
 噂によると,『バオー』は不人気で打ち切りだったという。あんびりーばぼーだ。逆に『ジョジョ』は,人気連載を終わらせないでほしいと編集部が懇願したので,もともと別の作品にするつもりだったプロットをつないで連載を続けているという。そのためか,連載初期の「波紋の理論」の見事さが台無しだ。

 『ゴージャス☆アイリン』は,その2つの代表作の合間に書かれた,ある暗殺者の物語。単行本1冊にも満たない短編2編だけだが,メイクによってその性格はおろか肉体まで変えてしまう(変装ではない。なりきってしまうのだ)特殊技能を父親から受け継いだ少女,アイリン・ラポーナのダイナミックな存在感,それに劣らず強烈な敵の造型,思いがけない武器,そして肉弾戦に見えて実は丁丁発止と先読みを繰り広げる頭脳戦など,見所は実に多い。
 描線はデビュー当時だけにやや柔軟性に欠け,手塚治虫と原哲夫の中間くらいの手応えだが,烏丸としてはぐにゃぐにゃしすぎの最近の絵柄よりよほど好感が持てる。そしてそれ以上に魅力的なのが,随所にちりばめられた名セリフの数々だ。

 「あなた 動きをやめなさい」
 「わたし…… 残酷ですわよ」
 「くらえ! 刺青化幻掌(ファンターミイム・タトゥー)だッ!」
 「アイリン! 殺しのメイクアップ! 見せてあげます わたしの素顔を」

 これらのセリフの扱いからは,少なくともこの当時,作者・荒木飛呂彦がマンガの魅力において,動き→決め(のポーズ+セリフ)→動き→決め……という演劇的な流れを重視していたことがわかる。この「決め」への過剰な思い入れが,くどくなるぎりぎり手前の描線とほどよくバランスがとれた感じだ。

 何はともあれ,機会があったら一度手にとって読んでみてほしい。せめてあと数話書き続けられ,単行本1冊を満たしてくれていればよかったのに! と今さらながら願うのはこの烏丸だけではないはずだ。

先頭 表紙

アイリンの能力をもってすれば蘭子になりきるくらいわけなし。なにしろおばあさんのメイクをすれば,手もしわしわになってしまう。ということは浜崎のメイクをすればあゆになってしまうだろうし,サングラスを投げれば18キロからスパート,リボン結べば一本勝ちなのである。 / 烏丸 ( 2000-10-02 15:21 )
「ですわ」が琴線に触れたのですわ。 / こすもぽたりん ( 2000-10-02 00:46 )

2000-10-01 『東宝特撮映画ポスター全集』(全2巻) 朝日ソノラマ 宇宙船文庫


【男心がゴジラに燃えて】

 1960年代,当時小学生の少年にとって,東宝の怪獣映画はかけがいのない娯楽の1つだった。烏丸が生まれ育った市には映画館が4軒あったが,今では1軒も残っていない。そのくらい当時の生活に占める映画の比重は高かったのだが,その中でも男の子にとってゴジラ映画の魅力はケタ違いだった。封切り日に小遣い握りしめて東宝系の映画館に行くと,クラスの主だった顔がそろっていたものだ。いや,その前後も毎日学校帰りに映画館前に三々五々集まり,ポスターやスチール写真にうっとり見ほれたものだ。ゴジラ,ラドン,モスラ,キングコング,キングギドラ,ドゴラ,海底軍艦,バラゴン,サンダ,ガイラ,などなど。

 メカゴジラが登場したころから怪獣映画への興味はやがて薄れ,自分はそれを卒業した,と思っていた。ところが,1960年代の特撮映画は,後半の一部はともかく,けっこう大人の鑑賞にたえる出来だったのだ。
 1980年代,烏丸は毎週のように都内の映画館でオールナイト上映を楽しんだものだが,そこで久々に見る怪獣映画は予想以上によくでたものであり,見るたびに胸が熱くなった。その後平成ゴジラシリーズが新しく作られるが,そちらはどうにもおもしろくない。なにか,暗めのドラマを無理やり押し込み,特撮部分は逆にただ担当者のマニアックな技への嗜好が見えるばかりで,作品としては古いラインナップに到底及ばないのだった。
 また,古い怪獣映画を見る楽しみの1つには,1960年代,まだ「戦後」の臭いを残していた,懐かしいこの国の姿がかいま見られる,ということがあった。銀座の目抜き通りをミゼットや荷台付き自転車が走り抜け,悲鳴を上げて怪獣から逃れる市民のファッションは防空頭巾に柳行李。ギャングはピストルを手に「トランク一杯の5,000円札だぜ」とうそぶくのである。

 烏丸がオールナイトにいそしんだちょうどそのころ,普通の文庫本にまぎれて,文庫サイズの写真集やポストカード集が次々と発売され,ちょっとしたブームになっていたことがあった。篠山紀信のアイドル写真集だとか,ネコのポストカード集とか,そんなものだ。『東宝特撮映画ポスター全集』はそんな中,とくに騒がれもせずシレっと発売された。まったく,朝日ソノラマのやることはよくわからない。これだけの版権の手配をしておいて,すぐに在庫を切らしてしまうとは……。

 ともかく,このポストカード集は東宝のゴジラ映画,怪奇映画ファンにはたまらない資料である。なにしろ,戦前戦中の戦争映画から,初代ゴジラ,ラドン,モスラ,その後のお子さまランチ化した怪獣プロレス映画,一方地味ながらシブいSFホラーを描き続けた透明人間,液体人間,ガス人間,そして新しいものでは稀代のゲテモノ「ノストラダムスの大予言」,由美かおるの「エスパイ」,浅野ゆう子の「惑星大戦争」にいたる,東宝のあのラインナップのポスターが2巻で約60映画分,勢ぞろいしているのだ。巻末には簡単ながら各映画のスタッフもまとめられている。
 いずれもポストカードだから,切手を貼れば葉書になるが,誰が送ったりするものか。
 ああ,ぱらぱらとめくると,伊福部昭の音楽が心に響く。僕の中には地下から悪意をもって地上をうかがうバラゴンが,今でもうっそりと生きているのだ。

先頭 表紙

宇宙細菌(1mm!)をやっつけたあと,バラの花からひょいとセブンが顔を出す……。 / 烏丸 ( 2000-10-02 20:14 )
「悪魔の棲む花」でしたっけ? 敵はダリーでしたね。 / こすもぽたりん ( 2000-10-02 19:51 )
セブンにはまだ若い松坂慶子が「美少女」役で出てきますが,烏丸にはあれがどうしても美少女に見えません。 / 烏丸 ( 2000-10-02 19:35 )
「ウルトラQ」はなぜDVDで出ないのかなあ。ビデオでは全部持っていますけど、そろそろテープが駄目になるかも知れません。「ウルトラセブン」はテープが駄目になりそうなので、DVDを全巻買いました。もちろん、12話は入っていません。 / こすもぽたりん ( 2000-10-02 19:00 )
ポインターが走らなかったのは事実のようです。撮影後期にはほとんど走っている姿を見ませんよね。今度確認しておきますが。 / こすもぽたりん ( 2000-10-02 18:59 )
ちなみに,「出来不出来」ではなくインパクトとしては『「ウルトラQ」に必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ。』 でしょうか。 / 烏丸 ( 2000-10-02 16:40 )
ウルトラセブンといえば,あのポインター,クライスラーインペリアルを改造したものだそうですが,改造前が廃車寸前で,坂道など登れなかった,という話をどこかで聞いたことが。番組終了後は,どこぞの幼稚園に寄贈されたという話もあるそうです。ああ,そういう幼稚園に通いたかった。 / 烏丸 ( 2000-10-02 16:36 )
なるほど。烏丸さんがゴジラで心を揺さぶられるように、私はウルトラホーク1号で涙腺が緩んでしまうのです。 / こすもぽたりん ( 2000-10-02 16:16 )
最近はどうだか知らないけど,当時の東宝特撮オールナイトには奇妙な連帯感があって,たとえばラドンなどに当時亡くなった平田昭彦(オキシジェンデストロイヤーを作ったマッドサイエンティスト役)の名前がスクリーンに出ると,期せずしてあちこちからぱららと拍手が沸いたりしたものでした。池袋,浅草などで同じ顔に出会い,お互いに言葉を交わしはしないものの「や」「あなたも」「今夜は液体人間ですものね」などと目が語りあったりしたものです。 / 烏丸 ( 2000-10-02 15:26 )

2000-09-30 『ミカドの肖像』 猪瀬直樹 / 新潮文庫


【冬のノフラージュ】

 猪瀬直樹の著書では『日本国の研究』の不愉快さもなかなかだが,純粋な読書の楽しみとしてはむしろこちら,『ミカドの肖像』を推したい。

 丸の内のビルに高さ制限があるのはなぜか。それを規制するのは誰か。
 原宿宮廷ホームと時刻表を管理する者とは。
 西武グループはどのようにして皇族の土地にホテルを建てたのか。
 日本ではほとんど知られていないオペレッタ「ミカド」が欧米人にウケるのはなぜか。
 明治天皇の「御真影」はなぜ西洋人を思わせる風貌になったのか。

 近代日本と天皇制について,タペストリーのように仮説とドキュメントが織り重ねられ,猪瀬にとっての日本人の心象風景の中の天皇が明らかになっていく。

 本書における天皇制の把握には多々異論があるようにも聞く。そういうところもあるかもね,と思わないでもない。
 ただ,夕暮れの風の中に遠く名を呼ばれるような,本書独特の気配は捨てがたいように烏丸は思うのだが。

先頭 表紙

2000-09-30 『日本国の研究』 猪瀬直樹 / 文春文庫


【「なんじゃこりゃあ?」 瀕死のニッポン】

 文部省所管の財団法人「日本母性文化協会」の理事長が,核燃料の原料となるモナザイトを大量に所有していた事件は記憶に新しい。原子炉等規制法違反容疑での立件こそ見送られたが,同省は同協会に財団としての活動実態がないと判断,同協会の設立許可を取り消している。
 インターネット掲示板の流行り言葉で言えば
  「おまえモナーザイト」
  「逝ってよし」
な事件ではあるが,ここから何トンあそこから何トンと無造作に涌いて出るモザナイトの報道が一段落したとき,私たちはふと立ち止まらざるを得ない。
 「活動実態のないまま放置された財団法人。それっていったい何なのだ?」

 本『日本国の研究』は,『ミカドの肖像』で天皇制にまつわる日本のさまざまな姿を多面的に描いたジャーナリスト猪瀬直樹が,無数の公団や法人が「財政投融資」の名のもと,国民に寄生し,税金を食い荒らすさまを克明に暴いたものである。
 ただ,本書が烏丸お奨めの1冊かと問われれば,必ずしもそうではない。
 なぜなら第一に,本書は数字の引用が多く,登場する組織の構造も複雑で,およそ読みやすい本とは言えない。第二に,ごく当たり前に税金を払い,ごく普通に行政に期待する国民にとって,これほど不愉快でいまいましい本はなく,怒りと無力感に胃を痛めかねないからである。

 冒頭,読者はさっそく我が国の森林開発と林道建設について,さまざまな矛盾,自然破壊,際限なき税金の無駄遣いを知らされる。烏丸はたまたま大阪に向かう新幹線で本書をひもといたのだが,ものの15ページでビールが欲しくなり,50ページでビールでは足らなくなった。そのくらい腹立たしい実態が綿々と続く。

 「あとがき」で著者自ら述べているように,本書は立花隆の『田中角栄研究』を念頭において書かれたものだ。金権,族議員のチャンピオンたる田中角栄が,今となってはわかりやすい勧善懲悪の悪役だったのに対し,その後の官僚国家日本は不正を構造的に隠蔽する装置を備えた……これが著者の主張である。
 筆者は道路公団・住宅公団を例に,財政投融資とそれに寄生する公団の実態を,そしてさまざまな特殊法人,認可法人,公益法人の集まる「虎ノ門」こそが不正の伏魔殿であると告発する。

 昨日はそごうが,債権放棄による自主再建を断念し,民事再生法適用を申請,すなわち法的整理の道を選んだ。私企業に過ぎないそごうへの救済が不明瞭な政治論理でなく,裁判所のもとに進められる点は素直に喜びたい。
 しかし,日本を蝕み,税金を食い荒らす魑魅魍魎は,もはやそれが不正,腐敗であることすらわかりにくい複雑怪奇なシステムをもって,さらに迷走を深めている。その闇,牛乳工場のバルブの比ではない。
 現時点ではっきりしているのは,日本が国内総生産(GDP)に匹敵する500兆円の借金をかかえていること,そして結局それを賄うのは国民だということだけである。

先頭 表紙

というわけで、ヘンな経済書に走ってみました。 / こすもぽたりん ( 2000-10-01 18:25 )
えへへ,とりあえずほとぼりをさましてまたの機会に。 / 烏丸 ( 2000-10-01 12:53 )
ふ、粉砕などとそんなつもりでわっ! 死体や寄生虫ではつっこめないわたくし、経済ネタで喜んでつっこんでしまっただけでございます。ぜひ「政治経済シリーズ」を続けてくださいまし。 / こすもぽたりん ( 2000-10-01 11:38 )
うーむしかし,慣れない国際経済の本を数冊読んで,例によって新シリーズで「しったか」をきめこもうとした烏丸の試みは,それより数段的確なぽたりんさまのつっこみで粉砕されてしまった。急遽新シリーズを考えねば。明日の家庭サービスは,没かな? / 烏丸 ( 2000-10-01 02:35 )
そう,で,「よくわからん」というのは,「この先,それでどうするだ」みたいな。いやほんと,どうするんだろう。実は,烏丸は日本がどんどん追い詰められたときに,イギリスにおいてのパンクのような新しいムーブメントが起こるなら,それは見てみたい。というか,すごく楽しみなんですね。ここ数十年,世界規模で新しい&おもしろい思潮のムーブメント(シュルレアリスムとか,実存主義とか,構造主義とか,ロックとか)がないでしょう。でも,日本人には,どうかなあ。 / 烏丸 ( 2000-09-30 23:47 )
ODAや円借款としての他国への資金供与は、それがタイド(tied)であり日本株式会社の重要な経済活動の一環であるからやめられないのです。ODAについては、日本株式会社のえげつないやり方が批判され、最近はアンタイド(untied)になりつつあるようですが、そうなると引き続きタイド援助である円借款や特別円借款に商社が群がるわけです。タイド援助とは「援助はするけれども、そのお金の使い道は日本の指導に従ってね」というもので、実際には総合商社がその金を毟り取って行きます。結果として、安定した電力供給もない山奥にCTスキャナ付きの病院ができたりします。なぜ今、国のバランスシートが破綻しようとしているのに他国への資金供与をやめられないのか、という点については、膨大な不良資産を抱えつつも貸し出しを続けてついに瀕死になった(一部はとうとう死んだ)銀行と同じであると考えられるでしょう。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 15:38 )
ところで,日本は世界の中ではいまだに金を出す側の国であるわけです。そのあたりが,どうもよくわからない。さらにいえば,日本から金を借りてやっとしのいでいる国が,早くもっとたくさん貸さんかい,もちろん返すつもりはないけどな,みたいな顔をしている。ぜんぜんよくわからないのです。 / 烏丸 ( 2000-09-30 15:13 )
最近朝日新聞が「日本の借金500兆円突破」などと騒いでおりますが、負債側だけを取り上げて騒ぐのはいかがなものか。貸借対照表は資産側、負債側の両方から論じなければ意味が無いと思うのです。結論から言えば、日本の資産は順調に目減りしていますので、このまま行けば朝日新聞の主張する方向に行ってしまうわけですが。それは負債が大きすぎるからではなく、負債に見合うだけの資産が無いから危ない、と書かなければ片手落ちだと思うのです。でも、新聞の経済部の人たちは驚くほど経済のことを知りませんから、仕方ないか。「いやあ、こないだまで支局にいたもんで、何も知らなくて」とか頭を掻きながら平気で言いますからねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 13:15 )
私企業そごうが謎の救済策でなく法的整理となったことに関しては、モラル・ハザードの危険性がありましたので結構なことであったと思います。しかし、この民事再生法という法律、これまでの会社更生法による再建や裁判所への和議の申請に比べて、いささかお手軽な「ケツまくり」を許しているような気がしてならんのですわ。ちょっと会社が苦しくなったら民事再生手続きをして借金棒引き、でも営業は継続。この際に株主責任と経営責任をちゃんと追及できるのかどうかが気になるところです。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 13:10 )

2000-09-29 『死刑執行人の苦悩』 大塚公子 / 角川文庫


【法の無情】

 最初にお断りしておくが,烏丸は死刑廃止について“ほぼ”ニュートラルな立場にいる。廃止すべきか存続すべきか,正直,判断できていない。

 本書は,実際に死刑に携わった刑務官(OB)を訪ね,その思いを問う。囚人の更生のために働いているつもりでいたのに,ある日,執行命令のもとにロープを用意し,レバーを引き,死体を片付けさせられる。家族にも言えない,そのつらい思い……。解説の佐木隆三ら,死刑廃止を唱える人々には我が意を得たりの1冊なのだろうと想像される。しかし,ニュートラルな立場の者には,ギアを変えるきっかけにはならない。
 なぜなら,執行がつらいことと,死刑はいかんということは別問題だから。自動車が交通事故の危険を供なうことと,自動車販売をやめようということは,同じ水平線にはない。矛盾やジレンマのない仕事などないのだ。まして服務規定に「死刑の執行をする」がないのにその仕事をしなければならない……などというのは,職業選択者として不勉強なだけだ。

 著者は,取材した刑務官は誰もが死刑廃止を主張した,という。当たり前だ。この国で,直接囚人をくびり殺した者が「あんな連中ばんばん死刑にしたったらええんですわ」などと口にしたら「村」でどんなめにあうか。マイクを向けられた時点で一方向の回答を強制されているようなものだ。だからこの表現はフェアではない。
 また,再三言われる,死刑囚が「死刑確定後はまるで生まれ変わったような立派な人間になって」和歌の才能を発揮したり,見事な絵を描いたり,小説を書いたりというのも,だから何,と思う。ごく普通の人間は,貧しく生まれようが障害があろうが,踏みとどまって一生を負える。和歌や絵画を楽しむ余裕のない一生だって多い。他者より我慢できなかった者が死刑が確定して初めて神妙になった……つまり,彼らが生まれ変わったのは死刑という制度があったからこそ,ということをこの文章は逆に示してはいないか(さらに,性的暴行犯については,一見生まれ変わったように見えても再犯率が低くないという説もある)。

 死刑廃止論者の,人の命は地球より重い,とか,ヒットラーにも基本的人権はある,とかいう理屈はよくわからない。彼らに生存権があるというなら,彼らにむしられた生存権との経済バランスはどうなる。
 そもそも,人命が地球より重いなどというのは生命尊重のスーパーデフレである。それならイヌ,ネコ,ウシ,ブタの命も地球より重いし,サナダムシやエイズウイルスの命だって重い。霊長類などとエラそうにしているが,ヒトとは進化の1本の枝でしかなく(社会性のある生物は少なくないし,言葉,道具を使う生物だっている),地球規模ではほかのあらゆる生物より迷惑度が圧倒的に高い。なにを思い上がっているのか,と思う。

 本書は「生命というものは,本当に尊いものだ。どんな生命も,生きている限り生きるべきだと思う。」と記して終わる。本当にそう思うなら,牛肉,豚肉を食べるのは今すぐやめるべきだ。都合と方便だけでこんな重いことを書いてはいけない。もしくは,なんら悪いことをしていない子供たちの生命が銃火に,飢えに,病気に脅かされていることのほうを優先して騒いでほしい。

 もう一点。本書に限らないが,死刑囚だから,障害者だからとその作品(絵画,小説,作曲など)を必要以上に称えるのはいい加減やめよう。ニュートラルな目や耳で判断すれば,それらの大半は児戯に等しい。作者の背景で価値を云々するのは,文学や音楽に対して失礼なだけだ。

先頭 表紙

今朝,テレ朝で捕鯨問題やってたみたいなんですが,見逃してしまいました。アメリカがまた急に言ってきてるみたいですね。経済制裁も辞せず,ってさすが正義の国。鉄砲片手に保安官だわ。 / 烏丸 ( 2000-10-01 12:55 )
友人がアニサキスをくらったのですが、あれは胃カメラで取るんだそうですね。胃カメラのモニタを見ていたら、胃壁に頭を突っ込んだアニーがちゃんといたとか。しかし、胃カメラというのは苦しく情けないものですなあ。一度だけやったことありますが、涎垂れ流しで苦しい。なんか死刑の議論から逸れてしまってすんまそん。 / こすもぽたりん ( 2000-10-01 11:41 )
せ,専門領域って,たかだか本を数冊続けて読んだだけですがな……。これで専門家をきどったら,バチが,いや,ジストマがあたる。それはともかく,海の生物,サカナやクジラは,もう寄生虫まみれらしいんですね。でも,たとえばブリの筋肉中にいるやつとかはそのまま食べてもおっけーとか,必ずしもヒトによくないわけではないみたいです。アニサキスも,胃の壁に頭つっこむので「いででいでで」とはなりますが,たいていはそれでおしまいで,すぐ消化されてしまうみたいですよ。 / 烏丸 ( 2000-10-01 02:32 )
関係ないですが、反捕鯨のお陰でクジラが増えてますね。その恩恵を被って爆発的に増えているのがアニサキスなんだそうですね。このあたりは烏丸さんのご専門領域ですが。アニサキスはクジラの胃袋が一番居心地がいいのだとかで。ああ、書いていて鳥肌が立ってきた。気をつけましょうね、アニサキス増えてますから。サバ、タラ、イカ、サケあたりでしたか? 危ないのは。 / こすもぽたりん ( 2000-10-01 00:40 )
なるほど、おっしゃる通りです。要は「オリビアという特定の個人が間抜け」ということではなくて、他の生物を食べて生きていかざるをえない人間が「エコロジー」の類の概念を強く主張する行為には根本的に矛盾がある、ということでしょうか。イスラムとブタに科学的根拠があったとは知りませんでした。うーん、いつもながら勉強になります。 / 美奈子 ( 2000-10-01 00:14 )
オリビアが間抜け,ということはないんだと思います。環境とか,なんとか権とか,そういうのに強く口をはさむのは,別の角度からみればどうしてもそうなるという例でしかないと思います。というのは,その手の問題は,かならずなんらかの矛盾はあるからです。たとえば,酸性雨と森林保護の問題を騒ぐ人だって,自家用車でアイドリング,絶対やってないか? というような。クジラは頭がよくてかわいいのいに,という連中に,ウシ,ブタはなんでいいのか,と言っても,通じないでしょう。ちなみに,イスラムがブタを食べないのは,ブタの寄生虫が怖いから,という科学的根拠からだったのだそうです。こういうのはまあ,よいな。 / 烏丸 ( 2000-09-30 23:44 )
五輪イベントに登場してオーストラリアでは人気再沸騰のオリビアが、そんな間抜けな人だったとは! 豪州のニュースでは、グリーンピースが日本の捕鯨船に派手に抵抗する映像が延々と流れることもあり、げんなりしてしまいます。こちらの人とこの手の話題になると、相手がどれほど冷静に聞いてくれるかと顔色を見ながら「日本人にとっての鯨はイヌイットにとってのアザラシのような存在で、捕獲したものは隅々まで無駄なく使ってきたんだよ」などと説明するのに神経を遣います。 / 美奈子 ( 2000-09-30 22:15 )
「自然を取り戻す」という言葉は烏丸的には欺瞞です。「人工」が自然の反対語であるわけはなく,ヒトが工場や自動車のばい煙で地球を破壊しているのは,シロアリが塚をたて,金魚がフンをするのと同様,自然な営みなのです。自分たちが可愛い,自然だ,と思うものだけ保護しよう,酸性雨,環境ホルモンのない自然を取り戻そう,なんていうのがすでに傲慢なんですよね。その「人間は他の生物をおしのけて生存している生物」であるという「業」をふまえるのが第一でしょう。そうでないと,自然を大切にするなら,おとじろうさん,肉を食えません。 / 烏丸 ( 2000-09-30 15:23 )
どうも,「権」の拡張を主張する一派には,各自の「権」が拡張したら隣の「権」とぶつかる可能性が高まるという問題に目をつむる傾向が多く,困ります。未成年だから保護,というなら,少年たちが成人よりほかの何かを我慢しないとバランスがとれないのです。教師から体罰も受けない,おやじから説教も受けない,なら,自分の尻は自分でふかなければ。それが責任というものです。これと同じく,万人に等しく基本的人権,生存権があってそれがなにより大切,というなら,そのルールを破った殺人こそは地球より重い厳罰をもって処すべき,という理屈だってスジの通った理屈です。死刑廃止論者が,「死刑は国による殺人である」というなら,個人による殺人だって今以上に抑止され,とがめられねばならない。 / 烏丸 ( 2000-09-30 15:16 )
もちろん,死刑廃止論者も被害者のことを話題にはするわけですが,多くは「被害者の遺族でありながら,死刑廃止を願う人々がいる」という持ち込み方になるわけです。そういう遺族がいるのは事実でしょうが,「ただの死刑ではあきたらない」「犯人が憎い,100回死刑にしても娘は戻ってこない」といった憤りの声には目をつむるわけです。そもそも,殺され,生存権を奪われたのは被害者当人であって,その無念のすべてを遺族が代弁できるというのも妙な理屈です。 / 烏丸 ( 2000-09-30 15:11 )
私もニッポニア・ニッポン、トキの飼育には矛盾を感じます。トキを飼育して、自然に帰して、トキがまた自然の中で生息できると思っているのでしょうか。自然環境が破壊され、トキが餌としているものがなくなったために、トキは絶滅の道を歩む結果となった、とテレビで見ました。トキの数が増えても、餌がなかったらまた絶滅してしまう。自然環境を改善せずして、狭〜い箱の中でただ生かしているだけの保存って意味ないと思います。まずは、自然環境を破壊してしまったことを反省し、元のような自然を取り戻す努力をしてほしいと思います。そうしたら、必ず生き物は戻ってくると思います。絶滅したものの蘇生はもうないですけどね。 / おとじろう ( 2000-09-30 13:00 )
オリビア・ニュートン・ジョンは大笑いでしたね。ファッションでエコロジーを語る前に人間の業の深さとよく見つめなおして欲しいものです。「賢いイルカやクジラを殺すような日本には行きたくなああい」などと毛皮を纏って言うなど自己矛盾も甚だしい。反エコロジーを唱え「その程度のお綺麗で私の曇った心を洗い流せると思うな! アマゾンぬるし!」と叫ぶサイバラの方に共感できるのは、彼女が「まず人間そのものが反自然であり、生きるということ自体が業の深いものである」ということをよく認識した上での発言だからだと思うのです。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 11:24 )
トキには、日本人の国民性が凝縮していますね。中身の斟酌はなく、見てくれの帳じりが合っていればよいという。それを、そろいもそろって日本のマスコミが疑いもなく報道する。それから、死刑廃止論者達に決定的に欠落しているのは、被害者への人権への配慮です。 / 口車大王 ( 2000-09-30 03:21 )
あ,エコロジーといえば,トキ(ニッポニア・ニッポン)は滅んだのに,中国からもらってきて卵を生んだと喜んでいる。両親とも中国産なのです。これはつまり,自分たちの代で滅ぼした,という責任をとろうとしていないだけ。はっきり言うべきです,日本人はニッポニア・ニッポンという名の美しい鳥を絶滅させてしまったのだ,と。 / 烏丸 ( 2000-09-30 01:09 )
死刑廃止論者の言葉も似たようなとこがあって,たとえば,アンケートで死刑賛成が多かったのはM君事件の後を狙ってアンケートしたからだ,ということが書いてある。でも,それは逆にいえば国民の多くが凶悪な犯罪者についてリアルに考えたとき,死刑も辞さずと判断したことでもあります。要するに,そんなふうな都合のよい読み方ばかりするように見えるから,信用できない。 / 烏丸 ( 2000-09-30 01:06 )
大昔,オリビア・ニュートンジョンが日本にわざわざ捕鯨反対と言いにきて,ところが彼女が毛皮のコート着て飛行機から降りてきたもんだからブーイングの嵐で黙ってしまったというのを思い出します。クジラはもうあきらめてもよいとは思うんですが,その身勝手さは考えてほしい。そもそも,日本に開国を求めてきた黒船は,クジラを,食うためでなく脂をとるためだけに殺しまくっていたわけで。 / 烏丸 ( 2000-09-30 01:02 )
文明を捨てられないくせにエコロジーを唱える人々には全く共感できないのと同じだと思うのです。自然を守れと叫ぶなら、そのほとんどが自然を破壊することによって作られている電気をまず捨てて欲しい。煌々と灯りをつけエアコンを効かせた部屋で語られるエコロジーは空虚です。ハンバーガーを食べながら「イルカを殺すな! クジラを殺すな!」と感情的になる環境保護団体と一緒で。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 00:28 )

2000-09-29 知らないと損をする寄生虫シリーズその3 『おはよう寄生虫さん 世にも不思議な生きものの話』 亀谷 了 / 講談社+α文庫


【回虫はコスモポリタン】 ← ぽたさまにいぢわるしてるんじゃないのよ。本当にそういう章があって……って,わざわざそんなこと書くあたし,もしかしていぢわる?

 著者の亀谷了先生は,世界でただ1つの寄生虫専門博物館にして一部アベックのカルトなデートスポットとしても知られる(本当)「目黒寄生虫館」の館長であらせられる。1909年のお生まれだが,いつまでもお元気で,と,烏丸,心よりお祈り申し上げる次第である。
 著書にはこのほか文藝春秋から発売の『寄生虫館物語 可愛く奇妙な虫たちの暮らし』など多々が,ここでは手軽な文庫本をご紹介しよう。紳士淑女のたしなみとして,バッグにはいつも寄生虫本を持ち歩きたいものである。

 先に紹介した藤田先生の著作に比べると,『おはよう寄生虫さん』にはストレートな文明批評があるわけではない。ただ,古今東西,ヒト,イヌ,ネコ,ウシ,クジラ,サバなどにつく寄生虫を集めて集めて集めて集めて集めて集めて集めまくった話が並んでいる。文字通り博覧的である。亀谷先生の筆が寄生虫に対する愛情に満ちているため,それほど気持ちが悪いわけでは……うんにゃ,やはり読み手次第だろうか。少なくとも烏丸は「ほほうほう,ひやひや」と楽しく感動的に読めた。

 条虫(サナダムシ)の一種は,虫卵が宿主の糞便と一緒に川に流れ込み,ケンミジンコというプランクトンの一種に食われる。そしてこのケンミジンコを食ったマスに入り込んで幼虫となり,そのマスを生のまま食べたクマやヒトに侵入して腸壁に吸着し,成長して親虫になり,卵を排出する。
 一方,肝硬変を引き起こす恐ろしい肝吸虫(肝臓ジストマ)は,貝(マメダニシ),淡水産の川魚(モロコやタナゴ)を経てヒトに移る。
 また,甲府盆地のデルタ地帯や広島県の芦田川上流で腹に水がたまって死ぬ風土病があったが,その原因となった日本住血吸虫は排出された卵が水中で宮入貝に侵入,そこで形を変えて再び水中に遊出し,これにふれた宿主の皮膚から体内に侵入する。
 つまり,多くの寄生虫は,虫卵が一度は宿主の体外に排出され,一種類ないし二種類の中間宿主を経て,再び新しい宿主の体内にもぐりこむ。
 また,子供に多い蟯虫(ギョウチュウ)では,虫卵が口から入ると腸にいたって幼虫になり,盲腸の部分で成長し,夜,寝ている間に肛門から外に出て産卵する。子供が無意識に指でかくので,卵が子供の爪に入り,翌朝にはまた口に入る。幼稚園で子供のお尻にテープを貼るのは,この蟯虫の検査である。

 これら寄生虫の生態の,なんと複雑にして精妙なことか。たとえば日本住血吸虫は,宮入貝以外の貝を調べても発見できないのである。正直,うろたえてしまう。突然変異,有利なほうが生き残る,という進化論の図式でこれらが説明できるのだろうか。

 ところで,『おはよう寄生虫さん』には,科学博物館の岡田要先生がウシの胃袋に寄生する双口吸虫を指差し「コイツはうまそうだ」と言ったという話が書かれている。大豆ぐらいのクリクリした虫らしい。
 一方,藤田先生の『空飛ぶ寄生虫』では,群馬大の鈴木守先生が「藤田は教職員が帰った後に双口吸虫をそーっとビンから出してうれしそうに一人で食べている」とデマを流した,という話が載っている。
 寄生虫学者の間で,この双口吸虫がいかに美味しそうに語られているか,想像できるというものである。おそらく,実際に口にした学者も一人や二人ではないのでは……うぇ。

 というわけで今回の寄生虫談義はここまで。ごカイチュウ……もとい,ご静聴ありがとう。

先頭 表紙

沢蟹だけでなくモズクガニもですか! モズクガニは川で採ってたまに食べます。もちろん茹でてですけど。 / こすもぽたりん ( 2000-09-30 00:29 )
あ,それからカニで怖いのは肺ジストマですね。サワガニ,モズクガニだそうです。 / 烏丸 ( 2000-09-29 16:07 )
お握りばかり食べていると脚気になって,これはこれで江戸時代にはたくさん人が死んだ怖い病気なんですな。 / 烏丸 ( 2000-09-29 16:02 )
蟹で怖いのはジストマでしたっけ? あれは沢蟹だけ? 聞いてばかりいずに読め!というお叱りを受けそうですが、これ読んだら何も食べられなくなりそうだなあ。ダイエットにはよろしいか。コメ好きの私としては、お握りだけあればいいんですけどね。裸の大将みたいですが。 / へ、兵隊の位で言うと、ぽ、ぽたりんくらい ( 2000-09-29 15:49 )
蟹のお店も,料理に火が通っているからと安心はできないようです。蟹をさばく段階で,生ものと同じ包丁を使ったり,サラダにかけらが飛んだりすると感染しかねない。サナダムシ,カイチュウ,ギョウチュウなど,老舗の寄生虫はかなり安全なようですが,新参者,それから海外でうつるものは怖そうです。あと,他の本来他の動物に寄生するものがたまたまヒトにくると,怖いみたいですね。ただしい寄生場所(その動物の腸など)を求めて身体中をさまよい,脳や目にいくためです。今回,もっと「怖いぞ怖いぞ」本もあったのですが,それはそれとして。 / 烏丸 ( 2000-09-29 14:59 )
それにしても、今の無農薬野菜ブームは「喉元過ぎれば熱さを忘れる」なんじゃないかなと危惧しているのです。確かに今の農薬には危険なものもあるわけですが、なぜ人は農薬を使い出したのかをちゃんと考慮しないと、また寄生虫禍がやってくるのではないかと。最近マスの刺身を出す店を見かけますが、締めてない生のマスを食べるのは抵抗がありますね。あと、熊とか蛇もですね。滅多に食べないけど。 / こすもぽたりん ( 2000-09-29 14:24 )
残念ながら私は回虫もギョウ虫も貰ったことがないのですよ。だからガキの頃から花粉症でした。東京医科歯科大学の先生が「これは花粉症というものなんだよ〜」と世に知らしめてくれるまで、私は毎春先生から「お前は根性が足りんから風邪をひくのだ」といぢめられていました。 / こすもぽたりん ( 2000-09-29 14:24 )

2000-09-28 知らないと損をする寄生虫シリーズその2 『空飛ぶ寄生虫』 藤田紘一郎 / 講談社文庫


【コブが消えて,動いて,また,出現する……】

 『笑うカイチュウ』の続編である。主に国内を舞台とした前作に比べ,世界をまたに寄生虫を追い求める藤田先生のペンはさらになめらかだが,笑いの中に語られる批評は重い。

 本書では,カイチュウやサナダムシといったおなじみの寄生虫はあまり姿を現さず,おもに海外で伝染する恐ろしい病気が次々と紹介される。
 それに対する予防は難しく,治療もまた難しい。現在世界でもっとも普通の病気といわれるマラリアは,ハマダラカがヒトを吸血する際にマラリア原虫がヒトの体内に入り込む形で感染する。しかし,そこまでわかっていながら,現在の医学ではワクチンが作れない。体内に入ったマラリア原虫が,ヒトの細胞の中に入り込んでしまうからだ。世界中で莫大な費用をかけて研究されているにもかかわらず,いまだこれといった予防策はなく,藤田先生も親しい友人をマラリアで亡くして涙する。
 本書では,他の寄生虫が介在することで,マラリアに感染しない,という別の角度からの予防法の可能性が示唆される。

 あらゆる生物同様,寄生虫のレゾンデートル(存在意義)は「種の保存」にある。だから,寄生虫たちは想像を絶するあの手この手を用いて宿主の体に入り込み,その宿主の免疫防御機構をくぐりぬけて生存を続ける。その際,宿主が感染症によって急激に倒れてはもともこもないわけで,寄生虫病は慢性的に表れて進行する。そして,(ここが凄いところだが)自分より遅れて入ってくるモノには,宿主に防御反応を起こさせるように仕向けるのだそうだ。

 そして,寄生生物の進化適合は早い。だから,多くの寄生虫は宿主を殺さないよう穏やかな「共存」を目指して進化していく。藤田先生は,あのエボラ出血熱ウイルスも,ヒトに排除されるか,適合するか,どちらかの道をたどるだろう,と予言する(ただし,ヒトに排除されるとは,病原体がきわめて強い伝染力を持って宿主たるヒトをすべて殺してしまう場合も含まれる)。
 現に,ミドリザルのエイズウイルスは,適合してしまってミドリザルではエイズの症状を引き起こさないそうである。

 しかるに昨今の日本は,過剰な潔癖症ともいうべき状態にあり,抗生物質の乱用,抗菌グッズなどの氾濫などのため,本来なら穏やかに適合していったはずの一部の大腸菌が生き延びるために赤痢菌の仮面をかぶって食中毒の症状を起こすようになった……それが「O-157」だ,というのである。
 もっとも,だからといってエイズやエボラ出血熱がはびこり,進化するに任す,というわけにもいかないとは思うのだが……。

 『笑うカイチュウ』や『空飛ぶ寄生虫』は,寄生虫を題材にしたエグいお笑いエッセイとして読み飛ばすことも可能だ。しかし,文化と自然について考え,生活を省みる機会を与えてくれる1冊であることは間違いない。少なくとも本を読んで寄生虫に感染するわけではないので,食卓に1冊,いかがであろうか。

先頭 表紙

……と,本文はいちおう絶賛気味に書いておいたが,この人,じゃっかんソコハカトナク「とんでも」の臭いがする(単なるロマンチストなだけかもしれないが)ので,全面的に信用するのはちゃんと自分の目と腸で確かめてからにしましょう。 / 烏丸 ( 2000-09-29 00:05 )

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