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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-09-10 『たまらなく怖い怪談 身の毛がよだつ実話集』 さたな きあ / KKベストセラーズ ワニ文庫
2006-09-04 『百物語 第五夜 実録怪談集』 平谷美樹・岡本美月 / ハルキ・ホラー文庫
2006-08-31 『怖い本(6)』『「超」怖い話Θ』『ゆるしてはいけない』『東京伝説 渇いた街の怖い話』『いま,殺りにゆきます』 平山夢明
2006-08-20 続・夏の甲子園
2006-08-14 夏の甲子園
2006-08-01 クポ? パコン クハ〜ッ 『カッパの飼い方(7)』 石川優吾 / 集英社ヤングジャンプ・コミックス
2006-07-20 〔短評〕最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』
2006-07-12 オカズいっぱい イベント多すぎ 『マンホール』(全3巻) 筒井哲也 / スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス
2006-07-06 折り鶴に代えて 「宇宙人 王貞治」 作者不明 / 掲載誌不明
2006-07-05 手に負えていない 『街の灯』 北村 薫 / 文春文庫


2006-09-10 『たまらなく怖い怪談 身の毛がよだつ実話集』 さたな きあ / KKベストセラーズ ワニ文庫


 採話であるか創作であるかを問わず,怪談の編著者には当人なりの生理的な嗜好があるようだ。

 「さたな きあ」(奇妙なペンネームだ。由来はわからない)の場合,たった今何もないと確認したばかりの空間(ロッカーや保冷車の中)にもやもやと人の髪の毛や顔,腕が見えてくる,というのがお好みのようだ。全体に「もやもや」「髪の毛ずるずる」系である。

 もう一つ顕著なのは,登場人物に神経症の傾向があるなら説明がつくというタイプの話だ。

 たとえば巻頭の「猫が…いる」。
 自宅の内,外にいもしない猫の声を聞くようになった夫。それはだんだんエスカレートして,トイレの便器に多数の猫の首を見るにいたる。
 ここまでなら,疲れた夫の幻聴,幻覚であり,怪談にするよりまずカウンセラーを奨めるべき話にすぎない。この「猫が…いる」で本来最も怖いのは,それを語る妻の衣服から猫特有の匂いがするという後日譚だろう。ところが,著者はどういうわけかそこを素通りして「夫を案じていた夫人の耳にもまた,猫の声が執拗に聞こえ始めていても,おかしくないように思う」などという,なんだかとんちんかんな感想で幕を閉じる。
 違うだろう。これではまるで怖くない。まさかとは思うが,猫の気配や声,姿に翻弄される夫のばたばたした立ち居振る舞いや悲鳴,それをこの怪談の本領ととらえているのだろうか。

 あるいは,ある病人がてるてる坊主を怖がることから書き起こされた一編。
 古いアパートの一室に捨てても捨てても現れる,髪の毛のからみついた櫛。これだけで十分怖い話になりそうなものを,わざわざてるてる坊主嫌いにまで引っ張る必要などあったろうか? ましてや「あの部屋にはつまり,なんていうか,先客がいたってことなんだろうな」「たわごとと思うか思わないかは,あんたの自由だけどね……」などという余計なセリフを付けてまでページを増やす必要はなかった。

 なかには深夜まで浴槽を洗い続ける隣室の中年女など,料理の仕方次第でかなり怖くなりそうな話はいくつもあるのに,余計な演出とセリフでただ大仰な話にしてしまう失敗が繰り返される。
 いや,そういう大味な話術を好む読者がいるのなら,それを「失敗」というべきではないのかもしれないが……それでも。

 たとえば,「四角い箱のなかで 保冷車の場合」の一節はこんな具合だ。

 「白い腕が──髪の下から,ずるっと出てきて──ひっ! なにもなかったのに──どこから,こんなっ。ヒヒッ! かっ,顔が──ひいっ。こっちを向いてる! ヒッヒッヒ! 顔がっ!!」

 これはこの話で一番怖いはずのシーンなのだが,鳥肌より先に笑いが漏れてしまう。

 先にも書いたとおり,十分怖い怪談になりそうな素材が数編あるだけに,惜しい。

先頭 表紙

「おじゃる丸」の犬丸りんが飛び降り自殺って……。うう。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-09-11 12:00 )

2006-09-04 『百物語 第五夜 実録怪談集』 平谷美樹・岡本美月 / ハルキ・ホラー文庫


 平山夢明の怪談は「実録怪談」,つまり知人か,せいぜいその知人の家族,友人に取材して採話した心霊体験──ということになっている。だが実際どうだろうか。

 たとえば初期の『新耳袋 現代百物語』と平山の編著作を続けて読むとすぐわかることだが,平山はいかにもの「こしらえ話」が混ざることをとくに気にかけない。ルーズな商業主義とかんぐってみたが,そういうわけでもなさそうだ。
 おそらく平山にとってよい怪談かどうかのポイントは,それが「実話」かどうかにはなく,(当たり前だが)それが本当に「怖い」かどうかにかかっている。実録,実話風であることは,こしらえものより怖く読ませるための手法に過ぎない。
 だから,平山のテキストは余計なことには拘泥しない。すべてのセンテンスが短く切りまとめられ,静々ドスンとピュアな恐怖を描いてさっくり撤退する。読み手は怪異の隣に放置されたままである。

 平谷美樹『百物語 実録怪談集』は,様式において,同じハルキ・ホラー文庫の平山夢明『怖い本』に非常に近しい。実録怪談をうたっていること,一編一編が短く,余計な因縁や訓話を持ち出さないこと。いずれも神経の領域で怪談を扱って完結している。
 その試みはおおむね成功しているし,編著者が手馴れることによって,この『百物語』は初期より徐々に品質が向上している。

 ただ……一冊通してみると,やはり平山『怖い本』に一日の長を認めざるを得ない。
 決して,取材・採話した怪談に差があるわけではない──おそらく。『百物語 実録怪談集』と『怖い本』の取材先は,母集団がかなり近いのではないか。波の中に浮かぶ顔など,似た設定,似た怪談も少なくない。

 だが,いつどこで語られているかを感じさせない平山怪談のクールさに比べて,『百物語 実録怪談集』は,微かに古い畳の仏間で語られる風情を残している。甘いと言ってしまうと酷だろうか。数編,数十編に一度にせよ,「当たり」にめぐり合ったときの平山の,言うなれば野生の黒豹が獲物にめぐり合った際の生々しい「舌なめずり」,艶めかしい「小躍り」にあたるものが平谷の編著作には欠けている。

 その代わり,平谷のテキストでは,心霊現象に対して「その場に居合わせた者」「見てしまった者」へのシンパシィが各編に薄くかかり,それが怪談らしからぬぬくもりをかもし出している。さらにはゆがみ,うごめく「その場に現れる者」たちへの慈しみ,哀れみさえも。こういった情緒はただ恐怖のみを追うには余計かもしれないが,それはそれで,悪くない。

先頭 表紙

2006-08-31 『怖い本(6)』『「超」怖い話Θ』『ゆるしてはいけない』『東京伝説 渇いた街の怖い話』『いま,殺りにゆきます』 平山夢明


 ドアを一歩出るとどんと熱の壁にあたる。日陰を抜ける風さえ重く汗が吹き出る。
 ……そんな“真夏”を感じることのほとんどないまま8月が去ろうとしている。
 それでも,今年の夏もやはり怪談本は読んだ。昨夏は少し文藝,民俗学の色合いの強い中公文庫が多かったが,今年は正面から「実録怪談」モノ中心だ。

 『怖い本(6)』 平山夢明 / ハルキ・ホラー文庫
 『「超」怖い話Θ』 平山夢明 編著 / 竹書房文庫
 『ゆるしてはいけない』 平山夢明 / ハルキ・ホラー文庫
 『東京伝説 渇いた街の怖い話』 平山夢明 /竹書房文庫
 『いま,殺りにゆきます』 平山夢明 / 英知文庫


 「実録怪談」といえば,昨今のブームは木原浩勝・中山市朗が採話した『新耳袋 現代百物語』が嚆矢とされているが,『新耳袋』そのものは自ら課したルールに自ら身をすくませた印象で,後半は自在に「怖さ」を輻射する力を喪ってしまった。

 現在,「実録怪談」を編ませて一番怖いのはこの平山夢明だろう。それが実話であるかどうか(少なくとも語り手が事実と信じているかどうか)など,理屈に降り立つことなく,ただただ怖い。

 深夜,リビングで一人読んでいると,隣の和室でみしりと音がする。洗面台のほうで歯ブラシか何かが倒れる。エアコンの風にテーブルの白い紙が静かにすべる。
 これではかなわないと家族が寝ている二階にあがり続きを読もうとすると,足元の押し入れが少し開いている。階下の玄関から階段をうかがう気配がある。天井が鳴ってその板の木目が目に見える。

 『怖い本』『「超」怖い話』はいわゆる怪談,心霊モノ。『ゆるしてはいけない』『東京伝説』『いま,殺りにゆきます』はストーカーや隣人の狂気など,人が壊れる話,壊された人の話。友人とマンションに帰ったら,ベッドの下にナイフを構えた男がいた……などという都市伝説系のエグい話は後者のほう。

 どちらが怖いかは一概にはいえない。心霊譚は確かに怖い。大半がよくできた作り話でも,1冊に1つホンモノがあって,それを読むことで何かを招いてしまったら……という怖さがある。後者のゲテモノ度合いも半端ではない。ふられて逆ギレして,といった程度の話ならともかく,いきなり拉致監禁され,縛られて歯を一本一本抜かれた女性の話,神社の階段でいきなり突き落とされ,骨折して血まみれになったところの写真を送りつけられた話,マンションで突然上の階からテレビが降ってきて自分の名前が書いてあった話……のようなものをいくつも読んでしまうと,被害者に感情移入しての怖さと同時に,どこかで自分の中のバネが音を立てて折れる恐怖がある。

 後書きなど読むと編者は締め切りには相当ルーズな様子だが,それにしても数社を股にかけてのバイタリティには驚く。文体は木原浩勝よりやや艶があり,センテンスが短い。そして話そのものも大半が短い。
 始まるとすぐ,後ろを振り向けなくなり,終わるころには顔を上げることもできなくなる。

先頭 表紙

強奪されたムンクの「叫び」「マドンナ」が発見されたらしい。よかったね。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-09-01 11:56 )

2006-08-20 続・夏の甲子園

 
 打撃戦というより乱戦の多かった今大会だが,今日の決勝は見どころの多い,いい試合だった。
 延長15回,1対1の引き分け,再試合。

 とくに,2連覇を達成,3連覇に挑みながら,一昨年決勝の済美戦を除き,とくに強豪との厳しい試合の印象のない駒大苫小牧にしてみれば,これで本当の意味で球史に残る強いチームとして記録にも記憶にも残るチームとなれたのではないか(2連覇を達成したチームに失礼な話だが,どうもクジ運や日程に恵まれ,相手の乱調のうちに勝ってきた印象が強い。今大会も,春の決勝を争った横浜,峰清,また大阪桐蔭,八重山商高などの優勝候補,話題高と当たらず,日程も早稲田実業に比べると余裕があった)。

 その駒苫の田中だが,プロ注目というわりに速球,スライダーに目を見張るほどのキレがなく,失点も多い。この大会のエースとしての視線を早実の斎藤にすっかり奪われた感じだ。今日も,ここを抑えれば負けはないという延長15回表,斉藤が147キロのストレートで押したシーンはアナウンサーが声を上ずらせるだけの華があった。斎藤が投球の合間に汗をふくポケットタオルがファンの女性に話題になって150枚が売れたとか,こういった話題の転がり方も久しぶり。

 松商−三沢の延長18回0-0の再試合は4-2の平凡な試合だった。さて,明日は?

先頭 表紙

2006-08-14 夏の甲子園

 
 いつか,仕事が一段落したら,甲子園の一大会全試合を見るというのが夢だ。もちろん,できれば現地に行って,応援するチームを直接応援しながら。

 ……などとつらつら考えているうちに年月は経ち,野球への情熱もかつてほどではなくなってしまった。それでも,高校野球の大会が始まると,テレビで,新聞で,見られるだけは見る。一つの大会が終わるころには,何人かの選手が記憶に刻まれ,プロに進んだと聞けば出身地や学校にかかわらず応援したくなる。

 最近は,バッティングの練習技術向上のせいか,打撃戦が多い。池田高校やPL学園,智弁和歌山の記録がかすむような乱戦が目につくが,本来地方予選のベスト4程度で消えるべくチームが出てきているような気がしないでもない。まぁ,アマチュアのスポーツ大会なのだから,それもいいだろう。

 今回は,駒大苫小牧の3連覇が話題になっているが,今一つピンとこない。
 第一に,一昨年の夏の決勝,済美高校との試合を除くと,松商−三沢,箕島−星陵,横浜−PLといった歴史に残る名勝負に欠けるような気がする。もちろんそれは駒苫の選手たちのせいではないし,それで連覇の価値が変わるわけでもないだろうが,物足りなさは否めない。
 第二は,件の不祥事だが,今どきの高校生に昔の理想を押しかぶせてもしょうがないだろう。いやなのは,妙な隠蔽体質,強いからという容認臭だ。別の言い方をするなら,(隠すことを含めて)管理も手腕の一つだということか。

 個人的な好みは,プロ候補の重量級を集めたチームより,小柄な選手たちがきびきび走り回る試合がいい。テレビも個々の選手をあまり持ち上げないでほしい。見たいのは試合であって,ドラマや感動ではない。

先頭 表紙

マンガにしても同様。それなりに読んだり買ったりはしているのだけれど,かつて読んだ面白い作品に比べて伍するほどかと言われれば,そうでもないかととりあえず棚に片付けて終わってしまう。『北斗の拳』や『巨人の星』の二番煎じを見ると,提供する側も苦戦しているなと思ったり。 / 烏丸 ( 2006-08-14 01:11 )
このところ,読書生活が停滞気味だ。しばらくミステリやホラーの「積んどく」を片付けていたのだが,とくに目新しい印象もなく,次の方向性がはっきりしない。川端康成や古井由吉の昔読んだ作品を再読して,そのあたりに何かありそうな気がしているのだけれど,掴みかねている。 / 烏丸 ( 2006-08-14 01:08 )

2006-08-01 クポ? パコン クハ〜ッ 『カッパの飼い方(7)』 石川優吾 / 集英社ヤングジャンプ・コミックス


【田代さんは それで今日ベンチで 泣いていたんだ】

 今野圓輔『怪談 民俗学の立場から』(中公文庫BIBLIO)の冒頭近くに次のような表記があって思わず笑ってしまった。

 曰く,「ことに戦後にはなばなしく復活したのは河童である」
 曰く,「水辺に住む代表的な化け物としてのカッパは,どういうものか最近,妖怪変化界の寵児であって,単行本も出ており,詩や歌にもよまれ」(以下略)

 そうか,はなばなしく復活。詩や歌にまでよまれたか,カッパ。
 ちなみにこの『怪談』,1957年の教養文庫の復刻版である。

 『怪談』の初版から経ることざっと五十年,またしてもカッパは静かに復権していた。たいした生命力である。パコン。

 石川優吾はベテランの割に世評が高いとは言いがたいが,もともと画力,構成力は『童乱』をひくまでもなく相当カサ高い。大きな函を作者本人が本気でチェックせずにほったらかしている,そんな按配だ。
 かくして石川優吾にしてみれば,『カッパの飼い方』などたやすい仕業,文字通りヘのカッパだったのではないか……いやもちろん,こんなもの言いは作家の産みの苦しみを軽んじて全くよろしくない。よろしくないのだが,余技にけろりと描いているように見えるところが本作の魅力の一つなのだからしょうがない。クポ。

 実のところ,『カッパの飼い方』の構造はかなり複雑だ。
 舞台は高度成長期,ようやくカラーテレビが登場した当時の日本。ただしその日本では,古来からカッパが生活の中に存在し,本作でも主人公はペットショップで養殖の仔ガッパを手に入れる。つまり,この作品では,カッパが日常に存在する世界,しかも今からみて数十年前を「現在」として描くという凝ったからくりが用意されているのだ。
 その世界では,カッパがいるという一点を除くと,主人公の住む木造アパート,田舎の風景など,少し前までの日本の風景が(「懐かしい風景」としてでなく)ごく当たり前の光景として描かれる。その光景の中で主人公たちと寝食をともにするカッパ,カッパ,カッパ。
 そこで起こる事件は,たとえば……

 いや,これ以上本書の内容を紹介してしまうのは野暮というものだろう。

 人によっては笑いが止まらないかもしれない。ふんこの程度,と鼻で笑いながら,目頭を赤くする人もいるかもしれない。
 『動物のお医者さん』や『ハムスターの研究レポート』など,動物を描いていわゆる「癒し系」とされるマンガは少なくないが,ページを開いて読んでみないとその空気が想像できない点において『カッパの飼い方』は頭抜けている。
 「かぁたん」をはじめとする仔ガッパたちの仕草のかわいさ,奇妙な生臭さはたまらない。だが,この世界はサザエさんの家のように,同じ時を無限ループして進まないわけではない。仔ガッパは育ち,大人ガッパは年老いる。
 その時代から三十数年を経た(物語世界での)現在,その日本は,カッパたちはどうなっているのだろう。そう考えると軽々しく「癒される」などと言いがたい。昭和四十年代のモノクロ写真と同じ,埃っぽい喪失の予感がここにはある。


 ところで,動物モノ(カッパは動物か?)の多くでは,どうして人間の顔が描かれないのだろう。『ハムスターの研究レポート』も確かそうだったし,そうそう,『トムとジェリー』も人物は下半身しか描かれていないのだった。

先頭 表紙

2006-07-20 〔短評〕最近の新刊から 『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』『恐怖の怨霊絵巻』


『コミカル・ミステリー・ツアー4 長〜〜〜いお別れ』 いしいひさいち / 創元推理文庫

 当初は史上まれにみる情けないホームズとワトソンを主人公とした,まがりなりにもオチのある4コマギャグマンガ集だったのだが,4巻ともなるともはやミステリの登場人物に想を得た,さばさばした異界を描くラフスケッチの山となっている。『現代思想の遭難者たち』の作風に近いといえば,おわかりいただけるだろうか……って,読んでなければわからんわぁ!
 今回は『ペトロフ事件』(鮎川哲也)から『追憶のかけら』(貫井徳郎),『赫い月照』(谺健二),『ロンド』(柄澤齊),『九杯目には早すぎる』(蒼井上鷹),『ギブソン』(藤岡真)など,実在する87編のミステリ作品を素材にてけてけと4コマが提示されるのだが,国内モノから海外モノ,本格からライトノベルまで,その対象の無節操なまでの広さに圧倒される。こんなんまで読んどんのかいっ! 驚くべきことは,こちらが元作品を読んでいても,何をもって笑うべきなのかオチがちっともわからないことだ。パロディですらない。いったい何なのだ。
 独りよがりといえばこれほど独りよがりな作風はない。さりとてつまらないわけではない。奇妙にゆがんだ読後感は残る。困ったことにそれが決して不快ではない。『ののちゃん』を持ち出すまでもなく,読者サービスなどいくらでも提供できるこの作者にしてこの仕打ち,どうとらえばよいのか。
 馬鹿げた比較かもしれないが,元作品の人物や設定をパーツにまったく異なる作品を不親切に放り出すあたり,マックス・エルンストのコラージュ作品『百頭女』や『慈善週間』を思い浮かべてしまった。それを「いしいひさいち風」としか評し得ないなら,書評者としては首を吊るしかないのだが。

『恐怖の怨霊絵巻』 山口敏太郎 / KAWADE夢文庫

 この表紙,このタイトルで本当に怖い本を求めたらバチがあたる。そのあたりは織り込み済みだ。実際,稲川淳二や平山夢明のような怖さを求める方には本書はお奨めできない。ある夜とうとう女房が寝ないで待っている恐ろしさに比べれば……いいえ,そういうことではなくってよひろみ。何を言ってるんだオレは。
 内容は,四谷怪談や累ヶ淵といった古典中の古典的怪談から,昭和,平成の都市伝説ふうまで,あるいは狸や猫の妖怪噺から怨霊亡霊譚まで,縦横無尽というか無作為というか,要は節操なしにかき集めたような按配である。文章も一つひとつが短くて演出に欠ける。
 特筆すべきは見開きそれぞれに添えられたイラストの水準で,表紙含めて5人が担当しているのだが,いずれもプロの仕事としてはちょっと信じがたいレベルなのである(網掛けなどの技術はあるのだが,およそデッサンが……)。昭和30年代,創刊当時のマーガレットや少女フレンドの読み物記事の挿絵がこんな感じだったかもしれない。従姉たちと膝小僧つきあわせて読んだ,あれもまた,夏だった。

先頭 表紙

読みに諸説あるのは正倉院の「鳥毛立女屏風」。社会科の教科書では「とりげりつじょのびょうぶ」もしくは「とりげだちおんなびょうぶ」のどちらかだったと思いますが,広辞苑は「とりげりゅうじょのびょうぶ」。「ちょうもうりゅうじょのびょうぶ」説まであって,もう鳥肌立ってしまいます。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
昔,ネット上でデュシャンの「大ガラス」を「ダイガラスと読む」とコメントした人がいて,自分としてはどっちでもいいけど,シュルレアリスム系の本の索引では「お」の項目に出てくるので「オオガラス」のほうが多数派かもしれませんね,と指摘したら,「あなたのように読みにこだわるのは不毛だ」と逆ギレされて困ったことがあります。先に読みを固定したのはそっちやんかー。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
『百頭女』は,人に話すときは(十年に一度あるかないかですが)ちょっと気取って「ヒャクトウメ」,でも頭の中では「ひゃくあたまおんな」(なぜひらがな?)と読んでいたのですが……文庫で出した河出書房新社では「ヒャクトウジョ」と読んでいるのですね。「ジョ」はないだろ「ジョ」は(根拠なし)。 / 烏丸 ( 2006-07-22 01:23 )
今回の、なんだかおかしい。ふふ。なぜそんな本を?ところで「百頭女」って、なんて読むんですか? / ぴな ( 2006-07-21 11:58 )

2006-07-12 オカズいっぱい イベント多すぎ 『マンホール』(全3巻) 筒井哲也 / スクウェア・エニックス ヤングガンガンコミックス


【…ただし普通の救急車じゃダメだ 感染症の疑いありと言え…!】

 それは,蚊やアブを介してヒトに感染し,右目角膜から網膜,視神経を伝って間脳の視床下部に侵入する。脳組織を食い荒らされたヒトは,摂食や飲水,性行動などの本能行動,怒りや不安などの情動を喪い,自律神経も乱される。
 その未知の寄生虫を日本に持ち込み広めようとする人物。彼を追う二人の刑事。感染の拡散と闘う保険所職員。

 本書のように,背景の白っぽい,効果線をほとんど使わない作品を見ると,この国のコミックにおいて「大友克洋」はすでに模倣やリスペクトの対象ではなく,遺伝子の域に入ったように思われてならない。もしかすると『マンホール』の作者には大友の影響下にあるという自覚さえないかもしれない。紙面を覆う緊張感はすでに技法ではなく様式である。
 ただ,ハードロックにおいて様式化が推し進められた結果それぞれのバンドの個性が見えなくなってしまったように,この種のコミック作品は次のステージに進むのが難しい。
 本書『マンホール』では,顔の皮膚下の寄生虫の動きや,マンションの一室に蚊の乱舞する場面がうざうざと生理的嫌悪を誘う。二人の刑事は寡黙だが所作,もの言いに味がある。首謀者を追う展開は時間との争い含めて読み手に緊張を迫る。……だが,それだけといえばそれだけだ。
 不安や不快感は3巻めともなるとそれなりに慣れてしまう。寄生虫は不気味だが,その生態はしょせん本能に基づいた生物の営みにすぎない。スリルとサスペンス(と言葉にすると古いが),通り過ぎてしまえばそれだけである。犯人のもくろみは多すぎるイベントの中に埋没して見えてこない。

 本書で扱われる新型フィラリアは架空の存在だが,実在する寄生虫の中には,たとえば,ヒツジに捕食されるためにいったんアリに寄生し,そのアリをしてヒツジのエサを食べる時間に草の先のほうに噛み付いて体を固定させしむるという槍形吸虫がいる。また,レウコクロリディウムという寄生虫は,幼虫時にカタツムリの触覚に寄生し,その触覚を鳥の好む芋虫に色・形・動きまでそっくりに擬態させ,カタツムリごと鳥に食べられようとする。あるいは,寄生したバッタの中枢神経をコントロールして水に飛び込ませ,溺死させて水中に躍り出るハリガネムシ。
 これらの寄生虫に比べれば,本書に登場する新型フィラリアは,ある意味穏やかにさえ思われる。そこで著者が持ち出した舞台が「マンホール」なのだが……残念ながら必ずしも成功しているようには思えない。ストーリーを装飾するオカズが多すぎて,振り返ってみると「マンホール」そのものにはたいした必然性がない。

 外薗昌也『エマージング』が全2巻,本書が全3巻。バイオハザードをテーマにした作品は,引っ張ろうと思えばいくらでも長くなると思うのだが,いずれも意外と短いのは,「相手」が意思のないウイルスであったり,寄生虫であったりするためだろうか。
 いずれも,描かれた可能性は恐ろしく,それをめぐる物語は面白い。だが,死に方がいささか悲惨とはいえ,ウイルスや寄生虫に感染して死ぬだけなら,それは交通事故の奇禍と大差ない。
 この世で本当に恐ろしいものは何か。それは少なくとも,謎の新型ウイルスや寄生虫の「気持ち悪さ」ではないだろう。

先頭 表紙

『エマージング』の表紙を見て思い出した。エボラやら一部の寄生虫はヒトの目が好き。なぜだろう。美味しいんだろうか。 / 烏丸 ( 2006-07-12 01:43 )
ちなみに、今回は新刊・完結の『マンホール』を取り上げましたが,作品としてはネットワークゲームがリアルを侵食してくる前作『リセット』のほうが五百倍くらいお奨めです。クール。 / 烏丸 ( 2006-07-12 01:41 )

2006-07-06 折り鶴に代えて 「宇宙人 王貞治」 作者不明 / 掲載誌不明

 
 続いてご紹介するのは,発表年,掲載誌はおろか,作者名も何もわからない読み切りマンガ作品である。タイトルは,「宇宙人 王貞治」

 少年マンガ誌の主力が「少年画報」「冒険王」「ぼくら」「少年」等の月刊誌から週刊誌に移りつつあった昭和30年代後半にその表紙を飾っていたのは,一に実在の軍艦・戦闘機,一にゴジラをはじめとする怪獣たち,さらに人気を呼んだのが力士やプロ野球選手たちだった。たとえば少年マガジン創刊(1959年3月26日号)の表紙を飾ったのは当時の人気力士,3代目朝潮太郎である。
 また,当時は野球マンガの勃興に伴い,連載マンガの中で実在のプロ野球選手や監督が登場,活躍することも珍しくなかった(『スポーツマン金太郎』,『ちかいの魔球』,『ミラクルエース』,『黒い秘密兵器』,『巨人の星』,新しいところでは『侍ジャイアンツ』,『アストロ球団』,『あぶさん』などなど。こうして振り返ると,その多くで巨人軍川上哲治監督の存在感が際立っている。さすがは打撃の神様)。

 「娯楽の少ない」などという常套句で時代を括ってしまうのもどうかとは思うが,当時のスポーツ選手の知名度,人気の高さは,たとえば最近のサッカー選手の比ではなかった。先にあげた連載マンガ以外でも,人気スターの生い立ちや活躍を描く実話モノ,一種の伝記マンガがよく見られたものだ。

 一本足打法できりりと構える王選手,その影が頭の大きな宇宙人の姿になっているという表紙の「宇宙人 王貞治」は,そういった作品の一つ。その内容が一風変わっていて,今も忘れられない。
 読んだのはおそらく1965年(王選手が55本のホームラン記録を達成した翌年である),近郊の観光センターに家族と出かけたときに買ってもらった週刊少年マンガ誌に載っていたのだった。ちなみに当時はまだ「少年ジャンプ」,「少年チャンピオン」は発刊されておらず,「少年マガジン」,「少年サンデー」,「少年キング」のうちいずれかということになるが,そのうちどれだったかは覚えていない。

 ストーリーは,名門巨人軍に入団したものの調子が上がらず苦戦していた王選手が,自分の特殊な能力に気がつき一本足打法に開眼する,という,「○○物語」によくあるパターン。ただ,その特殊能力たるや「宇宙人のように,目隠ししても向こうが見える」というものなのだ。しかも,その能力に気がつくのが,成績が上がらないためヤケになって車を暴走させ,岸壁のところまできたとき,そちらを見ていないにもかかわらず,見事に危険を回避した,などという事件から。王は先輩・長島の指摘にその能力を磨くため,目隠しして再度自動車でその岸壁に突進し,なんとそのまま車を沈没させてしまう。
 そのあと,どんな経緯で一本足打法を実践することになったか,そのあたりの詳細はどうしても思い出せないのだが,要は,アンバランスな一本足打法でも,王のその特殊な直観力をもってすればホームランを量産できるという理屈だったかと記憶している。……理屈になってないか。
 ともかく,当時小学生だった僕の記憶ではそういうマンガだったのである。

 内記稔夫氏の「現代マンガ図書館」で当時の少年マンガ誌を徹底的に探し込めば「宇宙人 王貞治」を発見するのは不可能ではないかもしれない。ただ,小学生のときに読んだ読み切りマンガが,記憶のとおりとは到底思えない。タイトル含め,さぞかしとんちんかんな覚え間違いもしているに違いない。
 しかし,ぐいっと一本足打法を決めた表紙,そして岸壁から車ごと飛び込み,浮かび上がって「ぷはっ」と息をつぐ「宇宙人 王貞治」の姿は40年経った今でも僕の中でありありと生きている。


 福岡ソフトバンクホークスの王監督が,胃の腫瘍の手術のためにしばらく休養するという。

 比類なき業績に比べて,どうも今ひとつツキがないようにも思われる王監督。
 ホークスの監督に就任したその年,不甲斐ない成績にファンから投げられたあの生卵。TBS「筋肉番付」のメンコスタジアムで,一生懸命角度を考え力をふりしぼったあげく,ルールも理解せず適当に腕を振った長島にメンコをはじき出されたあの勝負。
 心無い何者かに持ち去られた奥様のお骨も戻っていないはず。
 それだけに,WBCでの優勝は,よかった。
 手術,治療は大変だろうが,ここはひとつ「宇宙人」の本領発揮,早期快復を心から祈りたい。

先頭 表紙

ナボナの亀屋は万年堂。鶴ならぬフラミンゴ打法の主は千年,それが無理ならせめて百歳くらいまでは活躍してほしいものです。 / 烏丸 ( 2006-07-06 23:17 )

2006-07-05 手に負えていない 『街の灯』 北村 薫 / 文春文庫


【本当に,世の中のことというのは見えにくく,つかみにくいものです。】

 一つのことを成し遂げたなら,作家の評価は高まる。
 だが,作家の評価と作品の評価は本来別ものである。素晴らしい作品を上梓した作家の次の作品も素晴らしい,わけではない。にもかかわらず,一度評価の高まった作家の新作はこれでもかとばかりにデコレートされ,場合によっては醜悪だ。

 北村薫の短編集『街の灯』は,褒めるほどの作品だろうか?

 昭和七年の上流階級を舞台に選んだ作者の筆は,風俗地誌を踏み誤らないよう足元を見るに精一杯で,そこに無理くり埋め込んだ事件と推理は取り出してよくみれば貧相だ。
 つまりは労作だが習作なのである。

 加えて,登場人物,ことに令嬢の花村英子が,とりたてて魅力的とは思えない。対して配置された女性運転手別宮(べっく)みつ子も焦点がはっきりしない。
 昭和七年の人物ならいかにも口にしそう,というセリフがあちらこちらに据えられて,それだけ粘土でこしらえたような肌触りに思われてならない。

 北村薫はもう自分を笑えないのだろうか。鶴太郎じゃあるまいに。

先頭 表紙

おや。どうだったかな……。気のせいではありませんか。ふ。 / 烏丸 ( 2006-07-06 23:19 )
おや〜?最後の1行、前はなかったような(笑) / ぴな ( 2006-07-06 15:36 )
北村薫の〈私〉シリーズについては,こちらから始まってこれこれこれこれの一連の私評,覆面作家シリーズについてはこちらもご参照いただければ幸い。 / 烏丸 ( 2006-07-05 23:07 )

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