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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-09-14 『愛のさかあがり』 とり・みき / 筑摩書房(ちくま文庫)
2000-09-14 マンガの最終回シリーズ 『キャッツ・アイ』 北条 司 / 集英社
2000-09-14 [雑談] マンガの最終回 あれこれ その2
2000-09-13 マンガの最終回シリーズ 『巨人の星』 梶原一騎 原作,川崎のぼる 作画 / 講談社
2000-09-13 マンガの最終回シリーズ 『恐怖新聞』 つのだじろう / 秋田書店
2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『漂流教室』 楳図かずお / 小学館
2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『ファンシィダンス』 岡野玲子 / 小学館
2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『スーパードクターK』 真船一雄 / 講談社
2000-09-12 [雑談] マンガの最終回 あれこれ
2000-09-11 『奥さま進化論』に見る秋月りす進化論


2000-09-14 『愛のさかあがり』 とり・みき / 筑摩書房(ちくま文庫)


【いずんし らあぶり】

 報道によれば,ひまじんネットのシステム管理者2号氏が,「恋を探して来ます」と夏休みをとって出かけたまま行方知れずなのだそうである(「ひまじん掲示板」を参照のこと)。
 そこで,今回は「マンガの最終回シリーズ」を1回お休みいただき,「〜を探す」本を取り上げ,2号氏の行方について考察する1つの契機としたい。「〜を探す」といえばシェル・シルヴァスタイン『ぼくを探しに』か,とも考えたのだが,ここはひとつ,2号氏もご愛読と噂のとり・みきを取り上げることにしよう。

 『愛のさかあがり』は,コミックエッセイというジャンル分けがあるなら,その古典の1つ。ギャグ漫画家とり・みきが,愛を求める旅を仕事場から海外にいたるまで,あれこれ繰り広げる。

 もともとは1985年から翌年にかけて,今は亡き「平凡パンチ」に連載されたもの。角川から発売された単行本は「天の巻」「地の巻」「無用の巻」の3部構成であったのに対し,文庫版は「上巻」「下巻」の2冊となっている。2冊になっても別によいのだが,文庫版では単行本化の際に加えられた細かい注釈や諸氏からのメッセージまでとり去られており,単行本を知る者には少し残念。

 さて,その愛を求める旅だが,これがあるときはウェット,あるときはクール。
 愛はときには○○○○の形をしてドアノブからぶら下がっていたり,金縛りの最中に巨大な金色の○○○の形をしてお腹の上に乗っていたり,あるいは築地の朝の謎のあたまライスだったりと,けっこうトリッキーに姿を変える。
 とりわけ読者から題材を求めた「イタイ話」シリーズと路上観察の一環としての「オジギビト」シリーズはポイントが高く,「あれ見た?」と全国の漫画ファンをとりこにし,この後数年にわたって漫画談義のトリを飾って青い鳥を鳥捕り帰る鳥捕りの声。

 え? それで2号氏はどうなった? さあ。どうなったんでしょうね。

先頭 表紙

で,健康のために,と頭にヘンな機械をつけていたり,修行だと言って座った姿勢のままぴょんぴょんはねたり,ということがなければよいのですが。 / 烏丸 ( 2000-09-18 14:33 )
とりあえず帰ってきました。PCを遠ざけて健康な生活をしていたということです。 / 安心の1号 ( 2000-09-18 13:20 )
へんな宗教に入信でもしていなければよいのですが。なんたって2号はあの上○さんと同じ研究室の出身ですし。 / 心配な1号 ( 2000-09-14 22:08 )

2000-09-14 マンガの最終回シリーズ 『キャッツ・アイ』 北条 司 / 集英社


【ルイルイといえば太川陽介 ……お呼びでない? こりゃまた失礼いたしました】

 放映当時から不思議だったのだが,なぜ,同じテレビアニメでも『ダーティ・ペア』はおたく色が濃厚で,『キャッツ・アイ』はそうでもなかったのだろう? 掲載の場が少年ジャンプだったから,だろうか。
 ある種のバッタは,一定面積に一定数以上増え,互いの接触頻度が高まると,急に体が細く,翅が黒っぽく変化し(群集相),性質的に荒くなって,ちょっとしたきっかけで大移動を始める。そして数千キロにも及ぶ移動の途中で落伍すべきバッタは落伍し,やがて適当な数のバッタだけが残って,元の大人しい単独相のバッタに戻る。それと同じように,ある種のアニメやコミックは,一定以上メジャーになると,急速におたく色を失ってしまうようだ。

 なんてな。とーとつに最終回のあらすじだけ書くのもなんだから,ちょっとへ理屈こねてしまった。どうでもいいの。気にしないで。

 さて,『キャッツ・アイ』最終回である。
 世間を騒がす絵画泥棒キャッツ・アイこと来生泪・瞳・愛の三姉妹の目的は,父ミケール・ハインツの絵を取り戻し,父の居所を探すことだった。ジャンプコミックス最終18巻では,彼女たちに敵対するクラナッフの正体が暴かれ,彼を中心とする絵画シンジケートの崩壊が描かれる。すべてが片付いた後,瞳はついに幼なじみで婚約者の刑事・内海俊夫の前にキャッツ・アイとしての正体を示し,三姉妹はアメリカに去る。
 さて,最終回。ロスに到着して早々,瞳はビールス性脳膜炎で記憶を喪ってしまう。刑事の職を投げ打ってかけつける俊夫。瞳は俊夫のこともキャッツ・アイのことも思い出せないが……。

 ひどい言い方だが,まあ,「上出来」である。この手のマンガにしては,連載開始当初の伏線はほぼクリアしているし,俊夫と瞳が海でたわむれるラストシーンもそこそこ感動的。まとめにくいものを巧くまとめた,という感じ。
 しいていえば,この作者の絵柄,筋運びにおけるこのあたりの「器用さ」が,おたく文化的には今ひとつ受け入れられなかったようにも思う。

 ところでマンガの世界では,「俊夫」「俊平」「トシ」といった名前は,どうも主人公の気の強い女に引っぱり回される,真面目だが朴訥,女心にうとい男という役どころが多いようだ。例外はないだろうか。あったらご連絡いただきたい。

先頭 表紙

なるほど! 考えてみれば,「りぼん」という雑誌自体,男の子を引っ張りまわす気の強い女の子というのがそもそも少数派かもしれませんね。 / 烏丸 ( 2000-09-14 17:45 )
思い出した! 「ときめきトゥナイト」の真壁俊くんは女に振りまわされてないよ! 運命に振り回されてたけど・・・。 / 真壁くんスキスキOL1 ( 2000-09-14 16:09 )
『かぼちゃワイン』は,確か春助でございますね。エル〜〜〜〜。……な,なつかしや。 / 烏丸 ( 2000-09-14 15:41 )
「キャッツ・アイ」大好きでした〜! 批評はできないけど。28歳になればルイ姉みたいになれるんだと信じていた・・・。たしか「かぼちゃワイン」の主人公の男の子もそういう名前では? シュンはシュンでも春だったかな?? / 美人OL旭1号 ( 2000-09-14 15:11 )

2000-09-14 [雑談] マンガの最終回 あれこれ その2


【死んでしまう,旅に出る】

 ちゃんと分類して書いているわけではないが,ある程度長い期間にわたって連載されたマンガの最終回のあり方は,たぶん,いくつかのパターンにまとめられるのだと思う。

 たとえば,最終回に向けて多少大きめの事件は用意されるが,基本的には人間関係など何も変わらず,翌日以降も似たような事件が続くだろう,とする終わり方。いわゆる「ラブコメ」はたいていこの終わり方だ。高橋留美子『うる星やつら』,椎名高志『GS美神極楽大作戦!』など典型的。
 一方,同じラブコメでも,目出度くハッピーエンド,というタイプがある。高橋留美子『めぞん一刻』はこちらに属す。今週最終回を迎えたゆうきまさみ『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』もそう。このタイプは,数年経って主人公たちが幸福に暮らしているさまをエピローグとして用意するケースも多い。

 ラブコメに限らず,冒険活劇もの,スポーツものも,このどちらかに分類できるものが多いのではないか。たとえば皆川亮二『スプリガン』は前者だし,あだち充『タッチ』は後者に属す……『タッチ』をスポーツものと言ってよいのかどうかは疑問だし,そういえば『じゃじゃ馬』も競馬の話なのに駿平とひびきがいちゃいちゃしてうざいという説を最近どこかで見かけたような気もする。それはそれ,これはこれ。

 ごくまれに,結末のわからない作品がある。キャラに感情移入してしまうと,これはキツい。
 あや秀夫の傑作野球マンガ『ヒットエンドラン』はまさしくこれ。この作品は,高校野球夏の大会の1回戦,相手は甲子園出場候補,こちらは公式戦未勝利,2対1の1点リードで9回の裏2アウト満塁,2ストライクで主人公がぎゅぅっとボールを投げて……で終わってしまう。たまらん。
 また,片山まさゆき『ぎゅわんぶらあ自己中心派』も,オーラスが微妙によくわからない。律見江ミエは「何度かのお見合いをけりつつ……3年後意中の人とゴールイン」とあるのだが,その相手が持杉ドラ夫かどうか明記されてないのである。なんだか千点棒1本行方不明,な印象。

 主人公が死んじゃったら,もう終わるしかない。先にも書いたながやす巧『愛と誠』,吉田秋生『Banana fish』。井上コオ『侍ジャイアンツ』。永井豪『デビルマン』もまあこちらだろう。情けない死に方をするのは辻なおき『タイガーマスク』だが,これはそのうちきちんと紹介したい。白土三平もときどき主人公を死なせてしまうが,この大河ドラマな作家の場合はその人物の死までで一区切りとして発表する,という印象か。

 いわゆるギャグマンガは,たいてい「明日も明後日もみんなで……」という終わり方,というよりたいていは最終回にあたる話そのものがないのだが,ギャグでありながら内奥に重いものを抱えていると登場人物がいなくなって終わることが多いような気がする。
 山上たつひこ『がきデカ』はこまわり君が僧形で旅に出て終わるし,松本零士『男おいどん』も大山登太がパンツの山やトリさん,サルマタケをほったらかして黙っていなくなる。鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』の最終回,トシちゃんきんどーさんが海に消えた後の空虚な部屋は,なんというか,描線がうるおいを失って一種壮絶だ。

 ギャグマンガではないが,主人公が旅に出て終わるといえば佐藤史生『夢みる惑星』なんかもそう。佐藤史生は花郁悠紀子とほぼ同時期に萩尾望都寄りのSFを書いた魅力的なマンガ家の1人だが,この人についてケロロ軍曹さんが書いてくれるのかどうか,ずっと前から僕はどきどきしながら待っているのだ。

先頭 表紙

なんと、フロム・エーでバンババンが読めたとな! こいつぁびっくり。 / ぽたりん ( 2000-09-15 09:36 )
↓↓の甥が番場蛮の……というのは,てっきり「ナンバー」かとなぜか思ってましたが,「フロム・エー」だそうです。謹んで訂正いたします。 / 烏丸 ( 2000-09-15 00:59 )
確か相棒のキャッチャーは八幡太郎平でしたよね。大回転魔球とかハイジャンプ魔球というのを覚えています。小学生時代、真似をしていました。あんなに回って真っ直ぐ投げられるわけないって^^; / ぽたりん ( 2000-09-14 22:10 )
魔球を投げるときの効果音まで「バンババーン」という,なかなかナイスなマンガでしたが,最後は現実のジャイアンツが優勝を逃がし,その時点で打ち切りが決まって,魔球を投げに投げてピッチャーズマウンドで仁王立ちしたまま死んでしまったのでありました(のちに,甥がバンババンの後を継ぐ,という2ページマンガが文春のナンバーに載ったのであります)。 / 烏丸 ( 2000-09-14 13:37 )
ええぇーっ、バンババン(片仮名で書くと間抜けな名前だ)って最後死んじゃうんだ〜。勉強になるなあ。 / ぽたりん ( 2000-09-14 13:10 )

2000-09-13 マンガの最終回シリーズ 『巨人の星』 梶原一騎 原作,川崎のぼる 作画 / 講談社

【重いコンダラ】

 『巨人の星』について「ここがおかしい」「あそこが謎」ということを言い出したら,それだけを肴に三晩は飲める。
 たとえば,

 a). バッターの動作を見切ってそのバットにボールを当てることができるほどのコントロールとスピードがあるなら,それだけでいくらでも勝てたろうに

と考えるのが初級。中級者としては,

 b). その星より活躍したエース級の堀内や高橋一は,いったいどれほどもの凄いピッチャーだったんだ?

という点にも注目したい。これは,

 a'). ホームベースの手前でUの字に変化するボール(魔送球)が投げられるなら,それが消えようが消えまいが十分活躍できたろうに

 b'). そんなすごい変化球が「消えない」だけですぐ打ち込める花形や左門が,なぜプロ野球界では並みの好打者に過ぎないのか?

という疑問とパラレルである。

 ま,そんな具合だから,最終回もまことにヘン。
 対中日戦で大リーグボール3号を投げ続け,ついにはピシッという音とともに飛雄馬の左手首は壊れてしまう。この3号がプロの強打者になぜ打てないかは省略するが,ともかく星一徹中日コーチは伴宙太に長時間の逆立ちとバット3本の素振りを命じ,へとへとになった伴はそのにぶいスイングで大リーグボール3号をはじきかえす。球はフェンス直撃,パーフェクト敗れたり!? しかし,疲れはてた伴はファーストまで走ることもできない。果たしてアウトかセーフか(この判定はコミッショナーに提訴され,現在も決着を見ない)。一徹は伴がそうなることを見越せなかった自分の負けを認め,これにて父子の死闘は終了。
 最後のシーンは,川崎の教会で挙行された左門と女番長(うぷぷっ)京子さんの結婚式。限られた近親者だけが呼ばれ,飛雄馬は窓の外からこっそり二人を祝福して去っていく。完。

 ここで「なぜ,手首を壊すまで大リーグボール3号にこだわったのか,かえってチームに迷惑だろに」とか「新郎新婦が知り合うきっかけになった飛雄馬が結婚式に出ない理由がない」などの指摘を並べても虚しい。飛雄馬は本来破滅願望型の奇人変人で,彼の交感神経が病んでいることは豆の木学園生物教諭広岡真理子も指摘する通り。今さら騒いでもしかたないのである。それより私としては,この結婚式に別の疑義をはさみたい。

 左門は無口ではあるが,本来気遣いの人だったはず。いくらジミ婚とはいえ,自分が世話になっている大洋ホエールスから誰も呼ばないというのはあんまりではないか。否,それをさておきこの出席者。幼い妹,弟たちに加えて,花形,伴,一徹,明子。左門が明子と知り合うシーンなんて記憶にないが,それも目をつむろう。最後の一人,漫画家の牧場春彦。なんで牧場がここにいるのか。

 甲子園の準決勝戦前夜に左門兄弟の不幸な生い立ちを聞かせ,飛雄馬が左親指の爪を割るきっかけを作ったのがこの牧場。誰かが伴大造に闇討ちを仕掛け,犯人をかばった飛雄馬が退学するはめに陥ったのもこの牧場のせい。プロ入りし,破竹の9連勝のさなか,スコアブックから飛雄馬の致命的な弱点(球の軽さ)を左門らに知らしめてしまったのがやっぱりこの牧場。そして最後,星が医者に手首の症状を告げられ,ムキになってしまう現場に居合わせたのもこの牧場。要するに巨人の星の疫病神,それが牧場なのである。
 なんでそんなゲンの悪い,それもたかが飛雄馬の同級生を結婚式に呼ばねばならんのだ,左門クン。京子ちゃんも,そんなやつより昔の竜巻グループのお友だちを呼びなさい,お友だちを。

先頭 表紙

渡辺徹さんが、NHKの「おしゃべりクラシック」で「こんだらコーナー」とゆーのをやっているのですが、やっと語源がわかりました。 / 口車大王 ( 2000-09-15 22:04 )
うーん、やっぱりお笑いギャグ漫画だ。 / 口車大王 ( 2000-09-15 22:03 )
そういえば,『男どアホウ甲子園』のじっちゃん,藤村球之進がシレンの名人でした。たはは。 / 烏丸 ( 2000-09-15 01:14 )
星飛雄馬を影から支えたグランド整備の名手、道夫さんを称えた歌なのでしょうか。シレンの道夫。とほほ。 / ぽたりん ( 2000-09-14 22:12 )
あの,鉄でできてグラウンドをならすローラーが「コンダラ」なら,木でできて地面をならすやつが「シレン」なのか。 / 烏丸 ( 2000-09-14 19:11 )
息子を背負って泣く一徹の涙に被さるように「タータタタッタター♪重いコンダラ〜」と主題歌がかかったように記憶しています。ええ、泣きましたとも。 / ぽたりん ( 2000-09-14 16:41 )
そうでしたっけ……見たはずなんだけど,コミックとまじってしまって(コミックでは,グラウンドの真ん中で父子で見詰め合うだけです。じゅーぶん,きもい……)。 / 烏丸 ( 2000-09-14 13:40 )
アニメの最終回では、手がピキピキってなっちゃった飛雄馬を一徹が背負って、華厳の滝のような涙を流しながら退場したんでしたよね。違ったかな。 / ぽたりん ( 2000-09-14 13:06 )

2000-09-13 マンガの最終回シリーズ 『恐怖新聞』 つのだじろう / 秋田書店

【あなたは見る,見てしまう……】

 こすもぽたりん氏からのリクエスト(?)にお応えして,続いて『恐怖新聞』を取り上げよう。ただし,つのだじろうの作品はあいにく手元にないので,アンチョコからのカンニング,お許しを。

 主人公の中学生・鬼形礼には,毎夜,次の日に起こる「不幸」が書かれた「恐怖新聞」が届く。そしてそれを読むとそのたびに命が100日ずつ縮んでいくのだ。鬼形は次々と起こる霊的な事件をかわしていくが,彼の寿命はいまや尽きようとしていた。
 鬼形は霊能者・小泉香具耶に除霊を求めるが,激しい霊戦の末,鬼形は紫光山の洞窟で岩に押しつぶされてしまう。しかし,彼の「魂の緒」はまだ切られておらず,悪霊たちは鬼形に,クラスメートを全員殺せば助けようと取引を求めてくる。しかし,彼は5人しか死なすことができず(笑),我が身を犠牲にクラスメートたちをバス事故から守り,その結果,主護神によって助けられ,強い光とともに幽界に送られる。

 幽界に送られたということは,地獄におとされずにすんだ,すなわち死んだということであり,最終回において鬼形は岩につぶされ折れた枝のつきささった腐乱死体というヘヴィな姿で発見される。鬼形の葬儀で,クラスメートたちは自分たちを救った鬼形のために祈る。石堂中学では,それ以来パッタリと奇怪な事件は起こらなくなった……。

 しかし,最終回が本当に怖いのはこれからだ。鬼形が死んだ日から,石堂町のとなりの坂元町中学では夜中に届く新聞が噂になる。ニ年C組の高見光子のところにそれが届き始めたのだ。そして,それを配達しているのは……この世への強い未練にかられた鬼形の霊だった。
 夜の道,ガードレールのところを,制服を着た中学生くらいの少年が走っていたら,それはあなたのところに「恐怖新聞」を届けようとする鬼形の姿かもしれない……。

 なお,作者・つのだじろうは,事故などが相次ぎ,霊魂は怖い世界,うかつに首を突っ込んではいけないと少年マガジン『うしろの百太郎』,少年チャンピオン『恐怖新聞』の人気連載2本を打ち切ったが,その後,オカルト以外の連載を始めようとするとどうしても何者かにさまたげられるのだそうだ。

先頭 表紙

CDのジャケットには顔写真はなかったと思いますが、きっと似ていることでしょう。 / ぽたりん ( 2000-09-13 13:12 )
ややっ,さすがぽたりんさま,お詳しい。やっぱりあの系統の顔なんでしょうか。 / 烏丸 ( 2000-09-13 12:41 )
リュート奏者のつのだたかしもつのだ兄弟ですね。 / ぽたりん ( 2000-09-13 12:00 )
あと,直接は関係ない薀蓄を。有線のロングヒット「メリージェーン」のつのだひろは,つのだじろうの弟。有名ですね。 / 烏丸 ( 2000-09-13 11:46 )
つのだじろうに言わせると,『百太郎』は霊についてちゃんと書こうとしたもの,『恐怖新聞』はエンターテイメントなんだそうです。その分,怖いような。 / 烏丸 ( 2000-09-13 11:44 )
リクエストにお応えいただきありがとうございます。友人の家で布団に読んだときの恐怖が蘇ってきました。記憶では、最終回が収められている巻にさらに怖い読みきりがあったと思います。兄と妹が山で迷ってしまい、いつの間にか手首が木から生えている村に迷い込んで… / ぽたりん(怯) ( 2000-09-13 10:37 )

2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『漂流教室』 楳図かずお / 小学館


【ぼくたちは,未来にまかれた種なんだっ!!】

 楳図かずおは怖い。楳図かずおの作品が怖いのではなくて,楳図かずおが怖いのである。
 不肖この烏丸,少女フレンドが週刊だったころから怖い怖いと悲鳴を上げながら,逃げるように単行本を買って買って買いまくって,その一角は烏丸家の「のろいの館」と呼ばれている。もちろんその壁には肉面が飾ってあるし,床には何かが這いずった後があって大きなウロコが散らばっている。紅グモは壁に巣を張り,海で拾ったペットは「ギョー」と鳴いて水を撒き散らす。ロマンスの薬で手に入れたミイラの女房は目を覚ますたびに前世を思い出して「イアラー」と叫ぶ。……ああ,なごむ。

 それはともかく,『漂流教室』は「少年サンデー」1972年23(5月28日)号〜1974年27(6月30日)号にかけて連載された。主人公・高松翔(6年生)の通う大和小学校は,大地震をきっかけに,未来の地球にタイムスリップしてしまう。砂漠化した未来世界では人類はすでに滅び,得体の知れない怪虫やクモ様の未来人間がうごめいている。わずかな大人たちは狂い,死に,残った子供たちは飢えや病気(ペスト,盲腸),相互不信などあらゆる困難と闘いながら生きていかねばならない。彼らは,はたして母の待つ「現在」に戻れるのだろうか?

 ……で,問題の最終回だが,結論だけ書いてしまうと,帰れない。最終回は,翔の両親がガラス窓の外に翔たちが走る幻影を見て,頑張って翔,と祈るシーンで終わってしまう。

 考えてみれば──考えなくても,それは当たり前。足の悪い西あゆみ(5年生)の超能力によって,「現在」の母親と通信できたことのほうが異常なのである。子供が育つということは,未来の砂漠の中で生きていく(あるいは死んでいく)ことであり,親にできるのは,せいぜい「現在」に伝えたいメッセージをそっと置いたり,ガラス越しの幻影に祈ることだけなのだ。

先頭 表紙

あ,やはりそれはうちのではございませんね。うちのムスメは,ベッドの下から青白い腕がうにょうにょと伸びて,というタイプでございます。 / 烏丸 ( 2000-09-14 14:57 )
そっか〜。それでは、夜寝ていると誰かがじーっと私を見下ろしながら、そーっとハウスダストを撒いているということかな。最近の幽霊は凝った悪さをするわい。ケホケホ。 / ぽたりん ( 2000-09-14 13:08 )
かれこれ1か月? ……それは,うちではございませんねえ。別口でございましょう。えろいむえっさいむ えろいむえっさいむ。合掌。 / 烏丸 ( 2000-09-14 11:24 )
せ、咳が止まらないと思ったらそういうことだったのかあぁぁぁ... もうかれこれ一ヶ月もケホンケホンやってるんですわ。呪いだったとは! / ぽたりん ( 2000-09-13 21:27 )
というわけで,添付画像は『のろいの館』のタマミちゃんご活躍の図。タマミちゃんは少女マンガ史上最怖の赤んぼう。富江とどっちが怖いか……。 / 烏丸 ( 2000-09-13 19:32 )
やーねー,本気にしちゃ。そこの棚には泥をこねてつくったぽたりん人形が置いてあって,神田マスカメでお店の人に頼んで手に入れた髪の毛が塗りこんである,なんてはずないでしょー。ちくちく。 / 烏丸 ( 2000-09-13 16:01 )
しかし、家の一角に「のろいの館」があるというのもすごいですね。しかもそこで「なごむ」とは。もしかして、納戸には黒魔術道具一式があり、庭にはニワトリ小屋があるとか? 生け贄用の。 / ぽたりん ( 2000-09-13 14:52 )
あと,純粋にお作法(?)的には酒井潔という人の本がいいんざます。 / 烏丸 ( 2000-09-13 11:42 )
澁澤龍彦の『黒魔術の手帖』は必携ですね。 / ぽたりん ( 2000-09-13 10:44 )
……って,ふと気がつくと恐怖漫画の話ばっかり。やーねー。 / 烏丸 ( 2000-09-13 01:53 )
黒井美沙(漢字,自信なし)ですね。もちろん読んでましたが,これの最終回は知りません。1話読み切りタイプだから,いつものように終わったのか,それとも強力な悪魔か何かと対決でもしたんでしょうか……? ただ古賀さんって,ミサとか悪魔とか言いながら,黒魔術の作法あんまりよく知らないみたいなとこあって,ある意味ヌルかったんですよね。 / 烏丸 ( 2000-09-13 01:47 )
ううう、コワイよー。よちみは全巻は読んでないけどコワかったよー。「エコエコアザラク」は読んだことあります? ああコワイよー。 / ビクビクよちみ ( 2000-09-12 23:41 )
ううう、帰れないのか、そうだったのか。怖かったなあ『漂流教室』。精神的外傷を負った気がするでやんす。 / ぽたりん ( 2000-09-12 20:04 )

2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『ファンシィダンス』 岡野玲子 / 小学館


【本当に楽しいことは】

 岩田一平『縄文人は飲んべえだった』評にて,私は全国に残る丹生(にう)という地名や丹生神社という名前の神社が古代の水銀鉱床に由来するという説に触れ,さらにそれと岡野玲子『陰陽師』との関わりを指摘した。
 これに限らず,我が国の文藝作品には毒あるいは薬品としての「水銀」がイメージとして大きく通底してきたのではないかというのがかねてよりの私の持論であり……ウソ。たった今,思いついた。

 しかし,岡野玲子のファンなら,1980年代後半に書かれた『ファンシィダンス』の第1話(くどいようだけど,第1話だぜ)に,ヒロイン・真朱(まそほ)について「真朱という名には,水銀とイオウの化合物である辰砂の意味がある」と書いてあり,かたやいまや飛ぶモノノケをも落とす『陰陽師』第4巻には「水銀を含んでいる土を丹砂とか真朱とかいうのだがな」と丹生都比賣(にうつひめ)神社の起こりについて書いてあると知ったら「それって何かある!?」と思わないほうが波打ち際のリュウグウノツカイである。

 『ファンシィダンス』の主人公,塩野陽平はバンドでヴォーカルはったりおしゃべりしたり,シティボーイ(死語)を装ってはいるが,彼は田舎の禅寺の長男で,いつかはロックも遊びも振り捨ててスキンヘッドになってお山で修行しなくてはならない。じゃあ,付き合い始めた真朱をどうするの,真朱はどうするの,ということだが,そのあたりはうやむやなまま,ヨーヘーは山に向かう。
 お山から下りてパチンコにいそしむヨーヘーはパチンコ玉の描く自由曲線に「パチンコ台は宇宙への窓なんだ」「宇宙は無作為に広がった球と円運動の連続でできている」なんてこれまた安倍晴明みたいなことを言うのだが,このあたりヨーヘーが大人になった,修行の甲斐があった,と教養小説とみなすのはいかにも違う。彼の言葉は上っ面を掠めるだけで,喋ることと呼吸することはほとんど変わらない。
 というか,ヨーヘーも真朱も,その言動は実に皮相,「ちゃらちゃら」という言葉を絵に描いたような具合。だが,それは彼らが頭の中の不随意筋で思考している顕れで,だからこそ彼らは切実だ。彼らは「自分らしく」ないことについてハリネズミのようにデリケートで,「自分らしさ」から一歩でも外れるとストレスで即死んでしまうのだ。

 最終回は,ハワイおちゃらけ旅行から帰ったヨーヘーと真朱が結婚することになって終わる。もちろん,そんなハッピィエンドも上っ面で,彼らがその翌日ケンカ別れしていてもなんら不思議はない。

 ところで,今から20000年くらい経って誰かが地球にやって来て,摂氏70℃のビーチの暇つぶしに砂を掘ると埋もれた図書館が見つかり,原型を留めていた数少ない本のうち『ファンシィダンス』と『陰陽師』は同じ民族による同じ時代の宗教の経典だということになってしまう。
 こんなふうに烏丸が言い出しても,決して真に受けてはいけない。なにしろ水銀はね,通底するだけなんだ。陰と陽,Uの字にね。ヒィリラ,ヒィラハ。

*……『ファンシィダンス』は1989年に監督・周防正行で映画化されている。出演は本木雅弘,鈴木保奈美,竹中直人,大槻ケンヂ,宮本信子。

先頭 表紙

しっかし,この『ファンシィダンス』5巻の表紙カットは,岡野玲子しててよいなあ。この反対側は,坊主姿で踊るヨーヘーくんで,それがまたおしゃれ。 / 烏丸 ( 2000-09-12 13:14 )

2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『スーパードクターK』 真船一雄 / 講談社


【知っとるけぇ ドクターK】 ← 烏丸が言ったんじゃないぞ。作中に出てくるんだぞ

 何百年にもわたり一子相伝で独自の医療技術を伝え,権力に取り込まれることのないよう闇の世界に生きてきた,凄腕の医者の一族のお話。少年マガジン誌上10年にわたる長期連載で,単行本は『スーパードクターK』44巻,『Doctor K』のタイトルで10巻,これで完結。

 主人公の風貌や設定が『北斗の拳』と『ブラック・ジャック』ごちゃまぜのせいか,全54巻というボリュームの割りに今一つ評価が低い,というかほとんど話題にのぼらない。どうにも気の毒でならない。
 単行本には1冊あたりにはだいたい9話ずつ収録されているのだが,その中に必ず
  ・サスペンス,陰謀物
  ・スポーツ物
  ・ラブアフェア物
  ・警察,極道物
  ・歴史物
  ・海外派遣冒険物
  ・病院内の黒子にあたる地味な人物活躍物
  ・ギャグ物
などがちりばめられており,まことにサービス精神旺盛。もちろん,それには毎回なんらかの治療技術や医療ドラマが織り込まれており,これが週刊で連載されてきたことは賞賛に値する。
 なにしろ,週刊で毎週ワントラブルクリア物のマンガは,ありそうでこれが意外と多くないのだ。『ブラック・ジャック』や『美味しんぼ』,『代打屋トーゴー』,『親子刑事』などはそれゆえに評価されてきたわけだが,このドクターKももう少し評価されてよいのではないか。
 ああそれなのに,単行本の裏表紙がドクターKのマントひるがえして闘う姿で格闘ゲームコミックにしか見えないなど,権威に走ることもなく,作者や編集者の行き過ぎたサービス精神というかお人よしというか。

 ところで,この『ドクターK』は,ちょっと頼りない青年医師・高品の前に超絶技巧の医者K(KAZUYA)が現れ,彼の患者を救う話から始まる。
 最終回は,Kが癌の再発にもめげず最後まで医者として患者を救って死んだ数年後,大病院の院長となったこの高品が,Kとそっくりな少年とめぐり会うところで終わる。Kは誰とも結婚せずに死んだから,この少年はKのクローン。Kに惚れていた女医や許婚だった超能力看護婦がどうなったのかは全然わからない。高品の妻となった元看護婦も最終回ではぶくぶく太った毛皮と宝石亡者の老婆として描かれる。
 読者へのサービス精神の権化のような作者・真船一雄だが,高品をはじめ「男の友情」を大切にするのに比べると,どうにも女性に対してはかなり冷たいようだ。なにかよっぽどツラいことでもあったのだろうか。

先頭 表紙

2000-09-12 [雑談] マンガの最終回 あれこれ


【終わった,なにもかも……】

 長谷川町子の『サザエさん』にもちゃんと最終回はあった。なにしろ新聞連載の4コママンガだから,作者が現役で亡くなりでもしない限り,いちおうご挨拶はあったはずだ。
 しかし,『サザエさん』の最終回に記憶はないし,調べてみよう,という気も起こらない。ギャグマンガや読み切り連載は,最後だからといってそう変わった話ではないだろうから。鳥山明『Dr.スランプ』の最終回で,アラレちゃんが真っ白に燃えつきたという話も聞かない。手塚治虫『Black Jack』の最終話は気になるが,たぶんそれは「最終回」ではなく「最後に掲載された話」で,父親と和解したとかピノコと結ばれたとか,そういう派手は演出はなかったのよさ。あっちょんぶりけ。

 真っ白に燃えつきたといえばちばてつや『明日のジョー』だが,この最終回がこれほどまでに有名だということは,逆にいえば多くのマンガの最終回は有名でない,ということだ。
 そもそも,最終回を迎えるということは,多くの場合,そろそろ読者に飽きられたころでもある。キャラクターへの愛着こそあれ,作者の意欲も連載開始当時ほど熱くはないだろう。目先の事件をそれなりにまとめ,「これからも皆で楽しくいこう」「明日も地球の正義のために頑張ろう」と〆られたら,最終回であったことに気づかず,さらりと忘れてしまう可能性大だ。宮腰義勝『宇宙少年ソラン』の最終回がこのタイプで,お姉さん探しはどうした,と30年以上経ってもフラストレーションが残っている。

 しかし,一方では,「記憶は曖昧だが,確認してみると,なんだこれは! というくらいとんでもない」最終回も,マンガ界には少なくない。作者が連載打ち切りにヤケになってしまったのだろうか?
 たとえば中島徳博『アストロ球団』。ようやく9人そろって,さあこれから日本プロ野球で大活躍! というところで,巨人軍川上監督らプロ野球側からそのあまりの力量,過激さに国内での試合を禁じられ,新天地求めてアフリカへ旅立つ……野球チームがアフリカに行ってどうするのか,とは思うが,ともかくそう終わったのである(ちなみに,同時期の本宮ひろし『群竜伝』は長嶋や王を含む覆面チームに勝った後,日本には敵がいないとアメリカに旅立つ。どこからどこまでそっくりなマンガであった)。
 村上もとか『赤いペガサス』では,さまざまな困難や同僚のペペの死を乗り越えてF1のワールドチャンピオンとなった主人公ケン・アカバがユキに言う,「ボクといっしょにくらそう!! そうしたら………ボクたちは夫婦だ!!」。ちょと待て。ユキは妹だろうが(のちに村上の弟子・千葉潔和によって続編が描かれたが,これはなかったことにしたい)。
 吉田秋生『Banana fish』では,せっかく日本に帰る英二と和解しながら,アッシュはナイフで刺されて死ぬ。感動的だが,よく考えたらながやす巧『愛と誠』の最終回とまるっきしそっくりである。

 などなど,マンガの最終回は,オーソドックスであったり,意外であったり。そのいくつかをこの「くるくる」で取り上げてみたい。『エースをねらえ!』の最終回は? 『シティハンター』は? 『男どアホウ!甲子園』は? ←このへんを取り上げるとは限らない。念のため。

 最終回を求めて記憶と本棚をさすらう旅は,ときに思いがけなく苦い出会いを生むだろう。
 たとえばあなたは,♪苦しくったって……の浦野千賀子『アタックNo.1』の主人公,鮎原こずえが,子宮付属器炎で子供の生めない体になったこと,ボーイフレンドの一ノ瀬努クンを交通事故で失ったことをご存知だろうか?

先頭 表紙

この文,出先で書いたので,ケン・アカバのセリフが間違ってました。修正しておきます(とんでもなさはそんなに変わらんと思うが)。 / 烏丸 ( 2000-09-13 11:49 )
『漂流教室』,書いてみました。こんなもんでどうでそ。『恐怖新聞』は怖いので,ちょっとお待ちください。 / 烏丸(最終回リクエスト募集中) ( 2000-09-12 19:55 )
『恐怖新聞』の最終回ってどうだったんでしょう? 怖いなあ。思い出したくないなあ。『漂流教室』も思い出したくないけど、気になるなあ。この辺は取り上げてもらえるのかなあ。期待しようっと。 / ぽたりん ( 2000-09-12 17:19 )
あ、あ、『アストロ球団』! 懐かしい! 「こんなんありかよ!」っていう最終回だった記憶だけはあったのですが、まさかアフリカに旅立ったとは! / ぽたりん ( 2000-09-12 17:05 )

2000-09-11 『奥さま進化論』に見る秋月りす進化論


【43歳で奈良県在住で】

 モーニング連載『OL進化論』で知られる秋月りすは,月々,いったいいくつくらい4コママンガを描いているのだろう? これまで発刊された単行本は,現在うちの本棚にある限りでは以下のとおり。

  『奥さま進化論』1巻
  『OL進化論』16巻
  『奥さまはインテリアデザイナー』1巻
  『あねさんBEAT! ミドリさん』2巻
  『かしましハウス』5巻
  『OLちんたらポンちゃん』1巻

 「女性自身」掲載の『ポンちゃん』までそろえているのが,我ながらシブい。

 さて,これらのうちいくつかは現在も連載継続中だし,単行本化されていない作品には朝日新聞土曜日夕刊掲載の『どーでもいいけど』,さらには小説現代増刊メフィスト掲載『中間管理職刑事』なんてものまである。
 ざっと数えてみたところ,少なく見積もっても毎月50本を下回ることはなさそうだ。これはすごい数だと思う。なにしろ,作品の舞台は普通の会社と普通の家庭だけで,図抜けて奇抜な設定のキャラクターはいない(社長,社長秘書といった少数派の登場人物すら,最近はめったに登場しなくなった)。ごく普通のちょっととぼけたOLや主婦,その家族が言いそうなこと,やってしまいそうなことだけで10年以上にわたり4コマギャグを毎月50本描き続ける……この作業の大変さは想像を絶する。

 その安定した制作ペースを支えているものの1つが,彼女のゆったり安定したペンタッチだ。OL,主婦など,いちおう人物は髪型などで描きわけられているが,目もとのタッチやそら豆型の顔の輪郭はこの10年間,ほとんど変わっていない。

 ふと気になって,デビュー作品『奥さま進化論』を調べてみた。
 添付画像の上が初掲載時(88年モーニングパーティー増刊19号),下が最終回(89年モーニング17号)のものである。初掲載時は現在の作風に比べて明らかにキャラの輪郭が荒いが,最終回の表情は近作とほとんど違いがない。つまり,このタッチはデビュー作品を描いている間に仕上がったものであり,その後はそれを変える必要がなかったということだ。

 「進化」とは,生物がそれまでの形態を捨て,なんらかの新しい形態を得ることである。『〜進化論』というタイトルとは裏腹に,秋月りすは早い段階で進化を終え,そこで安定再生産に入ったということがこの添付画像からはうかがえる。その意味では,「平成のサザエさん」という呼称は,それなりに紆余曲折のある『ちびまる子ちゃん』より『OL進化論』のほうが似つかわしいのかもしれない。
 もっとも,うっかり秋月りすが進化してしまい,いしいひさいちや相原コージや吉田戦車や須賀原洋行ややくみつる(はた山ハッチ)や業田良家や中川いさみのようになってしまっても,それはそれで困ってしまうのだが。

先頭 表紙


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