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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『ファンシィダンス』 岡野玲子 / 小学館
2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『スーパードクターK』 真船一雄 / 講談社
2000-09-12 [雑談] マンガの最終回 あれこれ
2000-09-11 『奥さま進化論』に見る秋月りす進化論
2000-09-11 『ちびまる子ちゃん』 さくらももこ / 集英社(りぼんマスコットコミックス )
2000-09-10 『インターネット事件簿』 別冊宝島編集部 / 宝島社(宝島社文庫)
2000-09-09 『ガラス玉』 岡田史子/朝日ソノラマ(サンコミックス)
2000-09-09 『胡桃の中の世界』 澁澤龍彦 / 河出書房新社(河出文庫)
2000-09-08 『もの食う人びと』 辺見 庸 / 角川書店(角川文庫)
2000-09-08 『法医学教室の午後』 西丸与一 / 朝日新聞社(朝日文庫) ほか


2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『ファンシィダンス』 岡野玲子 / 小学館


【本当に楽しいことは】

 岩田一平『縄文人は飲んべえだった』評にて,私は全国に残る丹生(にう)という地名や丹生神社という名前の神社が古代の水銀鉱床に由来するという説に触れ,さらにそれと岡野玲子『陰陽師』との関わりを指摘した。
 これに限らず,我が国の文藝作品には毒あるいは薬品としての「水銀」がイメージとして大きく通底してきたのではないかというのがかねてよりの私の持論であり……ウソ。たった今,思いついた。

 しかし,岡野玲子のファンなら,1980年代後半に書かれた『ファンシィダンス』の第1話(くどいようだけど,第1話だぜ)に,ヒロイン・真朱(まそほ)について「真朱という名には,水銀とイオウの化合物である辰砂の意味がある」と書いてあり,かたやいまや飛ぶモノノケをも落とす『陰陽師』第4巻には「水銀を含んでいる土を丹砂とか真朱とかいうのだがな」と丹生都比賣(にうつひめ)神社の起こりについて書いてあると知ったら「それって何かある!?」と思わないほうが波打ち際のリュウグウノツカイである。

 『ファンシィダンス』の主人公,塩野陽平はバンドでヴォーカルはったりおしゃべりしたり,シティボーイ(死語)を装ってはいるが,彼は田舎の禅寺の長男で,いつかはロックも遊びも振り捨ててスキンヘッドになってお山で修行しなくてはならない。じゃあ,付き合い始めた真朱をどうするの,真朱はどうするの,ということだが,そのあたりはうやむやなまま,ヨーヘーは山に向かう。
 お山から下りてパチンコにいそしむヨーヘーはパチンコ玉の描く自由曲線に「パチンコ台は宇宙への窓なんだ」「宇宙は無作為に広がった球と円運動の連続でできている」なんてこれまた安倍晴明みたいなことを言うのだが,このあたりヨーヘーが大人になった,修行の甲斐があった,と教養小説とみなすのはいかにも違う。彼の言葉は上っ面を掠めるだけで,喋ることと呼吸することはほとんど変わらない。
 というか,ヨーヘーも真朱も,その言動は実に皮相,「ちゃらちゃら」という言葉を絵に描いたような具合。だが,それは彼らが頭の中の不随意筋で思考している顕れで,だからこそ彼らは切実だ。彼らは「自分らしく」ないことについてハリネズミのようにデリケートで,「自分らしさ」から一歩でも外れるとストレスで即死んでしまうのだ。

 最終回は,ハワイおちゃらけ旅行から帰ったヨーヘーと真朱が結婚することになって終わる。もちろん,そんなハッピィエンドも上っ面で,彼らがその翌日ケンカ別れしていてもなんら不思議はない。

 ところで,今から20000年くらい経って誰かが地球にやって来て,摂氏70℃のビーチの暇つぶしに砂を掘ると埋もれた図書館が見つかり,原型を留めていた数少ない本のうち『ファンシィダンス』と『陰陽師』は同じ民族による同じ時代の宗教の経典だということになってしまう。
 こんなふうに烏丸が言い出しても,決して真に受けてはいけない。なにしろ水銀はね,通底するだけなんだ。陰と陽,Uの字にね。ヒィリラ,ヒィラハ。

*……『ファンシィダンス』は1989年に監督・周防正行で映画化されている。出演は本木雅弘,鈴木保奈美,竹中直人,大槻ケンヂ,宮本信子。

先頭 表紙

しっかし,この『ファンシィダンス』5巻の表紙カットは,岡野玲子しててよいなあ。この反対側は,坊主姿で踊るヨーヘーくんで,それがまたおしゃれ。 / 烏丸 ( 2000-09-12 13:14 )

2000-09-12 マンガの最終回シリーズ 『スーパードクターK』 真船一雄 / 講談社


【知っとるけぇ ドクターK】 ← 烏丸が言ったんじゃないぞ。作中に出てくるんだぞ

 何百年にもわたり一子相伝で独自の医療技術を伝え,権力に取り込まれることのないよう闇の世界に生きてきた,凄腕の医者の一族のお話。少年マガジン誌上10年にわたる長期連載で,単行本は『スーパードクターK』44巻,『Doctor K』のタイトルで10巻,これで完結。

 主人公の風貌や設定が『北斗の拳』と『ブラック・ジャック』ごちゃまぜのせいか,全54巻というボリュームの割りに今一つ評価が低い,というかほとんど話題にのぼらない。どうにも気の毒でならない。
 単行本には1冊あたりにはだいたい9話ずつ収録されているのだが,その中に必ず
  ・サスペンス,陰謀物
  ・スポーツ物
  ・ラブアフェア物
  ・警察,極道物
  ・歴史物
  ・海外派遣冒険物
  ・病院内の黒子にあたる地味な人物活躍物
  ・ギャグ物
などがちりばめられており,まことにサービス精神旺盛。もちろん,それには毎回なんらかの治療技術や医療ドラマが織り込まれており,これが週刊で連載されてきたことは賞賛に値する。
 なにしろ,週刊で毎週ワントラブルクリア物のマンガは,ありそうでこれが意外と多くないのだ。『ブラック・ジャック』や『美味しんぼ』,『代打屋トーゴー』,『親子刑事』などはそれゆえに評価されてきたわけだが,このドクターKももう少し評価されてよいのではないか。
 ああそれなのに,単行本の裏表紙がドクターKのマントひるがえして闘う姿で格闘ゲームコミックにしか見えないなど,権威に走ることもなく,作者や編集者の行き過ぎたサービス精神というかお人よしというか。

 ところで,この『ドクターK』は,ちょっと頼りない青年医師・高品の前に超絶技巧の医者K(KAZUYA)が現れ,彼の患者を救う話から始まる。
 最終回は,Kが癌の再発にもめげず最後まで医者として患者を救って死んだ数年後,大病院の院長となったこの高品が,Kとそっくりな少年とめぐり会うところで終わる。Kは誰とも結婚せずに死んだから,この少年はKのクローン。Kに惚れていた女医や許婚だった超能力看護婦がどうなったのかは全然わからない。高品の妻となった元看護婦も最終回ではぶくぶく太った毛皮と宝石亡者の老婆として描かれる。
 読者へのサービス精神の権化のような作者・真船一雄だが,高品をはじめ「男の友情」を大切にするのに比べると,どうにも女性に対してはかなり冷たいようだ。なにかよっぽどツラいことでもあったのだろうか。

先頭 表紙

2000-09-12 [雑談] マンガの最終回 あれこれ


【終わった,なにもかも……】

 長谷川町子の『サザエさん』にもちゃんと最終回はあった。なにしろ新聞連載の4コママンガだから,作者が現役で亡くなりでもしない限り,いちおうご挨拶はあったはずだ。
 しかし,『サザエさん』の最終回に記憶はないし,調べてみよう,という気も起こらない。ギャグマンガや読み切り連載は,最後だからといってそう変わった話ではないだろうから。鳥山明『Dr.スランプ』の最終回で,アラレちゃんが真っ白に燃えつきたという話も聞かない。手塚治虫『Black Jack』の最終話は気になるが,たぶんそれは「最終回」ではなく「最後に掲載された話」で,父親と和解したとかピノコと結ばれたとか,そういう派手は演出はなかったのよさ。あっちょんぶりけ。

 真っ白に燃えつきたといえばちばてつや『明日のジョー』だが,この最終回がこれほどまでに有名だということは,逆にいえば多くのマンガの最終回は有名でない,ということだ。
 そもそも,最終回を迎えるということは,多くの場合,そろそろ読者に飽きられたころでもある。キャラクターへの愛着こそあれ,作者の意欲も連載開始当時ほど熱くはないだろう。目先の事件をそれなりにまとめ,「これからも皆で楽しくいこう」「明日も地球の正義のために頑張ろう」と〆られたら,最終回であったことに気づかず,さらりと忘れてしまう可能性大だ。宮腰義勝『宇宙少年ソラン』の最終回がこのタイプで,お姉さん探しはどうした,と30年以上経ってもフラストレーションが残っている。

 しかし,一方では,「記憶は曖昧だが,確認してみると,なんだこれは! というくらいとんでもない」最終回も,マンガ界には少なくない。作者が連載打ち切りにヤケになってしまったのだろうか?
 たとえば中島徳博『アストロ球団』。ようやく9人そろって,さあこれから日本プロ野球で大活躍! というところで,巨人軍川上監督らプロ野球側からそのあまりの力量,過激さに国内での試合を禁じられ,新天地求めてアフリカへ旅立つ……野球チームがアフリカに行ってどうするのか,とは思うが,ともかくそう終わったのである(ちなみに,同時期の本宮ひろし『群竜伝』は長嶋や王を含む覆面チームに勝った後,日本には敵がいないとアメリカに旅立つ。どこからどこまでそっくりなマンガであった)。
 村上もとか『赤いペガサス』では,さまざまな困難や同僚のペペの死を乗り越えてF1のワールドチャンピオンとなった主人公ケン・アカバがユキに言う,「ボクといっしょにくらそう!! そうしたら………ボクたちは夫婦だ!!」。ちょと待て。ユキは妹だろうが(のちに村上の弟子・千葉潔和によって続編が描かれたが,これはなかったことにしたい)。
 吉田秋生『Banana fish』では,せっかく日本に帰る英二と和解しながら,アッシュはナイフで刺されて死ぬ。感動的だが,よく考えたらながやす巧『愛と誠』の最終回とまるっきしそっくりである。

 などなど,マンガの最終回は,オーソドックスであったり,意外であったり。そのいくつかをこの「くるくる」で取り上げてみたい。『エースをねらえ!』の最終回は? 『シティハンター』は? 『男どアホウ!甲子園』は? ←このへんを取り上げるとは限らない。念のため。

 最終回を求めて記憶と本棚をさすらう旅は,ときに思いがけなく苦い出会いを生むだろう。
 たとえばあなたは,♪苦しくったって……の浦野千賀子『アタックNo.1』の主人公,鮎原こずえが,子宮付属器炎で子供の生めない体になったこと,ボーイフレンドの一ノ瀬努クンを交通事故で失ったことをご存知だろうか?

先頭 表紙

この文,出先で書いたので,ケン・アカバのセリフが間違ってました。修正しておきます(とんでもなさはそんなに変わらんと思うが)。 / 烏丸 ( 2000-09-13 11:49 )
『漂流教室』,書いてみました。こんなもんでどうでそ。『恐怖新聞』は怖いので,ちょっとお待ちください。 / 烏丸(最終回リクエスト募集中) ( 2000-09-12 19:55 )
『恐怖新聞』の最終回ってどうだったんでしょう? 怖いなあ。思い出したくないなあ。『漂流教室』も思い出したくないけど、気になるなあ。この辺は取り上げてもらえるのかなあ。期待しようっと。 / ぽたりん ( 2000-09-12 17:19 )
あ、あ、『アストロ球団』! 懐かしい! 「こんなんありかよ!」っていう最終回だった記憶だけはあったのですが、まさかアフリカに旅立ったとは! / ぽたりん ( 2000-09-12 17:05 )

2000-09-11 『奥さま進化論』に見る秋月りす進化論


【43歳で奈良県在住で】

 モーニング連載『OL進化論』で知られる秋月りすは,月々,いったいいくつくらい4コママンガを描いているのだろう? これまで発刊された単行本は,現在うちの本棚にある限りでは以下のとおり。

  『奥さま進化論』1巻
  『OL進化論』16巻
  『奥さまはインテリアデザイナー』1巻
  『あねさんBEAT! ミドリさん』2巻
  『かしましハウス』5巻
  『OLちんたらポンちゃん』1巻

 「女性自身」掲載の『ポンちゃん』までそろえているのが,我ながらシブい。

 さて,これらのうちいくつかは現在も連載継続中だし,単行本化されていない作品には朝日新聞土曜日夕刊掲載の『どーでもいいけど』,さらには小説現代増刊メフィスト掲載『中間管理職刑事』なんてものまである。
 ざっと数えてみたところ,少なく見積もっても毎月50本を下回ることはなさそうだ。これはすごい数だと思う。なにしろ,作品の舞台は普通の会社と普通の家庭だけで,図抜けて奇抜な設定のキャラクターはいない(社長,社長秘書といった少数派の登場人物すら,最近はめったに登場しなくなった)。ごく普通のちょっととぼけたOLや主婦,その家族が言いそうなこと,やってしまいそうなことだけで10年以上にわたり4コマギャグを毎月50本描き続ける……この作業の大変さは想像を絶する。

 その安定した制作ペースを支えているものの1つが,彼女のゆったり安定したペンタッチだ。OL,主婦など,いちおう人物は髪型などで描きわけられているが,目もとのタッチやそら豆型の顔の輪郭はこの10年間,ほとんど変わっていない。

 ふと気になって,デビュー作品『奥さま進化論』を調べてみた。
 添付画像の上が初掲載時(88年モーニングパーティー増刊19号),下が最終回(89年モーニング17号)のものである。初掲載時は現在の作風に比べて明らかにキャラの輪郭が荒いが,最終回の表情は近作とほとんど違いがない。つまり,このタッチはデビュー作品を描いている間に仕上がったものであり,その後はそれを変える必要がなかったということだ。

 「進化」とは,生物がそれまでの形態を捨て,なんらかの新しい形態を得ることである。『〜進化論』というタイトルとは裏腹に,秋月りすは早い段階で進化を終え,そこで安定再生産に入ったということがこの添付画像からはうかがえる。その意味では,「平成のサザエさん」という呼称は,それなりに紆余曲折のある『ちびまる子ちゃん』より『OL進化論』のほうが似つかわしいのかもしれない。
 もっとも,うっかり秋月りすが進化してしまい,いしいひさいちや相原コージや吉田戦車や須賀原洋行ややくみつる(はた山ハッチ)や業田良家や中川いさみのようになってしまっても,それはそれで困ってしまうのだが。

先頭 表紙

2000-09-11 『ちびまる子ちゃん』 さくらももこ / 集英社(りぼんマスコットコミックス )


【まる子とグレゴリウス暦の謎】

 『ちびまる子ちゃん』の連載が始まったのは,1986年の「りぼん」8月号。

 連載は,1学期が終わり,工作で作ったヘンな人形や観察用のヘチマを持ち帰る小学3年生のまる子の姿から始まります。7月下旬のお話ですね。
 作者自らがのちに「サザエさんをお手本に」「まるちゃんはずっと3年生だよ」と書いているように,まる子はそれから14年経った今週日曜日のアニメでも小学3年生のまま。では,まる子が小学3年生の無限ループで生きたのは,いったいいつのことだったのでしょう。
 実は,単行本の1冊めの後半に,その答えは明記されています。連載8回めでは,せっかくまる子がマラソン大会で10位に入賞したのに,この年昭和50(1975)年は石油ショックのあおりで紙の値段が高騰し,8・9・10位の生徒は賞状がもらえなかった,という逸話が書かれているのです(石油ショックそのものは,1973年10月の第4次中東戦争がきっかけ)。これが2月のことらしいので,まる子は1974年から1975年にかけて小学3年生だった,ということになります。

 ところが,ちびまる子がこれほど人気マンガになるとは作者も予想してなかったのでしょう,そのあたりにはちょっとした矛盾があります。連載第2回めでまる子は8月31日になっても夏休みの宿題が片付いていないことに苦慮するのですが,
 「わたしの日記帳は8月3日で時がとまっている……」
と開かれた絵日記は「8月3日(水) 天気はれ」。むむ? 調べた限りでは1970年代の8月3日は
  1970年 月
  1971年 火
  1972年 木 *
  1973年 金
  1974年 土
  1975年 日
  1976年 火 *
  1977年 水
  1978年 木
  1979年 金
で(*印はうるう年),水曜日なのは1977年だけ。しかも,連載5回めでは,町内のクリスマス会が12月23日の水曜日に開かれたことになっています。カレンダーをめくってみればわかりますが,8月3日と12月23日が同じ曜日になることは現在の暦では絶対にありません。

 なんてね。こういう重箱の隅つつきして楽しいマンガというわけではないですね。
「ヘチマかぁ。自分もヘチマ水って瓶に集めたなあ。美容に効くって,誰が使ったっけか?」
とか,
「ちびまる子ちゃんに出てきた『笑いぶくろ』って覚えてる?」
「覚えてる覚えてる。アメリカン・クラッカー,シーモンキー,水中モーターなんかと並ぶ定番でしょう。あの笑い声って,キング・クリムゾンの『太陽と戦慄』ってアルバムのイージー・マネーに効果音として使われてるんだよね」
って言ってたりするほうがそりゃ楽しいものね。

先頭 表紙

その番組は見ておりませんし,そもそも烏丸はまる子者としては社内でも単細胞ゾウリムシレベル。なにしろ,野口さん登場が何巻かさっきから探しているのに,11巻から後が見つからない……ふぅ,エアコンのない納戸にしゃがみこんで探し物するのは,暑い。 / 烏丸 ( 2000-09-12 01:28 )
私は最近、お笑いノートをつけたくなる衝動にかられ、自分が野口さん化しているような気がするのです。。ところで、烏丸様はBSまんが夜話のちびまる子ちゃんの回はご覧になりましたでしょうか?ちびまる子ちゃんの奥の深さとその奥を探る人の奥の深さに感動しました。 / ほにゃらら ( 2000-09-12 00:51 )
いろいろどうもどうもありがとう〜 (*^^)/サンです / mishika ( 2000-09-11 15:57 )
あ! 2号に1〜4巻をかりっぱなしだわ!次は3号が待ってるはず・・・。野口さんが出てくるのは何巻からかしら? / 美人OL旭1号 ( 2000-09-11 13:24 )
烏丸がちょっと人生ツラかった時期ですね。無意識にタイムスリップしたのかしら(泣)。 / 慌てて修正,烏丸 ( 2000-09-11 12:53 )
途中、76年から77年にかけて、100年ばかしタイムスリップしてるでやんす。 / 重箱のぽた公 ( 2000-09-11 12:32 )

2000-09-10 『インターネット事件簿』 別冊宝島編集部 / 宝島社(宝島社文庫)


【転ばぬ先の川流れ】

 東芝告発事件,レイプ共謀,アングラ販売,個人情報流出,マルチ商法,コンピュータウイルス,アダルト配信,音楽データ配信。本書はこれら,インターネットを舞台に最近話題になったさまざまな事件,トラブルをアットランダムに紹介したもの。
 宝島社には申し訳ないが,正直言って期待したほどの内容ではなかった。なにしろテーマが多岐にわたり,1つの事件にせいぜい数ページ程度しか割けていないのだ。
 たとえば東芝告発事件など,実際のサイトや雑誌の記事を時系列にウォッチしてないと,本書だけではとても全貌や雰囲気はつかめないだろう。また,トラブル現場のURLが細かく掲載されているわけでもないため,実際にインターネットにアクセスしている者にとっての資料性も薄い(もちろん,現場を自力で探せないレベルの者にトラブル現場や地下ゲームのURLを教えるくらい危険なことはないのだが)。

 しかし,インターネットで起こった,あるいはこの先起こり得るトラブルに詳しいと言う自信のある方を除き(*1),本書,あるいは類書を最低でも1冊読んでおくことは,強くお奨めしたい。
 子供が,飴玉をくれるからと見知らぬ大人についていったらどうなるか。炎天下,生モノを拾い食いしたらどうなるか。酒に強くもないのに,ミニスカートにタンクトップの小娘が三次会までついていったらどうなるか(*2)。老人が,訪問販売の甘口に金の地金を買ったらどうなるか。
 実社会でのこれらオマヌケが,ネット世界ではどのような形で展開するのか,せめてその気配,パターンを知っておくこと,そして自分だってオマヌケな地雷を踏む可能性があると言う覚悟をしておくことは,決して無意味ではない。

 ちなみに,SOHO(*3)について相談を受けている知人によれば,どんなに忠告しても,「自宅で月3万の仕事ができる,そのためにこの70万円のパソコンと教材のセットを購入」にだまされる者は後を絶たないのだそうだ。そんな連中は本書を読んでも無駄,騙されるときには騙されるのだろう。それは決してインターネットのせいではない。

 もう一点,念のため。
 本書にも再三明記してあるが,インターネット上での匿名性を過信するのは禁物だ。なんらかの被害を受けたとき,あるいは逆に法を犯したとき,いくら当人が匿名のつもりでいても,請求書と逮捕状だけは無事に届く。俗に言う後悔後の祭りである。

*1……よほど特殊なスキルを持ち合わせ,なおかつ勉強熱心な一部のベテランか,あるいはただの思い上がり野郎だろう。前者なら釈迦に説法だし,後者ならつける薬はない。本書を買っても金と時間の無駄,ヘタすれば過信に上塗りするだけ,周囲の迷惑かもしれない(ちなみにこの烏丸,どこに薬をつければよいかわからないほど何もわかっていない)。

*2……もちろんお嬢さんのほうでなく,相手をする男についての話。若気のイタリー,因果欧州。ちなみにこの烏丸,いやその。

*3……スモールオフィス,ホームオフィス。小規模オフィスや家庭で仕事をする個人事業のこと。

先頭 表紙

2000-09-09 『ガラス玉』 岡田史子/朝日ソノラマ(サンコミックス)


【意味の病と戦う】

 昔,池袋場末のジャズスナックで,文芸座帰りの興奮のままタルコフスキーか何かを評するのに「哲学的」と口にしたところ,大学で哲学を教えている人物から「自分に理解できないものを,軽々しく『哲学的』などと言うべきでない。それは哲学という作業から最も遠い姿勢だ」とたしなめられたことがある。おっしゃる通り。
 しかし,シュールという形容詞がシュルレアリスムと無縁なように,説明がつかないながらなにか重みのこもった作品をつい「哲学的」と評してしまうのも,まぁ,ままあることだ。
 要するに岡田史子は「シュール」で「哲学的」で,比類ないのである。

 岡田史子は,1967年に投稿者として「COM」に登場し,その強烈な絵柄,大胆な言葉遣いで伝説となった。ストーリーマンガとは言い難い作品の粗筋を取り上げても仕方ないが,いくつか簡単に紹介してみよう。

  両親がいまわのときに渡してくれたガラス玉をなくしてしまったレド・アール。彼の家に彼の死体が現れる。このまま半分死んでいるよりはと,彼は恋人リーベの制止をふりきってガラス玉をつくれるというアトラクシアに向かう。(ガラス玉)

  ママンと妹アベローネの死の際に脂肪くさい黄色いけむりを見たエドワルドは,パリの美術学校に進み,悲惨な乞食の姿だのショウフだの腐ったもののにおうような街の絵だのばかり描く。彼を想うソフィやエレンも救いにはならず,彼は家にこもって描き続ける。(赤い蔦草)

  ある日小耳にした「きのうのにおい」という言葉に,「ぼく」は昔読んだ絵本のことを思い出す。その絵本を見つけてくれた姉が首を吊って死んだことを思い出す。猫を死なせたことを思い出す。その猫の名前がママであること,姉が自分をママを二度殺したと責めたこと,自分の火遊びがママを死なせたことを思い出す。(私の絵本)

  墓地へゆく道には,刈りとった稲の陰でくすくす笑う女,叫ぶ髪の長い女,すみれを踏みにじって少年に指をかじらせている女,陽だまりにうずくまって汽車にひかれる夢をみている少女がいる。そして真冬の墓地には。(墓地へゆく道)

  気の狂った姉は発作を起こしてイリアーの目を刺し,病院に入れられる。迷ったあげく彼を訪ねた画家のエバは,今日は日曜日よと告げる。(ホリディ)

 ……これらが,「一作描いたら,その絵柄にあきてしまうから」と,あるときはマンガらしいクリアな描線,あるときはムンクを強く意識した影の多いコマ,あるいはポップでリアルなタッチで描かれる。一見「幻想的」という言葉が似合いそうだが,実は語り手が幻想を見るという状況があるだけで,作品世界が幻想に流れているわけではない。

 岡田史子を読むには,古書街で「COM」を手に入れるか(以前は全巻で20万円くらいだった),単行本を探すしかない。単行本は『ガラス玉』のほか,同じ朝日ソノラマからの『ほんのすこしの水』『ダンス・パーティー』,NTT出版の『岡田史子作品集vol.1 赤い蔓草』『vol.2 ほんのすこしの水』,この5冊だけだ。しかも『ダンス・パーティー』は10年ほどの沈黙の後,マンガ少年等に掲載されたものが中心で,かつての緊張感は見る影もない。

 ところで,朝日ソノラマの単行本『ガラス玉』は,表紙カバーの次の一節でも知られている。

  極寒の地北海道で,あふれる想像力と,とぎすまされた感受性を武器に,「意味の病」と必死に戦った表現者岡田史子。(中略)彼女の苦闘と挫折の軌跡である。

 さらに巻末の萩尾望都の解説は,以下のように書かれて閉じる。

  北海道は少なくともひとりの天才を,雪の中にかかえているのだ。

先頭 表紙

2000-09-09 『胡桃の中の世界』 澁澤龍彦 / 河出書房新社(河出文庫)


【役に立たない知識はなんてカッコいいのだろう】

 出口裕弘によれば,当時の澁澤の作業はよくもあしくもフランス語の文献からの「コラージュ」だったという。確かにその通りで,彼の業績の多くは古今の文献からさまざまなイメージの宝石を切り取って羅列したことであり,翻訳者としてブルトンやサドを紹介した行為も,その延長に過ぎないのかもしれない(*1)。
 だが,この種のフレーバーに引き寄せられる傾向のある者にとって,澁澤のコラージュはネコにマタタビ,オタクにアニメビデオである。なにしろ黒魔術に錬金術,毒薬にエロティシズム。石の中に宇宙があって,ホムルンクスは白目を剥き,薔薇十字は時を越えて秘密をひさぐのである。ごろにゃんにゃん。

 そんな澁澤作品の中で,この烏丸のお気に入りは,エッセイ13作品をまとめた『胡桃の中の世界』だ。
 たとえば,その中の一編「宇宙卵について」では,澁澤はまずピエロ・デラ・フランチェスカの聖母子の頭上に描かれた駝鳥の卵が処女懐胎のシンボルであることに着目し,卵から宇宙が発生するという世界各地の神話に思いを馳せ,さらには錬金術において「賢者の石」を精製する容器たる「哲学の卵」について詳解する。まさしく「うっとりだな」((C)晴明)。

 正直に言おう,この烏丸,『胡桃の中の世界』が発刊された当時はこれらにいかなる意味があるのやら,ちっともわからなかった。今だって「わかる」などと言うつもりはない。しかし,病気の正体を知らなくともハシカには罹る。ひとたびその香味を知ってしまったなら,彼の作品のみならずシュルレアリスムや黒魔術の文献求めて東西駆けめぐったのはいつの日か。

 無論,澁澤が列挙する知識が何かの役に立つかと問われれば,大概において否と答えるほかない。しかし,役に立たない知識は,逆にいえば純粋培養された読書の,ピュアな快感を呼ぶ。のちにオウム・サリン事件に結びついたオカルトブームは,一見近しい話題を扱いながら,勘違いや思い込みの強さにおいて,澁澤のサングラスの奥のダンディーな眼差しとは無縁だ。
 何言ってるんだかさっぱりわからない? 実は,書き手もよくわかっていないのである。

*1……澁澤が翻訳したサド『悪徳の栄え 続』が猥褻罪で摘発されたのは1959(昭和34)年。三島由紀夫,遠藤周作,埴谷雄高,吉行淳之介らを証人とするなど「猥褻」の定義をめぐって文壇,社会を巻き込んだ後,十年後の1969年有罪判決。フランス書院文庫やマドンナメイトが発禁にならず,逆にインターネット上のJPEGファイルに性器が見えた見えないで摘発が完結する昨今を思うと隔世の感あり。

先頭 表紙

2000-09-08 『もの食う人びと』 辺見 庸 / 角川書店(角川文庫)


【食らう】

 検死だの解剖だの,烏丸ってばまったく。また少し,気分変えよう。

 『もの食う人びと』は,共同通信社の特派員だった著者が世界中の紛争地帯,飢餓地域を訪ね,ひたすら現地人とともに食って食って食らいまくるルポルタージュ。
 ダッカでの残飯を皮切りに,ベトナムのフォー,ベルリンの刑務所,ポーランドの炭坑,クロアチアの戦火の下の食事,ソマリアの炎熱,ウガンダのエイズ禍,チェルノブイリの放射能汚染スープ,自殺を図った慰安婦たちとの饗宴……。

 走り,笑い,眠り,座り,泣くことと同様に,食べることは生きることだ。人は,バットで殴られれば死に,サリンを吸えば死に,食べられなくなると死ぬ。それだけのことがわからなくなってしまったこの国では,「生きるために食べる」たったそれだけのことを確認するのに,このような書物が書かれないといけないのだ。
 なんてこった。

先頭 表紙

2000-09-08 『法医学教室の午後』 西丸与一 / 朝日新聞社(朝日文庫) ほか


【まだまだ,死体がいっぱい】

 もちろん,中公文庫以外にも,魅力的な法医学本はある。

◇『法医学教室の午後』
◇『続 法医学教室の午後』
◇『法医学教室との別れ』
 西丸与一,朝日新聞社(朝日文庫)

 本文1ページ目が「夜にはいると,雨は少しおさまり,霧が出始めた。白っぽい幕が,静かに流れ動く。」で始まるように,エッセイ,ドラマ色が強く,その分,法医学の学術書,啓蒙書としての色合いは薄い(3冊目の『別れ』はとくにウェット)。死体の状態から死因を究明する,といった記述もなくはないが,大学内での法医学のあり方,残された遺族の言動に比重を置く点に他の法医学本にない特徴が見られる。
 なお,1985年には本作を題材とした2時間ドラマが日本テレビ系で放映され,その後の法医学ドラマの端緒となった。監督は大森一樹,出演:菅原文太,紺野美沙子,寺尾聰,大江千里ほか。翌年には続編『法医学教室の長い1日』も放映されている。

◇『死体は生きている』
◇『死体は知っている』
◇『死体検死医』
 上野正彦,角川書店(角川文庫)

 著者は東京都監察医務院院長を1989年に退任後,法医学評論家として活躍中。ゲーテの臨終時の言葉を取り上げたり,死と魂について述べたりするなど,同じ法医学を扱いつつも,これまで挙げた他の本に比べるとかなり情緒に流れる傾向あり。その分,読み物としては読みやすいかもしれない。
 本書を原作とするドラマ『助教授一色麗子 法医学教室の女』が,日本テレビ系で1991年の夏から秋にかけて放映されている(全10回)。出演は篠ひろ子,山下真司,大鶴義丹ほか。

◇『死体の証言―死者が語る隠されたドラマ』
 上野正彦・山村正夫,光文社(光文社文庫)

 推理作家・山村正夫との対談。対談集の限界か,やや漫然とした印象。

◇『死体を語ろう』
 上野正彦,角川書店(角川文庫)

 永六輔,阿刀田高,ひろさちや,桂文珍,山本晋也,前田あんぬら10人と死体をテーマに対談。上野はすでに著書も多く,同じ内容を繰り返しがちなので,彼が聞き手に回る対談のほうが面白い。とくに「胎盤を食べてみたい」と吼える内田春菊,淡々と「江戸の海,川は死体だらけだった」と資料を語る氏家幹人との対談はテイスティ。

◇『死にかたがわからない 法医学者の検死メモ』
 柳田純一,集英社(集英社文庫)

 法医学者,東京都監察医として10000体以上の異状死体を解剖検案したという筆者による随想。ともかく「なんとも忙しい仕事」の印象が強い。他の法医学本に比べると,実際の司法解剖作業や死体各部の形状に触れるところがかなりあり,食事中の読書はお奨めしかねる。
 法医学を扱ったテレビドラマに一言あったり,某推理小説作家からの質問電話に答えるくだりがあるあたりが当世風か。

◇『検死解剖』
 トーマス・野口 著,田中 靖 訳,講談社(講談社+α文庫)

 マリリン・モンロー、ロバート・ケネディら著名人の解剖を手がけた米国の名検死官による法医学の実態。プレスリー,サル・ミネオら著名人の死が扱われていること,ヒットラーやナポレオンの死,切り裂きジャックの正体など歴史的考察にページが割かれていること以上に印象的なのは,陪審国家アメリカでは,複数の検死官による判断が裁判の議論の材料になること。正義の国アメリカでは,「真実」もバトルでもぎとるものなのである。

 以上,ざっとではあるが法医学関係の本を何点か紹介した。ミステリやサスペンスのリアリティ欠如に食傷気味な午後にはお奨めである。

先頭 表紙

烏丸殿、イチオシをご特定頂き、かたじけのうござる。一同、早速メモって書店へ出陣ぢゃ。。(おっと、夜中だ) / あの黄色い看板なに?ほにゃららです。さぶ ( 2000-09-11 00:42 )
これは大名さま,よくぞ足をお運びいただき。これっ,ものども,頭が高い! ちなみに,今回ご紹介した中では,↓の『法医学のミステリー』がとりあえずイチオシでしょうか。上野氏は,1冊読めばとりあえずしばらくはよいのでは。 / 烏丸 ( 2000-09-10 21:42 )
烏丸様こんにちは。法医学シリーズ大変参考になりました。有難うございます。以前小職の上司から薦められて、本日ご紹介にもある上野正彦の著作、『死体は語る』を読み、他にも法医学モノを読んでみたいと思っておりましたところです。。。 / ほにゃらら ( 2000-09-10 00:25 )

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