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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-09-01 『縄文人は飲んべえだった』 岩田一平 / 朝日新聞社(朝日文庫)
2000-08-31 アン・ドウ・トロワを排して 『アラベスク』 山岸凉子 / 白泉社
2000-08-31 『らんぷの下』『茶箱広重』 一ノ関 圭 / 小学館(小学館文庫)
2000-08-30 『摩天楼のバーディー』(全6巻) 山下和美 / 集英社(Young you特別企画文庫)
2000-08-29 [非書評] Oの謎
2000-08-29 『怖い本<1>』 平山夢明 / 角川春樹事務所(ハルキ文庫)
2000-08-28 『童乱(タンキー)』(全6巻) 原作 荒井涼助,作画 石川優吾/集英社(ヤングジャンプコミックス)
2000-08-28 『REGGIE(レジー)』 GUY・JEANS 原作,ヒラマツ・ミノル 作画 / 講談社
2000-08-28 『占い師はお昼寝中』 倉知 淳 / 東京創元社(創元推理文庫)
2000-08-26 『世界のあやとりがわかる あたらしいあやとり』 野口 廣 / 土屋書店


2000-09-01 『縄文人は飲んべえだった』 岩田一平 / 朝日新聞社(朝日文庫)


【ジョーモンの奇妙な冒険】

 このところ,コミックに偏りすぎたかもしれない。猿より深く反省し,少し違うジャンルの本を取り上げることにしよう。よっこらしょ。なに? 本棚の本かかえるのに声が出るようになったらもう年だ? ……ほっといてくれ。

 え,さて。
 インプリンティング(刷り込み)が起こるのは子ガモに限った話ではない。不肖この烏丸,いまだ地球の人口は36億人だし,1$は360円(だからトヨタパブリカはぴったり1000$)。イグサ日本一が岡山県なら007はショーン・コネリー。無論スリランカはセイロン,ミャンマーはビルマだし,邪馬台国は北九州にあって,縄文人は狩猟採集,コメなんて口にしたこともない,はずであった。
 ところが。近頃の縄文人は,どうもそうではないらしい。水田耕作こそしていないものの,コメを含む畑作に励み,食事は栄養的に優れ,ヤマブドウやサルナシを発酵させた酒まで飲むのだそうだ。しかも,弥生時代以降と違い,当時日本には下戸はいなかったというのである(*1)。

 岩田一平(*2)の『縄文人は飲んべえだった』は,バイオ,CGなどの最新テクノロジーが古代史研究を塗り変えていく,そのあたりの経緯を丁寧に教えてくれる。下戸(ALDH2不活性型)の遺伝子やイネの遺伝子の解析,コンピュータを活用した言語分析,水銀鉱脈の分布と邪馬台国の関係(*3),タコ壺漁の消滅からうかがえる気候の変化,あるいはクソ石にごく微量残っている脂肪酸から明らかになる食生活。これらの研究から,日本人のルーツ,古代人の食生活,日本国の推移が少しずつ明らかになっていく。読み手の古い常識が覆される楽しみと,明らかになっていない史実への尽きない興味。

 著者は,1つの説に固執するより,さまざまな説が入り混じった状態をよしとするタイプなのか,わからないことはわからないと率直に手を上げる。
 新刊の『珍説・奇説の邪馬台国』(講談社)でも,「魏志倭人伝」の表記だけでは邪馬台国の位置は特定できないと説き,70にもおよぶ邪馬台国候補地からジャワ島説,新潟説,山陰説,岡山説,四国山上説などかなりアクの強いものを取り上げ,現地を訪ね,あげく「奮起せよ,全国の邪馬台国」と呼びかける(*4)。
 つまり,社会派邪馬台国,ユーモア邪馬台国に対して新本格邪馬台国派が台頭,日常の謎邪馬台国,妖怪問答邪馬台国の一方,すべてが邪馬台国に……う,うざい。

*1……『孤独のグルメ』の井之頭五郎の先祖は,つまり弥生時代以降に大陸から渡ってきたことになる。

*2……「週刊朝日」副編集長。少し前のデキゴトロジー欄には,ゴキブリのフライを食べている氏の写真が掲載されていた。仕事とはいえ,同情を禁じえない。

*3……『縄文人は飲んべえだった』の次のような一説は,『陰陽師』の読者にも興味深いのではないか。「全国には,丹生(にう)という地名や丹生神社という名前の神社が数多く点在している。『丹生』は『丹を生ずる』という意味であり,古代に辰砂の採掘を行っていた名残と考えられる。(中略)中でも鉱脈の豊かな大和水銀鉱床にある和歌山県の丹生都比売(にうつひめ)神社には,丹生都比売のお使いのシカが,高野山の開祖の弘法大師空海を高野山に導いたという伝承がある。」

*4……こすもぽたりん氏の「神田マスカメ書店」で紹介された鯨統一郎『邪馬台国はどこですか?』も,牽強付会ながら笑えない,と紹介されている。意外にも(失礼),本格者より考古者のほうが懐が深いのか。

先頭 表紙

「近頃の縄文人」というフレーズがなんともナイスでございますなあ。 / ぽた公 ( 2000-09-01 14:02 )
いえいえ,日ごろのつっこみのご愛顧に比べれば,千里の道も縄文人の川流れでございますわ。 / 烏丸 ( 2000-09-01 13:34 )
拙文をご紹介いただき、まことにありがとうございます。 / ぽた公 ( 2000-09-01 12:02 )

2000-08-31 アン・ドウ・トロワを排して 『アラベスク』 山岸凉子 / 白泉社


 先の一ノ関圭『らんぷの下』書評にて,漫画を捨てることができたことについて,一ノ関が

 「その何かを描くために苦心惨憺するうちに,その主題がさらに深化し,あるいは変貌する,その過程を知らないということである。」

と述べた。あるいは

 「ある日巧い歌手の真似をしたら素晴らしく歌えてしまった歌姫にとって,歌を歌わないことには先に進めない切実さはあるだろうか。歌を歌えなくなることへの恐怖はあるだろうか。」

とも書いた。
 そうではない作者,作品の1つの例として,『アラベスク』を紹介しておきたい。

 『アラベスク』は山岸凉子デビュー2年目の連載であり,文字通り出世作といえる。山本鈴美香『エースをねらえ!!』と並ぶ少女漫画,スポーツ漫画の古典の1つであり,くだくだしい説明は省く。

 『アラベスク』では,それまでのバレエ漫画伝統の掛け声だった「アン・ドウ・トロワ」がついに一度も書かれなかったことを最初に指摘したのは飯田耕一郎である(「ユリイカ」臨時増刊「総特集少女マンガ」,青土社,1981年)。
 決して絵が巧いわけではなかった当時の山岸凉子は,どれだけ意識的だったかはともかく,「アン・ドウ・トロワ」という掛け声に代表されるバレエもの「っぽい」描写をすべて退け,主人公ノンナを描くにあたり,「アダージオ」「グラン・フェッテ・アン・トールナン」「ロワイヤル」「アチチュード」等々の厳密な用語,フォームをもってすることを自らに課した。それは結果的に,作者をして逃げ場のない本格的な表現者として漫画に向かわせ,『アラベスク』は連載当初には予想もできなかったあらゆる問題を内包しつつ,表現者ノンナと表現者山岸凉子を引き上げていくこととなる。

 たとえば,第1部におけるノンナの強力なライバル,天才少女ラーラは,たった一度の敗北に,ボリショイのプリマバレリーナという地位を捨ててしまう。

 「ほんとに悩み苦しんでそれこそ石にかじりつかんばかりにして地位を得たものはどんな障害があろうともその地位を決して捨てやしない」

 「彼女はいまの地位をとんとん拍子に手に入れた なにひとつ苦しむことなくそれこそ天才という名にふさわしくなんの困難もなくだ」

 そしてノンナの前に開かれたものは,

 「この道は永遠に良しということのない苦しみの道なのだが 扉を開いたからには進まなければならない」

 この言葉はそのまま表現者たる山岸凉子の宣言でもある。

 そして『アラベスク』は,あろうことか,通常のスポーツ漫画なら1幕の決着にあたるこの瞬間から,ある意味本当の物語,それも勝敗などという安直な結末では語りきれない物語をスタートさせる。そしてそれは若く健康な「女」性であるノンナの個と肉体の表現者であることの拮抗の上に止揚する,文字通りの(しかし苦々しい)成長物語なのだが,ここではその第2部について触れる余裕はない。

先頭 表紙

…………………………  (← 綾辻あたりの探偵の口調を思い出そうとしているが,さっぱり出てこない) / 烏丸 ( 2000-09-01 13:35 )
はっはっはっは、ボクはすべてを知っているのさ、関口。なんたって名探偵だからね。大手町駅から地下駐車場を通って幻の「丸の内駅」へ行くのだ。そこで本屋が待っている。さあ、さっさと憑き物を落として帰るぞ。おなかぺこぺこのぺこちゃんだ! / 榎木津ぽた次郎 ( 2000-09-01 12:37 )
甘い,甘いぞ御手洗ぽたりん。島田掃除(ママ)の名を出しておきながら,表紙のスキャン画像のチェックを怠るとは! アラベスクを踊る手の長いダンサーの手足,ここに秘密が隠されている。この表紙は,実はあの複雑な大手町の地下道を表しているのだ! / 有栖川烏丸 ( 2000-08-31 18:25 )
なるほど。トリックの鍵は「バレエ」と「バレー」。うむ、島田掃除(ママ)も納得。書名は迷わず「苦しくったって殺人事件」なのですわ。オチは「だって、涙が出ちゃう。女の子だもん」と来るのですわ。あ〜あ、格調高い書評が台無しなのですわ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-31 16:32 )
舞台は山荘から孤島に移り,ライバルが一人ずつ死んでいくのですわ。最後の一人は,砂浜で発見され,探偵はそこではじめて気がつくのですわ。「あっ。すると,バレエはバレエでも,これはビーチバレエ!」。なんの話をしていたんだか,はりゃりゃんなのですわ。 / 烏丸 ( 2000-08-31 16:10 )
「アン・ドゥ・トロワ」とともにバレエのお約束と言えば「トゥ・シューズの画鋲」と「床に撒かれたワックス」。そして傷心ののプリマドンナはとある山荘へ。しかし思いもかけぬ大雪で山荘は孤立、気がつけばライバルが暖炉の前で撲殺され、壁には血文字で「グラン・バットマン」。難しい事件だ。ここはやはりバレリーナ探偵・二階堂蘭子様の登場を待つの「ですわ」。(サイバラ的ぶち壊し突っ込みですんまそん^^;) / こすもぽたりん ( 2000-08-31 15:07 )

2000-08-31 『らんぷの下』『茶箱広重』 一ノ関 圭 / 小学館(小学館文庫)


【二十九でこれだけの仕事です。実におしい…】(作中,美術商が青木繁の死を惜しんで曰く)

 この6,7月,一ノ関圭の代表作が文庫でも入手できるようになった。小学館文庫の『らんぷの下』『茶箱広重』の2冊である。

 実力派漫画家・一ノ関圭が登場したのは1975年。青木繁の存在に苦しむ売れない洋画家の苦悩を堂々たる筆致で描いた『らんぷの下』が第14回ビッグコミック賞を受賞。その後,黒田清輝率いる白馬会の裸体画モデルお百と,挫折して消えていった画家を描いた『裸のお百』をピークにいくつかの作品を発表するが,1986年の『ほっぺたの時間』を最後に漫画の新作はない。

 一ノ関圭作品の特徴は,第一に白土三平の影響を強く受けた骨太な表現力にある。そのダイナミックな筆致と確かなデッサン力は,漫画の歴史を俯瞰してもそう見受けられる水準でない。
 第ニに,『らんぷの下』『裸のお百』,さらに二代広重を描いた連載『茶箱広重』に見られる,江戸・明治期の画家の生活や風俗に対する資料の裏付け。江戸といえば『合葬』『百日紅』の杉浦日向子だが,一ノ関圭はさらに写実的な描線だけに,時代考証がさぞや大変だったろう。
 第三に,作品に登場する,しなやかな肉体と精神を併せ持つ,強い女の生き様。そしてその強さをもってしてもあがないきれぬ,時代と運命の壁。
 実際,ビッグゴールド誌に一挙100ページ掲載された『裸のお百』を見たときは,そのあまりの水準に鳥肌が立ったものだ。本作は切り抜いてカバーで覆い,20年経った今も大切に保存している。

 ではなぜそれほどの漫画家が,のちにペンを絶ってしまったのか。『らんぷの下』に寄せられた林望氏のエッセイ「三つの謎解き」に,思い当たることがあった。
 林望氏は,一ノ関圭の画力と「女」の描き方について,前者には東京芸大の油絵科の学生であったこと,後者には作者自身が女性であること指摘し,謎の解としている。だが,待て。それは逆に,一ノ関圭の漫画家としての限界を示すものではないか。デビュー時点であり余るデッサン力,表現力を持つということは無論大きな強みではあるが,同時に総合メディアである漫画において,最初から「かなりなんとか出来てしまう」ことでもある。また,林望氏は一ノ関圭が女性であることについて「なーんだ,そうだったのか。(中略)だから,これほど深いところまで血の通った『おんな』が描けたのだろう。」とする。これは一ノ関圭が,自分自身「女」であるという経験や資質のみから「女」を描いたと感じられる,ということではないか。
 それはすなわち,内なる何か不明解なものの出口として漫画を選んだのではないということである。また,その何かを描くために苦心惨憺するうちに,その主題がさらに深化し,あるいは変貌する,その過程を知らないということである。

 たとえば,ある日巧い歌手の真似をしたら素晴らしく歌えてしまった歌姫にとって,歌を歌わないことには先に進めない切実さはあるだろうか。歌を歌えなくなることへの恐怖はあるだろうか。
 もちろん,これは全くの想像に過ぎない。一ノ関圭がペンを置いたのには全く別の,明らかな理由があったのかもしれない。しかし……彼女がいくつかの作品で描いてみせた画家たちは,いずれも,自分が何を描くか,いかに描くかばかりに腐心し,最後まで,誰に何を伝えるかを考えない職人であった。それは画家としての1つの資質ではある。しかし,そういった画家がいつか絵を棄てられることは,また,一ノ関圭が描いてみせた通りなのである。

先頭 表紙

この人はねー,ペンはうまいんですよ。しかし,ねー。 / 烏丸 ( 2000-09-03 00:05 )
あ〜、やっと見つけました。両方ともありましたぜ。ふ〜、暑かった。 / ぽた公 ( 2000-09-02 22:29 )
はいはい,「金松堂」でございました。「北」「てんや」も確認しました。ちなみに「金松堂」はB1が文庫コーナーで計3F分でありました。 / 烏丸 ( 2000-09-01 22:23 )
一ツ木通り沿いの2階建ての本屋でございます。隣が天丼「てんや」。その向かいの麻雀「北」に時折出没しております。黄色い看板です。「ぺー」ではなく、「きた」です。そこで食べる冷やし納豆うどんは格別です。橋場という店からの出前なのですが、橋場で食ってもうまくないのに、出前だとうまいのです。 / ぽた公 ( 2000-09-01 19:12 )
それはウルトラマンの背中のほうの本屋(1Fのみ)だったかしらん? / 烏丸 ( 2000-09-01 17:24 )
「金松堂書店」でございましたっけ? / ぽた公 ( 2000-09-01 14:03 )
それは残念。円通寺坂下って右の書店2Fには『らんぷの下』,今日もありましたのに。 / 烏丸 ( 2000-09-01 13:32 )
売ってなかったっぴ〜。悲しいっぴ〜。 / ぽた公 ( 2000-09-01 10:25 )

2000-08-30 『摩天楼のバーディー』(全6巻) 山下和美 / 集英社(Young you特別企画文庫)


【老いてなお,否,老いてこそ】

 少し前に文庫化が完了した『摩天楼のバーディー』(全6巻)。作者は『天才柳沢教授の生活』の山下和美で,こちら(バーディー)もなかなか面白い。
 古いアパートメントの最上階に住む「なんでも屋」のトキオ。長髪,タトゥー,細く鋭い目で危険な男にしか見えない彼が実は……という設定で,彼の仕事がらみでさまざまな事件が起こり,それが解決するまでの悲劇,喜劇を描く読み切り型連載。

 全体のストーリーはそのアパートメントをめぐるトキオの成長譚,恋愛譚にもなっているのだが,実のところ主人公以上に,いくつかの事件に登場する老人たちの心の問題のほうが生々しい。なにしろ事故で家族すべてを失い,今さらに記憶を混濁させた独居老人,孫にきたないと言われてしまったもと女優,そんな人々が次から次へ,しかも実に印象的に登場するのである。

 2巻以降ギャグ漫画であることから足を洗ってしまった『柳沢教授』でも「引退」や「老い」はたびたびメインテーマとして取り上げられており(モモを犬にやる先輩教授の老いっぷりはことにすさまじい),この作者が老いというテーマについて非常に強いアンテナを持つこと,またそれを十分描けるだけの筆力があることをうかがわせる。それも単に老人を引退者としていたわる話でなく,あるときは厳しく突き放し,あるときは描かれる対象が老人であることを忘れる,といった塩梅なのである。悲惨な老い,栄光の老い,ただ延長線上にある老い。老いへの抵抗,老いへの誘い,老いへの無頓着。
 人は誰しも老いる。当たり前のことなのだが,意外と少年誌,青年誌,女性誌いずれでも,老人を老人としてきちんと描ける作家は多くない(老婆を描いて抜群なのは高橋留美子だが,高橋の老婆は絵柄だけ,の場合も少なくない)。

 山下和美には,ありきたりの恋愛モノより,とりあえずこの「老い」というテーマを今後とも突き詰めていってほしい。また,このように老人を正面から描くことは,今後のコミックの1つの大きな潮流となるような予感もしないではない(たとえば老人の生計,恋愛,結婚,離婚,セックスなど)。
 なにしろ,マンガの描き手も読み手も,そこらの元気のよいおにいちゃんもおねいちゃんも,よほどの疫病の流行や戦争でもない限り,たいていはこれからただどんどん年を取っていくのだから。

先頭 表紙

烏丸は,最近のスーパーマン化しちゃった教授その人より,周辺の「老嬢」「老教授」たちのほうが好きざんす。弘兼憲史は面白いざんすが(実際,本棚1段分以上持ってるざんす),あの方,ときどきズルというか,一番キツいところをパスしちゃうのが。 / 烏丸 ( 2000-08-30 15:23 )
柳沢教授、けっしてギャグだけでなく、教育問題についても、ものすごくするどい突っ込みを入れています。一時期大学職員でもあった口車、大学の裏側を見ていますので、「をを、よくここまでするどく突っ込むものだ。」と感心する瞬間があります。あと老いを追いかけ始めた漫画家が、弘兼憲史ですね。 / 口車大王 ( 2000-08-30 14:01 )

2000-08-29 [非書評] Oの謎


【夏休みの感想文特別支援編】

 20世紀最後の夏休みも残すことほんの数日,宿題の自由研究,図画工作,感想文のでっち上げに追われる小・中・高校生の親御さんも少なくないことだろう。ここではそんなお父さんお母さんのため,1時間で仕上げられる感想文の便利な素材,O・ヘンリーをご紹介しよう。

 まず,作者の経歴から。
 O.Henry(1862〜1910),アメリカの短編作家。本名はWilliam Sydney Porter。10代半ばで学校を退学,さまざまな職に就くが,オースティンの銀行勤務時に公金横領の罪で投獄され,獄中で執筆活動を始めた。出獄後はニューヨークに移り住み,「最後の一葉」「賢者の贈り物」など,13冊の短篇集,272の作品を発表した。イギリスのSaki(本名はHector Hugh Munro)とともに短編の名手として世界的に有名となったが,私生活は幸福とはいえず,高い評価を得たのも,死後,全集が刊行されてからだった。

 続いては,新潮文庫『O・ヘンリ短編集』(大久保康雄訳,全3巻)から何か適当な短編を読んでそのあらすじを書こう。「最後の一葉」「賢者の贈り物」の2作は有名に過ぎるので,できれば避けたい。新潮文庫のこの3冊は,必ずしも名訳とも思えないが,読みにくいというほどのこともないし,なにより廉価でかつ入手しやすい。
 なお,インターネットにアクセスできるなら,原文もあちこちで手に入る。英語の原文を添えれば,それだけでポイントアップ間違いなしだろう。

 さて,これだけではあまりにも安易なので,最後に以下のようなことを書き加えておこう。

「ところで,このO・ヘンリーの『O』が,なんらかのファーストネームを略したイニシャルではないのをご存知だろうか。つまり,この『O』はオニールでもオブライアンでもなく,全くの記号なのである。それは,作品だけを見てほしい,という作者のプロ意識の現れだったのだろうか,それとも……」

先頭 表紙

んでは負けじと,小川ローザの「オー!モーレツ」 ……ちょと待て。本ですらないぞ。 / 烏丸 ( 2000-08-30 15:49 )
そこまでいくなら、遠慮した「おー...さわ悠里のゆうゆうワイド」も出しちゃえ! / こすもぽたりん ( 2000-08-30 15:40 )
それを出すくらいなら「平凡パンチOh!」でせう。 / 烏丸 ( 2000-08-30 15:25 )
ジャンポール・ベルモントの映画にも、「Oh!」というのがあったんよ。昔の話だけど。 / mishika ( 2000-08-30 12:31 )
そちら方面にも,引っぱたかないほうが……。 / 烏丸 ( 2000-08-29 17:41 )
おー...嬢のものがたり… / こすもぽたりん ( 2000-08-29 17:40 )
小松左京に「物体O」という短編がありますが,そこまでは引っ張らないほうがよいと思います。 > お父さまお母さま方 / 烏丸 ( 2000-08-29 17:31 )
おー... / こすもぽたりん ( 2000-08-29 16:02 )

2000-08-29 『怖い本<1>』 平山夢明 / 角川春樹事務所(ハルキ文庫)


【ああ,これは人間じゃないな】

 続けて,怖い本を1冊ご紹介。
 ハルキ文庫『怖い本』シリーズは,いわゆる「知り合いの誰それが,六本木のマンションに住んでいたんだけど,実はそこは……」の類を丁寧にまとめたもの。1巻につき全50話。

 トラックにつぶされた幼女の首,自殺名所の管理人バイト,換気扇から覗く目,廊下にうずくまる両肩が抜け頭の欠けた男,コンビニの窓ガラスを埋める血の気のない顔,事故車に相次ぐトラブル……。

 よくある怪談とわかっていながら,文章の淡白さからか,かなり怖い。部屋の空気がすうっと低くなる。しまった他の本を選ぶのだった,と後悔しつつ,つい手をとめることなく読み進んだのだが,困ったことにそれがうっかり呼んでしまったらしい。
 これ以上は,書けない。

先頭 表紙

2000-08-28 『童乱(タンキー)』(全6巻) 原作 荒井涼助,作画 石川優吾/集英社(ヤングジャンプコミックス)


【そして神戸】

 過日,伊豆諸島の神津島が大きな地震で被害を受けた折り,家人が珈琲を挽く手を止め,「そういえば,あなたが以前おっしゃった通りになりましたわね」と言う。「己が何かそのようなことを言ったか」と問い質すと,神戸の大地震のとき,あの地は呼び名の通り神の戸であるから,神が出入りするとき何か大きなことが起きるのだと説いたと言う。
 そのような不遜なことを口にしただろうか。口にしたとしても,それはカルト教団の誰彼がそう言ったとかいう類の話ではなかったかと反駁したが,家人の目は磁器のように青いままだった。

 オカルトに与するのは本意ではないが,それにしても,大震災,酒鬼薔薇事件と大きな災害,異様な事件が続くと,「神戸には何かあるのではないか」と考えるのも無理からぬ面がある。出入りしている掲示板でも,『新耳袋』における「くだん」の話題で兵庫が登場している。あたかもこの神戸における「あらわれ」を予見するかのようなコミックが本棚にたまたま見つかったので,ここでご報告しよう。荒井涼助原作,石川優吾作画の『童乱(タンキー)』である(「乱」の字は,正しくは左が「舌」でなく「占」)。

 タンキーというのは,マレーシア,シンガポール,台湾などにいる一種のまじない師(シャーマン)で,中国系の神を自らに「おろし」,それによって様々な力を発揮する。
 1990年からおよそ3年間にわたって描かれたこの作品は見習いタンキーの少年を主人公にしたホラーアクションで,『春ウララ』という呑気な青春コメディを描いていた石川優吾が思いがけずこの方面にも大変な画力があることを示した逸品。とくに,細かく描き込まれた蟲毒の蟲たちや斉天大聖が宙に浮くシーンの迫力は圧巻。

 さて,この『童乱(タンキー)』,第一話はシンガポールを舞台とした読み切りで,第二話以降は日本に舞台を移すばかりか登場人物や設定が少々変わってしまうのだが,その第二話に,神戸のマンションがたまたま龍の地脈の上に建てられて龍を封印,それが主人公たちの活躍で解き放たれてマンションが崩壊し,「これから騒がしくなりそう」と言う話がある。龍神を「おろし」たこの少年の名が「淳」……。

*……作品名などの確認のため,インターネットで石川優吾氏に関するサイトを検索したところ,近作『よいこ』についてのインタビューで酒鬼薔薇事件が話題にのぼっており,偶然とはいえ往生した。

先頭 表紙

石森章太郎は,ヤフーとか幻魔とか,ときどき「描ききれない」ものに挑戦してしまいますからねえ。挑戦できない作家よりはいいんですが,その分,未完成が多くなる。烏丸は「開放血管系作家」と分類しております(E.A.Poeなんかはその逆の「閉鎖血管系」で,短編1つみても,もう「いぢりよう」がない感じ)。 / 烏丸 ( 2000-08-29 11:56 )
「くだん」は石森章太郎が漫画にしましたねえ。首から上を描いちゃいましたが。あれはやはり、首から上は描いてはいけないのではないかと。 / こすもぽたりん ( 2000-08-29 10:12 )

2000-08-28 『REGGIE(レジー)』 GUY・JEANS 原作,ヒラマツ・ミノル 作画 / 講談社


【もっと胸を張れ!】

 ペナントレースも大詰めだが,セ・リーグの優勝の行方にはもとより興味がない。他チームのレギュラーを金で掻き集めた結果にいかなるアイデンティティを見いだせ,というのか。残る興味は個人タイトルだが,それだってこうまでチームバランスが乱れた後では公正さに疑問が残る。

 ところで以前から気になって仕方ないのだが,リリーフピッチャーなら3勝5セーブ程度でも「守護神」と称え奉るマスコミ,なんとかならんか。あるいはホームランを30本,40本打つからといって,その選手を無条件にホームランバッターと呼んでいいものか。否。
 ホームランバッターたる者,ジャストミートしたなら,間違ってもファーストに向かって慌ただしく走り出したりしてはいけない。それが最低条件だ。
 たとえば,ロッテで実働11年,通産283本のホームランをかっ飛ばしたレロン・リー。彼のバックスクリーンに叩き込むホームランをご記憶だろうか。
 ピッチャーの指からボールが離れる。バットが始動,ヘビーな体重がバットにかぶさるようにぐんと移動する。
 ぶ。ごん。
 彼は走らない。なぜなら,自分のバットがその角度,そのタイミングでボールをとらえたなら,スタンドに届かないはずはないのだ。しかも打球の方向はセンター。だから,もう,バッターボックスでの彼の仕事は終わっている。彼はボタンもちぎれよとばかりに胸を張る。それが許されるだけの仕事をなしとげたのだから。後は仕上げとしてゆっくりとバットを置き,ただ声援を受けるためだけにダイヤモンドを一周する。
 これが,これこそが,ホームランバッターではないか。日本人なら,たとえば田淵幸一。たとえば門田博光。田代富雄。現役では近鉄の中村紀洋。
 ピッチャーだって,実はそうだ。単に味方が相手より多く点を取って勝ち投手になること,それを1シーズンに10回か20回してのけること。球場に何度か足を運べば,そんなことは本来どうでもよいことだとすぐ思い知るはずだ。この烏丸が日本で最後に見た野茂は,フォアボールを連発,10点近く取られたが,それでも彼はエースであり,観客の誰もが彼の完投を疑わない,そんな気配があったものだ。

 そういった,ホームランやピッチングの軌跡をきちんと描くマンガ,もっと理屈っぽく言えば,スポーツ観戦の本当の楽しみが贔屓チームの勝ち負けなどではなく鍛えられた選手同士の戦いの躍動感をその瞬間瞬間に味わうことにある,そんな視点で描かれたマンガは,意外と少ない。

 『REGGIE』に描かれた選手たちは,その意味では無類に素晴らしい。ピッチャーから投じられた球は空気を裂き,バッターのスイングはとことん熱い。だから,ジャストミートした球は遠く,どこまでも飛んでいけるのだ。
 原作者の名前はガイジンをもじったもの,だからガイジンなのかもしれないし,日本人なのかもしれない。いずれにしても,『REGGIE』では,スポーツニュースで切り取られたプロ野球の「結果」に執着することへのアンチテーゼが示される。日米の野球,文化の違い,ちまちまと管理された野球の矮小さ,そういった細かい問題が順繰りに描かれていく。
 しかし,巻が進むにつれてそういった問題提起すらどんどん削ぎ落とされ,単行本の12冊目には,本当に強い奴だけが残る。舞台は日本のペナントレースだが,日本も大リーグもなく,もはや「打つか打たれるか」だけ。結果は明らかだ。キン○マの縮み上がったほうの負け。

 とか言いながら,この烏丸,ピッチャー溝口と平山監督夫人のエピソードがお気に入りなんだけどね。

先頭 表紙

過去のほうもかなり埋めました。今後,原則画像ありでいきます(ただ……書評書き終わってすぐゴミ箱直行もあるんですよね)。 / 烏丸 ( 2000-08-30 20:21 )
おおっ、いつの間にか画像が! / こすもぽたりん ( 2000-08-30 18:19 )

2000-08-28 『占い師はお昼寝中』 倉知 淳 / 東京創元社(創元推理文庫)

【コバルト・ブルーなわたし】

 こすもぽたりん氏の「神田マスカメ書店」で光原百合『時計を忘れて森へいこう』の書評をご覧になった方はおおよそ見当もついておられると思うが,「日常の謎」というのは,実はJ-POPならぬ最近のJミステリの専門用語の1つである。具体的には北村薫『空飛ぶ馬』『夜の蝉』をその嚆矢とし,紺の制服とタイトなソックスの似合ううら若き乙女が,きちんと毎日大学や会社に通う道すがら旅すがら,たまたま出遭ったちょっとした事件の裏に,やはりちょっとした,しかし色濃く苦い人間の真実が隠されていることを知る。設定の都合から自然と連作短編が多く,乙女というからには最近の純文学のように男と会うたび不機嫌な顔してパンツ脱いだりもしない。

 『占い師はお昼寝中』も典型的な「日常の謎」タイプで,「ミステリ連作集」とは銘打たれているものの,死体も連続殺人鬼も出てこない。語り手の美衣子は占い師・辰寅叔父のところで巫女役を勤め,なまけものの叔父がいざ占いとなると驚くべき推理力を発揮するのに目を見張る。
 「なあんだ,さわやかそうでよいじゃない」,はいその通り。そういうのが読みたい方はご自由にどうぞ。ではなぜこの烏丸,こうまで苛立つのか。
 占いを求めてきた客の持ち込む謎がいずれもトタン屋根のように薄っぺらで,謎を解くことがためらわれるほど人間の業が薄く漂う『空飛ぶ馬』『夜の蝉』に比ぶべきもないせいか。謎を解くために動因される人間洞察に深い滋味や薀蓄がまるで感じられないせいか。そもそもこの辰寅叔父とやら,夏は汗まみれ,冬は氷が張る「霊感占い所」で昼寝してばかりいる。不自然である。一般に怠け者こそそういう環境をいやがるものだ。また,いくら老朽ビルの3階とはいえ,渋谷道玄坂に部屋を借り,姪のバイト料と税金を払うためには月あたりいくら見料が必要か。……などという問題でもない。中高生向け連載小説やコバルト文庫ならそのくらいの矛盾は笑って許せる。あっ。そうか。そういうことなのだ。

 思うに親魏倭王卑弥呼の御世より,この手のモノは集英社コバルト文庫の分担と班田収授法に定められていた。新井素子が星新一引っさげて(ちょっと違うか)颯爽と登場したとき,日本中のSFファンは万歳三唱してSF界の新しい才媛に酔ったが,あれはコバルト文庫だから納得できる文体,ストーリーで,断じて創元推理文庫向けではなかったではないか。大原まり子のミーカはミーカだって,ハヤカワ文庫向けの顔とは明らかに別だったではないか。

 了見が狭い,と人は言うかもしれない。しかし,狭いからこそ得られる信頼というものがある。決してコバルト文庫を軽んじているわけではないのだ。コバルト文庫はその方面の権威だし,創元推理文庫はこの道,青木文庫はあの道の権威だったということを言っているのである。
 「日常の謎」のスレンダーな乙女たちは,すました顔してそこのところをなし崩しにしてしまった。こうなった以上,もはやどうしようもない。せめて,角川がスニーカー文庫を用意したように,東京創元社も「日常の謎」専用の箱を用意してほしい。「創元推理文庫NJ」とか。そうでないと,またいつ,うっかりこんなものを買ってしまうかと。

 えっ。それは違う? いまや,創元推理文庫の本筋はお軽い「日常の謎」のほうであって,ラインナップにそうでないものが残っていることのほうが問題? 装丁がヤオイしてなくて買いやすいからコバルト文庫より魅力? そ,そんな馬鹿な。だって創元といえば。あっ,これも。こ,これも。ああっ,これもこれもこれもこれも。

先頭 表紙

ああっ,1000ヒットを見逃してしまいました。ところで,タズラさんの日記はすると「野菜おいしい日記」? / かまぼこはととか烏丸 ( 2000-08-28 15:23 )
ええ、「趣味の園芸」の別冊でございます。「やおい」は「野菜おいしい!」の別冊でしたかね? あ、ちょうど1,000ヒットおめでとうございます。 / こすもぽたりん ( 2000-08-28 14:34 )
やおいですか。みなさん、ほんとによく勉強してらっしゃる。すごい。 / mishika ( 2000-08-28 14:17 )
それ,野菜の本かなにかですか。と目で笑う。 / 烏丸 ( 2000-08-28 13:25 )
それよりも何よりも「プチトマト」系の本は恥ずかしいですが。いや、買っているというわけではありません。買っていません、本当に。 / こすもぽたりん ( 2000-08-28 13:05 )
お耽美の棚の前と,黒い背表紙の文庫本の棚の前と,どっちが恥ずかしいでしょうね。 / 烏丸 ( 2000-08-28 13:04 )
「テレビ消灯時間@」を入手しました。ようやく「産声が『ねぇねぇ社長さん』だったという噂がある」と言われている人が誰だかわかりました。ああ、すっきりした。 / こすもぽたりん ( 2000-08-28 12:14 )
拙文にフォロー頂戴しまして、まことにありがとうございます。私昨日、某書店をふらふらしておりましたところ、「お耽美」の棚に迷い込んでしまい、たいへん恥ずかしかったです。こそこそと逃げましたです。 / こすもぽたりん ( 2000-08-28 12:06 )

2000-08-26 『世界のあやとりがわかる あたらしいあやとり』 野口 廣 / 土屋書店

【午後のあやとり】

 「ごだんばしごは,どうするのでしたっけ」
 母親に宛てた手紙を記すペンを止め,うっすら遠い目をして家人が言う。ごだんばしご?
 「こうして……こう?」
 その細い指が見えぬ糸を操るのを見て,ようやくそれが「あやとり」の五段梯子を意味するものだと己は納得する。遠い子供時分,体の弱かった己はグラウンドでの遊びに誘ってもらえず,教室の隅のほうで女の子たちとあやとり,おはじき,折り紙に興じたものだった。目をつむって一人あやとりをやって見せる己への賛嘆の声。おかっぱ頭の,あの聡明な少女は何といったろうか。その名と一緒に,四段,五段梯子の作り方も遠く思い出せず,ただ小さく顔を寄せた放課後のチャイムが……。

 「ごだんばしごが,思い出せない。思い出せないともう,今日は何もできないような気がする」
 そんな己の想いを見透かしたかのように,家人はきっぱり立ち上がり,共に書店に行きたいとミュールとパラソルの用意をする。
 散歩がてらの書店詣でも悪くない,初夏の台風一過,秋のように空の高い休日の午後である。

 今どき,あやとりの本など店頭にあるものだろうか。そう案ずる間もなく,若やいだ銀杏並木の書店,入って左手前の趣味の棚には折り紙や金魚の飼育法と並んであやとりの本が何冊かあった。いずれも手順を図式化し,番号を付してそれぞれの形を導くような造りだが,その導き方に少しずつ癖がある。二段梯子や熊手など,覚えのある簡単な手順を見比べ見比べして,この本がよさそうと得心し,家人はようやく白い歯を薄く見せて笑う。

 野口廣編著『世界のあやとりがわかる あたらしいあやとり』は,「インディアンからイヌイットまで」と傍題にあるように,日本のあやとりのみならず,イヌイット,ナバホ・インディアン,ハワイ,オーストラリア・ニュージーランドなど,世界各地の手法も加えて紹介されている。オーソドックスな「どうぐあれこれ」「いろいろなたてもの」「むしとどうぶつ」だけでなく,人を驚かす「びっくりあやとり」「れんぞくあやとり」「ふたりであそぶ」など,いくつかの項目に分け,八十数種類のあやとりが紹介されている。難度も「やさしい」ものから「ママてつだって」まで,少女の顔を模した三段階のマーク入りだ。

 内容のみならず,巻末の著者略歴がすこぶる楽しい。
 「1925年東京生まれ。理学博士。東北大学理学部数学科卒業後,ミシガン大学に留学。イリノイ大学客員教授,早稲田大学理工学部教授を経て,現在同学名誉教授。」まではともかく,「日本あやとり協会世話人を経て,現在国際あやとり協会名誉編集員。」が何とも言えぬ妙味を醸し出す。国際あやとり協会(ISFA)の本部は,アメリカにあるという。
 また本書には,「すぐにあそべるひも」も添えられている。すべりのよさそうな編みひもで,渇いた指にもよく馴染みそうだ。

 「またいつか,本屋さんに連れて行ってくださいましね」
 帰路,前を向いたままそう言う家人の白い頬に,パラソルのレースを透かした陽光が踊る。数歩遅れて追いながら,あのおかっぱ頭の少女の名が偶々家人の名と同じであることを唐突に思い出し,己はわけもなく動揺する。
 少女はその数年後,夏の海で死んだのであった。

先頭 表紙

あ、ごめん。食べちゃった。 / ぽた ( 2000-08-29 14:35 )
おや,手足が,ひとりぶん,足りない。 / 烏丸 ( 2000-08-29 14:04 )
なるほど。で、5つに切断して、時折並べ替えて楽しむとか。 / こすもぽたりん ( 2000-08-29 10:09 )
というわけで人様にお見せするのはアレですので,隠し妻ということに。 / 烏丸 ( 2000-08-28 15:25 )
奥様、相変わらずお美しくていらっしゃいますね。うらやましい。 / こすもぽたりん ( 2000-08-26 11:24 )

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