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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-08-22 『大猟奇』 唐沢俊一,ソルボンヌK子 / 幻冬舎(幻冬舎文庫)
2000-08-22 『46番目の密室』 有栖川有栖 / 講談社(講談社文庫)
2000-08-21 『サイドカー刑事』 小宮政志 / 講談社(モーニングKC)
2000-08-21 『バラ迷宮』 二階堂黎人 / 講談社(講談社文庫)
2000-08-21 『洋楽inジャパン 日本で流行ったロック&ポップス['68-'86]』 稲増龍夫&ポップス中毒の会 / 学陽書房
2000-08-19 『FBI心理分析官〈2〉 今日の異常殺人に迫る戦慄のプロファイル』 ロバート・K.レスラー,トム・シャットマン 著,田中一江 訳 / 早川書房
2000-08-18 『トルコで私も考えた』 高橋由佳利 / 集英社(ヤングユーコミックス)1,2巻
2000-08-18 『お楽しみはこれもなのじゃ <漫画の名セリフ>』 みなもと太郎 / 河出書房新社(河出文庫)
2000-08-18 『あかい花』 フセ−ヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシン,神西 清 訳 / 岩波書店(岩波文庫)
2000-08-17 『テレビ消灯時間』 ナンシー関 / 文藝春秋(文春文庫)


2000-08-22 『大猟奇』 唐沢俊一,ソルボンヌK子 / 幻冬舎(幻冬舎文庫)


【でろでろでげちょげちょ】

 唐沢商会の兄のほう,「と学会」会員としても知られる読書家唐沢俊一がネタを集め,彼の妻にしてレディコミ作家であるソルボンヌK子が作画した,グロい実話,気持ち悪いカット満載のコミックエッセイ。連続殺人鬼,人肉食,寄生虫の話,イヤな死に方,男色の話などなど,悪趣味な話がたっぷり。
 いや,それはもちろん,内臓を練り刻むのが趣味だとか,回虫がかわゆくてしかたないとか,実はデブ専でとかいう方にはとても気持ちのよい本なのかもしれないが,つまり,えー,読んでいる最中に本を持つ手からぼたぼたと蛆が落ちそうというか,ともかく古今東西のずちゃずちゃでぬたぬたなお題がそれはもうにぎにぎと。
 とくにぎっちり詰まった○○の○○○のカットはあまりにも有名で,心臓の弱い方,お年を召した方,食事中の方には決してオススメしたくない1冊ではある。ただ,そういうあなたが今食べているそれだって……いや,失敬。

 なお,続編『世界の猟奇ショー』も発売されてはいるが,内容のエグさは本『大猟奇』に空より遠く及ばない。

先頭 表紙

ひやああああああ、自分のハンドルが嫌になりましたよおおおおおお。改名しようかな… / こすも石油 ( 2000-08-22 22:35 )
ふと気がつくと,なにやら白いうねうねしたものがぽた。ぽた。ぽたりん。 / 烏丸 ( 2000-08-22 19:16 )
やだよぉ、この本やだよぉ。 / ぽたりん ( 2000-08-22 18:02 )

2000-08-22 『46番目の密室』 有栖川有栖 / 講談社(講談社文庫)


【だから新本格ってやつぁ】

 『46番目の密室』は必ずしも著者の代表作とは言い難いが,1987年の綾辻行人デビュー以来ミステリ界の一潮流となった「新本格」のエッセンスを束ねたような作品であり,新本格ファンにはぜひともお奨めしたい。

 著者・有栖川有栖は関西出身(*1),学生時代からのミステリファンにして投稿者。
 本作の舞台は軽井沢。本格推理小説の大家,真壁聖一の家に推理小説作家,編集者等が招かれ,そこで事件が起こる。真壁が密室と化した地下の書庫の暖炉に上半身を突っ込むという悲惨な姿で発見されたのだ。居合わせた犯罪社会学者,火村英生が暴いてみせるトリックとは! 文庫版での解説は綾辻行人が担当。
 ……すでにうんざりしている方もおられるかもしれない。気にせず進めよう。

 さて,「人間が描けていない」とはミステリ作品を批判する際の常套句だが,実は言葉通りに読んではいけない。これは逆さに振っても「自分には面白くなかった」という意味しかないのだ(だから意外かもしれないが○○○○や*****については,わざわざ「人間が描かれていない」とは言わない。説くまでもなく明らかだからだ)。
 もちろん,ごく普通の感性からいえば『46番目の密室』に描かれた人間模様は薄っぺらで,リアリティの欠如は明らかである(本当)。しかし,諸作家と編集者が集うということは,つまるところこの程度のことなのだ。要するに,本作の舞台こそは新本格にあって最もリアリティあふれた設定であり,それ以外の社会を描いた作品のほうが背伸びしたフィクションなのである(本当)。
 以降,人間が描けているかどうかなどほっといて,本作の密室トリックに絞って考えてみたい。

 『46番目の密室』では,動機については実に1ページしか割かれていない。ある秘密の隠蔽である。
 犯人と一緒に,冷静に考えてみよう。怒りや絶望にかられた衝動的な犯行でない限り,犯人はいくら1ページ分とはいえ,その動機から計画を起こしていくはずである。したがって彼ないし彼女は,被害者に確実に死をもたらし,それを確認できる手段を考えるに違いない。重症を負うものの意識は確か,となりかねない手段など間違っても選ばないだろう。
 さらに被害者が作家であることも無視できない。その秘密がノートや原稿用紙に書き残されていないとは限らないからだ。そういった記述があるか否かを確認し,それらすべてを消却することが殺人に次ぐ大きな目的の1つとなるはずである。

 ああ,それなのにそれなのに,探偵火村が解き明かす密室殺人の手段は,これらの要点を一顧だにしていない。試してみればすぐわかるが(試さないように)この手段で被害者が死ぬ確率は必ずしも高くない。おまけに,実行後,犯人は密室に入れないのだから,被害者が死ななかったり,日記や書き置きがあったりしても文字通り手も足も出ない。なーにが「トリックよりロジック」でぃ。

 ……などと,マジメに相手するほうが馬鹿。
 Webサイトを検索してみればすぐわかる。やれ「アリスと火村がアヤシイ。ゼッタイアレよね。きゃあ」だの「火村クンにはもっとアリスをいぢめてほしい(はあと)」だの。ああ,そう。そういう本だったの。ごめんごめん,お楽しみ中,お邪魔しました。

*1……ワトスン役の有栖川有栖が学生であるシリーズと,推理小説家になった後のシリーズに分かれる。前者では殺人事件の謎が解けた後,むさくるしい大学生が「犯人がわかったからゆうて,何がよかったというんや!」などと口走る油ぎったシチュエーションに耐えねばならない。うう。

先頭 表紙

そ,そうくるか(動揺,46%増量中)。 / 烏丸 ( 2000-08-22 19:17 )
ああ、それで46%増量なんだ! / こすもぽたりん ( 2000-08-22 19:15 )
ということで、意味作ってみました。 / 口車大王 ( 2000-08-22 18:08 )
岸辺シロー、もしくは伊東シローの暗喩「ですわ」(うそ) / こすもぽたりん ( 2000-08-22 16:33 )
ところでふべんきょにして知りませんが,この「46」って数字,なんか意味あるんですかねえ? / 烏丸 ( 2000-08-22 16:19 )
ううう、なんか、本格を叩きたくなってきたの「ですわ」。 / こすもぽたりん ( 2000-08-22 01:20 )

2000-08-21 『サイドカー刑事』 小宮政志 / 講談社(モーニングKC)


【ある日男は 笑顔を棄てた。】

 95年から96年にかけて,モーニング増刊OPENに断続的に掲載された『サイドカー刑事』が単行本化されているのをご存知だろうか。作者の小宮政志は『世界はじめて物語』という,コーヒーやタバコなどの歴史を題材にした作品で知られる寡作な作家である。

 国際犯罪組織「マウンテン」,その真の姿は誰も知らない。暗殺,麻薬密売,重婚罪,風営法違反,建築基準法違反,神奈川県青年条例違反……あらゆる犯罪が彼らの名のもとに行われていた。
 8年前,主人公・結城がまだ新米の刑事だったころ,「マウンテン」の核心に迫った先輩の本庄部長刑事は組織の暗殺者に殺された。さらに悪の手は結城の妻・美津子,娘・多美にも及び,二人は結城の目の前で爆死してしまう。傷だらけの結城は復讐のサイドカー刑事と化し,組織への復讐を誓う。

 随所に五線譜で織り込まれたメロディが胸を打ち,妻・美津子が結城に微笑みかけながら爆死するシーン,結城を愛してしまった暗殺者の死,ロックフェスティバルにおける孤独なバンドマンたちとの友情など,涙なしには読み通せないシーンが続く。
 行く手には何の希望も幸福もない。哀しく,美しく,ただ復讐のためにサイドカーを駆使する。そしてサイドカー刑事はギャグ漫画の伝説となった。

   ロッケンン
     ロ〜〜オ〜〜
     オ〜〜オ〜〜

先頭 表紙

名物に旨いものなし,伝説に巧いものなし。過大な期待はほにゃららかも。烏丸的にはお気に入りですけど。 / 烏丸 ( 2000-08-22 16:20 )
おお出た、『サイドカー刑事』。未だにマン喫でも出会わないの「ですわ」。 / こすもぽたりん ( 2000-08-22 01:19 )
ですわですわ。姓でしたらカラスマのほうが一般的なのでございましょうが,何を隠そう「烏丸」はファーストネームなのですわ。どちらかといえば,京都のお公家さまより仮面の忍玉のイメージなのですわ。 / でもキー入力は「カラスマ」変換,烏丸 ( 2000-08-22 00:31 )
突然ですが、烏丸って京都の烏丸通りみたく「カラスマ」だと思ってましたが、カラスマルなのね。 / ねむり猫 ( 2000-08-21 23:56 )

2000-08-21 『バラ迷宮』 二階堂黎人 / 講談社(講談社文庫)

【「ですわ」の謎】

 女子大生二階堂蘭子を探偵とする推理短編集。
 著者はある時期の乱歩のファンらしく,「梅毒に冒されて顔がただれ,気の狂った妻が夜な夜な雪の洋館で〜」といった設定を平気で書いてしまえる人。長編に手を出す前に,自分向きか否かチェックするにはまことに好都合な1冊といえるだろう。

 それはともかく少々不思議なのは,この蘭子探偵,親しい者を相手にしても「それができたのは犯人だけなのですわ」といったような口をきく。この「〜ですわ」,クリスティの翻訳などでも(翻訳者が年配の場合とくに)まま目にする女性口調だが,どこの誰がこんな喋り方をするだろう(と思っていたら,少し前のモーニングでメッツ・水原勇気がインタビューに応えて「ラッキーだっただけですわ」。ありゃりゃん)。

 ついでにもう1つ,この『バラ迷宮』の時代設定は昭和44,45年当時とされているようだが,だとすると東大安田講堂陥落(44年),大阪万博,よど号ハイジャック,三島割腹(45年)の頃。東京の国立大学の女子学生が犯罪捜査でならすというのは,いかにもちぐはぐな感あり。警視総監の養女であるというだけで学内で相克があっても不思議のない時代である。
 全共闘だのノンセクトラディカルだのオルグだのといった言葉も滅びた今,昭和は遠くなりにけり,ということか。

 なお,この『バラ迷宮』新書版には新書ミステリにしては珍しく解説がついていたが,「現代純文学が近代を脱却できていないのに,二階堂黎人らは超近代」……さすがにそれは我田強引水びたしであろうよ,と思われたことだ。

先頭 表紙

今後は表紙だけ残して中身をダンクシュートなのですわ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-22 01:18 )
この烏丸,どっちの作者も苦手なのですわ。ぽたりんさまのように本の表紙をスキャンしようかなと思って,ふと気がつけばスリークォーターでゴミ箱に投げ捨てた本はどうしようかととほほに暮れているのですわ。 / 烏丸 ( 2000-08-21 17:55 )
二階堂蘭子と西之園萌絵はきっと縁続きですね。 / こすもぽたりん ( 2000-08-21 17:47 )

2000-08-21 『洋楽inジャパン 日本で流行ったロック&ポップス['68-'86]』 稲増龍夫&ポップス中毒の会 / 学陽書房


【哀愁の君はダンシング・ミスター・シーズン】

1). 「ミスター・マンデイ」をヒットさせたグループは?
2). 「悲しき天使」のフランス語盤を歌ったのは誰?
3). アース・ウインド&フィアーでなくて,アース・アンド・ファイアーとは?
4). 「雨のささやき」をヒットさせたアメリカの長谷川清とは?
5). マッシュマッカーンってどこの国のバンド?
6). 「魔法」のルー・クリスティと「イエロー・リヴァー」のクリスティの関係は?

 ポップス市場での洋楽の停滞が指摘されて久しい。国産ポップスがにぎわっているということであり,それはそれでけっこうなことなのだが,長年洋楽のエキスに漬かってきたこの体には,今さらコムロやモー娘。にひたるのはさすがにめんどくさい。というか,できない。
 さりとて洋楽の新譜にそうそうオイシイものがあるはずもなく,オジサンたちは結局まだ入手していなかった古いアルバムやベストアルバム,リメーク,リバイバル等に走ることになる。そしてそこで,呆然と立ちつくすのである。ある時期の輝かしい洋楽ヒットチューンが,CDではなかなか手に入らないことに。

 1970年前後,上のクイズ(?)に挙げたスマッシュヒットやグループに親しんだ人は決して少なくないと思う。ところがこれが,見当たらない。
 ビートルズやS&Gのような世界的大物ならオリジナルアルバムがずらりとCD化されている。50年代,60年代のものならオールディーズベストなどと銘打って案外簡単に手に入る。ところが,70年代に単発ヒットを飛ばした連中の曲が,版権の具合なのかニーズが細いのか,なかなか再発されないのである。CDがないということは,CD紹介を前提とした記事情報のたぐいも少ないということだ。八方塞がりなのである(たとえばミッシェル・ポルナレフなど,今年になってようやくオリジナルアルバムのCD化が進むまで,情報もなく,大昔のアナログレコードやカセットテープで聞くしかない状況が延々と続いていた)。

 そこでオススメなのが,この『洋楽inジャパン』だ。
 この本は,「日本だけでヒットした曲に比重をおいて,日本で流行った洋楽をまとめた本」である。つまり,世界的な大物に対象を絞ると,日本でだけヒットした一発屋のたぐいが抜け落ちる。逆に,日本のヒットチャートにのみ目を向けると,洋楽シーン全体の流れが見えにくい……という,バランスに留意したわけだ。その結果,冒頭にあげたような懐かしいヒット曲やグループにもきちんとスポットライトが当たる,ということになる。
 内容は,「第1部 日本で稼いだ洋楽スター20組」(おお)「第2部 テーマ別作品ガイド」(おおお)「第3部 B級情報図鑑」(おおおおお)に分かれ,オリコンのデータも参考に,本命,キワモノ,一発屋と,数々の情報を提供してくれている。
 さあ,この本を片手に,再度中古レコード店や輸入CD屋に向かおう。苦心の果てにめぐり合えたあの懐かしいメロディ,それはマルタ島の渚に落とした初恋の涙の味だぜ,ベイベー。

 ちなみに,冒頭のクイズに全問正解した5名様に……と思ったが,どうしようかなあ。

先頭 表紙

ちなみにクイズの解答は,1). オリジナル・キャスト,2). 「恋はみずいろ」のヴィッキー(英語版はアップルレコードのメリー・ホプキン,日本語版は森山良子),3). プログレシングル「シーズン」をヒットさせたオランダのグループ,4). ホセ・フェリシアーノ,5). ゲス・フーと同じくカナダ,6). 関係なし。 / 烏丸 ( 2000-08-21 15:40 )
ああ、「シェリーに口づけ」ですねえ。懐かしいですねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-21 14:45 )
「シェリーに口づけ」ですよね。確か,そのCMで話題になったのをきっかけにCD発売にいたったとかいうお話。 / 烏丸 ( 2000-08-21 11:47 )
CdmaOne2のCMのバックに流れてたのって、ミッシェル・ポルナレフじゃありませんでした? なあんか懐かしいなあと思って聞いていたんですけど。 / こすもぽたりん ( 2000-08-21 01:06 )

2000-08-19 『FBI心理分析官〈2〉 今日の異常殺人に迫る戦慄のプロファイル』 ロバート・K.レスラー,トム・シャットマン 著,田中一江 訳 / 早川書房


【ずっちゃずちゃのぬたぬた】

 『X-ファイル』のモデルになったとか,プロファイリングという言葉を流行らせたとか,その筋ではなかなか盛り上がった『FBI心理分析官 異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』の続編。この2巻では,M君事件やつくばの医者による妻子殺人,地下鉄サリン事件など日本の事件もいくつか扱われている。1,900円は割高だが,早川書房もSFがぱっとしなくて苦しそうだし,これは買うしかあるまい。しかし,もう少しなんとかならなかったか,このサブタイトル。

 それにしても『FBI心理分析官〈2〉』を読んでいると,世間にはアブないサイコパスがごろごろ居るようで,けっこう怖いものがある。M君などおとなしい部類に思われるほどだ。いやほんと。とくに真ん中あたりの,20人,30人殺しては切りきざんだ犯罪者についての記述は,さすがに吉野家やケンタッキーでは読みづらい。どうも,なんというか,犯行の多くが性的なものに結びついていることと,臭いに無頓着なところが耐えがたい。オウムのサティアンもそうだったらしいが,人を人と思わなくなると臭いなどどうでもよくなるのだろうか?
 そして,読み進むうちに,金田一少年や新本格派に描かれる連続殺人事件などがいかにコシラエモノか,よーくわかる。人を殺すというのは,ハンパな精神状態ではできない,ということだ。もちろん群集心理で,とか,カッとしてワケがわからなくなって,ということはあっても,「連続」となると常人には難しい。まして,吹雪の山荘や孤島の密室で冷静かつ計画的になんてとてもとても。
 まぁ,本当の犯罪とパズルとしてのミステリは,中華街の麺料理とカップヌードルのように,比較してもしかたのないものなのだろう(当たり前だよ,ワトスン君)。

 気になったのは,この本に紹介される連続殺人犯たち,あるいはオウムの麻原やその側近,さらにはば〜か〜も〜の〜の横山弁護士など,トンデモナイ連中に限って,なぜまっとうな人々よりよほど存在感があり,ある意味「人間くさい」コク(のようなもの)をかもし出しているのか,ということだ。中身がないから演劇的に濃いキャラになれるのか,それとも本当に何かが「濃ゆい」のか?
 「個性の時代」などという大手マスコミ風キャンペーンはもともと嫌いだが,実際に「個性」なるものが剥き出しになってきたら,それはけっこうトンデモナイもの,周囲にとってただ迷惑なものでしかないのかもしれない。

 そういえば,この書評を書いていて思い出したが,この手の本のファンを喜ばせた黒い装丁の「週刊マーダー・ケースブック」(省心書房)は,神戸の酒鬼薔薇事件をきっかけに廃刊に追いやられたという噂だ。あれだけ若い女性に売れ(通勤電車で読む乙女が多いんだ,これがまた),96巻も続けば十分という気もしないではないが,いざというときの資料として入手困難というのはそれなりに困る……って,いざってなんだいざって。

先頭 表紙

私も、吉野家で、好物の「並つゆだく卵」が出てくるまでの間に本を読みます。 / こすもぽたりん ( 2000-08-20 23:35 )
えっ。だって本を読んでいる間も歩かないと移動できないし,メシは食わないと死んじゃうじゃないですか。 / 烏丸 ( 2000-08-20 21:20 )
吉野家で読書したことあるんですかっ。(食べたらすぐ出て行かなきゃいけなそうな雰囲気じゃないですか) / カカカ ( 2000-08-19 18:03 )

2000-08-18 『トルコで私も考えた』 高橋由佳利 / 集英社(ヤングユーコミックス)1,2巻


【本でイスタンブール (← さ,さぶー)】

 少し前,深田祐介の本を取り上げた際に「アジア本というとお気楽バックパッキングモノが少なくないが(それはそれでアームチェアトラベルとして実に楽しいものだが)」と書いたが,本書は漫画家・高橋由佳利がトルコに旅行,翌年からは常住し,やがてトルコの男性と結婚,出産までしてしまうという海外生活密着型イラストエッセイである。

 元来,現実の旅行が苦手な分,この手の連載や本は好きで,書店でコミックの棚に見かけてすぐ購入したのだが,白っぽい淡白なイラスト,手書き文字や写真にのんびりしたギャグを散りばめた内容はなかなか楽しめた。「ヤングユー」誌に何年にもわたって掲載されてきたものの単行本化とのこと。

 ヨーロッパとアジアの境目にあるトルコは,意外や世界でも有数の日本好き国家で,イスタンブールには日露戦争の勝利を祝って命名された「東郷通り」「乃木通り」まであるらしい。本書でも尋ねる町々で著者が日本人として大切にされることが描かれているが,もちろんそれだけでなく,トルコならではの羊やトマトをメインとした食生活,結婚式をはじめとする冠婚葬祭などが細かく紹介され,実にオイシソウ&フシギブカイ。
 フィレンツェやヴェネツィア側に思い入れの強い塩野七生本を愛読する烏丸としては,トルコはなんとなく敵対国のイメージが強かったのだが,そこはコウモリ烏丸,あっさり宗旨変えもシシ・ケバブの串1本である。

 しかし,高橋由佳利……? どこかで見たような名前だ。さすがにレディースコミックまで月々チェックしておらず,そちらで見ているとは思えないのだが……。
 実は本棚に,高橋由佳利の本はちゃんとあった。集英社りぼんマスコット・コミックス『お月さま笑った?』。その中の『コットンシャツに夏の風』(りぼん53年夏の増刊号掲載)にいたっては,雑誌からの切り抜きまで所有していた。高校のふぉーくそんぐくら部の先輩,後輩の,さわやかラブストーリー,もうイカにもりぼん,まっタコ集英社の典型的な少女マンガだ。なんでそういうものを切り抜いて保存しておいたのか,今となっては自分でもよくわからないが,そうか高橋由佳利。20年以上前から目をつけていたわけで,自らの先見の明に胸を張る烏丸であった(な,なんか違わないか?)。

先頭 表紙

TBSにいますが、全くの別人です。TBSの方は、男性。 / こすもぽたりん ( 2000-08-21 16:50 )
書いてて名前がしっくり来ないと思っていた、「秋生」なのね。そう言えばこんな名前のTVプロデューサーいませんか?別人ですよね? / ねむり ( 2000-08-21 16:42 )
吉田秋生ですね。昔のはほとんど全部文庫で出ているでしょう。さすがにYASHAとかはまだだけど。『カリフォルニア物語』も出ていますよ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-21 14:11 )
吉田秋実は?私「カリフォルニア物語」にはまってたのですが。 / ねむり猫 ( 2000-08-21 12:31 )
陸奥A子,最近文庫化進んでちょっと「復権」ぎみ。 / 烏丸 ( 2000-08-21 00:46 )
琴線に触れますよね〜。高橋由香利はたまに話題にでますが、陸奥A子ってあんまり話題にならないっすねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-20 23:37 )
高橋由香利,さほどメジャーな漫画家とは思えないのに,話題にするたびに反響が大きいのはなぜ? / 烏丸 ( 2000-08-20 21:22 )
冒頭のギャグ、さぶいんだけど、でもつい笑ってしまった私は何モノでしょう? / オーテマチエンヌ ( 2000-08-19 02:07 )
高橋由香利・・・懐かしい・・・。文字は忘れたが絵はしっかりと網膜に焼き付いていました。 / イナホ ( 2000-08-18 23:15 )
旧ソビエト連邦に国境を接していた国、ある1か国を除いて親日国です。中国も以外と日本好きなんですね。 / 口車大王 ( 2000-08-18 23:02 )

2000-08-18 『お楽しみはこれもなのじゃ <漫画の名セリフ>』 みなもと太郎 / 河出書房新社(河出文庫)


【今なら『エアマスター』あたりが名セリフの宝庫か?】

 『ホモホモ7』『風雲児たち』で知られる漫画家・みなもと太郎が,さまざまな漫画の名セリフを,自ら描くカットとともに紹介するイラストエッセイ……って,こういうものも「エッセイ」と言ってよいのか,ほんとのところ。

 1970年代後半,今はなき「マンガ少年」(朝日ソノラマ刊)に連載されたもので,従来のストーリー漫画,ギャグ漫画が「ガロ」「COM」両誌によっていったん解体され,それが再構成されて大量消費になだれ込む直前の時代の漫画の絵解きになっている。後年の,夏目房之介『消えた魔球』等の原形といってよいだろう。
 ただ,貸し本時代の作品が数多く取り上げられるなど,全体を通せばやや懐古色が強く,著者の『ホモホモ7』が,発表当時,まことにアナーキーでセンセーショナルな扱いを受けたことを思えば隔世の感あり。また,萩尾望都,大島弓子,樹村みのり,倉田江美,清原なつの等,当時目覚しく活躍していた女流作家たちについても,どの程度わかって書かれているのか,正直言って疑問だ。

 時代が時代ゆえ,やむを得ないことではあるが,著者の漫画観の限界の露見する表記をいくつか拾ってみよう。

  本稿で劇画を取り上げるべきかどうか,じつは非常に悩んだのであります。

  (あすなひろしについて)だいたい,あの美しい絵と物語の作者が男性であることすらすでに驚異なのである。

  (『マカロニほうれん荘』について)ま,とにかくオモシロイと思わねばならぬのでありましょう。しかし,つかれるナァ。

  いしいひさいち氏の四コマ漫画は,従来の「起承転結」というセオリーを無視しきっていて気にならないでもないんだけど,

 ちなみに,白っぽいカットの下段に名セリフを紹介する文章を加える手法は,タバコのハイライトなどで知られるデザイナー・和田誠が映画の名セリフを紹介する『お楽しみはこれからだ』(「キネマ旬報」連載,文藝春秋社刊)という超名作シリーズのまるごとパクり。もちろん,こういうパクりならどんどんやってほしいもので,そろそろ,1980年代,1990年代コミックの『お楽しみは』がまとめられるべき時期が来ているのではないか。誰かやってたらごめん。

先頭 表紙

2000-08-18 『あかい花』 フセ−ヴォロド・ミハイロヴィチ・ガルシン,神西 清 訳 / 岩波書店(岩波文庫)


【たまには露文に浸る】

 「守備範囲が広い」などとお誉めの言葉をいただくと,ついつい舞い上がってグラン・フェッテ・アン・トールナン一発決めようとするのがこの烏丸である。というわけで,今回はロシア文学,それもパラフィン紙のカバーも馨しい時代の岩波文庫だ。

 「個人の恋愛を詩にするなどということはもはや贅沢で……」というようなことを書いていたのは『荒地』のころの田村隆一だったか。気がついてみれば今やそれは詩に限らず,個人の恋愛だの絶望だの狂気だのを小説に描くのも贅沢なシュミとなり果てた。ベストセラーにも映画にもなりにくいし。
 そう思うと逆に,個人の恋愛だの絶望だの狂気だのを切々と言葉にできた時代,それも小賢しいフランス心理小説などより,不器用で土の香りもナイーブなロシアの短い作品たちが愛しいというものだ。プーシキン,ゴーゴリ,ツルゲーネフ,エセーニン(泣),マヤコフスキー,などなど(もちろん,彼らの作品が私小説的であった,なんてことを言っているわけではない)。

 というわけで,ときにはガルシンの『あかい花』なんぞ手にとってみる。100ページそこそこの薄っぺらい短編集なのだが,学生時代と違い,ストレートに1冊読み通すのがとてもつらい。長編小説を読むのに体力が要るように,こういったピュアなテキストを読むのにも,またパワーが必要なのだ。濁った海の魚が真水で生きていけないようなものか。
 表題作は,精神病院の病室の窓から見た真っ赤な花に心を乱され,それと懸命に戦う中でがちゃがちゃに壊れていく若者の話。その花が何の象徴か,とか,そんなことはもう考えない。ただ,心を半分開いて,痛々しさに身を任せる。

 ところで,ガルシンは自宅の階段から身を投げて死んだのだそうだ。死に方まで贅沢で痛々しいのである。

 もう一点,すっかり忘れていたこと。
 手元の『あかい花』は,岩波文庫の第ニ九刷(昭和四九年一月一〇日 発行)で,奥付には「定価★」とある。当時の岩波文庫はこの★の数で価格設定されており(この頃,★一つは七十円だったか?),『あかい花』や『外套・鼻』が★一つ,『ヴェニスの商人』が★二つ,『シラノ・ド・ベルジュラック』が★三つ……という具合で,間の価格はなかったのである。

先頭 表紙

2000-08-17 『テレビ消灯時間』 ナンシー関 / 文藝春秋(文春文庫)


【目は笑っていない】

 普段は無自覚に読み書きされていてつい失念してしまうが,実のところ「文体」というものは,読み手の喜怒哀楽や論理的思考を喚起(あるいは劣化)させるために存在するものである。そのために「文体」はたとえば揺れることによって読み手の感情や思考を揺さぶる。音韻や語調,倒置,反復といったテクニックの多くは,この「揺さぶり」の効果のために用いられる。
 たとえば「仕事を引き受ける午後の珈琲には,2つの味しかない。甘すぎるか,それほどでもないかだ」という文章は,読み手の内になんらかの感情,思考を喚起する。実は何も書いてないに等しいのだが。

 さて,消しゴム版画家にしてコラムニストという稀有な肩書きを持つのがナンシー関だ。僕は彼女を,当節最もチャーミングな物書きの1人として認識している。その理由は,テレビ番組批評家としての彼女が,極めて緻密で冷静な思索家であるからだ。
 たとえば,次のような文体。

  産声が「ねぇねぇ社長さん」だったという伝説もある。うそ。

  食いつなげる現実もすごいが,すごい男である。ほめちゃいな
  いが。

 彼女のコラムに再三登場するこのような「一人ボケ → 一人つっこみ」「断定 → 半疑問形」で読み手を揺さぶる文体は何を意味するのだろうか。落としてから持ち上げる。持ち上げてから,落とす。揺れるのはテレビ番組やタレントではない。読み手であり,ナンシー関当人なのだ。
 実は,彼女の作業とは赤いものを正しく「赤い」,丸いものを正確に「丸い」と表現することであり,それは本来正当な表現活動である。しかし,その対象たるテレビ番組は,最近ではゲストコメンテーターを並べ,画面下のテロップを連打して自らを「青い」「四角い」と評するワザさえ手にしている。相手はヌエのようにしたたかだ。その結果,ナンシー関は,たとえば

  タレントの価値と仕事量は反比例するという公式がある。ある,
  って私が作ったんだがな。  タレントの価値10なら仕事1で
  も「10」だが,価値が1なら仕事量10でなければ「10」になら
  ない(例・安室奈美恵×笑って手を振る=10,猿岩石×ユーラ
  シア大陸横断=10)。

といったような論理のサジまでふるってテレビ番組やタレントをさばく作業に追われる。それを単に「辛口」エッセイ,「毒舌」コラムと形容して済ませるのは愚かしいことだ。テレビ番組やタレントがその結果酷評されるなら,それは酷評される側に問題があるのだから。

 ちなみに我が家では,よほどの大事件でもなければテレビの電源は入らない。ワイドショーやバラエティ番組のレベルを云々する前に,テレビに反映される社会やそれを見ている自分を対象化する努力,誠実さを放棄してしまったと言ってよい。そんな僕にとって,

  私は中山秀征が嫌いである。何故嫌いなのか,嫌う私に問題が
  あるのか,中山秀征とは何なのか,とおそらく中山秀征のこと
  をこれほど真剣に考えた人間はいないだろうというくらい考え
  ている。

と書けるナンシー関は最高にチャーミングで知性の女神のような女性像であると言わざるを得ない。ほんとか。

先頭 表紙

そのぶん,読みが浅いんですよ。> ねむりさん / 烏丸 ( 2000-08-17 19:11 )
チャーリーも中山が嫌いだったはず。それにしても烏丸さん、本当に守備範囲が広くていつも驚いております。 / ねむり ( 2000-08-17 18:59 )
今度ぜひ読んでみたいと思います。(まんまと揺さぶられた) / 砂浜で独り ( 2000-08-17 18:26 )
「ねぇねぇ社長さん」という産声をあげたと言われる人はいったい誰なんですかい? / こすもぽたりん ( 2000-08-17 18:19 )

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