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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2000-08-14 有罪ノックの自伝ではない 『タコはいかにしてタコになったか−わからないことだらけの生物学』 奥井一満 / 光文社(光文社文庫)
2000-08-13 まやかしごまかしおためごかし 『マスコミ報道の犯罪』 浅野健一 / 講談社(講談社文庫)
2000-08-13 『ドーナツブックス ほか』 いしいひさいち / 双葉社
2000-08-12 [非書評?] 『腐乱! 1ダースの犬』
2000-08-12 大人の味 『象は忘れない』 アガサ・クリスティー,中村能三 訳 / 早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)
2000-08-12 翔ぶって,こんなことか? 『黄金を抱いて翔べ』 高村薫 / 新潮社(新潮文庫)
2000-08-11 [非書評] 不愉快な書店
2000-08-11 静かに寝なさい 『龍は眠る』 宮部みゆき / 新潮社(新潮文庫)
2000-08-11 『ミステリー大全集』 赤川次郎 ほか / 新潮社(新潮文庫)
2000-08-10 まだまだ 『誤植読本』 高橋輝次 編著 / 東京書籍


2000-08-14 有罪ノックの自伝ではない 『タコはいかにしてタコになったか−わからないことだらけの生物学』 奥井一満 / 光文社(光文社文庫)


 光文社文庫『生物界ふしぎ不思議 タコはいかにしてタコになったか−わからないことだらけの生物学』(奥井一満著)読了。なかなかおもしろい。

 おもしろいというのは,新しい知識が次から次へと提供される,という感じではなく,生物の進化について,「こんなことがわかっていない」「あれもなぜだか見当がつかない」をあれこれきちんと再確認させてくれるため。
 たとえば。貝や蝶の派手な模様は,なぜそうなったのか? 敵から身を隠すため,という説明は一見正しそうでも,自分の姿は見えないはずなのに,どうやってその外見を選べたかの説明ができない(木の葉や花に似た虫についても,現在のデザインが敵から身を隠しやすいということは事実でも,進化の過程でなぜそのデザインを選べたかは説明できない)。
 あるいは。養蚕のカイコは完全に家畜化しており,自然状態では全く生きていけない。中国で発見されてほんの数千年で品種改良されたというのなら,その野性種は? クワコという近い種の蛾はいるが,かなり性質が異なり,いろいろ説明のつかない点があるらしい。
 さらに。地上動物として発達した前肢を捨てて翼に変え,歯を捨て,膀胱を捨て,鳥が飛ぶ姿を選べたのはなぜか?
 などなどなど。

 結局,個々の生物の個々の器官や生態は調べられても,進化の過程は説明がつかない,証拠もない,というのがおおかたの実情らしい。そして,進化に関する話題を扱う本は,いうならば,そのへんをぐらぐら揺すったり揺すられたりしてるわけだ。
 本書ではそのあたりを徹底して「わからない」で押し通しているので,「とんでも」にはなってない代わり,あっと驚く明快さもない,といったところか。
 こういうのを読むと,しょせん「進化論」は「学」ではなくSF(サイエンス・フィクションというより,スペキュレイティブ・フクションてやつ)の領域かな,という気がしないでもない。でもって一歩間違えると,これが「宗教」。あな,おとろしや。

先頭 表紙

オーテマチエンヌさん、ナイスなボケっぷり! 吉本ごぉかぁく! / こすもぽたりん ( 2000-08-15 00:27 )
タイトルから案の定横山ノックを想像してアクセスしてきたら、先制パンチ。恐れ入りました。 / オーテマチエンヌ ( 2000-08-14 22:00 )

2000-08-13 まやかしごまかしおためごかし 『マスコミ報道の犯罪』 浅野健一 / 講談社(講談社文庫)


 インターネットが身近になった昨今,Yahoo!JAPANのニュース欄などでは,時事通信,ロイターなど通信社からの「なま」のニュース配信に直接触れられるようになった。悪くないことだと思う。それと見比べるうちに,朝日,讀賣などの大手新聞がいかに配信データをそのまま垂れ流しているか,あるいは逆に,いかにそのデータに根拠のない勝手な解釈を付け加えているか,ということが見えてくるからだ。
 「〜が明らかになった」とだけあって,誰がいつどこでそう述べたか明記していない記事は,大手マスコミの報道であっても眉唾で対したほうがよい。

 本書『マスコミ報道の犯罪』の著者は元・共同通信の記者で,現場での体験から,日本のマスコミ報道がいかに客観報道からかけはなれたものか,またそのためにいかに多くの一般市民が事実から隔離され,あるいはより具体的に被害を被っているかを説く。5W1Hを押さえた文体は明快で,一種のカタルシスさえ与えてくれる。
 たとえばオウム事件の際,警察からのリークだけをベースに,どれほど憶測に基づく報道が繰り返されたか。松本サリン事件の河野さんに対する扱いを思い起こせば,大手マスコミ報道の矛盾点は明らかだ。

 そして本書の最後には,ブラックというか痛烈なしっぺ返しが待ち受ける。
 著者は「あとがき」として,松戸OL殺人事件の小野悦男容疑者をマスコミが最初から犯人扱いしたこと,それが結果としては冤罪だったことを,自著の論拠として掲示している。ところがその小野容疑者が,釈放後,今度は同居女性殺害,女児誘拐・殺人未遂等で再度世間を騒がせた,という揺るがせない事実。
 冤罪判決の是非についてはさておき,ここではむしろ,このアイロニーを,「報道に対しては常にニュートラルに対する必要があること」「いったん明らかになったと思われることでも,常に検証を重ねる必要があること」の好例とみなしたい。

 とにもかくにも,大手マスコミの報道なら無条件に信用してしまう傾向のある方に,ぜひともお奨めしたい一冊。

先頭 表紙

2000-08-13 『ドーナツブックス ほか』 いしいひさいち / 双葉社


【野菊の鼻】

 さて,そのいしいひさいちである。
 もし手元にいしいひさいちの単行本が1冊でもあるなら,手に取ってぱらぱらページをめくってみていただきたい。出てくるキャラクターの「鼻」の描き分けがすごいのである。何百というパターンがあって,それぞれリーズナブルな形をしているのがおわかりいただけるだろうか。泰然とした部長は座った高くて大きな鼻,神経質な課長はとがった細い鼻,ぼんやり部下は丸い小さな鼻,などなど。いしいひさいちが作中でおちょくりつつも決して憎からず思っているキャラと,本気で毛嫌いしているキャラの違いが,鼻の形に現われているような気さえする(たとえば,『ドーナツブックス』に何度か出てくるゴーツクバーサンは,同一人物ではないくせに横顔にタバコをくっ付けたような鼻だけは共通)。登場人物の「目」のほとんどがいわゆる点目かにこちゃん目だけに,鼻への力の入れようが目立つ。

 トルストイは『戦争と平和』で数千人の登場人物を描き分けたと言われるが,いしいひさいちは鼻で数千人を描き分けているのであった。いやほんと。

先頭 表紙

2000-08-12 [非書評?] 『腐乱! 1ダースの犬』

【ビルマのたわごと】

 『ティファニーで朝食を』(トルーマン・カポーティ)は魅力的なタイトルだ。タイトルだけである程度成功が約束されたようなものだ。
 『ライ麦畑でつかまえて』(ジェローム・デーヴィド・サリンジャー)もまた素晴らしい。原題は『CATCHER IN THE RYE』,つまり“ライ麦畑の捕まえ手”で,訳者の柔軟さも見事。
 これに対し,講談社X文庫には『ティファニーでつかまえて』(秋野ひとみ)という本がある。……タイトル文化をなめとんのか。こういう例はけっこうあって,人ごとながらムッとしてしまう。

 映画『愛人(ラマン)』の原作で知られるマルグリット・デュラスの『破壊しに,と彼女は言う』も,しびれるようなタイトル。ところが,中上健次には『破壊せよ,とアイラーは言った』という本がある。恥という言葉を知らんのか。
 小説ではないが,ポール・サイモンに『ぼくとフリオと校庭で』という佳曲がある。どういうわけかこのタイトル,作家や漫画家に「もてる」。たとえば『ぼくとフリオと校庭で』(諸星大二郎),そのまんま。『ぼくとハルヒと校庭で』(原田じゅん),何をかいわんや。『ボクとカエルと校庭で』(みうらじゅん),あーはいはいはい。
 『ゴドーを待ちながら』は,サミュエル・ベケットの不条理劇。「何が起こるのだ,いや,何も起こらないだろう。それどころかきっとゴドーは最後まで現れず,何事も説明されないに違いない。うう……」的展開の予想される,まことに前衛劇はこうでなくっちゃなタイトルである。しかして,これのパクりも腐るほど現れ,最近もひきの真二のコミックに『Todoを待ちながら』なんてのが出ている。

 念のため。
 これらのタイトルパクり作品の一部は,ちゃんと本文内で,元のタイトルの小説や歌曲を引用し,それを「分かったうえでパクっているんですよ」と説明している。たとえば笈川かおるのコミック短編『ぼくとフリオと校庭で』はポール・サイモンの歌詞を引用し,それに日本の高校生の心情をシンクロさせたストーリーだった。いとうせいこうの『ゴドーは待たれながら』も,「このくらい分かって読むように」という作者のメッセージの込められた味のあるタイトルだ。
 つまり,パクることすなわち全面的にいかーん! などと言うつもりはないのだ。「本歌取り」「パロディ」「洒落」というのは立派な技術,文化だと思う。許せないのは,「ちょっとオシャレなタイトルなのでイッタダキー。どうせ普通の読者にはわからないだろうしー」的,安直愚昧なパクりなのである。パクるならいっそ,いしいひさいちのドーナツブックスの各巻のタイトルくらいごりごりパクり通してほしいのである。
 いわく『存在と無知』『丸と罰』『健康と平和』『玉子と乞食』『老人と梅』『いかにも葡萄』『椎茸たべた人々』『垢と風呂』『ああ無精』『長距離走者の気の毒』
 いわんや『まだらの干物』『馬力の太鼓』『美女と野球』『フラダンスの犬』『かくも長き漫才』『学問のスズメ』『麦と変態』『不思議の国の空巣』『ドンブリ市民』『泥棒の石』
 あまつさえ『毛沢東双六』『とかげのアン』『伊豆のうどん粉』『公団嵐が丘』『出前とその弟子』『女の一升瓶』『任侠の家』『パリは揉めているか』『風の玉三郎』『アンタ・カレーニシナ』『テニスに死す』『お高慢と偏見』
 いやはや,出典と作者名を正確に把握するだけでもけっこう大変だ。ちなみに,これらは担当編集者が付けているのだろうが,その編集者,文学部の露文出ではないかと思われる。なんとなくだけどね。

先頭 表紙

2000-08-12 大人の味 『象は忘れない』 アガサ・クリスティー,中村能三 訳 / 早川書房(ハヤカワ・ミステリ文庫)


 宮部みゆきの『龍は眠る』における,登場人物の子供っぽさについてはすでに述べた。
 実際,少なからぬ(上質なものを含む)ミステリ作品で,主人公,ないし脇役の幼児性がストーリー展開のための便利な道具とされているのは明らかだ。
 この烏丸,ポーの短編におけるオーギュスト・デュパンのクールさが好きなのだが,このような描き方はなかなか長編やシリーズものでは難しいらしい。子供っぽいキャラがいないと,ストーリーが踊らない,とでも言うか。

 クリスティーのポアロものにおける愛すべき脇役,ヘイスティングスもその例にもれない。彼は決して悪人ではないが,こと複雑な犯罪に対しては無邪気で頓珍漢な推理を繰り返し,ばたばたと場をにぎわせてばかりいる。ところが,クリスティーの作品は,晩年に向けて,このヘイスティングスのような脇役を必要としなくなる。過去に起こった事件を関係者の言葉を重ねることで少しずつ明らかにしていく,そのような独特な描き方に作風が変わったためである。「回想の殺人」と称されるそれらの事件では,多くの場合,犯意は憎悪や悪意ですらない。

 『象は忘れない』は,1972年発表,著者82歳(!)のときの作品で,探偵エルキュール・ポアロが登場する最後の作品となっている(『カーテン ポアロ最後の事件』は第二次大戦中にすでに書かれていた。晩年の作品と読み比べれば,ポアロもヘイスティングスもどたばたした印象で,明らかに若書きであることがうかがえる)。『象は忘れない』に至って,「灰色の脳細胞」という決めゼリフを連発するあのキザで自己顕示欲の強いポアロは,いつの間にか静かで人の話を聞き出すのが巧い老人と化している。事件そのものも時の流れにさらされ,血や悲鳴は風化し,その分,悲しい物語がやがて明らかにされる。全体に流れる情緒は,東洋的諦念にかなり近い。

 しかし,この『象は忘れない』をクリスティーの代表作として無造作に推せないのはまたしかたがないところだ。『アクロイド殺し』『オリエント急行の殺人』『そして誰もいなくなった』など,初期のトリッキーなフーダニット,ハウダニットものを読み重ねて初めて,後期の静謐な境地がまた引き立つのだから。

先頭 表紙

2000-08-12 翔ぶって,こんなことか? 『黄金を抱いて翔べ』 高村薫 / 新潮社(新潮文庫)


 
 先に紹介した宮部みゆきの『龍が眠る』が日本推理作家協会賞受賞作品なら,デビュー作で日本推理サスペンス大賞を受賞したのが高村薫の『黄金を抱いて翔べ』である。

 銀行本店の地下深く眠る6トンの金塊。大阪の街でしたたかに生きる6人の男たちが,この金塊強奪計画に立ち上がった……。世評では,「圧倒的な迫力と正確無比なディテールで絶賛を浴びたサスペンス作品」ということになっている,らしい。
 ……したたか。迫力。そうか? とても,信じられない。

 確かに,設定は面白いし,デビュー作と思えない筆力は大変なものだ。しかし,一読後のイメージたるや,甘たるいイチゴジャムがねばついた中にうっかり靴を突っ込んでしまった,というようなものだった。
 なにしろ,この本に登場する男たちときたら,こぞってねちねち,なよなよとモノや過去にこだわり続け,おまけに「したたか」の対極と言ってよいくらい他者を動かせない。「女々しい」と言う言葉は今どきの女性には似合わず,使いたくないのだが,ほかに適切な言葉が思い浮かばない……ともかく,出てくる男,出てくる男,底なしに女々しくて情けない。
 だから,よしんば生き延びられたとしても,得られるモノや人生は,情けないものとなってしまう。

 ま,ハードボイルドとされている探偵など,実のところたいてい過去を引きずって酒瓶片手にべそをかいているような輩だらけではある。それにしても,これなら『ルパン三世』のほうがずっと面白いと思うぞ俺は。

先頭 表紙

2000-08-11 [非書評] 不愉快な書店

 不肖この烏丸,常々気にかけることの1つに,
  本屋では風のような,あるいは柳の枝のような存在でありたい
というのがある。

 本棚と本棚にはさまれた狭い通路で,立ち止まって本を捜す者,通り抜ける者が相次ぐのだ。背後に人の気配あらばすみやかに体の角度を変え,互いによりスムーズに通り抜けられるようはかるのが本好きのツウ,イキ,というものであろう。腰をすえての立ち読みがすべて不可,とは言わないが,立ち読みにふけるならせめて本を求める人,別のコーナーへ向かう人の邪魔にならないよう心がけたい。
 逆に言えば,最悪なのは体を強張らせ,後ろを人が通ろうが,自分の正面の本を求める者がいようが,頑として動こうとしない輩。酷いのになると,膝元の平積みの本の上に事務鞄を置いたりする。軽く押しのけたり鞄を払いのけたりしてかまわないと思われるが,そういう御仁に限って権利意識が強く,余計に体を強張らせ,むっとした顔でにらむことも少なくない。
 存外邪魔なのは,本棚や雑誌の平積みスペースの,コーナーというか,角のところに立って立ち読みする輩。女性に多い。実際はコーナーは人と人が交差する,なかなか迷惑な場所なのだ。想像だが,そういう場所に立つことによって,「あたしが一番邪魔な場所を占めているわけじゃない」「たまたま気になる記事がちょっと目についただけで,長い時間立ち読みするつもりではない」という言いわけが全身から吹き出ている感じさえする。心内にあれば色外に現る,むべなるかな。

 ここまでは客の側の話だが,書店の通路で風,柳であってほしいのは店員も同様。しかし,教育の行き届かない書店では,その店員が一番邪魔なこともある。
 のすのすと通路の真ん中を本を抱えて歩き,客に待機させる。しゃがみこんで本棚下段の文庫を出したりしまったり,ていねいに棚を掃除しようとしたりするのはよいが,その棚で本を探したい客が近づいても気づかない。
 客の動線を考えず,レジわきの最もすれ違いの多い場所にコロ付きの特設棚を設ける。よく見ればそれは特設棚ですらなく,自分たちの新刊旧刊入れ替え作業用のカートではないか。
 さらに,レジで客の本を受け取りながら店員同士で私事を喋り続け,そのあげく「カバーは要らない」などの客の声を聞きのがす。暇そうに文庫のカバーを折っている店員がいるのに,片側のレジしか使わない。レジの機械壊れればひとしきり内輪で騒ぐだけで,その間待たせた客に謝罪せず。あげく「じゃあしばらくレシートはなしでいいね」などと店員どうしで納得して,レシートの必要な客には一言の謝罪もない。仕方なく領収書を書いてもらおうとすると,露骨に面倒という顔をする。
 水○○のブッ○ス○○モの店員のみなさん。これ全部あなた方のことですよ。

先頭 表紙

烏丸は大きな本屋でふわふわ漂うのがわりと好きなんですよ。先日,とあるデパートの本屋で半日漂ったときは,耳に「おっ買いもの,おっ買いもの」のCMソング(?)が焼きついて数日往生しましたが。 / 烏丸 ( 2000-08-11 18:33 )
とは書いてみたものの、東京堂は大きい部類かなあ、とも思っております。 / こすもぽたりん ( 2000-08-11 17:18 )
現状、出版される本があまりに多くて、本屋自身が自分で一体何を売っているのか全くわからない状況ですね。よって、不肖ぽたりん、大きい本屋には全く行きません。大規模書店の役割は、ネット書店で全て代替出来ますからねえ。ですから、専門書店か、店構えは小さいが店主の知性がぴりりと効いている山椒のような本屋にしか行きません。新刊書店では、神保町の東京堂書店がなかなかよろしいかと。三省堂に比べてみーちゃんはーちゃんが来ませんのでね。 / こすもぽたりん ( 2000-08-11 17:17 )

2000-08-11 静かに寝なさい 『龍は眠る』 宮部みゆき / 新潮社(新潮文庫)


【サスペンスの構造】

 ストーリーテリングが巧みで,ハートウォームで,はらはらしているうちに一気に読み通せる……そんな評判も高い宮部みゆきの作品だが,この烏丸,どちらかというと宮部は苦手で,少なくとも長編を続けて読みたいとは思わない。その理由が,この『龍は眠る』ではかなり明確に透けて見える。

 嵐の夜,新聞社系雑誌編集部に勤める語り手は,超常能力者を自称する少年と出遭う……。

 しかし,この後の展開が,とにもかくにも疎ましい。語り手は何かというと過敏に騒ぎたがり,目の前にあるあらゆることにシロクロをつけたがる。つまり,信用ならないただの子供なのだ。
 たとえば語り手は,超常能力が存在するか否かについて,再三,うわずった悲鳴をあげる。数分すら,ニュートラルな状態を維持できない。何年も前に別れた許婚者のことも実は許せていない。まるで遊びのないハンドルであり,はっきり言って,危険極まりない。また一方,超常能力者の少年は,人の心が読めるとは信じられないくらい人の心の読めていない言動を繰り返し,周囲にも再三迷惑を重ねる。
 ネタバレになるのでこれ以上は書けないが,それ以外の登場人物も,総じて含みのない,短絡的,衝動的な行為を繰り返す。

 これらは,構造的にはある程度しょうがないことであって,そうでなければサスペンス小説など成立しない。殺人鬼が跋扈(ばっこ)する夜に一人で湖で泳ごうという女学生の一人もいなければ,ジェイソンとて活躍の場は得られない,そういうことだ。

先頭 表紙

読みやすさ,興奮度の費用対効果バランスがよいのでしょう。登場人物がああまで子供ばかりでなければ,もう少し楽しく読めるのですが。「火車」が比較的面白く読めるのは,犯人にセリフや心情吐露が一切ないせいですね。 / 烏丸 ( 2000-08-11 16:59 )
どうして世の中の人は、こんなに宮部を支持するんでしょうねえ。謎ですねえ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-11 16:36 )

2000-08-11 『ミステリー大全集』 赤川次郎 ほか / 新潮社(新潮文庫)


【昭和二十六年のミステリー】

 せっかくだから,もう1冊だけ,誤植をご紹介しよう。
 新潮文庫『ミステリー大全集』は,赤川次郎,泡坂妻夫,栗本薫,佐野洋,島田荘司,森村誠一ら,ベテラン,中堅のミステリ作家13人の短編を集めた好オムニバス。収録作品もよく練れていて,読み応えがある。……だが,問題はその奥付けだ。昭和二十六年発行って,いったいいつの話?

先頭 表紙

2000-08-10 まだまだ 『誤植読本』 高橋輝次 編著 / 東京書籍


【アラブゼミ】

 先ほど紹介した『蛾』は巻末の誤植がウリだが(そうか?),こちらは1冊まるごと誤植をテーマにした本……と思って買ってしまったが,あいにく「誤植」そのものについては全体の2割か3割程度で,さすが教科書会社,どちらかというとこれは出版の現場での「校正」苦労譚についての古今の随筆を集めたものという趣である。
 要するに,残念ながら帯に「ここだけの恥ずかしい話しに思わずニヤリ。失敗は成功の墓。この本でしか味わえないあの作家達の告白」とうたわれているほどには笑えない。確かに妙な誤植を出して青恥赤っ恥,という話もなくはないが,むしろ「原稿には間違いないよう書いたつもりなのにベテランの校正者に指摘され毎度赤面」「苦心の作語を校正で勝手に直されて不本意」「漱石の全集を校正したときはこんなことに苦労」といった,まあ古風というか純文学的というか。「同じトクトミ兄弟でも、兄の蘇峰は徳富と点あり、弟の蘆花は徳冨と点なし、それぐらいのことなら、たいがいのものがわきまえて」いる読者を想定しているということである。唐沢兄弟のどちらが原作でどちらが作画か,という読者はあんまりお呼びでない。
 であるから,本書を購入する際には,帯や目次で著者一覧に目を通してからのほうがよいだろう。

 と,これだけでは面白くもなんともないので,この烏丸が出合った誤植について一つだけご紹介しよう。
 以前担当したある雑誌記事に,「アブラムシと共存するアリマキ」という表現があった。どういう内容の文章だったかはもう思い出せない。ともかくその「アブラムシ」である。これが,初校のゲラ(校正刷り)では,なぜか「アブラゼミ」となっていた。活字を組んだ(正確には写植だが)者の思い込みだろう。無造作に赤を入れ,訂正した。すると,何をどう勘違いされたのか,再校では「アラブムシ」になってしまった。なんとも楽しい言葉だが,笑って通すわけにはいかない。赤を入れ,その折に訂正はほとんどそれだけだったので少し考えて責了ということにした。刷り上がったものは,「アラブゼミと共存するアリマキ」。
 ……その写植オペレーターは「アブラムシ」という言葉に,何かよっぽどつらい思い出でもあったのだろうか?

 パソコン,ワープロが普及した昨今では,手書きでは考えられない誤植も頻発する。「以外」と「意外」,「内蔵」と「内臓」の混同など,インターネットの掲示板では日常茶飯事。ついでに「敷居が高い」「役不足」なども使い方には要注意だ。

先頭 表紙

しばらくは,ヘンな誤植を出しても「アラブゼミよりはマシかも」と誰もが優しい気持ちになりました。 / 烏丸 ( 2000-08-10 20:01 )
笑いが止りませぬ。 / こすもぽたりん ( 2000-08-10 19:51 )

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