himajin top
烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-05-04 〔非書評〕重箱の隅つつき その5 『となりの山田くん(5)』 いしいひさいち / 創元ライブラリ
2006-05-01 〔非書評〕重箱の隅つつき その4 『花の下にて春死なむ』 北森 鴻 / 講談社文庫
2006-04-26 〔非書評〕重箱の隅つつき その3 『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン,越前敏弥 訳 / 角川文庫
2006-04-22 〔非書評〕重箱の隅つつき その2 『なみだ研究所へようこそ! サイコセラピスト探偵波田煌子』 鯨 統一郎 / 祥伝社文庫
2006-04-19 〔非書評〕重箱の隅つつき その1 『象と耳鳴り』 恩田 陸 / 祥伝社文庫
2006-04-14 新入社員推奨銘柄 『コンシェルジュ』(現在5巻まで) 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS
2006-04-12 なんだかよくわからない 『飛蝗の農場』 ジェレミー・ドロンフィールド,越前敏弥 訳 / 創元推理文庫
2006-04-05 姉歯元建築士の妻の自殺報道について
2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ
2006-03-23 パペットマーケット


2006-05-04 〔非書評〕重箱の隅つつき その5 『となりの山田くん(5)』 いしいひさいち / 創元ライブラリ


 いしいひさいちの作品はもちろん「推理小説」ではないが,作者の稀有なミステリ批評眼,ならびにホームズものをはじめとする痛烈なミステリパロディに敬意を表して,あら探しをさせていただくこととしよう。

 作者自身認めているとおり,いしいひさいちの4コママンガには,オチの意味の不明なものが世界の紛争の数ほどある(とくに政治経済モノに多いようだ)。「不条理」を狙ったわけでもなく,2コマめか3コマめでロバのたずなを放してしまって,そのままどこかわからないところにたどり着いてしまったような感じだ。その手の作品の場合,ちゃんとオチているのかどうかさえわからないので,隅つつきのしようがない。

 別の角度,たとえば双葉社の『ドーナツブックス(いしいひさいち選集)』第27巻の作品番号3455と第28巻の3514が,展開もオチもほぼそっくり同じなのに各コマのカットやセリフがよく見ると微妙に違う(本当),とか,同じく第27巻の3407の4コマが,編集工程上のミスによるものか,本来1,2,3,4のコマ順になるべきものが3,4,1,2の順になっている(これも本当)とか……。
 いや,今回取り上げる重箱の隅は,そういったものでもない。

   あの〜〜 コート買うても ええですか?

 これは『となりの山田くん』の創元ライブラリ版第5巻,朝日新聞では1993年12月10日朝刊掲載分の1コマめで,山田家の主婦まつ子がたかしに話しかけるセリフ。
 この言葉遣いは山田家としては異様である。普段のまつ子のぶつ切りな大阪弁に比べても妙に丁寧ですわりが悪く……早い話が,気持ち悪い。

 このコマ以来,まつ子がたかしに話しかけるシーンに注目しているのだが,少なくともこのような言葉遣いはあまり記憶がない。そもそも,この夫婦にはまともな会話がない。ほとんどが,メシやフロや服装,雨傘についてのやり取りであって,会話という言葉を持ち出すほどのものではないのだ。まつ子は主婦としてはかいがいしいし,無神経なだけで夫婦仲が悪いわけでもないのだが……。
 などなど,山田家について余計なことを考えさせられてしまうという意味でも,先に引用したセリフはまことにキショク悪いシロモノなのである。

 ちなみに,山田家の二人の子供,のぼるとのの子は,祖母,山野しげに直接話しかけるときに「おばあさん」と呼ぶ。
 「おばあさん」には「お祖母さん」「お婆さん」の2つの意味があり,正しい正しくない,は別にして,このようにフランクな家庭で小中学生の孫が祖母に話しかけるなら「おばあちゃん」のほうが自然な気がする。「おばあさん」には,「お婆さん」,つまりヨソの老婆に声をかけるニュアンスが強く,つまり同居している祖母に対して用いるにはヨソヨソしさがこもっているように思われてならないのだが,この感覚は少数派なのだろうか。

先頭 表紙

バケラッターのクールクル、さらばオバQの初代声優、曽我町子さん逝去。 / 烏丸 ( 2006-05-08 00:31 )

2006-05-01 〔非書評〕重箱の隅つつき その4 『花の下にて春死なむ』 北森 鴻 / 講談社文庫


 北森鴻のミステリは,平均して面白い。
 新本格派の若手のように不可能犯罪のトリックに拘泥し,ハナから「小説」を書く努力を放棄したものを読まされる心配はない。その種のパズラーに比べれば,格段に苦味のトッピングが効いている。
 その一方,テレビのサスペンスドラマなどに比べれば,格段にミステリとしての骨格が尊重されている。だから,論理ゲームとしても感情移入抜きに楽しめる。

 裏返せば,さじ加減の難しい長編では,ときに人間ドラマの臭味が強すぎることがある。登場人物の感情反応が強すぎるのだ。香辛料も鼻につくと鬱陶しい,そんな感じ。

 したがって,北森作品では,バランスを調整しやすい連作短編集が安心して楽しめることになる。論理ゲーム的にも1冊で何度も楽しめてお得だ。実際,世評の高い作品には,『メイン・ディッシュ』『孔雀狂想曲』など連作短編集が少なくない。
(個人的には,『凶笑面』『触身仏』など,偏屈な美貌の民俗学者,蓮丈那智のシリーズが好もしい。那智が寡黙であることが先に述べたバランスにつきうまく機能するためだ。那智が全編通して一言も口をきかず,ただ口の端をゆがめて無愛想に証拠と犯人を指差して終わる,そんな作品があってもよい。)

 さて,添付画像の『花の下にて春死なむ』も連作短編集。第52回日本推理作家協会賞の短編および連作短編集部門の受賞作で,作者の代表作の1つとされている。ビアバー「香菜里屋」のマスター工藤が,ちょっとしたやり取りや態度から,登場人物の過去を解き明かしていくというもの。いわゆるアームチェアディテクティブものだが,「香菜里屋」というバーの名称からすでに濃厚に過ぎて……。

 もとい。全体の感想はさておき,お約束の重箱の隅つつきとしよう。今回は次の一節だ。

「片岡さんの故郷は,山口県ですか」
 声の端に確信がのぞいていた。反対に七緒は,あやうくグラスを取り落としそうになった。
「どうして! それを……」

 (中略)
「サニーレタスとムール貝を,酢みそで和えたものをお出ししたんです。片岡さんずいぶんと懐かしそうに小鉢を眺めて,こう仰言いました。『チシャもみ,か』と。『チシャ』はサニーレタスに良く似た野菜だそうです。山口では道端に生えたチシャを摘み取り,酢みそで和えて食べるそうです。古い家庭料理のひとつだと聞きましたが」

 これは……いくらなんでも無理スジ。
 「チシャもみ」あるいは「ちしゃもみ」をググってみよう。ヒットしたページのタイトルをざっと眺めてみると,「チシャもみ」が主に香川,広島,山口の郷土料理として知られていることがわかる。当然,その近隣でも「チシャもみ」を食す家庭は少なくないに違いない。
 ところが,本作では,冒頭に近いところでこの「チシャもみ」を懐かしんだというほぼその一点だけで登場人物の出身地を山口県と特定,しかもそれが物語のその後の展開をかなり決定づけてしまっているのである。
 山口県出身ゆえの思い入れもあったのだろうが,北森鴻の場合,『屋上物語』の凝りすぎたヘンなさぬきうどんといい,こういった(たとえば料理に関する)小ネタにおいてやや無理強いの傾向があるのは否めない。

 平面上で点を特定するためには,少なくとも2つの座標軸を必要とする。アームチェアディテクティブにおいても,小ネタにまつわる推理を確定させるためにはいわゆる「裏をとる」ことでその凄みが格段に増すように思われるのだが,どうだろう。

先頭 表紙

『花の下』に続く「香菜里屋」シリーズの2冊め,『桜宵』が文庫化されたばかりですが,そちらの,たとえば「犬のお告げ」という短編に同じことを感じます。同作には2つの推理が描かれているのですが,どちらも,別の結論でもかまわないように読めてしまうのです。とくに前振りの自転車の鍵の話が……。 / 烏丸 ( 2006-05-03 01:03 )

2006-04-26 〔非書評〕重箱の隅つつき その3 『ダ・ヴィンチ・コード』 ダン・ブラウン,越前敏弥 訳 / 角川文庫


 さすがに文庫化までしていただいて,いつまでも読まずにすましているのは失礼というものだろう。というわけで遅ればせながら拝読させていただいたが,なるほど噂にたがわず突っ込みどころ満載。持ち寄っての読書会など楽しそうだ。

 キリスト教をめぐる謎解きの主旋律はさておき,コンピュータをまったく利用しようとしない暗号解読のプロや,理屈はこねるが結局何をしたいのかわからない黒幕など,登場人物たちの(ストーリーを複雑にするためとしか思えない)奇妙な振る舞いは枚挙にいとまがない。
 もうひとつ,レオナルドの作品の出番が思ったよりずっと少ないのも予想外だった。その方面ではこちらの本などのほうがはるかに詳密だし執念深い。

 ところで,本作の大ヒットについて世界中の誰より悔しがっているのは,もしかしたら『悪魔の涙』『ボーン・コレクター』のジェフリー・ディーヴァーではないか。
 「じ,自分ならもっと緻密に調べてみせるのに」
 「自分のほうがもっとはらはらさせられるのに」
 夜毎髪をかきむしって煩悶する声が聞こえてきそうだ。実際,本作に登場する「善玉」「悪玉」たちのステロタイプぶりときたら……。
 いや,残念ながらそのあたりは詳しくは触れられないため(これからトム・ハンクスを見ようという方にお気の毒),今回も重箱の隅をつついておしまいにしよう。お題は次の一節。

「あれよ」ソフィーが言って,獅子っ鼻を持つ赤いふたり乗りの車を指さした。
 冗談を言ってるのか? ラングドンはこんな小さな車をいままで見たことがなかった。
「スマートカーよ」ソフィーは言った。「リッターあたり百キロ走るわ」


 スマートカー,はないよね。原作のダン・ブラウンはもちろんわかったうえで書いているようだが,これはsmart fortwoという小型車のこと。翻訳の越前氏はご存知なかったのだろうか。メルセデスのエンジンやシャーシ技術にスウォッチのデザイン,フランスの工場で組み立てられてダイムラー・クライスラーが販売しているという,フランス,イギリス間の一往復だけで終わる『ダ・ヴィンチ・コード』に比べても桁違いにコスモポリタンな車である。

 が,今回つつきたかった重箱の隅は,そこではない。リッターあたり百キロ,のほう。
 いくら2人乗り小型車と言っても,リッター百キロは無茶だろう(スペック表参照)。原付じゃないんだから……。

先頭 表紙

smartについていくつかウソ書いてしまっていました。本文は修正済みですが,fortwoはオランダでなくフランスでの製造(forfourがオランダ)です。また↓のつっこみの「4人乗り」は「5人乗り」の誤り(大人5人には狭いけど)。 / 烏丸 ( 2006-04-28 12:04 )
作品が大ヒットしたという点では悔しがっているかもしれませんが,トマス・ハリスが書いたらまるきり違う作品になってしまいそうですね。「最後の晩餐」に隠された暗号をもとにモサドがテロリストと諜報戦する話とか,「洗礼者ヨハネ」と自分とを重ねあわせた連続猟奇殺人鬼をヒロインの暗号解読官がプロファイルするとか。 / 烏丸 ( 2006-04-28 11:59 )
「ハンニバル」のトマス・ハリスもくやしがってるかも? / ぴな ( 2006-04-26 10:19 )
fortwoにしなかった理由の1つは,駆動半径が小さすぎて,助手席どころか運転席まで車酔いすると聞いたため……。ほんとかな。 / 烏丸 ( 2006-04-26 01:50 )
ちなみに烏丸家の愛車は,同じsmartシリーズだが4人乗りのsmart forfour。オートマのくせに坂道で後ろに下がるファニーで可愛い奴だ。生産中止も近く,まだ市内で同じ車種を見かけたことがないのも自慢の1つ。 / 烏丸 ( 2006-04-26 01:48 )

2006-04-22 〔非書評〕重箱の隅つつき その2 『なみだ研究所へようこそ! サイコセラピスト探偵波田煌子』 鯨 統一郎 / 祥伝社文庫


 続いて,奇想の妙手,鯨 統一郎のミステリ短編集。なんの資格もないサイコセラピスト波田煌子が,クライエントの悩みを次々に言い当てて治療するという趣向。
 トラやリスなどの動物を幻覚に見てしまう男。何か人形があると腹話術で喋らないではいられない男。時計恐怖症の少年。生徒が失敗するとつい拍手してしまうベテラン教師。
 心理学の知識だけは豊富な主人公 松本清と波田煌子の空回りするやり取りも楽しい。


 さて,今回の重箱の隅は本文中の

 「はい。緑と黒の青虫がついてたんでしょう? それ,アゲハチョウ,たぶんキアゲハの幼虫ですよね。からたちとか柑橘系につく」
 波田煌子は虫愛ずる姫でもあったのか。


なる一節。ある女性の奇妙な性癖について,波田煌子の推理の根拠の1つとなるものなのだが,残念ながらキアゲハというのは間違い。

 キアゲハの幼虫は確かに緑と黒のだんだら模様だが,イモムシに詳しい小学生ムシキング博士諸君ならご承知のとおり,キアゲハの幼虫が食べるのはパセリ・ ニンジン・ミツバなどセリ科の植物なのだ。カラタチ・ミカン・サンショウなど,柑橘系の植物につくのはいわゆるアゲハ(ナミアゲハ)の幼虫。全体が緑色で,背にあたる部分に大きな目に見える紋があり,頭のすぐ上から強烈な匂いのするオレンジ色の肉角を突き出すのがアゲハの幼虫である。

 ちなみに,優雅な飛翔が昼の蝙蝠を思わすクロアゲハ,カラスアゲハはやはり柑橘系,羽根の青い模様が幻想的なアオスジアゲハの幼虫はクスノキ,ヤブニッケイ,シロダモなどの葉を食す。

先頭 表紙

『なみだ研究所』でもう一つ納得がいかないのは,作中の会計士,小野寺久美子が,若いグラマラスな女性として語り手の松本清の思慕(欲望?)の対象となっているにもかかわらず,およそ輝いてるようには読めないこと。作者は熊田曜子のつもりなのに(笑),読み手からは恋愛なんぞ卒業したおばさん婦長さん,そんな感じ。 / 烏丸 ( 2006-05-01 01:48 )
いえいえ,けろりんさま,祥伝社文庫なんてまだマシなほう。『象と耳鳴り』は平積みの書店もありますし。ありそうでない,ある程度大きな書店でも品揃えが悪いといえば,ハルキ文庫ですね。最近探し物をしてたんですが,とうとうあきらめて密林から取り寄せてしまいました。 / 烏丸 ( 2006-04-24 01:29 )
ちょうど短編ミステリでリハビリを始めようと思っていたので、「象と耳鳴り」を購入。次はこれも読もうと思います。それにしても、祥伝社文庫ってどの本屋でも見つけにくいです。(^ ^;) / けろりん ( 2006-04-23 14:30 )

2006-04-19 〔非書評〕重箱の隅つつき その1 『象と耳鳴り』 恩田 陸 / 祥伝社文庫


 よろず何ごとにつけても批評,紹介は決して容易でないが,なかでもミステリの批評は難しい。なにしろトリックや犯人の人物像をストレートに論ずるわけにいかないため,妙に遠まわし,あるいはありきたりなことなど並べたて,結局ジャンルを特定の上ただほめる,ただけなす,のいずれかになってしまう。
 そこで,最近,あるいは過去に読んだミステリについて,ノドに刺さった小骨というか,気になったところだけ取り上げてみることにした。重箱の隅つつき,ありていにいえばあら捜しである。


 「この短編集をまとめるにあたり,どの短編をタイトルにするか迷ったすえ,装幀のためにこのタイトルに決めた。私がある日古本屋で一目ぼれした東京創元社の三十年前のペーパーバック,バリンジャーの『歯と爪』。是非これと同じ意匠で作りたいと思ったからである。」

 上記は本格ミステリ短編集として評価の高い,恩田陸『象と耳鳴り』のあとがきの一節だ。
 バリンジャー『歯と爪』の装幀の関係者(装幀当人は物故)には了解を取っているのだから読み手がどうこう言うべきではないのかもしれないが,本の作り手のセリフとしては少し神経を疑う。
 「意匠」には「デザイン」のほかに「工夫」「趣向」といった意味がある。本の意匠を「同じ」にしたいということは,オリジナルであることを放棄することだ。ただ先人の工夫,趣向を模する,そういうことでもある。

 恩田陸という作家は,作品名についても似た例がある。
 2・26事件を題材としたSF長編『ねじの回転−February moment』,このタイトルの「ねじの回転」は言うまでもなくヘンリー・ジェイムズの著名なゴシックホラー,「February moment」はハービー・ハンコックのCDからもってきたものだそうだ。作中に必然性があるわけでもなさそうで,ひねりもなくそのままと思うとなにかひるむものがある。

 この作者の意識の中で,意匠とかオリジナリティとかはどういう具合になっているのだろうか。
 ファンタジーやホラーのストーリーテリングの力量で知られ,『六番目の小夜子』『麦の海に沈む果実』など誰もがうらやむようなタイトルを産んだ作家だけに,ことこの意匠やタイトルについての一種の意識の弛緩はなんというか妙に空恐ろしい。

先頭 表紙

2006-04-14 新入社員推奨銘柄 『コンシェルジュ』(現在5巻まで) 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS


【でも 人はすぐ その あたり前のことを 忘れてしまうんです】

 就職氷河期を乗り越え,なんとかクインシーホテル トーキョーに採用された川口涼子。ところが彼女が配属された部署は,聞いたこともない「コンシェルジュ」。こんしぇるじゅ?

     ... concierge 〈仏〉 ホテルの総合世話係,よろず相談承り係 ...

 廊下の隅のコンシェルジュデスクで彼女が出会ったのは,髪ぼさぼさの一見さえない,だが実はニューヨークの一流ホテルで「グレイト・ハイ」と手腕をうたわれた伝説のコンシェルジュ,最上拝だった。

 ──と,ここまでで明らかなように,海外のホテルで手腕を評価されたスタッフが日本の新進ホテルで人知れず活躍するという設定は,石ノ森章太郎の『HOTEL』そっくり。しかし,洗練,安定感は別として,晩年の石ノ森特有の気取りや無意味な大ゴマの目立つ『HOTEL』に比べ,本『コンシェルジュ』のほうがずっと瑞々しく,読んでいて楽しい。

 顧客サービスのプロが経験や人脈をもとに宿泊客の無理難題を解決していく展開はどこからどこまで『HOTEL』そっくりなのだが,ホテル・プラトンのマネージャ東堂克生がゴージャスな個室からいつの間にか裏で手を回して大きなトラブルを解決してしまうのに比べ,クインシーホテルの最上はどうやらロッカーしかあてがわれておらず(それどころか合理化を進めるホテルオーナー兼社長の松岡俊一郎にさらに経費節減を要請される),お客様の要望にこつこつ足と記憶で応えようとするマメな苦労人である。
 また,東堂の過去について意味ありげな伏線ばかりでなかなか詳細を語ってくれない石ノ森に対し,『コンシェルジュ』では最上がなぜ将来を嘱望されていたニューヨークを離れたのか,2巻できっちり説明してくれる。それは,アイデアものの読み切りマンガとしてほのぼの楽しく読み進んだお気楽読者にはかなり衝撃的な内容で,うかつに電車の中などで読んでいると目頭が熱くなってうろたえるはめに陥るかもしれない(私はそうでした)。

 最上と涼子をとりまく周囲の人々もなかなか魅力的だ。とくに,ホテルに出入りする若手女優,藤原貴梨花がいい。コンシェルジュデスクに四六時中入りびたり,ともにトラブル解決に立ち向かう貴梨花は公私混同はなはだしく,実際のホテル従業員マニュアル的にはNGだろうが,そのとっぴんしゃんでパキパキした言動はマンガ全般を振り返ってもちょっと思い当たる「類似品」がない。
 また,3巻から参加する底なしに有能だが杓子定規な鬼塚小姫,怪力ポーター・司馬一道など,脇役も一種徹底的,それぞれの持ち味を活かした見事な展開が多い。

 絵柄が一風変わっており(女性の脚の描き方など独特),また3巻あたりから絵柄が微妙に変化してしまった(涼子の目がまん丸になった)のは気になるが,描線はすっきりしているので読みづらいということはないだろう。
 お説教くさいことを書くなら,新しく社会人になられた方にはとくにお奨めだ。経費と顧客サービスについてのオーナーの松岡と最上の議論など,利益追求をレゾンデートルとするあらゆる企業の永遠の命題だ。
(安易に最上の神がかり的な手腕のみ賛美せず,随所に相反する考え方を提示しているのがいい。オーナーの松岡は連載開始当初は単にイヤミなキャラだったが,意外や経営意識が高く,合理主義に基づく細かい施策もそれなりに筋が通っている。最上以上にバードビューからホテル経営を考える面もあり,この種のキャラクターとして稀有と言ってよい。)

 少し心配なのはコミックバンチという雑誌がわりあい掲載作品に対して淡白で,ふと気がつくと連載が終了していることも少なくないことだ。
 ダレる前に締めてしまうのも一つの判断だが,この作品はあいまいに終わらせてしまうのは惜しい。
 とりあえず単行本5冊,春の宵にほどよい長さ。今夜も枕元にどさりと積んで再読。

先頭 表紙

2006-04-12 なんだかよくわからない 『飛蝗の農場』 ジェレミー・ドロンフィールド,越前敏弥 訳 / 創元推理文庫


【いまは何をしていても,猥雑で,生々しくて,力強くて,満ち足りた気分なの。】

 日ごろしたり顔で本を褒めたり貶したりしていますが,力及ばずさっぱりわからない本も山のようにあります。そんなときは黙って知らんぷりしていることが多いのですが,たまには取り上げてみることにしましょう。

 ジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗(バッタ)の農場』は,「このミステリーがすごい!」2003年版海外編ベスト10の第1位,はたまた「IN★POCKET」文庫翻訳ミステリーベスト10 総合部門/作家部門/評論家・翻訳家部門のそれぞれ第1位,おまけに「週刊文春」2002年傑作ミステリーベスト10 海外部門第3位……等々めでたかしこくも高い評価を得た海外ミステリです。
 経験則からすると,「このミス」第1位作品ともなれば,好みはともかくなるほどこれはすごいと感心させられるのが常。こんな手があったかここまでやるかと,読了して損した気分になることはめったにありません。

 ……ところが。『飛蝗の農場』は,硬く分厚いゴムを噛むようで,最初から最後までどうにもなんともよくわかりませんでした。

 あらすじは,出版社側の惹句にお任せすると,以下のようなものです。

 「ヨークシャーの荒れ野で農場をいとなむキャロルの前に謎めいた男が現れた。
  一夜の宿を請われ断るの段を経て,不幸な経緯から,ショットガンで男に傷を
  負わせたキャロル。
  看護の心得のある彼女は応急処置をほどこしたが,意識を取り戻した男は,
  以前のことを何も覚えていないと言う。
  幻惑的な冒頭から忘れがたい結末まで,悪夢と戦慄が読者を震撼させる。
  驚嘆のデビュー長編。」

 そもそもの「幻惑的な冒頭」という持ち上げからして納得いきません。ねっとり暑っ苦しい印象はあれど,およそ「幻惑的」とは読めませんでした。
 ストーリー半ばでキャロルの農場とはまったく縁もゆかりもない情景がちぐはぐに挿入されますが,それらがこの「謎めいた男」の過去と関係するのは当然として,その情景と現在が結ばれるタネあかしにいたる終盤,ちっともすっきりしません。
 また,ネット上でも是非が話題にされたエンディングも,無理やり接ぎ木した印象が残るばかりです。
 そもそも,ストーリーが複雑なのは,単に作者が情報を隠匿したり,描写の順番をばらけさせたりしたためなのですから,解説に「異常心理というテーマの奥深さ」とあるほどの奥行きは感じられません。シンプルにすっきり描いて,それでも読み手が呆然とする,とかいうのが正しいあり方なんじゃないでしょうか。

 結局,最大のミステリはこの作品を一等賞に推した「このミス」や「IN★POCKET」の選評だったかも。
 それともこの年はよっぽど受賞にふさわしい作品が少なかったのでしょうか。

 ちなみにヨークシャーの荒れ野といえば『嵐が丘』の舞台だと思いますが,『飛蝗の農場』の空気はどちらかといえばアメリカ南西部の粗野で広漠とした荒野のもの。「悪夢と戦慄」より「孤独と欲望」,エミリー・ブロンテよりテネシー・ウィリアムズの印象です。
 そもそも『飛蝗の農場』というタイトルからして,よくわかりません。バッタは出てくるには出てくるのですが,その意味は最後までわかりません。この設定で……キャロルのほうが謎めいてどうする!

先頭 表紙

2006-04-05 姉歯元建築士の妻の自殺報道について

 
 あまり楽しい話題ではない。が,忘れないうちに書いておきたい。マスメディア,とくに大手新聞の,姉歯元建築士の妻の自殺報道についてだ。

 この事件については,オンライン版で検索した限りではあるが,朝日新聞,読売新聞,毎日新聞とも,いずれも自殺を一報しただけでその後の続報は一切ない。

asahi.com
> 姉歯元建築士の妻が死亡,飛び降り自殺か 千葉・市川  2006-03-28

YOMIURI ONLINE
> 飛び降り自殺か,姉歯元建築士の妻が死亡 (3月28日 22:17)

MSN毎日インタラクティブ
> 自殺:耐震計算偽造・姉歯元建築士の妻が飛び降り−−千葉・市川のマンション (2006年3月29日 東京朝刊)

 内容も,ほとんどが自殺の事実のみを述べた,ごく短いものである。
 姉歯元建築士の妻は私人であるからスキャンダラスに扱わない,一報したことで十分,という考え方もあるだろう。しかし,この沈黙はそのような判断によるものなのだろうか?

 彼女を自殺に追い込んだ者がいたとしたら,それは誰か。
 もちろん,姉歯元建築士本人の耐震偽装そのものが最大の要因であることは間違いない。
 だが,近所のマンションにのぼる,その背中を,たくさんの手が押したということは絶対になかったと言えるだろうか。

(念のため。ここでマスメディアと書いているのは,新聞,テレビやそのスタッフのみならず,それを読み,視聴している側も含む。マスコミ構造全体とでも言えばよいか。)

 鳥インフルエンザについて,京都の浅田農産会長夫婦が自殺したとき,誰もが「ここまできたら,そうするしかなかったろう」と感じなかっただろうか。
 あの場合も,もちろん,鳥インフルエンザ発生を隠蔽しようとした当人たちの行為が「起点」にはあった。ではあるが,あれだけ社会的に追い詰められたら,論外に無神経でないなら,自殺でもする以外に落としどころがなかったというのもまた事実だろう。

 念のため。マスメディアが一部の事件について,個人の情報を扱うことの是非を問題にしたいのではない(それはそれで議論が必要だろうが)。
 その是非ではなく,マスメディアや,それを見ている側の者が,これらの事件において,事件を起こしたとされる者を追い詰めに追い詰めているという事実,その事実は最低でも自覚すべきではないか,ということだ。

 今回の耐震偽装事件についても,新聞,テレビを見た限り,関係者の一部は,首を吊るしか決着のしようがないように思われた。そして,あたかもそれを代表するように──正確には森田設計の森田信秀社長に次ぐ二番手として──姉歯元建築士の妻が自殺した。今回の自殺はそのように見える。そのようにしか,見えない。

 ならば,少なくともマスメディアにかかわる者は,この自殺をもっときちんと報道すべきだろう。彼女が何に苦しみ,なぜ死を選んだのか。
 姉歯元建築士当人をさんざん公人扱い,犯罪人扱いすればその家族はどういうことになるか。それが想像できないはずはない。にもかかわらず,死を選んだら私人扱いで短信掲載してオシマイ,それはないだろう。

 あまつさえ,毎日新聞の報道は記事末に

> 妻は数年前から入退院を繰り返していた。

と記述している。嘘ではないかもしれない。しかし,自殺の直接の原因はどう考えてもその入退院ではないだろう。この一節には彼女が入退院を繰り返していた病院の種類,それを匂わせることによってマスメディアの責任を逃れようとする身勝手な免罪符の匂いはないか。
 たとえば,「妻は今回の事件でマスメディアの追及に悩んでいた」という要素は一切なかったのか。そこを調べた上での記事なのか。

 耐震偽装事件,鳥インフルエンザ事件において,マスメディアやそれを見ている側の言動は,まるでクラスの39人で1人をいじめにいじめておいて,その1人が自殺したら「まさか」「そんなに悩んでいるとは」と口々に責任逃れをする,そのレベルに見える。そして,ターゲットが自殺したとたんに口をつぐむ。わざわざそんなやっかいな話題を引っ張るより,世界にはいくらでも美味しいネタがあふれている……。

 マスメディアは,公権とは別のところで真実を暴く力をもっている。それは社会にとって大切な力だ。その代わり,使い方次第で簡単に人を追い詰める凶器となりうる。
 マスメディアにかかわる者は,自分たちが振りかざしているものがそのような凶器でもあることを十分に自覚しているだろうか。姉歯元建築士の妻を,森田設計の社長を,浅田農産会長夫婦を少しずつ殺したのはあたながたであり,わたしたちなのだ。

先頭 表紙

2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ

 
 GoogleYahoo!がそれぞれ「イメージ検索」,「画像検索」機能を装備したおかげで,気に入った画家の名前でイメージ検索したり,「Tower Babel」「Magdalene」で画像検索したり,そういったことが思うさま簡単にできるようになりました(グラビアアイドルの名前でキュートなビキニ写真を,といった用途にも大変便利。ただし,その方面に突っ走る場合はコンピュータウイルスやスパイウェアにくれぐれもご注意を)。

 最近,烏丸はこのイメージ検索のおかげで,これまで著名な美術サイト,名画サイトでもあまり見られなかったヴァン・ドンゲン(Kees Van Dongen,1877-1968)やベルナルド・ビュッフェ(Bernard Buffet,1928-1999)の画像をしこたまゲットできて,そこはかとなく幸せなのであります。

 ヴァン・ドンゲンは,キャバレーのデコラティブなマダムを太い筆でぐいぐい描くような画風。ビュッフェはいかにも絵葉書向けのパリやイタリアの名所を,輪郭線を強調したくっきりしたタッチで描きます。
 2人ともそれなりにまあ著名ではあるものの,少なくとも今のところ,美術全集で1巻を占有するほどの大家ではありません。素人目にも,新しい絵画の潮流を切り開くとか,そういった大物感はなく,作品も天文学的価格というほどではない雰囲気。インターネットの画商サイトをうかがえば,サイン入りリトグラフ程度ならサラリーマンでもなんとか買うこともできるようです。

 しかし,この2人の画風は,そういう価値とは別に,どこか懐かしく,目を慰めてくれるんですね。
 ヴァン・ドンゲンは,ずいぶん以前,まだ中学生のころのことだったと思いますが,地方の小さな美術展で作品をいくつか見る機会がありました。そのときは「いかにも日展や二科展にありそうな油絵」という身もふたもない印象でしたが,つまりはヴァン・ドンゲンというのは,アマチュアやセミプロの画家が絵筆をふるってとりあえず到達したいという,それはそれでひとつの境地なのかもしれません。

 ビュッフェに「絵葉書」のイメージが強いのは,初めて出会ったのがまさしくその絵葉書の図案だったため(それだけでもないとは思いますが)。ヴァン・ドンゲンを初めて見たよりもっと前の,多分小学校高学年のころ,ある日父親が土産に買ってきた絵葉書セット,それがビュッフェの作品群だったのです。研修旅行か何かで訪ねた先に展覧会でもあったのでしょうか。一枚一枚を鮮明に覚えているわけではありませんが,南の保養地の白っぽい光景を描いたその絵葉書は,なんという印刷技法なんでしょう,輪郭線の黒いインクの部分のみがぽってりと厚みをもっていて,指でふれてもプルプルする,そのようなものでした。輪郭線を強調するビュッフェの画風にいかにもなじんで,この指がインクの光を覚えています。

 これらの画家について,当時,父親とどのようなやり取りをしたのか,もうまるで覚えていません。絵葉書セットもどこかに行ってしまいました。そのうち小金をためて版画の一枚も,というのは,あまりに感傷が過ぎるでしょうか。

先頭 表紙

『惑星ソラリス』のスタニスワフ・レム,死去。ハインライン,アジモフに続き,黄金時代の星がまたひとつ消える。……っていうか,SF作家って皆さん存外に長生き。この50年間,何をやっていたのか。ウィキペディア(Wikipedia)のレムの項目がすでに「死去」になっているのもすごい。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-28 11:06 )
ちなみにヴァン・ドンゲンは左メニューの「Catalogo delle opere」から「Ritratti di donne」の一覧,ビュッフェはメインページに入って,左メニューの「paris 1988-89」がオススメです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:18 )
ヴァン・ドンゲンについてはこちら,ビュッフェについてはこちらで主な作品が見られます(いずれも著作権がまだ生きているので,転載は控えます)。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:14 )

2006-03-23 パペットマーケット

 
 微妙にプライベートなことを書く。
 全国の人形劇のイベントや団体を紹介する手作りの情報誌「パペットマーケット」というものがある。全ページ手書き文字でぎっしり綴られたこの小冊子,2002年の夏から途絶えていたのだが,つい数日前,郵便受けにひょいと届いていた。4年ぶりだ。
 「パペットマーケット」の発行者は和気瑞江さんといって,たいへん巧みな人形劇の実演者である。
 東京学芸大在学中に「麦笛」というサークルで人形劇に手を染め,その後いくつか小さなグループを組織したり,大きな劇団と合同公演したり,プロとして活躍して久しい。電話を受ければ素材をかかえて幼稚園などを訪ねる「一人人形劇団」としてNHK教育テレビで取り上げられたこともある。
 東京の中野を拠点としていたが,数年前,ご尊父の入院にともない郷里の香川に戻り,それとともに「パペットマーケット」も届かなくなっていた。ご尊父の和気俊郎先生は香川県の私立校で長年生物の教鞭をとられた方だが,県内の植物の研究でも知られ,新種の発見も少なくない。先生は,2003年に亡くなられた。
 和気さんがその間,どのような思いでいたのかは,賀状以外とくにやり取りがあったわけではないのでよくわからない。復活した「パペットマーケット」は,表紙から裏表紙まで休刊のお詫びだらけで,発行できなかった間,当人がずいぶんと心を痛めていたことがわかる。
 妙な言い方だが,とりあえず当方に限ってはまったくノープロブレムだ。「パペットマーケット」が復刊して和気さんの独特な手書き文字が見られるだけで嬉しい。表紙のイラストカットのぽこんとした丘のような山のようなものが彼女の郷里に穏やかな姿を見せる飯野山,通称讃岐富士なのも楽しい。
 なにしろ僕は……和気さんが人形劇と出会うよりもっとずっと以前,正確にいえば1970年の春以来,そこらの少女マンガ家より美麗な彼女のイラスト,躍る手書き文字,切ない詩文集,アクロバティックな切り紙,ユーモアあふれる話術,それらを合わせたキャラクターの第一のファンなのだから。

先頭 表紙

最近は歌舞伎や狂言にはまっているとか言ってました。はまるととことん没頭するタイプだからなぁ(マーク・スピッツのファンになって,腕時計をずっとミュンヘン時間に合わせる,そんな具合)。まぁ,元気ならばよいです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:21 )
先週久しぶりに和気さんにお会いしました。元気でしたよ。パソコンの話題になり、エクセルの使い方について話す彼女を見て、なんとゆーか隔世の感が。(笑) / けろりん ( 2006-03-23 17:03 )

[次の10件を表示] (総目次)