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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-04-14 新入社員推奨銘柄 『コンシェルジュ』(現在5巻まで) 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS
2006-04-12 なんだかよくわからない 『飛蝗の農場』 ジェレミー・ドロンフィールド,越前敏弥 訳 / 創元推理文庫
2006-04-05 姉歯元建築士の妻の自殺報道について
2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ
2006-03-23 パペットマーケット
2006-03-16 コンピュータウイルス潔癖症候群
2006-03-14 転倒ポップ
2006-03-10 ぐいぐいノンストップ 『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』 高野和明 / 講談社文庫
2006-03-04 従容として逝く 『桃』 久世光彦 / 中公文庫
2006-03-02 テレビライクな刺激発生装置 『推理小説』 秦 建日子 /河出文庫


2006-04-14 新入社員推奨銘柄 『コンシェルジュ』(現在5巻まで) 原作:いしぜきひでゆき,漫画:藤栄道彦 / 新潮社BUNCH COMICS


【でも 人はすぐ その あたり前のことを 忘れてしまうんです】

 就職氷河期を乗り越え,なんとかクインシーホテル トーキョーに採用された川口涼子。ところが彼女が配属された部署は,聞いたこともない「コンシェルジュ」。こんしぇるじゅ?

     ... concierge 〈仏〉 ホテルの総合世話係,よろず相談承り係 ...

 廊下の隅のコンシェルジュデスクで彼女が出会ったのは,髪ぼさぼさの一見さえない,だが実はニューヨークの一流ホテルで「グレイト・ハイ」と手腕をうたわれた伝説のコンシェルジュ,最上拝だった。

 ──と,ここまでで明らかなように,海外のホテルで手腕を評価されたスタッフが日本の新進ホテルで人知れず活躍するという設定は,石ノ森章太郎の『HOTEL』そっくり。しかし,洗練,安定感は別として,晩年の石ノ森特有の気取りや無意味な大ゴマの目立つ『HOTEL』に比べ,本『コンシェルジュ』のほうがずっと瑞々しく,読んでいて楽しい。

 顧客サービスのプロが経験や人脈をもとに宿泊客の無理難題を解決していく展開はどこからどこまで『HOTEL』そっくりなのだが,ホテル・プラトンのマネージャ東堂克生がゴージャスな個室からいつの間にか裏で手を回して大きなトラブルを解決してしまうのに比べ,クインシーホテルの最上はどうやらロッカーしかあてがわれておらず(それどころか合理化を進めるホテルオーナー兼社長の松岡俊一郎にさらに経費節減を要請される),お客様の要望にこつこつ足と記憶で応えようとするマメな苦労人である。
 また,東堂の過去について意味ありげな伏線ばかりでなかなか詳細を語ってくれない石ノ森に対し,『コンシェルジュ』では最上がなぜ将来を嘱望されていたニューヨークを離れたのか,2巻できっちり説明してくれる。それは,アイデアものの読み切りマンガとしてほのぼの楽しく読み進んだお気楽読者にはかなり衝撃的な内容で,うかつに電車の中などで読んでいると目頭が熱くなってうろたえるはめに陥るかもしれない(私はそうでした)。

 最上と涼子をとりまく周囲の人々もなかなか魅力的だ。とくに,ホテルに出入りする若手女優,藤原貴梨花がいい。コンシェルジュデスクに四六時中入りびたり,ともにトラブル解決に立ち向かう貴梨花は公私混同はなはだしく,実際のホテル従業員マニュアル的にはNGだろうが,そのとっぴんしゃんでパキパキした言動はマンガ全般を振り返ってもちょっと思い当たる「類似品」がない。
 また,3巻から参加する底なしに有能だが杓子定規な鬼塚小姫,怪力ポーター・司馬一道など,脇役も一種徹底的,それぞれの持ち味を活かした見事な展開が多い。

 絵柄が一風変わっており(女性の脚の描き方など独特),また3巻あたりから絵柄が微妙に変化してしまった(涼子の目がまん丸になった)のは気になるが,描線はすっきりしているので読みづらいということはないだろう。
 お説教くさいことを書くなら,新しく社会人になられた方にはとくにお奨めだ。経費と顧客サービスについてのオーナーの松岡と最上の議論など,利益追求をレゾンデートルとするあらゆる企業の永遠の命題だ。
(安易に最上の神がかり的な手腕のみ賛美せず,随所に相反する考え方を提示しているのがいい。オーナーの松岡は連載開始当初は単にイヤミなキャラだったが,意外や経営意識が高く,合理主義に基づく細かい施策もそれなりに筋が通っている。最上以上にバードビューからホテル経営を考える面もあり,この種のキャラクターとして稀有と言ってよい。)

 少し心配なのはコミックバンチという雑誌がわりあい掲載作品に対して淡白で,ふと気がつくと連載が終了していることも少なくないことだ。
 ダレる前に締めてしまうのも一つの判断だが,この作品はあいまいに終わらせてしまうのは惜しい。
 とりあえず単行本5冊,春の宵にほどよい長さ。今夜も枕元にどさりと積んで再読。

先頭 表紙

2006-04-12 なんだかよくわからない 『飛蝗の農場』 ジェレミー・ドロンフィールド,越前敏弥 訳 / 創元推理文庫


【いまは何をしていても,猥雑で,生々しくて,力強くて,満ち足りた気分なの。】

 日ごろしたり顔で本を褒めたり貶したりしていますが,力及ばずさっぱりわからない本も山のようにあります。そんなときは黙って知らんぷりしていることが多いのですが,たまには取り上げてみることにしましょう。

 ジェレミー・ドロンフィールド『飛蝗(バッタ)の農場』は,「このミステリーがすごい!」2003年版海外編ベスト10の第1位,はたまた「IN★POCKET」文庫翻訳ミステリーベスト10 総合部門/作家部門/評論家・翻訳家部門のそれぞれ第1位,おまけに「週刊文春」2002年傑作ミステリーベスト10 海外部門第3位……等々めでたかしこくも高い評価を得た海外ミステリです。
 経験則からすると,「このミス」第1位作品ともなれば,好みはともかくなるほどこれはすごいと感心させられるのが常。こんな手があったかここまでやるかと,読了して損した気分になることはめったにありません。

 ……ところが。『飛蝗の農場』は,硬く分厚いゴムを噛むようで,最初から最後までどうにもなんともよくわかりませんでした。

 あらすじは,出版社側の惹句にお任せすると,以下のようなものです。

 「ヨークシャーの荒れ野で農場をいとなむキャロルの前に謎めいた男が現れた。
  一夜の宿を請われ断るの段を経て,不幸な経緯から,ショットガンで男に傷を
  負わせたキャロル。
  看護の心得のある彼女は応急処置をほどこしたが,意識を取り戻した男は,
  以前のことを何も覚えていないと言う。
  幻惑的な冒頭から忘れがたい結末まで,悪夢と戦慄が読者を震撼させる。
  驚嘆のデビュー長編。」

 そもそもの「幻惑的な冒頭」という持ち上げからして納得いきません。ねっとり暑っ苦しい印象はあれど,およそ「幻惑的」とは読めませんでした。
 ストーリー半ばでキャロルの農場とはまったく縁もゆかりもない情景がちぐはぐに挿入されますが,それらがこの「謎めいた男」の過去と関係するのは当然として,その情景と現在が結ばれるタネあかしにいたる終盤,ちっともすっきりしません。
 また,ネット上でも是非が話題にされたエンディングも,無理やり接ぎ木した印象が残るばかりです。
 そもそも,ストーリーが複雑なのは,単に作者が情報を隠匿したり,描写の順番をばらけさせたりしたためなのですから,解説に「異常心理というテーマの奥深さ」とあるほどの奥行きは感じられません。シンプルにすっきり描いて,それでも読み手が呆然とする,とかいうのが正しいあり方なんじゃないでしょうか。

 結局,最大のミステリはこの作品を一等賞に推した「このミス」や「IN★POCKET」の選評だったかも。
 それともこの年はよっぽど受賞にふさわしい作品が少なかったのでしょうか。

 ちなみにヨークシャーの荒れ野といえば『嵐が丘』の舞台だと思いますが,『飛蝗の農場』の空気はどちらかといえばアメリカ南西部の粗野で広漠とした荒野のもの。「悪夢と戦慄」より「孤独と欲望」,エミリー・ブロンテよりテネシー・ウィリアムズの印象です。
 そもそも『飛蝗の農場』というタイトルからして,よくわかりません。バッタは出てくるには出てくるのですが,その意味は最後までわかりません。この設定で……キャロルのほうが謎めいてどうする!

先頭 表紙

2006-04-05 姉歯元建築士の妻の自殺報道について

 
 あまり楽しい話題ではない。が,忘れないうちに書いておきたい。マスメディア,とくに大手新聞の,姉歯元建築士の妻の自殺報道についてだ。

 この事件については,オンライン版で検索した限りではあるが,朝日新聞,読売新聞,毎日新聞とも,いずれも自殺を一報しただけでその後の続報は一切ない。

asahi.com
> 姉歯元建築士の妻が死亡,飛び降り自殺か 千葉・市川  2006-03-28

YOMIURI ONLINE
> 飛び降り自殺か,姉歯元建築士の妻が死亡 (3月28日 22:17)

MSN毎日インタラクティブ
> 自殺:耐震計算偽造・姉歯元建築士の妻が飛び降り−−千葉・市川のマンション (2006年3月29日 東京朝刊)

 内容も,ほとんどが自殺の事実のみを述べた,ごく短いものである。
 姉歯元建築士の妻は私人であるからスキャンダラスに扱わない,一報したことで十分,という考え方もあるだろう。しかし,この沈黙はそのような判断によるものなのだろうか?

 彼女を自殺に追い込んだ者がいたとしたら,それは誰か。
 もちろん,姉歯元建築士本人の耐震偽装そのものが最大の要因であることは間違いない。
 だが,近所のマンションにのぼる,その背中を,たくさんの手が押したということは絶対になかったと言えるだろうか。

(念のため。ここでマスメディアと書いているのは,新聞,テレビやそのスタッフのみならず,それを読み,視聴している側も含む。マスコミ構造全体とでも言えばよいか。)

 鳥インフルエンザについて,京都の浅田農産会長夫婦が自殺したとき,誰もが「ここまできたら,そうするしかなかったろう」と感じなかっただろうか。
 あの場合も,もちろん,鳥インフルエンザ発生を隠蔽しようとした当人たちの行為が「起点」にはあった。ではあるが,あれだけ社会的に追い詰められたら,論外に無神経でないなら,自殺でもする以外に落としどころがなかったというのもまた事実だろう。

 念のため。マスメディアが一部の事件について,個人の情報を扱うことの是非を問題にしたいのではない(それはそれで議論が必要だろうが)。
 その是非ではなく,マスメディアや,それを見ている側の者が,これらの事件において,事件を起こしたとされる者を追い詰めに追い詰めているという事実,その事実は最低でも自覚すべきではないか,ということだ。

 今回の耐震偽装事件についても,新聞,テレビを見た限り,関係者の一部は,首を吊るしか決着のしようがないように思われた。そして,あたかもそれを代表するように──正確には森田設計の森田信秀社長に次ぐ二番手として──姉歯元建築士の妻が自殺した。今回の自殺はそのように見える。そのようにしか,見えない。

 ならば,少なくともマスメディアにかかわる者は,この自殺をもっときちんと報道すべきだろう。彼女が何に苦しみ,なぜ死を選んだのか。
 姉歯元建築士当人をさんざん公人扱い,犯罪人扱いすればその家族はどういうことになるか。それが想像できないはずはない。にもかかわらず,死を選んだら私人扱いで短信掲載してオシマイ,それはないだろう。

 あまつさえ,毎日新聞の報道は記事末に

> 妻は数年前から入退院を繰り返していた。

と記述している。嘘ではないかもしれない。しかし,自殺の直接の原因はどう考えてもその入退院ではないだろう。この一節には彼女が入退院を繰り返していた病院の種類,それを匂わせることによってマスメディアの責任を逃れようとする身勝手な免罪符の匂いはないか。
 たとえば,「妻は今回の事件でマスメディアの追及に悩んでいた」という要素は一切なかったのか。そこを調べた上での記事なのか。

 耐震偽装事件,鳥インフルエンザ事件において,マスメディアやそれを見ている側の言動は,まるでクラスの39人で1人をいじめにいじめておいて,その1人が自殺したら「まさか」「そんなに悩んでいるとは」と口々に責任逃れをする,そのレベルに見える。そして,ターゲットが自殺したとたんに口をつぐむ。わざわざそんなやっかいな話題を引っ張るより,世界にはいくらでも美味しいネタがあふれている……。

 マスメディアは,公権とは別のところで真実を暴く力をもっている。それは社会にとって大切な力だ。その代わり,使い方次第で簡単に人を追い詰める凶器となりうる。
 マスメディアにかかわる者は,自分たちが振りかざしているものがそのような凶器でもあることを十分に自覚しているだろうか。姉歯元建築士の妻を,森田設計の社長を,浅田農産会長夫婦を少しずつ殺したのはあたながたであり,わたしたちなのだ。

先頭 表紙

2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ

 
 GoogleYahoo!がそれぞれ「イメージ検索」,「画像検索」機能を装備したおかげで,気に入った画家の名前でイメージ検索したり,「Tower Babel」「Magdalene」で画像検索したり,そういったことが思うさま簡単にできるようになりました(グラビアアイドルの名前でキュートなビキニ写真を,といった用途にも大変便利。ただし,その方面に突っ走る場合はコンピュータウイルスやスパイウェアにくれぐれもご注意を)。

 最近,烏丸はこのイメージ検索のおかげで,これまで著名な美術サイト,名画サイトでもあまり見られなかったヴァン・ドンゲン(Kees Van Dongen,1877-1968)やベルナルド・ビュッフェ(Bernard Buffet,1928-1999)の画像をしこたまゲットできて,そこはかとなく幸せなのであります。

 ヴァン・ドンゲンは,キャバレーのデコラティブなマダムを太い筆でぐいぐい描くような画風。ビュッフェはいかにも絵葉書向けのパリやイタリアの名所を,輪郭線を強調したくっきりしたタッチで描きます。
 2人ともそれなりにまあ著名ではあるものの,少なくとも今のところ,美術全集で1巻を占有するほどの大家ではありません。素人目にも,新しい絵画の潮流を切り開くとか,そういった大物感はなく,作品も天文学的価格というほどではない雰囲気。インターネットの画商サイトをうかがえば,サイン入りリトグラフ程度ならサラリーマンでもなんとか買うこともできるようです。

 しかし,この2人の画風は,そういう価値とは別に,どこか懐かしく,目を慰めてくれるんですね。
 ヴァン・ドンゲンは,ずいぶん以前,まだ中学生のころのことだったと思いますが,地方の小さな美術展で作品をいくつか見る機会がありました。そのときは「いかにも日展や二科展にありそうな油絵」という身もふたもない印象でしたが,つまりはヴァン・ドンゲンというのは,アマチュアやセミプロの画家が絵筆をふるってとりあえず到達したいという,それはそれでひとつの境地なのかもしれません。

 ビュッフェに「絵葉書」のイメージが強いのは,初めて出会ったのがまさしくその絵葉書の図案だったため(それだけでもないとは思いますが)。ヴァン・ドンゲンを初めて見たよりもっと前の,多分小学校高学年のころ,ある日父親が土産に買ってきた絵葉書セット,それがビュッフェの作品群だったのです。研修旅行か何かで訪ねた先に展覧会でもあったのでしょうか。一枚一枚を鮮明に覚えているわけではありませんが,南の保養地の白っぽい光景を描いたその絵葉書は,なんという印刷技法なんでしょう,輪郭線の黒いインクの部分のみがぽってりと厚みをもっていて,指でふれてもプルプルする,そのようなものでした。輪郭線を強調するビュッフェの画風にいかにもなじんで,この指がインクの光を覚えています。

 これらの画家について,当時,父親とどのようなやり取りをしたのか,もうまるで覚えていません。絵葉書セットもどこかに行ってしまいました。そのうち小金をためて版画の一枚も,というのは,あまりに感傷が過ぎるでしょうか。

先頭 表紙

『惑星ソラリス』のスタニスワフ・レム,死去。ハインライン,アジモフに続き,黄金時代の星がまたひとつ消える。……っていうか,SF作家って皆さん存外に長生き。この50年間,何をやっていたのか。ウィキペディア(Wikipedia)のレムの項目がすでに「死去」になっているのもすごい。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-28 11:06 )
ちなみにヴァン・ドンゲンは左メニューの「Catalogo delle opere」から「Ritratti di donne」の一覧,ビュッフェはメインページに入って,左メニューの「paris 1988-89」がオススメです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:18 )
ヴァン・ドンゲンについてはこちら,ビュッフェについてはこちらで主な作品が見られます(いずれも著作権がまだ生きているので,転載は控えます)。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:14 )

2006-03-23 パペットマーケット

 
 微妙にプライベートなことを書く。
 全国の人形劇のイベントや団体を紹介する手作りの情報誌「パペットマーケット」というものがある。全ページ手書き文字でぎっしり綴られたこの小冊子,2002年の夏から途絶えていたのだが,つい数日前,郵便受けにひょいと届いていた。4年ぶりだ。
 「パペットマーケット」の発行者は和気瑞江さんといって,たいへん巧みな人形劇の実演者である。
 東京学芸大在学中に「麦笛」というサークルで人形劇に手を染め,その後いくつか小さなグループを組織したり,大きな劇団と合同公演したり,プロとして活躍して久しい。電話を受ければ素材をかかえて幼稚園などを訪ねる「一人人形劇団」としてNHK教育テレビで取り上げられたこともある。
 東京の中野を拠点としていたが,数年前,ご尊父の入院にともない郷里の香川に戻り,それとともに「パペットマーケット」も届かなくなっていた。ご尊父の和気俊郎先生は香川県の私立校で長年生物の教鞭をとられた方だが,県内の植物の研究でも知られ,新種の発見も少なくない。先生は,2003年に亡くなられた。
 和気さんがその間,どのような思いでいたのかは,賀状以外とくにやり取りがあったわけではないのでよくわからない。復活した「パペットマーケット」は,表紙から裏表紙まで休刊のお詫びだらけで,発行できなかった間,当人がずいぶんと心を痛めていたことがわかる。
 妙な言い方だが,とりあえず当方に限ってはまったくノープロブレムだ。「パペットマーケット」が復刊して和気さんの独特な手書き文字が見られるだけで嬉しい。表紙のイラストカットのぽこんとした丘のような山のようなものが彼女の郷里に穏やかな姿を見せる飯野山,通称讃岐富士なのも楽しい。
 なにしろ僕は……和気さんが人形劇と出会うよりもっとずっと以前,正確にいえば1970年の春以来,そこらの少女マンガ家より美麗な彼女のイラスト,躍る手書き文字,切ない詩文集,アクロバティックな切り紙,ユーモアあふれる話術,それらを合わせたキャラクターの第一のファンなのだから。

先頭 表紙

最近は歌舞伎や狂言にはまっているとか言ってました。はまるととことん没頭するタイプだからなぁ(マーク・スピッツのファンになって,腕時計をずっとミュンヘン時間に合わせる,そんな具合)。まぁ,元気ならばよいです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:21 )
先週久しぶりに和気さんにお会いしました。元気でしたよ。パソコンの話題になり、エクセルの使い方について話す彼女を見て、なんとゆーか隔世の感が。(笑) / けろりん ( 2006-03-23 17:03 )

2006-03-16 コンピュータウイルス潔癖症候群

 
【インターネットにつないだら必ず手を洗いましょう。】

 最近,42歳の無職の男が高校3年の時の恨みから元担任を刺殺──という事件があった。

 「キレやすい若者が増えている」といってもなにしろ42歳。どうにも理解のたがを超えている。殺された元担任が担任時にどんな先生だったのは知らないが,20年以上経ってから刺しにいくのはさすがに尋常とは言いがたい。なんらかの心の病にとらわれていたのだろうか。

 このケースは違うかもしれないが,一定の思い込み(不安)がひどくなり,気にする必要がないと理性ではわかっていても気になって気になって頭から離れず,ほかのことが手につかなくなるような心理を強迫観念というらしい。
 ガスの元栓をしめたかどうか気になって出かけられない,とか,バイ菌が心配で繰り返し手を洗う,とかがその一例。日常生活に支障をきたすようになると強迫神経「症」となる。

 話題はどんどんすべっていくが,もしもこの強迫神経症の傾向のある方がコンピュータウイルスを気にし始めたら……これはツラい。

 知人からメールが届けば,ウイルスが添付されてないか気になって開けない。
 かくかくしかじかで開けないと返答して,今度は自分が相手にウイルスを送りつけたのではないかと疑心暗鬼にとられる。
 ホームページを見たらスパイウェアがひそんでいそうですぐ「戻る」をクリックしてしまう。
 つないだままだとワームが入り込んできそうでケーブルから目をはなせない。

 強迫神経症はわりあい当人に「馬鹿げている」「そんなことはない」という自覚があるだけ,インターネットをあきらめる,アクセスしない,というほうに話は進まない。だいたい,仕事かなにかでインターネットから離れられないからこそ不安が募るのである。

 アクセス時以外は頻繁にネットワークケーブルをはずす。しょっちゅうバックアップをとってハードディスクをリカバリする。バックアップしたCD-Rがウイルスで汚染されている気がしてしようがない。ウイルス対策ソフトを複数インストールしてシステムが不安定になり,ウィンドウズの当たり前のポップメッセージが開くたびにウイルス感染かとパニックに陥る。漏洩して困るような情報など別にないにもかかわらず,自分のプライバシーがネット上にばらかまれ,際限なく転載されていくような気がしていても立ってもいられない。はては「コンピュータウイルスの実態はプログラムなのだからありえない」と思いつつ,キーボードやディスプレイの裏側までごっそりウイルスが張りついてぼふぼふと増殖を繰り返しているような……。

 あっという間にパニックものの短編小説が一つ書けそうだ。技術や用語がナマモノなので,一,二年もすると内容が陳腐になってしまうかもしれないが。

 さてでは,主人公をさんざんいたぶったあげくの結末は。

 メールの返答はおろか電話にも出ないことを心配した友人が主人公の部屋を訪れると,自分の肉体にまでコンピュータウイルスが侵入するように思いつめた主人公が,目をつぶし,耳,鼻をそぎ落として……という陰惨なものから,パニックのあげく,逆に自分のあらゆる情報を掲示板やメールで撒き散らして強迫観念からはすっきり解放されるが,その代わりその情報を悪用した詐欺やローンの取り立てに追われまくる。こちらも陰惨か。
 ほっと一安心のハッピーエンドを書けないのは,わかってはいるのだけれど悲惨なエンディングしか思い描けない当方の強迫観念が,暗いほうに悪いほうにエグいほうに危ないほうに。ううう。

先頭 表紙

「百物語」でしたらこちらです。とくに意識はしてないのですが,冬から春にかけては怖い話は進みませんね。今年も,動き出すのはもう少しあとでしょうか。 / 烏丸 ( 2006-03-20 01:35 )
怖いですわ・・。そういえば、百物語の方のURLを紛失してしまいましたの。読みたいので教えていただけますか? / けろりん ( 2006-03-18 12:52 )

2006-03-14 転倒ポップ

 
【ポップ,ステップ,ジャブン】

 サインペン文字をラインマーカーで彩った書店店頭の「手書きポップ」,ブレークのきっかけは新潮文庫の『白い犬とワルツを』(テリー・ケイ,兼武 進 訳)の手書きポップによる大ヒットとされている。
 6,7年前のことだったか。

 近頃ではどこの本屋もポップだらけ,ポップのせいで隣の平積み本のタイトルが見えないほど。
 ポップブームも初期のころは書店店員の苦労のあとがうかがえたり,思いがけずいい本と出会えたりということもあったが,昨今は同じ書店内で嗜好が統一されていないなど,無理やりこさえたアテにならないポップが多く,ただもう邪魔なばかり。

 最近も新潮文庫の『診療室にきた赤ずきん』(大平 健)というのがやたら文字の多いポップ(サイズも文庫本くらい)を立てていてうるさく思っていたが,今日買ったほかの新潮文庫にはさまれた「新潮文庫 今月の新刊」には爆笑してしまった。
 この『診療室にきた赤ずきん』を紹介するのに,
   この書店店頭POPが目印
 あんたねぇ……。

 手書きポップってのは,出版社サイドの画一的売らんかなパンフでないところにありがたみがあったのに,わざわざタネを明かしてどうする。
 このポップにまつわる新人社員の「美談」も聞いてはいるが,本文庫の発行は2004年9月。「埋もれていた」というほどでもなく,美談にしても薄い。単なる営業活動だろう。

 主客転倒ポップ。

先頭 表紙

ぴなさま,いらっしゃいませ。そうですか,文教堂,店長ですか(←少し白石さん,入ってる)。そういえば,以前よく立ち寄った赤坂の文教堂の,とくに文庫ミステリコーナーのポップは参考にしていた記憶があります。 / 烏丸 ( 2006-03-18 02:22 )
うちの近所の文教堂のは、店長が書いてるみたいよ。 / ぴな ( 2006-03-17 14:26 )
実際に店員さんが感想を書いてくれているなら,自分が読んだ本をどう紹介しているかで趣味が合うかどうか確認できるのですが,手書きのフリをした印刷物が増えると,そういう精度が落ちてしまいます。『赤ずきん』のやり方は,せっかくのツールを出版社側が殺しているような気も。 / 烏丸 ( 2006-03-16 00:25 )
「手書きポップ」のある店とない店じゃ、ある店の方が親近感が沸きますが、単なる物真似じゃ、ご指摘のとおり目障りなだけですね。余談ですが、最近、「生協の白石さん」の影響か「一言カード」も多くなってきましたが、頭のいい解答はなかなかなく、やはりどうでもいい答えばかりでお客のためになっているのかどうか。 / koeda ( 2006-03-15 15:46 )

2006-03-10 ぐいぐいノンストップ 『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』 高野和明 / 講談社文庫


【目を閉じて頭をごしごしと擦っているうち,手が一本多いことに気づいた。】

 期せずしてテレビドラマの脚本家や演出家による作品が続いているが,今週の半ばは高野和明三昧だった。

 講談社から『13階段』(乱歩賞受賞),『グレイヴディッガー』,『K・Nの悲劇』の3冊が文庫化されているが,最新の『K・Nの悲劇』の表紙がなんとも言いようのないムンクの女の顔で,こんな本には触りたくないなぁとついつい手を出して(?)……それからほぼ3日で3冊読了。

 『K・Nの悲劇』はキヨハラ,ノリに過大な期待をかけてしまったオリックスのその後の……ではなく,駆け出しのフリーライターがうっかり新妻を妊娠させてしまったところ,その子供を堕ろさせまいと死霊が妻に憑依して,というお話。
 などと,枠組みだけ取り上げると「ホラー?」「それとも人情モノ?」とジャンルが気になるところだが,実際はどうにも追い詰められた雰囲気,新築のオシャレなマンション内に誰かいる気配など,ひりひりする恐ろしさに「どうする,どうなる」とページをめくるうち,ふと我に返れば1冊読み切ってしまっていた。しいてジャンル分けすればホラーサスペンスということになるのだろうが,分類抜きに単に「怖くて面白い小説」の印象。

 殺人事件の直後に現場近くでバイク事故を起こし,事件前後の記憶がない死刑囚を助けようとするデビュー作『13階段』,根っからの悪党が思い立って骨髄ドナーとなり,見知らぬ子どもを救うため入院しようとしたところで猟奇殺人事件に巻き込まれ,謎の組織と警察に追われに追われる第2作『グレイヴディッガー』。いずれも知力体力たっぷり要求されるサスペンスで,ともかくページを繰る手が止まらない止まらない。

 三者三様ながらどの作品においても一定期間内に事件を解決しなければならない時間制限付きであること,前半に山ほどまき散らかした伏線を最後までにクリアしなければならないこと,メインの謎はとびきりのものでなくてはならないこと,などなど,作者が作品に課した条件の厳しさは大変なもので,その一切をスピード感あふれる展開に押しはめた腕前は天晴れといってよい。
 しいて弱点をあげるなら,複雑な真相を最期にまとめて片付けようとするあまり,登場人物を狭いしがらみに無理やり押し込めていること,さらには偶然の要素も配剤されていることがある(要は若干ご都合主義的ということだ)。また,丁寧に図式化すれば嘘,無理押しの類もそれなりにあるに違いない。
 だが,それよりは読み手の「読んだっ」気分を満喫させてくれる,その力のほうが強い。それは得がたい資質である。

 この作者も映画,テレビの脚本家だったようだが,『推理小説』がテレビ的「刺激」をばらまいている印象なのに対し,『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』の3冊ではその「刺激」がジェットコースター的線のつながりになっている。少なくとも,サスペンスという意味では,時間処理の巧みさが違う。その結果,中身があるかないかを小ざかしく議論するヒマもなく,読み手はただ小説に引きずり回されるのだ。
 よしんば深みに欠けたり主義主張がかみ合わなかったりしても,この3冊,読書としてはかなり楽しい部類と思うが,どうだろうか。

先頭 表紙

この作者,いい加減な雰囲気の中に,根っこのところで「生真面目」な印象があります。『グレイブディッガー』など,ひねりにひねって,実は直球勝負! みたいな。オススメです。 / 烏丸 ( 2006-03-16 00:29 )
「13階段」読みました。あとの二つも面白そうですね。 / koeda ( 2006-03-15 15:47 )

2006-03-04 従容として逝く 『桃』 久世光彦 / 中公文庫


【なんだ,それだけのことなんだと頷きながら,私は紅色の漆の筐の中へ落ちていった。】

 三月三日,桃の節句の夜に『桃』を紹介する心積りもなくはなかったが,作者の死を悼みつつ書くことになる算段まではしてなかった。

 久世光彦は,当たり前のように言葉遣いにこだわった。
 大量生産のプラスチック工場のごとき昨今の売文家たちの中にあって,いわば厚手の漆器の手触りを示してくれたものだ。
 その分濫読できず,手間のかかる,疲れる作家の一人でもあった。最近も『桃』や『聖なる春』,『花迷宮』などを読んだが,続けて読もうとは思わなかった。本棚の一隅に雑作なく積んでおいて,探偵小説やゴシックホラー,ノンフィクションに飽いたら鞄に1冊忍ばせる,そんなふうに読む。そのようにしていつくしむ。

 添付画像の『桃』は,タイトルどおり桃の果実の,腐る寸前の匂い立つようなありようを死に喩え,物狂おしくもはかない男女の滅びを謡った短編集。
 熟達の筆で重ね塗りされた作者の文体は昭和の熱っぽい空気,空間を背景に,実体験を織り込んだ私小説なのか,まるきりのこしらえごとなのか,黒い時間を練って捻じ曲げて,そこに桃の色を走らせる。それはまるで柔らかな果肉をこねあげた彫像のように,油断すると腐って崩れてしまいそうな,したたる味の濃密な。

 文庫版『桃』の解説で,担当の日和聡子は力尽くして力及ばず,一編一編のあらすじを書きつらねる(大きなお世話!)。『聖なる春』(新潮文庫)解説の清岡卓行も結局は同様。ところが,久世光彦が書いた,たとえば岩井志麻子『魔羅節』(新潮文庫)の解説を見てみれば,ここでなんと久世は志麻子を別れた女の産んだ我が娘に喩え,その娘が男と女の地獄に落ちるさまを嘆きつつ指の間から薄目をあけてうかがうように志麻子の歌を覗き見る。たとえばこのような具合。

 「志麻子を産んだ女のことは憶えている。(中略)抱いた後,眠り呆けている目をむりやりこじ開けて,瞳の中を覗いてみたら,目の中いっぱいに灰色の空が広がっていて怖かった。普段はのろのろと,畳を蛞蝓(なめくじ)みたいに這って歩くのに,布団に入ってくるときだけは,いやに敏捷だった。」

 もちろんこれは文庫小説の解説に用いるべき文体ではない。ではないにもかかわらず,その前後に『魔羅節』各編のタイトル見事に読み込んで,つかずはなれず捧げた岩井志麻子へのオマージュとなっている。その6ページ余りのオマージュそのものが一編の短編小説と化して怪しい。久世光彦は,産業的技術の限りを尽くして昭和と性と死を描いた人でもあった。

先頭 表紙

2006-03-02 テレビライクな刺激発生装置 『推理小説』 秦 建日子 /河出文庫


【30代。女性。バツイチ。子持ち。大酒飲み。無駄に美人】

 動機不明の連続殺人,犯行予告,犯人を追う捜査一課の美人刑事……。
 作者は「天体観測」「ドラゴン桜」などのテレビドラマの脚本家なのだそうだ。

 『推理小説』というこの上なく直接的なタイトル,作品内作品として犯行を予告した原稿が扱われることから,いわゆる「メタミステリ」「アンチミステリ」の系譜が想起されるが,そこにこだわると肩すかしをくらう。作品内作品は小道具程度に考えておけば十分だし,実験的作品,あるいはテレビ,出版等のメディアに対する批評的作品というのも(皆無ではないが)あたらない。

 ヒロイン雪平夏見の「いっさい片づけされてないゴミだらけの部屋」「大酒飲みで酔うとしばしば全裸で寝る」「無駄に美人」「警視庁捜査一課で検挙率ナンバーワン」といった設定はなかなか秀逸だし,「被害者が最期に見た景色を見たいとチョーク跡に寝転がる」という行動パターンもエキセントリックで魅力的だ。ただし,これらの設定,行為があとあとなにかに深く結びつくわけではない。

 要は「刺激」,なのだ。多分。
 この作者がどれほど平均的なテレビ人なのかはわからないが,最近のテレビのありようと照らし合わせるとおさまりがよい。
 たとえば犯人の動機はいちおう提示されるが,それはたいした問題ではない。17歳の容疑者を射殺してマスコミの好餌となったヒロインの過去,7歳の娘に「人殺し」と嫌われている現在など,それぞれセンシティブではあるが,次のページをめくればそれまで。つまり,これらはいずれもその場その時点での読み手への「刺激」として配置されているにすぎない。昨今のテレビ番組の多くが,政治も経済も文化も,すべてただ「刺激」の強弱に変換し,カラフルなテロップを付けて濫信していることとほとんど変わりがない。
 つまり,本書がある程度面白いのは,感覚中枢への刺激によるものが主であって,それ以上(以下)のものを求めてもあまり意味がないということだ。香辛料の利いた料理とでも称すればよいか。

 念のため。
 本書が「刺激」レベルであるからよくないとかよいとか,そういうことを言いたいわけではない。精神,情念,論理,世界観等々を描いたつもりの愚作駄作に比べれば本書は格段に爽快だ。小麦粉をこねたような小説,学芸会のごときテレビドラマの類に比べればかなり快適に時間をすごせた。それは否定しない。
 ただ,続編を読みたいかと問われれば,それはどうだろう。大方のテレビドラマ,ワイドショー同様,とくに必要を感じないというのが正直なところか。

先頭 表紙

演出家・作家の久世光彦,死去。期せずして,今日の上着のポケットにはエッセイ集『花迷宮』が入っていた。また,昭和が遠くなる。黙祷。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-02 17:05 )
新保博久の解説には,横溝の『探偵小説』,三枝和子『恋愛小説』など,「小説のジャンル名そのものを題名にした小説」が掲げられているのだが,(何か見落としていませんように)もなにも,水村美苗の『私小説』『本格小説』をはずしているのはなぜだ? / 烏丸 ( 2006-03-02 01:52 )
最初がこれ,次がこれ,そして現在がこの私評に添付のもの,と,篠原涼子を使った帯だけでも3種類はあるようです。力はいってるなあ,いや,宣伝費がはいったのか,河出書房。 / 烏丸 ( 2006-03-02 01:51 )

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