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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ
2006-03-23 パペットマーケット
2006-03-16 コンピュータウイルス潔癖症候群
2006-03-14 転倒ポップ
2006-03-10 ぐいぐいノンストップ 『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』 高野和明 / 講談社文庫
2006-03-04 従容として逝く 『桃』 久世光彦 / 中公文庫
2006-03-02 テレビライクな刺激発生装置 『推理小説』 秦 建日子 /河出文庫
2006-02-28 最近はイマイチ 『サム・ホーソーンの事件簿IV』 エドワード・D・ホック / 東京創元社(創元推理文庫)
2006-02-26 『ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日』 エドワード・ドルニック,河野純治 訳 / 光文社
2006-02-22 『裁判大噴火』 阿曽山大噴火 / 河出書房新社


2006-03-26 ヴァン・ドンゲン,ビュッフェ

 
 GoogleYahoo!がそれぞれ「イメージ検索」,「画像検索」機能を装備したおかげで,気に入った画家の名前でイメージ検索したり,「Tower Babel」「Magdalene」で画像検索したり,そういったことが思うさま簡単にできるようになりました(グラビアアイドルの名前でキュートなビキニ写真を,といった用途にも大変便利。ただし,その方面に突っ走る場合はコンピュータウイルスやスパイウェアにくれぐれもご注意を)。

 最近,烏丸はこのイメージ検索のおかげで,これまで著名な美術サイト,名画サイトでもあまり見られなかったヴァン・ドンゲン(Kees Van Dongen,1877-1968)やベルナルド・ビュッフェ(Bernard Buffet,1928-1999)の画像をしこたまゲットできて,そこはかとなく幸せなのであります。

 ヴァン・ドンゲンは,キャバレーのデコラティブなマダムを太い筆でぐいぐい描くような画風。ビュッフェはいかにも絵葉書向けのパリやイタリアの名所を,輪郭線を強調したくっきりしたタッチで描きます。
 2人ともそれなりにまあ著名ではあるものの,少なくとも今のところ,美術全集で1巻を占有するほどの大家ではありません。素人目にも,新しい絵画の潮流を切り開くとか,そういった大物感はなく,作品も天文学的価格というほどではない雰囲気。インターネットの画商サイトをうかがえば,サイン入りリトグラフ程度ならサラリーマンでもなんとか買うこともできるようです。

 しかし,この2人の画風は,そういう価値とは別に,どこか懐かしく,目を慰めてくれるんですね。
 ヴァン・ドンゲンは,ずいぶん以前,まだ中学生のころのことだったと思いますが,地方の小さな美術展で作品をいくつか見る機会がありました。そのときは「いかにも日展や二科展にありそうな油絵」という身もふたもない印象でしたが,つまりはヴァン・ドンゲンというのは,アマチュアやセミプロの画家が絵筆をふるってとりあえず到達したいという,それはそれでひとつの境地なのかもしれません。

 ビュッフェに「絵葉書」のイメージが強いのは,初めて出会ったのがまさしくその絵葉書の図案だったため(それだけでもないとは思いますが)。ヴァン・ドンゲンを初めて見たよりもっと前の,多分小学校高学年のころ,ある日父親が土産に買ってきた絵葉書セット,それがビュッフェの作品群だったのです。研修旅行か何かで訪ねた先に展覧会でもあったのでしょうか。一枚一枚を鮮明に覚えているわけではありませんが,南の保養地の白っぽい光景を描いたその絵葉書は,なんという印刷技法なんでしょう,輪郭線の黒いインクの部分のみがぽってりと厚みをもっていて,指でふれてもプルプルする,そのようなものでした。輪郭線を強調するビュッフェの画風にいかにもなじんで,この指がインクの光を覚えています。

 これらの画家について,当時,父親とどのようなやり取りをしたのか,もうまるで覚えていません。絵葉書セットもどこかに行ってしまいました。そのうち小金をためて版画の一枚も,というのは,あまりに感傷が過ぎるでしょうか。

先頭 表紙

『惑星ソラリス』のスタニスワフ・レム,死去。ハインライン,アジモフに続き,黄金時代の星がまたひとつ消える。……っていうか,SF作家って皆さん存外に長生き。この50年間,何をやっていたのか。ウィキペディア(Wikipedia)のレムの項目がすでに「死去」になっているのもすごい。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-28 11:06 )
ちなみにヴァン・ドンゲンは左メニューの「Catalogo delle opere」から「Ritratti di donne」の一覧,ビュッフェはメインページに入って,左メニューの「paris 1988-89」がオススメです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:18 )
ヴァン・ドンゲンについてはこちら,ビュッフェについてはこちらで主な作品が見られます(いずれも著作権がまだ生きているので,転載は控えます)。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:14 )

2006-03-23 パペットマーケット

 
 微妙にプライベートなことを書く。
 全国の人形劇のイベントや団体を紹介する手作りの情報誌「パペットマーケット」というものがある。全ページ手書き文字でぎっしり綴られたこの小冊子,2002年の夏から途絶えていたのだが,つい数日前,郵便受けにひょいと届いていた。4年ぶりだ。
 「パペットマーケット」の発行者は和気瑞江さんといって,たいへん巧みな人形劇の実演者である。
 東京学芸大在学中に「麦笛」というサークルで人形劇に手を染め,その後いくつか小さなグループを組織したり,大きな劇団と合同公演したり,プロとして活躍して久しい。電話を受ければ素材をかかえて幼稚園などを訪ねる「一人人形劇団」としてNHK教育テレビで取り上げられたこともある。
 東京の中野を拠点としていたが,数年前,ご尊父の入院にともない郷里の香川に戻り,それとともに「パペットマーケット」も届かなくなっていた。ご尊父の和気俊郎先生は香川県の私立校で長年生物の教鞭をとられた方だが,県内の植物の研究でも知られ,新種の発見も少なくない。先生は,2003年に亡くなられた。
 和気さんがその間,どのような思いでいたのかは,賀状以外とくにやり取りがあったわけではないのでよくわからない。復活した「パペットマーケット」は,表紙から裏表紙まで休刊のお詫びだらけで,発行できなかった間,当人がずいぶんと心を痛めていたことがわかる。
 妙な言い方だが,とりあえず当方に限ってはまったくノープロブレムだ。「パペットマーケット」が復刊して和気さんの独特な手書き文字が見られるだけで嬉しい。表紙のイラストカットのぽこんとした丘のような山のようなものが彼女の郷里に穏やかな姿を見せる飯野山,通称讃岐富士なのも楽しい。
 なにしろ僕は……和気さんが人形劇と出会うよりもっとずっと以前,正確にいえば1970年の春以来,そこらの少女マンガ家より美麗な彼女のイラスト,躍る手書き文字,切ない詩文集,アクロバティックな切り紙,ユーモアあふれる話術,それらを合わせたキャラクターの第一のファンなのだから。

先頭 表紙

最近は歌舞伎や狂言にはまっているとか言ってました。はまるととことん没頭するタイプだからなぁ(マーク・スピッツのファンになって,腕時計をずっとミュンヘン時間に合わせる,そんな具合)。まぁ,元気ならばよいです。 / 烏丸 ( 2006-03-26 02:21 )
先週久しぶりに和気さんにお会いしました。元気でしたよ。パソコンの話題になり、エクセルの使い方について話す彼女を見て、なんとゆーか隔世の感が。(笑) / けろりん ( 2006-03-23 17:03 )

2006-03-16 コンピュータウイルス潔癖症候群

 
【インターネットにつないだら必ず手を洗いましょう。】

 最近,42歳の無職の男が高校3年の時の恨みから元担任を刺殺──という事件があった。

 「キレやすい若者が増えている」といってもなにしろ42歳。どうにも理解のたがを超えている。殺された元担任が担任時にどんな先生だったのは知らないが,20年以上経ってから刺しにいくのはさすがに尋常とは言いがたい。なんらかの心の病にとらわれていたのだろうか。

 このケースは違うかもしれないが,一定の思い込み(不安)がひどくなり,気にする必要がないと理性ではわかっていても気になって気になって頭から離れず,ほかのことが手につかなくなるような心理を強迫観念というらしい。
 ガスの元栓をしめたかどうか気になって出かけられない,とか,バイ菌が心配で繰り返し手を洗う,とかがその一例。日常生活に支障をきたすようになると強迫神経「症」となる。

 話題はどんどんすべっていくが,もしもこの強迫神経症の傾向のある方がコンピュータウイルスを気にし始めたら……これはツラい。

 知人からメールが届けば,ウイルスが添付されてないか気になって開けない。
 かくかくしかじかで開けないと返答して,今度は自分が相手にウイルスを送りつけたのではないかと疑心暗鬼にとられる。
 ホームページを見たらスパイウェアがひそんでいそうですぐ「戻る」をクリックしてしまう。
 つないだままだとワームが入り込んできそうでケーブルから目をはなせない。

 強迫神経症はわりあい当人に「馬鹿げている」「そんなことはない」という自覚があるだけ,インターネットをあきらめる,アクセスしない,というほうに話は進まない。だいたい,仕事かなにかでインターネットから離れられないからこそ不安が募るのである。

 アクセス時以外は頻繁にネットワークケーブルをはずす。しょっちゅうバックアップをとってハードディスクをリカバリする。バックアップしたCD-Rがウイルスで汚染されている気がしてしようがない。ウイルス対策ソフトを複数インストールしてシステムが不安定になり,ウィンドウズの当たり前のポップメッセージが開くたびにウイルス感染かとパニックに陥る。漏洩して困るような情報など別にないにもかかわらず,自分のプライバシーがネット上にばらかまれ,際限なく転載されていくような気がしていても立ってもいられない。はては「コンピュータウイルスの実態はプログラムなのだからありえない」と思いつつ,キーボードやディスプレイの裏側までごっそりウイルスが張りついてぼふぼふと増殖を繰り返しているような……。

 あっという間にパニックものの短編小説が一つ書けそうだ。技術や用語がナマモノなので,一,二年もすると内容が陳腐になってしまうかもしれないが。

 さてでは,主人公をさんざんいたぶったあげくの結末は。

 メールの返答はおろか電話にも出ないことを心配した友人が主人公の部屋を訪れると,自分の肉体にまでコンピュータウイルスが侵入するように思いつめた主人公が,目をつぶし,耳,鼻をそぎ落として……という陰惨なものから,パニックのあげく,逆に自分のあらゆる情報を掲示板やメールで撒き散らして強迫観念からはすっきり解放されるが,その代わりその情報を悪用した詐欺やローンの取り立てに追われまくる。こちらも陰惨か。
 ほっと一安心のハッピーエンドを書けないのは,わかってはいるのだけれど悲惨なエンディングしか思い描けない当方の強迫観念が,暗いほうに悪いほうにエグいほうに危ないほうに。ううう。

先頭 表紙

「百物語」でしたらこちらです。とくに意識はしてないのですが,冬から春にかけては怖い話は進みませんね。今年も,動き出すのはもう少しあとでしょうか。 / 烏丸 ( 2006-03-20 01:35 )
怖いですわ・・。そういえば、百物語の方のURLを紛失してしまいましたの。読みたいので教えていただけますか? / けろりん ( 2006-03-18 12:52 )

2006-03-14 転倒ポップ

 
【ポップ,ステップ,ジャブン】

 サインペン文字をラインマーカーで彩った書店店頭の「手書きポップ」,ブレークのきっかけは新潮文庫の『白い犬とワルツを』(テリー・ケイ,兼武 進 訳)の手書きポップによる大ヒットとされている。
 6,7年前のことだったか。

 近頃ではどこの本屋もポップだらけ,ポップのせいで隣の平積み本のタイトルが見えないほど。
 ポップブームも初期のころは書店店員の苦労のあとがうかがえたり,思いがけずいい本と出会えたりということもあったが,昨今は同じ書店内で嗜好が統一されていないなど,無理やりこさえたアテにならないポップが多く,ただもう邪魔なばかり。

 最近も新潮文庫の『診療室にきた赤ずきん』(大平 健)というのがやたら文字の多いポップ(サイズも文庫本くらい)を立てていてうるさく思っていたが,今日買ったほかの新潮文庫にはさまれた「新潮文庫 今月の新刊」には爆笑してしまった。
 この『診療室にきた赤ずきん』を紹介するのに,
   この書店店頭POPが目印
 あんたねぇ……。

 手書きポップってのは,出版社サイドの画一的売らんかなパンフでないところにありがたみがあったのに,わざわざタネを明かしてどうする。
 このポップにまつわる新人社員の「美談」も聞いてはいるが,本文庫の発行は2004年9月。「埋もれていた」というほどでもなく,美談にしても薄い。単なる営業活動だろう。

 主客転倒ポップ。

先頭 表紙

ぴなさま,いらっしゃいませ。そうですか,文教堂,店長ですか(←少し白石さん,入ってる)。そういえば,以前よく立ち寄った赤坂の文教堂の,とくに文庫ミステリコーナーのポップは参考にしていた記憶があります。 / 烏丸 ( 2006-03-18 02:22 )
うちの近所の文教堂のは、店長が書いてるみたいよ。 / ぴな ( 2006-03-17 14:26 )
実際に店員さんが感想を書いてくれているなら,自分が読んだ本をどう紹介しているかで趣味が合うかどうか確認できるのですが,手書きのフリをした印刷物が増えると,そういう精度が落ちてしまいます。『赤ずきん』のやり方は,せっかくのツールを出版社側が殺しているような気も。 / 烏丸 ( 2006-03-16 00:25 )
「手書きポップ」のある店とない店じゃ、ある店の方が親近感が沸きますが、単なる物真似じゃ、ご指摘のとおり目障りなだけですね。余談ですが、最近、「生協の白石さん」の影響か「一言カード」も多くなってきましたが、頭のいい解答はなかなかなく、やはりどうでもいい答えばかりでお客のためになっているのかどうか。 / koeda ( 2006-03-15 15:46 )

2006-03-10 ぐいぐいノンストップ 『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』 高野和明 / 講談社文庫


【目を閉じて頭をごしごしと擦っているうち,手が一本多いことに気づいた。】

 期せずしてテレビドラマの脚本家や演出家による作品が続いているが,今週の半ばは高野和明三昧だった。

 講談社から『13階段』(乱歩賞受賞),『グレイヴディッガー』,『K・Nの悲劇』の3冊が文庫化されているが,最新の『K・Nの悲劇』の表紙がなんとも言いようのないムンクの女の顔で,こんな本には触りたくないなぁとついつい手を出して(?)……それからほぼ3日で3冊読了。

 『K・Nの悲劇』はキヨハラ,ノリに過大な期待をかけてしまったオリックスのその後の……ではなく,駆け出しのフリーライターがうっかり新妻を妊娠させてしまったところ,その子供を堕ろさせまいと死霊が妻に憑依して,というお話。
 などと,枠組みだけ取り上げると「ホラー?」「それとも人情モノ?」とジャンルが気になるところだが,実際はどうにも追い詰められた雰囲気,新築のオシャレなマンション内に誰かいる気配など,ひりひりする恐ろしさに「どうする,どうなる」とページをめくるうち,ふと我に返れば1冊読み切ってしまっていた。しいてジャンル分けすればホラーサスペンスということになるのだろうが,分類抜きに単に「怖くて面白い小説」の印象。

 殺人事件の直後に現場近くでバイク事故を起こし,事件前後の記憶がない死刑囚を助けようとするデビュー作『13階段』,根っからの悪党が思い立って骨髄ドナーとなり,見知らぬ子どもを救うため入院しようとしたところで猟奇殺人事件に巻き込まれ,謎の組織と警察に追われに追われる第2作『グレイヴディッガー』。いずれも知力体力たっぷり要求されるサスペンスで,ともかくページを繰る手が止まらない止まらない。

 三者三様ながらどの作品においても一定期間内に事件を解決しなければならない時間制限付きであること,前半に山ほどまき散らかした伏線を最後までにクリアしなければならないこと,メインの謎はとびきりのものでなくてはならないこと,などなど,作者が作品に課した条件の厳しさは大変なもので,その一切をスピード感あふれる展開に押しはめた腕前は天晴れといってよい。
 しいて弱点をあげるなら,複雑な真相を最期にまとめて片付けようとするあまり,登場人物を狭いしがらみに無理やり押し込めていること,さらには偶然の要素も配剤されていることがある(要は若干ご都合主義的ということだ)。また,丁寧に図式化すれば嘘,無理押しの類もそれなりにあるに違いない。
 だが,それよりは読み手の「読んだっ」気分を満喫させてくれる,その力のほうが強い。それは得がたい資質である。

 この作者も映画,テレビの脚本家だったようだが,『推理小説』がテレビ的「刺激」をばらまいている印象なのに対し,『13階段』『グレイヴディッガー』『K・Nの悲劇』の3冊ではその「刺激」がジェットコースター的線のつながりになっている。少なくとも,サスペンスという意味では,時間処理の巧みさが違う。その結果,中身があるかないかを小ざかしく議論するヒマもなく,読み手はただ小説に引きずり回されるのだ。
 よしんば深みに欠けたり主義主張がかみ合わなかったりしても,この3冊,読書としてはかなり楽しい部類と思うが,どうだろうか。

先頭 表紙

この作者,いい加減な雰囲気の中に,根っこのところで「生真面目」な印象があります。『グレイブディッガー』など,ひねりにひねって,実は直球勝負! みたいな。オススメです。 / 烏丸 ( 2006-03-16 00:29 )
「13階段」読みました。あとの二つも面白そうですね。 / koeda ( 2006-03-15 15:47 )

2006-03-04 従容として逝く 『桃』 久世光彦 / 中公文庫


【なんだ,それだけのことなんだと頷きながら,私は紅色の漆の筐の中へ落ちていった。】

 三月三日,桃の節句の夜に『桃』を紹介する心積りもなくはなかったが,作者の死を悼みつつ書くことになる算段まではしてなかった。

 久世光彦は,当たり前のように言葉遣いにこだわった。
 大量生産のプラスチック工場のごとき昨今の売文家たちの中にあって,いわば厚手の漆器の手触りを示してくれたものだ。
 その分濫読できず,手間のかかる,疲れる作家の一人でもあった。最近も『桃』や『聖なる春』,『花迷宮』などを読んだが,続けて読もうとは思わなかった。本棚の一隅に雑作なく積んでおいて,探偵小説やゴシックホラー,ノンフィクションに飽いたら鞄に1冊忍ばせる,そんなふうに読む。そのようにしていつくしむ。

 添付画像の『桃』は,タイトルどおり桃の果実の,腐る寸前の匂い立つようなありようを死に喩え,物狂おしくもはかない男女の滅びを謡った短編集。
 熟達の筆で重ね塗りされた作者の文体は昭和の熱っぽい空気,空間を背景に,実体験を織り込んだ私小説なのか,まるきりのこしらえごとなのか,黒い時間を練って捻じ曲げて,そこに桃の色を走らせる。それはまるで柔らかな果肉をこねあげた彫像のように,油断すると腐って崩れてしまいそうな,したたる味の濃密な。

 文庫版『桃』の解説で,担当の日和聡子は力尽くして力及ばず,一編一編のあらすじを書きつらねる(大きなお世話!)。『聖なる春』(新潮文庫)解説の清岡卓行も結局は同様。ところが,久世光彦が書いた,たとえば岩井志麻子『魔羅節』(新潮文庫)の解説を見てみれば,ここでなんと久世は志麻子を別れた女の産んだ我が娘に喩え,その娘が男と女の地獄に落ちるさまを嘆きつつ指の間から薄目をあけてうかがうように志麻子の歌を覗き見る。たとえばこのような具合。

 「志麻子を産んだ女のことは憶えている。(中略)抱いた後,眠り呆けている目をむりやりこじ開けて,瞳の中を覗いてみたら,目の中いっぱいに灰色の空が広がっていて怖かった。普段はのろのろと,畳を蛞蝓(なめくじ)みたいに這って歩くのに,布団に入ってくるときだけは,いやに敏捷だった。」

 もちろんこれは文庫小説の解説に用いるべき文体ではない。ではないにもかかわらず,その前後に『魔羅節』各編のタイトル見事に読み込んで,つかずはなれず捧げた岩井志麻子へのオマージュとなっている。その6ページ余りのオマージュそのものが一編の短編小説と化して怪しい。久世光彦は,産業的技術の限りを尽くして昭和と性と死を描いた人でもあった。

先頭 表紙

2006-03-02 テレビライクな刺激発生装置 『推理小説』 秦 建日子 /河出文庫


【30代。女性。バツイチ。子持ち。大酒飲み。無駄に美人】

 動機不明の連続殺人,犯行予告,犯人を追う捜査一課の美人刑事……。
 作者は「天体観測」「ドラゴン桜」などのテレビドラマの脚本家なのだそうだ。

 『推理小説』というこの上なく直接的なタイトル,作品内作品として犯行を予告した原稿が扱われることから,いわゆる「メタミステリ」「アンチミステリ」の系譜が想起されるが,そこにこだわると肩すかしをくらう。作品内作品は小道具程度に考えておけば十分だし,実験的作品,あるいはテレビ,出版等のメディアに対する批評的作品というのも(皆無ではないが)あたらない。

 ヒロイン雪平夏見の「いっさい片づけされてないゴミだらけの部屋」「大酒飲みで酔うとしばしば全裸で寝る」「無駄に美人」「警視庁捜査一課で検挙率ナンバーワン」といった設定はなかなか秀逸だし,「被害者が最期に見た景色を見たいとチョーク跡に寝転がる」という行動パターンもエキセントリックで魅力的だ。ただし,これらの設定,行為があとあとなにかに深く結びつくわけではない。

 要は「刺激」,なのだ。多分。
 この作者がどれほど平均的なテレビ人なのかはわからないが,最近のテレビのありようと照らし合わせるとおさまりがよい。
 たとえば犯人の動機はいちおう提示されるが,それはたいした問題ではない。17歳の容疑者を射殺してマスコミの好餌となったヒロインの過去,7歳の娘に「人殺し」と嫌われている現在など,それぞれセンシティブではあるが,次のページをめくればそれまで。つまり,これらはいずれもその場その時点での読み手への「刺激」として配置されているにすぎない。昨今のテレビ番組の多くが,政治も経済も文化も,すべてただ「刺激」の強弱に変換し,カラフルなテロップを付けて濫信していることとほとんど変わりがない。
 つまり,本書がある程度面白いのは,感覚中枢への刺激によるものが主であって,それ以上(以下)のものを求めてもあまり意味がないということだ。香辛料の利いた料理とでも称すればよいか。

 念のため。
 本書が「刺激」レベルであるからよくないとかよいとか,そういうことを言いたいわけではない。精神,情念,論理,世界観等々を描いたつもりの愚作駄作に比べれば本書は格段に爽快だ。小麦粉をこねたような小説,学芸会のごときテレビドラマの類に比べればかなり快適に時間をすごせた。それは否定しない。
 ただ,続編を読みたいかと問われれば,それはどうだろう。大方のテレビドラマ,ワイドショー同様,とくに必要を感じないというのが正直なところか。

先頭 表紙

演出家・作家の久世光彦,死去。期せずして,今日の上着のポケットにはエッセイ集『花迷宮』が入っていた。また,昭和が遠くなる。黙祷。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-02 17:05 )
新保博久の解説には,横溝の『探偵小説』,三枝和子『恋愛小説』など,「小説のジャンル名そのものを題名にした小説」が掲げられているのだが,(何か見落としていませんように)もなにも,水村美苗の『私小説』『本格小説』をはずしているのはなぜだ? / 烏丸 ( 2006-03-02 01:52 )
最初がこれ,次がこれ,そして現在がこの私評に添付のもの,と,篠原涼子を使った帯だけでも3種類はあるようです。力はいってるなあ,いや,宣伝費がはいったのか,河出書房。 / 烏丸 ( 2006-03-02 01:51 )

2006-02-28 最近はイマイチ 『サム・ホーソーンの事件簿IV』 エドワード・D・ホック / 東京創元社(創元推理文庫)


【一九三六年の夏はそういうふうにして終わったんだよ。】

 いかなトリックの達人といえど,三十作四十作と続けるとなるとクオリティ維持は容易でないらしい。不可能犯罪を扱ってアクロバティックな冴えを見せた『サム・ホーソーンの事件簿』もいまやシリーズ4冊め,犯人をあっさり予測できる作品やトリックを説明されてもそうびっくりしない作品が少なからず占めるようになる。

 今回の収録作の中には「呪われたティピーの謎」のようにある植物の名前が出てきたとたんタネが割れてしまう作品もあったし(同じ創元推理文庫『毒薬ミステリ傑作選』収録のミリアム・アラン・デフォードの短編と同工異曲),「重態患者の謎」のように病人が死んだ状況だけですぐ凶器が読めてしまう作品もあった。いずれもミステリでは使い古された手だ。

 それでも,ホーソーン医師の穏やかな人となりやアメリカ東部の町ノースモントのほっこりした雰囲気,あるいは「青い自転車の謎」や「革服の男の謎」などの練られたプロットはやはり楽しい。初期作品に比べれば水準が落ちたとはいえ,ホックの場合ヴァン・ダインやクイーンと違ってレトリック(ダイイングメッセージに表れた英語の方言?)で犯人当てをするような無理押しもなく,あくまで心理トリック,物理トリックできっちりカタをつけようとする技術屋気質が心地よい。

 ちなみに『サム・ホーソーンの事件簿』各編では,何年に起こった事件なのか冒頭で必ず明言されているのだが,この第4巻に描かれた12の事件は1935年から1937年にかけてのもの。第二次世界大戦の前と後とで,アメリカの田舎町もまた変わったのか,そうでもないのか。

先頭 表紙

本文中で触れた植物については,明治10年の西南戦争でこの枝を箸に使って中毒を起こした兵士がいたらしい。昔からそれが信じられない。毒のあるなし以前に,あんなしなる枝を,箸やバーベキューの串に利用しようと思いつくほうが妙な気がするのだが……。 / 烏丸 ( 2006-02-28 02:08 )

2006-02-26 『ムンクを追え! 『叫び』奪還に賭けたロンドン警視庁美術特捜班の100日』 エドワード・ドルニック,河野純治 訳 / 光文社


【絵一枚ですんでよかったじゃないか】

 外塀には高圧電流,中庭には猛犬ドーベルマン。展示室内は赤外線トラップが縦横に張り巡らされ,ケースにピンが落ちただけで警報が鳴り響く。赤外線スコープを頼りに壁に渡されたロープを少しずつ手繰って進む怪盗。額の汗が床にしたたると,高圧電流でジュッと弾けた。警備員が再び巡回してくるまで,あと,15分。

 『ルパン三世』や『キャッツアイ』ではおなじみの緊張のシーンだが,いかんせん世界の名だたる美術品たちはそれほど厳重な警備の恩恵を受けているわけではないらしい。

 盗難車で乗りつけ,ハシゴを上り,一度足をすべらせて(おっとっと)落っこちるがまた上り,2階のガラス窓を叩き割って入り込み,額縁ごと持ち出してドロン。以上。
 これが1994年にオスロのノルウェー国立美術館からムンクの『叫び』が盗まれた際の手口である。……って,こんなのを「手口」と言うか? 防犯ビデオは回っていたが新米警備員は気がつかず,画質は犯人特定の役に立たなかった。コンビニ強盗でももう少しシリアスだって。

 本書は,盗まれた美術品の回収を専門とするロンドン警視庁美術特捜班の囮捜査官,チャーリー・ヒルほかほんの数人のスタッフがいかにして『叫び』を取り戻すかを描いたノンフィクションである。
 全体はせいぜい10ページ程度の小さな章から構築されており,『叫び』が盗まれてからの経過,警察の対応,過去の名画盗難事件アラカルト,不敵な犯罪人たちのプロフィールなどなど,さまざまなシーンがカットバック的手法で行きつ戻りつ提示されていく。ムンクやゴヤ,フェルメールなど,盗難に遭った画家やその作品の紹介も要所要所に織り込まれ,飽きずに読み進めることができるが,逆にいえば中盤までは一気呵成に読み切ませる勢いには乏しい。

 先にも書いたとおり,世界的名画というのは,オークションにかければ何億,いや何百億円などと言われる割には,どうやらこと「防犯」に関してはさほど大切にされているわけでもないらしい。美術館は維持が精一杯で警備や保険に大金をかけられず,大富豪は家が大きすぎて(建物正面(ファサード)の横幅二百メートル以上の住居!)警備しきれない。何度も襲われた美術館,豪邸,何度も盗まれた名画があるのはそのせいである。

 ピカソの『ゲルニカ』は防弾ガラスで覆われていることで有名だったが(1995年に撤去)、これは同作品がスペインの内乱をテーマにしたもので,テロの標的になる危険があるとされていたため。逆に言えば,そこまで明白な理由がなければ『ゲルニカ』級の作品でもガードなしに公開されるということだ。
 たとえばフィレンツェのウフィツィ美術館では,レオナルドの『受胎告知』やボッティチェルリ『春』『ヴィーナスの誕生』など超のつく名画がガラスのガードもなく,手を伸ばせばすぐ届くところに展示されている。展示室の開けっぱなしのドアの外の廊下には開いた窓から風が吹き込み,これまでよくぞまあご無事で,と天に感謝せずにはいられなかった。思うにイタリアの古都なんて名所旧跡だらけで,絵の1枚からガードしようとしてもキリがないのかもしれないが。

 本書で何度も強調されるのが,名画を盗む犯罪人のバックに,盗みを依頼する大富豪ドクター・ノオのごとき影の黒幕などいないということだ。犯罪人たちはあるときは単なる金もうけ,あるいは泥棒としての名声欲,あるいは国家権力(警察)に対する反抗心から名画を盗む(目立ちたがり屋のルパンたちは意外とリアルなのかもしれない)。対する警察は,名画盗難にはあまり経費と労力を割こうとしない。殺人やテロ事件に比べれば,美術品など,金持ちの資産のごく一部にすぎないからだ。したがって,一部の美術盗難の専門家を除くと,名画の奪還にはそう力も入れないし,また犯人が捕まっても意外なほど重い罪には問われない。

 そんな犯罪人たちや乗り気薄の警察機構に対する,ベトナム帰りの囮捜査官,チャーリー・ヒルがいい。
 少し肥満気味の一匹狼,周囲に頓着なし。自分なりの美学で仕事に徹するあたり,ジーン・ハックマン演ずる『フレンチ・コネクション』のポパイ(ドイル刑事)はじめ,映画中の名刑事を髣髴とさせる。ヒルはプライベートでは気短か,散漫,傲慢な人物なのだが,こと名画をめぐる囮捜査となるととことん演技に徹する。アメリカ人を演じる際は口にする単語,ジョーク,アクセント,服装,テーブルマナーまですべてアメリカ人になり切って相手を信用させる。ショットガンを首に押し付けられた経験もあるが,何度も機転で突破してきた。その手法,失敗,トラブル,逆転,成功。そして『叫び』を盗んだ犯人たちは彼の網に乗ってくるが,そのときよりにもよって……チャーリー・ヒルたちは無事『叫び』を奪還できるのか。
 と,こう,まるきりサスペンス小説のノリだが,あくまで本書はノンフィクション。そう考えるととんでもない。本がすごいのか,事実がすごいのか。

 読み進むうちに,囮捜査官が,こんなに細かな手法,当人の写真までさらして大丈夫なのかと気になったが,その点は本書を最後まで読めばまあ納得。
 ちなみに,2004年8月にオスロのムンク美術館から盗まれたのは,同じムンクの『叫び』でも別作品。こちらはいまだ未解決。ノルウェーに旅したら,あたりに目を配っていただきたい。バスターミナルの老人の足元の厚紙が『叫び』かもしれない。安宿の棚のボロ布が,『マドンナ』かもしれない。だが,もし,ちょっと肥満気味のアメリカ人の富豪がそれを手に入れたがっていたなら,間違ってもその邪魔はしないことだ。

先頭 表紙

2006-02-22 『裁判大噴火』 阿曽山大噴火 / 河出書房新社


【弁護人「今日喋れば明日も喋らせてくれるって。よかったね」】

 nikkansports.comに昨年8月から毎週月曜掲載されている阿曽山大噴火の「裁判Showに行こう」が面白い。

 たとえば今週は,プロを目指すアマチュアバンドのメンバー3人が,ギター担当の男性に,練習しない,準備が悪いなどと言ってロープで縛って殴る,下腹部にライターの火を押し付ける等の暴行を加えたという事件。
 事件そのものもショボいが,そのショボい事件の裁判から漂うマヌケさが切なさに転じて,なんとも不思議な味わいをかもし出している。

 執筆は阿曽山大噴火(あそざん・だいふんか)。サイトの紹介によると

本名:阿曽道昭。1974年9月12日生まれ、山形県出身。大川豊興業所属。趣味は、裁判傍聴、新興宗教一般。チャームポイントはひげ、スカート。裁判ウオッチャーとして数多くの裁判を傍聴。…(中略)…また、ファッションにも独自のポリシーを持ち、“男のスカート”にこだわっている。定住する家を持たない自由人。パチスロと裁判傍聴で埋めきれない時間をアルバイトで費やす日々。

なる人物。
 写真を見ればスキンヘッドにひげにスカート,はっきり言って「異形」「あやかし」の体だが,意外やその傍聴記は良識と穏やかな目線が身上で,美文とは言いがたいもののごく自然な立ち位置から事件の異様さ,容疑者の愚かさ,被害者への同情,そして裁判官や検察官,弁護人,あるいは傍聴人のおまぬー加減までさらりと描いて秀逸だ。

 同じ筆者による単行本『裁判大噴火』が河出書房新社から出ているというので,遅ればせながら取り寄せて読んでみた。
 やはり面白いのは,さまざまな裁判の傍聴記。
 オウム真理教代表・麻原彰晃こと松本智津夫がスキンヘッドの筆者を信者と勘違いしたか手を振ってきたというエピソードや,その麻原被告のだんまりに苦戦する弁護士団(かたや脱力しまくる裁判官),石原裕次郎の弟を自称する詐欺師と裁判官のとほほなやり取り,痴漢の被告人に対しオーバーヒートする熱血検察官,あるいは方言あふれる地方裁判所の呑気な雰囲気などが出色。

 ただ,一読後食い足りない気分になるのは,本の造りが甘いからだろうか。
 たとえば表紙の写真は日本司法博物館(松本市)の明治時代の法廷を再現したものらしいが,「被告人席」等の文字を読まなければ法廷には見えない。そもそも本の中身が固い内容なのかお笑いなのか,方向性もよくわからない。──つまりは表紙写真として機能していないのだ。
 あるいは,巻頭,裁判所の規定や傍聴の仕方の説明にページを割いているのだが,親切といえば親切,エッジが立たないといえば立たない印象。これらそう面白くない解説部分は後ろのほうにコラム的にでも挿入されていれば十分だったのではないだろうか。
 表紙,掲載順,見出しデザインなど,DTP化の進んだ昨今なら簡単廉価に工夫できたはずのものばかり。編集者に恵まれなかったのだろうか。

 まあそれはともかく,訴訟,裁判というものは,いざ犯罪やトラブルに巻き込まれたときの最後の砦のようなイメージがあるが,阿蘇山大噴火の傍聴記からうかがえるのはいかにも人間くさい,どちらに転ぶも参加者(裁判官,検察官,弁護人)や展開次第だということ。
 もめ事の際にうかつに「訴えてやる!」と騒いでも,それはいたずらに泥沼を招くだけかもしれない。

 ところで,かくいう烏丸も,一度だけ裁判を傍聴した経験がある。
 もうずいぶんと昔……厚顔,もとい紅顔の美少年の頃。社会科の教諭に連れられてわれらいたいけな中学生1クラス,どこへ向かうとも知らず地方裁判所に連れて行かれたあれは晩春の午後だったか。たまたま覗いた刑事裁判の被告人が,剃り込みの後も青々と,ごっつい首のうしろに肉が段々の,いかにもその方面そのスジの方。まだ新品の制服が歩いているような学帽集団であふれる傍聴席をときどき振り向いては「なんやこのガキども」の目つきもすうと細く,途中からの入廷で何がなんだかわからぬもののやがて響いた「刃渡り三十センチ」という裁判官の甲高い声ばかりが今も耳に残っている。被告人はその三十センチでいったい何をなさったのであろう。

 ことほどさよう,裁判はせいぜい本で読むのがよろしくて,できれば当事者にはなりたくないと重ねて思う次第。

先頭 表紙

今週の「裁判Showに行こう」は,例の2ちゃんねるのエイベックス社員の殺害予告事件の公判だったのだけれど,その際の裁判官による被告人質問がプロの対応という感じでいい。それに素直に反応できる阿蘇山大噴火氏もいい。 / 烏丸@未ログイン ( 2006-03-06 10:10 )

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