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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-02-06 本の中の名画たち その八 『近代絵画の暗号』 若林直樹 / 文春新書
2001-02-05 本の中の名画たち その七 『怖い絵』 久世光彦 / 文春文庫
2001-02-04 『時の果てのフェブラリー ──赤色偏移世界──』 山本 弘 / 徳間デュアル文庫
2001-02-03 『日本経済に起きている本当のこと』 糸瀬 茂 / 日本経済新聞社
2001-02-02 [雑談] マンガにおける触媒的主人公について(『観用少女』(朝日ソノラマ),『バジル氏の優雅な生活』(白泉社),『おかみさん』(小学館))
2001-01-31 『何もそこまで』 ナンシー関 / 角川文庫
2001-01-29 [雑談] マンガの中の人肉食
2001-01-28 『猟奇文学館3 人肉嗜食』 七北数人 編 / ちくま文庫
2001-01-27 『鳥 デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア,務台夏子 訳 / 創元推理文庫
2001-01-26 本の中の名画たち 番外編 「新日曜美術館 ロートレック・一瞬の美をとらえる」(NHK教育)


2001-02-06 本の中の名画たち その八 『近代絵画の暗号』 若林直樹 / 文春新書


【美術評論家たち美術史家たちがひた隠しにしてきた事実。それは……】

 新書というのは,総じてなんらかの専門家が長年研究,調査してきたことを,それなりに広くわかりやすく伝えようとするものが多い。そのため,目覚しい主張もないが,それほど大はずしもしない……。
 本書はそんな中にあって久々の大ヒット。即刻ゴミ箱に叩き捨てようと思ったが,これほどの迷著はそうそうない。酒の肴にするため取っておこう。

 あとがきによれば本書は「誰でもが知っている作品」で「美術作品に隠された暗号を解読する」アプローチによって「美術の新たな枠組みを模索する」のだそうな。けっこうなことだ。「一般人が見慣れているほどの作品だからといって,美術の専門家たちが広く研究している作品であるわけではない」「美術の研究者には,作家や作品の格付け機関として美術市場と共存している一面があるために,価値が定まり美術館に収蔵されれば,すくなくとも市場との関係での研究者の仕事は終わってしまうからだ」,まあね。

 問題はその後。
 「いったいいつからこの領域の情報は更新されなかったのだろうか。それは,本書で“美術評論家たち美術史家たち”の見解とした作品解説や作家解説が書かれた時期を調べればすぐにわかる。参考にした資料の出版時期は一九七〇年代前半に集中している。これより多少古いものもあるが,新しいものはない」
 引用が長くなるのでまとめると,要するに著者は本書で取り上げたフェルメールやアングル,モネ,ゴーギャンらについて,美術全集華やかなりし1970年代以降,専門家は誰も評論を書かなかった,出版されなかったというのだ。

 それが大嘘だということは,オンライン書店で画家の名前で検索してみただけでわかる。豪華函入り美術全集こそ減ったが,お馴染みの大家を扱った薄い大判の美術冊子だって毎年のように発行されている。

 要するに,貧弱な解説をものした一部の評論家を美術評論家のすべてと勝手にみなし,それをコキおろそうとしているのか? まさか……と本文を読んでみれば,まさにそうなのである。

 たとえば,ジェリコー「メデューズ号の筏」について,著者は「美術評論家たち美術史家たちは,この絵の構成画面から文学としての芸術を語ってきた」が,実はこの絵はギリシァ神話を描いた古典主義作品ではなく,実際の事件を描いたものだと指摘する。しかし,これが実際に難破した船の生き残りを描いた作品だなんて,ロマン派に詳しくない烏丸でも知っていたことだ。
 あるいはマネの「草上の昼食」は当時流行した写真の影響を受けている,「オランピア」について美術評論家はひた隠すがなんとこれは娼婦を描いたものだとこれまた大騒ぎ。再三書かれてきたことで,誰も隠してません。ちなみに,引き合いに出されたティツィアーノも,ヴェネツィアの娼婦をモデルに宗教画を描いた。
 マグリットの項では,「美術評論家たち美術史家たち」はシュルレアリスムを「人類の明るい未来を夢見る発明発見」ととらえていることにされてしまい,ダダイスムやシュルレアリスムは第一次大戦に起因する「近代文明に対する深い疑いと,人間が作る社会への絶望的な不信と共にあったのだ」と鬼の首でも取ったかのように宣言する。……これもお約束もいいところで,「現代用語の基礎知識」にだって載っている。

 などなど。ほかにも頓狂な説がいっぱいだ。
 著者が勝手に「知ってるつもり?!」やるのはしょうがないとして,編集者は何をしていたのか。少なくともここまで他の美術評論家をコケにするなら,出典は明らかにすべきだろう。

先頭 表紙

なるほど、確信犯ですかい? 私なんか美術について幼稚園生以下の知識しか持ち合わせないので、もしこれを最初に読んでしまったら大変なことになっていたかも知れません。まあ、この先も、美術について興味を持つことはまずないと思われますので安心ですが。 / こすもぽたりん ( 2001-02-11 01:05 )
「とんでも」さんというのは,全般に,その人独自のパラレルワールドにとっぷり浸かっていて,内容の是非を抜きにすればいっそ爽やかな印象さえあるように思うのですが,この人はそれなりにわかった上でやってるような気がします。「みづゑ」あたりに原稿掲載を断られ,既存の美術評論界に逆怨み骨髄,とみた。 / 烏丸 ( 2001-02-10 17:08 )
こんなところに「と本」があったとわっ。 / こすもぽたりん ( 2001-02-10 14:34 )
烏丸は美術については(も!)アマチュアもいいところですから,だまされるのはしょうがないのですが,だますならだますで上手くだましてほしいものです。そもそも「美術の新たな枠組みを模索する」とやらはどうなったのやら……。 / 烏丸 ( 2001-02-07 16:54 )
美術評論と題されながら、きちんとした評論にならず、酒場のホラフキーな話レベルのモノって結構多い気がします。また反対に木を見て森を見ず…のようなものも。ちょっと寂しくなります。 / TAKE ( 2001-02-07 16:32 )
モネ「日傘の女」についての我田引水も爆笑モノ。妻カミーユを薄幸のうちに死なせたモネが,動揺のあまり顔を描き込めなかったってあんた……モネの人物像は顔なしだらけでしょに。ブルトンの宣言を『シュールレアリスト宣言』と表記するのも,それだけで読んでないこと見え見え。「ト」じゃなくて「ム」。それから……ああもう,キリがない。 / 烏丸 ( 2001-02-06 12:58 )

2001-02-05 本の中の名画たち その七 『怖い絵』 久世光彦 / 文春文庫


【絵というものは,たいてい怖い。】

 小学館のプチフラワー昭和55年(1980年)春の号から連載された佐藤史生の『夢見る惑星』に登場する「竜の谷」の盲目の神官エル・ライジアは,翼竜の子を助けようとして墜死する前に,主人公イリスにこう語る。

   ……わたしは
   わたしには 動物はすこし 苦痛なのです
   生き物よりはモノが モノよりは観念が わたしには ありがたい

 後になって,この言葉を何度思い出したことだろう。
 それから数年後,この言葉に癒された者がどれほどいただろう,まだ,1980年。エル・ライジアは,作中の役柄そのままに,この国にあふれるある種の若者たちの痛みを幻視したのか。

 稀有なSFコミック『夢見る惑星』についてはいずれきっちりとカタをつけるとして(無論,自信はない),エル・ライジアほど極端ではないにせよ,烏丸も少しばかりナマの人間は苦手だ。それを押し隠して口に糊する程度の小才は心得ているが,できるなら私小説は読まずにすませたい。同じ小説なら私小説的な要素は少ないほうがよい。濃すぎる人間味に対しては,体中の浸透圧が反発するのだ。

 それでも,ときには著者の幼年時代,青年時代の実像を色濃ゆく反映した本に出会ってしまう。取り込まれてしまう。
 『怖い絵』は,TBS「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などの演出で知られる久世光彦(くぜ・てるひこ)が,学生だった昭和20年代を舞台に久世風「ヰタ・セクスアリス」を展開した,私小説。あるいは,全く逆に,昭和20年代を舞台にした「ヰタ・セクスアリス」を装った,幻想小説集である。

 収録された9つの短編はいずれも主人公が出会った「怖い絵」にからむ物語として提供される。
 全編,全ページ,死と精液がタールのようにねばついて,一気に読むのはためらわれる。実のところ私小説と言ってしまうにはあまりに技巧的で,各編のタイトルが古今の名句,名詞のパロディだったり,取り上げられる「怖い絵」がバラエティに富んでいるなど,含みの多い構造になっている。
 取り上げられた絵画作品は,ロシアのイコン,ベックリンの「死の島」,生涯にわたって蝋燭ばかり描き続けた高島野十郎の蝋燭(添付画像参照),〈穢い絵を描く〉という理由で大正画壇を追放された甲斐庄楠音の「二人道成寺」,竹中英太郎が乱歩の「陰獣」に描いた挿し絵,オーブリー・ビアズリーの〈サロメ〉,少年倶楽部の伊藤彦造の挿し絵……。
 それぞれの作品の中で〈私〉は女や友人と知り合い,別れる。かなり苛烈な事件も,「怖い絵」に対する鑑賞を交え,感情を抑えた文体で淡々と語り,その分,全体が低周波でブウウウンと厚く揺れるようだ。昭和20年代の死は,平成10年代の死より熱っぽく,重い。なぜだかよくわからないが,そういうことだ。

 烏丸が手にしたのは文春文庫版だが,文庫としては紙質もよく,挿入されたカラーの口絵が美しい。
 その中で,「怖さ」が明確な形で濃密に匂うベックリンや甲斐庄楠音(最近では岩井志麻子『ぼっけえ、きょうてえ』のあの表紙がその作品なのだそうである)以上に心引かれたのは巻末の「ブリュージュへの誘い」で取り上げられたフェルナン・クノップフによるベルギーの廃れた都市ブリュージュの光景だった。水にけぶっていながら潤いに欠ける素っ気ない都市,過去への郷愁に見えながらまぎれもない衰退を描くその画風を好もしく思う己れはすでに4分の1ばかり死んでいるのかもしれない,などとも思う。

 ビアズレーやルドンを怖いと騒ぐほうがよほどよい,そういう健全さもあるのだ。

先頭 表紙

あ,なにをなさいますの,なりませぬ,なりませぬ……。← それはご乱心(うふっ)。 / 烏丸 ( 2001-02-05 18:42 )
仮面ライダー本郷猛は悪の秘密結社ショッカーにより…。←それは変身(トゥッ!) / こすもぽたりん ( 2001-02-05 16:21 )
このたびは担当者の手配ミスによって『夢見る惑星』の代わりに『猿の惑星』を発送申し上げ,まことに失礼いたしました。担当者は責任をとって自宅待機させておりますが……。← それは謹慎(ペシ!)。 / ス,スランプ 烏丸 ( 2001-02-05 14:45 )
いや、カンガルーの群れに突っ込んでいるに違いありません。←それは突進(ペシ!) / こすもぽたりん ( 2001-02-05 13:52 )
なるほど,今ごろ日付変更線を越えているころでしょうか。 ← それは東進(ペシ!) / 烏丸 ( 2001-02-05 12:27 )
『夢見る惑星』は現在、太平洋航路を南下中なのです。 / 美奈子 ( 2001-02-05 06:35 )

2001-02-04 『時の果てのフェブラリー ──赤色偏移世界──』 山本 弘 / 徳間デュアル文庫


【私はお前を本当の娘と思って育ててきた】

 ここしばらく探していた本である。
 もともとは1990年に角川スニーカー文庫から発行された作品だが,そちら方面にあまりアンテナを張っていなかったため,気がつく前に絶版になっていた。神田の古書街で本腰を入れて探すかと思っていたところに今回の徳間デュアル文庫からの再発,正直言って助かった。もっとも,アニメーター・後藤圭二によるこの表紙はあんまりじゃないか,とは思うのだが。

 さて,本書を探していた理由だが,ハードSFとして近年にない秀作であるとファンの間でささやかれていた……なーんてことより,なんといっても『トンデモ本の世界』で一世を風靡した“と学会”会長の代表作だからである。『史上最強のオタク座談会 封印』の参加者でもある山本弘,他人にそんなにつっこむなら,自作はどうよ……ノンノン,この烏丸がそんなイヂワル言うわけないでしょ。現代SFの旗手として期待してのことですわ。おほほ。

 さて一読,感想である。トータルとしては,「うむ,おぬしのSFスピリット,しかと拝見した」感じであろうか。
 2013年,地球上に突如として発現した異常地帯〈スポット〉。周辺は暴風雨が吹き荒れ,その中心に近づくほど重力が小さくなり,金属は発熱し,さらに時間の流れが何倍にも早くなって,スペクトルが赤方に偏移して太陽や空の色が変わる。6か所の〈スポット〉は,北緯35度と南緯35度線上にきっちり経度60度ずつずれ,地球に内接する正八面体の頂点を形成する(びゅーてほー)。軍はあらゆる科学的調査を拒むこの〈スポット〉を解明するため,直観的認識の超能力者たる11歳の少女をセラミックエンジンの特殊車両で〈スポット〉内部に送り込む。
 眼や耳から入力された大量の情報をチョムスキー文法に変換する段階で切り捨てる脳の認識の仕方が人知の枷となっている,というオムニパシー理論もなかなか秀逸だ。

 しかし,小説としては,絶賛するにはいたらなかった。
 まず,フェブラリーの父親,バートがうるさい。娘を心配する気持ちはわからないではないが,最初から最後まで感情たれ流しなのはさすがに鼻につく。こういった,宮部みゆきの作品にもよく登場する直情型,端的に言えば感情ラウドスピーカーは苦手だ。
 第二に,主人公・フェブラリーについて。超越的な情報処理能力オムニパシー,つまり世界の認識の仕方が特異な者が,人間関係や人類への責任について,通常の小説内少女と似たり寄ったりの反応をするのはどうか。生まれながらに他者の心を読める少女は,他者と交わるために演ずることはできても,常にアウトサイドにはみ出していくのが自然ではないのか。
 萩尾望都が火星生まれの超能力者を描いた『スター・レッド』では,主人公の透視能力について,「第一に視点が固定されてない 第ニにこの構図には消失点がない 第三に多数のベクトルで物をとらえている」「なまじ視力がないから視覚に制限がないのだ」と分析した研究者が「視覚がそうなら意識も変わってくる」「怪物的な異常の域に入ってしまう」と恐怖にかられるシーンがある。
 SFならではの想像力,そして物語作家としての厳しさは明らかに萩尾望都のほうが上だろう。

 結局,ハードSFとしての骨格は見事だが,その周辺の脂肪はやや甘,といったところか。
 それでも,こんな表紙のわりには(くどい),お奨めである。アニメやゲームとの間の境界線を喪いつつある時代のSFを考えるには格好のテキストといってよいかもしれない。

先頭 表紙

この表紙は……探していた本だから手に取りましたが……おたく文化寄りの烏丸でも,ちょっと(かなり)抵抗がありました。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:22 )
冗談でなく、こういう表紙って読者を限定してしまうと思うのですがどうなのでしょう。少なくとも私のような浦島人間で「と学会」についても知らなかったりすると、それこそこちらのような書評を拝見しない限りはまず手にとらない……。表紙のイメージって、作者の希望を反映して決まるものなのでしょうか? / 美奈子 ( 2001-02-05 06:50 )
<スポット>の設定は見事ですね。おもしろそう。オムニパシー理論にも食指をそそられます。90年といえばチョムスキー流生成文法理論がまだ華やかなりし頃。今になって拝見すると、いろいろつっこみどころがありそうですね(ニヤリ)。←「イヂワル」かしら?(笑) / 美奈子 ( 2001-02-05 06:41 )

2001-02-03 『日本経済に起きている本当のこと』 糸瀬 茂 / 日本経済新聞社


【健全な淘汰への道】

 以前,ピッキング対策について教えていただいたテクニカルライター・駒沢丈治氏ご推奨の1冊である。
 著者・糸瀬茂氏は1953年福岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業後,第一勧業銀行(その間,スタンフォード大学経営大学院にてMBA取得),ソロモン・ブラザーズアジア証券ディレクター,ドイチェ・モルガン・グレンフェル証券東京副支店長,長銀総合研究所客員研究員などを経て現在は宮城大学事業構想学部教授(担当は金融論,会計学,ビジネス英語)。
 本書はテレビ東京の報道番組「ニュース・モーニング・サテライト」のインターネット版に1999年10月以来毎週連載されている「糸瀬茂の経済コラム」の1年分,48話を単行本化したもの。

 扱われた話題からその1年を振り返ると,商工ローン事件,ペイオフ全面延期,東京都の外形標準課税導入,ネットバブル,小渕総理逝去,日債銀譲渡,そごう民事再生法申請,沖縄サミット……など,経済・金融については(たとえば三洋証券,北海道拓殖銀行,山一証券等がばたばたとつぶれた1997年秋に比べれば)おしなべて平穏だったように見える。しかし,それは財政赤字など重要な問題を先送りしたことによる穏やかさでしかないと著者は指摘する。

 たとえば,商工ローン事件の背景として,本来市場から退出すべき中小業者が(このゼロ金利時代に)40%の金利を支払ってまで生き延びようとすることの意味合いを認識すべきと本書は説く。つまり,政府は,実質的に破綻している中小企業をバラマキ政策でやみくもに延命させるのではなく,破産法制の整備等によって市場からの退出,再編入を容易にし,一方で雇用の流動性を高めるべきだというのである。なるほど,弱者救済という耳ざわりのよい理由付けでなんとなく保護政策を容認してしまってきたが,ことはそう簡単ではない。

 また,個人的には,今後の人材の時価評価について,たとえば銀行員を時価評価していった場合,現在より収入が大幅に改善する者,なんとか現状の給与水準を維持できる者,収入が下がる者,雇用そのものが維持できなくなる者がそれぞれ10%,20%,50%,20%ぐらいになると予想されるのに対し,主観的な比率,すなわちもし従業員に対してアンケートを取るとその結果がそれぞれ10%,80%,10%,0%になる,という話が面白かった。烏丸はもともと比較的実力主義,流動性あり,契約社員率高しの業界を志向してきたし,勤めた会社もたまたまいずれも外資系みたいなところばかり(笑)だったのだが,銀行,生保など,従来絶対的な安定,保証を約束されてきた従業員の心持ちはいかばかりか,想像するだに興味深い。

 結局,著者の主張は,情報開示とフェアな淘汰に基づく健全な金融,雇用ということに尽きるのではないかと思う。
 個々の指摘については反論の余地もあるかもしれないが,全体には実に面白いコラムだった。このような問題で最も危険なのは危機に対する「不感症」であり,本書は神経細胞を鋭く刺激してくれるからである。
 ただ,それほどの著者にして,堺屋経済企画庁長官(元)を批判することに遠慮があるような書き方だったのは残念。あの景気天気予報は,子供たちに聞かせたくない平成の悪文の1つである。もし国民の意欲と景気浮上のためにあえて,というなら,それは大本営発表とどこが違うのか。

 なお,著者は昨夏に食道癌であることが判明し,現在は治療のためにコラムを休載しているとのこと。1日も早い快癒と復帰を祈りたい。

先頭 表紙

結局,バラマキ政策や保護政策を,一括して是非を語るのは無理だろうと思います。日頃,烏丸が感じているのは,IT関連についても,インパクや講習会券のバラマキよりは規制緩和を進めるべき,ということですが,こう書くとバラマキ全面否定側に入ってしまう。経済,金融本に踏み込みたくないのは,そういう全面支持,不支持に話が転がりがちで,しかも各論となると一部企業やお役人の腹芸に左右される,という構図が面倒だからです。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:19 )
(昔に比べればずいぶん)人材の流動化が進んだように,中小業者についても,退出,再編入の自由化は進んでよい。破綻しているように見える中小業者の中にも,守るべきと,退出させるべきはあるでしょう。十把一絡げに語るつもりはありません。そのあたりの段落の言葉遣いは,「背景に」「意味合いを認識」等,いちおう慎重に,どちらにも荷担しないように書いたつもりだったのですが……。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:18 )
烏丸は,中小業者に対する著者の論調を「事業者金融業者などから高金利で資金を調達している企業を、一口に「本来市場から退出すべき中小業者」とする」とは読みませんでした(著者に対するそういう反駁は,Webサイト上でも既読)。そうではなく,「事業者金融業者などから・・・の中の,「本来市場から退出すべき中小業者」」と読むべきだと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:15 )
経済,金融に関しては議論に参加できる技量はありませんので,これは反論というわけではなく。本書では,銀行やゼネコンなどの落ちこぼれ産業に対する過剰保護(という言葉が妥当かどうかはわかりませんが)については,当然のごとく攻撃的です。その上で,だからといって中小企業(弱者)に対するバラマキ型の保護政策はいかがなものか,といった程度に読みました。それは,考えるべきかと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:13 )
長くなったのでこれでやめますが、「なんとなく保護」されてきたのは中小企業ではなく銀行でしょう。リスクを計量できないような銀行が自然に淘汰されるような金融システムこそが「フェアな淘汰」であって、はじめに銀行ありきではないと思うわけです。長文失礼しました。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:28 )
日本では、リスクを取って高いリターンをあげたからといって、それに見合う報奨があるわけではありませんし、そもそも集団無責任体制ですのでリスクを取りたくとも取らせてもらえないという事情もあります。一方アメリカには、2000年時点で約5,840億ドルのハイ・イールド・ボンド市場があります。この機能を過渡的に代替しているのが、事業者金融業者と考えています。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:27 )
日栄や商工ファンドの起こした事件は根抵当を悪用した犯罪行為であることは明白ですが、その件と中小企業の資金調達難は切り離して考えるべきでしょう。問題なのは、日本の金融市場には直接・間接を問わず、倒産確率が比較的高い企業のファイナンスの場、すなわち、ハイ・イールド・ボンド(高利回り債券)やローンの市場がないことでしょう。それは、リスクとリターンをきちんと計量できない日本の銀行や証券会社の責任と思うわけです。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:26 )
事業者金融業者などから高金利で資金を調達している企業を、一口に「本来市場から退出すべき中小業者」とする著者の意見は疑問です。「銀行が『融資に値せず』と判断した企業は市場の落ちこぼれ」なのでしょうか。「高金利で資金を調達する→高いリスクプレミアムを払っている→倒産確率が高いと市場に認識されている」という流れはもちろん正しいですが、倒産確率が高い企業即ち市場から退出すべき企業ではないわけです。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:26 )

2001-02-02 [雑談] マンガにおける触媒的主人公について(『観用少女』(朝日ソノラマ),『バジル氏の優雅な生活』(白泉社),『おかみさん』(小学館))


 化学反応に際し,それ自身は変化しないが,他の物質の化学反応の仲立ちとなって反応の速度を速めたり遅らせたりする物質のことを触媒という。アンモニア合成の際の鉄化合物,油脂に水素を添加する際のニッケル,体内の加水分解を促進する酵素(アミラーゼ,リパーゼ等)などがそれにあたる。

 たとえば。
 川原由美子『観用少女』におけるプランツ・ドールたちはまさしく触媒のような働きをする。愛に惑い,欲にかられ,夢に振り回されるのは彼女と出会った人間たちのほうで,彼女はただ静かに見つめられ,フワフワしているだけだ。

 もしくは。
 坂田靖子の代表作の1つ,『バジル氏の優雅な生活』を見てみよう。この作品中,化学反応,すなわちリアルな人間社会の中で生きているのはフランスから来た孤児ルイであり画家ハリーであり議員ウォールスワースであり詐欺師アーサーであり……ディレッタントたるバジル卿は彼らにかかわり彼らの人生を変化させるが自らは変わらない。いや,そんなバジルがより強力な触媒的存在に振り回されるからこそエジプト編は全編の中でよく言えばアクティブ,悪く言えば浮いた印象が強いわけだが。
 触媒という観点を用いれば,坂田靖子の作品の魅力はもっといろいろな角度から語れそうな気がする。「エレファントマン・ライフ」における隣人,「タマリンド水」の村,「浸透圧」の異界,そのほか竜の研究家,わらわ,闇月王,叔父様などなど。対象が触媒であることによって保証される突飛で素っ頓狂だが安全なストーリー。そして,対象が触媒でしかないことによってもたらされる永遠の喪失感。「砂浜の家」など,坂田靖子の夫婦モノ,恋愛モノがときに異様なまでにうら寂しいのはそのせいではないか。

 あるいは。
 残念ながら相撲マンガとしてちばてつや『のたり松太郎』ほど世評は高くないが,一丸の『新米内儀相撲部屋奮闘記 おかみさん』(全17巻)。
 主人公・山咲はつ子は,新興相撲部屋のおかみさん。そのはつ子が,夫の山咲一夫(春日親方),その弟子の夏木(のち花嵐),高田(のち逆波),咸臨丸,桜丸,堂々力,真弓,初音,道灌山,高崎山,玉置らとともに送る日々を一話完結でほのぼのと描く……世評ではそういうことになっている作品である。
 少し,違わないか。

 はつ子は弟子たち一人一人の出世,苦戦,引退に泣き,笑い,怒る。しかし,「底抜けにドジだが明るくはつらつ,いざとなるときりりと強い」彼女のキャラクターは実は連載開始時点で(春日親方との結婚にいたる経緯の中で)ほぼ完成している。彼女はなるほど魅力的ではあるが,彼女を化学反応の軸として見るならこの設定は17巻も続くほどのものではない。では,これはいったい誰の物語なのか。
 『おかみさん』は,実のところ,高田(のち逆波)という,無骨で無口で性格的にもやや難のある力士の物語なのである。おそらく,作者も当初はそのつもりはなかったに違いない。連載開始当初,高田は弟子のその他大勢の1人でしかなかった。
 しかし,脇役としてしか描かれてなかった彼が3巻めで十両に上がるときについあふれさせた涙,ここでこの作品は初めて相撲マンガとしての骨格を持つ。相撲ファンの老人の話,ライバル喜屋武,その妹との不器用なロマンスなど,彼を主人公に置いた挿話には味わい深いものが少なくないが,それだけではない。結局のところ,この17巻の中で純粋に強さを求めた力士は彼一人であり,『おかみさん』ははつ子を触媒に欠損,欠落だらけの高田が逆波という力士としての人生を手に入れる物語なのである。

先頭 表紙

TAKEさま,『播磨灘』はとうとう最後まで仮面や反逆について,なんの説明もありませんでした。きっと作者も考えてなかったに違いない……。でも,それでぜんぜんかまわないのでした。ただ,10巻を越したあたりから,1冊でせいぜい2,3取り組みしかしなくなったのはちょっと……。 / 烏丸 ( 2001-02-03 03:26 )
ヴァニラさま,またいつの日か(中毒が再発したら?),スウィートな日記をお願いいたします。(ちなみに,烏丸は雑誌がふまじめ,とは思っていません,いや,雑誌こそ烏丸の……) / 烏丸 ( 2001-02-03 03:23 )
逆波は「への字」口の彼ですね。ぼくも『ああ播磨灘』、好きだったです。 / TAKE ( 2001-02-03 03:17 )
鳥丸さま、メッセージありがとうございました。雑誌ばっかりじゃなくて、まじめに本読みます。 / ヴァニラ ( 2001-02-03 02:47 )
相撲マンガといえば定番はちばてつや『のたり松太郎』ですが,烏丸的にはむしろ変格のなかいま強『うっちゃれ五所瓦』,さだやす圭『ああ播磨灘』,岡野玲子『両国花錦闘士』等のほうが好み。マンガ以外では文春文庫のもりたなるおの相撲小説集『貴ノ花散る』『金星』『土俵に棲む鬼』がお奨めです。 / 烏丸 ( 2001-02-02 17:01 )
「花嵐」「逆波(さかなみ)」というのは,部屋の弟子に主人公が知恵をしぼって付けたしこ名ですが,親方の現役時代のしこ名「山風」を足して,それに花のある相撲を,という前者といい,本当にあってもよさそうなよいしこ名だと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-02 16:55 )

2001-01-31 『何もそこまで』 ナンシー関 / 角川文庫


【そこは私も大人になるが】

 1996年に世界文化社から刊行された単行本の文庫化である。
 収録された消しゴム版画とコラムはいずれも1995〜1996年にかけて発表されたもので,初出はざっと4分の1が「噂の真相」,4分の1が「広告批評」,残りの2分の1が「週刊文春」(1996年3月7日号まで)。
 おや。文藝春秋社からは『テレビ消灯時間』なる単行本が3冊発売されているのだが(うち2冊は文庫化済み),その1冊目の初出は,週刊文春の1996年3月14日号から,となっている。
 つまり,『何もそこまで』には『テレビ消灯時間』にまとめられるより以前の週刊文春掲載約1年分が収録されているということであり……文春は,自社の週刊誌の連載記事を他社に取られたということか。それとも,ナンシー関なんぞ単行本化するほどのことはあるまいと当時は軽んじていたのか。
 いい度胸じゃないか。

 それにしても1995年当時ともなると,さすがに内容が古い。
 藤田朋子のヌード写真集トラブルなんてあぁそういえばと温泉の湯気の彼方だし,貴乃花と河野惠子の結婚に日本中が沸いたと言われても,それからの花田家のあれこれを思い起こせば奈良時代のスキャンダルのようなものだ。

 それにもかかわらず,読み応えがあるのは,なぜか。
 ごく単純な話として,ナンシー関の読みの確かさがある。山口美江について「ある種のステージから完全撤退したのである……もっと注意深く見つめていたなら,『○年○月○日をもって撤退』というところまで確認できたかもしれない」,ぎりぎり好感度1位を保った山田邦子について「振り向けば,誰もついて来ちゃいないのである」,田原俊彦について「トシちゃんは,『いいとも』のレギュラーになってしまった事で,『いいとも!』と許可・許諾を発令する権利を失ってしまったのである。これが哀しさの原因かも」。彼らののちの推移を思い起こせば,著者の指摘がいかに的確だったかわかる。
 和久井映美主演のドラマ『ピュア』について「障害者を扱うことは,もうリスクではないのか。きれいに描きさえすればリスク無しのハイリターンか」,これも最近のいくつかのドラマのヒットの裏表を言い当てて凄い。

 しかし,それだけではない。
 扱われているタレントや話題が古いからこそ,見えてくることもある。
 ナンシー関はタレントにこだわっているようで,実はタレント当人にこだわっているわけではない。彼女はタレントの言動,テレビ局の姿勢から何かを抽出し,蒸留する。彼女が最も得意とするのはタレント当人,その周辺のテレビ関係者,そして視聴者が順に何かを「容認」していく不愉快さの構図である。母であるから,障害者であるから,一生懸命であるから,ベテランであるから,等々,なにかと適当な理由をつけてはテレビの中で無頓着に「たたえて」しまうシステムへの疑念である。そして,裕木奈江で立てられた仮説が藤田朋子で立証されるなら,それは再現性があるということであり,それはすなわち論理科学の領域だ。

 もっとも,本書ではナンシー関の攻撃はまだまだ甘い。この時点では,消しゴム版画のほうが本文より格段に能弁であり,エッセイ本文は力学が理論として構築されつつあるといった時期で,文体が完成し,ピンポイントなミサイル爆撃にいたるのは少し後の『テレビ消灯時間』の1を待たなければならない。
 ……待てよ。すると,単行本化についての文春の判断は正しかったということか。

 それにしてもアメリカに皿洗い充電に消えた吉田栄作,今どこでどうしてるんだ。どうでもいいが。

先頭 表紙

しっぽなさま,わが家では週刊文春は家人が購入してくるのですが,その目的は中村うさぎのエッセイを読むため,というのです。く〜っ,夫婦断絶。 / 烏丸 ( 2001-02-03 12:11 )
今週号か先週号だかの『女優・杏子』のテレビ消灯時間も面白かった!うんうん、そうだいねえ、そうだったんか!って。ナンシー、がんばれ。その調子。 / しっぽ ( 2001-02-03 08:27 )
おお,撫子さま,もちろん拝読させていただきましたが,つっこみは遠慮させていただきました。理由は簡単,烏丸,本屋でデートの待ち合わせなどしたら,相手などほったらかしですし,本屋で待ち合わせて本屋に向かうことになって百年の恋人も逃げ出してしまいます(よく家人に見捨てられないものだ……)。 / 烏丸 ( 2001-02-02 11:57 )
撫子の本屋さんでの待ち合わせはどうでしょう!?鳥丸さま! / 撫子 ( 2001-02-02 05:07 )
okkaさま,烏丸思うに,切られている側が,自分のどこをどう切られたか,きちんと認識できるのかどうかという点は多少興味のわく問題ではあります。興味はあるが別に知りたくはない,といったレベルの興味でしかありませんが。 / 烏丸 ( 2001-02-01 12:36 )
ナンシー関 電線でもまな板でも切ってしまう包丁のように小気味いいですね。 / okka ( 2001-02-01 08:13 )
なるほど,現役で役者さんやっているのですか。ふうむ。ところで,吉田栄作って,吉田茂の吉田と,佐藤栄作の栄作を足した芸名,と認識しているのですが(違うのかしらん),どうしてそんなダサダサな……。もう1点,アメリカ充電の前,紅白で「心の旅」を歌った彼には仰天しました。人は,これほど,歌詞の内容に無頓着に歌を歌えるのか,と。それはそれで才能であったように思いました。 / 烏丸 ( 2001-01-31 19:18 )
栄作、赤穂浪士になって討ち入りしたり、川に流されて消息不明になったり、今井美樹に婚約解消されたり、細々役者してます。皿洗いはやめた模様(笑)しかし、ナンシーの理論で行くと今人気絶頂のKタク氏は今後ださださの道まっしぐらなのか、また当たりそうだわ。 / よこ ( 2001-01-31 14:41 )
「青森のホストはほとんど津軽弁を喋る。標準語ではモテない」という「考えるほどに味のあるネタ」(ナンシー関)もディープ。 / 烏丸 ( 2001-01-31 12:02 )
「キューピー3分クッキング」の1万回記念メニューが「ハンバーグとポテトサラダ」だったというネタには目頭が熱くなりました。人間,かくありたいものです。 / 烏丸 ( 2001-01-31 12:00 )

2001-01-29 [雑談] マンガの中の人肉食


 さて,せっかくだから人肉食を扱ったマンガをニ,三紹介してみよう。
 ……と調べてみたところ,そのいくつかはすでにひまじんネットでも取り上げられていたのであった。人肉食をテーマにするのはぎりぎりのタブーを扱うことであり,自然テンションの高い作品が多いということか。

 たとえば,生きることをとことん否定し,それでも否定しきれないものを抽出しようとした,いわば人生へのジャンプボードのような(その意味ではPTAが拒絶反応を示したのは逆。むしろ夏休みの課題図書に毎年選びたい)ジョージ秋山『アシュラ』は,やはり飢饉と人肉食をテーマにした山岸凉子『鬼』の紹介文の中で話題にした。
 ホラーの装いを借りて心の闇にナタを入れる楳図かずおは,当然のように人肉食を何度か話題にしている。『漂流教室』もよいが,ここはガダルカナルで人肉を食べて生き延びた父親とその息子の相克を描く『おろち』の「戦闘」を強く推したい。1960年代後半の中編だが,父子が互いに激しい思いを抱きつつ雪山に消える最終シーンまで間断なく人の優しさと暴力を問うこのような作品に対しマンガだからと素通りせざるを得なかった芥川賞等がのちに権威を喪うのは当然であった。
 そういう重ったるいのはいや,ただ悪趣味な本が読みたいの,という向きには黙って唐沢俊一,ソルボンヌK子『大猟奇』。ぬたぬたの死体とウジで溢れたこの1冊,朝昼晩の食事前に読み返せばそうー奥さん,ダイエット効果だって(みのもんた調)。

 最近の作品では,たとえば軽部華子『くみちゃんのおつかい』,諸星大二郎『栞と紙魚子』がお奨めだ。いずれも体液,もとい退役されたケロロ軍曹の紹介であるが,とくに後者に登場し,包丁を持つと「こ…こうなりましたら…じ…じ…人肉ですわ! 人肉でバーベキューパーティーですわ!」と暴れ出す鴻鳥友子は生唾が沸くほどらぶりー。

 ここに週刊ヤングサンデーの1996年9月26日号(No.41)がある。小学館が自主回収に走った1冊である。問題になったのは沖さやか『マイナス』,キレた女教師・恩田さゆりを描く作品で,この号では生徒の別荘に向かうハイキングの途中,主人公たちが遭難。出会った迷い子の少女が崖から落ちて死んだのを,さゆりが食べる。
 凄いのは,猟奇性も相克も何もないことだ。さゆりは一瞬のためらいもなく少女の死体を焼き,食べてしまう。なにしろもともとが目先のトラブル回避のために生徒を殺してしまう主人公だ。そのあまりにからっとした展開に,編集者も虚をつかれたのか。後で騒ぎにはなったが,どうとらえてよいのか未だによくわからない作品ではある。作者は,自分が描いているものをよほどよくわかっているか,まるでわかっていないか,どちらだろう。

 最後に人肉食そのものはソフティケイトされているが,内容としてはディープな作品を1つ。
 樹村みのりが1974年に少女コミック増刊フラワーコミック冬の号に発表した『ヒューバートおじさんの優しい愛情』は,その少し前に虫プロ商事の雑誌ファニーの次号予告に掲載が予告されながら雑誌休刊のため宙に浮いていた問題作。小学館に拾われ,目に触れることになったのだが,これが凄い。主人公の叔父が愛する妻を本当に食べたかどうかは最後までわからないが,主人公の少年の成長物語として,全編名シーン名セリフの塊のような逸品である。

先頭 表紙

これはいらっしゃいませ,ヘロヘロ共和国さま。『20XX』は不勉強にして存じませんでした。さっそく探してみます。なお,異星の習慣として,相手を愛しているから食べる……というのは,下の『猟奇文学館3』収録の筒井康隆「血と肉の愛情」がまったくそういう設定です。機会がありましたらご一読ください。 / 烏丸 ( 2001-02-03 03:19 )
はじめまして。清水玲子『20XX』(白泉社)も人肉食べる話です。とある星の原住民の風習として描かれています。その人間を愛し尊敬しているから食べて自分の一部としその人間と共に生きるという設定になっています。愛するものを生かすために自身の生命を削るか?助けることの意味は?いろいろ考えさせられる作品でした。 / ヘロヘロ共和国 ( 2001-02-03 01:03 )
新しいヘッダーを読んでいる最中に、突然FAXが動き出してドキドキしてしまいました。。私の背後には・・・ / カエル ( 2001-01-30 14:51 )
繰り返し繰り返し,永遠に……ニーチェ哲学の根幹をなす,「永劫猟奇」であります。 / 烏丸 ( 2001-01-30 00:37 )
うわぁあぁあぁ、忘れかけていた『大猟奇』がふたたびぃいぃいぃ…。 / こすもぽたりん ( 2001-01-29 22:02 )
をを,よこさま,ヒューバートおじさんをご存知ですか! ごくり(←なんだこれは)。あ,それから,『トトの世界』もそうでしたね。このほか,田島昭宇・大塚英志『多重人格探偵サイコ』(ちゃんと読んでない),手塚治虫『安達が原』など……何か,大物,忘れてそうな。 / 烏丸 ( 2001-01-29 12:21 )
ヒューバートおじさんが「その件」のコアにふれる語りの中で確かにごくりとのどをならすシーンが未だに印象に残っているのでした。私が最近の作品でがつーんときた人肉ものは「トトの世界」@さそうあきらです。 / よこ ( 2001-01-29 12:13 )

2001-01-28 『猟奇文学館3 人肉嗜食』 七北数人 編 / ちくま文庫


【うもうござった。】

 ヌルいのシュミが悪いのとぶつくさこぼしながら,発行されるたびに読んでは紹介してしまう「猟奇文学館」シリーズ,『猟奇文学館1 監禁淫楽』『猟奇文学館2 人獣怪婚』に続く3冊めにして完結編。
 仕方がない。死体と寄生虫には勝てない私である。

 今回の収録作品は
  村山槐多「悪魔の舌」
  中島敦「狐憑」
  生島治郎「香肉(シャンロウ)」
  小松左京「秘密(タプ)」
  杉本苑子「夜叉神堂の男」
  高橋克彦「子をとろ子とろ」
  夢枕獏「ことろの首」
  牧逸馬「肉屋に化けた人鬼」
  筒井康隆「血と肉の愛情」
  山田正紀「薫煙肉(ハム)のなかの鉄」
  宇能鴻一郎「姫君を喰う話」
の11編。
 やはりどことなく甘い印象があるのは,1つにはSFをどう位置づけるかについての明確な意識なしに漫然と小松や筒井から作品を選んでいるように見えること。村山槐多と中島敦と生島治郎と小松左京と杉本苑子をこの順に並べるなら,なんらかの覚悟がいるだろう。最近はいらないのか。
 次に,3冊めにいたって突然実在の食人鬼についてのノンフィクション(「肉屋に化けた人鬼」)を混入させたこと。ルール違反というわけではないが,なんとなく「ずるい!」ような気がする。それなら逆に,1冊めの『監禁淫楽』に最近の監禁事件を詳細に載せる手もあっただろうに。
 もう1点,3冊いずれにも宇能鴻一郎の作品を選んでいること。宇能は「課長さんたら,ひどいんです」文体でエロ小説を量産する前は,いわばストロングスタイルの本格派小説家だった。が,今回収録された3作はいずれも聞き書きの形をとり,巧緻ではあるがこと猟奇に限定すればやや情緒に流れるというか,穏やかさ,上品さが目立つ。

 もちろん,再三書いた通り,本シリーズに収録された作品群は,1つ1つ文学作品としてみればいずれ劣らぬ傑作揃いで,このような文句を言われる筋合いはない。
 結局のところ,解説に「(インターネットで「カニバリズム」「人肉嗜食」という語を含むサイトを検索したところ)猟奇アンソロジストの私でさえ目をそむけたくなるような過激なものから」とあるように,編者の七北数人が根っから猟奇趣味ではないということが問題なのかもしれない。
 猟奇アンソロジストを自称するなら,そのようなサイトにも目をそむけず,いやむしろ舌なめずりして見入るのが妥当と思われるが,如何。

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 ところで,こういうところで夭逝詩人・村山槐多(1896-1919)の名前が出てくるのは嬉しいようなくすぐったいような気分である。槐多の詩のいくつかは,遠い昔,テロリストになることを夢見つつ日々口ずさんだ,いわば心のテーマソングであった。


   四月短章(第四章)

 血染めのラッパ吹き鳴らせ
 耽美の風は濃く薄く
 われらが胸にせまるなり
 五月末日日は赤く
 焦げてめぐれりなつかしく

 ああされば
 血染めのラッパ吹き鳴らせ
 われらは武装を終へたれば。


   血に染みて

 血に染みて君を思ふ
 五月の昼過ぎ
 赤き心ぞ震ふ
 あはれなるわが身に

 はてしらぬ廃園に
 豪奢なる五月に
 君が姿立てる時
 われはなくひたすらに

 わが血は尽きたり
 われは死なむと思ふ
 豪華なる残忍なる君をすてゝ
 血に染みて死なん。
 

先頭 表紙

「四月短章になぜ五月」の件ですが,手元の槐多詩集やアンソロジーではとくに触れていませんでした。……となると,よけい気になってしまいますねえ。ただ,全体にこの人の季節感はむちゃくちゃな感じはしますね。語調やイメージ先行,だったのかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-01-30 20:56 )
人肉食についてはお聞きしてみたいことなどあるのですが、この場ではやや気が引けると申しますか。どうしようか、ただ今考え中なのです。 / 美奈子 ( 2001-01-30 06:29 )
心貧しき本読みの本懐。 / 多謝多謝 ( 2001-01-30 06:22 )
(誰にともなく)「つっこみ返しなし」を真に受けて(魔に受けて?),およそ烏丸に似合わぬメッセージをつっこんでしまいました。こっぱずかしー。 / 烏丸 ( 2001-01-30 02:14 )
『悪魔の舌』読みました。『殺人行者』もなかなか。しかしこれが中学生の書く小説ですかね…。似たような友人が一人、高校時代にいましたが。やはり死んでしまいましたけどね。 / 美奈子 ( 2001-01-29 22:18 )
なんだかいつもお尋ねしてばかりですみません。『四月短章』の中になぜ「五月末日」なのかな?と、ふと思ってしまったものですから。仰せの通り、詩人の愛用する言葉のイメージには特段の理由などないかもしれませんし。 / 美奈子 ( 2001-01-29 22:11 )
そういえば,『悪魔の舌』も「五月始めの或晴れた夜であつた」で始まります。個人的には,春を過ぎて,濃密な腐乱の始まる季節,という認識でいましたが,もしかしたらちゃんとした理由もあったかもしれません。今度,調べておきます。 / 烏丸 ( 2001-01-29 11:49 )
なぜ「五月」なんでしょう? 5・15事件との関連かなと思いましたが、もっと前の時代の人なんですね。 / 美奈子 ( 2001-01-29 06:01 )
これは大天使ミ・カ・エルさま,宇能鴻一郎については,編者の趣味が丁度シンクロした感じだったのでしょうか。烏丸的には,もう少し過激な趣味のほうにシフトしてくれると嬉しかったのですが……。 / 烏丸 ( 2001-01-29 01:53 )
宇能鴻一郎は猟奇文学館シリーズ全3冊にエントリーですね。これは選出者の趣味なのでしょうか。それとも、やっぱり宇能さんはその道では外せない大家なのでしょうか? / カエル ( 2001-01-29 01:01 )
槐多は1919年に亡くなっていますから,著作権は問題ありません(国内では作者が亡くなって50年,権利が保持される)。念のため。 / 烏丸 ( 2001-01-28 01:47 )

2001-01-27 『鳥 デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア,務台夏子 訳 / 創元推理文庫


【見て,父さん。ほら,あそこ。カモメがいっぱい】

 「本の中の名画たち」は少しお休みさせていただき,このところ読んだ本について,何冊か紹介を済ませておきたい。

 本書は,ヒッチコックの映画『レベッカ』『鳥』の原作者,ダフネ・デュ・モーリア(1907-1989)の作品集である。
 ……と書いて,我ながら愕然としてしまう。『レベッカ』と『鳥』の原作者が同じ人物であることはなんとなく知っていたのだが,いつごろの,どのような作家なのか,全く意識したことがなかった。『レベッカ』はなんとなく『嵐が丘』や『ジェイン・エア』と同時期の小説のような気がしていたし,『レベッカ』が女流作家の手によるものであることを知っていながら,同一人物であるはずの『鳥』の作者が女性であると意識したことはなかった。

 デュ・モーリアは,代表作の大半を邦訳,紹介されていながら,そのように,全体像のはっきりしない作家の1人のようである。というわけで東京創元社ではデュ・モーリア復興というか,主だった作品を復刊,あるいは改訳し,創元推理文庫で再度世に問う予定のようだ。今回,この短編集『鳥』を手にして,十分それだけの価値があるように思われた。
 『鳥』は小説8編からなるのだが,ずっしり厚くて総ページ約550。1編あたり70ページ弱ということで,短編集というよりは中編が束ねられた印象である。しかも,そのそれぞれが実に巧い。
 哀切な青春サスペンス『恋人』,鳥たちが突然人間を襲い出す『鳥』,フランス心理小説風の『写真家』,とくに霊や悪魔が登場するわけではないが静かな苛立ちと恐れに満ちたホラー『林檎の木』,ショートショート『番』,ある日外出から帰ってみるとヒロインの家は見知らぬ連中に占拠されていた……不条理な事件の真相がなんとも切ないサスペンスホラー『裂けた時間』,幸福な妊婦の突然の自殺の原因を追う『動機』と,ジャンル的にもバラエティに富む。ことに,山の神秘と山頂の僧院の謎を描いた『モンテ・ヴェリタ』の尋常ならざる迫力は,なんと言い表せばよいのか。
 それぞれの物語は,最後まで読むと事件の全貌が明らかになり,再度初めから読み直すと,作者がいかに周到に細部を構築してきたかがよくわかる,そんな仕組みになっている。いずれの作品もテーマを無理やり言葉にすれば「愛と死」ということになるのだろうが,言葉にしてしまうとありきたりなそのテーマがひとたび物語に乗ったとき,その味わいは苦く,哀しい。

 もちろん,50年も前に書かれたサスペンスがすべて素晴らしいというわけではない。『写真家』など,いまや昼メロの粗筋としても陳腐な感じだし,『林檎の木』や『裂けた時間』も昨今なら別の書きようがあるだろう。しかし,それでも,(『レベッカ』『鳥』の原作者,ということもあるのだろうが)彼女の作品群を読むと,映画と小説の,まことに幸福な蜜月時代がそこにあったことがうかがえる。小説は映画のように読み手の目前に世界がダイナミックに展開することを目指し,映画は小説の与えてくれる豊饒な感動を目指す。
 小説家を映画を意識することは,現在も変わりない。しかし,現在の小説の多くは(無意識にせよ)「映画のよう」ではなく,「映画になる」ことを目指して書かれているように思われてならない。それは表現でなく産業の問題だ。
 デュ・モーリアの作品は,数十ページで,よい映画をじっくり堪能したような,腰の強い,歯応えのある,そのくせ小難しいところの皆無,そんな印象である。次回配本にも期待したい。

先頭 表紙

2001-01-26 本の中の名画たち 番外編 「新日曜美術館 ロートレック・一瞬の美をとらえる」(NHK教育)

 
 日曜日の夜のこと,家人の母が午前中に見たところたいへんよかったと電話で連絡してくれたので,普段つけないテレビの電源を入れてみました。NHK教育の「新日曜美術館」です。

 テーマは「ロートレック・一瞬の美をとらえる」,ゲストに鹿島茂,石井好子両氏を招いて,それは切ない内容のものでした。

 トゥールーズ・ロートレックは南フランス,アルビの伯爵家に生まれ,家族の寵愛を受けて育つのですが,青年期に事故で両足を骨折。そこで成長が止まり,思いきりイ走ったり馬に乗ったりのかなわぬ体になります。「馬に乗って息子と狩りを楽しむことだけ,本当にそれだけを夢見ていた」(鹿島茂氏・談)父親に見放され,彼は絵の世界に進みます。彼は,幼いころから愛してきた馬の絵を描いて父親に見せますが,父親の目には息子はもういないも同然だというのです(父親は伯爵の位さえ返上してしまったそうな。なんなんだ,こいつあ)。
 やがてロートレックはパリ,モンマルトルに出,夜な夜なキャバレーで酒を浴びるように飲みながら,軽妙洒脱な作風でスケッチに,ポスターにその才能を発揮していきます。このあたりの作品の横顔のいくつかは,ぞっとするような切れ味で,烏丸も昔から大好きでした。
 やがて,アルコール中毒で家族の手によって精神病院に入れられ,彼は正気であることを示すために記憶だけを頼りに克明なサーカスの絵を描き,シャバに出た後は娼婦の館に寝泊まりして彼女たちの姿を描き続けます。
 その胸のうちやいかに。都内の盛り場であてのない思いに荒れた時代のことを思い出し,烏丸も思わず涙ぐんでしまいましたが,並んで見ていた家人に気づかれたかどうか。穏やかな生活のロンドの中で,ときどき自分が永い永い闘いの中にあることを忘れてしまいます。血にまみれて求め続けなければ得られないものを追う身だったはずなのに。

 ロートレックは36歳の若さで死にました。彼はあざらかで残虐な作品を残しましたが,烏丸は,さて。……

 ところでこの「新日曜美術館」,紹介される美術作品や画家の来歴には文句はないのですが,以前から,作品そのものに対する評価の,あの救いようのない「ありきたり」さはなんとかならないかと不愉快でなりませんでした。ロートレックの若描きについて何度も「繊細」と繰り返したり(どう見てもそれは「繊細」でなく「闊達」なタッチなのです),シャガール展を紹介するのに緒川たまきという見かけない女優さんに絵空ごとのような「愛と希望」をうっとり語らせたり。夏の終わりの祭りのニュースに必ず「ゆく夏を惜しんでいました」と付けてしまうNHKのおばかさ加減,そのまんまです。
 絵が十ニ分に語るのなら,あとは事実を列挙してくれれば十分。愚鈍な,あるいは見当違いの誉め言葉はいっそ邪魔だということをキモに命じて欲しいものです。

先頭 表紙

作り手側としてはやむを得ないのでしょうが……ロートレックやシャガールを万人向けに解説したら,それはちょっとB級羊羹の甘さべたべたではないかと。ロートレックの一生なんて,本当は非情にキツいものだと思います。自分が彼なら,と思うとどっひゃー。ほんとはおよそお茶の間向きの人生ではない。 / 烏丸 ( 2001-01-29 01:57 )
万人向けの解説って難しいですから、NHKとかはその辺が宿命的に大変そうですね。 / TAKE ( 2001-01-27 23:42 )
ロートレックのテレビ番組見たかったなあ。確かにテレビって余計な部分に憤ったりしますよね。↓よちみの友達、そういえばちらっと聞いたような・・・。 / 未ログインフィー子 ( 2001-01-26 20:39 )
やや,失礼,これは困りました。烏丸の物言いは辛めというか他人のお仕事の全否定も平気でしてしまうようなところがありますから,直接お伝えするのはどうでしょう……。キャバレーで酔っ払い,娼婦の家で死ぬまで絵を描いた(創作者としてはうっとりですね)男の人生を,あんなふうなきれいなスタジオでしみじみ淡々語ってどうする! なんて言っていたら,美術番組というものが成立しなくなってしまいますし。そもそも烏丸の期待するような番組作りは,非常に少数派だと思います。だから,普段から,テレビは見ないのです。 / 烏丸 ( 2001-01-26 11:44 )
ありゃありゃ、「新日曜美術館」はよちみの大学時代の友達(女性)が手がけてます。とーってもマジメな優等生だったのでありきたりなのかも。機会があったらかるーく伝えてみますね〜。(っつーかまずは自分が観ろ?) / よちみ ( 2001-01-26 09:06 )

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