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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-02-03 『日本経済に起きている本当のこと』 糸瀬 茂 / 日本経済新聞社
2001-02-02 [雑談] マンガにおける触媒的主人公について(『観用少女』(朝日ソノラマ),『バジル氏の優雅な生活』(白泉社),『おかみさん』(小学館))
2001-01-31 『何もそこまで』 ナンシー関 / 角川文庫
2001-01-29 [雑談] マンガの中の人肉食
2001-01-28 『猟奇文学館3 人肉嗜食』 七北数人 編 / ちくま文庫
2001-01-27 『鳥 デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア,務台夏子 訳 / 創元推理文庫
2001-01-26 本の中の名画たち 番外編 「新日曜美術館 ロートレック・一瞬の美をとらえる」(NHK教育)
2001-01-25 本の中の名画たち その六 『ゼロ THE MAN OF THE CREATION(34)』 原作:愛英史,漫画:里見桂 / 集英社(ジャンプ・コミックス デラックス)
2001-01-23 本の中の名画たち その五 『押絵の奇蹟』 夢野久作 / 角川文庫
2001-01-18 本の中の名画たち その四 『本格推理1 新しい挑戦者たち』 鮎川哲也 編 / 光文社文庫


2001-02-03 『日本経済に起きている本当のこと』 糸瀬 茂 / 日本経済新聞社


【健全な淘汰への道】

 以前,ピッキング対策について教えていただいたテクニカルライター・駒沢丈治氏ご推奨の1冊である。
 著者・糸瀬茂氏は1953年福岡県生まれ。上智大学外国語学部卒業後,第一勧業銀行(その間,スタンフォード大学経営大学院にてMBA取得),ソロモン・ブラザーズアジア証券ディレクター,ドイチェ・モルガン・グレンフェル証券東京副支店長,長銀総合研究所客員研究員などを経て現在は宮城大学事業構想学部教授(担当は金融論,会計学,ビジネス英語)。
 本書はテレビ東京の報道番組「ニュース・モーニング・サテライト」のインターネット版に1999年10月以来毎週連載されている「糸瀬茂の経済コラム」の1年分,48話を単行本化したもの。

 扱われた話題からその1年を振り返ると,商工ローン事件,ペイオフ全面延期,東京都の外形標準課税導入,ネットバブル,小渕総理逝去,日債銀譲渡,そごう民事再生法申請,沖縄サミット……など,経済・金融については(たとえば三洋証券,北海道拓殖銀行,山一証券等がばたばたとつぶれた1997年秋に比べれば)おしなべて平穏だったように見える。しかし,それは財政赤字など重要な問題を先送りしたことによる穏やかさでしかないと著者は指摘する。

 たとえば,商工ローン事件の背景として,本来市場から退出すべき中小業者が(このゼロ金利時代に)40%の金利を支払ってまで生き延びようとすることの意味合いを認識すべきと本書は説く。つまり,政府は,実質的に破綻している中小企業をバラマキ政策でやみくもに延命させるのではなく,破産法制の整備等によって市場からの退出,再編入を容易にし,一方で雇用の流動性を高めるべきだというのである。なるほど,弱者救済という耳ざわりのよい理由付けでなんとなく保護政策を容認してしまってきたが,ことはそう簡単ではない。

 また,個人的には,今後の人材の時価評価について,たとえば銀行員を時価評価していった場合,現在より収入が大幅に改善する者,なんとか現状の給与水準を維持できる者,収入が下がる者,雇用そのものが維持できなくなる者がそれぞれ10%,20%,50%,20%ぐらいになると予想されるのに対し,主観的な比率,すなわちもし従業員に対してアンケートを取るとその結果がそれぞれ10%,80%,10%,0%になる,という話が面白かった。烏丸はもともと比較的実力主義,流動性あり,契約社員率高しの業界を志向してきたし,勤めた会社もたまたまいずれも外資系みたいなところばかり(笑)だったのだが,銀行,生保など,従来絶対的な安定,保証を約束されてきた従業員の心持ちはいかばかりか,想像するだに興味深い。

 結局,著者の主張は,情報開示とフェアな淘汰に基づく健全な金融,雇用ということに尽きるのではないかと思う。
 個々の指摘については反論の余地もあるかもしれないが,全体には実に面白いコラムだった。このような問題で最も危険なのは危機に対する「不感症」であり,本書は神経細胞を鋭く刺激してくれるからである。
 ただ,それほどの著者にして,堺屋経済企画庁長官(元)を批判することに遠慮があるような書き方だったのは残念。あの景気天気予報は,子供たちに聞かせたくない平成の悪文の1つである。もし国民の意欲と景気浮上のためにあえて,というなら,それは大本営発表とどこが違うのか。

 なお,著者は昨夏に食道癌であることが判明し,現在は治療のためにコラムを休載しているとのこと。1日も早い快癒と復帰を祈りたい。

先頭 表紙

結局,バラマキ政策や保護政策を,一括して是非を語るのは無理だろうと思います。日頃,烏丸が感じているのは,IT関連についても,インパクや講習会券のバラマキよりは規制緩和を進めるべき,ということですが,こう書くとバラマキ全面否定側に入ってしまう。経済,金融本に踏み込みたくないのは,そういう全面支持,不支持に話が転がりがちで,しかも各論となると一部企業やお役人の腹芸に左右される,という構図が面倒だからです。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:19 )
(昔に比べればずいぶん)人材の流動化が進んだように,中小業者についても,退出,再編入の自由化は進んでよい。破綻しているように見える中小業者の中にも,守るべきと,退出させるべきはあるでしょう。十把一絡げに語るつもりはありません。そのあたりの段落の言葉遣いは,「背景に」「意味合いを認識」等,いちおう慎重に,どちらにも荷担しないように書いたつもりだったのですが……。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:18 )
烏丸は,中小業者に対する著者の論調を「事業者金融業者などから高金利で資金を調達している企業を、一口に「本来市場から退出すべき中小業者」とする」とは読みませんでした(著者に対するそういう反駁は,Webサイト上でも既読)。そうではなく,「事業者金融業者などから・・・の中の,「本来市場から退出すべき中小業者」」と読むべきだと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:15 )
経済,金融に関しては議論に参加できる技量はありませんので,これは反論というわけではなく。本書では,銀行やゼネコンなどの落ちこぼれ産業に対する過剰保護(という言葉が妥当かどうかはわかりませんが)については,当然のごとく攻撃的です。その上で,だからといって中小企業(弱者)に対するバラマキ型の保護政策はいかがなものか,といった程度に読みました。それは,考えるべきかと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-05 12:13 )
長くなったのでこれでやめますが、「なんとなく保護」されてきたのは中小企業ではなく銀行でしょう。リスクを計量できないような銀行が自然に淘汰されるような金融システムこそが「フェアな淘汰」であって、はじめに銀行ありきではないと思うわけです。長文失礼しました。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:28 )
日本では、リスクを取って高いリターンをあげたからといって、それに見合う報奨があるわけではありませんし、そもそも集団無責任体制ですのでリスクを取りたくとも取らせてもらえないという事情もあります。一方アメリカには、2000年時点で約5,840億ドルのハイ・イールド・ボンド市場があります。この機能を過渡的に代替しているのが、事業者金融業者と考えています。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:27 )
日栄や商工ファンドの起こした事件は根抵当を悪用した犯罪行為であることは明白ですが、その件と中小企業の資金調達難は切り離して考えるべきでしょう。問題なのは、日本の金融市場には直接・間接を問わず、倒産確率が比較的高い企業のファイナンスの場、すなわち、ハイ・イールド・ボンド(高利回り債券)やローンの市場がないことでしょう。それは、リスクとリターンをきちんと計量できない日本の銀行や証券会社の責任と思うわけです。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:26 )
事業者金融業者などから高金利で資金を調達している企業を、一口に「本来市場から退出すべき中小業者」とする著者の意見は疑問です。「銀行が『融資に値せず』と判断した企業は市場の落ちこぼれ」なのでしょうか。「高金利で資金を調達する→高いリスクプレミアムを払っている→倒産確率が高いと市場に認識されている」という流れはもちろん正しいですが、倒産確率が高い企業即ち市場から退出すべき企業ではないわけです。 / こすもぽたりん ( 2001-02-05 11:26 )

2001-02-02 [雑談] マンガにおける触媒的主人公について(『観用少女』(朝日ソノラマ),『バジル氏の優雅な生活』(白泉社),『おかみさん』(小学館))


 化学反応に際し,それ自身は変化しないが,他の物質の化学反応の仲立ちとなって反応の速度を速めたり遅らせたりする物質のことを触媒という。アンモニア合成の際の鉄化合物,油脂に水素を添加する際のニッケル,体内の加水分解を促進する酵素(アミラーゼ,リパーゼ等)などがそれにあたる。

 たとえば。
 川原由美子『観用少女』におけるプランツ・ドールたちはまさしく触媒のような働きをする。愛に惑い,欲にかられ,夢に振り回されるのは彼女と出会った人間たちのほうで,彼女はただ静かに見つめられ,フワフワしているだけだ。

 もしくは。
 坂田靖子の代表作の1つ,『バジル氏の優雅な生活』を見てみよう。この作品中,化学反応,すなわちリアルな人間社会の中で生きているのはフランスから来た孤児ルイであり画家ハリーであり議員ウォールスワースであり詐欺師アーサーであり……ディレッタントたるバジル卿は彼らにかかわり彼らの人生を変化させるが自らは変わらない。いや,そんなバジルがより強力な触媒的存在に振り回されるからこそエジプト編は全編の中でよく言えばアクティブ,悪く言えば浮いた印象が強いわけだが。
 触媒という観点を用いれば,坂田靖子の作品の魅力はもっといろいろな角度から語れそうな気がする。「エレファントマン・ライフ」における隣人,「タマリンド水」の村,「浸透圧」の異界,そのほか竜の研究家,わらわ,闇月王,叔父様などなど。対象が触媒であることによって保証される突飛で素っ頓狂だが安全なストーリー。そして,対象が触媒でしかないことによってもたらされる永遠の喪失感。「砂浜の家」など,坂田靖子の夫婦モノ,恋愛モノがときに異様なまでにうら寂しいのはそのせいではないか。

 あるいは。
 残念ながら相撲マンガとしてちばてつや『のたり松太郎』ほど世評は高くないが,一丸の『新米内儀相撲部屋奮闘記 おかみさん』(全17巻)。
 主人公・山咲はつ子は,新興相撲部屋のおかみさん。そのはつ子が,夫の山咲一夫(春日親方),その弟子の夏木(のち花嵐),高田(のち逆波),咸臨丸,桜丸,堂々力,真弓,初音,道灌山,高崎山,玉置らとともに送る日々を一話完結でほのぼのと描く……世評ではそういうことになっている作品である。
 少し,違わないか。

 はつ子は弟子たち一人一人の出世,苦戦,引退に泣き,笑い,怒る。しかし,「底抜けにドジだが明るくはつらつ,いざとなるときりりと強い」彼女のキャラクターは実は連載開始時点で(春日親方との結婚にいたる経緯の中で)ほぼ完成している。彼女はなるほど魅力的ではあるが,彼女を化学反応の軸として見るならこの設定は17巻も続くほどのものではない。では,これはいったい誰の物語なのか。
 『おかみさん』は,実のところ,高田(のち逆波)という,無骨で無口で性格的にもやや難のある力士の物語なのである。おそらく,作者も当初はそのつもりはなかったに違いない。連載開始当初,高田は弟子のその他大勢の1人でしかなかった。
 しかし,脇役としてしか描かれてなかった彼が3巻めで十両に上がるときについあふれさせた涙,ここでこの作品は初めて相撲マンガとしての骨格を持つ。相撲ファンの老人の話,ライバル喜屋武,その妹との不器用なロマンスなど,彼を主人公に置いた挿話には味わい深いものが少なくないが,それだけではない。結局のところ,この17巻の中で純粋に強さを求めた力士は彼一人であり,『おかみさん』ははつ子を触媒に欠損,欠落だらけの高田が逆波という力士としての人生を手に入れる物語なのである。

先頭 表紙

TAKEさま,『播磨灘』はとうとう最後まで仮面や反逆について,なんの説明もありませんでした。きっと作者も考えてなかったに違いない……。でも,それでぜんぜんかまわないのでした。ただ,10巻を越したあたりから,1冊でせいぜい2,3取り組みしかしなくなったのはちょっと……。 / 烏丸 ( 2001-02-03 03:26 )
ヴァニラさま,またいつの日か(中毒が再発したら?),スウィートな日記をお願いいたします。(ちなみに,烏丸は雑誌がふまじめ,とは思っていません,いや,雑誌こそ烏丸の……) / 烏丸 ( 2001-02-03 03:23 )
逆波は「への字」口の彼ですね。ぼくも『ああ播磨灘』、好きだったです。 / TAKE ( 2001-02-03 03:17 )
鳥丸さま、メッセージありがとうございました。雑誌ばっかりじゃなくて、まじめに本読みます。 / ヴァニラ ( 2001-02-03 02:47 )
相撲マンガといえば定番はちばてつや『のたり松太郎』ですが,烏丸的にはむしろ変格のなかいま強『うっちゃれ五所瓦』,さだやす圭『ああ播磨灘』,岡野玲子『両国花錦闘士』等のほうが好み。マンガ以外では文春文庫のもりたなるおの相撲小説集『貴ノ花散る』『金星』『土俵に棲む鬼』がお奨めです。 / 烏丸 ( 2001-02-02 17:01 )
「花嵐」「逆波(さかなみ)」というのは,部屋の弟子に主人公が知恵をしぼって付けたしこ名ですが,親方の現役時代のしこ名「山風」を足して,それに花のある相撲を,という前者といい,本当にあってもよさそうなよいしこ名だと思います。 / 烏丸 ( 2001-02-02 16:55 )

2001-01-31 『何もそこまで』 ナンシー関 / 角川文庫


【そこは私も大人になるが】

 1996年に世界文化社から刊行された単行本の文庫化である。
 収録された消しゴム版画とコラムはいずれも1995〜1996年にかけて発表されたもので,初出はざっと4分の1が「噂の真相」,4分の1が「広告批評」,残りの2分の1が「週刊文春」(1996年3月7日号まで)。
 おや。文藝春秋社からは『テレビ消灯時間』なる単行本が3冊発売されているのだが(うち2冊は文庫化済み),その1冊目の初出は,週刊文春の1996年3月14日号から,となっている。
 つまり,『何もそこまで』には『テレビ消灯時間』にまとめられるより以前の週刊文春掲載約1年分が収録されているということであり……文春は,自社の週刊誌の連載記事を他社に取られたということか。それとも,ナンシー関なんぞ単行本化するほどのことはあるまいと当時は軽んじていたのか。
 いい度胸じゃないか。

 それにしても1995年当時ともなると,さすがに内容が古い。
 藤田朋子のヌード写真集トラブルなんてあぁそういえばと温泉の湯気の彼方だし,貴乃花と河野惠子の結婚に日本中が沸いたと言われても,それからの花田家のあれこれを思い起こせば奈良時代のスキャンダルのようなものだ。

 それにもかかわらず,読み応えがあるのは,なぜか。
 ごく単純な話として,ナンシー関の読みの確かさがある。山口美江について「ある種のステージから完全撤退したのである……もっと注意深く見つめていたなら,『○年○月○日をもって撤退』というところまで確認できたかもしれない」,ぎりぎり好感度1位を保った山田邦子について「振り向けば,誰もついて来ちゃいないのである」,田原俊彦について「トシちゃんは,『いいとも』のレギュラーになってしまった事で,『いいとも!』と許可・許諾を発令する権利を失ってしまったのである。これが哀しさの原因かも」。彼らののちの推移を思い起こせば,著者の指摘がいかに的確だったかわかる。
 和久井映美主演のドラマ『ピュア』について「障害者を扱うことは,もうリスクではないのか。きれいに描きさえすればリスク無しのハイリターンか」,これも最近のいくつかのドラマのヒットの裏表を言い当てて凄い。

 しかし,それだけではない。
 扱われているタレントや話題が古いからこそ,見えてくることもある。
 ナンシー関はタレントにこだわっているようで,実はタレント当人にこだわっているわけではない。彼女はタレントの言動,テレビ局の姿勢から何かを抽出し,蒸留する。彼女が最も得意とするのはタレント当人,その周辺のテレビ関係者,そして視聴者が順に何かを「容認」していく不愉快さの構図である。母であるから,障害者であるから,一生懸命であるから,ベテランであるから,等々,なにかと適当な理由をつけてはテレビの中で無頓着に「たたえて」しまうシステムへの疑念である。そして,裕木奈江で立てられた仮説が藤田朋子で立証されるなら,それは再現性があるということであり,それはすなわち論理科学の領域だ。

 もっとも,本書ではナンシー関の攻撃はまだまだ甘い。この時点では,消しゴム版画のほうが本文より格段に能弁であり,エッセイ本文は力学が理論として構築されつつあるといった時期で,文体が完成し,ピンポイントなミサイル爆撃にいたるのは少し後の『テレビ消灯時間』の1を待たなければならない。
 ……待てよ。すると,単行本化についての文春の判断は正しかったということか。

 それにしてもアメリカに皿洗い充電に消えた吉田栄作,今どこでどうしてるんだ。どうでもいいが。

先頭 表紙

しっぽなさま,わが家では週刊文春は家人が購入してくるのですが,その目的は中村うさぎのエッセイを読むため,というのです。く〜っ,夫婦断絶。 / 烏丸 ( 2001-02-03 12:11 )
今週号か先週号だかの『女優・杏子』のテレビ消灯時間も面白かった!うんうん、そうだいねえ、そうだったんか!って。ナンシー、がんばれ。その調子。 / しっぽ ( 2001-02-03 08:27 )
おお,撫子さま,もちろん拝読させていただきましたが,つっこみは遠慮させていただきました。理由は簡単,烏丸,本屋でデートの待ち合わせなどしたら,相手などほったらかしですし,本屋で待ち合わせて本屋に向かうことになって百年の恋人も逃げ出してしまいます(よく家人に見捨てられないものだ……)。 / 烏丸 ( 2001-02-02 11:57 )
撫子の本屋さんでの待ち合わせはどうでしょう!?鳥丸さま! / 撫子 ( 2001-02-02 05:07 )
okkaさま,烏丸思うに,切られている側が,自分のどこをどう切られたか,きちんと認識できるのかどうかという点は多少興味のわく問題ではあります。興味はあるが別に知りたくはない,といったレベルの興味でしかありませんが。 / 烏丸 ( 2001-02-01 12:36 )
ナンシー関 電線でもまな板でも切ってしまう包丁のように小気味いいですね。 / okka ( 2001-02-01 08:13 )
なるほど,現役で役者さんやっているのですか。ふうむ。ところで,吉田栄作って,吉田茂の吉田と,佐藤栄作の栄作を足した芸名,と認識しているのですが(違うのかしらん),どうしてそんなダサダサな……。もう1点,アメリカ充電の前,紅白で「心の旅」を歌った彼には仰天しました。人は,これほど,歌詞の内容に無頓着に歌を歌えるのか,と。それはそれで才能であったように思いました。 / 烏丸 ( 2001-01-31 19:18 )
栄作、赤穂浪士になって討ち入りしたり、川に流されて消息不明になったり、今井美樹に婚約解消されたり、細々役者してます。皿洗いはやめた模様(笑)しかし、ナンシーの理論で行くと今人気絶頂のKタク氏は今後ださださの道まっしぐらなのか、また当たりそうだわ。 / よこ ( 2001-01-31 14:41 )
「青森のホストはほとんど津軽弁を喋る。標準語ではモテない」という「考えるほどに味のあるネタ」(ナンシー関)もディープ。 / 烏丸 ( 2001-01-31 12:02 )
「キューピー3分クッキング」の1万回記念メニューが「ハンバーグとポテトサラダ」だったというネタには目頭が熱くなりました。人間,かくありたいものです。 / 烏丸 ( 2001-01-31 12:00 )

2001-01-29 [雑談] マンガの中の人肉食


 さて,せっかくだから人肉食を扱ったマンガをニ,三紹介してみよう。
 ……と調べてみたところ,そのいくつかはすでにひまじんネットでも取り上げられていたのであった。人肉食をテーマにするのはぎりぎりのタブーを扱うことであり,自然テンションの高い作品が多いということか。

 たとえば,生きることをとことん否定し,それでも否定しきれないものを抽出しようとした,いわば人生へのジャンプボードのような(その意味ではPTAが拒絶反応を示したのは逆。むしろ夏休みの課題図書に毎年選びたい)ジョージ秋山『アシュラ』は,やはり飢饉と人肉食をテーマにした山岸凉子『鬼』の紹介文の中で話題にした。
 ホラーの装いを借りて心の闇にナタを入れる楳図かずおは,当然のように人肉食を何度か話題にしている。『漂流教室』もよいが,ここはガダルカナルで人肉を食べて生き延びた父親とその息子の相克を描く『おろち』の「戦闘」を強く推したい。1960年代後半の中編だが,父子が互いに激しい思いを抱きつつ雪山に消える最終シーンまで間断なく人の優しさと暴力を問うこのような作品に対しマンガだからと素通りせざるを得なかった芥川賞等がのちに権威を喪うのは当然であった。
 そういう重ったるいのはいや,ただ悪趣味な本が読みたいの,という向きには黙って唐沢俊一,ソルボンヌK子『大猟奇』。ぬたぬたの死体とウジで溢れたこの1冊,朝昼晩の食事前に読み返せばそうー奥さん,ダイエット効果だって(みのもんた調)。

 最近の作品では,たとえば軽部華子『くみちゃんのおつかい』,諸星大二郎『栞と紙魚子』がお奨めだ。いずれも体液,もとい退役されたケロロ軍曹の紹介であるが,とくに後者に登場し,包丁を持つと「こ…こうなりましたら…じ…じ…人肉ですわ! 人肉でバーベキューパーティーですわ!」と暴れ出す鴻鳥友子は生唾が沸くほどらぶりー。

 ここに週刊ヤングサンデーの1996年9月26日号(No.41)がある。小学館が自主回収に走った1冊である。問題になったのは沖さやか『マイナス』,キレた女教師・恩田さゆりを描く作品で,この号では生徒の別荘に向かうハイキングの途中,主人公たちが遭難。出会った迷い子の少女が崖から落ちて死んだのを,さゆりが食べる。
 凄いのは,猟奇性も相克も何もないことだ。さゆりは一瞬のためらいもなく少女の死体を焼き,食べてしまう。なにしろもともとが目先のトラブル回避のために生徒を殺してしまう主人公だ。そのあまりにからっとした展開に,編集者も虚をつかれたのか。後で騒ぎにはなったが,どうとらえてよいのか未だによくわからない作品ではある。作者は,自分が描いているものをよほどよくわかっているか,まるでわかっていないか,どちらだろう。

 最後に人肉食そのものはソフティケイトされているが,内容としてはディープな作品を1つ。
 樹村みのりが1974年に少女コミック増刊フラワーコミック冬の号に発表した『ヒューバートおじさんの優しい愛情』は,その少し前に虫プロ商事の雑誌ファニーの次号予告に掲載が予告されながら雑誌休刊のため宙に浮いていた問題作。小学館に拾われ,目に触れることになったのだが,これが凄い。主人公の叔父が愛する妻を本当に食べたかどうかは最後までわからないが,主人公の少年の成長物語として,全編名シーン名セリフの塊のような逸品である。

先頭 表紙

これはいらっしゃいませ,ヘロヘロ共和国さま。『20XX』は不勉強にして存じませんでした。さっそく探してみます。なお,異星の習慣として,相手を愛しているから食べる……というのは,下の『猟奇文学館3』収録の筒井康隆「血と肉の愛情」がまったくそういう設定です。機会がありましたらご一読ください。 / 烏丸 ( 2001-02-03 03:19 )
はじめまして。清水玲子『20XX』(白泉社)も人肉食べる話です。とある星の原住民の風習として描かれています。その人間を愛し尊敬しているから食べて自分の一部としその人間と共に生きるという設定になっています。愛するものを生かすために自身の生命を削るか?助けることの意味は?いろいろ考えさせられる作品でした。 / ヘロヘロ共和国 ( 2001-02-03 01:03 )
新しいヘッダーを読んでいる最中に、突然FAXが動き出してドキドキしてしまいました。。私の背後には・・・ / カエル ( 2001-01-30 14:51 )
繰り返し繰り返し,永遠に……ニーチェ哲学の根幹をなす,「永劫猟奇」であります。 / 烏丸 ( 2001-01-30 00:37 )
うわぁあぁあぁ、忘れかけていた『大猟奇』がふたたびぃいぃいぃ…。 / こすもぽたりん ( 2001-01-29 22:02 )
をを,よこさま,ヒューバートおじさんをご存知ですか! ごくり(←なんだこれは)。あ,それから,『トトの世界』もそうでしたね。このほか,田島昭宇・大塚英志『多重人格探偵サイコ』(ちゃんと読んでない),手塚治虫『安達が原』など……何か,大物,忘れてそうな。 / 烏丸 ( 2001-01-29 12:21 )
ヒューバートおじさんが「その件」のコアにふれる語りの中で確かにごくりとのどをならすシーンが未だに印象に残っているのでした。私が最近の作品でがつーんときた人肉ものは「トトの世界」@さそうあきらです。 / よこ ( 2001-01-29 12:13 )

2001-01-28 『猟奇文学館3 人肉嗜食』 七北数人 編 / ちくま文庫


【うもうござった。】

 ヌルいのシュミが悪いのとぶつくさこぼしながら,発行されるたびに読んでは紹介してしまう「猟奇文学館」シリーズ,『猟奇文学館1 監禁淫楽』『猟奇文学館2 人獣怪婚』に続く3冊めにして完結編。
 仕方がない。死体と寄生虫には勝てない私である。

 今回の収録作品は
  村山槐多「悪魔の舌」
  中島敦「狐憑」
  生島治郎「香肉(シャンロウ)」
  小松左京「秘密(タプ)」
  杉本苑子「夜叉神堂の男」
  高橋克彦「子をとろ子とろ」
  夢枕獏「ことろの首」
  牧逸馬「肉屋に化けた人鬼」
  筒井康隆「血と肉の愛情」
  山田正紀「薫煙肉(ハム)のなかの鉄」
  宇能鴻一郎「姫君を喰う話」
の11編。
 やはりどことなく甘い印象があるのは,1つにはSFをどう位置づけるかについての明確な意識なしに漫然と小松や筒井から作品を選んでいるように見えること。村山槐多と中島敦と生島治郎と小松左京と杉本苑子をこの順に並べるなら,なんらかの覚悟がいるだろう。最近はいらないのか。
 次に,3冊めにいたって突然実在の食人鬼についてのノンフィクション(「肉屋に化けた人鬼」)を混入させたこと。ルール違反というわけではないが,なんとなく「ずるい!」ような気がする。それなら逆に,1冊めの『監禁淫楽』に最近の監禁事件を詳細に載せる手もあっただろうに。
 もう1点,3冊いずれにも宇能鴻一郎の作品を選んでいること。宇能は「課長さんたら,ひどいんです」文体でエロ小説を量産する前は,いわばストロングスタイルの本格派小説家だった。が,今回収録された3作はいずれも聞き書きの形をとり,巧緻ではあるがこと猟奇に限定すればやや情緒に流れるというか,穏やかさ,上品さが目立つ。

 もちろん,再三書いた通り,本シリーズに収録された作品群は,1つ1つ文学作品としてみればいずれ劣らぬ傑作揃いで,このような文句を言われる筋合いはない。
 結局のところ,解説に「(インターネットで「カニバリズム」「人肉嗜食」という語を含むサイトを検索したところ)猟奇アンソロジストの私でさえ目をそむけたくなるような過激なものから」とあるように,編者の七北数人が根っから猟奇趣味ではないということが問題なのかもしれない。
 猟奇アンソロジストを自称するなら,そのようなサイトにも目をそむけず,いやむしろ舌なめずりして見入るのが妥当と思われるが,如何。

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 ところで,こういうところで夭逝詩人・村山槐多(1896-1919)の名前が出てくるのは嬉しいようなくすぐったいような気分である。槐多の詩のいくつかは,遠い昔,テロリストになることを夢見つつ日々口ずさんだ,いわば心のテーマソングであった。


   四月短章(第四章)

 血染めのラッパ吹き鳴らせ
 耽美の風は濃く薄く
 われらが胸にせまるなり
 五月末日日は赤く
 焦げてめぐれりなつかしく

 ああされば
 血染めのラッパ吹き鳴らせ
 われらは武装を終へたれば。


   血に染みて

 血に染みて君を思ふ
 五月の昼過ぎ
 赤き心ぞ震ふ
 あはれなるわが身に

 はてしらぬ廃園に
 豪奢なる五月に
 君が姿立てる時
 われはなくひたすらに

 わが血は尽きたり
 われは死なむと思ふ
 豪華なる残忍なる君をすてゝ
 血に染みて死なん。
 

先頭 表紙

「四月短章になぜ五月」の件ですが,手元の槐多詩集やアンソロジーではとくに触れていませんでした。……となると,よけい気になってしまいますねえ。ただ,全体にこの人の季節感はむちゃくちゃな感じはしますね。語調やイメージ先行,だったのかもしれません。 / 烏丸 ( 2001-01-30 20:56 )
人肉食についてはお聞きしてみたいことなどあるのですが、この場ではやや気が引けると申しますか。どうしようか、ただ今考え中なのです。 / 美奈子 ( 2001-01-30 06:29 )
心貧しき本読みの本懐。 / 多謝多謝 ( 2001-01-30 06:22 )
(誰にともなく)「つっこみ返しなし」を真に受けて(魔に受けて?),およそ烏丸に似合わぬメッセージをつっこんでしまいました。こっぱずかしー。 / 烏丸 ( 2001-01-30 02:14 )
『悪魔の舌』読みました。『殺人行者』もなかなか。しかしこれが中学生の書く小説ですかね…。似たような友人が一人、高校時代にいましたが。やはり死んでしまいましたけどね。 / 美奈子 ( 2001-01-29 22:18 )
なんだかいつもお尋ねしてばかりですみません。『四月短章』の中になぜ「五月末日」なのかな?と、ふと思ってしまったものですから。仰せの通り、詩人の愛用する言葉のイメージには特段の理由などないかもしれませんし。 / 美奈子 ( 2001-01-29 22:11 )
そういえば,『悪魔の舌』も「五月始めの或晴れた夜であつた」で始まります。個人的には,春を過ぎて,濃密な腐乱の始まる季節,という認識でいましたが,もしかしたらちゃんとした理由もあったかもしれません。今度,調べておきます。 / 烏丸 ( 2001-01-29 11:49 )
なぜ「五月」なんでしょう? 5・15事件との関連かなと思いましたが、もっと前の時代の人なんですね。 / 美奈子 ( 2001-01-29 06:01 )
これは大天使ミ・カ・エルさま,宇能鴻一郎については,編者の趣味が丁度シンクロした感じだったのでしょうか。烏丸的には,もう少し過激な趣味のほうにシフトしてくれると嬉しかったのですが……。 / 烏丸 ( 2001-01-29 01:53 )
宇能鴻一郎は猟奇文学館シリーズ全3冊にエントリーですね。これは選出者の趣味なのでしょうか。それとも、やっぱり宇能さんはその道では外せない大家なのでしょうか? / カエル ( 2001-01-29 01:01 )
槐多は1919年に亡くなっていますから,著作権は問題ありません(国内では作者が亡くなって50年,権利が保持される)。念のため。 / 烏丸 ( 2001-01-28 01:47 )

2001-01-27 『鳥 デュ・モーリア傑作集』 ダフネ・デュ・モーリア,務台夏子 訳 / 創元推理文庫


【見て,父さん。ほら,あそこ。カモメがいっぱい】

 「本の中の名画たち」は少しお休みさせていただき,このところ読んだ本について,何冊か紹介を済ませておきたい。

 本書は,ヒッチコックの映画『レベッカ』『鳥』の原作者,ダフネ・デュ・モーリア(1907-1989)の作品集である。
 ……と書いて,我ながら愕然としてしまう。『レベッカ』と『鳥』の原作者が同じ人物であることはなんとなく知っていたのだが,いつごろの,どのような作家なのか,全く意識したことがなかった。『レベッカ』はなんとなく『嵐が丘』や『ジェイン・エア』と同時期の小説のような気がしていたし,『レベッカ』が女流作家の手によるものであることを知っていながら,同一人物であるはずの『鳥』の作者が女性であると意識したことはなかった。

 デュ・モーリアは,代表作の大半を邦訳,紹介されていながら,そのように,全体像のはっきりしない作家の1人のようである。というわけで東京創元社ではデュ・モーリア復興というか,主だった作品を復刊,あるいは改訳し,創元推理文庫で再度世に問う予定のようだ。今回,この短編集『鳥』を手にして,十分それだけの価値があるように思われた。
 『鳥』は小説8編からなるのだが,ずっしり厚くて総ページ約550。1編あたり70ページ弱ということで,短編集というよりは中編が束ねられた印象である。しかも,そのそれぞれが実に巧い。
 哀切な青春サスペンス『恋人』,鳥たちが突然人間を襲い出す『鳥』,フランス心理小説風の『写真家』,とくに霊や悪魔が登場するわけではないが静かな苛立ちと恐れに満ちたホラー『林檎の木』,ショートショート『番』,ある日外出から帰ってみるとヒロインの家は見知らぬ連中に占拠されていた……不条理な事件の真相がなんとも切ないサスペンスホラー『裂けた時間』,幸福な妊婦の突然の自殺の原因を追う『動機』と,ジャンル的にもバラエティに富む。ことに,山の神秘と山頂の僧院の謎を描いた『モンテ・ヴェリタ』の尋常ならざる迫力は,なんと言い表せばよいのか。
 それぞれの物語は,最後まで読むと事件の全貌が明らかになり,再度初めから読み直すと,作者がいかに周到に細部を構築してきたかがよくわかる,そんな仕組みになっている。いずれの作品もテーマを無理やり言葉にすれば「愛と死」ということになるのだろうが,言葉にしてしまうとありきたりなそのテーマがひとたび物語に乗ったとき,その味わいは苦く,哀しい。

 もちろん,50年も前に書かれたサスペンスがすべて素晴らしいというわけではない。『写真家』など,いまや昼メロの粗筋としても陳腐な感じだし,『林檎の木』や『裂けた時間』も昨今なら別の書きようがあるだろう。しかし,それでも,(『レベッカ』『鳥』の原作者,ということもあるのだろうが)彼女の作品群を読むと,映画と小説の,まことに幸福な蜜月時代がそこにあったことがうかがえる。小説は映画のように読み手の目前に世界がダイナミックに展開することを目指し,映画は小説の与えてくれる豊饒な感動を目指す。
 小説家を映画を意識することは,現在も変わりない。しかし,現在の小説の多くは(無意識にせよ)「映画のよう」ではなく,「映画になる」ことを目指して書かれているように思われてならない。それは表現でなく産業の問題だ。
 デュ・モーリアの作品は,数十ページで,よい映画をじっくり堪能したような,腰の強い,歯応えのある,そのくせ小難しいところの皆無,そんな印象である。次回配本にも期待したい。

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2001-01-26 本の中の名画たち 番外編 「新日曜美術館 ロートレック・一瞬の美をとらえる」(NHK教育)

 
 日曜日の夜のこと,家人の母が午前中に見たところたいへんよかったと電話で連絡してくれたので,普段つけないテレビの電源を入れてみました。NHK教育の「新日曜美術館」です。

 テーマは「ロートレック・一瞬の美をとらえる」,ゲストに鹿島茂,石井好子両氏を招いて,それは切ない内容のものでした。

 トゥールーズ・ロートレックは南フランス,アルビの伯爵家に生まれ,家族の寵愛を受けて育つのですが,青年期に事故で両足を骨折。そこで成長が止まり,思いきりイ走ったり馬に乗ったりのかなわぬ体になります。「馬に乗って息子と狩りを楽しむことだけ,本当にそれだけを夢見ていた」(鹿島茂氏・談)父親に見放され,彼は絵の世界に進みます。彼は,幼いころから愛してきた馬の絵を描いて父親に見せますが,父親の目には息子はもういないも同然だというのです(父親は伯爵の位さえ返上してしまったそうな。なんなんだ,こいつあ)。
 やがてロートレックはパリ,モンマルトルに出,夜な夜なキャバレーで酒を浴びるように飲みながら,軽妙洒脱な作風でスケッチに,ポスターにその才能を発揮していきます。このあたりの作品の横顔のいくつかは,ぞっとするような切れ味で,烏丸も昔から大好きでした。
 やがて,アルコール中毒で家族の手によって精神病院に入れられ,彼は正気であることを示すために記憶だけを頼りに克明なサーカスの絵を描き,シャバに出た後は娼婦の館に寝泊まりして彼女たちの姿を描き続けます。
 その胸のうちやいかに。都内の盛り場であてのない思いに荒れた時代のことを思い出し,烏丸も思わず涙ぐんでしまいましたが,並んで見ていた家人に気づかれたかどうか。穏やかな生活のロンドの中で,ときどき自分が永い永い闘いの中にあることを忘れてしまいます。血にまみれて求め続けなければ得られないものを追う身だったはずなのに。

 ロートレックは36歳の若さで死にました。彼はあざらかで残虐な作品を残しましたが,烏丸は,さて。……

 ところでこの「新日曜美術館」,紹介される美術作品や画家の来歴には文句はないのですが,以前から,作品そのものに対する評価の,あの救いようのない「ありきたり」さはなんとかならないかと不愉快でなりませんでした。ロートレックの若描きについて何度も「繊細」と繰り返したり(どう見てもそれは「繊細」でなく「闊達」なタッチなのです),シャガール展を紹介するのに緒川たまきという見かけない女優さんに絵空ごとのような「愛と希望」をうっとり語らせたり。夏の終わりの祭りのニュースに必ず「ゆく夏を惜しんでいました」と付けてしまうNHKのおばかさ加減,そのまんまです。
 絵が十ニ分に語るのなら,あとは事実を列挙してくれれば十分。愚鈍な,あるいは見当違いの誉め言葉はいっそ邪魔だということをキモに命じて欲しいものです。

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作り手側としてはやむを得ないのでしょうが……ロートレックやシャガールを万人向けに解説したら,それはちょっとB級羊羹の甘さべたべたではないかと。ロートレックの一生なんて,本当は非情にキツいものだと思います。自分が彼なら,と思うとどっひゃー。ほんとはおよそお茶の間向きの人生ではない。 / 烏丸 ( 2001-01-29 01:57 )
万人向けの解説って難しいですから、NHKとかはその辺が宿命的に大変そうですね。 / TAKE ( 2001-01-27 23:42 )
ロートレックのテレビ番組見たかったなあ。確かにテレビって余計な部分に憤ったりしますよね。↓よちみの友達、そういえばちらっと聞いたような・・・。 / 未ログインフィー子 ( 2001-01-26 20:39 )
やや,失礼,これは困りました。烏丸の物言いは辛めというか他人のお仕事の全否定も平気でしてしまうようなところがありますから,直接お伝えするのはどうでしょう……。キャバレーで酔っ払い,娼婦の家で死ぬまで絵を描いた(創作者としてはうっとりですね)男の人生を,あんなふうなきれいなスタジオでしみじみ淡々語ってどうする! なんて言っていたら,美術番組というものが成立しなくなってしまいますし。そもそも烏丸の期待するような番組作りは,非常に少数派だと思います。だから,普段から,テレビは見ないのです。 / 烏丸 ( 2001-01-26 11:44 )
ありゃありゃ、「新日曜美術館」はよちみの大学時代の友達(女性)が手がけてます。とーってもマジメな優等生だったのでありきたりなのかも。機会があったらかるーく伝えてみますね〜。(っつーかまずは自分が観ろ?) / よちみ ( 2001-01-26 09:06 )

2001-01-25 本の中の名画たち その六 『ゼロ THE MAN OF THE CREATION(34)』 原作:愛英史,漫画:里見桂 / 集英社(ジャンプ・コミックス デラックス)


【いや 私はニセモノは 作らない】

 美術の世界を扱うマンガ作品は少なくないが,現在連載中でいずれ劣らぬ博学とアイデアの妙を楽しめるのは
  細野不二彦『ギャラリーフェイク』
  愛英史,里見桂『ゼロ』
  小池一夫,叶精作『オークション・ハウス』
の3長編だろう。この3作,発表の場がそれぞれビッグコミックスピリッツ,スーパージャンプ,ビジネスジャンプと中堅青年誌(対象年齢がやや高め)であること,実在の画家や美術作品についての薀蓄がふんだんに盛り込まれていること,主人公が贋作にかかわっていること,清濁併せ呑む度量の持ち主(ダーティヒーロー)であること,芸術に尽くした父親が汚名を着せられ失意の中に死んでいること,などなど,実に共通点が多い。
 連載開始時期も近く,単行本1冊めの発行は『オークション・ハウス』1991年1月,『ゼロ』1991年9月,『ギャラリーフェイク』が1992年8月である(これだけ見ると『ギャラリーフェイク』が再後発に見えるが,不定期連載だったことを思うと実際の発表順は微妙なところだ)。

 では,3作中,いずれを推すか。掲載誌のメジャー度合いもあって世間一般では『ギャラリーフェイク』の評価が高く,叶精作の絵柄,小池一夫のセリフ回しのくどさから『オークション・ハウス』はやや敬遠されがちのようだ。細野作品のノリに今一つ没頭できない烏丸としては,ここは『ゼロ』をお奨めしたい。

 主人公・ゼロは神の手(どこかで聞いたな……)を持つと呼ばれる究極至高の贋作者である。陶器・絵画・彫刻は言うに及ばすアンティーク・ドール,ムー大陸の肉面,ダイヤの原石,生身の人間にいたるまで,この地球に存在するありとあらゆる物を複製し,報酬をスイス銀行の「オールゼロ」の口座に振り込ませる。彼はこの世にただ1つしかないかけがえなき物の復元を願う人々の心を癒し,諫め,時に裁く……。というわけで,ともかくダ・ヴィンチだろうがフェルメールだろうがチンギス・ハンだろうがオルメカのインディオだろうが,真作者の気持ちになりきったゼロは一度目にした物なら完璧に複製を作ってしまう。なにしろ,X線で調べなければわからないような下絵もきちんと描いてあるし,美術館のガラスケースに置かれた(つまり,一方向からしか見えない)陶器でも彼が作れば専門家は真贋がわからない(笑)。

 素晴らしいのはその二律背反性である。彼は法外な報酬を求めることもあれば侮蔑を込めて1$,1元しか請求しないこともある。また贋作家でありながら「私は本物を作り 本物しか評価しない 何よりも本物を作る人間を尊ぶ」と高言する。

 1冊につき数話,それがすでに34巻。原作者の美術,歴史の知識は大変なものだ。
 いろいろな設定があるが,烏丸としてはトリノの聖骸布(キリストの亡骸を被ったとされる布。その姿が浮き出ているという)の正体,タイタニック号沈没の謎についての仮説,などの話がとくにお気に入りだ。ただ,中には既出のアイデアもあり,エンターテイメントとして楽しんでいる分には問題ないが,美術,歴史についての奇抜な発想のオリジナリティ度が確認できないのは残念なところである。

 なお,里見桂と言えば少年サンデー誌上で『なんか妖かい!?』『スマイルfor美衣』を長年連載したマンガ家だ。決して抜群に巧いわけではないが,性善説に立脚した,穏やかで愛嬌のある,文字通りの「少年マンガ」だった。ゼロもまた,いくら冷酷非情を気取ろうにも里見らしい人のよさが随所に透けてしまう。それがこの作品の魅力でもあり,逆に凄みに欠ける理由でもある。

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美奈子さま,それがですね,光瀬龍が,ある時期,SFとはなんの関係もなく,NHK教育で世界史についての時間をもっていたことがあるのです。毎回,「今回はちょっとSFっぽい話が出るのかな」と思ってみたのですが,最後までわりあいまじめというか歴史のお話ばかり。聖骸布はその中ではモノがモノだけに,けっこう神秘的な扱いでした。 / 烏丸 ( 2001-01-26 01:20 )
へぇ〜、おもしろそうですね。ところで、「光瀬龍」が「NHK教育」とは??? / 美奈子 ( 2001-01-25 23:31 )
そうですそうです,「ふん!」「承知した」,この態度がなんともいえないんですよね。上の本文の見出し(【 】内)を「承知した」にすべきかどうか,最後まで迷っていた烏丸でした。 / 烏丸 ( 2001-01-25 16:04 )
「ふん!」「承知した」のゼロ氏ですよね。僕も愛読してます(^^) 。細野氏、小池氏のマンガも好きですが、美術品そのものの描写に関しては他の追随を許さない内容だと思います。烏丸さまのおっしゃる通り、オリジナルのアイデア・見解で書かれているのなら大変な作品だと思います。また現代美術から考古学レベルまで、テリトリーの広さも凄いですね。 / TAKE ( 2001-01-25 12:47 )
トリノの聖骸布(なつかしー。光瀬龍がNHK教育で取り上げていたなあ)の「正体」(?)についてのアイデアも同じく未確認。これ,『ゼロ』のオリジナルなら,ほんとにストップ高評価したい。 / 烏丸 ( 2001-01-25 12:22 )
タイタニック号の沈没の真相については,島田荘司も『水晶のピラミッド』で扱っていますが,びっくり具合は『ゼロ』のほうが500倍凄い。でも,愛英史のオリジナルかどうか未確認なのが痛いところです。 / 烏丸 ( 2001-01-25 12:20 )

2001-01-23 本の中の名画たち その五 『押絵の奇蹟』 夢野久作 / 角川文庫


【ええもう,絶版とはくちおしや】

 夢野久作は1889年(明治22年)生まれ。昭和初期の探偵文壇にひぃゆるると彗星の如く現れ,また彗星の如く消えてしまった作家である。「夢野久作」とは彼が最後まで過ごした郷里・福岡地方の方言で,夢想にうつつを抜かす者といった意味らしい。
 1926年(大正15年),雑誌「新青年」に投稿した「あやかしの鼓」でデビュー。1936年(昭和11年)に脳溢血で亡くなるまで,活動は僅か10年余りだが,土俗的な狂気とモダニズムみなぎるその作品群は近年再評価され,ことに長編『ドグラ・マグラ』は小栗虫太郎『黒死館殺人事件』,中井英夫『虚無への供物』と並んで「アンチミステリー」の傑作とされている。
 もっともこのアンチミステリーなる言葉は内実があってないようなもので,粗筋はオーソドックスな推理小説ながら史学,神学,魔学,犯罪学等へのペダンチックな薀蓄が底なしにくだくだしい『黒死館』,全編生乾きの血樽の底で記憶喪失者がもがくような,どちらかといえばグロテスクなサイコホラーと言うべき『ドグラ・マグラ』,そして明晰な密室トリックと丁丁発止の探偵議論を展開して一見最も現代的な本格パズラーに見えながら,スピリチュアルな面で唯一ピュアにアンチミステリーたる『虚無への供物』,と,実はこの3作にも(分厚さ以外)共通項はほとんどないに等しい。その分厚さにしても,最近はめったやたら長いミステリが少なくなく,3作ともさほど目立つものではなくなってしまった。

 夢野久作の作品群は,葦書房,三一書房からの作品集のほか,最近築摩書房から文庫でも全集が刊行され,また社会思想社の現代教養文庫にも何冊か既刊がある。
 また,角川書店は『押絵の奇蹟』『犬神博士』『ドグラ・マグラ(上・下)』『少女地獄』『瓶詰の地獄』『狂人は笑う』『人間腸詰』『空を飛ぶパラソル』『骸骨の黒穂』と代表作を一揃い文庫化していたが,現在は『ドグラ・マグラ(上・下)』『少女地獄』を除いて絶版。
 実は,今回,「本の中の名画たち」として取り上げるのが,この,絶版の角川文庫群である。以下,ようやく本文。

 本の表紙に名画が用いられることは少なくない。古今の名画を流用したもの,書物として有名になるとともにその装丁が記憶に残るもの。もちろん,内容に分不相応な名画を冠した書物は不愉快だが,それは早晩淘汰される。最近では小林よしのり『新ゴーマニズム宣言』第1巻がモローの「オイディプスとスフィンクス」の構図を模しており,小林の画は好みではないものの頬笑ましく思われた。

 さて,角川文庫の夢野作品の表紙は,これが俳優・米倉斉加年(よねくら・まさかね)の手によるものなのである。
 米倉は劇団民芸出身の顎の長い(失礼)性格俳優だが,その絵の才能も大変なもので,ボローニア国際児童図書展グラフィック賞グランプリを受賞した『多毛留』など凄みのある絵本,画集も何冊か上梓している。正直言って,ニ科展に入選したと文化人面する○○○や○○のごとき水準ではない。
 そのぶっ飛んだ線の冴え。この目はどうだ。この首はいかが。そして夢野作品にあつらえたような色遣い。もう少し可憐な乙女を描いた表紙もなくはないのだが,ここではこの『押絵の奇蹟』を添付画像とした。

 幸い夢野を未読の方は,古書店でかき集めてでも角川文庫版を入手することをお奨めしたい。そのとき,ギラギラした眼の男があなたの前にたちまち朱い大きな口を開いてカラカラと笑い,下唇を血だらけにした女の苦悶の表情がツイ鼻の先に現れ,あとは時計の音ばかりがブウウウ──ンン──ンンン…………。

先頭 表紙

いやいや,あの絵は,感性が発達したらそれはそれでまたやたらと怖い。「上手い」「味がある」なんて次元ではありませぬ。わざわざ子供に見せようなんて夢にも思わない絵本であります(?)。ちなみに,俳優さんの絵では,当節,離婚と再婚で話題の新黄門様・石坂浩二の詩画集が細密で見事でした。ただし,そちらは何十年も昔に目にしただけで,確証なし。 / 烏丸 ( 2001-01-24 11:34 )
米倉斉加年の絵本、子供のころに見ましたが、感性未発達だった私にとっては、強烈な絵がただもう「コワイ、コワイ」という記憶しか…。大人になってから読む方が楽しめたかもしれません。顎が長いと言われてみれば…クエンティン・タランティーノにどこか似ているような?(笑) / 美奈子 ( 2001-01-23 22:12 )

2001-01-18 本の中の名画たち その四 『本格推理1 新しい挑戦者たち』 鮎川哲也 編 / 光文社文庫


【赤い決意】

 『本格推理』は文庫の体裁をまとった雑誌であり,推理小説家の鮎川哲也を編集長に,広く一般から推理小説の短編(400字詰め換算で50枚以内)を募集し,まとめるというものである。
 第1巻「新しい挑戦者たち」が発行されたのは1993年4月20日,現在までに15巻が発行され,投稿者はのべ100人以上。作品のレベルは高く,二階堂黎人,北森鴻,村瀬継弥,津島誠司,柄刀一,光原百合らの作家も輩出している。

 さて,今回「本の中の名画」として取り上げるのは,その第1巻に収録された北森鴻の「仮面の遺書」に登場する壁画である。
 「仮面の遺書」は,画家・城島真一の生涯とその作品を,その絵画作品を主軸に描き上げ,しかもそれに犯罪とその暴露をからませる,投稿作品とは思えない密度の高い佳編である。ことに,画家の遺作として紹介される赤の色だけを使って描かれたアブストラクト(抽象)絵画「赤い決意」,そしてそれを4倍に拡大し,モザイクで構成した縦4メートル,横8メートルの壁画の存在感は圧倒的だ。
「数十種類の赤が乱舞し,うねりをあげて画面から飛び出そうとしている。それは,一度キャンバスに降ろした筆を,勢いとは反対方向にわずかに返すことを繰り返して実現されていた……。」
 ミステリ作品中で描かれるアブストラクト絵画といえば,最近では法月綸太郎の短編「カット・アウト」(集英社『パズル崩壊』収録)のそれが有名だが,架空の絵画作品としての「凄み」はポロックについての薀蓄が煩わしい法月よりむしろこちらを推したい。

 『本格推理1』にはこのほかにも,小学児童のプールでの消失を泰然たる筆致で描いた村瀬継弥「藤田先生と人間消失」など好編が並び,ミステリファンの間でもかなり好意的に受け止められたように思う(だからこそ,その後何年にもわたって発行され続けたわけだ)。

 しかし,初期に掲載された作品のいくつかは,いわゆる「本格推理」としては難があったかもしれない。「仮面の遺書」にしても,その壁画が図版として提供されない以上,読者が小説の結末を完璧に推理することはあり得ないし,また,画家の死についても推理の入り込む余地はない。
 それはそれで犯罪小説としては成立しているのだが,本格ものの信奉者にしてみれば看板に偽りありということになるのかもしれない。実際,当初は「本格推理」の規範を理解しない投稿作が相次いだそうで,やがて編者の嗜好,他の掲載作の傾向が明らかになったのだろう,同シリーズはアマチュアの投稿ならではの伸びやかさを喪い,『本格推理』第3巻「迷宮の殺人者たち」ではすでに13編の掲載作のうち7編のタイトルが
  日下隆思郎「葵荘事件」
  佐々木幸哉「狼どもの密室」
  杉野舞人「嵐の後の山荘」
  由比敬介「嵐の山荘」
  三津田信三「霧の館」
  柄刀 一「密室の矢」
  犬家有隆「時空館の殺人」
と,山荘だの密室だの,いかにも「本格推理」っぽいものばかりになってしまう。
 それが編者が当初より期待する世界ではあったのだろうが,なにか硬直した,狭量な印象もぬぐい得ない。投稿作品を中心に編まれる「雑誌」ならば,クオリティよりもアマチュアならではの発想の広がり,ある種の「とんでもなさ」を求めたい,よしんば本格推理としては破綻していても,「素っ頓狂」な味わいを期待したい,と思うのだが……。

 なお,『本格推理』シリーズは,16巻から編集長を二階堂黎人に変えてリニューアルするとのこと。同氏の日頃の言動からしてますます収録作の傾向が限定されそうな気もしないではないが,とりあえずはお手並み拝見。

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