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烏丸の「くるくる回転図書館 駅前店」

 
今後、新しい私評は、
  烏丸の「くるくる回転図書館 公園通り分館」
にてアップすることにしました。

ひまじんネットには大変お世話になりましたし、
楽しませていただきました。
その機能も昨今のブログに劣るとは思わないのですが、
残念なことに新しい書き込みがなされると、
古い書き込みのURLが少しずつずれていってしまいます。
最近も、せっかく見知らぬ方がコミック評にリンクを張っていただいたのに、
しばらくしてそれがずれてしまうということが起こってしまいました。

こちらはこのまま置いておきます。
よろしかったら新しいブログでまたお会いしましょう。
 

目次 (総目次)   [次の10件を表示]   表紙

2001-03-09 消えたマンガ家 そのニ 『陽だまりの風景』 阿保美代 / 講談社コミックスフレンド
2001-03-08 消えたマンガ家 その一 『みるくパステル文庫』 桂むつみ / 集英社マーガレット・コミックス
2001-03-05 『ロシアは今日も荒れ模様』 米原万里 / 講談社文庫
2001-03-01 『フリーマントルの恐怖劇場』 フリーマントル / 新潮文庫
2001-02-24 『サトラレ』 佐藤マコト / 講談社モーニングKC
2001-02-23 本の中の名画たち その十一 『モンガイカンの美術館』 南 伸坊 / 朝日文庫
2001-02-20 本の中の名画たち その十 『美術の解剖学講義』 森村泰昌 / ちくま学芸文庫
2001-02-15 『寄生虫館物語 可愛く奇妙な虫たちの暮らし』 亀谷 了 / 文春文庫PLUS
2001-02-12 『オウムガイの謎』 ピーター・D・ウォード,小畠郁生 監訳 / 河出書房新社
2001-02-11 『最新恐竜学』 平山 廉,復元画・小田 隆 / 平凡社新書


2001-03-09 消えたマンガ家 そのニ 『陽だまりの風景』 阿保美代 / 講談社コミックスフレンド


【あれは 天使が まいごの 子ねこを さがしている ロウソクの灯】

 マーガレットで桂むつみが連載を続けていたのとほぼ同じ時代,ライバル誌の少女フレンドでファンタジックメルヘンのページを担当していたのがこの阿保美代。
 1980年ごろ,週刊少女フレンド,別冊少女フレンドに,4ページから,せいぜい10ページ程度の,少し物悲しいイラストストーリーが載っていたことをご記憶の方も多いのではないかと思う。

 阿保美代は「あぼみよ」と読む。昭和30年3月3日生まれ,魚座・B型。身長154cm,体重52kg。青森市出身,日大芸術学部映画学科卒業。……これは作品集『ルフラン』(東京三世社)に手書き文字で書いていたプロフィールだが,少女マンガ家でこれほど詳細に答えている例はあまり記憶にない(だからなに,ということはないけれど)。

 彼女の作品の登場人物は,母親を失った子供だったり,恋人と別れた青年だったり,一人静かに列車を待つ駅長だったり……。
 子ねこを見失った少年が(実は子ねこは事故に遭って死んでしまっているのだ),星でいっぱいの夜空に天使が子ねこを連れていくさまを夢見る,とか,まあそういったお話。
 大半は少女誌向け砂糖菓子,としか言いようのない甘やかなメルヘンだが,ときにサイダー程度には酸味の効いたショートショートになっていることもある。
 あくまで「マンガ」としてのコマ割り,セリフ,ストーリー展開に力点を置いた桂むつみに比べ,夜空,雨,雪を描いた大ゴマに代表される阿保の絵柄は装飾的で,イラストレーション的味わいが濃い。もっとも,その1コマを切り抜いて額縁に入れるのは無理があって,そのあたりがマンガの不思議なところだ。

 代表作の1つとおぼしき「緑のことば」(『くずの葉だより』収録)では,公園で雨に遭った青年が,雨やどりしながらオーボエを演奏する。通りがかった乙女が,大きな木にもたれて雨の音,枝々のざわめき,オーボエの音色に耳を澄ます。演奏を終えた青年が声をかけようとすると乙女は走り去っていってしまう。彼女は耳が不自由だったのだ。

 と,言葉で説明しても,吹き出しも擬音もないたった6ページのこの作品(ハッピーエンドである,念のため)について何一つ伝えられないような気がする。

 不思議なのは,作品にもよっては,描画のタッチが『ガラス玉』の岡田史子に似ていることだ。ベタで塗りつぶされた青年の目,うねうねと情感をみなぎらせる少女の髪,風景でなく心象を語る樹木,などなど。
 似ているからといってどうということもないのだが,なんとなく岡田作品,阿保作品に「象徴主義」というレッテルを割り振ってみたくなるわけだ,これが。もちろん,2人の作風はボードレールとベルレーヌくらい違うわけなんだけれども。

 ちなみに阿保美代はこの10年ほど見かけなかったのだが,最近,講談社ソフィア・ブックスから『マンガ二人でつくる基本料理がいきなりおいしくできる本』を重金碩之の原作付きで発表している。消えてしまったわけではなかったようだ。

先頭 表紙

しっぽなさま,阿保美代は(今はなき)mimiにも書いていたもようです。「消えたマンガ家」とは失礼でした。 / 烏丸 ( 2001-03-09 20:56 )
マコさまいらっしゃいませ。岡田史子,ご存知ですか。烏丸の中ではファンとかいうよりもう別格,の作家の1人です。 / 烏丸 ( 2001-03-09 20:55 )
最近女性誌に掲載されてました。。。何かは忘れてしまったけれど・・・ / しっぽ ( 2001-03-09 13:21 )
なつかしいですね〜〜〜うれしい〜〜阿保さん岡田さん〜〜 / マコ ( 2001-03-09 12:22 )
資料等と申しましても,okkaさま,単行本持っているだけです。 / 乙女ちっく? 烏丸 ( 2001-03-09 11:58 )
思い出しもしないけれど言われると、よく読んでいたそんな漫画家が、まだまだいそうですねぇ。しかし、よく資料等ありましたねぇ。 / okka ( 2001-03-09 07:34 )

2001-03-08 消えたマンガ家 その一 『みるくパステル文庫』 桂むつみ / 集英社マーガレット・コミックス


【あれから もう3年】

 有吉京子『SWAN −白鳥−』,池田理代子『オルフェウスの窓』,山本鈴美香『エースをねらえ!』,岩館真理子,塩森惠子,柴田あや子,川崎苑子,弓月光等々。こう並べただけで,おわかりになる方には「ああ,そう! あのころ!」と手を打つような……正確な部数なぞは知らないが,集英社・週刊マーガレットが活力にあふれていた1970年代後半。そのマーガレットに,毎号,必ず見受けられる,独特な,縦より横に長い顔のマンガがあった。桂むつみの作品である。

 桂むつみの単行本は決して多くはない。

  街角のメルヘン(1978年5月20日)
  初恋初雪(1978年12月20日)
  みるくパステル文庫(1980年12月25日)
  月のひとしずく[1](1981年5月30日)
  月のひとしずく[2](1981年6月30日)
  うそでしょオ?(1982年1月30日)
  センチメンタル(1983年5月30日)

これですべて。全部。作品の発表時期も,1977年から1982年の,おおよそ5年間に限られている。

 作風は,タイトルが物語るように,「メルヘン」「初恋」「パステル」「センチメンタル」。
 「鼻ペチャ ド近眼 寸たらず」(街角のメルヘン)といったドジでグズな女の子が,神戸とおぼしきおしゃれな街角で背の高い若者と出会い,そして……というお話。

 正直言って,これらの作品の連載当時は苦手,というか眼中になかった。「りぼん」「なかよし」よりやや高い年齢を対象にした週刊マーガレットで,夢見がちな若年層をカバーする,そんな気配が絵柄からも濃厚で,まあ言ってみれば一人「詩とメルヘン」パートをまかなっている,そう見えたものだ。

 しかし,プロはそれほど単純なものではない。
 たとえばマイフェーバリットな1冊,『みるくパステル文庫』を見てみよう。小次郎先輩にあこがれて演劇部に入った主人公・森田くるみは,せっかくめぐってきたオフィーリアの役なのに舞台で転倒してしまう。おまけに仕送りを使い果たし,そうこうするうちに,小次郎のライバル・ムサシ率いる落研のハナになってしまう。小次郎への告白はほかの少女に先を越され,ムサシには似合いの恋人がいて……。

 「メルヘン」「初恋」「パステル」「センチメンタル」のてんこ盛りである。しかし,それで説明しきれないものが1つだけある。それが,「時間」だ。いや,桂むつみ作品の底にずっと流れるメインテーマはこの「時の流れ」とさえ思われる。人を引き離し,人をいやし,人を引き離す,時。

 だから,一見おとめちっくなファンタジーに見えて『みるくパステル文庫』には意外なほどに救いがない。けなげさは報われず,優しさは空回りする。
 甘すぎるケーキのようなハッピーエンドの代わりに,作者は「あなたのお気に召すままに」という言葉で物語を閉ざす。その階段のシーンに風船を手放してしまう子供を描く,なんという巧さ。

 そして,作者自身,最後の『センチメンタル』でほんの少し絵柄を変え,時の向こうに消えてしまう。それ以上描くことができなかったのか,描く必要がなくなったのか。後者であれかしと祈る。

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 ……というわけで,「本の中の名画たち」は少しおいて(読み終え,表紙をスキャン済みの本はすでにたくさんあるのだが,どのように紹介するかで少々煮詰まってしまった),消えたマンガ家についてしばらく考えてみよう。リクエストがありましたら,できうる限りお応えしたいと思います。

先頭 表紙

これは春吉さま,いらっしゃいませ。最近,レビューがあまり更新されておられないようで寂しく思っておりますが……。それはともかく,マーガレットとりぼんの間というのはまったくその通りですね。『初恋初雪』ももちろん持っておりますよぉ。 / 烏丸 ( 2001-03-11 01:48 )
はじめまして....す、好きでした。懐かしい表紙。乙女チックとしか言い様のない絵柄なんですが、背景の描き込みとか色とか....田淵由美子さんに通じる世界を感じていたような。マーガレットとりぼんの間の世界。わたくしのお気に入りは「初恋初雪」.. / 春吉@自日記休止中でも巡回中 ( 2001-03-10 04:07 )
川崎苑子といえば『りんご日記』が懐かしい……。 / 烏丸 ( 2001-03-09 20:53 )
ああっ、懐かしい。でも絵柄は強烈に印象に残っているのに話はさっぱり思い出せません。こんな単行本をお持ちとは。私の持っている一番古い単行本は、川崎苑子の「あのねミミちゃん」だったりします。 / けろりん ( 2001-03-08 13:25 )
なんというか,けろりんさまの「寝る前にマンガ」に「ああ,やっぱり現役にはかなわない!」と白旗を上げ,最近の少女マンガはそちらでお勉強させていただくことにして,こちらは少々レトロに走ってみました。 / 烏丸 ( 2001-03-08 02:12 )

2001-03-05 『ロシアは今日も荒れ模様』 米原万里 / 講談社文庫


【ニホンはロシアを笑えるか?】

 著者・米原万里は芸名からも明らかなように,海原千里・万里の弟子である。……もちろんウソだ。しかし,担当編集者の心のどこかにも,その寒いギャグはあったのではないか。腹帯は「笑うっきゃないあの国の秘密を暴く! ゴルビーもエリツィンも愛しくなる。下ネタも裏話もぜーんぶ実話!」である。背表紙の惹句は「過激さとズボラさ,天使と悪魔が共に棲む国を鋭い筆致で暴き出す爆笑エッセイ」である。

 しかし,笑えない。釈然としない。

 第一に,著者はロシア語の通訳として長年活躍し,その仕事を通して知り合ったロシアの民衆や,ゴルバチョフ,エリツィンらの言動をエッセイとしてまとめているわけだが……職業倫理的に問題はないのだろうか。もちろん,そのあたりをまるで考慮していないわけではなく,たとえばエリツィンの側近が暴露本で著した事実を追認するような形でエピソードを語ったりはしている。しかし……それは,著名人の手術を担当した外科医が,「週刊誌に病名が載ったのだから自分も喋ってよいだろう」というのに近くないか。

 第ニに,描かれたロシア人の悲喜こもごものエピソードは,冒頭のとことんなウォッカ話から酔っ払って失敗に終わったクーデター,そしてソビエト連邦崩壊後のどたばたまで,なるほど1つ1つ興味深く,可笑しい。しかし,1つの大国が酒で持ち崩し,体制が崩壊し,貧困と民族対立の中に泥船として沈没していくさまのどこが「爆笑エッセイ」なのか。
 同じロシア周辺の民族紛争を描くにしても,自ら戦渦の真っ只中に飛び込み,壮絶な笑いを誘う宮嶋茂樹に比べて,どうか。また,ロシアの,党や書記長をコケにする小噺のビターな魅力は,密告の危険の裏返しだからこそではないか。それに比べて,おそらく日本側の外交官や企業の役職者に同行し,ロシア側の高官を相手にする著者には,苦労がないとは言わないが,食前酒をなめなめテラスから民衆を描く趣はないだろうか。

 というようなことを印象だけで書くのはさすがに失礼。もう少し丁寧に読んできちんと立証しようかと思ったところ,こすもぽたりん氏の『ガセネッタ&シモネッタ』評を拝読して,なんとなく「ほかの本もそうか」と気分がなえてしまった(もちろん,ぽたりん氏の言わんとすることとカラスめが感じたことはあれこれ違うだろうが)。

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 てなわけでこの1週間は,『ハンニバル』(トマス・ハリス)を読んだり,『陰陽師 付喪神ノ巻』(夢枕獏)を読んだ勢いで今昔物語(といっても対訳付き)をぱらぱらめくったり,『ゼロ』(里見桂)の新刊を読んだり,『金融迷走の10年』(日本経済新聞社編)にうなったり,と,読書的には充実していながらひまじんにはさっぱりアップすることができず,これ皆先週の果報なりとなむ,語り伝へたるとや。

先頭 表紙

たらママさま,烏丸もこの米原万里氏が「お笑いエッセイ」を書いている自覚はないのだろう,と思います。ただ,それなら当人は何を書いているつもりなのだろうと考えると,なんだかよくわからない。いずれにしても,こんなに一種「さらしもの」にするほど悪い本ではありません。情報的には面白いし,ロシアについて「そうだったのか,長年の疑問が解けた!」ということも多々あります。とっとと次のを書かない烏丸が悪いですね……。 / 烏丸 ( 2001-03-07 20:38 )
その帯にある「笑うっきゃない」という表現が、この方の場合とてもキツく感じられるのです。テリーさんの「お笑い北朝鮮(でしたっけ)」みたいに、本当のインテリ・ギャグ路線なら、受け止め方も違ったんですが。やっぱり企画した人間がわかってないんじゃないかと思います。 / たらママ ( 2001-03-07 13:16 )
ちゅうか、「気取ってんぢゃねぇよ」ってぇか。あ、だんだん調子に乗って手厳しくなってきちゃった…。 / 虎の威の皮算用のぽた ( 2001-03-07 00:11 )
ミナ嶋さま,それは手厳しさとかそういうことではなくて,あれです,学級委員長がどんなに美人で学業優秀でまじめで髪もちゃんとたばねていても,「カラスマルくんは掃除をさぼって,花壇の球根を踏んだのでいけないと思いまーす」と言われるほうにしてみれば「やなヤツだよなー,委員長って。男にはヒミツキチのツキアイがあるのに,わかってねーんだよあいつは」になってしまうみたいな。 / 烏丸 ( 2001-03-06 12:01 )
み、みなさん手厳しい……。わたくし、お二方に論評されている最近の作品については存じあげないのですが、『不実な美女か貞淑な醜女か』を読んだ時には「ふふーん、うまいなぁさすがやなぁ」とただただ感心しておりましたです。単細胞すぎるんでございましょうね。「不肖・ミナ嶋」の呼称は謹んで返上いたしますです。とほほ。 / ダメダメ人間 ( 2001-03-06 08:21 )
ア,ナンカ,思イガケナイ本ノ思イガケナイトコロデウケテシマッタ。マ,ウケルノハウレシイカラ結果オーライ。しっかし,こーゆー本を読むと,しみじみ,ほんっとーーーーーーーーーーーーーーに,自分がサイバラや不肖・宮嶋が好き! なのがわかります。作品が好きなだけじゃなくて,もう,構造的に好きなのね。やっぱり,文筆業も,命さらして,体張らなくちゃだわ。 / 烏丸 ( 2001-03-05 22:59 )
そうそう!! そうなんですよ!! 「いけ好かないインテリゲンチャ」とはまた、ずばりですなあ。あたしゃ、なんでここまで面白くないのかを、初出誌のせいにしてしまいましたが。というわけで、二度と買わないよ〜ん。 / 会社から突っ込めなくなったこすもぽたりん ( 2001-03-05 22:40 )
マッキ〜さま,100人が読んで3人が次の「もちろんウソだ」を素通りしたら……あとは人づてから人づてに,都市伝説の出来上がりであります。 / 烏丸 ( 2001-03-05 20:48 )
最初の一文を読んで「そうなんだ〜」と思ってました。すぐ後に違うって書いてあるのに。。一文を読むのに時間がかかるので、こんなアホなことを思ってしまいました。(^_^;) / マッキ〜 ( 2001-03-05 20:21 )
つまり,本の中に書かれた個々のエピソードは面白いのに,本そのものの成り立ちというか構造がなんとなく面白くないんでやんす。早い話,いけすかないインテリゲンチャってこってすな。 / そうまで言うか 烏丸 ( 2001-03-05 18:02 )
なるほど、あちきが「面白くねぇなぁ」と思ったカンジが、実に解りやすく書かれていて、さすがはカラス神父様でいらっしゃいますことです。 / こすもぽたりん ( 2001-03-05 17:39 )

2001-03-01 『フリーマントルの恐怖劇場』 フリーマントル / 新潮文庫


【エルスペスはいやだって】

 こすもぽたりん氏の「神田マスカメ書店」に触発されて,『消されかけた男』はじめブライアン・フリーマントルの作品を何冊か手にする烏丸である。しかし,本筋のチャーリー・マフィンものを何冊か読んだところで,つい傍流の短編集に手を伸ばしてしまうのが烏丸の悪い癖。まずはタイトルにひかれて『屍泥棒 プロファイリング・シリーズ』,ついでこの『恐怖劇場』。

 本書は,なんというか,功成り名遂げた大物ポップミュージシャンが,かつて慣れ親しんだオールディーズをリメイクしてアルバムを1枚こしらえた,そんな感じだろうか。内容はかなりオーソドックスな「怪談」である。
 もちろん,怪談といっても,作者自身述べている通り,目に見えない“東洋的魂魄”ではなく,人間の姿をもった“西洋的ゴースト”のほうである。同じ幽霊でも足があるし,どすんとドアを閉め,人にたたれば皮をはぎ,腹を裂く。
 東欧の村に伝わる領主の呪いを描いた「森」,英国の名家を舞台にした悲劇「ウェディング・ゲーム」のような正統派の怪談から,霊界との通信で株の動向をはかる「インサイダー取引」,作者得意のスパイを主人公とし,苦笑いを誘う「魂を探せ」など,全12話はバラエティに富み,気分転換にはうってつけ,逆にいえば別にフリーマントルでなくともよさそうな,そんな作品群である。

 さて,それだけならことさら紹介するほどのこともないのだが,少し興味深く思ったのが収録作の1つ,「遊び友だち」だ。ブロードウェイで成功した夫婦が,ロード・アイランド州の古い家を別荘に買い求める。その家での生活は快適だったが,やがて子供たちが,その家に住むエルスペスという幼い友だちのことを口にするようになる。……

 どうやらこれは,英米の怪談の1つの鋳型らしい(SFにおける「冷たい方程式」のようなものか)。
 本棚から探してみた限りでも,
   ローズマリー・ティンパリイ「ハリー」(ハヤカワ文庫『幻想と怪奇(2)』収録)
   ジョン・コリア「ビールジーなんているもんか」(ハヤカワポケットミステリ『怪奇と幻想(2)』収録)
   A・M・バレイジ「遊び相手」(ハヤカワ文庫『ロアルド・ダールの幽霊物語』収録)
 これらはいずれも,古い家に越してきた子どもが,その家に住む子供と親しくなり(もちろん,大人たちにその子供の姿は見えない),最初は子供の空想と思われたものが,だんだん……という展開である。誰のどの作品を端緒とするのかはわからない。サキにも,この通りではないが似た設定の短編があるようだ。
 見えない子供は,たいてい,遠い昔,その家でなんらかの事故や病で死んでしまった子供で,悪意があるわけではないが,その家に越してきた子供たちを自分の側にとり込もうとする……。
 大人たちの反応はさまざまで,とくにバレイジの「遊び相手」は,従来の作品への鎮魂というか,一種逆手にとった結末で,冷たい清冽な水が心に流れるような思いにかられる。
 フリーマントルも,また,その鋳型に新しいバリエーションを加えようとしたのだろう。それが成功か失敗かといえば,さてどうか。

 ところで,我が家の長男も,3歳から4歳にかけて,目に見えない友だちでなく,目に見えない「ぼくのニホン」についてときどき思い出したように口にしていた。もとより,国と市と家の区別もつきかねるような幼児のことで,他愛ない空想とわかっているのだが,ときに淡々と「ニュースだよ。ぼくのニホンで人がたくさん病気で死にました」などと言われると少々薄ら寒い思いをしたものである。

先頭 表紙

よし、今日は「ぼくのニホン」を書いてみるかのお。以前書いて断念したときのファイルは残っているかしらっと。 / 会社のサーバの調子が悪いぽた ( 2001-03-05 22:41 )
うちの息子にも見放された「ぼくのニホン」は今ごろどんな廃墟になりはてているのでしょう。「屍」が縦・横並びでしょうか。 / 烏丸 ( 2001-03-04 15:57 )
怖いのは怖いので〜、フリーマントルの怖いのは読んでないのよ〜。「ぼくのニホン」も、これまた怖いのね〜。 / こすもぽたりん ( 2001-03-02 21:36 )

2001-02-24 『サトラレ』 佐藤マコト / 講談社モーニングKC


【だめだったんだよ ありがとうなんて 言うなよ】

 日清サラドレではない。いわんやハドソンのサラトマでもない(古いぞ烏丸)。

 「サトラレ」とは,先天性R型脳梁変性症,柳田國男が採取した「サトリの妖怪」の逆……わかりやすく言えば「口に出さなくとも思ったことが周囲約50mに筒抜けになってしまう」先天性の奇病である。1千万人に1人の確立で生まれてくると言われている。彼らは例外なく天才であり,あらゆる分野で素晴らしい業績を残している。
 政府はサトラレの能力が人類共有の財産であるとし,発見され次第,将来の方向性がある程度決まるまで科学技術庁直属のサトラレ対策機関の管轄保護下に入れ,進路が決まり次第,文化科学厚生など関係省庁に引き継ぐ。

 しかし,サトラレ保護法が整備される前,最初のサトラレは,堪えられなくなって死んでしまった。だから,サトラレには自分がサトラレであることを知らせてはならない。そのため,サトラレには常に数人のシークレットサービスが警護につく。このあたり……作者は日本テレビの「はじめてのおつかい」からヒントを得たに違いない。

 第1話「西山くんの恋」は,そんなサトラレで量子物理学者の卵,西山幸夫くんの恋の物語である。
 なにしろ彼の考えることは,周囲50mの人に筒抜けなのである。道を歩いていて「わっ おっきな おっぱい」と喜んだり,好きな女性を見かけて「川上さんだっ! スタミナ定食食べてるっっ」と思ったり,「はァ─────っ スタミナ定食になりたい……」と恋煩いしたりしても,それが全部が全部川上さん含む周囲の人々にまるごと筒抜けなのである。科学技術庁は官房長官を招いて会議を開き,西山くんの恋を早期解決しようとはかる。それに対し,西山くんの警護にあたっていた小松洋子は……。

 素晴らしい。本当に素晴らしい。シャンペン抜いて乾杯だ。読書家冥利につきるというか,マンガ&SF好き至福の時というか。
 この設定だけで,もう勝負は見えたようなものだ(なんの勝負?)。よしんば一発屋で終わったとしても,パッと咲いた見事な花火と言えるだろう。

 特筆すべきは,この秀逸な設定のみならず,アシスタント歴15年という作者の視線がしみじみと優しいことだ。
 サトラレの家族はもちろん,警護にあたる者たち,ただ袖すり合うだけの人々。誰もが皆,サトラレの心がもれていることを一生懸命知らないフリをし,サトラレを思いやる。もちろん,サトラレに対して知らないフリをするのは国民の義務であり,それを破れば懲役刑が待っているわけだが,そんなこと以前に一人一人一人一人が優しい。優しくならざるを得ない。ここしばらく相次ぐ少年犯罪と対極の心遣りがここにはある,そんな気がする。
 そして,そんなサトラレだからこそ,どんなに優秀でも絶対に就業させてはいけない職業がある。周囲がそれを推し留め,なおかつそれを突破せんとするサトラレを描く第4話,第5話,これは泣ける(それぞれなんの職業かはナイショ。ぜひ単行本を手にして読んでください)。
 本当に,泣ける。

 本書は講談社の「モーニング新マグナム増刊」に掲載。モーニング,アフタヌーン系は,本当にこういう作品を世に出すのが上手い。見事。

 なお,『サトラレ』は,安藤政信,鈴木京香出演で映画化が進められているそうである。『踊る大捜査線』の本広克行監督とのことなので,つまらない映画ではないと思うが,おそらくこの素朴な,すみずみまで満たされるような優しさは映像にはならないだろう。原作を先に読んでおくことをお奨めしたい。

先頭 表紙

モーニングの増刊は以前から面白い作品が多いのですが,週刊でないとどうしてもチェックが甘くなってしまいます。さりとてマンガ誌を予約注文とかするのは大げさだし……キオスクで顧客別留め置きとかしてくれる……わけありませんね。 / 烏丸 ( 2001-03-04 15:55 )
うっ、「モーニング新マグナム増刊」はカバーしていませんでした(泣)。追跡調査しなくては…。 / TAKE ( 2001-03-03 03:39 )
そーなんですけろりんさま,あの第4話は泣けてしかたありません。単に悲しいお話であるというだけでなく,サトラレ氏の前向きさが泣けるのであります。 / 烏丸 ( 2001-02-28 15:49 )
一段落ついたので読みました。食事をしながら4話で泣いてしまいました。だめなんですよー、おばあちゃん話とか家族が亡くなる話。次の巻も楽しみ。でも通勤時間があるってある意味うらやましいですね。 / けろりん ( 2001-02-28 13:34 )
うーむ,通勤時間などで1日1冊2冊,本は読めているのですが,私用で時間をとられて,なかなか紹介文が書けません。最近安く手に入れたザウルスなど用いて,食事中ひまじん,電車の中ひまじんに挑戦してみますか……。しかし,それってひまじんと言えるんだろうか。 / 烏丸 ( 2001-02-28 02:58 )
なにを隠そう,この本文をまずまっつぐに書いて,それから読み直してみたら,「サトラレ」の半分は「サラトレ」と書いてあったのでした。 / 烏丸 ( 2001-02-26 12:33 )
ハドソンのサラトマでは、"attach"で苦労しましたっけ。 / こすもぽたりん ( 2001-02-25 23:57 )
そうそう、小松さんが原作です。落合Dらしくどうしようもないくらいの救われなさがツボでした。「家族八景」は私の少女時代の愛読書でもあります(^^) / よこ ( 2001-02-25 21:27 )
よこさま,「世にも奇妙な物語」の「さとりの化け物」というと,もしや小松左京の短編のドラマ化とやらではないでしょうか。どこかでちらっとそう聞いたような記憶が……。まあ,SF作家は全般にサトリ(テレパシーネタ)が好きで,筒井康隆の『家族八景』『七瀬ふたたび』なども言ってみればサトリの妖怪のバリエーションではありますが。 / ミユータント烏丸 ( 2001-02-25 21:17 )
サトリの妖怪が元ネタになっている「世にも奇妙な物語」の作品「さとるの化け物」はサトラレとはまったく逆方向の作品になってて(作風も含めて)これはこれで面白かった(ディレクターは映画「催眠」の落合さん)本広監督の作風から推察すると素朴や優しさよりもスラップスティックな要素が強まって、おもしろうて、やがて悲しき路線に行きそうな気がしますねー。そういえば明日から「トトの世界」がNHKBSでドラマ化されるとか・・・こっちもどうなるのかなーと不安と期待でございます。 / よこ ( 2001-02-25 20:27 )
JBOOKは,複合・限定があんまり上手くいかなくて……。要するに,著者名で探す,とかいったことができないので,「手塚治虫」で検索すると,手塚作品も手塚について書かれた作品も,全部並べてしまうのです。amazon.comその他は,普段あまり使ってないのでよくわかりませぬ。 / 烏丸 ( 2001-02-24 18:11 )
烏丸が愛用しているのは,老舗の紀伊国屋BookWebですが(古い本の一部はデータがないが,そもそもここで引っかからないようなら,新刊としての入手は無理),ただしここは有償(だと思う)の会員システムで,非会員の検索は非常に限定されています。検索が無料のサイトなら,bk1あたりがよいように思います(烏丸が紀伊国屋を気に入っているのは,複合検索が楽,わりあい軽い,からです)。 / 烏丸 ( 2001-02-24 18:10 )
けろりんさま,オンライン書店については,昨年の10月18日,21日,こすもぽたりん氏の「神田マスカメ書店」にて詳細な報告が書かれています。また,その前後には,「掲示板」にてやり取りがなされました。……が,本の「検索」に限定しては,それほど話題になってなかったような気もします。 / 烏丸 ( 2001-02-24 18:06 )
JAIさま,いらっしゃいませ。本書は一昨日の発売なのですが,映画とのタイアップもあってか,各書店で平積み状態でした。新人のデビュー単行本としては破格の扱いですね。 / 烏丸 ( 2001-02-24 17:48 )
このマンガ、ちょっと気になっていたんですよ。やっぱ読んでみようかな。ところで、オンライン書店の検索ってどこが一番使えますか? / けろりん ( 2001-02-24 15:33 )
ホントに大変面白そうでございます。目にする機会があったら、是非読んでみようと思います。 / JAI@SF結構好きです ( 2001-02-24 09:01 )

2001-02-23 本の中の名画たち その十一 『モンガイカンの美術館』 南 伸坊 / 朝日文庫


【私が一貫していいつのっているのはこのことだ。】

 取り上げておいて失礼な話だが,とくに南伸坊のイラストや文体が好き,と思ったことはない。そのくせここで紹介するのが3冊め,うーん,なんていうんでしょう,ポジショニングが巧いというか,角を曲がるとそこにいるのだ。やはりアナドレナイ人である。

 さて,『モンガイカンの美術館』が連載されたのはなんとあの「みづゑ」。「おいつめてわるかった。かえってきてくれみつえちゃん」……ではなくて,美術出版社の,ほらあの美術界の「ユリイカ」と呼ばれる……呼ばれてないか。まあ,なんにしても新刊書店に雑誌「みづゑ」は今はもうない。おいつめられて休刊になってしまった。最後のほうは,読めるところなかったし。

 本書は南伸坊がその「みづゑ」で「門外漢」として自由に美術,芸術を語る,という企画だったが,やはり雑誌が雑誌だけに,人選にワイルドにはなりきれなかったようだ。美術史,美術批評のプロではないにしても,イラストを学び,美術全般への素養をにじませる著者の筆に破綻はない。
 なにせ,初手からマルセル・デュシャンのレディ・メイド(既成の日常品などをそのまま作品として美術展に提出するというもの)がテーマである。気がつけば,文庫の腹帯のモナ・リザにヒゲが描いてあるあたりもデュシャンである。なんだかいかにも掲載誌の読者層に趣味嗜好が合わせてあって,商業誌としては当然ながら,少々あざとささえ感じてしまう。
 その後もピカソ,マン・レイ,ポール・デルボー,ハンス・ベルメール,モンドリアン,カンディンスキー,リキテンスタイン,ウォーホールなどなど,なんだか20世紀美術の缶詰セットみたいなラインナップ。いや,もちろん,もっとマイナーな画家だとか,南伸坊当人のまじめ/おふざけ作品だとかがあれこれちりばめてはいるのだけれど,「ふうん,なんだかマジメなラインナップ……」と流し読んでいるうちに,1晩で読み終わってしまった。断っておくが薄い本ではない。立てて置いても倒れない,400ページ,厚さ3cmは下らない文庫である。

 本書に熱中できない原因は,要するに,1人の作家,1つの作品についての好み,評価が,著者と自分とであれこれ違うためだろう……と思ったが,もう一度ぱらぱら見てみると,どうもそうではない。
 先の森村氏も書いていたが,現代の美術というのは,作者によるコンセプトの文化なので,その作品のコンセプト,要するに「理屈」が必ず問われる。それは魅力的な世界で,美術作品の「意味」を掘り下げる本は実際確かに面白い。しかし,本書は「モンガイカンの」と銘打っているのだ。作品へのアプローチはもっといろいろあってよいと思うのだが,作品のコンセプトを読むという姿勢は,400ページ,のっぺりとほとんど変わらなかった。
 その意味で,著者は「モンガイカン」ではなくどっぷり「アチラ」の住民に思えてならない。400ページ破綻なく同じテンポを刻み続けられるというのは,立派なプロのワザである。そのプロに,コンセプトを読むというフォームは変えずに「面白主義で自分のアングルから」と言われても困ってしまうのである。

 たとえば……と,例をあげたいが手頃な例がない。1つ1つが悪いわけではないのだから。で,どうでもいいようなツッコミを1つだけ。
 エロという名のパロディ作家のある作品について,「性器マル出しの枕絵と,ドリル付きの戦車のようなものが並置された絵」と著者は書く。それはどう見てもサンダーバードのジェットモグラであり,そのわきには1号も飛んでいるのだが,シンボーさん,サンダーバードご存知ない?

先頭 表紙

2001-02-20 本の中の名画たち その十 『美術の解剖学講義』 森村泰昌 / ちくま学芸文庫


【美とは未来に向かって振り返ること】

 書店店頭で『チーズはどこへ消えた?』の「全米で2年間にわたってベストセラー・トップを独走!」という腹帯の惹句を見かけるたび,少々物悲しい思いにかられてしまう。そんなものか,アメリカ。

 迷路の中に住み,チーズを探して生活するネズミのスニッフとスカリー,小人のヘムとホー。
 「『チーズ』とは,私たちが人生で求めるもの,つまり,仕事,家族,財産,健康,精神的な安定……等々の象徴」と明記してしまう表紙カバーにまず天を仰ぐ。つまりこれは,その程度の読解力も持ち合わせない者を対象にした寓話ということか。
 そんなものに目くじら立てるほうが愚かというものだが,それにしても,自分をどのキャラクターに当てはめて読めばよいのか。
 本書では,チーズは迷路のどこかに,誰かが置いてあるもので,2匹と2人は単にそれを見つけ出して食うだけである。それで原題が「Who Moved My Cheese?」。つまり,「私たちが人生で求めるもの」とやらは,どこかに誰かに置いてもらうもの。また,登場人物たちの反応はさまざまだが,いずれにしても変化はあくまで外的,受動的な問題であって,誰一人迷路そのものについて疑問を持たないし,迷路を破壊しようともしない。
 つまり,ここに書かれているのは,檻の中でちょこまかと働く,有能な飼いネズミの育て方。それとも従順な信徒か。冗談としてもつまらない。

 是非はともかく,神道の生地の上に仏教的無常感と儒教道教をトッピング,赤い左翼思想振りかけ,なおかつSFやロックといった西洋ドリンクをサービスで付けた日本人の「変化」観のほうが総じて多彩で複雑だ。複雑ならよいってものでもないが。

 たとえば『美術の解剖学講義』。本書は必ずしも最良とは言い切れないが,それでも「変化」,正確には「変容」についてのアグレッシブさの十分感じられる1冊だ。
 本書はレオナルドの「モナ・リザ」やレンブラントの「トゥルプ博士の解剖学講義」などの名画やヘップバーン,モンローなど女優を模したセルフポートレイトで知られる森村泰昌が,そのコンセプトとセルフポートレイトに出会うまでを語る美術レクチャーの書籍化である。
 マネの「フォリー・ベルジェールの酒場」の解釈,レンブラントの自画像論など,セルフポートレイト化,つまり名画をながめるだけでなく,洋服から化粧,背景の小物まで模倣しようとしないと気がつかないのではないかと思われるさまざまな指摘にあふれ,論理ゲームとして非常にスリリングだ。
 もちろん,彼のセルフポートレイトには,当人ですらまだ語り尽くせない意味合いが込められているのだろう。
 その解法,少なくとも模索として書かれた,ルネサンスや20世紀の映画を,「堕天使」による「まがいもの」として過去の美を模倣し,それが新しい美を生んだとする一種の芸術永久革命論はよく出来ているし,また,モノの観方,とらえ方の例として提出された,人生の行く手をはばむ「壁」に対する方程式も面白い。

 いわく,「よじのぼったり,こわそうと努力したりする。これが初級」。
 「次にトンチをきかす」。壁を置物とみなしたり,散歩がてら迂回路を見つけたりする,こういうのが中級。
 上級ともなれば,「壁がある。その壁をじーっと見つめるんですね。すると壁が半透明になっていったり,お豆腐のように柔らかくなっていったりする。そして上級者は水に浸かるようにこともなげに壁の中に入っていって通過してしまう」。

 迷路はチーズならぬ豆腐でできているのである。

先頭 表紙

同じ著者の『踏みはずす美術史 私がモナ・リザになったわけ』(講談社現代新書)はほぼこの続編という感じで,やはり面白く読みました。森村氏はもっとキワモノかと思っていたのですが,一種古典的というか存外ストレートな芸術家であったか,という感じです。……それにしても,花粉症,大変そうですね。 / 烏丸 ( 2001-03-02 12:59 )
花粉と確定申告にうち勝ってようやく読み終えましたが、なかなか面白かったです。烏丸さまご指摘の「フォリー・ベルジェールの酒場」のくだりなども。 / TAKE ( 2001-03-02 10:59 )
日本の山が杉だらけなのは,猪瀬直樹 『日本国の研究』などによると行政に問題があるようであります。あと,大都市周辺ではディーゼルの粉塵が複合的にまずいのではないかと。お大事に,なのであります。 / 烏丸 ( 2001-02-26 12:45 )
ワタクシもとうとう、金曜日の晩から花粉発病でやんす。 / こすもぽたりん ( 2001-02-25 23:58 )
烏丸は幸い花粉症の気はないのですが,最近50歳越えた知人が発症して困っています。年齢関係ないみたいで油断できませんね。今から空気清浄機を備えておいたほうがよいのかしらん。TAKEさまもどうぞお大事に。 / 烏丸 ( 2001-02-23 22:45 )
さっそく購入したのですが、花粉にやられて前にすすめず…(泣)。先日の「オウムガイの謎」も本屋で見つからず…。ちょっと不調です。 / TAKE ( 2001-02-23 21:51 )
なるほどなるほど〜。「手が届かない」なんて、実際に試してみないと絶対に気付かなさそう。「比較的腕の短いアジア人が再現しようとしたから?」と一瞬思いましたが、森村氏は男性ですものね。きれいにスキャニングされた「フォリー・ベルジェールの酒場」もご紹介いただき、ありがとうございました。 / 美奈子 ( 2001-02-22 07:50 )
「フォリー・ベルジェールの酒場」,スキャナの腕前はこちらのほうがよいようですね。確かに腕は長く見えるけど,この女性,かなり前かがみなのでは,という気もします。 / 烏丸 ( 2001-02-21 14:16 )
森村氏はそこで,「猫の手」ならぬ大柄な中学生の男の子の腕を借りて石膏取りし,女性の腕の代わりに配置。そして,文字通り「手持ちぶさた」になってしまった自分の腕は……握りこぶしをつくって胸の前でX字型に組み合わせたのでした。 / 烏丸 ( 2001-02-21 12:05 )
そしてセルフポートレイトのために,舞台装置や衣装を用意したところ……なんと,カウンターに手が届かない。つまり,マネはこの女性の腕を実際以上に長く描いたらしい! それは構図的には中央に力強い二等辺三角形の骨組みを構成するためではなかったか。そして,さらには鏡や腕の長さの工夫は,従来主人公であった客や芸人から,一人の給仕女に主人公を変える「価値の遠近法」ではなかったか。 / 烏丸 ( 2001-02-21 12:04 )
あらあら,いつでも時間があるからひまじんなんですよ。というわけで,「フォリー・ベルジェールの酒場」について,本書よりざっと。森村氏はまずこのマネの作品が,カウンターの向こうで給仕をする女性以外はすべてその背後の鏡に映った姿として描かれていることを指摘します(ここまでは美術書などでも有名)。 / 烏丸 ( 2001-02-21 12:04 )
お忙しいところ恐縮です。いつでもお時間がある時でけっこうですので……どうかご無理はなさいませんよう(って、お尋ねしておいて言うのもなんですが)。 / 美奈子 ( 2001-02-20 23:13 )
「壁」コメント……美奈子さま,そのときはまだこの本,読んでませんでした……。単に烏丸が壁とか迷路とか,一部の言葉や設定に反応しやすい,ということだと思います(要するに,根が単純)。「論理ゲーム」のほうは,今,本を持ち歩いておりませんので,帰りましてから……。 / 烏丸 ( 2001-02-20 12:01 )
なるほど、先日いただいた「壁」コメントの背景がわかりました(笑)。「論理ゲームとして非常にスリリング」とはどういう感じなのか、もう少しお話しいただけますか? / 美奈子 ( 2001-02-20 08:22 )

2001-02-15 『寄生虫館物語 可愛く奇妙な虫たちの暮らし』 亀谷 了 / 文春文庫PLUS


【寄生虫はとてもおだやかに生きている】

 「センセイ」にもいろいろあって,学校の教師には総じて世間知らずが多いし,一部の業種ではなぜか客のほうから「センセイ」と呼ばないと店主に相手にしてもらえない。
 最近,高校生の乗る実習船が他国の潜水艦に追突されて沈没,9名の行方不明者が出た折にもゴルフを続け,「どうして危機管理なのか。事故でしょ」と言ってのけてまたしても不評をかった某人物。彼は孫娘にも自分のことを常時「センセイ」と呼ばせるそうだ。
 烏丸も以前あるところでセンセイセンセイと連発されたことがあり,そのときは「この連中,こんなに俺のことを疎ましがっているのか」と悲しく思ったものだ。

 ……それでも世の中には,学究のジャンル,年齢,性別を問わず,直接教えを受けたわけでもないのに思わず「先生」と敬称を付けたくなるような人物がときどきいる。それは確かなことだ。
 目黒寄生虫館(目黒駅西口,徒歩15分)の創立者,亀谷了(かめがい・さとる)現名誉館長は,そんな人物の一人である。

 本書は1994年に発行された亀谷先生の名著の,待望の文庫本化だ。
 ここには骨太な,根っからの「おたく」がいる。「おたく」といっても亀谷先生は世界を閉ざさず,時間も私財もすべて寄生虫館創立のために捧げ尽くした。苦行ではない。心からわくわく楽しんで,である。

 そうでなくてあたりかまわず動物の死体をもらって歩くとか,開業医でありながら,リンゴ箱をテーブルがわりにしたら畳の上に新聞を敷いて食べるのよりおいしい,などという生活が果たして可能だろうか。目黒寄生虫館の標本5万点はそうやって集められたものだ。ムササビの大腸につまった無数の蟯虫,オカモノアラガイの触覚(カタツムリでいえばツノの部分)に寄生して赤と緑の縞模様でうごめくレウコクロリディウム。少女の口から飛び出したニホンザラハリガネムシ。赤道あたりで鯨の体表に食いこみ,南氷洋に達すると海の底に沈んでいくオス,メスのペンネラ。
 亀谷先生の文章は寄生虫たちに対する,それこそ目の中に入れても痛くないような愛にあふれている(ただし,有棘顎口虫やイヌ回虫の幼虫が人に迷入した場合は目に入って失明する可能性あり。川魚の生食やペットの糞には注意)。寄生虫なんて気持ち悪い,と言う方に問いたい。あなたは誰かにこれほど愛される自信はあるだろうか。

 その一方,風土病の原因究明のために自ら死後に解剖して欲しいと願い出た女性,自分の体を水につけてその日本住血吸虫の感染を確認しようとする医師,厳寒の地で炭酸ガス中毒と腐臭に苦しみながら何百匹というイヌやネズミの死体を切り裂き,顕微鏡でエキノコックスの成虫を追い求めた医師たち。
 本書はそんな医師たちの過酷な病との闘いの記録でもある。

 しかるに,どうも,文藝春秋の編集者は本書についてそのような評価はしていないようだ。腹帯の惹句は「怖いもの見たさ!?」だし,解説(と言えるようなものではない)に呼んだのは『富江』の伊藤潤二である。
 一読すればおわかりのように,本書は,決してそのようなキワモノではない。

 ……と,断言したいのだけど,なにしろなあ,女子高生の出したサナダムシ,8匹の長さを足すと合計で45メートル,という話題のイラストカットは『東京女子高制服図鑑』の森伸之だし。

 亀谷先生,御年90歳。自由闊達。ヘム君もホー君も,迷路の壁にくだくだ格言書いて迷ってる暇があったら本書を読むべし。
 チーズまでの道のりに,迷路などない。

先頭 表紙

目黒で懐かしいといえば,お城のようなあの……いや,中に入ったわけではないのですが,親しい女性の部屋から正面にそのサーチライトが……ああ,やぶへびならぬ,やぶからサナダムシ。 / 烏丸 ( 2001-02-20 02:57 )
お〜懐かしい!博物館・・・その昔は目黒の花房山の裏手にあったよう〜な? / ムッシュ ( 2001-02-18 14:57 )
あややさま,(寄生虫の中で最も無害で安全といわれる)サナダムシですが,残念ながら,日本人の場合ほとんどダイエットの役には立たないのだそうです。サナダムシの種類が違うのか,腸の長さなどの問題なのかはまだわかっていないそうですが。 / 烏丸 ( 2001-02-18 12:34 )
20世紀のディーヴァ、マリア・カラスもサナダムシで130キロから55キロに・・。サナダ虫はオペラ界の英雄だわ〜。 / あやや ( 2001-02-18 10:55 )
↓ 2時間経って読み返して見ると,我ながら面白くもなんともないコメント。やっぱ,「2週に1回は寄生虫本を読んで虫くだしでおじゃる〜」とかのほうがよかったかな。 / 烏丸 ( 2001-02-15 16:36 )
名著のほまれ高き本書の文庫化をもって,「死体本」「寄生虫本」はこれで一段落かと思います。ほかにもよい本,お奨め本はいろいろあるんですが,紹介文の内容が重複しそう。さて,ぼちぼち名画シリーズに戻らなくては……。 / 烏丸 ( 2001-02-15 14:37 )
げげっ、また寄生虫だっ!! スニッフとスカリーは、やはり寄生虫まっしぐらなのだろうか!? そして突如増殖する富江の恐怖再び!! 忘れていたのに、ああ、また菅野美穂の悪夢がっ!! あああ、立体サナダムシTシャツとは一体!! (うるさいつっこみだ、けっ←小安隊員風) / こすもぽたりん ( 2001-02-15 13:11 )
本書の巻末には目黒寄生虫館グッズが写真入りで掲載されているのですが(通販あり),「立体サナダムシTシャツ」というのがなんともなかなか。 / 烏丸 ( 2001-02-15 12:13 )
小枝さま,目黒寄生虫館はいまやデートスポットとしてTDLと並ぶメッカ,「見ごろ」というのはとくにないとは思いますが,JR目黒駅西口下車,権ノ助坂から目黒通りに出て徒歩15分ですから行き帰りの道のり考えて,多少寒いくらいの季節がよいかもしれません。もちろん,暑い盛りに訪れて帰りにソバ,ラーメン食べ歩きというのもまた一興。 / 烏丸 ( 2001-02-15 12:09 )
ミナナ通信兵どの,数ある最近の寄生虫本でどれか1冊と言われればやはり本書なのでありますっ。藤田紘一郎先生の快作『笑うカイチュウ』ですら,本書の前では学者のウケ狙いに見えてくるほどなのでありますっ。 / カララ少佐(お仕事中) ( 2001-02-15 12:00 )
友達に「寄生虫」に目がないのがおります。この本も知っているかな。寄生虫館は誘われてまだ実現しておりませんが、見ごろはいつ頃でありましょうか? / 小枝 ( 2001-02-15 09:33 )
キワモノでは?と思っていたので敬遠しておりました。反省反省。『富江』につられてケロロ軍曹のネムキシリーズを読み返しました。戻ってきてくださらないかしら……軍曹、無事のご帰還をお待ちしておりますっ! / ミナナ通信兵 ( 2001-02-15 05:45 )

2001-02-12 『オウムガイの謎』 ピーター・D・ウォード,小畠郁生 監訳 / 河出書房新社


【隔壁のイニシエーション】

 映画『ゴジラ』(1954年)の前半,大戸島に赴いた古生物学者の山根博士(志村喬)がジュラ紀の巨大生物の足跡とおぼしき窪みで「ご覧,トリロバイトだ」と三葉虫をつまみ上げるシーンがある。何か由々しきことが起こりつつあることを暗示して,のちのお子様ランチ化したゴジラシリーズには見られない名シーンの1つだ。

 けだし昭和の少年・少女の胸をこがし,ときめかした古生物の三種の神器といえば,恐竜,三葉虫,そしてアンモナイト,これにつきるのではないか。
 アンモナイトは軟体動物頭足類,要するにイカやタコの仲間である。ちなみに軟体動物にはほかに腹足類(巻貝,ウミウシ,ナメクジ等),二枚貝類等があり,容姿や生態はてんでバラバラである。イカとサザエが仲間と言われても寿司の素材としてくらいしか共通点が思い浮かばない。しかし,これらが縁戚であることをビジュアルに示してくれる生物がいる。それが「生きた化石」,オウムガイ(Nautilus)だ……やっと本題にたどり着いた。

 オウムガイはオウムの嘴に似た美しい石灰質の殻を持つ。漏斗から水を吐き出して南洋の深い海をふよふよ泳ぎ,多数の触手を持ち合わせた軟体部はイカに似ているといえば似ている。ただし,目には穴が開いているだけで,イカ,タコのようなレンズはない(イカの目は非常に発達しており,人間の目の仕組みを研究するために用いられる)。
 なんとなくアンモナイトが先祖,というイメージがあるが,起源は実はオウムガイのほうが古い。アンモナイトはその亜種として繁栄し,滅びたらしい。もっとも種レベルでは現生オウムガイの化石はなく,「生きた化石」という表現には問題がある。

 本書は,自身オウムガイの研究家として知られるウォードが,この100年間にわたる生物学者たちのオウムガイ研究の成果をドキュメントしたもの。正直,オウムガイの生態への興味だけで手にしたのだが,これほどよい本だとは予想もしていなかった

 添付画像でもご覧いただけるように,オウムガイの殻にはアンモナイト同様,普通の巻貝にはない「隔壁」がある。それが浮力の獲得とどうかかわっているのか(重い殻があっても泳げるということは,魚の浮き袋にあたるなんらかの工夫があるはず),そもそも隔壁はどのように形成されるのか,というのが本書の大きなテーマとなっている。
 研究者たちが次々とその謎に挑んでいくさまは圧巻だ。単身太平洋の島々に渡り,苦心の果てに初めてオウムガイについての詳細な論文をまとめたアーサー・ウィリー。オウムガイのX線写真撮影に荷担し,新しい研究の端緒を開いたアンナ・ビダー。オウムガイの浮力について長年の定説を覆したエリック・デントンとジョン・ギルピン-ブラウン。ニューカレドニアに海水循環型の画期的な水族館を設けたルネ・カタラ。そこでオウムガイの寿命について研究を進めたアーサー・マーティン。そして著者自身,さらに若手の研究家たち……。

 いずれも,研究設備の伴わない政情不安な南の島々に滞在し,貿易風吹き荒れる海に漕ぎ出してわなをしかけ(サメに襲われて死んだ研究者もいる),工夫を重ね,努力を重ね……しかしある者はオウムガイの生態を勘違いしたまま死に,ある者は精魂つめて設営した水族館を奪われる。著者はそれらの事実をことさら悲劇的にあおるわけでもなく,淡々と記述し,オウムガイの生態を読み手に伝える。
 そして研究の積み重ねの上にやがて明らかになる奇跡のような隔壁の働き。これで中島みゆきのエンディングテーマが重なったら,まんま「プロジェクトX」である。

先頭 表紙

私もこないだ,シドニーオリンピックの女子ソフトボールの監督話で泣きました。再放送だったのでしょうけど。 / 烏丸 ( 2001-02-15 18:51 )
いやあ、一昨日も南極で泣き、昨日は瀬戸大橋の回をビデオで見て泣き、とすっかりPXに嵌まっている私でありんす。 / こすもぽたりん ( 2001-02-15 13:13 )
オウムガイの殻といえば黄金分割やフィボナッチ関数なんですが,生態をテーマにした本書はそれにはいっさい触れてないようです。しかし,それならそれで,なぜ表紙に生きたオウムガイの美しい写真を載せなかったのか,疑問。 / 烏丸 ( 2001-02-12 14:30 )
ううっ、恐竜モノに続いてこの本もツボに入ってます。早く仕事を片づけて本屋に行きたい! / TAKE ( 2001-02-12 13:32 )

2001-02-11 『最新恐竜学』 平山 廉,復元画・小田 隆 / 平凡社新書


【どうせ恐竜なんだし,こうしたほうが客は喜ぶだろうからかまわない】

 『世界恐竜図鑑』では,ティラノサウルスは脊柱から尾にかけてを地面に水平に,ピンと張った形で描かれている。背中を急角度で立て,尾を地面に引きずる,従来のカンガルー状の想像図は最近では否定されているのだ。しかし同書においても,ブラキオサウルスなど竜脚類の多くはキリンのように長い首を高く掲げ,バロサウルスにいたっては(アメリカ自然史博物館の復元骨格を参照したものか)後肢で立って高い木の葉を食べようとしている。
 それに対し,本書『最新恐竜学』ではすべての竜脚類が首を地面にほぼ平行に真っ直ぐ伸ばしていたと説く。

 著者・平山廉氏の現在の研究テーマはカメ類など恐竜以外の爬虫類の進化だそうである。彼は,化石と現生の両方の生物を客観的に観察・比較するという古生物学者として当然の態度で恐竜学に対したとき,「頭骨や背骨,あるいは足跡の形態の本質さえきちんと理解されてこなかった」と驚く。
 なにしろ著者の見る博物館の竜脚類の復元骨格模型は,首の折り曲げたところで関節が脱臼しているというのだから。

 著者はさらに,1975年にロバート・バッカーが発表して恐竜ブームのきっかけとなった「恐竜温血説」,ジョン・ホーナーらによるマイアサウラの「恐竜子育て説」,1980年にルイ・アルバレスらが発表して注目を集めた「小惑星衝突による絶滅説」等を1つ1つ検証していく。
 そのほか,恐竜と鳥類の関係,竜脚類の群棲,肉食恐竜との関係(ほとんどの肉食恐竜にとって成体の健全な竜脚類を襲うのは,ライオンがゾウやキリンを襲うようなもの。竜脚類の四肢の関節の可動性は非常に小さく,足を滑らせて横倒しになったり,ぬかるみに足をとられて転んだりするのを待っていたのではないか)など,従来の説を否定する著者の指摘は新鮮かつ論理性,説得力にあふれている。
 もちろん,本書1冊をもって,しかも恐竜の専門家でない平山氏の説を全面的に支持することはできないかもしれない。それでも読み応えは十分。

 いや,そもそも,中途半端な説を唱えた従来の恐竜学者たちの姿勢を問うべきかもしれない。著者は若干の怒りを込めて次のように述べている。
「恐竜を異常なまでに特別視する人びとにとって,恐竜は空想の世界に存在する,いわば一種の“キャラクター商品”であり,テレビ・アニメの『ポケット・モンスター』と何ら変わるところはないのであろう」
「彼らにとって,恐竜の大きさやプロポーション,名前が問題なのであり,個々の骨格の正確な観察などどうでもよいのかもしれないが,形態の観察さえまともにできない人びとに,恐竜の生態や絶滅を云々する資格や能力があるようには思われない」

 ……つまり,著者は,ロバート・バッカーやグレゴリー・ポールら,名だたる恐竜学者をつかまえて,「とんでも」「ちょー」扱いしているわけである。面白くないわけがないではないか。
 ちなみに,日本の恐竜研究については「世界的なレベルで議論できるような論文が(とくに英文では)ほとんど公表されていない」のが現状だという。どこかで聞いたような話である。町興しにセメントの恐竜造っている場合ではないと思うが。

 なお,論理性は本書ほどではないが,最近の恐竜学の動向については『新恐竜伝説』(金子隆一,ハヤカワ文庫)もなかなか面白い。プシッタコサウルスの復元骨格の前肢に指1本を余計にくわえて平気な中国恐竜学者,日本の古生物学会屈指の「とんでも」さん,岡村長之助についての記述など,キッチュな話題満載である。

先頭 表紙


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